(同シリーズSS『百合の夢』読了を勧めます)



お弁当



「なあなあ、ちょっくら面白い話聞きたくない?」
隣の煩い男子、全く聞きたくないのに無理矢理椅子を寄せてくる。
「ちょっとお、離れて」
「あんまし大きぃ声じゃまずいかんさ」
分解していた管から一旦指を放して、ため息。
どうして同じ年頃の男子って、こうなのだろう。
少しばかり年も経ったから、もう少しは落ち着くと思ってたのに。
「あんたじゃ先生にゃ及ばんし」
「はぁ?いきなし何云っとん…」
「あ…先生つぅてもアレ、長のじい様じゃなくてね…」
「知っとるに、十四代目っしょ」
「紺野先生呼べ云われとるに、呼び直さんか!」
頬杖ついて聞いてみれば、苛々する事ばかり云う。
折角キレイに手入れした管、先生に見せようと思ってたのに。
時間の浪費だった。
「作業に戻るわ、もう話かけんといてに」
ぴしゃりと云い放って、環を外した管に指を伸ばす。
すぐさま隣から、ぶうたれた声が耳を引っかく。
「んに〜連れないな!十四代目ぇゾッコンかい!このマセガキ!」
かしゃん、と填まった管を携え、そのまま筆箱に入れようと思ってたけど。
気が変わった。
「呼び直さんか!」
すっくと椅子から立ち、袴を男ばりに開く。
流したMAGの雫がはらはらと、小袖にかかった。
「んじゃ、やるん!?そっちから手ぇ出したんだに!?」
上履きの踵を踏んだまま、向こうの男子も立ち上がる。
汚い薄汚れたままの管で、ガキを召喚する。
「何さ、そっちがガキじゃない!」
「っせえわ!お前もはよ喚び出したら!?」
云われなくてもやってやるわよ。
周囲の数名が慌しく席を立つ。ちくりたいならすれば良い。
長は斜向かいの家に用事あるって、出掛けてる。
紺野先生はついさっき上里に向かうって、出てったばっかだし。
何、すぐ喧嘩に蹴りをツケれば良いだけでしょう?
「来ぃ!リリム!」
管を振りかざし、叫んだ瞬間、どうしてわたしの指は動かない?
振り下ろそうとすれば、ぐぐ、と手首が締まった。
「ぁ、あああ」
向かいの阿呆が、壊れたブリキ細工みたいな音を発する。
わたしの腕の先に、見開いた眼を向けて、口をぽかんと。
「そこの餓鬼、早く戻して」
透き通った、それでいてどこか強い声音。
掴まれてる、と理解して、恐る恐る振り返る…けど、違う。
先生じゃ無い?
まばゆい光が視界の端に溢れ、男子がガキを戻した事が解った。
そして、わたしの見上げた先には…
「…君も、管、下ろして」
人…?でも、どっち?男?女?酷く中性的で困る。
「ん…ごめんなさい」
内心、あの男子に先に謝らせたかったけど、まあそこは良いか。
するり、と放された腕を抱き締めて、傍の机に管を転がした。
からから、と不発に終わったわたしのキレイな管。
「どうして悪魔で喧嘩なんて?規律、違反してるだろう」
咎めるけど、なだらかな声に、正直に答えた。
「だってこいつ…紺野先生の事、十四代目ってばっか云うからに」
「紺野……先生の事を?」
「学校じゃ先生呼べ云うてるのに、こいつ聞かんしね」
「…それだけで?」
「きっとわたしが先生好きなんに嫉妬しとるんだに」
そこまで云うと、背後で男子がわあわあ叫ぶ。ほらな、図星。
「喧嘩なら口だけにしておきな…」
呆れた表情のこの人、白地に藍染めした草木柄の着物。
すぅっと下まで垂れた裾と、ゆったり巻かれた黄紅葉の兵児帯。
まあ、美丈夫、ったら美丈夫か…先生には敵わんけれど。
いや、そもそもどっちなんだろうか。
黒髪の妙な撥ねが面白い。
「ねえ、ところで何しに教室入って来てん?」
「あ、そうだ……これ、置きに…」
す、と差し出されたのは、風呂敷に包まれた角型の何か。
ん、いいや見覚えが有るわ。この大きさ…この時間帯…日差しが上から降る刻限。
「お弁当だ!」
指摘すれば、どこか納得しない様子で、この人はそれをぶらり、と揺すった。
「で、肝心の紺野は?」
「“先生”!」
「…紺野先生は?」
「知らんに、でも里ぉ上がる云うてました」
そう返答すると、小さく舌打ちして、呟いてた。
「あの男、人が折角届けりゃ…」
ぶつくさ云いながら、教卓にどん、とそれを下ろす。
なんだろ、笑ってたら綺麗なのに、さっきから仏頂面だなこの人。
「…あ、君達…先生が帰る前に、他の子の口封じした方が良いと思うよ」
「え?」
「廊下ですれ違ったから…何か御祭り騒ぎで、先生先生云いながら…って、ちょ」
そう云い残して去ろうとする、その人を追い抜いて…
わたしと阿呆男は廊下に飛び出した。




「いった〜い……」
「ってぇ…」
ほぼ同時に呻る。ああ、どうしてこんな男子と…
頭を撫でさすって、互いにじろりと睨み合えば、一声飛んでくる。
「もう一戦交えるのかい?ならばどうぞお好きに?」
そのビビッ、と背筋の震える声音。きゅんとくるのは焦がれなのか、怖いからか。
綺麗な細長い指の揃えられた、拳固。それを喰らう事さえ、そわそわする。
もうずっと前から恋してるんだわ。
「その瞬間、君達より早く召喚してあげるからね、覚悟おし」
フフ、と微笑んで、教卓に戻る紺野先生。
周囲の面子の視線がアチコチに飛び散った。
先生に伝えたのは自分じゃないよ、と云わんばかりのその様子。
何さ、皆してちくったクセに。
先生がすっかり離れたのを見届けてから、思わず零れた。
「はぁ…素敵な笑みぃ」
「不敵の間違いだら」
隣の男子がぼそりと呟けば、反射的にキッ、と目じりが吊り上がったわたし。
咬みつこうとした瞬間…
「っ〜〜〜ッ……」
跳ね上がった白い物体。ぽおん、と軌道を描いて、木目の床にコロコロ転がった。
それはチョーク。
「管を投げられなかっただけマシと思い給えよ」
くすくす、と周囲が失笑する。まあ、この里の子なんて、両手に納まるしか居ないけど。
本当に、ささやかな人数で。
「まじで容赦ねえし…」
さする額に薄く白が残ってる。本当、間抜けな奴ね…
ああ、わたしもそれを喰らいたい様な、そんな気もする。
でも、それなりに良い教え子で居ようかな、と袖を振り乱した。
「先生!あのですね、陽ぃ浴びんように預かり物を教卓ん中に入れておきました!」
先生が教室に入るより早く、中に突っ込んでおいた。
気を利かせる良い生徒、その布石を置いといた。
「中…」
ごそり、と探ったその指先で察したのか、私に問い返す。
「へぇ、誰が置きに来たのかな」
「ええとですね、着物の……人」
「男性?女性?」
「あーと…え…と」
どこか意地悪な顔に見える、こういう時の紺野先生は多分…答えを知ってる。
「着物の色は?」
「白に藍染めの草木が綺麗な、なんかこう、高そうな着物」
「帯は?」
「あ!帯は兵児帯で“黄紅葉”の襲の色!」
「ふぅん…ま、悪くない配色だね」
批評するみたいに呟いて、教卓の中から手を抜いた先生。
「フフ、そういえば今は女性なのか」
ぼそり、と云ったその言葉。でもそこには突っ込めないわたし達。
先生は、時々不思議な事を云う。異国の土産話だけでなくって…
どこか、遠い人みたい。
(十四代目は教鞭を揮うが、決して近付き過ぎる事の無い様に)
(粗相の無い様に、子供とはいえ、この里のひと羽なら)
(あの方達の気に触れる事罷りならん)
ずっと昔から、教えられてきたけど…どうしてなんだろうか。
人から遠い?悪魔と深く関わりすぎたから?
「では、もののついでだ…《襲の色目》について教えようか…着物を着るには悪くない知識だ」
《かさねのいろめ》なんて…着物の配色の名前でしょ。
皆、ぎょっとして、隣の席の子と見つめ合ったりなんかして。
でも、お構いなしに紺野先生は、いつもの笑みで。
「男児諸君は興味無いと一笑するかもしれぬが…交渉には少しでも知識を持ち合わせておくべきだろう?」
そんな事云ったって、先生は知識がたとえ無かったとしても…
女性悪魔なら、すぐにお茶くらい赦してしまいそうなのだから。説得力が無い。
「交渉相手が悪魔だろうが、人間だろうが、ね……口説いた際には武器となる」
その拍子の良さがピタリと嵌って、ちょっと焦った。
「例えば……紅:紫の…“薔薇”や“撫子”の色目はモー・ショボー」
と、その先生の言葉に、小さいさざめきがピタリと止んだ。
「とは云っても、夏の襲色だから…あの厚着から冬を連想せぬ様に」
「先生!マザーハーロットどうですか」
「そうだねえ、それもしっくりくる色目だね…“脂燭色”でも良いかな」
唱えた生徒がキラキラと眼を輝かせた。それを見て心が沸騰する。
わたしも、何か、何か居なかったかな、襲色に適応する悪魔…
「“海松色”はクイーンメイブの脚…“朽葉”はまさしくコッパテング…」
「すっごいね先生」
「これなら覚えやすいだろう?」
今まで先生の授業が、退屈だったり理解に苦しい事なんて無かった。
里に帰られる数日の期間は、本当に恋しいものなの。
「ねえねえ先生!タム・リンは!?僕あの悪魔好きなん!」
一番端の子が問いかけると、一瞬、教卓の上で拍子を刻む指が止まった。
でも、本当に一瞬。革紐のループタイにその指が絡んでいった。
「春の襲の色目に多い…“花柳”…“柳重”…辺りだと思うね、淡青を基調としている」
ほうっ、として、その男子も空想してる。
悪魔ったって、実物を毎日見る訳でもない。
紺野先生が里に残した大全は、まるで蝶の標本みたいに綺麗だった。
だから、それで見知る程度。里の図書室で一番読まれてる人気書物。
「はいっ、先生」
と、唐突に隣の阿呆が挙手をした。
「何だい、額に白いチャクラの子」
先生の指名に、周りがクッ、と声を押さえ込んで笑った。
まだチョークの粉が額に点を残しているのだから、仕方無い。
「…っ、あ、あの、オレ、知らない悪魔見たんですけど」
「知らない…?大全にも載っていない?」
「ん、見なかったです…」
ごにょごにょと吐きながら、ちら、っとわたしを見た。
ああ、きっと最初に話そうとしたのはそれか…
そんな予感がして、ちょっとにやにやした。
「説明してみ給え、覚えている限りで良いからね…出現場所と、身体的特徴」
先生の声、少し興味本意な空気感。
「え〜っと……昨日…稲荷神社の近くで…暮れの頃まで遊んでたら」
「己の影がそう見えただけでは?」
「居たんだって!あの社から人っぽい悪魔出てきたん!」
ループタイを弄る指が止まって、先生の眼が薄く睨む。
「すげー金色の眼だった!薄っすら光ってて…揚羽蝶みたいな紋様が」
「…っく、クククッ…社から、ねえ?」
説明を、息と一緒に呑んだ男子。
それも仕方無い。だって、先生があんなにも、哂って胎を抱え始めたから。
「こ、紺野先生…?」
ひとしきり哂って、その黒い濡れ羽の前髪をすい、と掻き上げた。
ああ、ドキリとする。悪魔をああやって魅了するのだろうか。
「暗がりに浮かぶ金は“木蘭”…奔る斑紋は黒橡の色をしている」
「クロツルバミ?」
「『橡の、解き洗ひ衣の、あやしくも、ことに着欲しきこの夕かも』」
ああやってさらりと歌が思い出せる事に、逐一わたしたちは驚くのであって
そういった細々とした知識を…何年分蓄積してるのか。
途方も無い年月だろうか。それこそ…人間には知る事の無い。
「黒橡はね、忌色だよ、縁起の悪い、避けるべき、ね……ま、僕は好きだが」
「でも、先生…黒なんて全部同じに見えるんだけど」
「おや、そんな事無いさ…烏の羽からヨモツシコメの乾いた髪、魔人の死装束…闇の色」
フ、と哂って、腕を組む。
「君達は着用しておらぬが、学生服とか、ねぇ」
その言葉で思い出すのは、写真に見た十四代目としての先生の姿。
黒い学ランに外套で、今と変わらぬその容姿のまま…ヤタガラスの葛葉四天王として…
「さ、そろそろ昼にしようか」
先生の号令は、時計が天辺を指すのとほぼ同時だった。



「ねえ先生…結局、あいつの云ってた悪魔、何なんです?」
「君は家が近い筈だが?早く帰らねば飯が消えてしまうぞ?」
風呂敷を広げて、軽く箸を持った手と一礼した先生。
「先生もご飯食べるんだ」
「そりゃあねえ…僕とて食欲が皆無という訳では無い」
「人間だから?」
ぽつり、と呟けば…ふっと、わたしを見て…哂った。
そのあんまりに綺麗な薄い闇色に、やっぱりどきどきする。
「ツルバミはねぇ…クヌギとも読むのだよ」
「えっ、あ、そうなん…ふぅん…」
芽キャベツの漬物ぼりぼり。
「さぁ、帰った帰った…僕は昼に忙しいのでね」
「見てちゃ駄目なん…?」
「駄目」
ケチ…と、心で呟き教室を出た……と、見せかけて。
校庭から、ちらちらと覗く教室。逆陽で暗いそこは見え難いけど…
金色の眼が、ゆったりたわんで微笑んでた。いつもと違う微笑み。
悪魔でも、食べる理由はあれなのかぁ…そっか。
「…いいな」
ああ、そうかぁ…あれ持ってきた人が黒橡の悪魔…
先生の、奥さん。

折角キレイに磨いた管、結局見せてないや。
帰ったら中のリリムに愚痴ろうか。


お弁当・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
この少女は帳SS『百合の夢』の…
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