「ねえねえライドウ、さっきのおみせのゲタなんだけどね、ゲタのうらのね、でっぱってるトコが一ぽんだけのゲタがあったけど、あのゲタであるけるの?」
「下駄下駄煩いね、少し言葉をまとめてから発言し給え。あれは“歯”という部分だ」
「ゲタゲタわらってないよ、やーくん」
「……早く食べたら如何だい」
「そうだった、とけちゃう!」
指摘すると、いちいち「しまった」と云わんばかりの大げさな反応が苛々する。
子供はこういうものだったか?里に居た頃はどうだったか、周囲の餓鬼共は……僕自身は。
「一本歯の下駄は、歯が高いほど重心が上に来る。脚の筋を妙に張らず、傾きに身を任せれば自身の力を殆ど使わずとも動く事が可能だ」
「わかんない…」
「不安定と思うかもしれないがね、ああいう物は慣れると身体への負担が軽減出来るのだよ」
慣れたらば、の話だ。一本歯が最良とは誰も云ってはいない。
本来は二本歯だった下駄が破損し、片歯になった場合は均衡も糞も無い。あれは本当に駄目だ。
「よくわかんないけど、イイモノってこと?じゃあやーくんも、あれにする!」
「フン、慣れる前に転けて泥だらけになるのが関の山さ。余計な選択は省く主義なのでね、僕」
「せんたくなんかいもすると、ほすところなくなっちゃうもんね」
それでは無い、と突っ込めば負けな気すらする。
スプーンの止まった小さな手を見つめ、僕は腕組みを解いた。
「……食べないのなら、僕が頂くよそれ」
「だめっ」
「だって君、止まってるじゃないか」
喫茶店のアイスクリームだ、至って普通だろう。
此処の仕入れ先は把握している、深川の富士乳業だ。
それに人修羅が一口目を頬張る前に僕が口にした、妙な味は無かった。それとも、幼児化して味覚が変化したのだろうか。
「やーくん、カゼひいてるのかなあ……なんか、バニラわかんない…」
いいや、違う。
そのままだ。
悪魔へと変質した際に、舌の感覚が薄らいだ事は把握していたではないか。
よく当人が愚痴として零していた、呪い言の様に、その後遺症を。
「……だってそれ、バニラのアイスでは無いからね」
「やっぱり?やーくんげんきだから、カゼひいてないよね?あまいからすき、ぜんぶたべるっ」
安堵したのか、残りはもくもくと掬って唇の隙間に仕舞いこんでいる。
人修羅という自覚は失せてしまったのだろうか?呑気に頬張る姿は、向かいに座る少年を只の人間だと錯覚させる。
疑う事もしなかった……
僕がライドウを襲名し、此処に初めて訪れた時と同じ味だ、その“バニラ”アイスは。

「おっ、ライドウちゃん今日は小っさいの連れてるじゃねえの」

テーブルの横で立ち止まる影。人修羅はスプーンを咥えたまま首を傾げ、視線をその影に向けている。
僕は見上げずとも声で判る、刑事の風間だ。
人修羅の隣にドカリと腰を下ろされても面倒なので、即座に僕が横へと着座をずらす。
「悪いねえ、へっ……ちょっくら用事有ったからソッチに行こうかと思ってたんだが、どうやら此処で間に合いそうだ」
思惑通りに隣に座られ、ソファの別珍が軽く啼いた。
水を運んできた女給に片手を上げ制するのを見る限り、本当に一瞬の用事か…この後席を移るのだろう。
「何の用事です、先日お渡しした品以外には持ち合わせておりませんよ」
「おう、あの薄っ気味悪ぃ酒!夕間暮れに押収品の部屋に入ってアレ見るとなあ……中に海月みてぇに漂ってる花がな…なんだかじわじわ、まーた赤いの吐いてる様に見えるんだがよ、俺の気のせいかね」
「ホワイトリカーが好い具合に赤ワインと成ったでしょう?フフ…」
「けっ、ライドウちゃんからの寄贈品だけで見世物小屋が作れそうだぜ」
喋りを続けながらも、テーブルに数枚の写真を並べ置いた風間刑事。
レンズを通して薄ぼんやりと存在を主張する姿が、どの写真にも写り込んでいた。
「未解決事件の現場複数、全部即座に撮らせたやつだ」
「まずは人間の中から捜して下さいね、この写り込んだ“連中”とて通行人の可能性がありますからね」
「ボケボケで俺にゃ何が何だか判んねえが、ライドウちゃんにはどの悪魔かまで判ったりするのかい」
「輪郭線や発光部でそれなりには」
「へえ、俺達が同業の……マッポにピンとくるのと似てるなぁ、その辺に紛れてても判るからなぁ」
僕に預けるつもりだったのだろう、そのまま写真を束ねるとテーブルに置き去りにしたまま風間刑事は手を退いた。
他の資料ではなく、ベストの胸から煙草の箱を取り出し始める。
刑事としての用事は終わったという事らしい、長居する必要は僕等に無い。
人修羅もスプーンの先を軽く噛んで待ち惚けている。真の待ち惚けは、外で待機しているゴウト童子ではあるが。
「ところでこの小僧っ子、随分でけえ隠し子じゃねえの。帝都に来る前にこさえたんかい?」
「僕がそんな失敗をやらかす筈無いでしょう」
「ま、それもそうだな……ん、点かねえ畜生め……いよいよ夏だな、湿気てやがる」
マッチに睨みを利かせる風間だが、ほぼ同時に僕の手が動いていた。
風間刑事が愛煙する八千代をテーブル上から拾い、そのまま彼のベストの胸ポケットに送り返す。
既に抜いていた一本を歯で甘噛みしつつ、訝しげに僕を見る風間刑事。
「おぅ、ほひた」
「子供の手前、帝都警察が煙を吹きつけるのは如何かと思いまして」
「はへへ、イヤにやはひぃな」
「フン、貴方の面子の為ですよ風間さん。それに、後々で彼に「喉が痛い」と嘆かれても煩いのでね」
「へへへ、わぁったぉ」
ニタッとした風間刑事が、咥えていたソレを空いた指で挟み込もうとした矢先。
唐突にポッと、赤く点る煙草の先端。
呼吸を引き攣らせた風間刑事の息遣いと共に、ジジ、と燻った。
僕は咄嗟に人修羅を睨んだ。案の定、唇をひょっとこの様に尖らせて、MAGに眼を薄っすらと光らせていた。
気付かれたろうか?風間刑事の視線は、未だ人修羅には向いていない。
先手を取って、退散するが最善か。
「驚きました?」
「…ぉ、おおびびったぜ……何だいライドウちゃんの仕業け?」
「召喚し、マッチの代わりにと……しかしこんなにも至近距離で感付かぬとは、現場に悪魔が群がっていても気付かぬ筈ですね」
「へぇ、何処ら辺に居るんだよ、今」
「イヌガミという悪魔ですよ。ひょろりと貴方の肩に、襟巻が如く寄り掛からせましてね…フフ」
耳元で唱えれば、双肩をぶるっと震わせる風間刑事。
勿論出任せであり、この場でイヌガミを召喚してはいない。
人修羅の目線が泳ぐと思い、読心の狗は暫しの欠席である。
「おい、これで肩こったらライドウちゃんが揉んでくれよ?」
「ではそれも悪魔にさせましょうかね、力強い蛮力の連中に……」
「わ、わぁーったって、いいからさっさと掃ってくれや」
「御安心を、僕等はもう失礼しますので。その一本はどうぞ、ゆっくりと御賞味下さい」
「どうかねェ……子供連れてカフェー来る余裕有るんなら、もう一件程頼みたい事が――……」
僕は目配せしてから席を立ち、スプーンを放した人修羅の衿をくいっと摘み上げる。
「ばいばいおじさん!」
小袖を揺らし手を振っている人修羅、その相手はいつも君が渋い顔を向けていた刑事だというのに。
律儀に手を振り返す刑事を脇目に確認しつつ、会計を即座に済ませる。
足止めしておく方が良いかもしれない。
「あの卓の喫煙者に、水出し珈琲を追加で」
カウンターへ余分に紙幣を置きつつ、サービスのマッチを受け取る。
扉の鐘をいつもよりけたたましく鳴らしながら退店した。
既に薄暗い街路、待ち惚けのゴウト童子が空気に紛れて眼だけを浮かばせている。
『どうした、お主にしては乱雑な開閉だったが』
「失敬、そろそろ幼子は外出すべき時間では無いと、周囲の目が咎めて参りましたので」
『周囲の目なぞ気にするお主か?』
「あのまま居座れば、刑事に職務質問されそうでしたのでね」
『ハッ、誘拐犯扱いか?少しは真面目に答えんかライドウ』
この黒猫まで煩いではないか。僕の問答への追及など、普段はほどほどだというのに。
無視して歩みを進める、隣から妙な音はもうしない。
下駄の歯が素直に、石畳を踏み鳴らす音だけだ。
「おつきさま!」
めいっぱいに上を向いて唱えた人修羅の眼は、何処か爛々としている。
肥えた月齢だ…あまり良い影響を及ぼさない。
このまま暗い道だろうが、蔵元へと直行しようと思っていたが……今宵は一所に留まり今夜は監視すべきかもしれない。
窓灯りの無い銀楼閣を見上げた僕は、妙な溜息が出てしまった。
鳴海所長が起きていない、もしくは不在な事を、心の隅で安堵していた。
顔見知りと遭遇するたびに「隠し子か?」と訊かれる事に、うんざりし始めていたのだ。



「ねむくない」
「寝給え」
「おつきさまみえるのに、なんでねむくないのかな」
そんな事判明している。大して消耗しても無い上に、君が人では無いからだ。
夜中に眠る素振りを見せて、人間と同じ生活に必死にしがみ付いていた事を忘れたのか?
「では功刀君、眠くなる様なお説教でも聴かせてあげようか?」
「わーいきかせてきかせて!」
白けてしまう、お説教の意味が解からないのだろうか。
軽くシャワーを浴びせ、大判のタオルを寝間着の代わりに巻きつけた。
僕のベッドに自ら飛び込み、はしゃぐ姿の皮肉さよ。
枕に抱きつき、すんすんと鼻を鳴らしている。小さな背には、まだ紋様は戻っていない。
「いいにおい、おぶつだん」
「だから白檀だと云っているだろう」
「ライドウはねないの?またがっこうのふくきてる、パジャマは?もしかしてびんぼうなの?」
「あのねえ、僕はかなり稼いでるよ。格好に関してはね、有事の際すぐに身動きが取れなければ意味が無いからさ」
「ライドウもねないなら、やーくんもねないもん」
ほら、まただ。我儘な所は、全く変わっていないではないか。
幾分素直とはいえ、子供は折れる事を知らぬ、身や骨どころか精神も柔軟なのだろうか……
「分かったよ、僕も寝るから君も寝給え」
学生服を脱ぎ始める僕を、タオルに包まったままじっと見つめて来る。
真夜中、薄暗い部屋でMAGを注いでやった後、ぐったりと僕を見つめてくる眼を思い出す。
ただし今、目の前にある眼に、恨めし気な色は無い。
「寝る時は解いて良いよ、擬態」
「ぎたい?」
「……ツノを生やしても良いよ、横向きかうつ伏せにしか寝れぬだろうがね」
「はーい」
するすると黒い影が、人修羅の身体を奔る。
縮小化した様な紋は、蝶のそれに近く感じた。
「まくらおっきいから、ツノぐりぐりならないよっ、ほらっ、ほらっ」
後頭部をぼふっぼふっと何度か枕に叩きつけ、御機嫌そうである。
そんなどうでも良い事でいちいち笑顔になるのは、果たして疲れないのだろうか。
「仰せのままに着替えたろう、早く寝てくれないかい」
麻の浴衣を着流して、軽く帯で括る。
肘をシーツにつかせ隣に寝転ぶ僕に、脚をぱたぱたとシーツに叩きつけ寄って来る人修羅。
管数本と尺の短い刀を、人修羅とは反対側に寝かせた。
「はやくはやく、おせっきょう」
「何かと思えばそれかい、全く…………さっき、風間刑事の煙草に火を吹きつけたろう」
「うん、なんかね、しなきゃいけないとおもったの」
「人前でしてはいけない」
「なんで?」
異端と扱われる恐怖心が無い事は、確かに成長を妨げないだろう。
一瞬で、人間の世には住めなくなるが
それを本来疎む君が……幼く朦朧としたこの際に、これまで築いた意固地な矜持を崩落させてしまうのは……
僕も、あまり気分が好くなかった。
「何故って、君は普通の人が火を吹けると思っているのかい?」
「サーカスのひと、ボーってふいてた」
「君はサーカスの団員では無いだろう。それにあれはね、引火点が五十℃以上の燃料を口に含み、噴射した所を着火しているのだよ」
「でもやーくんも、ふーって、ふきだしたもん……」
「何を」
「うーーんと…なんだろ……ひをつけなきゃ、っておもったらね、からだのナカから…つめたくてあついのがじわじわのぼってきたの」
MAG…つまり生体エネルギイを、魔法として変換した際の感覚を云っているのだろうか。
普段の人修羅ならば言及しないそれは、子供の抽象的な発言だからこそ言葉になり得たと推測する。
「サーカスのひとはふいていいのに、なんでやーくんダメなの?」
「間違えて、周辺に引火しては困る」
「さっきからインカインカってなあに?“インカのめざめ”のこと?」
「……何だいそれ」
「あっ、ライドウしらないんだー!」
笑顔というよりは、小癪な感じの笑みを浮かべた人修羅。
何だろうか、未来の事だとすれば、僕が知らぬも仕方の無い事と思えるのだが。
「もしかして君、まだ僕に見せておらぬ技では無いだろうね」
「……そう!ひっさつわざ!でもみせてあげないもん」
マガタマが胎内で頭に直接語りかけて来るそうだ、己の名と技の名を。
人修羅が命名している訳で無い事は知っている、ただこの様に当人の口から聞ける機会は珍しい。
「ねえそれはどの様な効力なのだい、どのマガタマで会得するのだい、ねえ」
「やーくんねむくなっちゃった」
「嘘を吐き給え、そんな気配(MAG)では無いだろうに、白状し給えよ」
「んん〜っ!ひはははっ、やだやだぁやめてライドウっ!」
「ほらほら、答えなければ死ぬまで続けるよ?」
「やぁ〜だーーっ!」
片腕と片脚で羽交い絞めにし、ツノの麓を指先でくすぐり続ける。
留める術を知らぬのか、こんな事ですらMAGを発散させている小さな体躯。

 「やめろ……この……好色野郎が……っ、や、だ、ぃゃ」
 「ほらほら、何処が一番感じるの?MAGだけでは無いのだろう?好色は誰かな……フフ……答えなければ死ぬまでお預けだよ?」

ぴたり、と、くすぐる指を止めた。
ぜえはあと呼吸を荒げつつ、不思議そうに首を傾げ僕を見つめてくる幼い金眼。
「はーっはーっ…どしたのライドウ、やーくんまだしんでないよ」
「……いつもは僕を殺してやると唱えるくせに」
「そんなこといってないよ?ねえねえ、やーくんいきてるけど“インカのめざめ”おしえてあげないよ」
「知る気が失せた、ほら早く寝給え」
「えーっ、つまんない……」
しょぼくれる人修羅の乱れたタオルを巻き直し、更に上から薄手のキルトで覆う。
夜風に揺れる窓布、透過し降り注ぐ満月の光を遮断し、鎮静を促す。
「ねえライドウ、おやすみ」
「おやすみ」
効果は有った様子で、キルトの膨らみの上下が次第に落ち着いてくる。
鳴海所長が目覚め起きるより早く、明日は此処を発たねば。
(満月に僕も高揚しているだけだ、何も可笑しい事は無い)
睡眠の予定は本来無かったが、僕も早いところ鎮静化させたかったので眠りに就く事と決める。
身悶え悲鳴で嫌々をする人修羅を眺めていたら、まさかという程に思い出してしまったのだ。
性的な現象に惑わされる事は殆ど無いと、自負が有った事が拍車をかけて己を呪う。
体躯は違えど、記憶が脳内に見せるヴィジョンは歯止めの利かぬ幻灯機の様で。
下肢の膨らみが落ち着くまでは、幼い寝息に耳を澄まそうと思った夏の夜。


霊酒つくよみ(中編)・了

↓↓↓あとがき↓↓↓
迷いましたが、あまり長いと掲載が遅くなるので中編という風に分けました。
戦闘も無い子守りパートとなってしまいましたが、今回はもう割り切りました。
チャッカマンとして利用していた事が、ここでアダとなるとは…
そういえば以前のSS『揺籃歌』に出したリーを、再びちょこっと出しました。憶えている人は居たろうか…

《小ひさき窓より》
上司小剣(かみつかさ しょうけん)の、大正4年の出版本。エッセイに近い。近代デジタルライブラリーでスキャンされた現物が閲覧可能。「アイスクリン」ではなく「アイスクリーム」との表記だった為、今回はそれに倣った。

《マッポ》
「警察官」の隠語、大正には既に使われていたらしい。張り込みを「まつば」と称していた事から、だとか他多数。諸説入り乱れているので明言出来ない。

《八千代》
大正天皇即位の大礼を記念して発売された煙草。

《一本歯の下駄》
考察は「おばけずかん」様(http://www.obakezukan.net/)の「おばけずかん絵手紙:012一本歯の高下駄」より。

《インカのめざめ》
御存知無い方は調べてみて下さい、多分笑っちゃいます。とりあえず必殺技では無い。