今まで何として生きてきた?
空色と桃色なら、空色が好きだった。
それなりに異性に焦がれる時期もあった。
ヴィジョンに映る式場のバージンロード。
煌びやかな景色は、乙女達の夢。
道を挟む、祝福の華灯り。
俺は先で待っていて、義父から伴侶を任される方、だと思っていた。
ただ、安定が欲しかった。
俺と一緒に、将来的に母親を看てくれる人が欲しかったんだ。
俺は、男だから。
生物的に、♂(オス)だから。
染色体はXYだから。
だから、こんなのは、おかしい



帳下りて誰殺がれて



指先が震えている。寒さより、この俺の立場に。
着飾った純白の着物は、かさ張るのに、寒い。傍を整然と歩く、葛葉の十四代目を見ると…奴はニタリとして云う。
「まさか君を囲えるとはね、胸が躍るとはこの事だな」
蛇の目傘の朱色が、透けてライドウの頬を彩る。真白い景色の中に、この男という血痕が痕を残して闊歩する。狐の行列は、嫁入りの為の狐火では最早(もはや)無い。
震えで、上手く言葉に成らない。
「俺を…俺を殺すんだ、あんた等は…そうやって…」
これまでの、俺という概念を、殺す為の儀式なんだ。
繋がれるまま、まるで重罪人の如く晒された。竹林を抜け、本殿へ繋がる社へと、この列は歩んだ。
「やけに大人しいねえ、功刀君」
俺の手綱を引いて、ライドウが少し振り返る。
「婚儀の意味も知らぬ?」
そんな訳有るか、知っているから…こんなにも震えるんだ。
酷く、おぞましい。
「狂ってる…あんた等…」
ぼそりと、呟いた。それに反応するかの様に、ライドウは蛇の目をくるりと閉じて
積もった雪にその頭をざくりと挿す。
「男女の婚儀に異常性でも?人修羅君?」
「…抜かしてんじゃねぇよ!腐れサマナー!!」
問いと同時に答えを吐き出すこの男が、憎い。こいつの毒に疼いた俺は、ぐらりと揺らめく殺意を隠さなかった。拘束されたままの腕を、強く引き絞る。
ぐっ、とその引きに両脚で踏んじ張るライドウ。かなりの力で、赤い縄はピン、と橋渡しに成る。触れれば弾けんばかりに張るその状態が、俺達の関係だった…
それなのに…なのに…
「契約したろう?ずっと飼うってね…」
云うが早いか動くが早いか。ライドウは雪に挿した傘を、抜刀するかの如き動きで突き放った。
「ふっ!グ…ッ」
俺の胎に、綺麗に入った傘の先端。竹の骨が、肋骨を見事に軋ませる。そこを抱える事すら出来無い俺は、食い縛ってよろめいた。
「はぁ…っ」
「これで公的に、僕は君を連れて仕事が出来るという事だ」
「知る…かよっ…あんたの、都合なんざ…!」
「自慢の愛玩動物を見せびらかす快感に近いかな、フフ…」
挑発だ、駄目だ、乗ってはいけない。繋がれる俺は、しかし本当に…ペットだった。逆らえば、リードを引かれる、ただの畜生に成り下がっていた。
(駄目だ…力が制御出来ない)
先刻の綱引きなど、力が物を云うのに…俺はその単純勝負に負けた。人間の男に。
「功刀君…君は本当に僕の理想だった…」
前屈みに息を乱す俺に、うっとりとして語り始めるライドウ。
「君の性別など、本当はどうでも良いのだよ」
「良く…無い…っ…」
「それこそ、人でも悪魔でも変わらず感じるのと似ている…」
垂れていた手綱をぐい、と引かれた。
「その中途半端と矛盾が、割と好きなのだがね」
この男の『好き』は…一体どのベクトルに向いているのか、定かでは無い。
「さあ、杯を交わそうか…功刀君?」
ふと見上げれば、辺りは薄闇。狐火が、取り囲む中で…俺はライドウに先導される様に火の道を歩く羽目に。赤い道が揺れる。俺の脚も揺れる。
「ほら、おいで」
強制的に歩まされるバージンロード。
「おい!ふざけるな!!俺は男なんだぞ!誰が男と婚約なんか…っ」
誰も、何も反応しない。
「あ、悪魔だぞ!?俺は…悪魔ッ……おかしい、おかしいだろうがっ…」
自ら吐く台詞すら腹立たしい。
「ざけんな!!狂ってるッ!!人間のくせに…人間の…っ…」
悔しい…何故、この人達は、人間なのに…そんな悪魔の所業を自らするのだろう…
それなら、俺にその特権を…譲れよ。
人間、くれよ。
「っく………俺…は…」
滲む嗚咽を即座に掻き消して、思う。ただの、高校生だったのに。受胎なんか、俺の所為ですら無かった。好きで、この男の望む半人半魔に生った訳じゃ無いのに。
「…嫌だ……」
数段の階段を上がった、その社の暗がりが怖い。
「イヤだ、いやだ、嫌だこんなの!俺はなぁっ…母さんの面倒看(み)てくれる女性を娶(めと)って!平凡に暮らすって決めてたんだよッ!!それを悪魔にされて、その上娶られろって!?この人でなしがッ!!」
一息にまくし立てる。が、無視されて、眼の前で杯が用意されていく。
…俺をその毒で殺すんだな?知っている、ソレを呑んだ瞬間、俺は俺で無くなる。
契りを交わして、この身体の示す通り…男で無くなってしまうんだ。
「同じ杯を酌み交わし、再契約しようか…」
傍のライドウは、俺の叫びを耳に入れていたのだろうか?ずっと、俺は全ての意見を捨てられていた。この里に入ってから、男の俺は居ない事になってるのか。
「フフ…では僕から」
装束から受け取った、お神酒の様なそれを形の良い唇に沿わせ、すぃ、と呑むライドウ。大酒呑みのこの男が満足する筈も無いその量。だが、口は哂っている。
理解したく無い、恐らく悦っているからだ、この婚儀に。
「では功刀君」
そのまま俺に差し出される、朱塗りの杯。たゆたう無色透明の毒が、終わりを告げようと、俺に呑まれるを待つ。
「呑み給え」
黙るままの俺に、少し語気を強くして再度差し出されるそれ。俺は、ライドウの眼を捉えた。この、金の眼で睨む。憎悪と侮蔑を最大限に込めて、お前を眼球に映す。
「…マガタマが呑めて、これは呑めない?」
フ、と溜息を吐くライドウ。その顔は…愉しげに歪んだ。
その表情に俺は反射的に後ずさった。もう、今までがそうさせた…身体に染み付いた反射、だった。そんな俺を見下して、ライドウは唱える。
「いつもみたいに、此処から欲しい?」
周囲に丸聞こえの通る美声が、俺を凍らせた。瞬間、空いた片手で顎を掴まれる。
「ひぐッ」
「いつも通りに呑み下せば良いよ…フフフッ」
云いながらライドウは、もう片手にした杯をぐい、と自らの口に注いだ。
その際にも、横目に俺を捕らえている。その眼が嗤っていて、俺は予感に跳ね除けようと肩を張った。
「や…」
やめろ、と云うつもりだった言葉は露と消えた。
そのまま…合わせられた唇が、隙間を塞ぐ。身長の差で、押さえ込まれる。
「ん…ぅ…」
熱い液体が、口移しで注がれる。溶け込んだライドウの魔力が、身体を潤す。
その感覚に喜ぶこの悪魔の肉体が、疎ましい。汚らわしい、悪魔の身体。
「んっ、んんっ、ッ…」
喉が嚥下を示しても、口内で舐り続ける舌。歯を撫ぜて、上顎を舌先でそろそろと辿ったかと思えばくちゅう、と音を立て吸ったりして、明らかに愉しんでいる。
俺が履く、下駄の爪先がきゅ、と雪を鳴らした。
「んんっ!ん〜っ!!」
喉奥まで蛇みたいに長い舌で、塞がれて、MAG(マグネタイト)を呑まされる。唇の端から零れて垂れる液体が、互いの顎を伝って下に落ちる。俺の下駄の紅い爪皮に当たって、ぽつり、と音を立てた。いつもより、もしかしたら今までで一番、長く捕らえられている。 呼吸どころか、MAGで胎が破裂しそうな程、熱い。
束縛される両手で、押し退けるが空になった杯を背後に放ったライドウは、その手で俺を掻き抱いた。その行為にぞくりとする。あまりにそれは、欲求めいていて、俺を更に恐怖に陥れた。これがはたして抱擁なのか、疑心しか生じない。
(本当に、俺を喰らう気…なのか)
使役の契約なんかより、如実に発露されるそれ。俺を求めるその欲が酷く怖い…
もう、息はとっくに途絶えて久しい。封じられている両手首から、だらりと垂れて。
俺は必死に、ふるふるとさせていた首をがくりとさせた。意識が飛びそうになった瞬間、項に回された手が角隠しに滑り込む。ギリリ、と突起に爪を立てられる。
「んぶぅッ!?ぐぅッ〜!!」
覚醒した。と、ほぼ同時に、唇が離れていった。舞い込む空気に、一瞬視界が白む。
周囲の視線が、俺達に注がれている…酷い羞恥に、俺は俯かせた顔を上げたく無い。
「はぁっ、はぁっ、はぁ…」
背中を滑り落ちて、回されていた腕が横を抜けていった。
息も絶え絶えの俺を嘲笑う様に、ライドウは舌舐めずりをした。
「MAGはこの後を考えて、お情けで流してやった…感謝するんだな」
ククク、と愉しそうに、息すら乱さず俺に告げた。
「この…後…?」
「そう…この後、改めてお披露目するからね…中の間で」
お披露目だって…?何…がある、其処に。
「この里の偉〜い偉〜い御上(おかみ)方に、君をお披露目しなくてはならぬから」
「お…」
云い掛けて、俺は停止した。ライドウの切れ長な眼が、それを云う瞬間、酷く冷たくなったから。従属する悪魔の俺は、腹立たしいがそれに敏感だ。
いや、この関係の前から…ボルテクスから何となく察知は出来ていたが。葛葉ライドウの、機嫌の悪い時の気配。こういう時のこの男は、悪魔以上に悪魔だ。何をし出すか分からない…
「さあ、里回りは此処で終了…中に入ろうか?功刀君」
その社にずけずけと乗り入れるライドウ。板の目が変わる所で、その下駄を足先から捨て去る。手綱に引かれるままの俺は、ライドウに一瞥くれる。その眼は同じ行動を俺に求めている。
「…ちっ」
俺は行儀も悪く舌打ちをしてみせ、下駄を脱いだ。
そういえば、いつの間にやら履かされている足袋。白に同色織りで、美しい刺繍が施されている。思えば、この着物こそ白無垢というやつではないだろうか。
(人の事、着せ替え人形みたいに)
苛(いら)っとして、下駄を床に叩き付ける様に床に置く。
「婚前に苛立つ女神というのは、寓話でも無かったのか」
クク、と哂うライドウがそんな俺を見て云う。
睨んで、手綱に引かれる前に脚を差し出す。遠方に見える扉まで、結構距離がある。
長い廊下を、俺は無心で歩こうと意識していたが。そもそもその意識の仕方が、無心で無いではないか。
(俺は大丈夫)
(何があっても、身体が女のソレなだけ)
(こんな儀式は、この連中のお遊び…上辺だけのものだ)
震えが、赤い紐を伝ってこのサマナーに知られないか。それがとにかく、俺は不安だった。と…ライドウが道程でふと、口を開いた。
「遅いぞ、メルコム」
急なその声は、俺に向けられるものでは無い。
はっとして意識を切り替える。悪魔の気配…二つする。
『いや〜そりゃ無いですよライドウ様ぁ』
トッ、と音が前方から響いた。具現化した悪魔二体が、俺達の前に露わになる。
片方は、見知ったヨシツネ。肩に獲物をトントンと遊ばせて、少したるそうに横目に悪魔を見る彼。
『きっちり回収するのに、どれだけ飛び回ったと思っているのですか!』
叫ぶ悪魔は、首からがま口財布を下げた、なんとも妙な格好である。
しっかり着込んだその背から、申し訳なさげに蝙蝠羽が出ている。
「不可能な命令は下さないが」
『いえ…まぁ、そりゃ可能っちゃ可能だったんですけど…』
「用心棒だって付けた、円滑に進んだろう?」
そのライドウの言葉に、メルコムと呼ばれた悪魔の傍から笑い声。
『ぉおぃ旦那、俺は恐喝係かよ』
ケラケラと笑うヨシツネが、納刀してから此方に視線を向けた。眼が合って、思わず俺は逸らす。
『…人修羅?』
その疑問に俺は返答する訳も無い。
『どうしたいこれまた…随分めかしこんでんじゃねぇかい』
「…」
『ってか旦那も…なんか、婚姻の契りみてぇな成りして』
その単語に俺は過剰反応する。
「黙れ、俺に関する言(こと)はもうこの場で発するな…」
ぼそぼそと恨み節の様に、ヨシツネに云う俺。それに対して彼は、別に傷つく様子も怒れる様子も見せず
『相変わらず悪魔にゃ冷てぇのな』
さらっと云って、ライドウに視線を戻していた。
ライドウはメルコムからトランクを受け取っている。先刻床を鳴らしたのは、その荷が置かれた際のだろう。
『ライドウ様、祝いの席だったんですか?これまた可愛らしいお嫁さ―…』
初対面のメルコムを、俺はギロリと鋭く睨んだ。
制止された彼は、俺を見るままゴクリと喉を鳴らした。
「先刻の俺の言葉、聴いてました…?」
『…ぁ、いえ』
「言葉は選んで下さい、ぶっとばされたくなければ」
溜息と共にそう告げれば、メルコムは言葉をそのまま嚥下した。
対面しているライドウが、そのメルコムを見て苦笑した。
「フフ、功刀君…終わりきらぬ月経で苛立つのも解るが…」
「違ぇよ!!」
「この二人には後々感謝する事になるだろう…そう噛み付くな」
荷を受け取ったライドウの、その何か示唆する台詞…その荷の中身を気にしつつ、俺は後に続くしか無かった。
ライドウの腰帯に挿さる管へと、戻っていった彼等。そんな処に挿していたのか、と少し驚きつつ、冷たい廊下を渡り終えた。


天井も高い広間。部屋の隅に薄暗く輝く灯篭。向こうまで続く長い空間。
入った瞬間、後ろ手に荷を降ろしたライドウ。二歩進んで、跪いた。
そんなつもりは無い俺だったので、赤い紐が宙に揺れる。しかし、引かれないので、ライドウは俺にその仕草を強制はしない様だ。祝いと無関係、とでも云いたげな黒い装束の数名が、奥に連なるようにして鎮座していた。
「十四代目、此度(このたび)はまっこと、目出度き事」
口元がそう紡いで、ライドウに云った。外の装束より、幾らか豪奢なそれを纏う彼等。ライドウは面をそのままに、短く返事した。
「それがあの人修羅かえ?」
別の声に、少しどきりとしてそちらを見た。
「はい、今宵自分が娶った半人半魔に御座います」
迷い無く云ってのける傍のデビルサマナー…
「解っておろう、さっさと此方に寄越さんかえ」
装束の声に、俺は鼓動が跳ねた。
(寄越す?何を…)
すると、立ち上がったライドウが手元で何かをする。指先の動きを見ると、印を結んでいた。途端、俺の手首に圧がかかる。ライドウの持っていた赤い紐は、ライドウの指から離れた。
「な…にして」
俺の不安に揺らぐ声は、その紐の動きに掻き消された。強い力で引っ張られていく身体。綺麗に磨かれているのか、その光る板の上を掃除する様に滑っていく俺。
「ぁ…っく…」
程無くして止まり、床に横たわるまま視線を周囲に流す。ライドウの先刻まで掴んでいた先端は、吊り灯篭に囲まれる天井に伸びていた。
上から感じる微かな魔力に、そういう仕掛けのある部屋だ、と理解した。
「もっと上げんか!ゴズキ!」
その装束の叫びに、俺の手首が絞めつけられる。
「いッ…」
ぎりぎりとそのまま吊るされ揺れる俺。
意外と解けば長い紐は、この空間のどこかから悪魔に操作されている。
「そう、その辺だ…もう良い、出て参れ」
装束の声の後、のそりと装束の隙間から見える巨体が二つ。
きっと、ゴズキとメズキだろう…
「さて十四代目…この悪魔、男で無くなった理由は如何に?」
俺を取り囲む装束の一人が、ライドウに矛先を向けた。
「ソロモン悪魔の一人から呪術を被りまして、その成りに」
抑揚も無い冷静な声で、淡々と述べるあの男。それに何となく腹が立つが、今はそれどころでは無い…
「しかし…本当におなごか?随分と貧相な肉付きだが…」
「ひっ」
先刻ゴズキに命令していた装束が、突然俺の衿を開く。襦袢ごとずらされた為、一気に外気に晒される。その冷たさと裏腹に、頭には血が上った。
「こ…の変態ッ!!」
裾を気にせず、片脚を振り子の様にして鋭く振り抜く。警戒していなかったのか、その装束は俺の爪先を綺麗に喰らった。
飛んで行った先で転がるその装束。そいつの傍に立つライドウが、その姿を見下ろしていた。無表情に、嘲りも同情も無い眼だ。
「やい…どういう躾をしておる…十四代目…」
呻きつつ立ち上がるその装束が、忌々しくライドウを糾弾(きゅうだん)する。
「大変申し訳ありませぬ、御転婆で、今は気も立っております故」
するするとそう語り、その装束に頭を下げるライドウ。あの男が謝罪する姿は気味が悪い。それの原因が俺だと、更にムカムカする。
「まるで少年のままでは無いか、この申し訳程度のふくらみ…」
「おいおい、それが甘味だろうが」
「本当に角が生えておるわ…はは」
角隠しも退けられ、首筋がすうすうとした。
「おまけにこの斑紋…少々薄気味悪い」
「そうか?これはこれでなかなか良い、肢体を飾る妖しい紋よの」
全方位から俺に刺さる視線と笑い声。
(まるで見世物じゃないかよ)
拳に力が入る、身体が戦慄いた。
「ふざけるな!!貴方達は何がしたいんだ…っ」
俺の叫びに、いっそう啼く烏達。
「この里に強い魔物が居れば…なかなかに有益な事」
「それも、あの十四代目と番いになるのだ」
「我々にとって、縛る理由がまたひとつ増えるは良き事」
口々に発される言葉は、どれもライドウが反吐を吐きそうな内容。
なのに、何故ライドウは…俺と婚姻を契った?この里で。
「まあ、そう怒れるな、人修羅よ…」
「繋がれる方が楽と知れ」
突如、首筋にくちゅり、と湿った音。
「っひ!?」
全身を駆け抜ける悪寒に、耳から入った音が追撃してくる感覚。項を舐められたと認識して、背後に向かって脚を入れる。それは避けられたが、避けてよろめいた装束が背後の者にぶつかる。
「本当にじゃじゃ馬だな!」
「弱体化しているのでは無かったのか?」
ぎゃあぎゃあと喚きたてる装束等に向かって、入口に佇むライドウが静かに云う。
「今のは悪魔で無くとも、蹴りに動くと思いまするが…」
その声音と内容に、少し嘲笑めいた含みを感じる。
明らかに、ライドウも苛立っている。
あの男が、こういった輩にそれを露呈する事は珍しいのに。
(なら、助けろよ)
その矛盾に、俺は更に暴れる。
「やい、埒があかぬ」
「ゴズキ!メズキ!突っ立って無いで来ぬか!!」
その号令に俺は身体を強張らせた。のそり、と牛鬼と馬鬼が灯篭の灯に翳りを作る。
「蹴れぬようにしてやれ」
端的に述べられた次の号令。それに血の気が引いた俺は、無意識に脚をよじった。
持った得物を大きく振り被るゴズキ。背後にメズキが居る、恐らく同じ動きをする。
「ああ、切断はするな」
「達磨も一興だが、流石にそれでは十四代目が可哀想だからな…」
装束達の二言で、悪魔達が得物の角度を変えた影が見えた。
『『いちぃ』』更に振り被られる『『にぃのォ』』天辺で止まり、軌道は俺の脚。
『『そうっ!!』』
「やめ―…」
前と後ろから、得物の峰が打ち付けられる。ごりゅごりゅ、と、中で砕ける音。
筋肉がぶつぶつと千切れて、赤い液体と混ざる感触。
捩れ避けた所から、白く骨が突き出ていった。
「―ッあぁ!!」
生理的な汗と涙が、薄く滲んだ。酷い痛みに、吐き気がした。
これなら、鋭利なライドウの刀の方がマシだ。
「ほう、まだ啼かぬか…」
「気位の高い奴は痛みより恥に弱いだろうて…」
ボタボタと、俺の爪先から煩く滴る血。白無垢はもう名前を裏切っている。
「さあ、この位にして…」
「喰らおうか?」
痛みに息を浅く吐いていた俺は、喉を詰まらせる。
(喰らう…だって…何、意味が解らない…)
「まず誰からいく?」
「こやつ、半分は悪魔だろう?わたしは…少し遠慮したいな」
「良いでは無いか、悪魔!淫靡な連中が多い」
「まぁ、此処の十四代目程のはなかなかおらぬが」
その台詞に、一同が袖で口元を覆ってくつくつ嗤い立てる。
(…説明しろよ…ライドウ…)
ゆらりと、視線をライドウに投げた。ライドウは無表情に俺を眺めている。普段の執着は何処に霧散した?と怒れる程の平静さだ。
「人修羅の肉だろう?逆に喰われはしまいか?魔力の坩堝に」
「今は女体だ、受け入れるだろうて」
「なんでしたら、悪魔に最初通させてみましょうかねぇ」
「おぉ!そりゃあ愉しげな!で、誰の悪魔にしようか?」
「わたしのは人型がおらぬが…」
「ふひひっ…獣でも問題無いだろう?どうせ肉は治癒する」
「ほぉ、では処女膜も戻る訳か?好都合な身体だなそれは」
ようやく何の算段か、理解した俺は吼えた。
「このキ○ガイ集団!!」
咆哮に、高い天井の灯篭が揺れた。装束の布の隙間、口元達が歪む。
「魔力の溜まる胎、存分に堪能させてもらおうかな人修羅…」
伸ばされてくる指。自分より幾ばくか上の男達。脳内に場面が過ぎる。
「や…め…」
潔癖を馬鹿にされて、触られた場面。電車の端で、尻を撫ぜられた場面。
ボルテクスで狂ったヒジリに押し倒された場面。
怖い…怖いんだ!俺を殺いでいく欲望達が…!
「やめて!やめてくれッ…本当にっ、お願いだからァああ!!」
おぞましい指先が、俺の頬に触れそうなその瞬間。
「お待ち下さいませ、御上様」
少しだけ低めの、凛とした声が通っていく。ぴたり、と空気が制止させられて、ライドウに視線が向かった。
「それ以上は、自分が買います」
そう云って、後ろから持ち上げる様にして荷を掲げる。先刻の、悪魔から受け取っていたトランクだった。それの金具をパチリと解錠して、俺達の方へと放った。
膨れた箱型のそれは、勢い良く板の間の上で口を開いた。数枚、はらりと舞った。
「な、これはどうした…」
開いた口が塞がらない様子の装束達。俺は放心して、それを見ていた。トランクには、隙間なく札束が詰まっている。正確な額は判らないが、おそらく大金なのだ。
「十四代目、何をしてこの様な…」
「我々に通さぬ機密依頼でも受けおったか?え?」
額が信じられないのか、糾弾されるライドウ。それをかわす様に、つらつらと返す。
「各地方と異界で、悪魔に金貸しをしておりまして」
唖然とする、その答え。
「小遣いから勝手に増やした、はした金ですが…」
薄く、哂った。
「それで、人修羅の初夜権…買い受けます」
悪魔達から悪魔を買う悪魔の図。俺の意思など無視して、進んでいく取引。
装束達がざわめく。
「確かに、提示額をはるか上回ってはいる様子だな…」
「まさか!初夜権如きに大枚はたくとは」
「処女膜は再生されると、先程話にも出たろうが、馬鹿め…ふひひ」
「一生かけても凡人には稼げぬ金で、形無きものを買うか…」
ざわりとする、この事実。俺の初夜…の、権利…?の事を云っているのか?まさか。
(馬鹿…だろ、俺は…だって…男なのに―…)
開いた衿から覗く、息づく胸は硬さが無い。
(そもそも…もう契約の時、ライドウは俺を…)
思い出してぞくりとする、あのカルパの場面。だがそれは…先刻フラッシュバックした忌まわしい場面の中に、何故か無かった。
「既に虜の様だな…十四代目は…ふはは」
馬鹿にしてくる、下卑た笑い声が残響する。ライドウと、眼が合った。
深い夜の瞳がそこに在った。


「ぅ…」
「お目覚め?」
その声に跳ね起きる。が、すぐに突っ伏した。脚に巻かれる布を見て思いだす。
今、この両脚は役立たずだ。
「脚…っ、あんたがもっと早く、金出してればこんな事には…」
気を失っている間に、また運ばれていたのか…奥歯を噛み締めて、睨みつける。
あの場で窮地から脱したのは、この男のお陰と解っていても…それは冷静に考えれば、権利が移行しただけに過ぎない。ライドウは布団に這う俺を、立ったまま見下ろして…唇を吊り上げた。
「フフ…だって、脚、利かぬ方が好都合だから」
格子窓から射す光は、消えた。月光すら殺す帳が、俺の心を塗り潰す。
深い闇が、眼の前に立っている…
「ねえ、気付いていた?白無垢の下の襦袢…」
「なに、がっ…」
「経帷子(きょうかたびら)だよ」
はっとして記憶を辿る。もう違う物を着せられていたが…思えば、衿の合わせが逆だった、気がする…
「ククッ…あれはね…君の葬列だったのだよ…功刀君」
本当に…まさか、そうだった、のか…
「そういえば…君にしょっちゅう探偵事務所で云われていたな…」
這う俺の肩を掴んで、押し倒す。痛みに引き攣り、俺は唇を開き声も無く喘ぐ。
「しっかり食む前には云えと、ね?功刀君…」
契約の時の眼。戦いの際の滾る光すら宿した双眸。
ライドウの眼に、俺の金色のそれが映り込んだ。
「いただきます」
男の俺は弔われ、女の俺が娶られた。
それすら、この男にとっては…どうでも良いのだと、思う。このデビルサマナーが喰らいたいのは、俺の魂なのだ。あの契約の刻から…もう、解っていたのに…
もう逃げ場なんて、無いと。


帳下りて誰殺がれて・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
誰殺がれて(たそがれて)と読ませます。
初夜権を大金で買うライドウ、を、書きたかったのです。
ライドウに高利貸しの疑いあり、取立てはヨシツネと行きます。
ヤタガラスの御上達を書くのが一番愉しい。
何気に痛いシーンもキスシーンも入っていて
バランス良い話かもしれません。

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