ただ薙ぐ事は、棘で絡め取るよりも容易い。
抜刀し、躊躇いも無く横一文字に斬り払った。
袴の裾を鳥の羽ばたきの様に鳴らしていた人修羅が、ようやくその場に倒れ込んだ。
身体を置き去りに、赤い靴の足先だけが枯れ草を踏み分け舞踏する。
人修羅の斑と一体化したかの様な紐と、フラメンコ靴の様な主張をする踵。
『逃がしちゃっていいの?』
「靴の持ち主を確認せねば」
『ま、あいつすばしこいから。ワタシもそれが助かるわねぇ』
絶壁から飛び降りた靴は、幾つかの出っ張った岩場を蹴りつけ、深い場所へと降りて往く。
僕はアルラウネの蔦を命綱の様に腰に巻かせ、見失うまいと後に続く。
追いついては駄目だ、相手が完全に隠れてしまう。鬼ごっこの醍醐味は知っている。
それに、わざわざ人間をこうして引きずり込むという事は、余程の臆病者に違いない。
「止まれ」
アルラウネに号令をかけ、荒れた岩肌に背を添わす。
吐く息が白いので、じっと呼気を無くした。
僕の視線の先には、ゆっくりと開き始める大地の裂け目が広がっている。
其処から覗くは真赤な沼。陽光を遮る空間で、どろどろと厳かに発光する。
此処まで確認出来た、とりあえずは大丈夫だろう。
「ほら見給え……靴の主を」
『アレは何なの? なんだか口みたい』
「さあね、はっきり是とは断定出来ぬ。しかし人間の装身具を遣う辺り、元々は人間の可能性が有るな……異人と化したか」
足を滑らせ、滑落死した舞踏家だろうか。はたまた赤い靴の少女だろうか。
定かでは無いが、あのような姿となった今では最早知れない。
靴は人修羅の足首を抱えたまま、一際強いステップで裂け目に跳び込む。
途端に大地は閉じ、隆起を繰り返し咀嚼する。
そして、ぷっと隙間から吐き出される靴と骨。
骨は薄っすらと血の赤が滲み、靴はしっとりと艶めいて転がっている。
『ははあ、なるほどねぇ。でもあの靴、どうやってまた人間の手に渡るのよ? こんなトコ寄り付かないでしょ普通』
「この狭さだ、雨が一晩降れば流れる。こうして降りては来たが、此処は南方の川よりも高い位置に在る」
『雨が降ったら川に流されるって? でもその頃には汚くなっちゃってるでしょ、そんなの履く気しないわよワタシだったら』
「あの靴には実体が無いのだから、汚泥に汚れる事は無い。靴を入手した者の動向を辿ると、川の下流に縁の有る者が多い。早朝の散歩や、通勤通学、河原遊び……」
『は〜いはいはい分かったわ、むつかしい話はいいから、人修羅ちゃんの骨拾ってあげたら?』
「そうだね、既に狙いをつけている奴も居る事だし」
すっかり口を閉ざした谷間の主を素通りし、僕は切っ先でしっしと影を追い払う。
相手は巨大なヤモリの形をしており、背は鱗に覆われている。体躯はおよそ二丈……ダ竜だろうか。
それなら合点がいく。おそらく此処で割れ目の吐き出した骨を頂戴し、代わりに雨を降らすのだ。
ダ竜の吐き出す気は雲となり、雨を作るから。
『靴はどうするのよ、放置?』
「また誰かしらに勝手に履かれては困るのでね、其処の“本体”を祓うまでは僕が預かるかな」
『今やっつけちゃわないの』
「葛葉の力は払魔の力だが、祓うのみに過ぎぬよ。専門家を呼び、本来の形を炙り出す」
『あらぁ、イヤに優しいじゃないライドウったら』
「これで消息不明者の一人でも判明すれば、風間刑事から煙草の一本くらいはせびれるだろう?」
骨を外套の衣嚢に納め、靴を片手に崖を登った。
アルラウネに引き上げて貰う形で、上へ上へと舞い戻る。
予測通り、十八代目ゲイリンが人修羅を看ていた。
アルラウネの蔦がしなり、僕を枯野に降ろす。一斉に此方を見る眼は、何かしら云いたそうだ。
「先輩っ」
「……遅い」
しかし両者共、一言二言を発しただけに終わる。
人修羅の袴の裾は赤黒く滲み、一瞬その様な柄物にも錯覚出来る。
凪が仲魔に回復術を唱えさせたと思われるが、その程度では無駄だ。
切断された部位があれば、断面の癒着だけで足りる。
しかし今回、人修羅の足首から先は完全に失せたのだから。
「凪君、もう動くのは辛くないかい」
「は、はい! 御指示を頂けるのでしたら、即アクションのプロセスです!」
「では先ず、蹴散らかした街角に謝罪して廻り給え」
「ううっ……鮮明に憶えているので、思いやられます……」
「憑きもの、ハンチントン病、これらで説明しても尚追求された場合は風間刑事を呼ぶと良い。恐らく月の昇る頃までは、現場を往復する羽目になっているだろうから」
深呼吸した凪が、すっくと立ち上がる。その足に、見覚えのあるブーツが履かれていた。
そうだ、彼女の靴を持って来る事を失念していた。こうなる事が予測出来たというに、しくじった。
「事務所にそのまま置いてあるから、其処で履き替え給え。それと童子が待機している、お叱りはあの方から受けるが筋だろう。僕としては君がきっかけで解決に至ったので、それ程責める気にはならないね」
「……はいっ! では功刀さん、銀楼閣までお借りしますね……申し訳ありません」
少し屈んだ凪が、人修羅に断りつつ掌を差し出している。
女性にしては傷の多いその手から、そっと何かを摘まむ人修羅。
あの外装、確か非ピリン系散剤の鎮痛薬。
「これは?」
「お水が無いので苦いと思いますが、鎮痛効果が有るのです。功刀さんのお身体に効くか分かりませんが……市販されている鎮痛剤ですから、性質に悪影響を及ぼす事は無い筈です!」
「俺は大丈夫ですよ。もう再生も始まっているし、熱で少し痺れているだけです」
「私のせいなのです、どうか受け取って下さい」
承諾しなければ動きそうに無いので、指先に薬包を摘まんだまま静止している後頭部を叩いてやった。
振り返った隙に指先から其れを奪いビリリと破くと、罵倒に開いた口に突っ込んでやる。
咽ながらも嚥下に喉を蠢かす人修羅を脇目に、僕は十八代目ゲイリンへ問い質す。
「君、月経中?」
はっとして、返答に一瞬詰まる彼女。
その肩から、ハイピクシーが大股開きで腕を振るわせ跳ねた。
『ちょっと何その唐突なセクハラァ!』
「君には訊いておらぬよ、小さき淑女。ただ、女人が血を棄てる期間に発する気は、異性の回復能力を低下させるのでね」
『……人修羅の近くに居たら、凪のせいで治癒が遅れるってぇ?』
「さて如何だろうね? さほどの差も無いかもしれぬし、想像以上に遅れるかもしれぬ。記録を細かく取った事が無いからね」
と、僕の説明が終わらぬうちに、ハイピクシーの翅をすいと掴んだ十八代目。
「これ以上の御迷惑をかけぬうちに、現場に向かうプロセス」
「謝罪は早い方が難度が低いからね、こいつを貸そう。森は迂回すると良い、走行には問題の無い平地だ」
胸元の管を抜き、僕はオボログルマを召喚した。
自動的に開く扉を前に、戸惑い気味の十八代目。
僕を素通りして、人修羅を気にかけている。
「功刀君はもう少し診てから運ぶ、とりあえず君だけで向かい給え」
「な!? 俺も乗せろよ」
「自動操縦で町外れまで向かう、任意の場に行きたくば命じれば聞く。好きにドライブすると良いよ、ではね凪君」
「おい無視するなよライドウ、おいっ!」
窓に張り付きそうな勢いで、車窓越しに人修羅を見ている十八代目。
僕は言葉にせず、速度を上げろといわんばかりにオボログルマにMAGを送った。
『で、どうするのかしら? ワタシは人修羅ちゃんの治療に貢献出来ないわよ』
「そうだな、他の奴を召喚するとしよう」
『ね、そういえばライドウにはどういう靴に見えてるの?ソレ』
煩い薔薇を管に仕舞い、妙な詮索はしない犬を召喚した。
大した回復術を具えてはいないが、索敵さえ出来れば構わなかった。



「俺、車が良かったんだけど」
「あれは悪魔な訳だが、君のアイデンティティは傷つかぬのかい」
「あんたの背中よりはマシだな」
「久しいだろう? 感謝し給え」
「あのな、歩行不可にしたのあんただろ? 寧ろ謝罪しろよ」
密着の隙間、学生服と着物を貫通して伝わるMAG。
足首を持ち帰らなかったので、このくらいの施しはしてやっても良い。
両手が塞がる程度、襲撃されようが初動さえ間違わなければ軽く往なせる。
『ライドウ。人修羅ノ事、暴レタカラ、オ仕置キシタノカ?』
「それは業魔殿の話かい? その件での仕置きは、そういえば未だだったね」
イヌガミにそう答えると、背中から「する予定有るのかよ!」と文句が発された。
当然だろう。十八代目に与える為に用意した悪魔と、よりによって喧嘩をしたのだから。
彼女の仲魔となったその悪魔が、思い出話に君の事を語りでもしてみろ。
あれは「人修羅とやりあったんだ」など、自慢気に語る性質の悪魔だ。
感慨深そうに、それに聞き入る十八代目までもが脳裏に浮かぶ。僕にとってあまり芳しい事では無い。
人修羅の事を語る悪魔の血脈が、幾多の合体により彼女の仲魔へと流れ始める事を想像すると、気味が悪くなる。
いっそ女学生の喜びそうな物を雑貨屋で探せば良かった、戦いと無縁の煌びやかで華奢な装飾品などを見繕い……
一般の乙女の様にしていれば良いと、まるで叩きつけるかの様にくれてやるのだ。
「やれやれ、とんだクリスマスプレゼントにしてくれたよ、君は」
「は? 何の話だ。そもそもあんたが凪さんに無理させなけりゃ……」
「僕があのまま彼女を踊らせ続けると思ったのかい? 僕にとって面倒な結果になる事は目に見えている、ゲイリンの先代とも約束が有るしね」
「分かってる! あんたが履く気満々だったじゃないか、だから――……」
僕に負ぶわれる人修羅が、片手に掴む赤い靴にぎりぎりと爪を立てた。
「“切り離せる”俺が履くのが、都合良いだろ……だって、そうでもしなけりゃあんたがこの先動けなくなるのは、俺の身の破滅に繋がるし。凪さんも酷い自己嫌悪をしそうだから」
靴と話した直後の、人修羅の眼を覚えている。
決意を固めた時の色だ。
そうなった時の人修羅が、酷く頑固で堅牢な事を知っている。
散々喧嘩をしてきた僕が、知らぬ訳が無い。
抜刀する僕を見た時、その眼の色は変わらなかった。そうして、金色を見た僕の心は研ぎ澄まされる。
単独で踊り去る足先が、再び君に戻るか否かはさて置いて……
兎に角、この度は綺麗な断面にしてやろうと思ったのだ。
抉る痛みが一瞬で終わる様に、組織が美しく甦る様に。
「しかし功刀君。君がそれこそ躍り出て勝手に履いたのだから、この顛末に苦言を呈されてもね?」
「靴の行先を知りたいだとか、それだってあんたの勝手な好奇心だろ。暫く凪さん踊らせといてよく云えるな」
「情報から既に靴の正体は発覚していた、ヤタガラスが知りたいのはコレの仕組みと本体。警察が知りたいのは、被害者の場所と状態」
「風間刑事に捜査協力を依頼してたのか?」
「Xマスも近い事だ、娑婆の世界でダンスをしたい死刑囚は居ないかと訊ねていた所さ。どうせなら浮かれ気分で果てたいだろう?」
「はぁ……酷いクリスマスプレゼントだな。殆ど実験じゃないかよ、人身御供というか……呆れた」
「フフ、希望者が居れば、という話さ」
森の中を潜り抜ける、いよいよ暗くなった空気に月光が目立つ。
樹木の隙間から射すそれが、赤薔薇や柊の彩度を上げる。
旋風か獣でも通り過ぎた後の如く、蹴散らされた花弁や葉が道を作っており。
潜む妖精達が、その道を往く僕等をジロジロと遠巻きに眺めていた。
「今回、靴を事務所に放置する形となったのは、僕と風間さんの落ち度だね」
「そうだぞ、下手したら鳴海さんが興味示してた可能性だってある」
「しかし業魔殿へ呼ばれる羽目となったのは、君が暴れた所為だ」
「どうしても俺の所為にしたいんだな」
「そのままお返しするよ、いつもの君にね」
己の吐く息が白い、森を抜けると白い埃が大気にちらついていた。
この程度の雪ならば、帽子のつばが受け止めるので睫毛に積もる事は無い。
背中の人修羅も悪魔だ、薄着とて風邪をこじらせる事にはならない。
「……寒くないのか」
「感覚の鈍い君には判らぬかもしれぬが、大した気温では無い。それにオベリスクに比べたら、この先もずっと道は平らで死角も少ない」
「確認した俺が馬鹿だった、余裕あるならもっと速く歩けよ」
「君こそ、また寝ても構わないけれど?」
「あんたの背中で? 誰がだよ」
「どうやらオベリスクの記憶が薄い様だね、君は一戦交えたばかりの相手の背で、呑気にすやすやと――……」
「掘り返さなくていい」
学帽の天面を、掴んだ靴でばすりと叩かれる。
十八代目のハイピクシーと同じ行動をしている事を伝えたならば、君はますます憤慨するだろう。
「しかし、君にしては随分と妖艶な靴になったね」
視界の隅に入る赤色を見て、ふと訊ねる。
「……凪さんが履いてるの見たら、あんな可愛い靴なのに凄い動きが良かったから……ちょっと違和感が有った」
「己が履いた瞬間、彼女と同じ色形は全く浮かばなかったと? 他者が履き、鮮明に具現化した靴を一度見てしまえば、通常はそれが脳裏に強く残る筈だが」
「いや、だからな。 あんなに暴……踊る靴を見てたから、あんたが履きこなす姿を、頭のどこかで思い浮かべていた……のかも」
君が手にしている赤い靴、十八代目が履いていた時と形状が異なる。
それは、薄暗い店内にて揺らすグラスの中の、紅いワインの様な色。
階段を鳴らし響かせ、軟い大地を抉るかの様な、高慢なヒール。
「良い色艶だ、アマラ深界においては迷彩の役割を果たすだろうね……フフ」
「何だよそれ、嬉しくも何ともない」
装着時に伸びていた紐は人修羅の斑紋と一体化し、脚を赤く彩っていた。
袴の裾から覗く肌、黒縁を奔る燐光は赤く美しく。
瀕死の時、僕に縋る君を思い出していた。
踊り去る君の足首を、そのまま再び箱に詰めてしまいたい衝動に駆られた。
それをしなかったのは、靴の住処への好奇心と、蜥蜴の尻尾を天秤にかけた結果だ。
人修羅の足首は、また手に入る機会が有る。
とはいえ、此度は肉を異人にくれてやってしまったので、些か不満は残る。
僕だって食べてみたいというに、目の前であっさりと実行されたのが癪だ。
「あんたがコレを手にしたら、どういう形になるんだろうな」
「僕が崖下から戻って来た際、既に見たろう? 君が履いていた時の形にしか成らぬよ」
「他人のイメージに左右されるなんて、あんたにしては珍しい」
鼻で笑う人修羅に、寧ろ此方が失笑した。
追求しないのか、詰めの甘い奴め。
風間刑事と話し合う際、既に僕はこの靴を目の前にしている。
その時点では、他者のイメージなど介入し得ないだろう?
「出来るだけ人の少ない路、選べよ。野郎に背負って貰ってるの、見られたくない」
「そんなに嫌かい、特等席だよ? まあ……此処で君に大量のMAGを注げば、足先くらい生えるだろうし。マットレスには劣るが、外套を敷けば充分さ」
「嫌な予感しかしないから、銀楼閣までやっぱり背中で良い」
街の灯りが近付いてくると、背中の気配が変質した。
人修羅が擬態術を使い、只の人間の形になったのだろう。
しかし、その術は僕にとってあまり意味を成さない。
それこそイメージが先行する為、僕は擬態中の人修羅を見ようが、常に脳内で斑紋を重ねている。
赤い靴など、吐いて捨てる程この世に存在しており、種類も様々だ。
だが、君は違う。
とりあえず僕は、他の人修羅を目撃してはおらぬし、想像も特にしない。
「鎮痛薬は効いてきたかい?」
「……あまり判らない。それよりもあんたは、もう少しデリカシーを持った方が良いだろ。俺の時代ならセクハラで首が飛ぶぞ」
「君の足首は飛んだね」
「そういうのがデリカシー無いって云うんだ。それにっ、俺は凪さんを追い払う位なら、ちょっとくらい治癒が遅れたって…………おい、何哂ってんだよ」
肉どころか、骨まで断たせている愚かな君。
他の人修羅が存在したとして、果たして同じ事をするだろうか?
こんなにも無鉄砲で、危うい奴もなかなか居ないだろう。
「あんなの出任せだよ」
「はぁ!?」
「ああでも理由をつけなければ、十八代目は君の傍を離れそうになかったからね」
「ふ、ふざけんな。それじゃあ俺が怪我する度に妙に気遣わせるじゃないかよ!」
「咄嗟に君から離れたら月経中だって? それを君が恥じらってどうするのだい。やれやれ、いやらしいねえ」
「悪趣味野郎、やっぱりあんたが踊らされてりゃ良かったんだ、くそっ」
縋らなければ立てぬほど踊り疲れた君に、刃を振り下ろすのも僕であり。
再度ひた走る為、爪先まで生やさせるのも僕であり。
まるで、ボルテクスで君を追っていた頃の様だった。
とてつもない玩具を贈られた、子供の心地だった。
「僕が最初に連想した靴と、ほぼ同じだったよ」
侮蔑を垂れ流す人修羅の息遣いが、一瞬止まる。
僕の言葉を待っている様子の為、そのまま続けてやる。
「靴の化粧箱を開け、真っ直ぐに見たその時から。君が履いていた赤い靴と、殆ど同じ形をしていた」
「……は、それは……嫌だな、俺とあんたの嗜好が近いって?」
「足に融合する悪魔だと直感的に認識した時から、君に一番に履かせたかったのだよ。だから無理矢理履かせるならば、マガツヒや血の赤色に、君が眉を顰めそうな高飛車なヒールが良いと思ってね」
「曰く付きのブツだって知ってたくせに、俺を殺す気かよ」
「僕がパートナーだよ、功刀君。この季節の社交場において、ダンスが流行っている事を知らぬのかい? 二人一組にて踊るXマスだ」
「あんたがパートナーだから不安なんだ」
「しかし君は履いたね、そして誘った。ついて来いと――……」
「誰が誘ったって?」
「靴に主導権を譲らせぬ為に、僕を選んだのだ……フフ」
人修羅の靴を持つ手が震える、だがその腕が大きく動く事も無い。
しがみ付くのも、冷たい地面に落ちるのも嫌なのだろう。
「おいイヌガミ、ライドウを黙らせろよ」
『人修羅ハ、御主人様ジャナイ。ダカラ云ウ事キケナイ』
「お前がこいつの話し相手になってくれるだけでも良いんだ、いつもはじゃれつきまくっている癖に……」
『ダッテ、今ハ人修羅ガジャレツイテルカラ、其処ニハ入レナイゾ』
八つ当たり先の犬にまで煽られ、言葉を失ったのは僕の背中の荷物。
声音が消えるのと裏腹なまでに、密着する心音は加速してゆく。
「俺で黙らせろって事か、分かった。悪魔なんか頼った俺が馬鹿だった」
『ライドウニ乱暴シタラ、人修羅ヲ噛ミ殺スゾ』
「……その前に俺が噛み殺してやる」
悪魔相手の物騒な応酬、最早慣れたものなのだろう。
僕に発するそれよりも、ややハッタリの分量が少ない声色だった。
どうやら、こんな僕でも人間扱いはされているらしい。
「ライドウ」
「何だい、そのまま靴を放って僕の首でも絞めたら如何?」
「……あっちの空、何か居るぞ」
「上空? はて、サンタクロースのソリでは無いのかい」
誘いに乗らぬ僕に苛立っている君、感情の滲むMAGが雪に混じる。
「っ、サンタ信じてるのかよあんたはガキか! もっとマシな言い訳しやがれ」
「君がたった今、サンタが居ると述べたではないか」
「もうサンタとかどうでもいい、っ……俺の……俺の眼を見ろ」
ようやく欲求をくすぐる誘い文句が降ったので、軽く顎を上げ視線を背後に送る。
瞬間、冷たく薄い唇が歪な角度であてがわれ、僕の呼吸を奪った。
上等な牙すら持たぬ癖に、がりがりとこの唇を齧ってくる。
姿勢が祟り、結局僕の鎖骨を掻き抱く君は、外套の襟を崩してくれる始末。
中途半端に吸魔したせいで、無い爪先が疼くのだろう。もぞもぞと蠢かれ、背負う此方に負荷がかかる。
僕は少し前傾姿勢を取り、自らも首を捻って口付けを深くした。
舌先に、君の喘ぎが響く。掴まれた赤い靴が、ふるふると痙攣している……
『ライドウ黙ッタガ、人修羅モ黙ッテルゾ』
イヌガミの言葉に、いよいよ離れようとする人修羅。
だが、僕が今度は逃さない。先刻とは打って変わって戸惑い焦れる舌を、じっとりねめつける。
MAGを伝えれば、君の鼻から甘い声が抜ける。魔力はどの様な状態にあろうが、甘美に違いない。
だが、独りで歩けてしまうのはつまらぬ。程々に、微量の露を与えるのみにしなくては。
『ライドウ、何カ向コウカラ接近シテ来ル』
軽く瞼を上げた人修羅と、一瞬眼が合った。
イヌガミの続報を待ちながらも、噛み合い続ける。
警戒なのか羞恥なのか、間近に光る眼は横に視線を流し、既に僕を見ていない。
『オウンッ、何者カト思ッタラ、オボログルマジャナイカ』
嬉しそうに尾を振り、此処だといわんばかりに遠吠えまで始めるイヌガミ。
恐らくけじめをつけた十八代目が、一旦戻って来たかその辺りだろう。
治癒を遅らせる事よりも、僕が人修羅を運ぶ事の方が……彼女にとっては悩ましいのか。
「ん〜ッ! んんっっ!!」
頭を振り乱し、仰け反り逃げようとする人修羅。
僕を黙らせるのでは無かったのか?
重心を崩し共に倒れ込むと、どちらのものともつかぬ歯が互いの唇を傷付けた。
「痛ッ……ぁ……はぁ、はぁっ……ぁ、んたがしつこい、からっ……」
ふわりと擦り寄って来るイヌガミが、僕の口を舐めようとする。
それをシッと払い除ける人修羅が、袖の影で僕の血を舐めた。
「欲しいの? 欲しくないの? 正直に云わぬ悪い子には、黒いサンタが訪れるのだよ」
「ちょっとは面食らったろ……MAGも吸えたしもう用は無い、さっさと俺から降りろ」
「あれが不意打ちだって? 僕を笑わせたいの?」
間抜けの様に靴を両手にした君が、僕の下から這い出ようとする。
靴は靴としての自負が有るのか、人修羅の手が潜り込もうが無反応。
「草のベッドがお好みかい、丁度赤い靴も有る事だ。しかしその靴に入れられては、プレゼントが今度は運ばれてしまいそうだね」
「退け、退けって云ってるだろ……く、車が来る……凪さんが……!」
「どの容れ物でも良いのなら、此方にプレゼントをあげようか」
散々転げたせいか、人修羅の臀部を撫でると植物の滓がちくちくと指を刺す。
いっそ着衣を剥いでしまえば、滑らかな表皮が吸い付くというに。
皮ごと剥ごうが、君の形は変わらず再生した事を、僕は知っている。
だから迷いもせずに、君の足を斬り離したのだ。
「ひっッ! 何処触ってんだっ馬鹿じゃないのか糞野郎! だから退けって――」
「近頃は丁度良くなってきたろう君……それとも緩くなってきただけ?……クク」
「緩いのはあんたの頭だ!」
ソリの音でも、ベルの音でも非ず。
魔力を食いながら走る車の排気音が、悪魔の君には鮮明に聴こえている筈。
無い足で僕を蹴りつける君、それを見下ろしながら血の香りに酔い痴れる。

君の脱げない血濡れの靴は、赤い靴よりも性質が悪い。
異人に連れて往かれる事も無く、木こりが斧で足を断ってくれる事も無い。
話の最終章で手を止め、繰り返し読むかの様に流転する。
ボルテクスだろうが帝都だろうが、君の足は死の舞踏を止めない。

「銀楼閣に帰ろうか功刀君、足をプレゼントしてあげる」

オボログルマのライトが、舞台照明の如く降り注ぐ。
死の舞踏のパートナーを抱き、僕は立ち上がる。
靴の赤い光沢が、人修羅の手でオーナメントよろしく揺れていた。



-了-



↓↓↓あとがき↓↓↓

後書きは後日追加。
後日談も、何処かしらに掲載予定。