「童子、如何されましたか」
はっ、と声の方向を見る。
さほど怪訝そうでも無い表情の書生が、我を見下ろしていた。
『いや……すまん、思い出し事にて歩みが止まっておった』
「魂が抜けたのかと思いましたよ」
『嬉しそうに云うな』
多原屋に入るのかと思ったが、硬質な踵の音は続く。
毘沙門天に差し掛かると、この日は縁日屋台が並んでいた。
「貴方の首にも一つ着けましょうか?近頃、飼い猫の首に鈴を着けるのが流行らしいですよ」
『我を愛玩動物の様に扱うでないわ』
「鼠を捕まえてくれる訳でも無いですしね、実にお似合いだと思うのですが」
鈴の出店だ、いつかの話に出てきた気がする。
色とりどりの刺繍が施された垂れ幕の隅に、小さく《鈴彦姫》と銘が有った。
店主は襟巻で頭まで覆っており、男女の区別も難しい。
慣れた様子で鈴を手に取り、品定めを始める書生。
こうして見ると、学校帰りにふらふらと街歩きをする軟派者でしか無い。
『どうせ着けたところで、再びこの身を捨てるかもしれん』
「そういえば、それも肉衣でしたね。しかし如何です?洋服にもブローチなど着けるでしょう」
『……おい、その鈴は止めろ。さてはお主、我の耳を苛む音色を選んではいまいか?』
くつくつと肩を揺らし、否定の言葉すら無い。
しかし我も慣れた、こいつはこういう奴なのだ。
「これにしようかと」
『…………どういう効力か詳細までは判らんが、何か引き寄せそうな音だ』
「火の悪魔を惹きつける音色です、人修羅に持たせようかと思いまして」
『きっと受け取らんぞ』
「魔除けの類だと云って渡しましょう」
意地の悪い奴め。火炎を吸収する連中は、人修羅が嫌っている。
だからこそ、だろう。
手に取られた鈴は、くすんだ黄金色の中に甘い艶が有る。
しかし、可愛らしい見目と裏腹な価格だ。
最も、展示品が如く奥の方に陳列されていたが……
値札を見付け、我も初めてそれが商品と知った。
『……昔、橋で悪魔から回収した鈴は、安い方だよな?』
「ええそうです。手前は一般用、奥がお得意様用、という具合です」
確かに堅気の人間ならば、手前に並ぶ優しい値段の鈴根付を選ぶだろう。
あまりに効力の備わった品物は、害をも招く。
容易く流出せぬ様に見張るのも、帝都守護に繋がるのだ。
『ははあ、本当に買いおった』
「さて、銀楼閣までは貴方が持って居て下さいまし」
『おいっ、んん、こそばゆい、早くせんか!』
購入した鈴根付を我の首輪にぎゅむ、と差し込んでくる。
離れていく肌は相変わらず白く、武器を使い慣れた指先は節くれ立ってもいない。
「お似合いですよ」
『さっさと歩け、後は事務所に戻るだけだろう』
「おや不思議だ、こうして鈴を着けただけで、童子が普通の猫に見えますよ」
距離にして短いので、悪魔に絡まれる事は無いだろう。
だが、道行く人々の視線が我に集まっている気がしてならない。
音を発するというのは、興味や警戒を招く行為なのだ。
相手が人間だろうと、悪魔だろうと……
『猫と会話するお主は、やはり気違いと思われている』
「愛好家は、対象物が無機質な物体であろうと話しかけたりするでしょう」
『それは一方的な呼びかけの形だろうに、お前の言葉は会話だ。傍から見ればかなり異様だぞ』
「……猫の衣を通り抜け、貴方の魂の形が視えていたとすれば、如何されます?」
音色が止んだ、それにはっとして周囲を見渡した。
違う、我が立ち止まったから、首の音色も止んだのだ。
『我が魂魄に視えるのか?お主』
「いえ、只の黒猫ですよ」
『驚かすな』
「何を信じて良いか、分からなくなる?」
『黙れ、もう到着するぞ』
「僕には、あの戦艦が鉄塊にしか見えませんでした。童子には、ブリアレオスに視えました?」
銀楼閣の扉の前では、音が篭る。
街の喧噪に、一枚障子で隔てた程度の距離感が生まれる。
いつかトートに聴かせて貰った、もうろく老人の冒険譚を思い出す。
(ブリアレオス……ああ、巨人の名だ)
我は見下ろしてくる双眸を捉え、しばし考えてから返した。
『我が「あの巨人を倒せ」と云えば、お主は倒すしか無いのだ』
「関係無い、と?」
『現にお主、戦艦に見えていたのに突っ込んで行ったろう?鉄塊と判っていて突撃する方が、我はキホーテ卿よ
りも気違いだと思うぞ』
ぺらぺらと打ち返して来ると思っていたが、書生の舌は回らなかった。
初めて我を見つめる眼が、じいっと覗き込んで来ている気がする。
「……ああ、云われてみれば、確かにそうですね」
『違うか?』
「……フフ……フフフッ……おかしい」
こいつの望んだ答えだったのだろうか?それとも見当違いか?
睨み返せば普段の顔つきに戻っていたが……つい先刻の真顔を、我は忘れぬ様にしよう。
「では往きましょうかキホーテ卿。実際僕は、愉しければ良いのです」
『少しは自覚を持てよ“ライドウ”。我もお主も従者では無い、自らを騎士と思うくらいで丁度良い』
昔はその名で呼ぶ事が躊躇われたが、今では割り切れる。
我が狂人か、こやつが狂人か、そんな事は既にどうでも良い。
人の世から脅威を退けた事実が、葛葉としての影を色濃くするのだ。
斬り捨てて来たモノ達が、大破した巨大戦艦だろうと、ブリアレオスの遺骸だろうと構うものか。
(次に来る相手が風車だろうと、俺とお前は突撃しなければならない)
聡明でいかれた男、紺野よ。
お前を葛葉ライドウとして、今は認める他無い。
事実に打ちひしがれ息絶えたキホーテ卿と違い、お前はいかれた騎士として、自ら舞台に躍り出るから。
虚像も現実も無関係な所まで行き着いた奴は、間違い無く強い。
『さあ事務所に戻るぞライドウ、開けてくれ』
我は首を上げ、鈴が鳴る。
しかし顎で使おうとしても云う事を聞かぬライドウは、黙ってにやにやと佇むまま。
痺れを切らし、扉を肉球でポンポンと叩いた。
『おい、開けろと云ってフギャッ』
流転する景色、我の悲鳴の代わりにリリンと涼しげに鳴る音。
「あっ、ゴウトさんそんな所に居るからですよ……俺のせいじゃないでしょう、不可抗力だ」
「ああ、火の悪魔だ、本当に呼び寄せた」
「は?あんた入るならさっさと入れよ、俺はおつかいを鳴海さんに頼まれて……」
フラフラと起き上がる我の首から、早速鈴根付を取り上げたライドウ。
扉を中途半端に開いたままの人修羅が、怪訝な顔をしている……
いや、視界が揺れてよく見えていないのだが、恐らくそうだ。
「何だよそれ」
「君にあげる」
「はぁ?ゴウトさんのじゃないのか?根付っぽいけど……猫の毛付いてそうだし、要らない」
「君の為に買ったのだよ、童子には効力確認の実験台となって貰った」
「……効力って」
「魔除けさ、近所を出歩く際に持つと良いよ」
踊らされおって馬鹿め、もう少し追及しろ。
踊り子の横に並べば、踊るしか無いのだ。
それでいて普通で在りたいなど、片腹痛い。
「そうか、じゃあ少し預かってみる……魔除けの鈴みたいなもんか?あまり良い思い出も無いけど」
「いってらっしゃい」
「何だよ気味悪いな……さっさと入れよ。大学芋、鳴海さんがあのままじゃ一人で平らげるぞ」
「おやそれは頂けないね、カラスが如く残りを漁りに行くかね」
「じゃあ俺は行くからな、すぐ戻る」
人混みに消える人修羅が、幾度か指に鈴を遊ばせていた。
姿が紛れても、幽かに響く音色。
聴こえる者にしか聴こえぬ、それ。
「さて、果たしてすぐに戻って来れるのかな?」
高笑いの主が葛葉ライドウ十四代目という事は、やはり伏せておきたい。
ブリアレオスの遺骸・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
冒頭のライドウの言葉は、後に分かる様に書名です。
ミゲル・デ・セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」です、驚安の殿堂じゃありません。
原題「El ingenioso hidalgo Don Quijote de La Mancha」
風車に突撃するシーンが有名かと思いますが、それ以外も割ととんでもなかったです。あの時代にこの内容は凄い。
キホーテ卿は、風車群を《巨人ブリアレオ》と思い込み突撃するのですが、これは訳の際に《ブリアレオス》が《ブリアレオ》と記述されただけだろうと思い、勝手にヘカトンケイルのブリアレオスという事で書き進めてあります。
ライドウとゴウトの普段の応酬が少ないので、改めて小話を書きたいと思っておりました。
葛葉とヤタガラスの里は、殆どいっしょくたにされているイメージです。ゴウトは葛葉の在り方を昔の様に戻したいので、実力者を後継者にと欲しているのです。これはこのサイトの勝手な捏造です。
ライドウとゴウトは、互いを愚かと思いつつも理解出来る部分を持ち合わせている、そういう雰囲気です。
* 適当解説 *
《祈るより水せきとめよ天河これも三島の神の恵に》
烏丸光広という公家が、雨を止める為に詠んだ和歌。(日本随筆大成第二期・十三巻)
《高砂香料》
1920年(大正9年)、甲斐荘楠香によって設立された日本初の合成香料会社。
ゼラニオール(ゲラニオール):バラ
リナロール:スズラン、ラベンダー、ベルガモット
ヘリオトロピン:バニラ
《ブリアレオス》
ウラノスとガイアの子供達、ブリアレオス・ギュゲス・コットスからなるヘカトンケイル三兄弟。五十の首、百本の腕を有する。
《鈴彦姫》
鈴彦姫(すずひこひめ)は、鳥山石燕の『百器徒然袋』にある日本の妖怪。付喪神の一種、頭部に鈴を頂いた女性の姿として描かれている。
元ネタはアメノウズメらしいですが、それも絡めるとややこしくなるので、今回は名前だけ。