「あんた、あんな危なっかしい呪いつけてたのかよ」
「何の話だい?」
「その……俺の、指輪に」
結局、夜にはバレてしまった。それはそうだ、色々と弁解のしようが無い。
落とした指輪をアンヘルに拾われ、カイムを使って交渉はしたが返却して貰えなかった……と。
その旨を伝える羽目になった。そしてちゃっかり填めていた夜の指輪は、当人に返した。
ビールと引き換えにした件は、とりあえず後で追求しよう……
こっちが大事になり過ぎた、今はとりあえず俺の指輪を取り戻したい。
「呪い? 馬鹿を云い給え、あの指輪の性質を決めたのは君だろう?」
「そんなの知らない、俺は何もした覚えが無い」
「暫く身に着けていたからね……君の属性が移り、高い魔力を秘めた装飾具となったと思われる」
病院の白亜の中、夜の黒が余計に目立つ。
あれから二日経過して、ようやくアンヘルと面会する機会が訪れた。
カイムは手下を寄越してくる事は有ったが、直接会うのはあの日以来だった。
「高い魔力のアイテム身に着けただけでダメージ喰らうのかよ」
「体内をめぐるMAGをおかしくしてしまうのさ、分かる? 煮えた油に水を差したり、電子機器に磁石を密着させたり、そういう風にいかれる」
「……本当に、普通に面会出来るんだろうな」
「君の契約した悪魔が先に控えているのだろう? 何を心配する事が有るのかね……フフ」
黒い帽子の下。そのニヤけた横面に、浴びせる罵声が無い。
普段は悪魔を毛嫌いしている俺が、まんまと使役に手を染めた事を、こいつは哂っているに違いなかった。
「ところであんた、その袋なんだ」
「見舞い品だよ」
アンヘルの病室が見えてきた頃に、気になっていた夜の手提げを問い詰める。
やや細く縦長、マットな黒地の紙袋。
華奢なボルドーのリボンが、取っ手部分に括ってある。
「まさかアルコール……?」
「おや、君にしては察しが宜しい。SALA Salamandraというワインさ、ラベルに黒蜥蜴の銘が入っている」
「相手は病人だぞ、病院で飲酒はダメだろ」
「酒なら退院後まで持つだろう? 枯れてしまう花などより、余程喜ばれると思うがね」
「即物的過ぎるだろ。病室って無味無臭だろうし、花の一輪でも気分が明るくなる……じゃないのか」
「そんなのは君の押しつけたイメージさ。枯れ往く花に己を投影する人間が居ないとも限らぬ、違うのかい?」
「あんたの方が深読みし過ぎだろ」
「では永遠の命にも似た造花でも贈りつけてやろうかね?」
「あのなあ……!」
問答にキリがついてから、夜が扉をノックした。
中からの返事は複数……男性の肉声と、悪魔の音声。
「Con permiso.」
挨拶の様な言葉を発しつつ、袋を持つ方の手で扉を開ける夜。
両手が塞がる事は極力避けている、ライドウの頃からそうだった。
『あっ、コンノ社長』
開けるなり目に飛び込んできたカイムが発した言葉は、俺の脳内を一瞬真っ白にしてくれた。
軽く会話している二者の間に割って入り、間仕切りの向こうのアンヘルを差し置いて啖呵を切る。
「どういう事ですか」
『ああクヌギ様、いやはやまさか貴方が社長夫人とは思いませんでしたねえ』
おどけているのか只の能天気なのか、調子を崩さずに髭を弄るカイム。
社長ってなんだよ、社長って。
「Noche de azul marino」
「は?」
「君、カイムから名刺を貰った筈だよ。其処に書いてあると思うがね」
夜の指摘に応じたかったが、とっくに名刺など捨てていた。
色々あった後、指先でぐしゃぐしゃに丸まっていたから。
「そういえば、なんか外国語で書いてあった気はする」
「Noche de azul marino って、スペイン支社名が有ったろう? 紺色の夜と」
読めるか馬鹿。読めたとしても慌ただしいあの瞬間、俺に気付けたか怪しい。
そうだ、この男は旅行先で情報や武器を調達する為に、サマナーや悪魔の結社を創っていたのだった。
という事は、先日ネットで見たあのアングラなサイトも……こいつの管理下だったという事か?
利用区域をスペインに限定したら、カイムがヒットしたのだ。
しくじった……今度から夜の写真でも持ち歩いて、契約相手に確認して貰うべきかもしれない。
この男を知っているか? と。
「よくもまんまと僕の支社に依頼を投げたものだよ、偶然とは恐ろしいねえ?」
「さ……最初からあんた知ってたのか? カイムから聞いてたのか!?」
「先刻の彼の言葉を聞いたろう。アンヘルが転けたあの後に、君がカイムに依頼した事を把握した……フフ、これは本当さ」
だったら、ビールと引き換えに指輪を渡した件はどういう事だ。
ああ、追求したいがこの場では出来ない……病室だぞ……
やきもきとする俺を放置して、カイムは夜を促した。
『ささ、社長……アンヘル殿と御対面下さいな』
「室内にもう一人、気配がするのだが」
『ああ、そりゃ身内ですねえ、弟さんがちょうど見舞ってるんですよ。ま、さっきから私の声は届いていないと思いますがねえ』
「今廊下に出ている看護師は、君の手下かい?」
『そうですそうです……邪魔者が入る事はまず無いですから、どうぞごゆっくり交渉下さいねえ』
その会話で、改めて扉の磨りガラスを振り返る。
人影が……確かに、退く様子も無く其処に留まっていた。
「Como esta usted?」
既に会話を始めている夜の声に、俺も弾かれた様に歩み寄る。
窺いつつ間仕切りの向こうに身をやつせば、思わぬ人間と目が合った。
数日前、バルで左隣に座っていたナンパ男だ。
(面が似てると思ったら、どうりで)
ベッドの横に椅子を置いて、あの日よりも赤くない顔で見つめてきた。
何か喋っているが、下手に相槌や頷く事も出来ず……俺は棒立ちのままだ。
ベッドから上体を起こしている兄の方が、弟に向かって一言二言発すると、笑い合っていた。
「本当に蜥蜴が居る、だとさ」
「蜥蜴……?」
「君の着物の事だろうよ」
そういえばカイムが訊きもしない俺に説明してくれたっけ、蜥蜴マニアなのだと。
バルで見た東洋人の衣服に蜥蜴が居たんだ……とか話して、どうせ酒の肴にしていたのだろう。
こういう時に限って違う服が無い、ワンピースはあの日ビールで汚してしまったから。
(それにしても、本当に聞いてた通りの……)
アンヘル兄弟の仲は朗らかだった。歳もそう離れていないのか、同じ格好をすれば見分けがつかない。
頭部の裂傷を確認されたのか、兄の方は相当短く髪が刈られている。
生え際の色味は、弟と同じ金で。普段は茶に染めていたのだと、特に利も無い確信を得た。
(後遺症って、何処に残ってるんだ)
俺は卑しくも、そんな理由から弟の方をちらりちらり眺める。
すると、姿勢のせいか足首より少し上がっている裾の影に……人工的な質感を認めた。
義足だ。
それだから、あの晩も追い駆けて来なかったのかもしれない。
バルの椅子は座面が高い、咄嗟に降りては足を挫いてしまうだろう。
「ほら、功刀君」
俺が弟側へと向けていた視線を、ダイヤモンドの光が遮った。
眼が眩み、薄暗い夜を見る他なくなる。
流れる様な手付きで、夜がいつかの様に指輪を填めてきた。
しかし、硬質な輪がくぐらせる指は右手の薬指。
「ヒュー!」と囃し立てる兄弟に、何やら頬が熱くなった。
なんだ、レースもリタイアして怪我もしたのに、妙に元気じゃないか。
当日のスタンバイ前に見た姿と、だいぶ印象が違った。
一瞬とはいえ、指輪を通して悪魔と関わった人間とは思えぬ程の快活な笑顔。
俺は同じ笑顔で返す事も出来ずに、早々に間仕切りの影に逃げ戻った。


◇◇◇


機内アナウンスも止み、ぼんやりとした機器音や人の息遣いだけが空間に残った。
「全く、君の指輪のお陰で久々のビジネスクラスときた」
夜がそう呟き、隣のシートで軽く伸びをした。
そうやって全身を受け止めるだけのスペ―スが与えられているのだから、充分だろう。
「だから、悪かったって云ってるだろ……」
このまま嫌味に付き合わされるつもりも無いので、添え付けのヘッドホンに俺は手を伸ばした。
と、右手の薬指に光る指輪が改めて視界に入り、安堵と疑念が脳内に渦巻く。
「……どうして右手なんだ」
問い質す声音が、自分でもやや気弱に聴こえた。
違う、機内で大きな声を出す訳にはいかないからだ。不安なんかとは、違う。
「スペインでは右手の薬指に結婚指輪を填めるから」
「…………あ、そ……へえ……そうか」
あっさり返ってきた答えに、昨日の病室を思い出した。
こいつ、人前で結婚指輪の授与式じみた真似をしたのか……
それは囃されても仕方が無い、黙ってハメられていた俺も恥ずかしいやら虚しいやら。
「もうスペインを離れたからね、左手に填め直してやろうかい?」
「そんなのしたけりゃ自分でやる」
「まあ、この後一度ヘルシンキに降りるからね。日本に着いたら直せば良いと思うよ」
隣のシートといっても、手を伸ばせば触れられる位置だ。
ファーストクラスよりも近い距離感に、少し昔を思い出す。
(こいつ、旅行好きだよな……)
心を鎮静化させる深い青色のシート達は、既に大半が平たくなっている。
疲れていれば、自然と身体が休眠状態に陥るのだろう。
俺はかなり意識しなければ、肉体を眠らせる事が難しい。
「……こんなの、全然……夢を叶える指輪なんかじゃないだろ」
間接照明にかざし、ダイヤの反射光を夜の頬に零してやる。
馴染み過ぎた所為で、こうして填めても魔力の重みは感じない。
俺の力が宿っているというのが本当なら、当人が実感を持てるものとも思えなかったが。
「おや、あんなにも喜んでいたではないか」
「そりゃ弟さんが見舞いに来てたから、はしゃいでたか空元気してただけじゃないのか。あんな事有ったんだし、悪魔視てた数日間に普通は不安を覚えるだろ」
「違う形であれ、願いは叶った。と云っていたのが聴こえなかった?」
ダイヤのカッティングに、俺の怪訝な表情が映り込む錯覚を抱いた。
「あんた等の会話なんて、聴き取れる訳無いだろ。カイムも通訳しないし……あんたが居たからだろうけど、怠慢だ」
「毛布に隠れて判り難かったかもしれぬが、アンヘルは脚をかなり痛めている。御家族に気概は伝わったし、何よりも弟と同じ状態になれてまんざらでも無いそうだ」
「……同じ状態」
「ようやく贖罪が叶ったという事では無いの? まあ、それならば脚を斬り落としてようやく対等と思うがね」
「するなよ」
「まさか……だってねえ、人間の脚は再生しない、そうだろう?」
不敵な横顔に、ようやく合点がいった。
無理をしてでも成果を欲する、生き急ぐ人間の事を……俺はいつしか理解に苦しむ様になっていた。
人間の治癒力には限界がある。
あの義足を見ただろう。もはや戻らぬパーツは、廃棄処分されるだけのゴミと化す。
自分の一部が欠けたままの状態なんて、想像しただけで恐怖してしまう。
それなのに、アンヘルは解き放たれていた。
いとも簡単に、魔法の指輪を手放した。
「馬鹿みたいだと思わないのか、あんたは」
「脆い身体であんな速度のモーターレースをしている、その時点で馬鹿だろう?」
「……指輪は悪魔を呼び寄せただけで、予選結果はあの人の実力だったのに」
「ククッ、悪魔というのは君の事かい?」
意地悪く微笑む夜、ライドウの頃のそれに一瞬見えた。
なんとなく心拍数が上がり、俺のMAGが浮足立つ。
「あんたも休め、俺も暫く黙りたい」
「ではアルコールでも摂取してから寝たフリしようかね」
「指輪を交換券にするなよ」
「そのネタ振りにも応えてあげようか? 僕はねえ、君が“指輪を落とした事”自体は、当日から気付いていたよ」
唐突なバラしに、俺の心がバラされそうだ。
「いつ気付くかと思って、指輪のまま君を虐めてみれば……フフ、思った通りに狼狽し始めて滑稽だった」
「な……す、すぐに問い詰めろよ! どうして失くしたんだ、って俺を叩けよ!」
「だから指で扱けと命じたのさ、頑なに手を遠ざけるものだから可笑しくて……フッ、ククク、これは黙っていようと決心したね」
俺は軽く身を乗り出し、夜の帽子のつばを掴むと、ぐい、と目許を覆った。
信じられない、やっぱり気付いていたんじゃないかよ。
鼻の利く夜の事だ、カイムの手下が乗り移った人間くらい嗅ぎ分けられる筈。
だから明け渡したのだ、自らの娯楽の為だけに……大事な筈の指輪を。
(じゃあ、“黒歴史”ってのは……俺を怒らせる為のハッタリか?)
今、こうして俺の手には指輪が有る。夜の手にも、指輪が有る。
アンヘルから取り戻す為に、数日間滞在を延ばした。
おぞましい力や存在を使役すれば、そんなの病室の窓を破って指ごと奪い去れるのに。
看護師に化けた手下にやらせれば、ベッドサイドの抽斗の中からくすねられたのに。
この男があの時云った……《愛情の象徴》という物の為に、労力を割いたのだ。
「……今度は男の時に来たい」
「おや、スペインはお気に召した?」
「GPの有る時期を選べよ、それ以外は観る所無い」
「ああ、そうか。女性体で指が細っていた上に、妊娠もしていないのでむくみも無かったから抜け落ちた、そういう事だね」
「Ve te a la mierda」
「それだけは覚えたのかい、君」

生き急ぐ人間は、危かしくも輝きが有る。
遠い日のライドウを思い起こす、目的の為に手段を選ばぬあのギラギラとした気配。
指に光るダイヤを見ると、近いものを感じた。
しぶといようでいて、強い力に当たれば砕ける。そんな所も似ている。
それが少し怖いから、指輪程度に留めたくもある。

後遺症は有るのだろうか、復帰は難しいのだろうか。
珍しく、人間個人の今後が気になって仕方がない。
身内が同国に居たという事は、彼の故郷は恐らくスペイン。
モータースポーツに戻れなかったとしても、いつかは違う指輪を得るのかもしれない。
そして俺の知らぬ間に、年老いて一生を終えるのだろう。
とりあえずGPが続く限りは、天使の名を追う事にしよう。

機内ラジオで異国の歌を聴きながら、それを子守唄にして眼を瞑った。
次のカタルーニャサーキットを楽しみに。



-了-




↓↓↓あとがき↓↓↓
長い…!そしてライ修羅ではない部分が多い!
旅行譚というコンセプトに従い、スペインの要素はちょこちょこ詰めました(これでも)

ものは試しと、カリモーチョも作って飲んでみましたが……確かにジュースの様な感覚でした。ワインのアルコール度数、コーラに対する割合でも違ってくるとは思いますが。
日本のスペイン風バルでは多分カリモーチョ出てこないので、自分でつくろう!(白赤ワイン他、大抵サングリア)



★サラ・サラマンダーというワインは本当に有る。

★矢代が夜に云った「Ve te a la mierda」…意味を忘れた人は前編を読み直そう!(拷問)

★ハイサイドが発生すると機体がぐらぐらと左右にブレ始め、思い切り反対側に反った際に運転手が放り出される。

★カイムは鳥の姿をしている時、つぐみ(鶫)である。油差しを持った女性を従え、現れる。

★バスク語は「悪魔が泣いて嫌がる」ほど難しいとされる、フランスとスペインを跨るバスク地方の言語。他の言語と関係性が立証されていない孤立した言語。
ややこしさは膠着語(こうちゃくご)の為という理由も挙げられるが、日本語も膠着語なのでしっかり学べば習得は早いかもしれない……筆者には無理(文法以前に、月や曜日が英語ですんなり出てこない)

★Demonio……タイトルにもした、スペイン語で悪魔・悪霊の意。