ombrella
「三本立ってる」
携帯をぱちりと閉じ、傍の夜が胸ポケットにするりと忍ばせた。
「電波良好なら、問題無いだろ」
薄い携帯が、閉じられた事を名残惜しむ様にちらちらと光る。
黒いボディに蒼いLEDライトが奔って、やがて消えた。
「違うよ、君の頭」
「は?」
「真上と、左右」
ニヤリと哂って俺を見た、その視線の動きを読めば、はっとして。
「…っさいな、何したってこのクセ取れないんだよ」
「フフッ…雨が近いかな、其処の撥ねが酷くなると、よく判る」
「何処で判断してんだよ」
前回は、置いていかれて、しかもスカウトしてきた悪魔が女性型。
色気たっぷりのそいつに、普段の悪魔嫌いが高揚した訳で。
「早速、土産が役に立ったねえ」
すらりと翳したそれは、刀では無く、今は傘。
今回はイタリアに行った。俺も連れて。
薄くだけれど、感じる風味は美味しいイタリアンのそれで。
テーブルマナーもそっちのけで薫りを楽しんだ…気がする。
「舌がまともならドルチェとかもっと堪能出来たってのに、この体」
ぼやく俺に、薄く陰が覆う。
「Fratelli Prada」
「本当、あんたってブランド好きだよな」
「物持ちが良いからね、こういう所に金は注ぐものだろう?」
薄い金のプリントも、この男が持つと嫌味が無い。
当然俺は持ちたくない、似合わないから。
「ほら、泣き始めたろう?」
ぱたぱた、ぱたりと傘を叩き始める、静かに。
「チッ…そのままあんたがさしてろよ、傘」
「君は着たがらないねぇ?」
「あんたが《プラダを着た悪魔》とかしつこく云うからだ!」
「アルラウネが取り寄せてくるDVDが酷く雑食な所為だろう」
「成人向けに妊婦モノあったら、マジでぶっ殺すからな…」
一瞬の間の後、胎を抱えて笑い出す夜。
揺れる傘から垂れた雫が額に当たって、びくりと肩が跳ねた。
「非現実なら、見たくもあるかも知れぬが、ねぇ…」
その闇色の眼が、薄い陰りの中で、一瞬光る。
俺と同じ色に。
「成すし、生るし、為るからね、僕は」
「意味分からない、しっかり傘持てよ」
「そうだな、僕が其処に居るのだから、冷やしては大変だ」
「俺の身じゃねえのかよ」
「さあ?どうだろう?」
クスリと哂い、俺の胎を見たその眼、緩やかにたわむ。
どうしてか、軽々しく見るな、と、云えないこの口。
「あ、ライドウ〜!」
遠くの赤い園から駆けてくる子供、揺らす紫の髪はそのままに。
「呼び方」
ぴしゃりと夜に指摘され、桃色のレインコートをくるりと広げ回って笑う。
「夜〜」
「宜しい」
ばっちりレインコートに長靴、この子も気候を読んでいたのだろうか。
「ヤシロ様!おなか!触っていい?」
きゃあきゃあはしゃいで出迎えたその小悪魔に、そっけなく答える。
俺は別に、悪魔を赦している訳じゃない。
「駄目」
「ぇえ〜!けちんぼ!でもぉ、そのクールビューティーが、す・き」
ショボーはそのまま、雨の中をイヌガミと駆けて往く。
向こうに広がるのは、帰る場所。
赤い海を越えて、いつでも帰ってこれる里。
「意外と、まだ見ぬ悪魔が多い事を知ったよ」
「さっきの電話か」
「今度は何処に飛ぼうか、ねえ功刀君?」
「俺が言葉分かる国にしてくれ」
「日本國しか無いではないか」
幽玄の庵、結界の中、止っている刻。
四季は…幽かに在る、でも、この赤だけは消えない。
この波だけは、海原と同じ、胎内と同じ、いつか還る場所。
「藍が、矢張り似あうかな、君には」
肩に掛かる、黒い影。
礼は云わずに、しとしと降りそぼる雨から、着物を護る。
その黒色に、心が凪ぐ。
同じ鼓動を共有する、隣り合う…半人半魔。
「哀に染まる眼も、好きだったが」
夜が少し立ち止まり、自然に俺も足を止めた。
外套の張りがゆるりとたわんで、その長い睫がこめかみに掠める。
「他の“ あ い ”に染めようか?」
はっとする俺、視線を上げる……前方のショボーが振り向いた。
見られる――
「あ、そーいえば夜…」
少女の声すら遮断した。
ばさり、と、黒い傘を外套みたいに翻した夜。
真横に持つそれは、既に傘の用途を成してない。
「キャンキャンッ」
「いーの!いいのっ!ホラ!行くよイヌガミ!」
「キャウン…」
遠くなる幼声と鳴声…却ってバツが悪い。
「隠れてするは、悪事かい?悪戯かい?」
唇を舐め、夜は微笑む。
「馬鹿、じゃないのか…隠すくらいなら、こんな道端で、するな…」
溜息なのか、何なのか、俺の鼓動は。
もう慣れきった筈なのに、どうして毎回戦慄くのか。
どうしてあんたの眼に、どちらの肉体も、高鳴るのか。
使役の定めか、それとも…
「御覧、雲間」
云われるままに、上を仰ぐ。
バリケードにされた傘が、天を曝け出していた。
「青空…天気雨、か」
「もうどれだけ経ったか、憶えているかい?」
「いちいち憶えてない、んなもん…」
「狐の嫁入り、まさしくである、ね」
「あんたは婿だったろうが」
フッ、と鼻で笑って、ループタイを片手で少し正す。
さりげない所作が、上品なのは昔から知っている。
この男が、ライドウの時から。
「もう狐ですら無いがね」
「じゃあ、何だよ…」
「さあねぇ…悪魔の血も入ったのだし、それこそ狐の化身では?」
「自分で云ってりゃ世話無いな」
「悪魔草紙、君ならどう終わらせる?」
「作者が投げるなよ」
この青空が、幻でも、間違い無く…
安堵していた、優しい胎内の様な、此処に。
「続きは、脚で綴ろうか」
赤い路を、再び歩き出す。
お前の声に、この脚は動く。
再び傘が、上を覆う。
「俺、話終わらせるの、苦手だからな」
ぽつりと零せば、夜が可笑しそうに返す。
「出産休暇につき、筆者長期休業、で良いのでは?ククッ」
「…おい!」
「僕を護る、僕の社だからね…此処は」
胎に置かれた綺麗な手。
俺の斑紋の手に、やがて重なった…
「僕の、矢代だからね…」
明るい空が泣いている。
そんな幻想でも、一時の夢でも、嬉しいのだと、泣いている。
“狐の嫁入り”は、曼珠沙華が空に融けこむ、最も綺麗な天候で…
いつかは、止む。
「さっさと、出て来いよ…夜」
歪んだふたつの魂、やがて重なった…
雨を云い訳に、凍えぬ様に、寄り添った…
ombrella・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
アンブレラは、「影」の意をもつラテン語umbra がイタリア語に転化して
ombrella と指小辞化したもの。
もともと「影をつくるもの」を意味した。
お世話になっているリリム様の描いて下さった画から。
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