『子孫を残すという本能がさせるのですねえ、そういう脳で生まれるのですよ、生物は』
「では、これは愛とも違うのか」
『ちょっと、違うと思いますねえ、終わったら食べちゃいますし』
「喰い合いを互いに解っていて、繋がるのか」
『そういう事になりますね、利害の一致というやつです』
「成る程…」
毒々しい斑の、細い肢体を糸の上で踊らせる雌蜘蛛。花魁に見えるから、女郎蜘蛛とも云うそうだ。
暫く眺め…その斑を視線で撫ぞり、薄っすら哂った。
「僕は捕食側になれるかな?ククッ」
亡きガラスープ
窓の外、鮮やかな緑と夏椿が青空に映えていた。
そこから薫りをかっさらいつつも、教室内に吹き込む風は微妙に湿ってる。
初夏の空気にコーディネートを惑わされるが、思えばアタシはそこまで気温の影響を受けないんだっけ。
「では、折角の参観日だからねえ…全員に発表の機会を与えようかな」
深緑の黒板前で悠然と哂う紺野は、思っていたよりも先生っぽかった。
妙にガキ扱いする訳でも無く、かといってやたら厳格って訳でも無く。
「ディベートでもして貰おうか」
白いチョークの粉が、カツカツと刻まれていく。
アタシの学校はホワイトボードだったから、少し新鮮だ。
でも、紺野センセが書き終えた主題はトンデモな内容だった。
《悪魔を殺して平気なの?》
チョークを置き、振り返りつつ指から粉を掃う紺野。
一瞬目が合った気がしたから、ヘラリと失笑してやった。
両隣の母親や父親はどんな顔してるんだか…見て回ってやりたいけど、流石に失礼か。
しかもアタシは部外者だし、大人しくしてるのがスジってもんだね。
それにしても黒いコーディネートの参観者ばかりで、学校というより葬式会場に居る気分だ。
「さあどうかな?半々に割れてくれたら都合が良いのだけど?」
机がフォーメーションを変える。生徒達がギイギイ云わせながら、向かい合わせの列を作る。
殺して平気派と、平気じゃない派ってか。
「先生、一人誤差が有るよ」
「その程度なら構わぬ、足りぬ所には僕が入ろう」
「げえーそんなん卑怯だに、先生の説得力じゃ負けるに決まってるし」
「フフ、僕はほんの一言程度しか云わぬから安心して続け給え」
そんなん云われても、アンタに口で勝てると思う奴は居ないっての。
しかし空きに入るって事は…あのセンセが本来どっちの考えを持ってるのか判らないって事で。
そこがなんだか歯痒いキブン。
「悪魔を殺し平気な事を、良しとするのか、悪しき事と捉えるか…さて此れに関して考えを問おう」
生徒用の椅子は低いのか、脚組みして着座する紺野。
参観日にその姿勢はマズイんじゃねーのと思ったが、何故だかその脚組みがこれまた上品で。
結局親から文句も飛ばず、生徒一同も早速ディベートを始めている。
悠々と眺めている紺野を見て、ああ…と思い出す。アタシのおかーさん…サマナーが居た頃を。
そうだ、この里は箱庭だった。去る者追わず、それでも殆どの奴は出て行く事をしない。
此処がひとつの社会で、世界。悪魔も人間も、互いの違いを認識しつつ厭わない空間。
この居心地の良さは、あの十四代目への絶対的な信頼から成り立っているんだ。
紺野の統制は、暫く浸かってると麻痺するのか…
この里の連中は、きっと半分夢の中みたいな感覚だ。
此処で産まれたら郷愁を覚える暇も無い、だって此処が世界だし。つまり外界なんざ、宇宙くらいに縁遠い。
(アタシだって…実際外で暮らしてみるまで、東京と此処が同じ日本に在るってイメージ無かったわ)
紺野は「修学旅行」とか云って、東京へ連れてった事も有る様子だけど…
まあ、異国くらいに感じてそうだな、この子等は。
「詭弁や批判だけでは傍聴者は靡かぬよ。相手の意見を覆す事に躍起にならず、先ずは正直に己の考えを説き給え」
案外マトモな教示をしてるから、吹きだしそうになるけど…アタシには判る、紺野は愉しんでいるって。
教師のフリも、里を管理する事も、箱庭遊び。
(あんな奴に全身全霊で惚れて、おかーさんも無茶したもんだ)
セミロングを肩から払う際、魔晶の指輪が光を反射した。多分おかーさんも苦笑いしたんだろう。
「急で悪かったね、親でもねーのに平気で参観してたけど」
「親の代理で来ていた悪魔も居たから、特に気にしなくとも良いよ」
「マジで?擬態してるヤツ居たの?あは、全然気づかなかったし。皆似た様な黒服でさ、浮いちゃったよアタシ」
彼等と同じく真黒い外套の紺野は、服装の割に涼しそう。
この時期は一番紫外線が酷いんだっけ、多少暑くてもいいからアタシも羽織る物を持ってくるべきだった。
単純な熱さ寒さは良いとして、この刺すような陽射しだけは勘弁して欲しい。
「はあ、ジリジリくるよな結構…」
「盆地だからね」
「暑苦しそうな格好しやがって…って思ったけどさ、訂正する。陽射し防ぐべきだわ」
「その肌色で陽射しに弱いのかい」
「疑問はソコ?なんつーか相変わらずだよね」
社が近くなってくると、境内の木々がイイ感じに枝葉を伸ばして木陰を作ってくれていた。
木洩れ日は石畳の上でゆらゆらと、手招きしてるみたいに大きくゆったり揺れる。
「御社から行くんだっけ?分かり辛ぇよね」
「そもそも部外者は上里の存在に気付かない」
「だよねぇ、異界とも違うんだろうし?何も知らないで通りぬけたら…里がもう一つ有って、そらビビるわ」
笑いつつも歩みは止めないで、アタシは紺野に追従していく。
古ぼけた社、キシつく床板には年期を感じる。そんでその扉を開けるのは…年期の入ってなさそうな十四代目。
容易く開かれた上里への門は、アタシが通り切ったのと同時にバタンと閉められる。
「はぁ、こりゃ季節感狂うよね」
同じ人間世界の筈なのに、まるで秋の様な平原が広がっていた。
いつか見た赤いさざめきに、少し唇を噛み締める。
「アルラウネに管理して貰っている、偶にナルキッソスにも来て貰っているよ」
「ははあ、どの季節のモンでも咲くんだ」
「変わり映えしないと文句されるから、常に咲かせているのは曼珠沙華だけ」
温く涼しい風に、夕焼けの海の様に戦ぐ曼珠沙華。
囁き声みたくさわさわと触れ合って、なんだか遠鳴りっぽい。
「へへ…誰に文句云われるよ、ん?」
「居るだろう?“普通”から逸脱している事に眉を顰める奴が」
「あっは、あいつが一番普通じゃねえのにな。あ、悪い意味じゃねーよ?」
「彼岸花だらけで墓場みたいだって云うのさ」
「ははっ!結婚してから住んでるんでしょ?だったら墓場じゃん」
「ククッ、違い無い」
外を知ったアタシは、此処が懐かしい空気なのだという事が判る。
召喚されて、アギを撒き散らしていただけだったけど。
燃える曼珠沙華が脳裏に焼き付いてるんだ、時折痛む火傷みたいにヒリヒリする。
「あん時は燃やしてゴメンな」
「主人の命令は絶対だろう?君はあの時、焔を撒いて正解だよ」
「契約したサマナーだから云う事聞いてるって思ってんのか?」
「君は違ったのかな?」
「自分の方が能力高けりゃ、ムカツク命令された時にぶっ殺してるよ」
幾つか小川を越え、薔薇園を越え、田園を越え、ぽつんと見えてくる小さな家屋。
「アタシは自分のサマナーが好きだから…あんな迷惑行為も平気でやったんだ」
「へえ、迷惑行為だと理解はしていたのか、そこそこ聡いのだね」
「あのねえ、アタシの事おちょくってるだろオッサン」
と、云い返しながら…哂う横顔を見て違和感を覚える。
気のせいか、以前会った時よりも…若い?
いいや語弊が有るな、見目なんてもう昔から変わって無いじゃんこの化物。
外見というより、覇気…生体エネルギイの濃度が。
「如何したのだい、ジロジロと」
「ん、いや…」
「上がっていくのだろう」
「そのつもりだけど……そーいやさ、指輪はアタシから渡しちゃって良い訳?自分で渡すよなぁ勿論、ええセンセ?」
チラ、と横目にアタシを見ると、一瞬だけあの哂いが引っ込んだ様に見えた。
「女性はそういう所まで求めてくるのが面倒だね」
「解かってるならキッチリやれよ旦那様」
「追加料金で、職人から対象者に渡す事は出来無いのかい」
「じゅえりーRAGではそんなサービス取り扱っておりませーん」
おどけて突っ撥ねてみれば、失笑で返して赤い波を掻き分けて行く紺野。
なんだ、照れくさそうにするのかと思ったのに、そんな事は無かったらしい。
「ねえ、コレ道じゃないけどいいの?」
「獣道だろう」
まあ、云われてみりゃそんな感じの形跡。曼珠沙華を踏む事無く、足が運べる程度の薄い路。
位置的に、多分さっき見た家屋の庭だ。
「不法侵入じゃね?」
眼前の黒外套に云ってやれば、軽く肩を揺らすだけ。
その肩越しに縁側が見えてきて、やっぱり庭だと確信した。
「何、里長はヒトん家に勝手にお邪魔して良い決まりなの?」
「それなら堂々と正面から入るだろう?」
「ああ、それもそか」
なんかズレた会話をしながら赤い波間を抜け切った瞬間、見えていた障子戸がスパン!と小気味良い音で開いた。
仁王立ちのシルエットだから定番の頑固親父を期待したけど、全然別物だった。
「だから庭から入るんじゃねえって云ってるだ――」
相変わらずひょこひょこ刎ねた癖毛で、眉を顰めてる。
白い襦袢のままなのは、着替えの途中かそれとも油断してたのか。
アタシを紺野の背後に見て唖然としたそのツラ、じわじわまたツボってきた。
「よ、功刀ちゃん。あんま怒るとツノ生えるよ」
さくさく歩み寄って、縁側に出てきた功刀を見上げる。
ぺたぺたと板を踏む裸足は、やっぱり白い。
「どうして…」
「納品しに参りました〜仕事よ仕事、偉いだろ?」
「は、はぁ………おい、ライドウ!」
聞いてないぞ、と続くんだろうな、この怒り方は。
怒鳴られる紺野は平然と靴を脱いで、縁側に上がってるし。
「君も上がったら百合君」
「んじゃお言葉に甘えて」
鈍く光る革靴の隣に、アタシのグラディエーターサンダルを脱ぎ置く。
ペディキュアばっちり塗ってきて、大正解だったなこりゃ。
「おいライドウ!……ったく…何も用意して無いし、俺は構えないからな!」
「いんや御構い無く〜アタシから構っちゃうかんね」
紺野に向かってグチグチ吐き続ける白い背中に、だしぬけにハグしてやる。
ビクッと竦むその身体を無視して、女子定番のスキンシップをお見舞いした。
ちょっと胸が圧迫されて痛いけど、まぁ気にせず。
「んん、なんだアンタ前よか胸しぼんじゃってない?ちゃんと食ってるか?…って食う必要無かったっけ」
Aカップ以下だろこりゃ、と指先測定で決め付けて顔を覗き込む。
てっきり鬼の形相かとワクワクしてたけど、功刀は顔からアギを発しそうなくらいに赤面してた。
「ちょ、っと、止めて下さい…離して」
「何照れてんだよ、ちゅーした仲じゃんアタシ等」
横から見ると、本当に凹凸が無い胸元。もう一度赤面する顔を凝視すれば…何か、違和感。
ひょっとしてひょっとするのか。
「もしかして功刀ちゃんてさ…今、功刀クンな訳?」
「こっちが本来です…いきなり接触するのって、セクハラですよ」
「あっは、マジで?ちょっと見た目じゃ判断難しいっての!」
胸が無い事に怒ってるのか、セクハラに怒ってるのか……まあどっちもか。
むすっとした顔を、アタシはニヤニヤしながら眺めた。
違和感は確かに有る、上手く云えないのはアタシの語彙が足りないんだ。
「ま、安心しなって功刀クン。やっぱオスん時の方が顔、カッコイイよ」
何か云い返そうとして、口を閉ざした功刀。かわい、照れてやんの。
と、そのシャイなお顔が一瞬で引き攣った。
「ぃぎぃいッ!?」
「判断なら此処ですれば良いのに、百合君」
外套を脱いでシャツ姿になった紺野が、平然と功刀の股間を鷲掴みにしていた。
いつのまに傍に来たのか、突然の事とシーンにアタシまでぽかんとしてる。
「…ま、それもそか」
「だろう?有無がいまいち判らぬなら、少し揉めば膨らむよ」
「あー、なるほどね。流石はセンセ、御教示あんがと」
殴りかかる功刀の腕を軽く往なして、クツクツと哂って廊下に消えた紺野。
息を弾ませる功刀の背を軽くさすって、少し追い打ちをかける。
「そういやさ、“アレ”使った?」
「はぁ……っ……はぁ………“アレ”?」
「ほら制服だってば。コスチュームプレイ、した?」
「…っ、してません!」
またキレてるし、この辺は性別関係無しなのか。
あはは、と笑うアタシを横目で軽く睨むと、功刀はまた障子戸を開けた。
紺野を追うと思っていたから、部屋に戻る素振りが意外で。
「もしかして寝てた?」
「まあ…」
「そりゃ悪かったね、具合悪い?」
「本調子じゃないだけで、病気してるわけじゃ無いですから」
「だよな、アタシ等が寝込むなんてMAG不足か呪いかけられた時くらいだし」
部屋に入り、スルスルと障子戸をスライドさせる功刀。塞がる寸前で、ピタリと止まる。
暗い部屋が覗く、隙間。その暗がりに薄ら光る眼は、金色っぽい。
「…就職おめでとう御座います」
ぼそっと呟いて、ぴしゃりと閉じた。
ああ、そうだな。アンタが云ってくれたんだったよな。
搾取してばかりだと、完全に悪魔ですから
思い出して、ふっと自然に笑えた。
人間になりたいアタシは、今も真似事をしてるけど。
その真似事を続けたって、人間になれるワケじゃないと理解はしてる。
「奥さんの具合悪いの?」
廊下を勝手に進み、居間の様な所で寛ぐ紺野に訊ねる。
「普段より能力は低下してるね」
「どしたよ、アタシ邪魔なら指輪置いて帰るよ」
「邪魔では無いが、すぐに酌み交わせるのは酒と煙草だけだ」
「ははっ、悪かねえじゃん。チョコレート味は不味かったけど」
「甘ったるいのはココナッツだろう?」
互いに懐から黒い箱を取り出し、トントンと上を指先で叩く。
飛び出てきた一本を相手に向け、互いにそれを啄み咥える。
見つめ合って暫くの間……やれやれと、結局二人して指に煙草を持ち直す。
「火付け係が居なかったね」
「互いに口塞がってちゃ唱えらんねーし」
アタシは紺野の煙草の先端に、アギを唱えて着火した。
「それでは再会を祝して、乾杯」
「け、よく云うわ」
咥え煙草で乾杯して、火を渡してもらう。
「……っくー……やっぱ甘ぇコレ」
「一本で充分だね、全く…煙にじゃりじゃりとココナッツの滓が混ざりそうだよ」
「アタシだってもうそっちは要らねーよ」
チョコとココナッツと葉の混じったゼツミョーな香りが漂い始め、部屋を腐った亜熱帯にする。
功刀が居なくて良かったと思った、絶対発狂してる筈。
座布団の上に胡坐しつつ、アタシは部屋を見渡した。
「旅行しまくってるの?」
「まあね」
「旅行先で何してんの、純粋に観光?」
「悪魔をスカウト」
「んだそれ、日本に居る時と変わらねーじゃん」
「半分は趣味だからね」
「あの辺の…タペストリーみたいな掛け軸みたいなの…なんつったっけ?ブータンの…」
顎で壁のソレを指せば、紺野は少し眼を細めた。
「ブータンのタンカ」
「あーそうそうソレ…昔餌にしてたおっさんが古物商だったからさぁ…一応骨董品の話はちゃんと聴いてやってたぜ、くそつまらん自慢がオマケで付いてくるんだけどな」
綺麗な色と紋様…藍色の中に時折混ざる赤は、ピンクの紫陽花の色。
吸い込まれる様な円形の内側は、幾重にも四角が並ぶ。門の様な、箱庭の様な。
煙草は違うけど、この辺の趣味は合うみたいだなアタシ達。
「カーラチャクラ曼荼羅だよ、染めでは無く手刺繍」
「マジで?おいおいこの指輪いくつ買えるよ」
小さな箱を差し出せば、ナチュラルに受け取る紺野。
前払いなのでおかしく無いワケだけど、その余裕が感心してしまうと同時に憎たらしい。
片手で蓋を開けて指輪を確認すると、いつもの哂いを浮かべたままアタシに視線を移す。
「有難う、綺麗に出来ている」
「…そ、か。まぁアンタが満足したなら、とりあえず第一関門突破だな」
「第二関門は?」
「そりゃあ当然、受け取る張本人だろ。こんなの邪魔〜とか平気で云いそうじゃんアイツ」
紺野はさっと立ち上がり、指輪の箱をチェストの抽斗に仕舞う。
換気は充分行われてるから、すぐにはヤニ臭くならないと思うけど。
案外そういう所は几帳面なのか。
「フフ、その時は僕が責任をもってしっかりハメさせるから安心おし」
「何か含んだ云い方じゃん、センセ。それもセクハラって知ってる?」
「定義を教えて欲しいね。当人を善がらせればセクハラには成り得ない」
「それって痴漢野郎の言分じゃね?」
「アレが本気で拒絶するなら、とっくに僕のペニスを引き千切ってるだろうさ」
あまりに直球で、腹を抱えて笑った。
「また何かアクセ欲しい時はウチでヨロシク」
「次に依頼するとすれば、呪具だろうねえ」
「色気無えな」
「色気の有る呪具を作ってくれるのだろう?」
「はいはい」
赤い庭を抜ければ、空は既に黄昏ている。地平線の赤と、空の赤が融け合ってひとつになりそう。
サンダルでざりざり砂利を蹴って歩いて行けば、向かいから小動物の影。
それを追いかける様にして、ぱたぱたと走る幼女。
「あーっ、お客さん来てたのライド…」
「ライドウで良いよ、この客人には知れている」
「ふーん、悪魔?」
「そうだね」
“詮索好きです”と顔に書いてある幼女は、アタシをジロジロ見上げてくる。
濃い紫の髪の毛…多分コイツも悪魔だろう。上里の悪魔連中は擬態が常だった筈。
近くでハッハッと呼吸している犬は、胴の短いイヌガミっぽい。
「……リリム?」
「ピンポーン大当たり〜でも賞品は無いよ、悪いねおチビ」
「だって今ドキそんなガングロ流行らないもんね!」
「るせーな焼いてねーよ自前だよ自前」
生意気な幼女はケタケタ笑うと、イヌガミもどきと一緒に駆け抜けて往った。
紫の髪をふわふわ舞わせながら、黒いワンピを翻し…って、また黒か。
「……あのさ、喪中とかなの?」
「へえ、何故そう思うの」
「皆黒いの着てるじゃん。アタシが見た中で黒じゃない服着てたのって、功刀だけだよ」
「アレはねえ…フフ、出産したばかりだからここ二日は安静にしているのだよ。だから寝姿のまま」
「へーなるほどね、だから襦袢一枚………は?」
なんだか今、トンデモな発言をしたぞこの野郎。
そりゃあ男にも女にも成れるとは聴いたけど、まさか…
「女の時は出産可能なの」
「月経も有るからね」
ああ…だからあんなにいつもカッカして…って、四六時中でも無いし、おまけにさっきは男だったっけ。
半分は人間だから、そういう生態なんだろうか。
「って、そういや肝心の赤ん坊は何処だよ。家に居なかったじゃん」
「さあ?」
「おいおい何だよさあって、出産祝いとかくれてやろうと思ったの、に――」
と、そこまで発したアタシの口が呼吸するだけになった。
マズイ事を云ったかもしれない、辻褄が合って内心ドキドキだ。
(もしかして、死産ってやつか?それで弔いに黒服着て…喪中…)
沈黙のアタシに切り返しをする事も無く、紺野はツカツカと前を進む。
社を抜けて、下里に出れば生温い空気。ようやくの現実世界って感じで、大きく息を吸って、吐き出した。
「遠路遥々、御苦労だったね」
「いいや、アタシが来たいって前から云ってたじゃん。功刀にも会えたし、センセともだべれて楽しめたよ」
「野良サマナーが居たら、報告宜しく」
「顧客情報流出はちょっとね」
「君の判断に任せるよ。ステレオタイプなガイアーズかメシアンが居たら、何を製造依頼されたのかくらいは教えてくれ給え」
「…そだな。未だに有るもんな、あの辺の奴等のドンパチ」
悪魔のスカウトだけの為に、各地をうろついているワケじゃない事は知ってる。
このサマナーは、ずっと何かと喧嘩しているらしくて…それに勝つ為、詰将棋みたいな事してるんだと。
悪魔の、サマナーの、力の流れを読んで…数手先まで考える。
「いいよ、功刀に被害が及ぶ様なら、横流ししたげる」
「随分と功刀君の肩を持つね」
「だってアタシ功刀にゃ惚れてるもん」
「どの姿の?」
「雄雌どっちでも構わないけどさ、やっぱ一番キュンとキたのは悪魔姿」
「同意見だね」
「だろ?やっぱセンセとは、この辺の趣味は合うね」
境内を抜けた辺りで、アタシは紺野を制止した。
具合の悪い功刀からあまり離してやるのは、気が引ける。
「もういいよ紺野センセ、帰って拗ねてるであろう奥さん…っつうか雄か…まあともかく、世話してやれよ」
「そうだね、今宵は僕が食事を作るのだった」
「マジで?半分冗談だったのに…ってか料理出来るの?」
「刀も包丁も同じさ」
そんな事を云いながら、哂って鯉口を切る仕草をする紺野。
アタシから見ても、やっぱり何処かネジが外れている。
「それじゃあここいらで」
「気を付けて帰り給え、昔ほど野犬も野良悪魔も居ないがね」
「功刀が味覚薄いからって、テキトーな飯作るんじゃねーよセンセ」
「雌蜘蛛に身を捧げる雄蜘蛛の気持ちで臨ませて頂くよ」
「んだよソレ」
軽く手を振って、あっさりと別れた。
此処から先はもう分かる、子供じゃないから一人で行ける。
最終の電車に揺られて、山の影を眺めつつボンヤリ考えた。
(安産祈願の御守りとか…?)
琥珀だっけ…流産防止とかは。んで、生命の誕生を良い方向になんとやら…が柘榴石。
その辺をちゃちゃっといじって…ブレスレットとかにして贈ろうか。
いや、指輪にブレスじゃいい加減キレそうだなアイツも。
今度会った時は、どんな形なら貰って嬉しいのか訊いてみよう。
布団から上体を起こし、寝崩れた衿を直しつつ僕を見上げた人修羅。
吊るされた切子硝子のレトロなシャンデリアが、白い布団に虹彩を落とす。
それでも、見上げてくる眼が細くなる程の眩しさは無い。僕も人修羅も、煌々とした部屋は苦手なのだ。
「熟睡していたのかい?」
「…いいや……夢見る程度には、浅かった」
傍に胡坐をし、脇に置いた盆から湯呑みを取る。
口元に突き付ければ、まだぼうっと焦点の定まらぬ人修羅。もたつきながら受け取り、啜る。
「苦い」
「直ぐに男に戻りたいと駄々をこねる君が悪い、産後の急激な変体は負担が大きいのだからね」
「薬…?よく見たら無茶苦茶緑じゃないかよ、青汁みたいなものか?」
苦味に眉を顰める顔を見て、特に心配する事も無いな、と悟る。
免疫力の弱まっているこの時に、何かがあっては不味いのだ。
産み直されぬ僕の生は途絶え、独りでは野垂れ死ぬであろう人修羅の姿も視える。
「一蓮托生なのだからね、君もこの云十年でもう少しは成長してくれるかと期待したのだが…ねえ?」
「何が云いたいんだよ」
その反抗的な口の前に、椀を差し出す。薄っすら薫り立つ湯気に、不満気な声が形を潜めた。
「要らないのなら下げるよ」
「……要る」
「“要る”ではないだろう?君が食卓でしつこく僕に云わせる挨拶は?それとも…作ったのが僕では感謝皆無かい?」
「…いただきます」
「フン、宜しい」
湯呑みを手から奪い、漆塗りの箸を空いた手に渡す。
椀を傾け、こくりこくりと嚥下される汁が人修羅の喉を隆起させる。
続いて、椀の隙間から箸が差し入れられる。底に残った具をさらっているのだろう。
もくもくと咀嚼して、嚥下した人修羅の眼がチラリと僕に向く。
「何だい」
「……まだ、有るか」
「有るけど?」
「…おかわり」
空の椀を僕の胸元に突き付けてくる、その頬は少し赤い。
強請る様で、人修羅にとっては羞恥なのだろう。
しかし猫撫で声で甘えられては、僕も少し興醒めして「自分で鍋からよそったらどうだい?」と返しそうだが。
「百合さん帰ったのか」
「帰ったよ、もう納品も済んだからね」
二杯目を渡した、少し具材の…肉を多めにして。
「勘違いされたよ、赤子が死産だから皆が喪中なのだと」
「っ、ぶほっ!」
少し咽た人修羅が、胸を数回叩く。
箸を持っていなければ、そのまま横の僕を引っ叩いていただろうね。
「…っ…げほっ……何処まで話したんだよ、あんた」
「君が産後で本調子では無いとだけ」
「はぁ…っ……余計な事ぬかしやがって…」
呼吸が落ち着いてから、再び啜り出す。
人修羅は、産後のこの期間…僕が作る晩飯を食らう。
当人は納得いかぬのか口にする事は無いが、おそらく気に入っている。
普段食の細い、ともすれば作っても食べなかったりする彼が、病的にがっつくから。
「参観授業はね、ディベートにしたよ」
「…へえ……どんな主題…」
「『悪魔を殺して平気なの?』って君も云われたろう?」
「っ!げほっ……も、あんた教師の真似事辞めろよ、子供達が憐れだ」
またもや咽る人修羅、これだから戦闘中の咄嗟のファイアブレスも喉奥に詰まらせるのだ。
「おや、僕が人気者だと知らぬのかい君は」
「そりゃビビッてるだけだ、畏怖だ畏怖……」
「フフ、ところで如何だい?」
「俺は平気だ、知ってるだろ」
「違うよ功刀君、ディベートはもう終わっている。そうでなく、今君が食すモノに関してだよ」
ぴたり、と箸を一瞬止める彼の横目がジロジロ刺してくる。
二杯目の残りをかっ食らい、空の椀をまた突き付け。
「…普段もこんだけ甲斐甲斐しくしてくれりゃあな、少しはあんたの株も上がるのに」
「また僕を産んだあかつきに、作ってあげる」
「チッ…負担の差がデカい」
人修羅が僕を産めば、それまでの僕とはおさらば。
抜け殻に妙な魂が宿らぬよう、弔うのだ。皆して喪服を纏い、香をあげ。
詳細を知る者は、下里には多く無い。魂魄を移し替えてつやつやとした十四代目が唱えれば、疑いもせず葬列を作る民。
呪いか何かと思っているのかもしれない、弔うべき亡骸を公開しないのだから。
「…毎回、あんたの作ってくれるこれ…レシピ教えろよ。この…餅の無い…肉ばっかの雑煮みたいな…」
「云ったろう?秘密とね。それにおいそれと君に調達出来る素材では無い、諦め給え」
「ケチ野郎」
「悔しければ、さっさと食べ尽くして鋭気を養うのだね」
「そうだな、あんたに拳が躱されない程度には回復しておかないとな…」
「現役の頃とて躱されていた癖に、食い意地だけは御立派な事だ」
「食い意地張ってるのはあんただろ……」
侮蔑を吐きつつ、肉を啜る人修羅。
薄っすらと滲む頬の朱と、眼の金色が教えてくれる。
薄い味覚よりも何よりも先に、肉体が歓喜しているのだろう…
無自覚の内に感嘆の溜息をして、一滴も残さず舌で椀をねぶる君。
涼しい夜風が頬を撫で、上の光源をほんの少しだけ揺らめかせる。
開け放った障子の向こう、整然と赤を萌え立たせる曼珠沙華達。
替えたばかりの肉体のピント調整をするかの様に、僕は暗闇に眼を凝らす。
「何だ…突然、眼光らせて」
「ククッ、いや……お陰様でね、遠くの蜘蛛の巣の網目までばっちりと視えるよ」
「感謝しろよ…」
「今もこうして、身を呈しているでは無いか」
「あんたは口ばっかりだ…そうじゃない時は説明も無しに勝手に動いて…極端で苛々する」
さざめく木々の枝葉に有る巣で、睦む蜘蛛二匹。
いつかタム・リンとの帰路に見た…女郎蜘蛛のまぐわい。
「常に愛を謳い、休日には家族サービスをし、膨らんだお腹にクラシックを聴かせる善良な主人が良いのかな?」
「気持ち悪い、やっぱりそのままでいい」
「だろう?僕も固執する気は毛頭無い、全てがごっこ遊びなのだから」
「結婚もか」
「そう」
椀と箸を奪い取り、もう次は無い、と、空の鍋を盆より浮かせ見せつける。
一瞬しょげたその肩を軽く掴み、耳元で囁いた。
「だから此れも、玩具の様な物さ」
見ずとも判る指先で、人修羅の左の薬指を擽る。
するりと環は潜り、行き止まりに吸い付く様にはまった。
手先が器用と豪語するだけある、あのリリムに任せたのは正解だった様だ。
「玩具…」
「首輪の方が良かったかい?」
「いや、その………」
唇に触れる耳が発火しそうな程に熱く成っている、やはりこいつは紅蓮属なのだろうか。
面白いので追撃してやろうかと、身を少し離して改めて正面から捉えれば。
「さっきの、美味しかった…また産んでやるから…作ってくれよ」
与えられた指輪をチラチラ見ながら、先刻の食事の感想をすり替えて述べているではないか。
その何とも小癪な態度に、色気も何も吹っ飛んでしまった。
「本当に君は分かり易くて楽だよ」
「煩い」
君の火照った頬も、次第に風が冷やしてくれるだろう。
その恩恵に与ろうとしたか…暫く黙った人修羅は、指輪を撫でつつ僕の視線を追ってきた。
「本当だ、居るな…蜘蛛…しかも交尾中とか」
「焼き払うで無いよ」
「通り道でも無いし、流石にそこまでして駆除しない」
「放っておこうが、この後すぐに片割れは死ぬ」
丁度僕が発した瞬間、雄蜘蛛がバリバリと雌蜘蛛に喰われた。
眉を顰め、指輪を上からきゅうっと握った人修羅が吐き捨てる。
「…蜘蛛に生まれなくて良かった」
「何故だい」
「喰われるのも嫌だけど。番った相手を喰うって…そういう本能を持った生き物に生まれ変わったら…ゾッとする」
それを聴き、僕は喉を鳴らしてくつくつと哂った。
本当は腹を抱えて、その布団にのた打ち回って大声で笑ってやりたかったが、それをすると次が無いので抑え込む。
「知ってるかい?雄蜘蛛を喰った雌蜘蛛の方が、丈夫な子を孕むのだよ」
「本当かよ…」
ほらまた眉を顰めて、僕を睨む。
悪趣味だと文句しながら、指輪を撫でて…この臆病者の甘ったれめ。
また丈夫な僕を産む為に、弔った僕で胎を充たしておくれ。
「不明瞭な愛より、相手を生かしているではないか…ククッ」
何の肉か知った時…
君はどんな顔をするのだろうね、矢代。
亡きガラスープ・了
↓↓↓あとがき↓↓↓
「夜の身体って魂を移し終えた、前の身体はどうしているのでしょうか…?」
という質問を頂いたので、ぼんやりとイメージしていたものを書き出しました。
交尾の後、雌に喰われる雄という妄想。自分の肉を調理して喰わせている夜。悪戯心と支配心と、色々。
味よりも先に、肉にまだ依存している血や精で身体が歓んでいる矢代…な雰囲気で。普段より更に弱っている味覚で、何の肉か判断出来ない様な。
タイトルは鶏がらスープみたいなノリです。
久々に百合ちゃんに登場して貰いました(帳SS『百合の夢』)
冒頭の一文と、最後の夜の台詞はSS『生死滲出』から。夜は捕食側に…なれていないのか?なったのか?
back