斬り裂く姿は悪鬼羅刹。
黒袖を濡れ羽の色に、艶やかに光らせて。
流れる血さえ化粧と塗り込めて。
その怒りは何処から来るのだ。
何処より生じたのだ。
粛清の仮面で、斬り捨てる水底の想い。
そう…狐の化身は気高いのだ。
そう在らねば、ならぬのだ。

    『悪魔草紙〜未記名〜』原稿用紙覚え書きより




帳下りて鬼哭啾啾




「なんだよ、その格好」
喪服を思わせる黒い着物に身を包んだライドウ。学帽の代わりに、狐の面をして俺を見た。顔が隠れているのに、哂っているのが分かる。
「さあ、出立だ」
着物の上から外套を羽織り、誘う。縄の様な物には、俺は今回繋がれていない。
ライドウの履く赤い爪皮の高下駄が、雪の上で歩く度に目立つ。里の入口に、数名の装束が並んでいた。もう話は通してあるのか、ライドウが通過すると、皆頭を下げる。まるでドミノ倒しみたいだ、とぼんやり思った。


結構歩いて里の篝火すら見えなくなった頃、ようやくライドウが口を開いた。
「何処に向かっているか、分かっているかい?」
その声は、もう俺が分かっている事を知っている。
「…俺を攫った里」
「その通り、流石に鈍い君でも分かっているか」
白々しいのは、この男にはよくある事。前方を歩くその脚に、迷いは無い。
「なあ、ゴウトさんは?」
「煩そうなのでね…今回は、本当に置いてきたよ」
「煩いって、あんた…仮にもお目付け役なんだろ?ゴウトさんって」
「三本松に頼んである」
その言葉に、耳を疑った。ライドウの敬遠する、あの…里主に。
「あんた…これから…何しに、行くんだ…?」
俺の声は、少し震えていた。振り返ったライドウの顔が、狐面に阻まれて見えない。
それがどれだけ幸いだったのか、俺は気付けずにいた。
「僕等は凹凸(おうとつ)という隠語で呼んでいるがね、互いの里を」
再び歩き出すライドウが、そう呟いた。
「はぁ?」
「僕等の里は凸、彼女等の里は凹……」
クク、と肩を揺らすライドウの背を見て、ようやく解った。
「最低だな……下品集団」
吐き捨てれば、ライドウがあはは、と声に出して哂った。
「合致する身体を持ち合わせるのだから…間違ってはいないだろう?」
「自分達の事、どういう眼で見ているんだ、あんた等ってさ…」
「合体素材さ」
云い切るライドウに、怒りと……やるせなさを感じた。


白い平原の、何を目印に歩いているのだろうか。俺には壁の無い迷宮に見える。
その雪原を、ライドウについて歩んで往けば…
「ほら、御覧…功刀君」
微かに吹雪く白い風花に紛れて、遠方に見える人里。陽炎の様に揺らいで見える。
俺の動悸は、重苦しくなった。意識も朦朧とする中運ばれたのに、空気が身体を反応させている。ああ、あの里だ。
「君は黙って眺めておいで…」
ライドウの云い付けに、違和感を覚え突っ掛かる。
「待てよ…俺の力、やっぱりみくびってるのか?」
「女人しか居ないのだよ?君が似非(えせ)フェミニストな事は承知している」
云われてみればその通りなのだが…普段のライドウは、寧ろそんな中に俺を放って愉しむ。
それが…どうしたんだ。怪訝な眼を向けようが、さらりとかわされる。
なんだろうか、今朝からそうだ。この、有無を云わせない空気。
いつものライドウに具わるそれが、今日は酷く匂い立つ。


里の門に近付くと、烏が数羽、羽ばたいた。
「これは…十四代目に御座いますか?」
顔を避けて頭巾を巻いた装束が数名、即座に集う。
烏は此処の見張りだったのだろうか。
「本里より立ち参った…葛葉がライドウ十四代目」
狐面を見て、装束達は眼を見開いている。その中の一人が、内部の方へと駆け出した。残された二人は、やや間があってから口を開く。
「じゅ、十四代目……しかしながら、其方から此処へは干渉出来ぬ掟」
「そうで御座います、門を潜れば直ちにその御身、制約を受けましょう」
どういう意味だろうか…そして彼女等が俺をチラチラ見ている。
それにも胸を掻き毟(むし)られる思いだった。
「門は心配無用」
すっぱりと云うライドウ。
「女性の花畑を無闇に荒らされぬ様にと…配慮の上での、掟と術だったが…」
静かに歩み寄って行く…その背中を、俺はただ息を呑んで見つめる。
「今の僕には関係無い」
門を潜るライドウ。装束達は驚愕して、後ずさった。
「男の身体では鉛(なまり)の様にしか動けぬこの里も…この身体なら水の中の魚」
外套を翻して、管に手を掛ける後姿が見える。
「ライドウッ」
置いていかれるのが、この里の領域では恐怖で…思わず俺も門を潜る。
「十四代目!!御免ッ」
対面している装束が、跳躍と同時に何かを胸元から突き出した。その何かが陽の光を反射して、俺の心臓が跳ね上がる。
そんな物に負ける男な筈が無い、と解っているのに。脚に力を入れ、その装束より速く駆け寄った。
「功刀君」
俺の薙いだ爪の一閃を、刀で受け止めたライドウ。同時に、装束の暗器すら受け止めて。眉ひとつ動かさずに、俺と装束を振り払った。
「僕にやらせてよ」
狐面が哂った。
「あぎゃぁああああっ」
装束の悲鳴は、間違い無く女性のそれ。振り払った…じゃなかったんだ。
俺は振り払われていたが。装束は斬られていた。
白い雪に暗器がぼとりと落ちた。指と一緒に。
「折角準備して来たのだからさぁ」
もう一人の装束を挑発するかの様に、外套を肩に捲り掛けたライドウ。
「お…い」
どうして?どうしてこいつが。
「おいライドウ!!手前ッ!!」
薙いだ爪を握り拳に変えて、俺は叫ばずにはいられなかった。
「シトリの奴っ!!その管の中に居るんだろッ!?なぁおいっ!!」
ライドウの胸は、膨らんでいた。着物の裾から覗く脚は、綺麗な曲線。
女性の身体。
「功刀君、シトリは僕の支配下にあるのだから…寧ろ安堵したらどうだ?」
激昂して掴みかかろうとした俺は、見事に胎に蹴りを入れられ吹っ飛んだ。
「……っぐ、ぅううっ」
高下駄が骨を軋ませて、雪の上で転げて呻く。
「まさかこの様な形で、自身に使うとは思わなんだが…ねぇ?」
黒い着物をなびかせて、逃げていく装束を追うライドウ。
裾から出る白い脚が、いつも見る学生服のスラックスより艶かしい。
「ま…てよ、っ」
起き上がり、それを見失わまいと追従した。開けた場所に出ると、一番大きな邸の前にライドウが立っていた。向かい合わせて、装束が…それなりの数。
「十四代目、どの様なご用件で?」
先頭に立つのは、あの女性サマナーだった。
「残念ながら…同性と戯れる趣は持ち合わせておりませぬの、貴方様と違って」
その台詞、嫌味だと解る。
「僕とて、抱くなら異性が良いさ…しかし此度は、里の責務を負って参った」
刀から垂れる血を、狐の頬にぐい、と指で塗り込めたライドウ。黒い袖を烏の翼みたくひと振るいして、声を張り上げた。
「十四代目葛葉ライドウ、御里(おんさと)、粛清致す」
その声が空気を一瞬にして変えた。
全員が、管を指に引き抜く。氾濫するMAGの光に、眼がやられそうになる。
瞼を上げれば、既に悪魔が飛び交う戦場と化していた。

ライドウはアルラウネと共に、襲い来る悪魔を斬り抜けて往く。
『ライドウッ、どうしたのよ!今日は随分色っぽいじゃない!』
薔薇と血の赤を舞わせて、アルラウネが愉しそうに云う。近くのショウテンの鼻を斬り削いだライドウが、その断面に蹴りを入れる。
「それはどうも、お前より綺麗でも妬かないでくれ給えよ?」
『もう、最っ低ライドウったら!!ンフフッ』
下駄に付いた血を雪でざりり、と拭って、背後に跳ぶ。相手の焔が雪を溶かし、蒸発させる。その音と霧に、ライドウは刀を向けて命ずる。
「アルラウネ!寄せろ!」
しなを作ったアルラウネが、妖艶な笑みで茨(いばら)蔦(づた)を鞭の如く伸ばした。
濛々(もうもう)とする煙の中から、ムスッペルを引きずり出す。あの面でどう視ているのだろうか、そんな疑問すらどうでも良くなる。
「御苦労」
一気に引き抜かれた反動で宙を舞うその悪魔を、跳んだライドウが一閃する。
その剣撃で弾む肉を蹴って、再度飛び上がり、また斬った。
「次」
斬り落とした残骸を蹴り掃い、サマナー達に云った。矢継ぎ早に召喚されていく悪魔達が大地を赤く染めていく。
「次!」
怒号に変わるライドウの声。アルラウネに伸ばさせた蔦で、ぐい、とその脚に絡むジョロウグモを縛る。その首から、介錯するかの様に一太刀。噴き上がる体液に袖を濡らして、刀を素振って露を掃う。
「次!もう居ないのかい?次だよ…!」
少し開いて、谷間さえ見える胸元を、さして上下もさせずに居る姿。
狐面が赤く化粧直ししていた。
「…流石、ですわ」
空の管を持って震える装束達の前で、あの女性サマナーが呟く。
と瞬間…俺を見る。
「!!」
咄嗟に避けたが、着物の裾が雪に縫い止められていた。俺はがくりと白に伏して、振り返ればオオクニヌシが見下ろしてきている。
『小娘、主人の足手纏いになるのは頂けぬな』
ニィ、と嗤って、縫い止める小太刀を足先で固定し、剣を振り上げた悪魔。
腕でも良いから受け止めようと、俺は歯を食い縛り頭を庇った。
『頂けぬのは御前様で御座いますわ』
頭上を熱が通過していく。ハッとして腕を下ろせば、焔を振り払うオオクニヌシ。
『矢代さ…奥様、お怪我は御座いませんか?』
云い直す律儀な女神が、俺の裾の小太刀をぐい、と引き抜いた。
「パールヴァティ…!」
『状況を見て出んと、隠し身をしておりました、驚かせて申し訳ありません』
ベールを上げて一礼すると、口元をにっこりさせて腕を翳した。
『女人に手を上げるとは、殿方の風上にも置けませぬわね』
焦げるオオクニヌシが返す。
『あの十四代目の悪魔が云えた事か!』
『あら、あの御方は良いのですわ、邪魔だてする者を斬るのみですから』
決して善行とは思えないその内容を言い訳にして、女神が焔と舞う。
『此処に入る際には掟も護りましたし?』
燃えるオオクニヌシを見て、微笑みながら指先をふうっ、と吹いた。
『立派な御主人様ですわ、ね?奥様?』
にっこりと俺を見て、同意を求めてくるその妙な空気感。
「…よく、ついていけますよね」
それだけようやく云って、俺はライドウの方へと意識を戻した。

「もう居ないのか…随分と呆気無いものだね」
背後にアルラウネを従えて、濡れる小袖で腕組みするライドウ。
オオクニヌシで俺を仕留めれなかった、あの女性サマナーが叫ぶ。
「貴方様がいけないのです!!この里の存在意義を破壊する様な愚行!」
「あれを娶った事が?」
俺をチラリ、と面越しに見て、ライドウが云う。
「烏の意向は汲んでいるつもりだが?」
「どういう、事です?」
「強者と合体を義務付けられたこの僕が選んだ、猛き者だ」
「半分は悪魔ですわ!おまけに本当は女性ですら無いのでしょう!?」
ヒステリックな糾弾に、俺は心がキンと冷える。
(そんな事、俺だって異質だと知っている)
だから、そんな声高に叫ばないでくれ。
「…だからどうした」
ライドウの呟きに、周囲の息が潜まった。首を少し傾げて、続ける狐面。
「それは、僕の妻を姦する理由になるのか?」
鼓動が跳ね上がる。熱い。怒り…なのか、憎しみ…なのか。それとも…
「…オルトロスを出せ」
刀を向け、ライドウが云う。女性サマナーの顔が引き攣る。
「居ない?そんな嘘は吐かせぬよ」
その瞬間、アルラウネの蔦が彼女に絡みついた。締め上げると、喰い込む箇所の装束が色濃くなっていく。湧き出る血に、薔薇が咲き誇る。
「ああっ」
「姉御様」
周囲の装束が武器を手に躍り出る。
「動くな!」
一言、放ったライドウが脚から何かを引き抜く。一瞬見えたが、脚に巻く特殊なホルスターを装着していた。スラックスの上から巻いていたベルトは、今は素の腿に巻かれている。銃を、おまけに両手に携えて、左右開きに唱えたライドウ。
「面越しにだって捉える事が出来るぞ?汚らわしい羽の雌烏共め」
くつくつと哂って、くい、と銃を傾ける。
「啼いた順に撃ち落してあげる」
それを皮切りに、一斉に襲い掛かる彼女達。飛び出ようとした俺を、パールヴァティが止めた。順も何も、ほぼ一斉に飛び掛かられているじゃないか。
「ライド―…」
俺の声が、銃声で掻き消される。と、そう思っていたが…違った。
声を失った、というのが正解だった。あの男は、開いた両腕を閉じ往く間に…全員を撃ち終えていたのだ。
「こ、殺した…っ」
『いいえ、皆息は有りますわ』
即座、俺に返答したパールヴァティ、しかし俺にはそんな事、関係無かった。
此処に入ってから、ライドウの顔を見るのが怖ろしい。…ボルテクスの時の恐怖に似た感覚を思い出していた。あの、雪にばたばたと崩れ落ちた装束達の一人一人が…俺にすら見える。
「烏が啼くからか〜えろ」
硝煙を歌声で吹き消すライドウ。
「烏が啼くからか〜えろ」
ホルスターにすい、と納めて、アルラウネが緊縛するサマナーに歩み寄る。
「烏の号令、聞けぬ仔は…」
縛られる女性の顎を掴み、くい、と上げさせる。真正面から狐面と向き合わされるそのサマナー。真っ赤な面に、震えている。
「ひ、いっ」
「誰だい?お前かい?」
「ラ、ライドウ様」
「僕は確かに、十四代目葛葉ライドウだ…」
顎を離し、胸元の衿を正す。
「そうだねぇ、この謎掛けに答える事が出来たのなら、赦そうか」
愉しげな声の所為で、救いの糸らしきその言葉でさえ…俺の恐怖を誘う。
「な、なんなりと」
「フフ、僕と婚姻したかったお前ならば、簡単だろう?」
「お、お聞かせ願いますわ…!ライドウ様!」
きっと狐面の下で、狂喜に口を吊り上げている。
「僕の真名は?」
開けた口をそのままに、女性は止まった。
踊る様に黒袖を空に舞わすライドウは、ややあってから呟いた。
「時間切れ」
更に締め上げる蔦が、下の雪を鮮やかにする。
「あ!ああああぐっぐううぅぅ!!」
ぎりぎりと、音がこちらにまで伝わってくる。
「知る機会なぞ、普通にあった筈だろう?…雌烏の君よ」
女性の、締められて強調された胸元を、その指でやんわり揉んだライドウ。痛みの喘ぎが、微妙に甘い吐息を含み始めている。
それを聴くと妙な戦慄きが俺を支配して…背後の女神にそれを悟られまいと必死だった。
「ふ、ぁう」
「此処だったか?君の好い場所は」
「あっあ、あ〜っ!」
「ああ、御免、別の雌烏だったかな、この辺は」
滅茶苦茶な事を述べつつ、その胸元に手を突っ込み、弄るあいつ。
いい加減その嬌声が耳障りで、俺の項から突起にかけて魔脈が迸る。
恐怖すら超越したその焼け付く感情が、俺を叫ばせようとした。
「ほら、有ったろう」
ずる、と引き抜いた指先に管が握られている。ぜえぜえと息も絶え絶えの女性サマナーが、それを怨めしそうに見つめた。先端の輪に指を掛けて、MAGを流し込んでいるライドウ。
堰(せき)を切って溢れた中身は、オルトロスだった。戦闘態勢に入るその獣を、ライドウはじっと見つめる。
(殺すのか)
それが酷い、とは完全に思えない俺が居る。悪魔なんか嫌いだし、いくら命令とは云え…俺を犯したあの獣を。そのままあいつの手で葬ってくれたら、なんて考えて。
「フフ…さあ、来るがいい」
飛び掛るオルトロスを、ひらりとかわしたライドウ。曲芸みたく、寸前で、まるで戯れているかの如く。
「ほぅら、苦しいだろう?」
動きつつも、実に涼しい声音。
「お前の主人はもうMAGも薄い…薔薇と散ったからね」
アルラウネが吸い尽くしたのだろうか。
「欲しいか?もっと純度の高い、酒の様なMAGが…!」
次第に、ゆらゆらと動きを緩慢にしていくオルトロス。
(ああ、喰われたんだ)
解る、揺らぐ意識の中、強い力に誘われるあの感覚を、知っている。
『ガフ…ッ』
「ほら、お吸い?」
裾からするりと差し出したライドウは、綺麗な脚に刀を一閃させた。そこから滾々(こんこん)と湧き出る魔力に、オルトロスはむしゃぶりつく。舌がぬらりと傷口を抉っているのに、ライドウは肩を揺らすだけ。
「おいおい…せめて交互に順番決めて舐め給え…」
脚を舐められ、くすぐったそうに、どこか気持ち良さそうな声音。
その声が艶っぽいのは、女性の声帯だから、だろうか。普段と変わらない声なのに、何故かそう感じる程…だった。
「フフ……犬は誰が一番力を持っているのか見抜く、利口な生物だね」
オルトロスを従え、アルラウネが捕らえる女性に近付いて行く。そんなライドウに、女性は吐き捨てた。
「やはり貴方様は化け物狐です…わ、う、ふふっ」
「この面で思わなければ、節穴だな」
「く、う、ふふっ……しかし…いくら狐で、葛葉であっても…」
締まる茨に叛くかの様に、俺に聴こえんとしたかの様に叫んだ。
「あの人修羅に貴方様は捨て置かれ!独り逝くのですわ!!」
その恫喝は、どこか勝ち誇ったかの様な色さえ含んでいた。
「知っていますのよ!数多の悪魔を従える負荷に蝕まれている事位!」
黙って、聞くライドウ。
「だからこそ短命な貴方の種を得ようと、皆必死だったと云うのに!」
(なんだよ、それ)
死なれる前に、せめて種だけでも、という事だろうか。
俺が思うよりも前に、背を掴む女神の指が強張っていた。
「へぇ…それは知っていて、真名は知らぬと、そういう事か、成る程」
やがて呟いたライドウ。オルトロスの鬣(たてがみ)を撫ぜて、冷たい声で命令をした。
「お前の元の主人を犯せ」
茨をシュルシュルと手繰り寄せ、女性を雪に放ったアルラウネ。けし掛けられた獣が、そこに圧し掛かる。断末魔に近い悲鳴を上げながら、助けを求める女性。
俺は記憶が渦巻いて込み上げ、口を押さえた。背を女神にさすられる。
「まさか、人修羅が居るから…この手段は取らぬと思った?」
胎に埋め込まれ、ぐじゅぐじゅと抽挿をされる女性を見下し、云うあいつ。
「僕が誰なのか、知っているだろう…?」
その声が、俺を支配してきたのだ。ボルテクスからずっと。
「狐の化身、十四代目葛葉ライドウだ」
女性の身から引き抜いた管を、宙に放り投げ刀で両断する。
涎を垂らして舌を突き出す、呼吸もままならない彼女の眼前にそれ等が落ちた。
「情なぞ無い、頂点を得る為に破壊する、それだけさ」
狐の面で、その女性をしっかりと見て、愉悦に歪む声で…
「悪いねぇ、汚い坩堝なぞ提供してしまって」
横に立ち、腰を打つオルトロスの背を撫ぜつつライドウが謝罪している。
女性に、ではない。傍の獣に、だ。
「孕ませてはいけないよ?そうだね、顔にかけておやり、ククッ」
残酷…非道…
「そうしたら、もう戻る管も無い…好きに野良になるでもしたら良い」
オルトロスから離れ、歩み寄り、しゃがむ。
「ところで、間者(かんじゃ)は誰だい?」
ライドウは、倒れている装束の一人を掴み上げ、その耳元に囁く。
「し……知りませぬわ」
小さく零したその装束が、云い終わらぬ内に。
「誰かと訊いている」
容赦無くライドウは、取り出した銃を発砲させた。脚に撃ちこまれた鉛が、燃え上がる。あれは火炎の特殊弾だ…いつの間に…?一瞬で装填したのか。
焼ける脚をバタバタとさせて、悲鳴すら上がらない装束。
「ほら、名前を云い給えって」
「〜〜〜〜!!」
俺には聞き取れない名前をつらつら述べて、装束は呻き散らす。
「そう、有り難う」
確認が取れて満足したのか、ライドウは立ち上がり、下駄で雪を蹴る。燃える脚に雪をはらはらと振り掛け、酷く適当な処置で其処を後にした。俺を、そして見た。
「……っ」
自分でも情けない、微かな怯えの吐息。さくさくと雪を踏んで来るライドウ、その揺れる胸は、汗ばんですらいない。
「さあ、出ようか、功刀君」
『…奥様、大丈夫ですか?立てます?』
女神に引かれ、立ち上がる。俺は、よろめいて初めて気付いた。腰が抜けていた…人修羅の癖に。


黒い影が白い空を縫って舞い降りてくる。シトリを召喚し、男にすんなりと戻ったライドウが、その烏を腕に停まらせる。
「   」
何か呟き、それをまた空に放った。薄暗くなってきた空を、ライドウの分身の様な影が飛んで往く。
「後は凸側に処理させれば良い…粛清で下地は成らしたからね」
「…おい、俺も男に」
「駄目だよ」
狐面の向こうから、ぴしゃりと跳ね除ける声。
「未だ…戻る必要は無い」
「そんなの関係あるかっ!必要とか、そんなのあんたが勝手に決めてんだろ!?」
その外套の高衿を掴んで、俺は怒鳴った。
「あの雌烏が云った様に…そう長くないからね…まだ利用させてもらうよ」
「長く…ない…?」
なんだそれ。聞いてないぞ。
「ああ、強いのと契約するのに…過去、急(せ)いた所為でね…フフ、お似合いだろう?」
「…で、生きてる間は俺を利用、するってか…」
「だから、この蜜月なんか、泡沫の間さ…ねえ、矢代?」
利用、という単語が、俺を沸騰させる。想いが…先走る。
「だったら…!さっさと先に死ねよ!!」
さっきの恐怖を無理矢理、奥に押し込め腕を振り上げた。外套の下で刀の柄を掴むライドウの気配。
(いける)
戦闘の疲弊がほんの少し響いているのか、俺の方がやや早い。薙いだ爪。奴の血塗れの狐面を割った。
刀を振り上げたライドウの表情。
(え…っ)
それを覆う様に、この赤く視界が染まった。見事に肉まで断ったのは、あいつの方だった…
混濁する意識の中…狐面の割れた隙間から見えた表情が、瞼の裏に焼きついて離れない。
どうして、そんな辛そうな顔、してるんだ、あんた。
どこか斬られた?どこか折った?
きっとそうだろ?だから、そんな顔しているだけだろう? 
なあ…頼むから、そう云ってくれよ…お願いだから、そんな眼で見ないでくれ…
あの狐面みたく、哂っててくれたら良かったのに…
粛清するあんたの気配は、酷く狂喜に溢れていたのに…
そんな顔…出来る筈無いのに。
俺を置いて先に逝くあんたを、哂ってやりたかったのに。


帳下りて鬼哭啾啾・了


↓↓↓あとがき↓↓↓
オルトロスを殺さなかったのは、ある意味ライドウらしい。

back