「…………君を此方で見かけて、つい後を追ってしまった」
 長い沈黙が逡巡に思われたろうか。過去の事は割愛し、私は現在からを吐露し始めた。
「十四代目とはいえ、その……本当に書生の様で。しかし問題無く帝都守護に務めているであろう風情は……感じた」
「有難う、それで?」
 靴先で扱かれながら真面目に話すのは、どこか滑稽だ。十四代目の形だけの礼はとても冷ややかで、先程浴びせられた水よりも脳が冴えた。
「噂が気になった……君が、西洋人の男性と懇意にしているという」
「それを確認したところで如何する」
「分からない、分からないから確認したかった。そうして直接見た、君があのハンチング帽の西洋人と……遊び歩くところを」
「何か感動は有ったかね」
 胸元を探る十四代目。仲魔を入れ替えるか、もしくは複数召喚が得意な彼の事だから、追加で喚ぶのかと思った。そんな私の推測は的を外れ、彼が取り出したのは煙草の箱。敷島だな……と、目が勝手に読んだ。
「……正直、驚いた。君が…………笑っていたので」
「僕はいつも哂っているよ」
「里では見た事の無い笑い方をしていた、別物だ」
「そんなものかね」
 十四代目は続けて取り出した新世界のマッチを擦り、流れる動作で煙草に火を点けた。
「笑っていた事が、頭を離れなかった。君は……君は、紺野君、突出した能力者で、そして……努力家な事を、私は知っているんだ。里の連中が何と噂しようと、あんなものは只の妬みだよ」
「君は妬まなかったのかい、僕を」
「羨望は有った、だけど天地の差が有れば妬みようも無い、そんな事じゃない……そんな事じゃあ無いんだ」
「どんな事?」
 ググッと圧をかけられ、息が詰まる。破裂に対するささやかな身構えをと、強張った下肢がぎゅうっと引いた。
 十四代目はお構いなしに前傾し、私の顔にふうっと白い吐息を吹き掛けてきた。苦く、そして甘やかな、MAGの滲む毒霧だ。私は軽く咽たが、それ以上に雄が悲鳴をあげていた。このまま黙っていては危険な気がして、叫ぶ様に唱える。
「駄目だ駄目だっ、君は清廉潔白でなければならなかった!」
 一寸の間の後、十四代目の高笑いがこだました。あまりに可笑しいのか身を捩っており、雄への圧迫は分散してくれた。
「とっくにそんな身では無いが、四十八願君は何も知らないのかい?」
「君から寄ってはいけないんだ紺野君、自ら手を汚してはいけないんだ、君は狐でもなけりゃ取り憑かれてもいないのだから、奇行に走ってはいけないんだ」
「友人と遊ぶ事が奇行かね。それは四十八願君、君の方がよほど病的だよ」
「汚されても綺麗なままの君は、神性を纏っていた」
 目を背けていた心の片隅が、溢れんばかりの感情の渦となり、脳裏を掻き乱した。
 あの星降る空の下、宵待ち草の咲き乱れる中で、睡る姿のなんという美しさ。
 いくら汚しても、いくら汚しても、綺麗なままだ、だから大丈夫だった、それが。
「成程、ルイへの嫉妬というよりは、僕に対する固執らしい」
「弱みを握られているんじゃあないのか、君から媚を売る訳が無い、どうしてそうなってしまった」
「勝手な思い込みをされるのは御免だね……僕が〝犯されるばかりの聖者で、一切の性欲を持たぬ〟とでも?」
「そうだろう!」
 大きな声で肯定した瞬間、頭が真っ白になった。口の端から泡が零れ落ちる、身体は硬直したままだ。耳鳴りの狭間に、彼の声が途切れ途切れ聴こえた。
「君の視線は時折感じていたよ、候補生の頃からね。ただ眺めているだけの奴と思って居たが、まさか此処まで大胆な思い違いをしているとは、笑わせてくれる。直接云ってやろうか、僕はマスターベーションするよ、その君が見た西洋人ともセックスをする、それが何だと云うのかね。君の人生には何一つ関係無い、そしてデビルサマナーの能力を減衰させる事も無い。僕の中の穢れを認めたくないとは如何いう了見だ」
 思い切り蹴られたのだ、急所を。
「何様のつもりかと訊いている!」
 再び蹴られたらしいと知覚しながら、意識は其処でぷつんと途切れた──……




「何故あそこにもライドウが居るの?」
 特等席、とライドウに案内されたのは旅館二階。本来予約していた離れとは、別の部屋だった。
 その離れの一角……室内が、実はこの部屋から見えてしまうのである。
「ま、一番の特等席はあそこだよ。アレはね、僕に擬態させたヤタガラスの人間」
 広縁のソファに腰掛けたまま、ライドウはグラスの液体を飲み干した。彼にしては珍しく、明るい内から深酒している。フラストレーションが溜まっているらしい、この奇妙な情景も要因のひとつだろうか。
「君がさせたの?」
「そうさ、僕が脅迫した」
「脅迫かね、報復の恐れは無いの?」
「釘は刺してあるが、その時はその時」
 何が始まるのかと眺めていたが、問題の部屋にもう一名、誰か入って来た様だ。
 卓を挟んで、偽ライドウの向かいに着座した。黒い着物に羽織を纏っている、何となく察しはついた。
「ヤタガラスのお偉いさんかな」
「ご名答。僕が予約しておいたところを態と割り込んだ、無粋な奴さ」
「そうして君に逢おうとしていた、と」
「暗に〝出迎えよ〟と云っていたね。しかしこの度は面白い土産を置けたので……まあ良しとするよ、ククッ」
 黒着物の御上は会話も早々に、偽ライドウに這いずり寄っていた。流石偽物なだけあって、拒む素振りが真剣そのものだ。その姿がぼくにはとても新鮮で、なんとなく笑い声が零れた。
「あの偽物さんは、正体を明かさないのかね」
「彼は明かせないさ、色んな意味でね」
 新たに注いだアルコールを煽るライドウ、窓越しにチラリと離れを眺め、ククッと哂った。
 ぼくも離れに目を戻せば、既に偽ライドウは制服を剥かれていた。
「ほほう、手が早い。ところで、最中に擬態は解けないの?」
「当人次第かな。変質と幻惑の合わせ技だからね、MAGを消耗し続ければ維持は可能だよ」
「君の身代わり……という事? 結構な拒絶反応をしているから、もはや言動でばれるのも時間の問題と思うけれど」
「そりゃあ君、実の父親に襲われたら大体の男子は拒絶するだろうさ」
 ライドウが愉しそうな理由の、一番深い部分がようやく見えた。これを謀ったとなれば、まさしく〝悪魔の所業〟というものだろう。この時代の、この国の倫理観から推測しても、恐らく違いない。
「あの御上の弱味も握ってある、息子に伝書使をさせていたのが仇となったね」
「弱味も何もライドウ。君を私的利用している時点で、機関に知られては不味いのでは?」
「それが咎められるのなら、上層の三分の一はクビになっているだろうよ」
 暫く眺めていたライドウだが、やがてふいとそっぽを向いて、グラスの残りを煽った。
「もう見ないの?」
「状況は愉快だが、画だけ見れば己が犯されているショウだからね。肴になるのは一瞬、多く摂るものではない、珍味みたいなものだよ」
「近親相姦させる事に、胸は痛まなかった?」
 くだらぬ問いを投げた、何と答えるか興味深いので。
 すると君は、機嫌を損ねもしなかった。グラスをテーブルへと静かに置き、ただ哂って述べた。
「世間的には禁忌扱いされているから、仕組んだだけさ。〝好きでもない男に汚される惨めさ〟以外は、さっぱり解からないね」
「つまり〝Incest Taboo〟に則っただけと」
「フフッ……だって僕、家族居ないもの。解からぬよ、そんなモノ」
 ソファから立ち上がり、窓に張り付いていたぼくの腕を取るライドウ。妙に甘えた仕草で、思わず意地悪を云いたくなる。
「君も偽物なのでは?」
「本物さ、十四代目葛葉ライドウこと紺野夜。確認してみるが良い、MAGは個人の生体情報が凝縮されている、繊細な感覚が無いと判らないと思うがね」
「たった今、息子を抱いているあのカラスには判らないだろう、君はそう云いたいの?」
「ご名答!」
 はしゃいだ声と同時に万歳をし、そのまま今度はぼくにしがみ付く様に、体当たりをかますライドウ。
 軽く酔った君に、あっさり押し倒されてあげたぼくは多分優しい。今日はいいなりに成ってやろう、いつもその様な気もするが、今日は特に。だって、こんなに性的な悪巧みをする君は、少し珍しいから。
 ああ……それでもひとつだけ揶揄ってやろう。
「好きでもない男に汚されるのは、嫌じゃなかったの?」
 穏やかに問えば、ぼくに跨った君は興奮した眼で見下ろしつつ、高慢の笑みを浮かべた。
 直後、降ってきた噛みつくようなキスは、確かに夜の味がした。