「I would like the same one」
またそれか。僕に追従して唱えた人修羅。相槌して去って往く店員…それを見送る横顔は、何処から見ても人間である。
「君は僕が下手物を注文したとして、同じ物を頼む事になる訳だが?」
「こういうカフェにゲテモノ有る訳無いだろ」
「僕が何を頼んだか解っている?」
もう何年生きているんだ君は。いい加減英語のひとつも覚えたら良いのに、時間は有り余っているのだから。
「あのさ、こないだ…朝倉さんに云ったワイン・ガードナーの話」
「ああ、アレ?」
「俺、もしかしてマズイ事云った…よな…ああ、今分かった」
一人で問い質して解決させ、勝手に頭を抱えている。そんな彼に煙草の箱を取り出しつつ哂う。
「ワイン・ミシェル・ガードナーの優勝年は西暦1984年度だ」
「…げっ」
「君の生まれる一年前頃の話を、君は観てきたかの様に意気揚々と話していたのだよ」
「此処、禁煙だぞ」
云われて思い出し、箱を胸ポケットに戻す。全く、そういう所はすぐ感付くのに。理解不能だ。
「あ、なんだ…やっぱ普通のサンドイッチじゃないかよ」
店員の運んできた皿上を見て、安堵と同時に僕を非難する君。これなら下手物の店に行ってやるべきだったか。
「君と違って、味覚は一切影響無しなのでね」
濡れ巾で手を拭い、摘んで食む。
「…シュリンプ?」
頬張って、疑問の眼差しを投げてくる人修羅に返す。
「クレイフィッシュ&ロケットだよ」
「何それ」
「ザリ蟹とルッコラ菜」
「ザリガ…ッ」
飲み込み、微妙な面持ちで嚥下した君を見て…僕はニタリとする。
「美味しいだろう?」
「…まあ、まあ多分悪く無い風味」
「偏見は捨て給え、僕等とて下手物だろう?」
「自分で云ってりゃ世話無いな、あんた」
もう閉店の時間が近い、僕等しか居ないカフェの店内。なんだかんだと云いつつ、全て食した人修羅が指を拭いつつ聞いてくる。
「こないだ来たのって何年前だった?」
「二十年前頃だ」
「あんまり変わってないな、ロンドンって」
「だから写真でも撮らねば記憶出来ぬ訳さ」
皿の横に取り出したカメラを置く、それを訝しげに見る人修羅。ピンクのメタリックカラーが上のランプを反射する。
「あんた、そんなの持ってたか」
「いいや」
「もっとこう、同じデジカメでもさ…地味な」
「これ葵鳥さんのだから」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げ、僕の方からそのデジカメを奪い取る彼。
「泥棒したのかよあんた」
「代わりなら置いてきたから、大丈夫さ」
「代わり?」
「物置にあったセコハンカメラ」
「はぁああ!?あんた、何考えてんだ!値段が違うだろ!」
「マニアに売れば、このデジカメ位は購入可能な金へと変わるだろう」
溜息で僕を睨みつけてくる、相変わらずなその視線。
「さ、ビッグ・ベンに行こうか、功刀君?」
僕は立ち上がり、黒い外套を羽織る。霧の深い此処では、湿気を吸うが無ければ肌寒い。とはいえ、近年そんなに寒気は感じない身体となってきた訳だが。
「ここ最近、倫敦は監視モニターが多くて困るね」
「別にどうでも良いくせに…」
「おや?何故そう思う?」
「モニタリングされてない暗闇を縫ってる」
流石に判るのか、君には。だろうね、僕の身体を生み落とす君だもの。そう、既に歩く場所は普通の地を離れている。
「この時間が一番好きかな」
車も殆ど無いテムズ河のウェストミンスター橋を渡る。勿論路面など足場にしない。手摺の上を駆けて行く。反対側の人修羅と競争する。ただ駆けるだけなので二十年前、僕は敗北した。君は力押しで生き延びてきたからね…脚だけは早い。
だが、今回はどうかな?午前四時の薄闇に浮かび上がる僕達。霧裂く身体。
この身体、あれから幾度か君の胎内を通して転生した、魔に近付いた肉体。身に纏う管も刀も銃も、全てが紙の様に軽く感じる。
外套がバタバタと音を立てて、疾走感を増す。一瞬横目に見た、君の視線が僕に刺さる。眼の金色が流れて、シャッタースピードを変えたハイウェイの写真みたいだ。
橋から一蹴り、君のスニーカーが宮殿の壁を穿つ。
僕の革靴の方が、一瞬早い。心躍る予感に唇の端が吊り上げつつ、垂直に駆け上がる。時計台の文字盤まで来ると、君の方に針が跨っていた。
「チッ!」
舌打ちが微かにして、それを飛び越える君。その一瞬で差がついた。ひと息に頂上まで上りつめると、君の方へと向き直る。
「今回は僕の勝ち」
ほんの少し上がった吐息で、そう発する。悔しげに眉を顰める人修羅が、頂点に腕を絡ませる僕に掴みかかってきた。
「っ…〜!!」
掴んでくる指の力が強い。無茶苦茶悔しそうだ。
「どうしたの功刀君?」
「……どうして人修羅の俺が負けてるのか、考えてた」
「子はいつか親を抜かすからねぇ…フフッ」
「なにが子、だよ…本当に、外道だよあんた」
「お陰で無理出来ている、堕天使にもヤハウェにも従属せぬ…僕としての在り方でね」
視線を真っ直ぐに繋げてくる人修羅の君。僕が神を使役する度、綻ぶこの肉体を…生み直してくれる。
「ねえ、僕がどうしてどちらにも属さず、こんな事してるか解る?」
世界に彷徨う、強い逸(はぐ)れ悪魔を探す旅。スカウトし、使役する、堕天使にもヤハウェにも渡さぬ。僕の支配下に入れる、日本の悪魔の大半をそうした様に。
「…どっちにも従うのが嫌だから?」
「フフ、それは確かにね」
少し、違うかな。
「さあ、今年度の写真を撮ろうか、功刀君?」
次に来るのがいつかは知らぬが、辿る軌跡を記録する為、写真は重要だ。
僕達のどちらも、永く生き過ぎて記憶が擦れていく一方だから。
「おい!結局本当の理由は?」
噛み付いてくる君に、哂って云う。
「どっちつかずが好きなのでね」
そう、君みたいな混沌が。
ぐい、と引き寄せ、驚く君に接吻する。きっと、片手で構えたデジカメに驚愕している。ビッグ・ベンからの夜景を背に、強制的なキスシーンのショット。
吐き気をもよおす程に甘ったるい行為。それに羞恥し、頬を染める人修羅。
「夜…てめ」
「嫌なら、次は僕より早く頂点に立ってみせ給え」
それは、何の話だろうか。君と僕の、どちらが悪魔の頂点に、という話か?
ルシファーと、彼と敵対する神とその両者に勝てば、僕等はどうなる?
「あんたを殺すのは絶対俺だ」
唇を腕で拭い、ナイロンパーカの涼しい音を鳴らす君。
「君を使役し続けるのも、僕だけで良い」
愉しげに挑発する僕の声。人修羅の金の眼が、僕の金の眼を映し込む。
あの日から、ずっと変わらない。僕を呼ぶ瞳。
「ずっと蜜月を愉しむのも、悪くないだろう?矢代」
「…まだ、ルシファーと戦うの、力が足りないから…しょうがない…」
「ねぇ、まだまだ旅行しよう?足りぬよ…まだまだ」
「はぁ……何してんだよ本当……俺達」
溜息の君は、僕の刀も罵倒も全て嚥下して、尚此処に立つ。
殺し合いの為の舞台を用意しているだけだ。
そうやって、口約束をして、もうずっと蜜月を送っている。
ずっと、僕は最終回を綴らない。
人道から外れていても、この身が悪魔となりつつあろうとも、永劫…君を使役出来るのなら…いつかは墨に埋もれた言葉が、僕にも見えよう。
ボルテクスから君に問うたその、感情を。
訪れぬ夜明け・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
永久不変、非生産的、非人道的…
何も生み出さない、むしろ刹那的な判断で
婚姻を契った…
退廃の道を共に歩む伴侶に
病める程の愛情を
終わらぬ蜜月を、いつまでも
凄く幸せそうなライドウと、流されつつ微笑む人修羅。
そんな病んだ関係です。
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