あと二日程度か……と、窓外の緑をぼんやり眺め、考えていた。
 偽葛葉は丸一日、縛ったままでも呻きひとつ上げない。試しにきつく絞めてみたが、痙攣ひとつ起こさない。人間の赤子みたいに、段々感情が出てくるかと期待もしたが、そんな気配も無く。自分の股座に偽葛葉の頭を掴み寄せしゃぶらせた方が手っ取り早いと、俺の情緒も欠けてきた。
 ふと彼の頬を見ると、轡の縄で傷付いたと思わしき痕が有る。一瞬どきりとして、指で軽く拭ってみたが血は付いてこない。痕とはいうが、人間の傷とは具合が違った。擦れた部分から覗くのは、なんともいえない肉色だ。薄い薄い、白に近い紅梅色した薔薇の、花弁の根本の様なそんな色。枯れて萎んで木乃伊になるとしたら、やはり植物に近いんだろうか。
 植物は身近な存在だ、親父の仕事柄、庭木は常に整えられていたし、そうなるには人間の手が必要な事も知っていた。野生の賑わいと違い、庭木は人間の欲望で出来た樹が並んでいるんだ。自然のままに植わっていると幼い頃は勘違いしていたから、想像以上に人間の手の入った物だと知って、少し哀しんだ気がする。盆栽なんか最たるもので、どうしてあんな奇形を作りたがるのか、植物が本当に好きなんだろうかと理解に苦しんだ。
「なあ、葛葉……痛くない?」
 苦しみは納得に変わった、俺の中で何かが発芽した様に。
 幹の形を思いのままにする為に、針金を巻く訳だ。縄を解いてやった偽葛葉の幹を、針金で……
「あぁ、お前のっ……でかいよなァ、中に水パンパンに詰めてやりたい」
 雁字搦めで、無理矢理勃たせた偽葛葉のソレに俺のブツをゴシゴシ擦り付けた。もう殆ど針金の摩擦だったが、金属の隙間に埋まる肉塊が情欲を煽った。
 突き立てたい、その衝動が抑えられなくなってきた。擦りつけたり挟むだけじゃ違う、包んで欲しいんだ葛葉。冷たく匂い立つその姿、果たして中の肉は熱いのか知りたい。もう時間が無いんだ、迷ってなどいられない。
 文机の引き出しから肥後守を取り、剥き出しにした刃を偽葛葉の股座に向けた。両脚を片腕で押さえ上げ、おしめでも替えるみたいな体勢。夕暮れ時の陽が、袋の下から尻の谷間までを照らす。其処へ一息に、刃を突き入れた、刺した側である俺が奥歯を噛み締めて。
 じっと見つめていたが、赤い液体は滲まない。ゆっくり抜けば、肥後守はしっとりと鈍く刃を光らせていた。脂汚れのひとつも、鉄錆のツンとする臭いも無い。刺し傷を確認すれば、其処ははっきりと割れ、痕に残っていた。肥後守を畳んで放り、今度は指をゆっくり挿してみる。中指、続いて人差し指……そのまま二本を広げて、裂け目を覗きこむ。自分の喉でハッと呼気が鳴り、俺は軽く身を引いた。肉の中は、ほんのり上気した白肌の様な色味で、無数の粒が連なる壁が見える。昔見た水晶柘榴の様だ、無色透明な蜜の甘い果実。ずるりと抜き取った指を舐めてみれば、本当に甘い。
 俺は自分の息づかいが、まるで耳鳴りの様に煩かった。心臓の音も煩い、俺のブツを叩きつける音が聴こえない、甘い肉襞に包まれる恍惚を阻害するな。相変わらず偽葛葉は無感情で、それを無視すべく目隠しと腕の緊縛はそのままで、中途半端に制服を着せたまま犯した。
 ひとしきり終えた後、俺の出した精液が吸われている事に気付いた。どうやら口と違って、裂いた肉は水分を吸収するらしい。切り花の様に、部分切断して水に漬けてみたらどうなんだろう……
 残り僅かな蜜月への未練。俺はもう、考えつく限りの戯れを妄想しつつ、眠りに就いた。


 今日は珍しく、ちゃんと登校した。昨晩の倒錯が迷いを洗い流してくれたのか、妙にすっきりとした心地だ。
 葛葉は来ていない、いつもの様に彼の席は窓の景色を透過する。桜は遠目で判るくらい、蕾がふっくらとしていた。先日、葛葉が口にした「首吊り」の話で思い出した。この学校、桜の木で首を吊った生徒が居たんだ、恋人同士の心中。俺はあの日ちょうど、校庭に用事が有って近くを通った、その時見たんだ。桜吹雪の下、枝から垂れ下がった二つの影を。それはどこか現実味が無い光景で、頭の隅でぼんやりと「人の生る木みたいだ」などと考えていた気がする。
「よう久しぶり、何だったんだ、風邪?」
「まあそんなとこ、腹に入って長引いた」
「完治したのか? 随分やつれた様に見えるぞ」
「寝過ぎてんの、春眠暁を覚えずよ」
 学友を適当にあしらい、昇降口で別れた。寝てばかりというのは嘘ではない、能動的な「寝た」だけれど。
 縄や針金で縛ったまま木乃伊になっては可哀想なのでそれ等を外し、偽葛葉には当初の衣服を着せ、納戸で待機させてある。膝を抱えて座る姿は、待ちぼうけの子供の様でどこか愛らしく思えた。刃で穴を開けた人間が何をと云われそうだが、やはり俺は葛葉の姿が好きなんだろう。あのどこか高圧的な彼が、膝を抱えているだけで胸が締め付けられる思いだ。
 帰宅し、部屋へ向かう前に倉庫を探った。剪定用の鉈が数本、その中から〝人間の腕くらいの枝〟ならスコンと落とせそうな物を持ち去る。どうせ誰も家には居ない、抜き身のまま堂々と縁側から上がって、部屋に入る。
「ただいま葛葉」
 鞄を畳に放り、鉈を片手にしたまま納戸の戸を開ける。当然「おかえり」という返事は無く、膝を抱えた偽葛葉が朝と同じ様に在った。シャツの襟首を掴み、ずるずると部屋に引っ張り出す。此処で切るつもりは無いが、さて何処を落としてみようかと……仰向けに寝かせた偽葛葉を見下ろし、剪定場所を選定した。まあ、やはり無難に足首だろうか。靴の様に水槽を履かせたら、水耕栽培の様な具合に延命出来るんじゃなかろうか。
「後で庭に出ような」
 地面の上なら、鉈を振り下ろしても問題無い。流石に畳や板張りの上で、野菜切る料理人は居ないだろう。
 今ならヒサカキの花も咲いている。思えばずっと部屋から連れ出してやれなかった、今日はのんびり花見でも良いかもしれない。
 と、上からじっとり眺めているうちに、俺が我慢出来なくなってきた。名残惜しさも相俟って、こいつの肌がとても恋しい。その姿に心なしか生気を感じる程だ、潤った花の様に香るのは焚き染めた白檀か。
 鉈を傍に置き、跪いて口付ける。唇を割り開き、舌を吸った。昨晩の情欲が舞い戻り、俺はしつこく愛撫した。偽葛葉の唇から溢れ伝うのは、俺の唾液だ。我ながら必死だなと呆れ、一旦離れる。
「あぁ……葛葉」
 自分の前をくつろげ、既に血潮の行き渡ったブツを外気に晒す。偽葛葉の頭を跨ぎ、唾液塗れの口元にソレを突き挿した。散々蹂躙したせいか、生温かい。思わずぶるりと下肢が震え、吐き出しそうになるのを耐えた。味わう様にゆっくりと腰を沈めていく、淫靡な水音を耳が拾う、抜き挿しするたび俺は感嘆の息を漏らした。持って行かれそうだった、酷く腰が重い、搾り取られている錯覚を抱く。
「っは……はっ、ぁ、う、ううッ?」
 腰を揺らさずとも与えられる快楽に、肌が粟立つ。俺がおかしくなったんだろうか、思わず挿入部を確認した。すると目が合った、偽葛葉と。そう、視線が絡んだのだ。
「あっ、ああッ!?」
 咄嗟に腰を浮かそうとしたが、がばりと腰骨を掴まれる。偽葛葉の腕に押さえ付けられながら、じゅううと陰茎を激しく吸われた。もう俺は頭に霞がかかり、半ば強制的な射精で更に真っ白になった。
 喉を鳴らして俺のを飲み干した偽葛葉、音でそう判断出来た。直後、上半身をむくりと起こす彼。俺はなすがままで、跨っていたというのに思い切り後方に転がされた。机に頭を打ち付け悶絶していると、何か聴こえてきた。
「ふっ……ふふ、クククッ」
 幻覚でも見ているんだろうか、偽葛葉が哂っている。おかしそうに、腹を抱えて。
『只の人間のアレなんて飲まなくたって良いじゃない、下手食いねぇライドウ』
 別の声が聴こえてきた、夢だろうか、それとも誰か居るのか?
 待て、ライドウってのは確か葛葉の下の名前だ。
「君、サボタージュは結構だが、随分と下卑た遊びに興じていたようだね」
 まさか……本物?
 いや、何がまさかなんだ、だからこの気配が、匂いがしてたんじゃないか。
「葛葉、一体いつから……」
「張っていたのはここ数日だけど、入れ替わったのは今日さ。流石の僕も、我慢出来て針金までかな」
 そう答えた葛葉は、また声を上げて哂った。そんな声、学友の殆どが耳にした事も無い希少な音だろう。でも今の俺には警笛、切れる寸前の電球、食器の割れた音のように聴こえた。
「君が愛でていた僕はほら、あすこ」
 くい、と顎で示された先は、納戸。
「上の段だよ、やはり見えていないものだね。帰宅後真っ先に、開いて屈み込むものねえ君、フフ……」
 葛葉の云う通りだった、よろよろと立ち上がれば、納戸上段に人影……もとい、偽葛葉が横たわっている。彼は裸になっていた、今は本物が着ているのだろう。
「俺を訴えるのか、葛葉……」
「訴えるって何処へ、何の罪で?」
「軽蔑したろ」
「安心し給え、するほど君に関心も無かったからね」
「どうしてすぐ怒鳴り込んで来なかったんだ、俺を観察してた?」
「まあ観察していた事には違いないよ」
 近くの鉈に手が伸びた、殺そうなんて思っちゃいない、でも今の葛葉は丸腰だ。
「君こそ僕を軽蔑したんじゃないのかい」
 舌舐めずりをして、蠱惑的に哂う葛葉。あの唇を俺は吸ったんだ、ブツもしゃぶってもらって、しかも飲んでさえくれた。じゃあどうしてこんなに恥ずかしいんだ、俺は何に恐怖している。
「ほら、かかっておいで童貞野郎」
 あまりな挑発に、俺は鉈を振りかざし飛び掛かった──


-----◇-----

 衰弱の自覚もあまり無かったのだろう、先刻振るってきた鉈も酷く貧弱なもので。僕は素手でも受け止められたろうに、妙に過保護なアルラウネは《彼》を蔦で雁字搦めに拘束し、畳に叩きつけたのだった。
『でもあのボウヤの云う通りでしょ、どうしてすぐ止めなかったワケ?』
 アルラウネの問い掛けは、微少の同情を含んでいた。
「玩具を手にした人間が、如何にエスカレートしていくのか興味が有ってね」
『ヤダぁ玩具って、アナタと同じ形のモノでしょ、気分悪くならないの』
「おや、彼は随分とマシな方さ。本物である僕は、里の連中にもっと可愛がられているときた」
『んふふ、ジジイ共にさっきの贋物を献上しちゃえば?』
「連中、青少年の様に純ではないからね。抵抗しない玩具なぞ、すぐ飽きるだろうよ」
 さて到着したのはヤタガラスの一人、阿漕な商売に手を染めているという《葉室》の住処だ。
 僕の学友は、確かに騙されてはいなかった。実験と明かされていたし、贋物の期限も大体説明通り。
 ただし葉室の奴、MAGをぐんと吸われる事には言及しなかった、それは非常に罪深い。
 あの日、僕が教室で《彼》を見つめていたのは、そいつが常人3割程度のMAGしか持たぬ姿を晒していたからだ。同業であればすぐ判る事、帰路のゴウト童子でさえ「早く助けてやれ」とせっついて来た程だ。尾行してみれば案の定、《彼》は鴨にされていたという訳だが……まさか自分そっくりの人形が登場するとは思わず、僕もやや面食らったものだ。


 仲魔に扉を解錠させ、あっさり侵入出来た。灯りはひとつも点いておらず、人が暮らしていたという色も無い。本当に只の実験場としていた様だ。廊下をぺたぺたと這うゴウトが、溜息を漏らす。
『ほれ見ろ、お前が窺い過ぎるから逃げた様だ』
 電車駅からも街からも遠い此処は、家賃も安かったのだろう。やや年季の入った家屋だが立派な中庭付き、勝手するにはもってこいだ。結局、葉室自体の痕跡は無かったが、肝心の〝中庭〟が全てを物語っていた。
「く、葛葉が生ってる!」
 背後から学友の《彼》が叫んだ、連れてきたのは僕だ。ゴウト童子は反対したが、荒療治に見せた方が良いと進言し、無理矢理通した。まあ実の所は、治らなくても構わないのだが。現実など、見たくなければ見なければ良いだけの事。単に僕は見せつけてやりたかったのだ、夢か悪夢かは己で判断するが良い。
「マッカリーポンを弄ったのでしょうね。カラスの連中なら僕の要素を何かしら所蔵している、恐らくそれを使ったのかと」
『MAGだろうな、それくらいしか思い当たらん、それにしてもどうやって……この樹木のMAGにお前のが混じっている事になるのか?』
「いずれにせよ、同属の買収行為に該当しますから、これは御法度という事で」
『そうする他無いな。では確認させるまで此処を維持するか、もしくは証拠物と写真を……』
「やれやれ、この十四代目の類似品で商売されては困りますね、贋物に能力は具わらぬというに」
『この実は枯れて以降、呪術素材に流用出来そうだ。しかし一週間の〝ガワ〟の為、買う奴も居るという事だろう』
「お褒めにあずかり光栄です」
『少しは気を揉め!』
 黒猫と会話する僕を素通りして、《彼》は大樹をずっと見つめていた。沢山の僕が生る木に、何を思うのだろうか。雷電の仲魔に現場検証させている間、暇潰しにもう少し説明してやろう。
「Makkalii-phon、インドラの創った美女の生る樹木だ。一週間で形を成し、枝を離れてからは一週間しか持たぬ。インドラは男共の煩悩を試す為、これを創ったというが……さてどう思う?」
「……試されて、煩悩に落ちた男は罰される?」
「愉しんだ後、暫く昏睡状態に陥ったそうだよ。君がこれからどうなるのかワクワクするね、ククッ」
 脅したつもりも無かったが、放心しているのかあまり反応も無かった。と思いきや、悲哀でも怒りでも不安でも無く、何かつぶやき始めた。
「葛葉は、俺の事を気持ち悪いって思った?」
「僕の分身は薄気味悪いが、僕から君に対しては何も」
「これも探偵の手伝いなのか? そうは思えない……お前自体が、何者か知りたいよ」
「葛葉ライドウと名乗っているではないか」
「こんな事でもなけりゃ俺、お前とマトモに会話なんてさせてもらえなかったよな」
 《彼》の眼は、まだ熱を孕んでいる。あんな僅かなMAGで、僕に縋る様に、明らかな欲望を抱いて見つめてくる。どこにそんな気力が残っているのやら、文字通り〝精も根も尽き果てる〟体だろうに。
「云っておくが、もうこの生り物は手に入らないと思い給え。君はたっぷり生体エネルギイを吸われているのだからね。これ以上陥ると、くたばるよ」
「贋物だと思ってたとはいえ、色々……申し訳なかった」
「別に減るものじゃなし、しかし僕はこう見えて忙しいのでね、君が大枚はたいてくれるのなら接吻だろうが奉仕だろうが何でもしてあげるよ」
 僕こそが淫売で不埒、得体の知れぬ烏だと思えば良い。君の焦がれ、美化し続けた希少種では無いのだと。現世に留まるにはそれが容易い、裏切り者を作れば心は護れる、弱い君達はそうすれば良い、罪では無い。
「葛葉って、動物と喋れるの?」
「動物に限った話ではないし、僕の様な人間は大勢居る」
「あの黒猫、身内?」
「一応上司だ」
「あの猫の聴こえない所に……相談が有る、頼むから聴くだけでも」
「関係者の証言は必要だ、とりあえず聞いてあげるよ」
 セコハンカメラで現場写真を撮る仲魔、その邪魔にならぬよう脇を歩き、渡り廊下まで来た。もう夕刻になろうという空は、二層のカクテルの様だった。この後は気晴らしに新世界だな、異物を受け入れた日は喉が渇く。
「なあ、あんな沢山生ってるんだから、一、二体くらい貰っても大丈夫と思うんだが」
「懲りないね、先に君が倒れると説明しただろう」
「もう死んでも良いんだ、葛葉の形に吸われて死ぬなんて幸福じゃないか。だって、この先適当に生きても無理な話だろ、幸せな死に方を自分で選んじゃダメなのか」
「君が死ぬのは自由だ、しかしアレはもう譲渡出来ない」
「だってお前は一緒に死んでくれないじゃん!」
「当然」
「だったら贋物くらい許してくれよ……」
 感極まったのか、蹲り震えている。十中八九泣いているな、しかし僕の知った事ではない。
 いくら贋物とて、僕と心中されては困る。僕だって死にきれなかったのに、そんなの気分が悪いだろう。過去、あの時、木から垂れ下がっている筈だった僕は、こうして今も鞦韆(ぶらんこ)という現世に居座り続けているのだ。


-----◇-----

 天井の染みが葛葉の横顔に見える……しかし此処は何処だ、俺の部屋じゃない。
「お友達の方ですか? ええはい……そう、まだ朦朧としてますね、意識が戻ったのは四日前なんですが」
「長居しませんので」
 声が聴こえる……何かやり取りしてる様子で、一方俺は寝かされた状態だ。
「やあ、まだ死んでなかったのだね」
 近付いて来る綺麗な顔、声……白檀の匂い。そして俺のおぞましい仕打ちと欲望の記憶が甦る、頭が痛い。
「葛葉……俺、どうなってたんだろうか」
「最後行動を共にしてから数日後、ばったり倒れ意識不明に陥ってたよ、三ヶ月程度だね」
「此処、病院?」
「そうさ、学校は把握してるよ、進級は心配要らないそうだ。まあ僕が出来るくらいなのだから、登校日数は問題無いだろうね」
「あの黒猫は」
「病室には入れられないよ、安心して喋ってくれ給え」
「俺、家で木乃伊になったやつは、水子供養に出すつもりだよ」
「フフッ、それはわざわざ御苦労様」
「装束男の庭の木は」
「僕が所属する本部で審議にかけられ、焼却処分となった」
「あ、そう……」
「露骨に落ち込むでないよ、ところで」
 枕元、俺の耳元で囁く声。思わず息を殺した、一瞬も聞き逃さまいと。
「君の家で一人干からびたであろう木乃伊、僕にくれないかい」
「……俺、供養する事で自分の気持ちも濯ぎたいんだけど、じゃあ葛葉はアレをどうしたいんだ」
「上司の手前大人しくしていたが、正直僕も一体くらい欲しくてね。あの実が生体の間は、君が散々いじくり回してくれたので程度は知れたが。個人的には、木乃伊と化した状態の物が欲しい」
「呪いか何かに使うの? や、止めてやれって」
「君がそれを云うのかい、孔開けた君が!」
 嘲るような、それでいて心から可笑しく堪え難いといったような哂いをする葛葉。細められた眼は、絵画に見る狐みたいだ。もしかしたらこの葛葉という学友も本当は存在しておらず、化け狐の仮初の姿かもしれない。そんな事を妄想している俺は、まだまだ入院していた方が良さそうだ。
「呪いというかねえ、消えた葉室を炙り出すのに使う、あくまでも個人利用さ」
「所属してるとかいう組が処分しないの? あの装束さんの事は」
「抜け駆けを許さぬ割に、面倒事は放置されるものさ」
「ふーん……なんかよく分からないけど、葛葉が学校来れない理由は分かった気がするよ」
「御理解頂けたのなら話は早い」
 きっと帰宅したら、納戸の中に木乃伊は無いだろう。家へ勝手に侵入される事を、厭わしいとも思えなかった。後はただ黙って従うだけ、葛葉の尊厳を弄んだのだから、仕方の無い話。縛ったり、孔開けたり、切ろうとしたけれど、大事だったんだ、贋物でも。
「フフ……本当に君、露骨な奴」
 葛葉の台詞からするに、俺は浮かない顔でもしていたんだろうな、と思った矢先。舌の先に苦みが奔った、同時に頭が真っ白になる。何かを注がれる様な感覚、それが何なのかは全く分からない。景色が鮮明になり、こめかみの血管がドクドク音を立てた。離れ際にぢゅう、と舌を吸われる。
「木乃伊は勝手に頂戴する、今ので帳消しにしてくれ給え、ではお大事に」
 気付けばもう葛葉は居ない。薄く残る香りは白檀だろうが、しかし何か入り混じっている。
 よろよろと立ち上がり、窓を覗く。此処は二階、見下ろせば帰路に就く葛葉が見える、その足元には黒猫も居た。黒い外套をなびかせ、おもむろに何かを取り出している。ああ、だから苦かったのか、と喫煙する葛葉に納得した。そして、彼の香りが純粋な白檀だけでない理由も判明した。不登校だけでなく煙草も嗜むなんて、とんだ不良だ、結構口も悪いし。それでもやっぱり、綺麗だ。
「あら、なんだかすっかり顔色が好くなって……これなら退院も近いわねえ」
 世話に来た看護婦に微笑み返す元気が、確かに有る。
 病室から見える桜は、もうすっかり葉桜だった。