Psi-trailing
「お兄さん、どう?そんなに高くないですよ」
真っ黒、まるでカラスみたい。
サンダルウッドの香り、でも上品。
見下ろしてきた眼は、それも真っ黒、でもただのガラス玉でもないし。
するどいもみあげが、ちょっと怖いけど。
「かっこいいですね、観光ですか、この辺あぶないですよ」
足取りが真っ黒コートで見えないので、少し後ろから追う。
ちょっと無視されたくらいじゃ、まだいける。
ううん、もしかしたら、ここの言葉知らないのかも。
「“うー…あ…こんにちは!”」
ぴたりと止まって、ほら振り返った。
やっぱり、日本の人だった。
「“ニホンゴ、すこしなら…”」
「必要無い、此処の言葉で話し給え」
「あ…」
「悪いが、そういった用事で来ている訳では無い」
上手だ、ここの言葉。
軍帽みたいな帽子だったから、遠くから見た時ちょっと警戒したけど。
何か感じたから吸い寄せられちゃった。
日本人特有の、冷たい感じ、それもかなり。
「今、日本、桜咲いてますか?」
「もう散った頃だろうよ」
「父さん日本人だから、桜の事いっぱい調べました、キレイで好きです」
「この辺は危ないのだろう、何故彷徨っている」
「見た事ないけど、父さん……トウキョウに居るらしいです」
「成程、君は忘れ形見…いや、厄介払いされたという事か」
「トウキョウ、写真で見ました、凄くキラキラしてたです」
「あれはただの電光だ」
「沢山の人、誰も困ってない、きっと幸せなんだろうな、って…」
喋ってる途中で、はっとして止まる。
眼の前に曲がり角、ああ、あっちは商売敵ばっかりだ。
私より可愛い子が、めいっぱいいる。やだ、困る、今日こそお客さん掴まないと。
悪い人じゃなさそうだから、もう一押ししてみる。
「待って、待って下さい」
よろけて、思わずコートの裾、掴んじゃった。
違う、掴むってそういう事じゃなくって、ああまずい、ぶたれるかな。
ぱぱっ、と急いで放す。擦り切れた一張羅がふわりと揺れた。
家から送り出された時の、一番キレイな色のワンピース。
それこそ、桜の花の色で、お気に入り。もうぼろぼろだけど…
「ねえ」
私の細い、骨っぽい腕が、黒い手袋に取られた。
指先まで真っ黒で包んでて、まるで夜みたいだな、とぼうっとしていたら…
「幾らだい」
きた。良かった、これで本館に手ぶらで戻らなくて済むや。
「1000バーツ、あ、お兄さんなら800でも」
「どういった理由?」
「日本の事話してくれたら嬉しいな、って」
馴染みの宿に先導しようと、黒い羽先を引っ張れば。
「クク、いつもそんな処でしているのかい」
失笑して、とたん、方向転換させられちゃった。
「でもね、あそこと提携してるから、安く済みますよ」
「僕は寝床くらい自分で決めるさ」
指先から、体温を感じない。
脂ぎったおじさん達と、全く違う。
自慢気に見せられた、陶磁器とかビスクドールとかみたいな、そんな空気。
ツンとすました、染まらない眼の色。
「脱いで」
「は、はい!」
凄く、淡々としてる。
これからの期待も欲も、何もないみたい。
確かに、私はガリガリだけど、最近ろくに食べてないし…
入れて出しさえできれば良いのかな。
でも、お金持ちだなあ、こんな高い宿でなんて…
「背中を見せて」
「え、あ、あんまり楽しくないと思います」
ええっ…よりによって。
しかたないから、脱いだ桜色を腕の先に絡めたまま、ぐるりと回った。
なんだろう、そっちの趣味の人だったのかな。
考えて、少し震えがきちゃった。痛いのは、何度だって慣れないの。
「え…」
身構えてたのに、背中に来たのは指でもムチでも無かった。
そわり、と見え隠れした翼の影。
上から揺れるシャンデリアの光で出来たものとも違う。
許可もなしに振り向いて、お兄さんを見た。
「今、何か…鳥ですか?」
すると、少し驚いた風で、その後にやっとした。
「へえ、視えるんだね、君」
「見える、って…」
「背中はどうだい」
「あ…」
云われて気付いた、そういえば、じくじくしない。
「膿んでた、路上で売る花の手入れ位しなくては。選定の場だろう、あの汚い花壇」
「あ、で、でも…自分だと背中よく見えないです、それに」
「洗える綺麗な水も無い、か」
ふふって、馬鹿にしたみたいに哂って、足組んだ。
ベッドにそのまま転がりもしないで、私に触りもしないで。
「ほら、早く着たらどうだい」
何を云っているのか…わからない。
「お兄さん、もしかして男の子の方が良かった?」
「おいおい、滅多な事を云うでないよ…フフ、まあ、性別は深く捉えぬがね」
「抱かないですか」
「嫌だね、君の様な餓鬼なんざ」
云いながら、懐から何か取り出して、傍のチェスト上に置いた。
1000バーツと、銀色の…何だろう。ぴかぴかしてる。
「どうせ3割しか貰えぬのだろう」
「は、はい」
「それも君では無い、君を売った親の元に還元されるだけ…」
黒い眼が、ぎらりと光った。
唇がにぃ、とした。
「まるで悪魔では無いか、君の親」
「ち、違います」
何が違うんだろう。でも、母さんを恨む気持ちなんて、無いの。
ここがそういう世界だって知ってるし。
「悪魔は…」
「買う側かい?富裕層の、君達が摘んでくれるのを待つ手の主?」
「う…」
「それともブローカー?君達の将来の姿かも知れぬよ」
「な、何がしたいですか、言葉でいじめたいですか…」
正体不明の怖さがあった。
入れて出すでもない、叩く蹴るでもない。
それさえ、嵐さえ過ぎれば、済むのにいつも。
汚い花でも、朝日さえ昇れば眼が覚めるもの。
でも、ダメ。この人には、根っこからじわじわ引き抜かれそう。
「お兄さんが、悪魔みたい、です」
涙も出ないから、思わず本音が出た。
そうしたら、一瞬止まった空気を、高笑いして引き裂いた。
黒いマントコートをばさりと脱いで、私を見下ろした眼が…
「悪魔がこんなモノを残すのかい?滑稽だね」
白い肩が見えた。開かれた釦の分だけ、はだける上。
あっ、と声も出なかった。人のを見るのは、それも大人のを見るのは初めてだった。
うっすら、たくさんの線が、白い背中に走ってる。
「豚共に組み敷かれるのが嫌かい」
ムチ打ちの痕だ。
「あ、い…嫌、とか、そんな、選択できない」
「ではそのまま、悪魔に搾取されて朽ちるが良いさ」
どの悪魔に?
「お兄さんは…誰にやられたの、お兄さんも、売られちゃったの」
着ても着なくても同じってくらいに、薄いワンピース。
でも、これを失くしたら、もう家に帰れない気がしてるの。
だから、どんなにボロボロになっても袖を通す。
「売られて…?いいや、教育を受けたよ、執拗なまでにね」
「厳しかったですか?だから打たれたの?」
「君の年の頃ならば、きっと僕の方が客を取れたろうさ」
お金を云った額でよこしたのは、きっと優しさだと思う。
だって、道中使う事も出来ないし。多く持たされたら、疑われちゃう。
水準額を上げられたら、息するのも難しくなる。
「あの、この銀色の筒、何ですか」
一緒に置かれた不思議な金属を、突き返したら。
「あげるよ」
「でも」
「…首から提げておき給え、金より興味も惹かぬだろうよ」
立ち上がって、掛けなおした釦のシャツ上。
はらりと弾む革紐を、孔雀羽みたいな色した石から外してる。
紐タイの紐を、私の突き返した金属の先端、環に通したお兄さん。
「胸元を飾るには、些か無骨だがね」
同じ目線に膝付いて、うなじの所で結ばれる、くすぐったさ。
その、触らない抱擁に、頭の中で一気に巡った。
日本人の男の人。
母さんを捨てた、父さん。
私を売った、母さん。
また日本人と、幸せそうに暮らしてる、その…その結婚指輪は…
「あっ、ああ、っ、あーーー」
抱き返すでもなく、押し退けるでもなく。
お兄さんは、私が泣き叫んでも、首筋に顔を埋めても、何も云ってくれないの。
それが、なんだかほっとした。
「好きにしたら良いさ、どうせ悲鳴したって、性交の音響としか思われぬだろう」
怒りも悲しみもない、でも…その唇が…耳もとで、囁いてきた。
「その金属の管はね…君の望みをきっと、叶えるよ」
すとん、と、奥底に落ちてきた言葉。
「視えたのだろう?素質はある…幸か不幸か、ね」
首飾りになった、ひんやりとしたその管、を、じっと見つめてみた。
管、って云うくらいだから、何か詰まってるのかな。
「望み?素質?」
あんまり久しぶりに泣いたせいで、声がもうかすれちゃった。
「ああ、それはね…悪魔を祓ってくれる御守りだ」
「悪魔」
「そう、君が悪魔と思うモノに相対したその時に…」
ぞくりとした、綺麗なほほえみ。
「握り締め、願い給え、強く…ね」
痛…い。
重い、圧死しちゃう。
どうして怒鳴るの?ねえ、どうして…
「お前の母親より、興奮する」
どうして、あなたが私を抱くの?
ねえ、母さんはあなたを好きだったのに。
それとも、日本人なら誰でも良かった?
「お前産んだから穴緩いんだよ、あの女…」
むしり取られるワンピース、一張羅が桜みたいに散った。
その指に光ってるソレが、私と同じ価値なの?
「ん?おい、何だその首から提げてるのは」
あのお兄さんより下手なここの言葉で、私の胸元をまさぐる指。
ささくれ立った、その指が、揺れる管を…
(イヤ、さわらないで)
「悪魔」
「はぁ?」
ねえ、でも誰が悪魔なの?
本当の奥さんの居るトウキョウに帰った父さん?
私を売った母さん?
私を買ったブローカー?
私を抱く、この人?
(イヤ、イヤだ、皆、みんな――)
奪われる前に、強く、ただ強く握り締めた。
「みんな悪魔なんだあああっ」
強く――…
《タイとカンボジア国境の貧民街で――》
《近年稀に見る猟奇殺人ですねえ》
流しっ放しのニュース、薄い液晶から零れる光源。
その国の話題に、少しびくりとなった。
縁側で脚組して、綺麗に管を整列させている元十四代目を振り返る。
「おい、あんたアンコールワット行ったんだよな」
海外から帰った奴を見て、少し安堵した。
また死体で帰ってきたら、それこそ容赦しない。
「そうだが?ま、色々収穫はあったよ」
指先に弾かれた管が、隣り合う管とぶつかって、涼しい音を立てた。
白いシャツにスラックスだけの、随分と軽い格好で語る夜。
悪魔を集める口実で、結局観光かよ。
「プリア・コー寺院ではナンディが群れていた」
「あの不味そうな牛か」
「プリア・カーンにはナーガ、周壁にはガルーダだよ?賑やかだったね」
「そんな集合地帯、よく行く気になるな、視えるのに…」
「おや?神なぞ無関係なキリングフィールドにも赴いた訳だが」
揃えた管を、包む綺麗な布、初めて見た。
きっと自分用の土産にでも買ったのだろう、行き先の織物は異国の薫りがする。
夜はそういう物が昔から好きだった…様な気がする。
「何か、怪しい事件あったみたいだぞ…あんたそういうの好きだろ」
「フフ、よく解っているではないか」
垂れ流しのニュースは、衛星回線のPCから。
この里では、コレが主な情報源だ。俺にとっての…だけど。
「あんたの向かった先でヤバイ事件あったら、真っ先にあんたを疑う」
「失敬だね、常に傍観者でいるのが好ましい」
「カラスみたいな野郎だな、相変わらず」
作業の手を止めて、耳をすませた。
《どうやらこの宿は売春行為に利用されていた様ですね》
《東南アジアは今も児童買春や労働が問題に――》
《死体は黒焦げ、おまけに散り散りに飛び散っていたそうで、部屋が真っ赤に》
《一緒に居た少女は行方が知れない、と――》
《子供どころか、大人にだって不可能でしょう、その…》
《悪魔の所業ですね》
なんて胸糞悪い。おまけに、悪魔、だとか。
「買春とか、気持ち悪い」
呟いて、置かれたままの土産物を物色してみれば
精神力を高める香や、意味不明な護符がわんさか出てきた。
「君ならもっと綺麗に殺せるだろうね」
背後からの夜の声。面白可笑しく、残酷に。
俺はひくり、と眼許が引き攣った。
「人間は、殺さない」
「へぇ、子供を舐め啜る“気持ち悪い”生き物でも?」
す、と脇から伸びてきた白い指先に、血の気はあまり無い。
俺と似た、薄い色。
「それは、君にとって悪魔に等しいのでは?功刀君?」
淡い桜色の絹織物を、するりと纏い。
年中彼岸花の咲き乱れる庭を背景に、くるりと舞った。
「悪魔だったら殺して良いの?悪魔とヒトの境界線は何処だい?ねえ、フフ」
シャツがふわりとなびいた隙間から、背に走る傷を見る。
「涙も出ないアプサラス、桜と共に天女の舞」
揚々と詠い上げる声音は久しくて、妙に俺の心をざわつかせる。
そういえば、春だったか…この里に居ると、少し感覚が狂う。
桜前線の画面に切り替わった液晶をちらりと見て、夜に聞く。
「なあ、あんた…どうして背中の傷消えないんだ、その…生まれ直すのに」
「僕が記憶する僕に育つからさ」
葛葉ライドウとしての…傷を、そのまま背に、脳に刻んで。
これからもずっと、悪魔と舞うのか。
「アプサラスの管を渡してやって正解だったねえ」
「…何の話だ」
「きっと極上のアプサラ・ダンスを舞えたろうよ、フフ、ああ愉しい」
「……くっそ、長旅だった割にろくな土産物が無い…」
俺に有益な物は、紅茶葉だけだったので、もう漁るのを止めた。
上機嫌な夜は、そのまま桜色を纏って、冷たく哂う。
「いつか、追いかけて巣立つだろうさ」
「だから、何の話かって聞いてるだろ」
「カラスが一羽…“Psi-trailing”…桜を見に来るのだろうさ、“トウキョウ”に」
金色が、煌々と夜の眼に宿った。
その、俺と同じ筈の色に、少し畏怖する。
「消えぬ憎悪は、この背に還る」
俺以上に悪魔となった男が、俺の腕を掴み上げ哂う。
「君の胎から新に出でようが、知らぬ筈の鞭に打たれ、躯は知らぬ筈の帝都に…」
「おい、夜」
「帰還を遂げてしまうのさ…!嘆かわしいね、葛葉の呪いかな?」
異国でもなく、白檀の薫りが舞った。
「十四代目ライドウを終えてからは…ずっと、何も考えず…」
耳をくすぐる囁きが。
「君の胎に還りたいのだよ、矢代」
いつもより、寂しげに聴こえたのは、気のせいか…
「あんたが弱い子供の時代は、もう無いだろ…一瞬で成長するんだから」
擬態を解いた俺は、鋭敏になった五感で感じ取る。
「そんな記憶…俺の胎の中で忘れちまえば良いのに」
「しかし、憎悪は確実に僕を強くしてくれるよ?人修羅」
底意地悪いくせに、意地っ張り。
「俺も、あんたが憎い、昔からな、ライドウ」
この身を支配する悪魔を、抱き締め返した。
「俺の還る場所なんて、もう…」
憎い筈だというのに、魂は其処へと還る。
其処の焔に脚が焼き尽くされるまで、想いに胸焦がすのだろう。
黒焦げのカラスが、断末魔を上げる瞬間まで、共に――
Psi-trailing・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
ZABADAK『Psi-trailing』から。
Psi-trailingとは…
見知らぬ土地を旅する渡り鳥がちゃんと目的の場所にたどりついたりする現象の事。
奇跡の帰還。
“Psi”はギリシア語のアルファベットの“Ψ(プサイ,プシー)”で
「透視・テレパシー・念力などの超常的な現象」の象徴的表現
“trailing”はこの場合「ルートをたどること」
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