君を愛す



「純粋な悪魔ではない為、参加資格無しだとさ」
 吐き捨てながらカップの弦を持てば、珈琲の水面にお向かいさんが一瞬映った。それは恋する美青年というより、嵐に大揺れする柳の様だ。擬態している筈が、普段とそう変わらない彼。金髪に全身真白のスーツはなかなか目立つ、黒づくめの僕とは正反対だ。
「何それェ、折角このぼくが応援しに行ったってのにぃ? じゃなにさ、人修羅も参加出来ないって事?」
「ところが以前、彼をエントリーさせた事が有るのだよ。そう、確かクリスマスの日だった」
「ほほぉ、どういう判定基準なんだろ、アイツも純粋な悪魔とは云えないよな」
「僕が人間然とし過ぎているのかね」
「紋でも入れりゃイイじゃん」
「墨化粧など容易く落ちる、黒い汗を滴らせて戦う趣味は無い」
「ライドウって汗かくの? うわ舐めてぇ~」
「今なら珈琲味かもね」
「ぼく紅茶派なんだから、紅茶ガブ飲みしてよ」
 ケタケタと笑う合間に琥珀糖をぽいぽいと紅茶に投下し、すすってはガリガリ噛み砕くナルキッソス。此方もトーストを堂々とカップに突っ込み、珈琲でひたひたにした。このテーブル席は孤立している為、大変気軽で宜しい。
「さて、そろそろお暇するよ」
「ちょい待ち、まだ朝っぱらだよお客さん!」
「元より早急な帰還命令が下っているのでね、闘技が終われば舞い戻る予定だった」
「ぼくとのデートは時間潰しかいな」
「その通り」
 ちぇっ、と呟くなりウエイトレスを呼び寄せるナルキッソス。
「日本通貨か魔貨か、他の支払いが良いかね」
「チューしてよチュー、そいでMAGくれよぉ」
 華奢な椅子に腰かけたまま、ずいと身を乗り出してくる彼。僕は財布から紙幣を抜き、その尖らせた唇に突き込んだ。ナルキッソスは指先で対価を摘まみ、目先で確認し、大きな溜息を吐く。
「お支払い有難うございやす」
「釣りは結構」
 立ち上がり外套を羽織れば、先程のウエイトレスが戻ってきた。手元には花束が有る、真赤なアネモネだ。
「ソレ、受け取ってよ、ライドウへの贈り物」
「押し売りかね、注文した覚えは無いのだが」
「アンタのお里から入ってんの、注文! あ、でも品種選んだのはぼく。見繕ってくれって云われたから、気分で選んだけど」
 薄いクラフト紙でぐるりと根元から包まれた、一重のアネモネ……十本以上は有るだろう。他の植物は入らず、それのみで構成されたシンプルなブーケ。
「里の誰から」
「えぇ……んなモン自分で帰って確認してよ、連名だよ連名。主導者が誰かまで、ぼくは把握してませーん。ソレのお代は気にしなくてイイよ、なんならさっきの釣り銭分でチャラって事で」
 スーツの胸ポケットに紙幣を突っ込みながら、ナルキッソスも僕の後に続く。植物の呼気が充満する店内を抜け、細い路地に出た。
 この悪魔のかつての栽培地にはビルディングが建ってしまったが、今は其処に店を構えている。出店祝いをくれとせがまれ、イッポンダタラに無理矢理作らせた彫刻看板が頭上でゆるく揺れていた。つい最近の事と思っていたが、劣化具合を見るに数十年は経過している。
「昔ソッチ行った時に、見なかったと思うんだよ、アネモネは」
「そうだね、下里でも育てている様子は無い」
「アドニスの血だぜ?〝たかが人間〟の血、うっくく……あ、でも赤いのの花言葉なんかは、割とロマンチックだけどぉ、知りたい?」
「結構」
「けっ、可愛くねぇの」
 昔から変わらぬ目線で僕を見るナルキッソス、あれだけ参加資格に関し首を傾げておきながら、その実納得していたのではないか。人間でありながら悪魔と近しいデビルサマナー、それだから僕を珍しい余所の花として堪能出来るのだろう、無責任に。
「せいぜい狩りの際には気を付けるよ」
「おっとぉ、嫌味がビシバシ飛んでくると思ってたが、アッサリしたもんだ。結婚してから円くなったんじゃない? あ~やだやだ、尻に敷かれてたら幻滅するわぁ」
「女体時の方が実際やわい訳だが、聴きたいかね」
「やだやだやだ、ライドウからそ~いうの聞きたくない、寒気!」
 ナルキッソスは自らを抱きすくめ小躍りし、くしゃりとはにかんだ途端「疲れたから帰る」と踵を返した。技芸の属では無い為、長時間の擬態は堪えるのだ。
 僕は喫茶〈シルバーチャイム〉を離れ、近くの駅まで歩く事にした。さほど意識せずとも、周囲が勝手に避けてゆく。他人の視線は慣れたものだが、今だけは分散して僕の手元に注がれている。人が花へと向ける視線に色は無く、晒されたとて花はMAGを震わせぬ。撫でてゆく人目は総て此の花が受けているのだと思えば、幾らか息苦しさは軽減された。そして今更、自分も人波を歩く事に疲弊するのかと気付いた。
 
 
 オボログルマを管に納車し、里の門をくぐる。高台に植わるユキヤナギが、薄青の空で雲よりも目立つ。時折吹く風に零れる花が、冷気を持たぬ雪の様だ。
「あーっ、先生だー本当に今日帰ってきた!」
 路の遠くから駆け来るおさげの少女、あれは三軒目の一番若い子供。声につられ畑から抜けて来た初老、此方は水車小屋の小倅。
「下の方にも伝わっていたのかね」
「そうだで、でも今日帰ったばっかじゃ疲れてるだろうからって、学校は来週からにしてある。みんな〝どうせ今日の真夜中か、明日の朝に帰るだろ〟って云ってたけど、ハズレたじゃんねえ」
「ま、本当は夜中帰着の予定だったが」
「ねえ、そのお花どうしたの、プレゼント? あっそうだ、ちょっと待ってて、私も有ったんだ!」
 目の前まで来た瞬間、ワンピースを翻し折り返す少女。何事かと留まれば、小倅が近くでカカカと笑った。
「お帰りなさいませ十四代目。あの子は直接渡したいっつうもんですから、少し待っててやってくれませんか」
「事情が分からぬ」
「あれ、てっきり御存知かと……いや、今日の日は十四代目に〝ささやかなもの〟を献上せよと、そう聞いとりますよ?」
「誰からだ」
「ええっ……十四代目が存じないという事は、次に直接権限を持つのは、人修羅様の筈でしょうけれど。しかし、こりゃ自分の憶測ですから……ちゃあんと上で御確認された方が」
 首に掛けた手拭いを撫で、唸る小倅。妙な物云いにならぬよう気を遣っているのだろう、僕に対する以上に、人修羅への畏怖が有るらしい。
「確かに、僕が不在の間はアレに任せてある。しかし有事対応でも非ず、気軽に催事をつくられては困るのだがね」
「いやはや、何でも祝い事だそうで」
 今日の日付に思い当たる物事が無い、契りを交わした日でもない、一体何だというのだ。
「お待たせぇ、先生」
 舞い戻った少女から、小さな木綿の袋をついと突きつけられる。見上げてくる目は〝此処で確認しろ〟と物語る為、紐を緩めて中を覗く。やや小ぶりな玉が、薄日を反射し光っていた。
「硝子玉かい」
「あんね、これ白蛇の目玉。キラキラしてて綺麗でしょ?」
「入手経路を問い詰める気は無いが、祟られやしないかね」
「だって先生、呪いのアイテム好きって──ううん、それ呪われてないけどさ! でも私のとっておきだから、今回あげるって事!」
「では頂戴するよ、有難う」
 暫く所持した様子だが、奇怪な現象が無いのであれば、もはや此れは只の観賞品だ。安堵とも期待外れとも云えるが、光物を献上されて悪い気はせぬ。
「他の連中の品は、もう上里に届いてる頃かと。拝殿前にひとまとめにして、それを上のお仲魔が回収するっていう話でして……ナマモノ、特に油揚げは禁止ってのも聞いとります。あぁ、あと恋文も禁止」
「油揚げは──まあいい」
「ちなみにわしからはアンチモニーの管を一本」
「何故また」
「ややぁ、何故って十四代目、わし等に学校で教えてた頃に云っとったじゃないですか!〝僕も欲しい〟って」
 ああそうだ、里の子供に配布したのだ。アンチモニー合金の管は頑丈さには欠けるものの、悪魔を納めるにおいて特に問題も無く、比較的安価に製造出来る。一人三本ずつ与え、数に余分は無かった。素材違いの管は当時珍しく、自分用にも作れば良かったと軽く悔いたのだ。
「もう同期でコレ使っとる奴は居らんでしょうから、もしかしたら献上品に同じブツがごろごろ入っとるかもしれませんよ」
「おいおい、廃品回収に使わないでくれ給え」
「みんな先生の物欲しそうな目ぇ憶えてますからねえ」
 
 
 笑われながらに見送られ、社を通過し上に出た。気温は温暖なものとなり、殆ど春か秋の陽気だ。眼前にそよぐ彼岸花と、アネモネの赤を自然と比べる。アドニスの鮮血なだけあって、アネモネの彩度が高く見える。
「お~っかえりライドウ」
 待ち構えていたかの如く現れる、じゃじゃ馬モー・ショボー、そして地べたを駆けまわるイヌガミ。
「ただいま、今日もよく擬態出来ている」
「ハウハウ……キャウン」
 屈み込み、片手でイヌガミの体を撫で揉む。実際よくやっている、もはや特別な集中は要らぬのだろう。普段の姿が完全に切り替わった、という可能性も有る。
「ちょおおっと! ショボーも居るんですけど!?」
「留守番ご苦労」
「恐ろしく素っ気ない! でも健気なショボーちゃんは其処の犬っコロと違ってえ、ちゃあんとライドウへのプレゼント、用意してあるのよねえ~こ、れ、が」
「こ、え、だ、の間違いではなく? 散々持ってきてくれたではないか、昔」
「ウソっ!? どうして分かったのライドウ」
 ポシェットから取り出す箱を、僕の胸元に叩きつけるモー・ショボー。掴み上げ確認してみると、森永の〈小枝〉だ。
「コンビニ行けるご近所悪魔に、わざわざ、わ~ざわざ頼み込んで買ってきてもらったんだよ!?」
「コンビニなら数時間前に利用した」
「ううっ……で、でもこれ期間限定品だよっ、江東スイートポテト味!」
 食い下がる相手に対し、僕は鞄から抜いた〝全く同じ商品〟を見せ付けた。みるみるうちに頬を膨らませ、泣き真似を始める童女。
「ぐすっ、いいもんいいもんっ、この後スタッフが美味しくいただきますッ」
 伸ばしてきた手から箱を逃がし、奪われまいと高い位置まで掲げた。擬態のせいで瞬時に飛べまい。
「一度奉げた物をすぐに引っ込めるとは、意地汚いね」
「食い意地張ってんのはライドウじゃんっ、このいけず! きちく! そういうトコがス、テ、キ♪」
 茶番に付き合ってはキリが無い、これの繰り返しなのだから。僕は戦利品をボストンバッグに放り込み、花束を抱え直した。
「それなぁに? も、もしかしてっ、ヤシロ様へのプレゼント?」
「僕が色々と頂戴するらしき此の日に、何故その様な推測を立てるのかね」
「だよねえ~だって派手派手だもん、ヤシロ様には似合わないよ」
 では何が似合うというのだ、と訊きそうになり、脳内に留めた。アレに何が似合うかを、他者が深く考えるなぞ……あまり気分の良いものではない。
 花を支える指先で、反証の様に指輪が光る。確かに、似合わぬよりは似合う装身具を与えたいと、そういう気持ちが有ったからこそリリムに依頼した訳だが。
「あぁ~ッ、でもまっ赤っ赤なら花より血が似合うよねえぇ~ヤシロ様ったらぁ! しかも返り血じゃなくて、しくじった結果の出血大サービスでぇ──苦悶の表情がオマケのハッピーセットになっててェ──」
 まだ背後で何か喚いているが、気にする内容でも無い為さっさと立ち去るに限る。歩みを止めぬ僕にイヌガミが並び、小さく唸った。
「ハッハッ……ライドウ、帰ッタラ庭ノ白木蓮、根本掘ッテミロ」
「カハクの残骸でも埋めてないだろうね」
「宝石タップリ埋メトイタ、クレテヤル」
「それは景気が良い、何処で拾ってくるのだい」
「下里ノ社ダ。シトリノ眷属ガ、時々クタバッテイルゾ。気付カレモシナイ、小サイノ。結界ニ灼カレテ、石ニナル」
 そう、この里の真なる門には、部外者を弾く〈壁〉を張ってある。以前、悪魔に遠隔操作される人間に突破された事が有り、あれは迂闊だった。悪魔の身を得てからというもの、人間への警戒を怠っていた。
「フフ……一瞬かい。その程度の連中から生成されるのだ、屑石じゃないのかね」
「石ニ成ッタ方ガ、ソレナリダ」
「合体に使うのはリスキーだな、賭博か交渉にでも使わせて頂くよ」
 オン、とひと鳴きするイヌガミを一瞥し別れる。薔薇庭園や小川を通過し、遠目に蔵を確認しつつ、赤い獣道をなぞる。縁側から見える暗がりには、気配も無い。ただいまと独り唱える事が滑稽で、無言のまま上がる。
 
 
 自室に鞄を置き、外套とポークパイハットをクローゼットに仕舞い、ジャケットはハンガーに掛け壁に吊るす。シャツとスラックスだけの軽装で、武器や管の重みも纏わず、花束だけを片手に台所へ向かった。放置すれば枯れるものだ、適当なグラスにでも活けておかねばなるまい。
「功刀君」
 暖簾下から見える作業台が物々しい為、一応声を掛けてみる……やはり居ない。気配が無いのだから当然だ。ヴィンテージレースに髪をそわりと撫でられつつ、台所へと踏み入れる。
 摺り硝子の窓が、水場を淡く光らせている。壁で潤むタイルは藍色から緑青まで、積まれた煉瓦の様なパターン。オールステンレスのキッチンはサイズからオーダーした特注品、これだけは彼が最初から要求してきたのだ。一見すれば最新設備の様だが、隣には釜戸が並ぶ(小奇麗な純白タイルで、古めかしさは無い)雷電属に補充させた電力では、火力に納得いかぬらしい。
(……ケーキ?)
 飴色に摩耗した天板の、木製作業台を見下ろす。ボウルにホイップ、籐のザルには苺。回転台には、真白く化粧した薄い円柱。
(恐らくショートケーキ)
 苺を一粒つまみ上げる、ヘタは既に取られていた。気の赴くままに口へと放る、硬過ぎず柔らか過ぎず、甘過ぎず酸っぱ過ぎず。
「何食ってんだよ!」
 声に振り向けば、レースを割って突入してくる悪魔が一人。袴に純白の割烹着で、どう見ても只の人間だが。僕へ向かい来る勢いは、まるで戦車の様。抱えるは砲台でなく、籠の苺だが。
「あとは上に飾るだけだろう、数に余裕が有りそうではないか」
「全面に飾り切りでも載せようか検討してたんだ! だから畑から追加で貰って来たってのに、あんたなあ……作りかけって見りゃ分かるだろ、素材に手を出す奴があるか!」
「まだ一粒しか食べておらぬのだから、足りるだろう?」
「そういう問題じゃない!」
「ツノが出てるよ」
 ハッとした人修羅が片手を項に運ぶ。割烹着の紐が、黒々とそびえる突起にぎゅうぎゅうと引っ張られていた。其処を撫でさすりつつ深呼吸すれば、金の眼もゆるやかに灰黒へトーンダウンする。
「……っていうかあんた、帰るの早かったな」
「もっと夜遊びしてこれば良かったかね」
「作ってる現場、見られる予定無かったのに」
 ぼやきながらも、籠の苺を下処理し始める人修羅。僕はこれ見よがしに、花束に顔をうずめた。
「植物特有の生臭さは有るが、血液とは程遠い」
「あの花屋、想像ついたけど派手なの選びやがって。彼岸花みたいな……落ち着かない色」
「ところで花瓶など有るのかい、この家」
「あ、くそっ……うっかりしてた、花買ったんだから必要だよな」
 どうやら無い様子なので、食器棚を物色する。各務クリスタル硝子のワイングラスを引き抜き、光に透かせた。切子とエッチングによる装飾が煌びやかで、足も深い納戸色。此れを一旦、作業台に置く。
「それじゃ深さが足りないだろ」
「足切りすれば良い」
 果物ナイフを、人修羅の手の上から掴む。背面から抱きすくめる姿勢で、右手の自由を奪う。
「おいっ……」
 強張る君を無視して、刃先を横一文字、花束の包みを剥く。宙に寝かせたアネモネの束を、真向から斬り下ろす。分断された端は天板に落ち、音も立てぬ。
「御覧、あっという間に背が低くなった」
「鋏は有るんだから、そっちを使え。食材以外を切るな」
「包丁、洗った方が良いかもね。液にプロトアネモニンを含む……いいや、もはや毒にもならぬと思うがね、ククッ」
「気持ちの問題だ、洗うに決まってるだろ」
「君の舌で洗っても良いかな、ほらあーん」
「何ムラついてんだよっ……さては、出先で暴れられなかったんだろ」
 人修羅にしては冷静な対応である。そして図星である為か、僕の熱も解かれてしまった。君は舐めても減らぬ飴玉だが、食材は空気にさえ劣化してしまう。鮮度の事を思えば、調理を優先させるべきだ。
 右手を解放し、ふらりと離れた途端、人修羅の軽い溜息が聴こえた。それが安堵でも寂寥でも、僕は大変気分が宜しい。グラスに水を注ぎ、アネモネのつま先を挿し入れてみる。赤に黒目玉の大輪が、なかなか綺麗に広がってくれた。
「それ食卓に飾ってこいよ」
「派手だの落ち着かないだの、散々貶しておきながら食事に同席させるのかね」
「……でも、あんたには似合う。居間に置いてあるでかい箱、あんたへの献上品だから、それでも見て待ってろ」
 今、此処で事情を問い詰めてやろうかと考えていたが、やや先送りにした。人修羅が何かに向け計画を進めているのだとすれば、彼の口頭説明より結果を見るが早い。
 
 
 ユンハンスの置時計が鐘を鳴らす、時刻は十六時。
 座卓の傍で、僕に献上された品々を物色していた。外箱に見覚えが有ると思えばどうりで、これは僕の棺桶だ。とはいえサイズは小さい、万一の為に用意してある〝抜け殻を納める為の棺〟だから。恐らく人修羅が、物置から適当に見繕ったのだろう。幸いな事に活用される事無くやってきたので、彼は用途を知らぬのだ。
「やれやれ、くっくく」
 棺桶だけでも可笑しいというのに、下で云われた通りアンチモニーの管が複数入っていたので、ペルシャ絨毯に転がし並べた。カチカチと騒々しく、教室の様。
 他には年季の入った御統、悪魔草子の二次創作物、個人醸造の酒、アルケニー糸の襟巻……諸々。仲魔からも幾つか入っており、差出人明記が無くとも想像はついた。
「おい散らかすなよ……ナマモノ入ってなかったろうな」
 人修羅が台所から行き来を始めた。座卓に盆を下ろすたび、一言二言落としてゆく。
「あのねえ功刀君、僕もう油揚げを拒絶しておらぬのだけど」
「でも好きって程じゃないだろ、それにナマモノだし。なんか勘違いした奴が、お供え物って事で入れそうじゃないか、油揚げ」
 ぶつけられなければ美味しい事なぞ、昔から普通に知っていた。
「結局、ケーキ以外変わり映えしない食卓になったな……」
 人修羅が呟きながら、向かいに腰を下ろす。飯、汁物、漬物、煮物、焼物。そして例のケーキは飾り切りされた苺が、所狭しと並んでいた。
「知ってるかい、九十九針など喰らい裂けた肉が勢い良くMAGを吸われると、同時に体液が抜けてしまうのだよ。それが赤い奴の場合は花の様でね、一瞬で伸び咲かる訳だ。更に吸い寄せれば屈輪を描き、ひとつの生き物が如く──」
「あんた、昔もなんか俺の作った苺菓子にグロい批評してなかったか?」
「ところで君、これは所謂バースデーケーキな訳?」
「…………まあ」
「僕自身も正確には知らぬものの、百年近くは存在してきたつもりだがね。このロウソク一本で二十年単位なのかい?」
 苺の隙間、ひっそりと五本立つロウソク。それぞれ色が違い、根本に銀紙を履かされている。
「その体が、五年目だから」
 人修羅は僕と目を合わせず、割烹着をたたみながら続けた。
「最近、昔の記録とかメールの履歴とか、何の気なしに見てたら……その体に〝移した〟日から、ちょうど今日が五年目らしいから」
「……だから?」
「だから今日はさっさと帰って来いって、数日前に連絡した」
「其処じゃないよ、この儀式をする理由や意図を問うているのだよ」
「ぎ、儀式って……大袈裟だろ。そんなんじゃない、個人の誕生会に重い理由なんてあってたまるか。俺はただ、あんたが以前〝誕生日なんて自分には無い〟とか云ってたから……いや、云ってたか?」
「口にした記憶は無いね」
 しかし君の体の中で、思ったかもしれぬ。魂が入れ替わってしまったあの時に、君の記憶を断片的に観たせいだ。
「だから、細かい事情はどうでもいい。その体の五周年祝いって事で、誕生日には違いないし」
「僕は五歳児って事かい」
「似たようなもんだろ」
「では歌ってよアレ、〝Good Morning to All〟の替歌みたいな」
「は? そんなの知らないぞ」
「Good morning to you, Good morning to you, Good morning, dear children, Good morning to all.」
「いや、それ誕生日の歌だろ」
「此方が原曲と思うがね」
「そうなのか? そのノリで勝手に誕生日の方も歌ってくれよ、音程も今のまんまだし」
「家族や友人、つまり他人に歌って貰うものなのだろう? そうしてくれ給えよ」
 天板に片肘を着き、真正面からじっと睨み続ければ、観念したのか薄く唇を開く人修羅。
「っは……ハッピー、バースデー、トゥ……っは、はぁーっッ」
「なぜ呼吸困難に陥る」
「ハッピーバースデー、ディア、ょ……──あああッ!! こんなの歌わすなよっ! 普通に呼ぶより恥ずかしいっ、拷問だろこんなっ、はあっ、はぁぁ~」
 耳を真っ赤にして、頭を抱え込む人修羅。ただでさえ音痴気味というのに、乱れた精神で余計に外していた。
「フフッ、もういいよ。さて、お次はロウソクの火を吹き消すのでは?」
「ああそうだよ! もうさっさと済ませるぞ」
 徐に身を乗り出し、ロウソクにふっと吹きかける君。銀楼閣から見下ろす街を早回しするかの様に、一二本ずつ火が燈る。それを見届けた僕は立ち上がり、シャンデリア灯の紐を引き消灯した。揺らぐ火に、果実の赤と花の赤が煽られ潤む。
「ねえ、解いてよ擬態」
「はぁ? なんで俺が目立つ必要あるんだよ、一応あんたが主役のお祝いだろ」
「僕にその姿を献上しろと云っているのだよ」
 間髪入れずに述べた、ともすれば冷たい物云いだろう。そんな僕を見上げる君は、歓びも憤慨も見せぬまま、黙って悪魔と成る。見慣れたその姿、僕にとっては〝本来の〟君。
「……これで満足か」
 照らされる君の方へと回り込み、じっとしているアネモネを一輪抜いた。
「君に似合うかは別として、此れをあげる」
「あんたに向けて選ばれたものだろ、俺が貰ってどうするんだよ……ほら見ろ、一本でもくどい、派手」
「赤いアネモネだからね」
「見れば分かる、何が云いたい?」
 渡された花をどうしたものかと、指先に持て余す人修羅。僕は傍に座り込み、無心に見据えた。なんだ、似合っているではないか。しかし音には変えず、ロウソクの火を吹き消した。
 縁側から、障子が薄光を零す。仄かな暗闇の中、金色の眼が僕を見ている。映り込む僕も、同じ眼の色で。押し黙っていれば、人修羅が先に口を開いた。
「誕生日おめでとう、夜」
 親、恋人、友人、伴侶……すべてを内包するたった一人からの、祝いの言葉。これを儀式と云わずして、なんと云う。あまりに鋭く重く、過去の自分を打ち砕く。
 そう、時折これが〝長い夢〟ではないかと疑う。本当は転生出来ておらず、器を失った魂が眠っていて。葛葉一門の呪いに血を染めた以上、呪縛の可能性も否定出来ない。
「おい、どうしたんだよ」
 今度は背中からでなく、真正面から抱きすくめた。火とは違う、冷涼たる光が僕の頬に触れる。互いのMAGを撫で合うだけで、舐め合うだけで、不安が消える。そんな錯覚を、もう何十年も。
「……有難う矢代」
 僕の走馬燈に、彩りをくれて。