数字だけなら白灰の云う通りだった。ただそれは全員が気を揃え、ひとつの失敗も無くやれた場合の数字。面子に部外者、それも悪魔が交ざれば途端に難度は跳ね上がる。
「本日遭遇するライジュウが皆、百穴に来てくれぬ可能性は有るね」
「可能性使ったら、何でも云えるってー」
「死亡率の高さで云えば、悪魔使用の模擬戦が上だろうよ」
「まあそっか、今年も一人死んだっけ? いやでもでも、コレに関してはやるやらない選べるんだから」
ごねるリーに、白灰が折り畳まれた布を渡す。
「二人ですよ、死んだの」
「ああそっか~ってナニ寄越してきてんのさ」
「訓練でやったでしょ、天幕の下で充電作業を行います。二人共、背嚢を地面に降ろして、出来るだけ平らな位置に。其の布を開き屋根を作ってください、整流調整は班長の私がやります」
そうと決まればライジュウの気が変わらぬうちに、迅速に行うだけだった。リーと僕とで大判布の端を掲げ、天幕を作る。その下に蹲る白灰が背嚢を開き、蓄電池のケーブルを手繰り寄せる。
「この先端を掴むか咥えるかして、私が良しと云うまで力を注いでください」
『オイ、容物ガ二個有ルナンテ、聞イテ無イゾ』
「そういえば確かに。でも各容量なんて大した事無いし、貴方の覇気を見るに、恐らくあっという間に満タンですよ」
適当な煽りでも気を好くしたのか、ライジュウは地を這うように転がり込み、白灰からケーブルを奪い取る。耐電装備をしているとはいえ、慎重になる一瞬だ。すぐ傍で監視するサマナーと、雨に打たれ屋根を作るサマナーと、どちらが危険なのかは定かで無い。
「この蓄電池を商売にすれば良いのに、一家には充分な容量だよ」
また勘定を始めた狸、デビルバイヤーでもやっていろ。
「一家に一人サマナーが必要だ、そんなもの帝都でさえ売れぬ」
「タンガーバルブだけでも売ればどうかなあ、これは市販品を改造してあるじゃない」
「ヤタガラスが鞍替えし工業一本でやっていくと云うのなら、僕は降りるね」
「帰る家無いんだし、フーはそのまま働くしかないでしょ。手先器用だから大丈夫だって!」
「まず此の蓄電池からして、利用者を無視したケチな設計をしている。一般大衆を相手にした商売が出来る訳無い、屋号に因んで三又ソケットでも製造するかね」
「あははははぅえほっ、げほっ、雨クチに入った」
雷電属の電気は魔力雑じりの為、サマナーが整流器を補助しなければならない。抵抗器横の金属ハンドルを掴み、己のMAGを手先に集中させる、すると魔力のみがハンドルへと流れ込み、そのまま相殺される仕組みだ。それ単独では機能せぬ為、MAGで引き寄せる必要が有る。このハンドルは〝吸魔武器の出来損ない〟つまり錬剣術の失敗作を再利用した物であり、魔力を選別出来たところで吸収には至らぬのだ。
「良し、いいですよ、もう満タンです」
白灰の号令直後、うんと伸びをしたライジュウ。ゆらゆら漂うヒゲが天幕をかすめた瞬間、バチッと派手な音を立て、僕とリーは一瞬で無言となる。
『マ、コノ程度ナラ大シタ事無イナ!』
「もう一個はどうでしょう、やってくれませんかね」
『ソウダナァ……一服入レタイナァ、MAGヲ寄越セヨ』
表情という程の変化も無いライジュウが、何故か軽薄な笑みを浮かべている様に見える。白灰は即答せず、片膝ついたままじっと悪魔を見詰めている。
「可悪、坏蛋──」
リーが小声で幾つかぼやいた頃、天幕の下で獣がバチバチ荒ぶった。
『オイ小僧、ソノ言語ガ〝ネイティブ〟ナンダヨナァ、オレ様』
「あららー」
そばかすの頬をすぼめ、悪怯れる様子も無いリー。もしや態とではないのか、早く帰路に就きたいからと、悪魔が知るであろう言語を選んだのかもしれぬ。白灰はともかく、僕はあの程度なら理解は出来る。
『ソウダナァ……ソッチノ陰険ソウナ小僧』
ライジュウのアピールに無言で居れば、他二名が「呼ばれてるよ」と口々に寄越す。
『蛙ノ形シタ屍肉共ガ云ッテタゾ……〝コンノ〟ト云ウ奴ノMAGニ有リ付キタイト。オ前、ツイサッキ〝コンノ君〟ト呼バレテイタヨナァ?』
予感はしていたが、やはり面倒な展開だ。天幕を崩さず回避するなど不可能であり、交渉権も班長に有る。
「どうする、紺野君」
白灰は本当にどちらでも良さそうだ、既に盤上に居らぬ者の余裕か、はたまた全てがどうでも良いのか。
リーも同様、結果に拘る風は無い。この〝訓練と称した雑務〟が評価に響くとは、一切思っておらぬのだろう。他の班に出し抜かれようと、虚仮にされようと、笑って済ませるつもりか。
「……二十秒程度、くれてやっても構わぬ」
「ははあ偉いね、まあこの面子であれば君が一番〝美味しい〟でしょうから」
色気も食気も無い声色で、僕を批評するな。やる気の無いお前達とは違う。真に目的も無く、いたずらに椅子を奪おうとするな、慣れ合いつつ突き落とそうとする事を知っている、解っているのだぞ、僕は……
『オッ、確カニ美味ソウナ匂イ。マントノ駱駝臭サガ、チョイト気ニナルケド』
「ライジュウさん、触れない様に願いますよ、接触せずともMAGは伝わりますからね」
じわりと血の気が引く感覚、ブーツでぬかるみを踏みしめた。目と鼻の先でギラギラとされ、肌もひりつく。ライジュウの明滅に阻まれ、しゃがんだままの白灰の声が更に遠く感じる。
『ゴチャゴチャ煩イナァ、分カッテルッテ!』
「あっヒゲが──」
「火も点けないで、寝惚けてるのか?」
目と鼻の先でギラギラとする、金色の双眸。君が一息かければ穂先は燃え、舌先に流れ込む草の刺激。
「誰も頼んでおらぬのだがね」
「いつもは〝気が利かない〟とか文句云う癖に、自己中野郎」
着火だけして、ふらりと寝台に帰る人修羅。僕は灰皿を引き寄せ、煙と共に逡巡した。
そう、あの時……咄嗟に振り返ったライジュウのヒゲが、フードの陰りに入り込み、僕の頬を撫でたのだ。次に目覚めたのは医務室の救護ベッド。ひとまず介抱されているのかと安堵し、生き延びた事に落胆した気がする。二つ目の蓄電池は暫く放置され、晴天日に回収された。
「眠いならさっさと横になれよ、寝煙草で火事とか最悪だからな」
「僕をサマナーと知る者は、君を真っ先に疑うかもね」
「そういう懸念も有るから云ってるんだ」
先程より遠退いたか、囁く雷は切れかけの照明が如し。明滅の度、揺らぐ煙が鮮明に現れる、それは狩りの雷雨を想起させる。山の輪郭を隠す斑の雲、湿った草の匂い、冷えゆく肌。
「昔の事、考えてたのか」
記憶の情景を突き破る、君の声。
「何故そう思う」
「雷発電云々の後、急に静かになったから。何か思い出してるのかと思った……それだけだ、別にわざわざ聴きたい訳じゃない」
「だろうね、君にとって楽しい話なぞひとつも無い」
「そんなの今更過ぎるだろ! じゃあどうしてこれまで俺に喋ってきた? 中途半端にあんたの情報与えられてるのに、今みたいに伏せられたら却って気になる」
「伏せたのではない、明かす程の大した出来事でも無かったという事さ。フフ……それとも何かね、君は僕のこれまでの全てを知りたい訳?」
「誰もそんな事──」
身を捩り僕を睨む眼に、怯えが見えた。大体読める、必要以上に知る事が怖ろしいのだろう。君は暴力を耳にする事そのものが不快であり、僕の過去は殆どがそれで構成されているから。そして、僕が被虐側である事実を直視したくも無いのだ、己に都合が悪いから。
「いや……痛くても辛気臭くても、それはもう仕方が無い、この際構わない。俺の前で、勝手に何処か行かれるよりマシだ……黙って煙草湿気らせるだけのあんたとか、気味が悪い」
「指図されるのは御免だね、余所に意識を飛ばしているつもりも無い」
「昔を振り返ってる時のあんたはライドウじゃない、生きてるのか時々判らなくて……怖い」
「言葉を発していれば生者の証と云うのかい、馬鹿々々しい」
「それが俺に向けられていたら、俺にとっては生きてるも同然だ」
「憑かれ易い者の台詞さ、愚かだね」
指先に熱を感じ、咄嗟に灰皿に押し付けた。既に口紙まで焼けている、味わった気がしない。
雷に読書を奪われ、些事に煙を奪われ、頭の奥が苛立ち燻る。人修羅功刀よ、お前が妙な事で喚き始めるからだ、狸寝入りを続ければ良かったものを、何故此方へ来て火を点けた?
「……肉体が無くなろうと、俺を簡単に捨てたらタダじゃおかないからな」
恨めし気な声に、ぞくりとした。成程、僕を簡単に死なせるつもりは無いらしい。そうだ、愉しめそうだから君を誘ったのだった、僕の血みどろの人生に。
「ならばせいぜい、戦場以外でも快楽をくれ給え」
本を片手に椅子から離れ、人修羅の隣に転がり込む。さっさと生やせと項に爪を立てれば、舌打ちと共に顕在する避雷針。いつも僕がボルテクスで追っていた、艶やかな黒。
「こんな暗い中で読めるのかよ」
「君が頁送りするのだよ、ほら」
「は?」
うつ伏せで、互いにくびり殺せる間合いで、ひとつの本を開き眺める。君の手が載ると、モノトーンの文字が色付き照らされ。翠か碧か曖昧な、里近くの沼の色。雨上がりの淀みから脱した日が、一等鮮やかで美しい。
そんな事、真っ直ぐ伝える訳が無い。あんな腐敗した処にも、美しい記憶が有る事を。君の姿を見た時に、それを思い描く事を。認めたくない、許したくない、繋げたくない、僕の思考の帰る先を。
「石油ランプよりも都合が宜しい、しかも自動で捲ってくれる」
「人力だろ、誰もやるなんて云ってないし、捲るタイミングも分からない」
「──けれども間もなく全くの夜になりました──」
「読めとは云ってない」
横目にじろりと睨む金は、雲間から覗く眩い色。
「──空のあっちでもこっちでも、雷が素敵に大きな咆哮をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識の明滅のようでした──」
「何だこれ、雷の話?」
「──いっぱいに咲いた白百合が、十本ばかり息もつけない嵐の中に、その稲妻の八分一秒を、まるでかがやいてじっと立っていたのです──」
「宮沢賢治? この人の話って、抽象的過ぎる部分に出てくるあれこれが、実在してるものか判らないんだよな」
碧い光に捲られて、次の場面。
「──それから遠い幾山河の人たちを、燈籠のように思い浮べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちのことばに聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました──」
「…………ライドウになる前のあんたは、俺の事知らないだろ。ああして昔の夜になってると、俺の事なんか見えてなくて、契約の事も忘却されてそうで……殴ってでも引き戻したくなる」
「殴れば良かったではないか。さすれば少なくとも最新の記憶は上塗りされ、今後の雷の夜は君のものだ」
「真っ暗でも、あんたと煙の匂いは分かるから……だから、火で良かったんだ」
月の色か雷の色か、人間の情か悪魔の性か、はたまた両方か。僕を間近から、ぎらぎらと鋭く貫く光。
息を吹き返す雨脚と返り咲く雷鳴、まだまだ電気は戻らぬと察す。
「──ぬれた着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方ない。おれの百合は勝ったのだ──」
人修羅が捲ろうとした頁ごと、反対から本を閉じる。咄嗟に引き抜かれた手を僕は掴み、避雷針に噛み付いた。