応接室に向かい合って座るライドウと依頼人、それはいつも通りの光景だ。
「いやはや先日は助かりました……報酬の用意が遅れ、申し訳無い」
相手は先日の屋敷調査を依頼してきた人だ、回収後すぐに当人へと回収品を渡したから憶えている。
夜中の駅で待ち合わせていたのだが、前金すら無い事に俺は驚いた。
ライドウは無駄足を踏む事を嫌うので、大損しない予防線を毎回張っている筈なのに。
「特にあの“手”がね……取り戻せて、本当に嬉しく思う」
「お目当てが確保出来ていて良かった。では依頼は達成という事で、了解をして頂けますか」
「問題有りません、有難う若い探偵さん」
俺は依頼人にお茶を出してから、即座に給湯室へと避難していた。
上手く云えないのだが、あの依頼人……臭いのだ。
駅で見た時から、身なりがかなりみすぼらしいとは感じていた。
今日は幾分かマシになっていたが、それでもそこら辺に無造作に捨てられた古着を無理矢理纏った様に見える。
「や〜し〜ろ君」
不意打ちにびくりと肩が跳ねた、振り向けば鳴海が俺を見下ろしている。
お茶のおかわりだろうか、それとも鳴海には珈琲が良かったのだろうか。
「はい、何か」
「ね、やっぱり臭うよねぇ、あの人」
「…………浮浪者の様な臭いって事ですか」
「ううん、ちょっと違うなぁ。もっと生臭い感じの……腐った魚とかそういうのじゃなくてさ、もっと感覚的なの」
驚いた、ライドウに任せきりだった鳴海が気付いているとは思わなかったからだ。
あの部屋での、一瞬の邂逅で嗅ぎ取ったなら侮れない。
「いや……俺はその、ああいう交渉の場に居るのが得意じゃないってだけです」
「そお? でもいつもはちょっと離れた所でじっと聴いてるじゃないの、ライドウと依頼人の話」
案外目敏い……そういえばこの人、元は軍人だったか。
だから今回、あの依頼人から漂う“死臭”にも気付いたのか。
でも、此処で同意しては同じ穴のムジナだ。
「あの、おかわり必要か見てきます」
俺は銀楼閣に居候している憐れな一般人のフリをして、話を終わらせる。
応接室に戻ると、依頼人は立ち上がりよれよれのコートを正している最中だった。
この暑い時期にコート……いや、それを云ったらライドウなんか学ランに外套だが。
「お茶美味しかったです、有難うねぼく」
唐突に俺へと言葉が向かってきたので、咄嗟に返せず立ち竦んだ。
その顔を不躾にも、まじまじと顔を見つめてしまった。
やつれた顔、土気色の肌、眼球が少し飛び出した目、静電気で逆立った様な頭髪……年齢不詳な男性。
まあ確かに、新茶なんて飲める立場では無さそうに見えた。
「いえ、お客様には欠かさず出しておりますので、遠慮無く」
「塩水よりお茶が良いですよね、やっぱ」
意図の分からない返答に首を傾げそうになったが、聞き流して部屋の扉を開けた。
お帰りは此方です、という、俺なりの親切な急かしだ。
「では、これで」
それだけ云い残すと、依頼人は階段をふらふらと下りて往く。
途中転げ落ちないかと少し不安になって、部屋から軽く身を乗り出して背中を追った。
手摺に掴まりつつ、ゆらりゆらりと遠くなるその姿の一片に、俺の背筋がぞわりと粟立つ。
応接室へと引っ込むと、迅速に、しかし大きな音を立てない様にして扉を閉めた。
残った湯呑のお茶を啜るライドウに、詰め寄る。
「ライドウ」
「何、鼻が曲がったと僕に文句されても困るね」
「あの人、指が無い、右手の親指と人差し指が欠けている」
「それは君……そういう人だって沢山居るだろう? 工具を使う職人や、シノギ達の指詰だとか」
「駅で最初にあの人を見た時、長い袖で手先まで判らなかった。あの蝋燭の手って、本当に蝋燭だったのか? あの人の……手首だったんじゃ」
テーブルに湯呑を置くと、ライドウは軽く伸びをして指の関節を鳴らし始めた。
それは止めろ、指の形が悪くなる。
「フフ……何だい、渡した《栄光の手》を、彼が自らの手首に装着したと?」
珈琲サイフォンの音がする、鳴海が戻ってくるまで、あと少しある。
俺はライドウの隣に座り込み、尖ったモミアゲに口を近付けた。
「本当に生きているのか、あの依頼人」
ソファが揺れている、ライドウがくつくつと哂っているのだ。
先刻まで鳴らしていた指で、今度は紙切れを弄んでいる。
あの依頼人に“報酬”として渡されていたそれ。
規則性の無い数字達が、つらつらと走り書きされていた。
「ちゃんと新聞を読んでいるのかね、功刀君は」
「もうこないだのは捨てた、そこまで憶えちゃいない」
「《栄光の手》はね……高い効力を得たい場合には、本物を使うのだよ」
「本物……って」
ほらみろ、やっぱり人間の手じゃないか。
この男、知っていてあの扱いか……本当に怖いもの知らずで呆れる。
「斬り落とした死刑囚の右手が好ましい、一定条件の環境にて人体は屍蝋と化す……」
「屍蝋って何だ」
「腐敗せず蝋化した死体の事さ、木乃伊とは違い湿度が欲しい。少々精製が難しい為、貴重な逸品として術者の間では取引される。あの屋敷の主はね……墓を発いて素材を調達していた」
「犯罪じゃないか。そいつ今何処で何してるんだよ、警察にはバレてないのか?」
「フフ……家主は調達後、毎回しっかりと墓は元通りにしていた。しかしヤタガラスに露見してしまい、現在は雲隠れ……堅気の墓で調達するのは御法度だからね」
「じゃあ最近流行ってた墓荒らしって、そいつとは別なのか? 辻褄が合わないだろ」
「己の手首を求めこの世に甦った亡者達が、自ら地を破ったとは想像しないのかい?」
なんだそれは、ゾンビ映画じゃあるまいし。
火葬が当たり前の俺の感覚からすると、日本の光景だとは想像し難い。
「なら、さっきの依頼人が説明するんじゃないのか……あんたには、本当の事を」
「死人が退魔を生業とする者に正体を明かすと思うのかい? 僕は霊の調伏を専門としてはおらぬが……この事務所を訪ねてきたという事は、僕の事を少しくらい耳にしたのだろうさ」
「怪しくていかにも危険な依頼を請ける変人が、此処に居るって噂……?」
戻ってきた鳴海が、珈琲のマグを片手にゲラゲラと笑って着席した。
俺の発言が丁度聴こえたのだろう。少しカップから垂れた雫をぺろりと舐めて、再び笑っている。
「上に行こうか、功刀君」
ライドウに軽く足を蹴られ、促された。
俺はソファから立ち上がり、追従しつつ鼻を啜った。
未だ微かに残っていた死臭が、薄らいでいく。ライドウの部屋に入った途端、完全に途絶えた。
魔物を遮断しない、心地好い空間だ。悪魔を使役するこの男らしい部屋だった。
あの屋敷に施されてた破魔は、さほど強くも無かったが煩わしくはあった。
死霊なら、確かに灼けてしまうかもしれない。あの“手”を取り戻そうとすれば、十字架に触れ蒸発するだろう。
だから生者を頼ったのか……それも、胡散臭い依頼を請けてくれる奴を。
「そういえば死刑囚とか云ってたよな」
「無縁仏の定番、共同墓地の常連」
「あの人、そんなに大悪党だったのか? ヨレヨレだったせいか、そうも見えなかった」
「殺人はしておらぬが、放火もやらかした泥棒だ。金品のみならず、各界の曰くつきの代物を盗み出していた……彼も変人さ」
こいつに変人扱いされるとは、死んでも死にきれない。
机に向かい始めたライドウから目を逸らし、俺は暫くぼうっとしていた。
あの依頼人は気配が妙だったし、死臭もしていた。とはいえ普通の人間が如く、鮮明に視えていたものだから。
これでは行き交う人々の群れの中、誰が本当に生きているのか判らなくなりそうだと……どこか不安が燻りだす。
「そんな彼が所持していた金庫が存在する訳だが、未だに鍵を解除する数字が判明していない」
まだ話が続いていたのか、ライドウの声で我に返る。
俺は腰掛けていたベッドに素足で上がり、寝転んだ。
話が難しくなりそうなら、このまま狸寝入りを決め込もう。
「金庫なんて切断出来るんじゃないのか」
「この時代の工具では難しいね。悪魔ならば可能かもしれぬが、僕は軽々しく警察にそういう力は貸したくない」
「あっそ……気分屋のあんたらしい、凄く面倒」
たぶん、俺の居た時代と比較したのだろう。話は早いが腑に落ちない。
あんたは一体どこの、いつの人間なんだ……ライドウ。

軽く開けられた窓硝子に、絽のカーテンが揺れている。
本来重なる繻子幕は端で括られ、微かな黄昏の陽が部屋を茜色に染めていた。
遠くから聴こえていた蝉の声は徐々に落ち着き、虫の声に取って代わる。
夏の午後の部屋だった。俺の家にもあった、懐かしい空気。
こうしてじっとしていると、デビルサマナーという単語も忘れそうになる。
こんな血腥い内容では無しに、他愛も無い事を喋って過ごせば、只の友人と過ごす夏休みの様にも錯覚出来るのに。
あんな用件でなければ先日の屋敷散策だって、悪乗りして廃墟で肝試しする、只の馬鹿な学生連中だったのに。
俺に群れる趣味は無いけれど、そんな馬鹿な遊びをする趣味も無いけれど。
先日からのあれこれが、ホラーという娯楽ではなく、俺達にとっての現実な事が肌寒い。

「ねえ功刀君、この数字の羅列……何だか分かる?」
あの紙切れをひらひら煽がせて、俺の横に転がり込むライドウ。
「知らない、興味無い」
「金庫の数字」
即行でバラしやがった、云いたくて仕方が無かったとみた。
だが、俺がそれに乗ってやる筈も無い。
「そりゃ良かったな。でも開けられたところで盗品は元の場所に返されるだけ、あんたの利にはならないだろ。そんな報酬でよく請けたな」
「金庫を開ける代わりに、中身の数割を葛葉ライドウが頂戴する……という交渉を、風間さんに持ちかける」
「……それ、ヤタガラスには報告するのか」
「する訳無いだろう。あの屋敷に調査で入った事も、云うつもりは無いね」
「それだけがめついあんたが、よくあそこで栄光の手をくすねなかったな。あの口ぶりだと本物は稀少……って事らしいし」
上体を起こす俺に、がつりとラリアットみたく腕を食らわしてきたライドウ。
眼を見れば嫌でも判る、少し腹を立てているな。
だが金庫の数字で浮かれているお陰か、攻撃の度合いが穏やかだ。
普段の機嫌なら、恐らく腹に膝を入れられていた。
「請けた依頼は完遂する、相手が死霊だろうがね……」
「契約を違えないのが身上なら、俺をちゃんと人間に戻す事にも尽力しろ」
「それは僕が召喚皇になる為の駒として、君がしっかり成長すればの話だろう?」
どうせいつもの堂々巡りだ、深く考えない事にする。
いくら後悔しようが、あの瞬間、俺にはこいつの手を掴むしか生き残る手段が無かった。
肉体の生死ではなく、精神の存続を望んだ結果だ……
あの依頼人が、既に蝋化してしまった欠損部分を取り戻したがったように。
俺の心があの時、他者の手を求めていた……それだけだ。
「それにねえ……僕こそが《栄光の手》を、いつだって手にする事が可能なのだと、君は気付いておらぬのかい」
俺に跨るライドウが、サディスティックな笑みで見下ろしてくる。
上機嫌の根幹を見た気がして、擬態しているのに項がビリビリと痺れた。
ああそうか、この男……どうりであの日から俺の手を見ていると思ったら。
「別にね、死刑囚の手である必要は無いのだよ」
「……俺は、普通の人間とは違う。手首が蝋化するとは限らないぞ……」
「こんな時だけ否定して、フフ……往生際が悪い。ああ、でも君の手なら、わざわざ火を点す必要は無いだろうねえ……独りでに光るから」
あんたこそ、こんな時だけ指を絡ませてきて。
繋いだ箇所から恍惚としたMAGが俺の方にまで伝わってきて、躰が苦しい。
契約相手の快感はダイレクトに響き、俺の骨身を蝕む。
受給の痛みを軽減する為、勝手に受け入れようとする悪魔の身がおぞましい。
「幾度斬っても、生えてくるだろう?」
「俺に痛覚が有る事を忘れるなよ」
ライドウの指は白い……しかし死人のそれより血色のある、がっしりとした男の手だ。
職業の割に、未だ綺麗に五本揃っている。
物騒な得物を扱い、日々鍛錬され力強く。
俺を引っ叩き、口内に侵入し舌を捻るは嫌らしく。
しかし、俺の何処に触れようが、何処に入ろうが……憎悪の次には縋ってしまう。
「おいで」という声と共に、あの頃の俺へと伸ばされた唯一の手だったから。
俺はライドウの手が……好きだ、火を点さずとも見つめていたい。
MAGを生み出し魔力を高揚させる、俺にとっての栄光の手……

「功刀君」

いつの間にか日は暮れ、窓からの陽射しも失せていた。
夏の夜の部屋。弛緩した為か、擬態の解けた俺だけが光っていた。
燐光に照らし出されるライドウの眼が、狐火の様に揺れて見える。

「他に渡したら……承知しないからね」

俺は金縛りにでも罹ったかの様に、返事も身動きも出来なかった。
愛おしげに俺の右手を撫で回してくるライドウが、これまでの夏一番のホラーだった。


-了-



↓↓↓あとがき↓↓↓

拍手御礼SSとしてホラー要素の有る話を書こうとしたら文字数オーバーの為、普通のSS扱いに変更……本末転倒。先日更新した帳スピンオフ「Demonio」の2話目で、夜が口走った《栄光の手》をテーマにしたくて、執筆しました。今回のタイトル画像、右手骨の親指・人差し指を御覧下さい。
矢代は触られると、それなりに興奮するらしいです(今更なライ修羅アピール)

《死刑囚》処刑法のひとつ電気椅子においては、人体の抵抗値を下げる為に塩水で湿らせて(着衣か電極)それから電流を流す。これだけで電気抵抗は百分の一になり、0.004アンペアでも死に至る。劇中の依頼人はこの方法で処されたイメージ。

《セブンノブキャンドル》魔術用品のお店で購入可能。
栄光の手は……代用品なら自作が可能、粘土か蝋で成形。ブードゥー人形と同じ様に、対象者のパーツを中に入れておく。魔力を高めるオイルを塗りこめ……(以下略)※この辺はネット検索すればいくつか方法がヒットする。各々でお好きな魔術ライフを。

《火葬・土葬》大正時代、まだ微妙に土葬の方が多かった。地方によっては、当時から火葬が主体の所もあった様子(北海道・山形県など)



ホラーといえば、あまり縁が無いつもりでしたが……私が普段ふらっと遊びに出掛ける僻地が、大抵心霊スポットとして紹介されている事実を最近知りました。必然的にそうなるかもしれませんね、ダム(周辺のトンネルの多さ)廃集落、滝壺に沼地……いや、霊感がゼロで助かった!

それと、滅多に映画を観ない私からのお薦めホラー映画は「死霊館」です、これまた地味な邦題。
海外の作品ですが、恐怖の見せ方はかなり日本的だと思います。猟奇的なシーンも殆ど無いので、スプラッターが苦手な方でも観られます。
監督は「SAW(ソウ)」を撮った方の筈ですが、死霊館はかなり正統派でミステリー要素は殆ど無いです(無い訳ではないが、全てのネタが定番的)
それでも面白いと感じたのは、とにかく演出自体に拘っていたからだと思います。凄いCGエフェクト…や、奇をてらった美術…等では無く、実にシンプルに仕上げてあります。 それと家族愛が見えるのが良かったかな……押し付けがましくない程度、しかし無ければ恐怖感も減少すると思う要素です。LOVEが前面に押し出されている作品は敬遠しがちなのですが、土台にしっかり組み込まれていると感情移入し易いですね