いんしん【殷賑】
[名・形動]活気があってにぎやかなこと。また、そのさま。
大殷賑
既に事切れようとしているのか、牛の人面が喘ぐ様に口をぱくぱくとさせる。
「いくら得物が大きくとも――」
クダンを斬り伏せた我の背後から、聞こえてくる。
此方が振り返るのと入れ替わりで、黒外套が颯爽と靡いて過ぎた。
其れは我の外套に非ず。戦地に漂う死臭に、ふっと混じる香の薫り。
「とどめを刺せなければ、ねえ?」
そのクダンのぱくぱくとした暗闇に、刀の切っ先を押し込んだ男。
その、己と瓜二つの顔が、ニィと口角を更に上げた。
呻きながら血を泡立たせるクダンは、痛々しい事この上無い。
「《ライドウ》もう良いだろう、捨て置けば」
「しかし、こいつはディアラハンを唱えようとしていたのだよ、《雷堂》?」
そう返され、改めてクダンの真赤な口元を眺め見た。
裂傷の激しい唇は、既に詞すら紡げる気配は無いが…彼が云うのならそうだったのだろう。
「そ、そうか……それは我が悪かった」
「詰めが甘いのだよ、君」
ライドウのめり込ませる刀には、退魔の効力が強く付与されているのか。
抉り込んでいく刀身に巻き付いたクダンの舌が、じゅうじゅうと焼け爛れていた。
それが思ったよりも長い舌で、二重の驚きが有って。
(ライドウは特に驚くそぶりも無い…あの形を知っていたのだろうか)
自身もサマナー、それも帝都守護を任される身だ。
悪魔への造詣を深めんと、日々修行と勉学は欠かさぬ。
だが、悪魔の口の中まで自主的に調査した事は…流石に無かった。
「その舌、玉鋼を融かしはせぬか。音が先刻からじゅうじゅうと……」
「この程度でナマクラになる刀は提げた記憶が無い、平気さ」
云うなりライドウは、すっと切っ先を引き抜き、今度はそれを牛の胴体に突き刺していた。
浮き出た肋骨に押し付ける様に、グリグリと。焦げ付いた刃を内腑で洗っているのか……
ずるると引き抜かれた刀身は、今度は赤い脂で濁っていた。
「もう次の狩場に行くかい?」
「此れは狩りでは無い、修練だ」
「フフ…修練ね。MAGを匂わせ徘徊するは、無用な戦いを生むだけと思うが?」
意地悪く哂うライドウの横顔は、アカラナの暗闇に端麗に浮かび上がっている。
同じ貌の癖に何を、と思われるかもしれないが、ライドウの方が明らかに雰囲気が上なのだ。
彼の世界と我の世界は、数か月程度の開きがあるそうで。しかしそれを念頭に置いたとしても、違った。
数か月後の我に、あの余裕に充ちた立ち振る舞いが出来るとは、到底思えなかった。
それに、彼には傷も無い。
「……だがしかし、貴殿も満更でも無いのだろう?自己鍛錬が好きなのだとお見受けしたが…如何か」
「努力や根性を論ずる気は無いね」
「一朝一夕に出来るとは思えぬ。技量や…その、悪魔と対峙する際の態度が」
「修練修練と謳うより、此れは遊戯なのだと思う方が愉しく無いかい?」
歩きつつ召喚したライドウは、アルラウネのブフで刀をゆるく凍らせた。
続いて引き換えに現れたイヌガミの首を撫で、ファイアブレスを吐かせる。
それでじっくり刀身を炙れば、先刻纏った霜は溶けてゆく。
汚れと一緒くたにして、血の脂を落としているらしい。
悪魔の酸を物ともしないのだ、あの程度の温度差に怯む刀身では無い、そういう事だろう。
「いち早くモノにする為に研究し打ち込む、それだけだよ」
「そら見ろ、貴殿とて最初には積み重ねだと云っているではないか」
「“努力しない為の効率化”を図るだけさ」
「努力は無駄では無かろう?その分しっかと身に具わる」
「君が此処でしつこく刀と仲魔を揮っているその頃、僕は椅子に寛ぎ読書でもして知識を広げておくとしよう」
羽根の如く小手先に扱い、するりと納刀するライドウ。
我の大太刀と違い、実際に重量は軽いのだろうが…それにしても曲芸の様な滑らかさだ。
料理人の包丁捌きを思わせる…安心感の有る凶器の扱いよ。
「貴殿の刀は、あまり長さが無いのだな」
「今、斬り合おうか?」
「おい…唐突に何事だ」
「互いに“せいの”で抜刀し、斬り合ってみようか?という誘いだよ、葛葉雷堂」
「この距離で…か?」
冗談は止せ、と云いたかった筈が。まず確認をしてしまった。
ニタリと哂っているライドウの…その笑みの中に、意地悪さを確認したかったのだ。
「君が抜刀を終えた辺りで、僕は既に斬りつけている」
「そう…だな。この得物は至近距離を得意とはせぬ」
「短く軽い方が利点が多い、華奢な人体相手ならば胸か胎……角度が良ければ首でもいけるかな」
哂いながら外套の襟元を、その白い掌が掻っ切る動作。
それが可笑しくはあっても、微笑ましくは見えぬのは…この男だからだろうか。
「刀でどうにもならぬ頑固な相手は、仲魔にでも任せれば良いのだよ、雷堂」
「仲魔がすべて潰えようとも、我が最期の瞬間まで立ち回る必要が有るのだ。だから、重い一撃を与えられる得物が欲しい」
「莫迦だね」
「何を……」
「人間の身体なんて、脆いものさ」
アカラナの不安定な足場を抜け、怪談の様な回廊を駆け下りる。
真っ暗な闇ばかりが、先に広がっている。かと思えば、木洩れ陽の様に溢るる光源が突如現れたり。
(底無しだろうか、落ちれば如何なる?)
次代や次元を潜る空洞…この硝子の如し段を踏み外せば、違う世界に放り出されるのだろうか。
其処では、名も立場も通じず…葛葉雷堂という個は意味を成さぬのだろうか。
「っぐ!?」
と、我の肩に突然の衝撃。横からのまさかのそれに、受け身もままならず。
片脚にてたたらを踏もうと思ったが、手応えが無い。
(落ちる…!)
真暗な闇をひとつふたつ蹴れば、ぴたりと虚空に静止するこの身。
我の四肢を、吊るす様な形で支えるは棘の鋭い茨蔦。
この必要以上に淫猥な気配、ライドウの仲魔のアルラウネだ。
「な…何をするのだ貴殿はっ!」
彼へ向き直りたくとも、この状態では難しい。
疾風属を召喚せねば、と。管に指を伸ばそうとしたが、腕も蔦に絡まれ何ともままならぬ。
『ねぇライドウ、このキズモノはどうするの?』
「当人に訊いてくれ給え、仰せのままにしてやれば良い」
『あらん、宙吊りのまま苛めないの?何か白状するまでくすぐったりとかぁ…答えない場合は落とすとかぁ』
「次元に波紋を作れば、僕等の帰路にも影響が有るかもしれないだろう?無闇な一石は投じぬ事さ」
『まっ、突き飛ばしたの貴方じゃない、やぁねぇ…ンフフ』
軽く哂う両者の声音に、唖然としながらも怒りが込み上げてきた。
戒めのアルラウネに目配せし、一言「其方に降ろしてくれ」と唱えた我。
彼の仲魔は妖艶に喉で笑い、するすると我を引き寄せて…
「っぶ!?」
足先が接地するだろうと我が身構えた瞬間、噎せ返る程の薔薇の芳香が、鼻腔を支配した。
何とアルラウネは、そのまま抱擁してきたのだ。
紫の谷間にしっくり沿う己が鼻梁の所為で、首も振れずに窒息しそうで。
毒々しいまでの薔薇の香と、放漫なまでに豊満な肉塊に、我も飽満となり呼吸困難に陥る。
「そろそろ逃がしてやり給えよ」
『だってぇ、ライドウと同じ形してるのにウブだから、おかしくって』
「同じ形の筆だとて、使い勝手は個体差が有るだろうさ」
『やだぁ、まだワタシが筆おろしが趣味だなんて云ってないわよ』
ようやく解放されたが、まだ地に足が着かぬ感覚。
この眩暈は、拘束で緊張した身体の所為か、それとも…我を無視して交わされる破廉恥な応酬の所為か。
「貴殿、どの様な理由があって、我を突き落したのだ」
悠々と我を見るライドウに、出来る限り冷静に問い詰める。
「だって、落ちたそうに奈落を見ていたから」
「は……そ、そんなのは貴殿の勝手な推測であろう!」
「へえ、僕の勘違いならば失礼したね」
管に戻されるアルラウネが、去り際に身体をくねらせ我に微笑んだ。
いちいち揺れる胸が堪らなくて、帽子のつばを思い切り下げる。
露出への抵抗の無い悪魔が多い世だ、認識していても耐性の有る我では無い。
「そういえば雷堂、君の仲魔には女体が見えぬが」
「…アルケニーを携えてはいるが、普段喚ぶ事は無い」
「常用するは筋骨隆々とした天使ばかり、もしやそういう趣味なのかい」
「そういう……とは?」
「さては君、筆としては解されたものの、一筆も書いていない未使用品だな」
不可解に関して我は首を傾げ、階段を数段下りてからようやく察した。
この男、我が童貞だと云いたいのか。
「そうだ、手解きは習ったが交わりは未だ無い」
「清い身体で良い事だ」
「…そ、それは嫌味だろうライドウよ?」
「さてどうだろうね」
少しばかり付き合って解ってきたが、この男は正直者だ。
媚よりも喧嘩を売る性質、まるで我とは逆。
(いいや我とて、別に媚を売っている訳では)
嘘だって吐いた憶えは無い。それなのに、何故この様に…真逆に感じるのだ。
「交わる程、色々傾くものさ。巧くあしらえぬなら、何者とも繋がらぬ方が良い」
「傾き…とは」
「性質…属性……そういった系統が、偏る事」
つい先刻、我を突き落したというのに、何事も無かったかの様に颯爽と歩くライドウ。
憤慨しそうになる…が、そのあまりに平然とした姿を見て、妙な安堵を得てしまう。
最初から、ひょいと掬い上げるつもりだったのだろう、と。
そうでなければ、アルラウネが我をあそこまで素早く拘束出来ぬ筈。
只の悪戯なのだ、恐らく。寿命が縮みそうな程、性質の悪いものではあったが。
「必ず別たれているだろう?陰と陽、女と男、魔界と天界、悪魔と……人間」
「確かに、思考ばかりでなく身体を繋げるともなれば、影響は有るやもしれんな」
「他者に染められ易い者は、自慰で我慢しておくのが無難さ」
「また極端だな」
「君の様な奴は、交わった瞬間からMAGばかりでなく情まで移しそうだからね」
「それは貴殿、いちサマナー…葛葉の十四代目としての精神が我に足りぬと、暗に申してはおらぬか」
無言のまま、口角が三日月の様に上がる彼。此方に向けられる、その視線の色香よ。
同じ形をしている筈だが、鏡と写真の様な違和感を感じる。何かが違う…
もしかするとこの十四代目は、既に経験豊富なのかもしれぬ。
その相手が女性なのか、男性なのか…そんな要らぬ妄想まで一瞬飛んでしまい、咳払いして雑念を追い払う。
一方、不敵な笑みを浮かべたままのライドウ。
回廊の隅から黄色い声を飛ばす女性悪魔に、ばちりと長い睫毛で合図なぞして弄び……
その軽薄な姿に、ついつい我は要らぬ忠告を唱えた。
「仲魔へと誘うつもりも無いのだろう?あの様に気を拾ってしまうのは相手が憐れだ」
「へえ、ならば君は無視するのかい?それこそ憐れというものだろう?」
「い、いや…その……あの様な声は、貰った事も無いので…だな」
嗚呼、止めてくれ、次から此処で修練するのが辛いではないか。
隣の“ライドウ”と人違いされる事が予測され、同じ姿を恨んだ。
「成程、房事どころかデェトの経験すら無いのかい」
「先刻より貴殿、色事ばかり申しよるな。まるで学校の、浮かれた男児の様だ」
我はそれこそ嫌味のつもりだったのだ、しかしライドウは今の何処に気を好くしたのやら……
外套を肩より払い、ほんの少しだけMAGを躍らせていた。殺気混じりの高揚でも無く、使役の為の供給でも無く。
一瞬だけであったが、警戒が解けていた。
「だって僕は学生だもの」
「その前に葛葉であろう」
「君は任務に託けて、ほぼ通学しては無いと見た」
「で…では貴殿はどうなのだ?」
「多忙で不登校気味だが、試験の順位は落とした事が無いね」
意外だった、いや、成績に関してではない。この十四代目、あの様な慣れあいの場を嫌うと思っていたのだが。
「それにね、何が葛葉だ。サマナー業を辞めた後の事を考えてはおらぬのかい?学校へは通うべきさ」
「勉学はヤタガラスが授けてくれる、それに貴殿…今、何と申した」
「神学は教わっているのかい?ラテン語はどの程度使える?神の類を悪魔と称して学んでいる?」
話を逸らされたか?
しかし矢継ぎ早の問いを躱しきれず、まるでぐさぐさと身体に穴が開いた様な心地になる。
「Ut vales?(お元気?)」
ライドウの流暢な発音は、奏でられる楽器の如し。
我は学びはせども、其処まで要求された事は無い。
あちらのヤタガラスの教育が熱心なのか、それとも勝手に上達しているのか?
嗚呼、駄目だ……応酬に乗ってはならぬ。
「解からぬ?」
「……」
「Dixitque Deus, ut exsisteret lux, et exstitit lux.(神光あれと言給ひければ、光ありき)」
「Non enim misit Deus filium suum in mundum, ut mundum damnet, sed ut servetur per eum mundus!(神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためでなく、御子によって、世が救われるためである!)」
「なんだ、云えるじゃあないか」
「…習った事だけはな」
「ではつまらぬ会話しか出来ないね、やめだ」
飽きられた?呆れられた?
今の返しが不味かったのか、それとも単なるライドウの気紛れなのか。
傍に業斗も居らぬので、意見を求める事も出来ずに脳内はどんよりと曇った。
(また我は素っ頓狂な事を云ったのだろうか…いつも鳴海所長に笑われている、間抜けな反応ばかりだと)
業斗童子の姿が無い場において、我は萎縮するばかりだ。
葛葉の十四代目とは肩書だけであり、実物はこの通り…ただの青い男。
“こうして遇う機会も少ないだろう”と、二人きりにされてしまった事を悔いた。
我の業斗は、やや眉間に皺を寄せていたが…向こうの黒猫は「やれ早く行け」と急かしてさえいた。
ぴしゃりと尾に靴先を叩かれたライドウは、憤慨するでも不安がるでもなく…
我を見やるなり「では往こうか、雷堂」と、軽やかに発したのだ。
「また考え事かい」
脳内に甦っていた声が、今度は鼓膜を叩く。
「悪魔を警戒はしている、按ずるな」
「己の保身だけ考えていれば良いよ、僕は自分で何とかなるからね」
「そうか……」
「まさか、再びあの男根に負けるとは思わないが…あれから少しは鍛えたのかい?クク」
「そ、そう、それだっ!我は此処にその為に参ったのだ!」
ラヂヲ塔での散々な記憶に、此処に在りもしない青臭さが鼻腔を衝く。
誘導弾の如く迫りくる白濁に重くなった外套を脱ぎ捨て、いざ召喚すれば焔を使う仲魔が疲弊しており…
ふらりと現れたライドウに、刀の切っ先で指されケタケタと嘲弄されたのだった。
「次こそは…討つ、紅蓮属を従えてな」
「二回戦の申込は済んでいるのかい?今は何処の界隈をうろついているのか、僕は知らぬけど」
「怪しき巨根が我の住む帝都でも目撃されている…いよいよ負けられぬ」
「僕が君の方にお邪魔して《ニセ雷堂》に成ってあげようか?」
「止めてくれ、それは紛らわしい…」
「先日と違い、偽者である僕が魔王を倒すけどね」
また挑発。悪魔相手なら解かるが、人間に此処まで真正面から挑発される事は多く無い。
サマナーを毛嫌いする者や、我を忌む鳴海所長とも違う。
どこか好戦的な眼、我と同じ形のまなこ。
「しかし雷堂、それならば必勝祈願の御守りとして、これを預けよう」
「御守り?」
胸元よりするりと抜かれた管は、薄暗闇にありながらも少ない光源を反射して輝く。
返り血のひとつも浴びていない其れが、我の眼前に陣取った。
「中身は何だ」
「デカラビア」
くるりくるりと回転する、海星の様な姿を連想した。
戦いの相手にした事は有ったが、じっくりと観察したのは悪魔の図鑑でのみ。
「……従えた覚えは無いな…いや、それより貴殿。デカラビアは疾風の属…それで優位に立てるのか?」
「生唾以外にブフダインも喰らわせてきたろう?このデカラビアは“氷結吸収”するデカラビアだからね」
「ほう、焔に関しては我が火炎弾でも撃ち込めば良い……そういう事になるか?」
「君は銃撃が不得手だったっけ、しかし流石に当たるだろう?マラ…じゃあなかった、マトが大きいのだから」
明らかに態とであろう。にしゃりと哂ったライドウが、更に差し出してきたその管。
此処で受け取るは恥か?
いや、しかし好意として捉えれば、此れは受け取らぬが冷血…
「仲魔、どうせ普段からヤタガラスに貰い受けているのだろう?今更だよ」
「何故それを……」
「そんなの見ていれば判るさ、余所の子を預った親みたいな態度だもの、君」
その指摘に、我は勝手に傷付いた。
ヤタガラスに与する以前…己を育ててくれたのは、血の繋がらぬ人達で。
彼等は親しく厳しく、それこそ温かな脈を感じる接し方をしてくれたというのに。
肝心の我が、いつもどこかに隙間風を作っていた事を思い出した。
本当の子では無いのだから、と……それこそ、借り猫の様な態度で。
そうしてそのまま、変わる事も出来ずに離れる事と相成った。
あれからは、もう会っていない。
「ほら、受けとり給えよ。使う使わないは君の自由さ」
「我はこれ以上、貴殿に借りを作りたくは――」
自身で交渉し、長らく連れ添うならば好い主従関係であろう。
しかし、此のライドウが云った通り、我の仲魔はヤタガラスから与えられた者ばかりだ。
機関に調教された彼等は粗相もせぬ、我の命に背く事なぞ皆無だ。
そんな彼等、仲魔達を……我はやはり、どこか遠い存在だと感じている。
最初から用意された主従関係。人とは違う形。利用の為だけに召喚する我。
(結局、何処から借りるも同じ、か)
欠けや錆も見当たらぬ、美しい管。其処へ爪先でほんの一寸だけ触れ、ライドウの眼を確認した。
余裕めいた笑み、細まる眼、瞼に浮かぶ長い睫毛……
此方を窺う其れは、急かす色をしていない。つまり我の動きに確信を得たという事か。
「……では、貴殿の仲魔を見せて貰うとしよう」
「フフ、どうぞ。云っておくが、対マーラ用として預けるのだからね」
「承知している」
管を納める場所に空きが無かった為、一時的に胴乱へと忍ばせた。
歩けば中でカタカタと、固定されずに遊ぶ音がする。
「次は調伏出来ると良いねえ?」
さらりと述べ、憂うでもなく哂っているライドウ。
突き落したと思ったら、次にはこれだ。全く読めない……我の対人経験が浅いだけなのかもしれぬが。
しかし、こうして何かを渡される事は珍しく、ヤタガラス以外と関わっている実感を得られた事が嬉しい。
此のライドウもヤタガラスの一羽で、葛葉だという事は知っている。
知ってはいるが、少し違う。良くも悪くも“ヤタガラスらしくない”のだ。
「ライドウ……感謝、する」
云い終えた後、また後悔をする我。
もう少し柔らかく感謝の言葉を発するべきだったかもしれぬ、と。
そう、例えば「有難う」だろうか?
いや……友人でもあるまい、と嘲弄されて終わりそうだ。
今こうして共に居るのは、偶然出くわしただけ…平行世界の自身であるという繋がりだけ。
やはり無難に、葛葉雷堂として接するべきであろう。
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