「人修羅が元に戻ったら、ちゃあんと返して下さいね」
「分かっているよ、本来君にあげた物だからね」
「そうですよ!ボクそのしじら織りのが一等気に入ってたのですから!このまま人修羅のモノにされたら、堪ったもんじゃありません!」
「何なら新しいのを今度買ってあげるよ」
「違うんです!もう着れなくなっても保管しておいた理由、解ってますよね十四代目!?」
憤りつつ、人修羅を“見下ろす”正午。
その視線の先には、数年前の彼にあげた着物を纏う幼子。ただし、衿の抜きからはひょっこりと黒い角が生えている。
見慣れた黒い斑紋は肉体に合わせられ、か細く小さくなっていた。
「あのね!ボクはその着物、貸してやるだけなんだからね、分かってます人修羅サン!?」
「……これ、きもの?きょう、シチゴサン?」
「ああっ!そんなつぶらな眼でボクを見ないでっ!さっさと行ってしまってもう!」
妙な身悶えをしつつ、見送りをしてくれた正午。
あれには里に年下が居らぬせいか、この人修羅が愛らしく見えるらしい。
「きょうシチゴサンなの?十四だいめ」
「違うよ。君の着ていた着物がその身には合わぬから、借りただけだ」
「ねえ、やーくんのおかあさんは?」
「居らぬよ」
ぴしゃりと云い放てば、人修羅はまた眉を顰め、唇をわなわなと波打たせ始めた。
薄い霞色の縦糸が編まれたしじらを、鮮やかな藍色で七宝柄に染め抜いた着物だ。
その風情の有る小袖で、ぐしぐしと目許を拭っている。
『泣かせおったわ』
人修羅が幼児化してから、いちいちゴウト童子が煩い。
僕が普段の人修羅を、蹴ろうが犯そうが我関せずの癖に。
「……とりあえず、此処には居らぬよ」
「じゃあ、どこかにいるの?」
「もしかしたら逢えるかもね、僕は逢わせてやれぬけど」
「あっ、いた!」
おいおい居る筈が無いだろう。しかし追うのも何やら滑稽なので、僕は追わない。
構って欲しい幼子がする、唐突な遊びかもしれないだろう。
月白色の兵児帯をふわふわと靡かせて、味気の無い野原を駆ける人修羅。
少し合っていない下駄が、踵をぱこぱこと鳴らしていた。
『……おい、元に戻るのか?あやつは』
「戻らせますよ、その為に蔵元に向かっているのですから」
『お主の作らせていた酒は、飲むと若返るという代物なのか…?』
「先刻も説明したでしょうに。悪魔が飲めば“ひとつ昔の姿”に戻る酒に御座いますよ、童子」
僕が作らせた酒は、霊水を用いて醸造した特殊な物だった。
ハイピクシーが飲めばピクシーに。クー・フーリンが飲めばセタンタに。
それは退化なのでは無いか?と思われがちだが、使い方を選べば化ける酒だ。
『成程……確かにそういう物が欲しい事が有ったな……サマナーの頃だが』
「覚えた技術の記憶は有れど、放てぬ肉体へと戻る可能性は御座います。しかし其れが重要なのです」
『そうだな。覚え直すか、いっそ覚えぬが良い場合も有る。人間も同じだが、妙な手癖のまま習得したつもりになると一番厄介だからな』
「人修羅にあのように効くとは、僕も予測はしておりませんでしたが」
そもそも、ガマが余計な事をしなければ回避出来たのだ。
興味は有るが、人修羅に飲ませようとはしなかったろう、僕ならば。
あれは半人半魔、ひとつ昔の姿はいうなれば人間なのだから。
只の人間に戻られては、僕が困る。それを思えば、人修羅のまま縮んだだけに済んだので、不幸中の幸いか。
『蔵元に行けば治す薬でも有るのか?そういえば、ガマの奴がしつこく訊いておったな…蔵元に関して』
「あそこには仲魔のオオクニヌシを置いて御座います。彼に任せてある物を人修羅に飲ませれば、中和され元に戻る筈」
『確証は?』
「サマナーとしての見識」
『……案外そういう所が有るな、お主』
毒を扱う者が解毒剤を持つ様に、中和作用の有る物はしっかりと用意してある。
ただ、人修羅の体内で同じ様に作用するかまでは判らない。
前例が無いのだ、人修羅という存在自体が唯一無二なのだから当然だ。
育成方法の載った指南書など、在る筈が無い。
「みてみて~!十四だいめ!」
遠くから呼ぶその甲高い声に、ゴウトから視線を移す。
随分と遠くまで駆けたらしい人修羅が、足元が隠れる程の茂みでぴょんぴょんと跳ねていた。
「あまり先に行くでないよ、道なぞ知らぬだろう」
「ほらっ、いた!」
一瞬屈んだ人修羅が、その茂みから何かを引っ張り頭上に掲げた。
傍のゴウトが変な鳴き声を上げる。僕は一瞬呼吸が止まった。
「手を放せ!」
「すごいおっきいよ!」
「投げ捨てろと云っているのが聴こえないのかい!」
リボルバーに手を掛けたが、結局そのまま人修羅の元まで駆けた。
子供の動きは予測がつかぬ…手を撃ち抜く可能性がある。
この人修羅の再生能力の程度を、まだ僕は知らない。
「あっ」
「蟇蛙は毒液を出すんだ。頭の上からかけられて御覧、失明しても知らぬよ」
刀の柄を掴んで、反らした鞘を人修羅の頭上に差し入れ…上にはじいた。
蟇蛙は彼の手を離れ、鞘にひたりと纏わり付く。
間合いに人修羅が入らぬ様、僕は数歩下がる。
瞬間、空へと放ち抜刀した切っ先で裂いた。
「あーっ」
「亡霊の様な物だ、こうしてやるのが一番良い」
さり、と納刀した頃には、人修羅が分断された蟇蛙をしゃがみ込んで見つめていた。
普段の彼ならば「気持ち悪い」と、言葉で一刀両断するだろうに。
「いきてないの?」
「断面を見て御覧、臓物が無いだろう」
「もつ?もつがない?もってるのにないの?」
「……ほら、もう行くよ」
軽く角を抓ってやると、小さな手がばしばしと叩いて来た。
邪険にする類では無く、じゃれて来る様な……一番疲れる類だ。
「おっきいカエルさん」
「蟇蛙だよ……あれは少し違うけど」
「さっきから、ときどきいるね!」
「……よく見付けたね」
「ふーっ、ふーっ、てないてるから、わかるよ」
少し驚いた、どうやら察知する能力は研ぎ澄まされている。
余計な事を考えぬ所為だろうか、案外普段の人修羅より使い勝手が良いかもしれない。
「でもいきてない……?オバケ?」
「そうさ、この辺りの蟇蛙は九割が死体だ」
「しんじゃったら、うごかないんでしょ……どうしてうごくの」
外套のなびきが脚を打たなくなり、ちらりと見やれば人修羅が端を掴んで居た。
そうしてしっかりと付いて来るのなら、それでも構わない。
僕は、迷子になった仲魔は捜さない主義なのだから。
「オオバコ、知っているかい」
「おおばこ?こばこもあるの?」
「箱じゃないよ、植物のオオバコ」
「やーくんしってる、こばこのほうがイイモノはいってるの」
「舌切り雀かい?フフ……明治以前の版を知っているかい?路を訊ねる翁が、その度に血や糞尿を食わされるという――」
いやいや、違うだろう。
人修羅の嫌そうな顔が愉しいので、ここ最近は彼の嫌悪しそうな話につい繋げてしまう。
しかも、裾を掴む当人はぽかんとしているではないか。
唐突な話の展開についてこれなかったのか、嫌悪する箇所が分からぬのか。
……僕は、酷くつまらない。
「めいじいぜん?」
「オオバコに話を戻すよ」
「あのね、チョコレートはモリナガすき!」
「ふぅん、僕は明治製菓の方が――」
いやいや、違うだろう。
人修羅の揺れる兵児帯に見え隠れするゴウト童子が、何となく口元をむずむずさせているのが癪である。
「……穴を掘り、其処に蟇蛙の死体を埋め、オオバコの葉で覆い隠す。一夜置けば蟇蛙は蘇生し、その際に呪いを交せば使役も出来る」
「ちょっとむずかしい」
「穴掘って死んだ蛙入れて!オオバコの葉っぱでフタすると生き返るのだよ!」
「すごーい!かちかちになったパン、レンジでチンしたみたい、ふわってなるの」
何が凄いだ、少しは突っ込み給え。いつもの様に「悪趣味」とか何とか。
「このへんのはっぱ、オオバコなの?やーくんにもできるかなあ」
しかも実行しようとしているではないか、これ以上蛙の亡霊を増やされても面倒だ。
きょろきょろとし始めた人修羅の角を再度掴み、真っ直ぐ前を向かせた。
「日が暮れる前に、銀楼閣に戻るからそのつもりで」
「ずっとあるくの?」
「この後は電車に乗るよ」
「でんしゃ!あのね、プラレールのでんしゃ四だい持ってるよ。十四だいめは?」
「……君に十四代目と連呼されると、気味が悪い」
「あっ、わかった!十四だいもってるの?だから十四だいめなの?」
一気に蔵元の在る山まで向かいたいのだが、コウリュウに乗せようとした瞬間、こいつは大泣きを始めたのだ。
それだから、急いでいるというのに徒歩という理由……恐らく理解はしておらぬだろう。
普段の人修羅に高所恐怖症の気は見られなかったが…それとも、意地を張っていただけなのか?
無理矢理乗せても泣き声を我慢すれば良いだけと思ったが、コウリュウの鱗をばりばりと引っ剥がし出したので断念した次第だ。
あの硬い鱗を剥がすとは、やはり身体能力は半魔のそれなのだ。
いっそドルミナーをかけてしまおうとも考えたが、現在人修羅が飲んでいるマガタマはイヨマンテ。
そればかり馬鹿のひとつ覚えの如く飲んで、この臆病者……と罵ったのは、つい先日か。
「ねえ十四だいあるの?ねえ…」
「ライドウと呼んでくれ給えよ。その舌っ足らずな口でも、十四代目よりは云い易いだろう?」
「らいどう…ライドウ?そういうでんしゃあるの?」
「僕は電車ではない」
凄い、一戦もまともに交わしておらぬというに、この疲労感だ。
幼い正午の面倒を見た事も有ったが、これ程では無かった。
まず口数が違う、こんなにもお喋りだとは……
しかも人の話を聴いていない、意図を汲まない、僕の名前を憶えていない。
『おい大丈夫かライドウ?トウテツにMAGを喰わせた時と同じくらいの雰囲気をしておるぞ?』
「これは帰りに三河屋の大學芋でも買わないと、気が済みませんね」
『して、先刻の蟇蛙の件だが……まさか昔の大量発生は、お主が引き起こしたのか?』
「フフ……さあ?」
童子はさておき、養分補給で思い出したが…人修羅のMAGはどうなっている。
特に使わせたつもりも無いが……幼いが故に後先も考えず、要らぬ発散をしている可能性が有る。
電車の前に、擬態もしっかり命じなくては……普段なら、云わずとも戦う寸前まで解除しない癖に。
「だいがくいも!? わーい!」
呑気に喜び、無邪気に笑うその顔を見て、色々と思考していた僕の脳内が冷える。
同じ様な表情を、普段の人修羅で見た憶えが殆ど無かったから。
何の感情がそうさせるのか定かでは無かったが……暮れ往く茜色の草原を、僕だけが黙々と歩く。
「ねえライドウ、どこいくの?やーくん、いつおうちにかえれるの?そいえばね、くびのとこ、へんなのはえてる、ツノみたいなの…こんなのまえからあったっけ…?ねえライドウ、ライドウってなにしてるひと?なんさい?やーくんも…なんさいだっけ……」
初夏の虫達の声が遠くなっても、僕の外套を掴むひっつき虫はまだお喋りを続けていて。
それを無視する僕にとうとう痺れを切らし、ぐずり始めた途端に草原が割れた。
隆起した地面が人修羅の位置を押し上げ、僕とゴウト童子は見上げる形となる。
『おいライドウ!相手をしてやれっ!これは小規模だが地母の晩餐だろう!』
「全く面倒な、いつもの人修羅なら項に一発ぶち込めば寝るのですが」
『お主も大概だが、悪魔を恥じぬ人修羅は危険だぞ!』
ああ、そうか、恐らくはそれだろう。
僕はサマナーで、彼は悪魔だった。
彼が悪魔の自覚を失った所為で、その関係が崩れているのだ。
「功刀君、構ってやるから大人しくしてくれ給え」
「だって、だってライドウ、おこってる」
「……いつも、怒ってはいないよ」

「じゃあ、なんで…なんでやーくんのこと、ほっとくの…っ」

“放っておいてくれ”と云うその口で、結局は“置いて行くな”とのたまう。
ああ……慣れた応酬だ。
意識から退けようとしたが、幼い姿に透けていつもの彼が視える。
「ほら、こっちへおいで」
いつかの様に手を差し伸べてみる。
マネカタの泥山では無く、人修羅当人の作り上げた丘ではあったが……
思い出さずには居られなかった。
「ライドウ」
えーん、と泣きながら、僕の手を取りに自ら駆け下りてきた。
今回は引っ掻いてくる事も無く、僕の腰に縋り学生服で涙と鼻を拭っている。
「さっさと戻っておくれよ……愚図でも一応戦力だったのだからね」
「チーン」
「かむな」
胸元から取り出した手拭いを鼻っ面に押し当て、幼い身体を片腕で担ぎ上げる。
イヌガミを召喚し、空いた手はいつでもリボルバーを取れる様に配す。
当てにならぬ“お荷物”の軽さに、僕は何故か焦燥感を覚えていた。


霊酒つくよみ(前編)・了

↓↓↓あとがき↓↓↓
拍手御礼SS「HOME SICK」の完全版というリクエストで書き始めました。
完全版というより、構想を練り直しての書きおろしとなります。
案外慌ててはいないライドウですが……後編を御期待下さい。
小さい人修羅と初夏の旅、ライドウの小さい頃の記憶もまじえつつ。