地上に戻ると、空気がひときわ清涼に感じた。
ライドウは大タラスクの上に外套を広げ、その上に寝転がって居た。俺はどこか恐る恐る近寄り、かといって了承も得ずに甲羅に乗る。
潮風に頬を冷まさせているのか、ライドウは瞼を下したまま微動だしない。
遠くで海鳥が鳴いた、水平線に太陽が攪拌されて海が朱くなる。炎から遠ざかったのに、また包まれた様な気分だ。
「亡命して諸国漫遊とは随分夢の有る話だが、仮に僕がそのような計画を実行するにあたって君の助力を得ると思う?」
夕陽からライドウに視界を移す、すっと流れる鼻梁の影で眼が光る、瑠璃色の滲む黒目なのにどうしてか光って見えた。
「だって今もあんたと手を組んでるだろ、今更何に利用されたっておかしくないと思った」
「あのねえ、こうして君が台無しにする可能性を、僕が視野に入れないと思うのかね」
「ところであの船は何だったんだよ、あれは俺が台無しにしても良かったブツって事か?」
自分で“台無しにした”と云う滑稽さが歯がゆい。
「それこそボトルシップさ。あれは模型だよ、模型」
「模型……?」
「造船所から出す予定も無ければ、動力など無い。実物大の模型といった所さ、僕の息抜き」
「い、息抜きにこんな馬鹿でかい施設を」
「どうせ軍部も持て余している。それに、不届き者があそこを見付けて屯するかもしれないだろう。ついでに管理してやっているのだよ」
一番の不届き者はあんただろ、と喉まで上がった言葉は、タラスクが動き出したので引っ込んだ。
「さて君、ここ数日の報酬はチャラになる訳だが、理由は分かっているだろうね?」
ゆったり寝そべったままだが、ライドウの声音に譲歩の情は見えない。
さっきの言葉が喉から先に出ていたら……更なる仕打ちを食らっただろう、そう思えば足下の亀に感謝する他なかった。
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「す、凄すぎるぞ俺、見たかちょっと、ねえ、誰か、誰か〜」
最後の一本を置き去り、ピンセットを狭い口から逃がす。ようやく呼吸を思い出し、壜と真逆を向いてぜえはあと忙しなく。
「誰かッ」
ソファに腰掛ける矢代君に、直接呼びかけた。三度目の正直か、ようやくコッチを向く。この距離感で状況も把握していないとは、大丈夫か?
どうやらここ暫くの日中は、ライドウに連れまわされていた様子だし……まあ、そりゃあ疲れてるだろうな。
「な、なんですか」
「見てくれよ、コレをさぁ」
ボンドが乾かない事には動かせない、下手に揺らして大破なんて堪らんぜ。
完成したマッチ棒ボトルシップを、俺はまるで宝石商の営業が如く掌で煽った。すると矢代君は間近で見ようともせず、座ったまま「完成したんですか凄いですね」と、物凄い棒読みで云った。
もしかしたら、ライドウが大傑作を作っているのかもしれない。それを先に見てしまったからこそ、この反応の薄さではないか。
「ねえ、ライドウはこないだの他にも作ってるの?」
「えっ」
「マッチ棒のボトルシップ」
「あ、ああ……マッチ棒の」
お疲れの矢代君に代わって、自ら珈琲を淹れる優しい俺。ついでに彼の分も淹れてやろう、カップはどれだっけ……いつもタヱちゃんが使ってるヤツでいいか。
ドリップで立ち昇るほのかな熱気に、さっきまで強張っていた神経が解されるようだ。
心なしか淹れ方まで繊細になった気がする、冷めないうちにせっせと運ぶ。
「マッチ棒のは、以前鳴海さんが見たの以外……俺も知らないです」
「へえ、そりゃそうか。いつ作ってるんだって感じだもんなぁ」
「あ、このカップはタヱさんのですよ」
「洗ってあるし間接キッスにゃならんでしょ」
「そういう問題じゃないです、まあ今回は淹れて頂いたのでこのまま飲みますけど」
じゃあどういう問題なんだろうか。そんな問いはさて置き、俺も隣に腰掛けた。
今はデスクに戻りたくない、自分こそがうっかりボトルを揺らしそうだ。珈琲後の一服の為、煙草だけ持ってくるかな……と思ったが、そこではたと気付く。
「マッチもう無いから、火を点ける道具が無い!」
「はあ、全部あの壜の中ですか」
「ライドウに貰うかなあ。あいつ、それこそボトルシップ以外にマッチ殆ど使わないだろ。新世界のやつを偶にごっそり分けて貰うんだよ」
「よく吸ってますけどね」
「そうなんだよ。白檀まじりにヤニがちらつくんだが、マッチ使わないっつって寄越すんだよなぁ」
「悪魔に点けさせてますから、あいつ」
「あっ、やっぱそうなの? いやぁ便利だな悪魔ってのは」
「煙いし、正直やめて欲しいですよこっちは」
まるでサマナーと同じく視えているかの様な口ぶり……そして俺の目の前で喫煙批難ときた。これは相当疲れている、もしくは苛立っているな矢代君。
「なるほどなるほど。で、ちなみに矢代君、今日はライドウと一緒に出掛けないの?」
「今日は……俺が必要な用事は無いし、いいんです」
「最近出ずっぱりだったねぇ、何か厄介な仕事でも?」
「俺、ライドウの船を壊してしまったんです」
「船?」
「……ボトルシップみたいなモンですよ」
やはりそう来た、ライドウはまだまだ秘蔵の逸品を残していたらしい。
しかし壊してしまったとは物騒な。破壊した矢代君よりも、所有者であるライドウの腹の虫が怖いというか、アポリヲン的な何かが。
「許してもらえた?」
「つけこんでくる勢いですよ、報酬もパーだし」
「何でまた壊しちゃったの」
「それは……」
云い淀む少年を追求する事もなく、俺は珈琲の残りをすすった。不注意か喧嘩か、それを第三者の俺が問い詰めた所でどうにもならない、終わった話なんだろう。
正直、この子の背景も思考もよく分からない。ただそれはライドウが初めて訪れた頃、彼にも同様に感じた事だ。
歳の差以前の壁が有る。軍属していた頃、自分の周囲にもよく視えていた壁だ。
警戒と諦観の成すそれは、社会と己を断絶している。その壁を維持し過ぎると……自分自身がいつの間にやら分からなくなってくる。
「ま、絶交されなかったのなら良かったじゃない」
「絶交も何も、別に友人関係って程のものでも無いですし」
「はっはっは、じゃあ何だっての。結局どういう関係だって構いやしないのさ、付き合いが続いてる事がその証明……」
言葉尻を濁し、耳を澄ます。階段の音だ……靴音からしてライドウではない、扉の前で室内履きを被せるだろう、その時硝子に映った影で判断出来るか。
隣の矢代君が「来客予定あったんですか」と俺に問う、首を横に振って返した。
「失礼」
一枚隔てた声音から、扉が開くより先に判った。ホクロ面の海軍将校だ。
軍服は着ていない……初めて見る背広姿。今更正体を隠す必要も無いだろうに、私用か?
もしくはヤバイ物を運んでいるか……
「定吉さんどうしたんだい、まぁ座りなよ」
「気遣い無用、ライドウくんに預ける物が有ったのだが……不在の様だな、階下に黒猫も居なかった」
「ははぁ、流石よく見てらっしゃる。どうする、帰りを待つ? とはいえ、正直あの子がいつ戻るか俺にも分からないですけどねぇ……とりあえずお掛けになってくださいよ、椅子でもソファでも」
俺が指示しなくても、矢代君は既にお茶の用意をしに炊事場に向かっている。
周囲に俺しか居ないと踏んでか、定吉はようやく息を吐いた。
「少し相談事が有る」
「へっ、俺に?」
「私はもしかすると重大な過ちを犯そうとしているのかもしれん」
「なになに、どういう事」
「少しばかり目を通していただきたい」
革鞄から抜き出された封筒の、更に中から引き抜かれた書類。端がほころび始めている、何かの設計図に見えた。
「こりゃ何だい、正直見当もつかないけど」
「可変式揚陸潜水戦艦の核となる部分、その設計図だ」
「……っておいおい、超力計画の?」
「衛星タイイツも無い今、あの戦艦を再構築したとしても、まともに機能はせんだろう。しかしこれはオオマガツ初期段階の図面であり、外部エネルギーを必要としない仕組みだそうだ」
「何でこんなモノを……持ち出しちゃって平気な訳?」
「一般技術者からすれば荒唐無稽な造り、且つ魔術的要素を含む為に理解も出来ない。分野が違い過ぎる、然るべき機関に渡すべきであろうと既に決定が下っていた」
なるほど、それがヤタガラスって事か。
渡して研究しとけ、って風でもないし。保管はしておきたいけど軍で持っておくのは嫌とか、その辺だろうな。
誰が持ち出すか分からんし、ダークサマナーとやらに渡ってもヤバイ、と。
「ん、いや待て定吉、お前さんが正に今している事が……」
「勘違いがあっては困るな、これは上部も承知している。ヤタガラスの関係者であれば良いとの事で、これまでの資料をライドウくんに渡してきた。確認として、あちらの機関からの受け取り報告を貰う事もしている」
「そ、そうか……そうだよなぁ、あいつヤタガラスからの依頼もちゃんと受けてるし、ダークサマナー……とかじゃないもんなぁ?」
謎の沈黙が続いた、どうして空気が晴れない。俺の問いかけに、あの調子の良い別人モードで応えてくれよ、不安になるだろ。
何だかコレ、ライドウがダークサマナーっぽい所有るなぁとか……互いに思ってる様な流れじゃないの。
「この動力部の図面で、渡すものは最後となる。鳴海殿、ライドウくんがこれまでの資料の“写し”を個人的に保有している可能性は、有ると思うかね」
「いやまぁ、そりゃあこういうの面白いでしょ。でもどうせ単独じゃ造りよう無いんだし、それくらい許され──」
擁護した所で虚しいか、こういう機密の取り扱いに縁が有った身としては、何とも云い難い。
しかし定吉もしくじったな、ライドウがちゃっかり目を通すどころか拝借する可能性だって予測出来た筈だ。それなのに機関の使者ではなく、ライドウに渡してしまっていた。完全に情が入っている、帝都を救った一青年に多少のお目こぼしとしてくれてやったのだろう。
分からんでも無いがね。俺がこの男の立場だったとして、やらないとは断言出来ない。
ライドウは……あいつは時折不穏な空気を醸し出すが、戦争を始める類の人間じゃない。それだけは分かる、そう思っている。
だからこそ渡して、見せてしまいそうだ。少年倶楽部あたりに載っている、模型の設計図のノリで。
子供みたいな顔するのかな、とか勝手に妄想しながら。
「悪用はしないと信じている、だからこれもそのまま彼に渡す」
「わざわざ俺に相談したのは……見張っておけって、そういう事?」
「書生を預かる探偵として、頼むよ鳴海殿」
「一応肝に銘じておくけど、責任にまで肩貸さないぞ」
「飛び火した場合は、一発殴ってくれて構わない」
おいおい、それこそ今更だよ。しかも一発って……ケチだなぁ、俺にかました物量忘れてるのか?
人の気も知らず、定吉は図面を封筒に戻し始めた。
「渡さないでください」
突然の声にハッとした、隣の定吉からも動揺が見えた。いつの間に矢代君が居たのか、全く分からなかった。
お盆には湯呑とカップが並んでいる、緑茶と珈琲の両方用意したのか、律儀。そんなどうでもいい所を確認して冷静になろうとしたが、この時点で欠いている。
ひとまず深呼吸した、定吉は俺に視線を送ってきた。知っている範囲の説明で返す。
「ライドウの友人……いや、補佐をしている子」
「話を聴いていたのか? 何処から?」
矢代君は定吉の質問には答えず、淡々と……それでいて強い語気で唱え始めた。
「あいつ、やっぱり動かすつもり満々だったんじゃないか。でも大丈夫、他は全部燃やしましたから、全部……大丈夫だ、何処にも行けない……はは、ざまあみろ」
してやったり、という顔に見えた。お茶汲みの体をした少年は、何処か嬉々とした様子で続ける。
「それも燃やしましょう」
声音の奥底から、背筋の冷えるような威圧を感じていた。まるで矢代君じゃないみたいだ、それともこれが壁の向こう側だったのか。
定吉は無言で封筒を差し出した、手が震えている。
声の出せない俺はといえば、さっき彼から“壊した”と聴いたボトルシップの話を何故か思い出していた──
-了-
↓↓↓あとがき↓↓↓
2018年、ようやく超力をクリアした為、その印象が残るうちにと書いた。
地下造船所がアバドン王に出てこない事を、なんとなく勿体なく感じたせいもある(実際もう用は無い場所なのだが)
後半を鳴海視点にしたが、未だに彼のキャラが掴めていない気がする(定吉にも言える事だが、二面見えるとしてそのどちらが本質、または理想なのかという事を考える)
結局ライドウが「本当に旅立つ為に造船していたのか」「渡された設計図を写し、それを利用していたのか」は分からない。
どう思います?
《セメダインA号》
大正12年(1923)に完成、耐水・耐熱性に難有りの為改良されたのがセメダインC(Bはは失敗したらしい)
《第四台場》
現在の天王洲アイル、シーフォート付近。人工島であり、大正14年(1925)に埋め立てされ陸続きとなる。
《イッポンダタラ、こいつは恐らくライドウの仲魔だ。以前も部屋の修繕だとか、露天風呂の施工をさせられていた。》
参照…長編徒花『栗の花の薫り』、SS『脈』
《『コキ使うかぁぁぁぁぁ!?』》
ゲーム中で実際こういう台詞があった筈(マッド口調悪魔全般か)
《ゲヘナと入れ替える。》
火力UPしそうなイメージだから。
《「あ、このカップはタヱさんのですよ」》
拍手御礼SS『フラストレーション・イルミネーション』にて、それっぽい描写をした事を思いだし。