「お疲れ」
坊主は先に帰し、残った紺野の隣に儂は腰を下ろした。
「事故とはいえ結構な怪我をさせたのだからな、あの脚では暫くまともな修練も出来ず、差も開き葛葉候補の競争には乗れん。そんな最中で、アレの仇である悪魔を蘇生させては些か不公平だった」
「今しがたの制裁とやらで、公平になったと?」
「あいつの対応を見ていたが……倒れていたお前の偽物を、本当は犯そうとしたに違いあるまい。最初の発言と裏腹な結果を残しおって、なんとなく気に喰わん、今後あいつに儂から点はやらんわ、はっはは」
あれで済めば安いと思っているのか、それとも逆か。紺野はいまいち読めない表情のまま、下穿きやシャツを正していった。
「では、ひとまずレギオンの核を」
乱れた単衣の内側(恐らく衣嚢)から、例の石を取り出す紺野。儂はそれを指先に摘まんで受け取り、目前に翳した。やや離れた灯の、僅かな光を数倍にも反射し煌めく。核は何度か扱ったが、思えばこの様にまじまじと見た事は無かった。
「よく此れを回収したな、核の事はまだ教わっていないだろう」
「里の周りで……消えきらぬ悪魔の死体を見る事が、それなりに御座います。様々な状態で転がっておりますが、念や群体の様な連中には、必ず核が有る事に気付きました。活動終息すると、それまで個を維持していた核に〝悪魔としての情報〟は連れ戻され、容器や群体はばらばらに散るのです。逆を云えば、肉体がひとつと残っておらずとも、核さえ有れば復活が出来る、恐らくその様な仕組みでしょう」
紺野の述べた推察は、ほぼ当たっている。教わらずして論じる事が、どこか恐ろしくもある。
「しかし紺よ、此れを蘇生させたとて、お前に使役させる流れにはならんぞ」
「承知の上に御座います」
「弱いレギオンだ、またすぐに死ぬかもしれんぞ」
「恩義も借りも、返したく存じます」
「仲魔が死んでいる状態においては、サマナーとの契約は解消される」
「それは誰が決めたので御座いますか」
間髪入れぬ紺の問いに、儂はすぐさま答えられなかった。
「誰の決め事も何も……死ねば存在が無の状態になる、無とは交信出来んだろうが。霊体の悪魔でさえ、無になってしまうのだ」
「それでは、都合が悪くなれば仲魔を殺せば早いと」
少し、耳が痛い。
「そういう輩も居るだろうな」
「悪魔は噂好き、人間をよく観察しております。契約も守らず、自己都合で仲魔を抹消し続けては、すぐに知れ渡りましょう。巡り巡ってそれは己の首を絞め、サマナーとしての格を下げまする」
このまま紺野も帰し、核から蘇生させたレギオンはまた山に放れば良いと考えていた。
「紺、儂と一緒に他所に行かんか」
自分から出た台詞に、自分で驚いた。紺野も全く予想だにしなかった様で、じっと黙っている。
そうだ、とりあえず考えをまとめるか。儂はこの里に飽きていて、別の里に移るつもりだった……それも次世代の葛葉選出などやっていない支所が良い。最初こそ、ああいった競争を観察するのが面白かった。しかし純粋に力比べな筈も無く、候補の後ろで糸引く為政者、そして無為に長引く遊戯でいたずらに疲弊する修練生。長年眺めてきた儂は、いよいようんざりとしていた。
そんな障害をものともしない素養を、紺野には感じていた。しかしこの〝狐〟の登場は、ある意味で競争をつまらなくさせた。何がどうあろうと、次の葛葉ライドウは紺野に決まっている。他の候補とは圧倒的な差が有る、そんな事くらい中堅程度のサマナーなら判るだろう。何を競わせる意味がある?
「……それは〝この里を捨て、葛葉ライドウを諦めよ〟という事に御座いますか」
逡巡を遮った紺野の声に、儂はどこか焦燥を抱いた。こいつはとても面白い逸材だ、しかし周囲をおかしく、つまらなくしてしまう。宝石の様でもあり、癌の様でもある。美しい相貌のせいか、実力と気位のせいか、様々な欲を引き寄せる男。里でそれらは捻じれ渦巻き、猥雑な暴力を生む。
「儂の下で修業する気は無いか? 葛葉は所詮肩書、しかも酷い重責だぞ。國一番のサマナーに成るのであれば、寧ろ足枷となるわ」
「葛葉を獲るは自分の目標、生きる意義に御座います故、お応え出来ませぬ」
「お前ほどの頭が有れば、此処がいかにつまらん処か解っている筈」
「世界の縮図に過ぎぬでしょう」
その知った様な回答に、たまらなくなった。煽られた様にも感じ、憐みの様にも感じ、諦めの様にも感じ。思わず紺野の衿を掴んだ、何をするかも考え無しに。紺野の眼はみるみるうちに〝ああ、またか〟といった風な冷たさを帯びた。今から儂が犯すとでも想定したのだろうか、嗚呼、先刻の坊主の気持ちが一瞬重なる。
「儂の誘いを断るのだな、お前」
「はい、申し訳ありませぬ」
「……気が済まん」
「核の事も御座います、お済みになるまで今宵は以津真様に従う所存です」
衿ごと引き寄せ、じっと紺野の眼を眺めた。紫紺の霞が薄く光る、艶やかな仄昏い眼。そういえば、あの悪魔師範が語っていた。我が主は眼が良い、と。まるで生を、魂を吸い込まれる心地らしい。確かに、何かが奪われてゆく気がしてならん。どうやら、悪魔に限った話では無いらしい……
紺野をぱっと放し、数歩後退した。儂は帯裏を撫で、挟んである管に干渉した。MAGが流動し、目の前で光の粒が形を成す。召喚された悪魔を見るなり、紺野は強張った。無理も無い……現れたのはタム・リン、あの悪魔師範と全く同じ姿なのだから。
「案ずるな、儂の悪魔であって、あの師範とは別物だ」
「はい」
「別物だから平気だな?」
何が、とまでは云わない。それでも紺野には十分伝わったらしく、とうとうその表情が翳った。
「そいつは所謂〝色欲〟要員だ。儂は自分の躰で快を得られぬ性質でな……色事は面倒なので、そのタム・リンに代役をさせてきた」
無言のままに跪くタム・リン、さらりと肩を滑る銀糸が眩い。久々に召喚したので、儂でさえもあの悪魔師範と一瞬錯覚した。
「擬態不要、お喋り不要、お前はただただ仰向けの馬になってやれ。ああその前に、小童を脱がしてやるんだ」
「自分で脱ぎます」
反射的に唱えたか、やや急いた口調の紺野。折角はめた釦をすべて外し、シャツも裾除けも下穿きも、すべて足下に落としていった。
「紺、お前は叩かれようが突っ込まれようが涼しい顔をしているな、今ひとたびの苦痛を乗り切れば良い、その程度の物事と処理している」
「何か問題が」
「正直云って、つまらんのさ。お前が能動的に動いてみろ、そのタム・リンに跨れ」
さすがは経験値の高い悪魔よ、仰向けで待機するという間抜けはせずに、先ずは愛撫から始めている。抱き締めれば甲冑が触る事を知っているから、やんわりと腕を回し。革手袋の指先で襟足を撫で、頸をぐるりと辿って鎖骨をくすぐる。視線の定まらぬ紺野の両脇に腕を入れ、ぐっと持ち上げてから、ゆっくりと重心を低くしていった。ごとりと鈍い音を立て、背を床板に寝かせるタム・リン。跨る紺野に向かって、儂は命じた。
「下肢の帷子を捲って、垂れを外してやれ」
紺野は思考時間を自らに与えぬ為か、嫌に迅速な手つきで実行する。人型を湛える妖精騎士は、見事なまでに雄を象徴していた。その一物越しに顔を見たくないのか、視線を落とし気味だ。
「良いか紺、跨り腰を振れ、お前が達するまでだ」
「自分が……ですか」
「そうだ、その馬は人間と違ってな……御せず吐き出し勝手に萎える、という事も無い」
紺野は明らかに困惑している、その反応が見れると思って命じた。お前は儂と同じで不感症に近い、そうだろう? それを尻だけで達しろなど、無理難題。しかも相手は馴染み深い姿で、感覚的には近親に近いと思われる。お前が唯一あの悪魔師範に懐いている事くらい、疎い儂でさえ知っている。
「っ……う」
ゆっくりと腰を沈ませるものの、大きく息を吐き出し停滞した紺野。あの坊主より一回りは確実に大きい、いくら油や精液が残留していようと、きついものはきついだろう。
「紺、ちゃんと相手の顔を見ろ」
「はァ……あ、あぁ……」
根本まで呑み込んだは良いが、肝心の自身は可哀想なまでに草臥れている。その調子では達するどころか、快楽のかの字も得られんのではなかろうか。それでも紺は腰を上下に動かした。ぬぶぬぶと限界まで拡げられた孔も、次第に解れていく様が判る。
「見ろと云っただろう」
明後日を向こうとする紺野の頭をわしりと掴み、ぐいと正面に直す。しかし儂が放せばすぐに他所を向いてしまう為、どうしたものかと溜息したが瞬間、ふっと思い出して廊下に出た。外の竹垣の修繕に使おうと、緊縛師から御裾分けしてもらった縄が有る。
「絞め殺すつもりは無い」
云いながら紺野の背後に立ち、その首に縄を沿わせた。びくりと反射が有ったものの、それ以上の反応をしない紺野。青白い首を、上等な麻縄が蛇の様に飾る。難しい事は出来ないので、首輪の真似で細工する。余った部分を上の梁に放り、折り返し落ちてきた先端を近くの柱に結んだ。これで儂がいちいち頭を掴まずとも良い、耳の後ろを這う様に輪を吊ったので、頸を捻る事も難しい筈。そしてタム・リンの胴にしがみつく事も叶わんだろう。
「どうだ、タム・リンのブツは気持ち良いか?」
「……」
「紺、良いか悪いか返事をしろ」
「……わ、からな……」
「なんだって」
「わ、わかりませぬ」
驚いた、何事も白黒つけてきた紺野が、分からないなどと宣ったのだ。
「良いと思わん事には昇華出来んだろうお前、儂は結局出来なんだが……肉体と感情を切り離せた方がな、多分得だぞ」
紺野の顔が見える位置にしゃがみ、ついでに仲魔の方も確認した。タム・リンの余裕の微笑みは、この薄暗がりに悠然と浮かび上がる。自ずと光るその眼は、跨り悶える紺野をじっと射る。
「いっそ此れを、お前の師範と思った方が早いかもしれんぞ」
「なに……を」
「後ろめたいのか? お前を可愛がってくれているだろう、アレは」
「あの方をその様に見てはおりませぬ!」
小さく叫んだ途端、咳き込む紺野。儂を見ようとして縄が食い込んだか、震える手で喉を抑えていた。
「美化し過ぎだ、あの師範も随分と好色な奴だったぞ。まあ……最近は落ち着いたもんだがの」
「自分には関係ありませぬ」
「お前が望めば抱いてくれるだろうさ」
「望みませぬ」
「其処まで割り切っているのなら、その馬がお前のタム・リンではないと、よくよく理解出来る筈じゃあないか。脳裏をかすめるのは、お前がそれこそ情欲を抱いているからではないのかね、己の師範に」
「そんな筈は……」
いよいよ紺野の腰が止まってしまったので、儂はタム・リンの甲冑を指先で小突いた。
「おい、少しだけ可愛がってやれ」
うっそりと口角を上げた悪魔は、紺野の腰をさりさりと撫でた。黒革は冷たく肌を擦るが、それさえも馴染み深いのだろう、紺野は身じろぐが避ける事もままならず、引き攣った声を出した。続けざまに黒い指先は、紺野の雄をやんわり握りこむ。蒲の穂でも揉む様に、ゆるゆると慰む愛撫。
「あ……ぁ」
「両手を掴んでおけ」
紺野が自らの視界を塞ごうとするので、儂は悪魔にぴしゃりと命じた。タム・リンは愛撫を止め、紺野の手を取った。白い指に黒い指が絡み、それは制するというよりは愛しむ動きで、一層紺野を惑わせていた
「あぁ……あっ……あ、んあッ……ぁ……くぅッ」
舟でも漕ぐ様な間隔で、もったりと突き上げる悪魔。紺野の一物も息を吹き返してきたと同時に、喘ぎに湿り気が出てきた。この残暑の空気と一体化して、空間ごとおかしくさせる、そんな嬌態。黒髪は妄りに乱れ、はねっ返りなもみあげに雫が垂れていた。汗ばむ肢体を躍らせ、MAGを仄かに漂わせ、紺野は眼を歪ませた。
「もういいぞ」
儂の声に、悪魔は律動を止めた。紺野だけが取り残され、一人腰を振っていた。
「後はお前で勝手に達しろ、紺」
云われずと、もはや紺野の動きはそれを渇望していた。まるで嵐に繰り出す舟の櫂、溺れる者の呼吸……そして静寂。
「……かはッ」
痙攣したと思えば虚脱し、縄がぴんと張っていた。雄からは既にひと噴きしたか、悪魔の甲冑に白い紗がかかっている。
儂は柱に結び付けておいた縄を解き、ぐったりとした紺野を引き起こした。意識も虚ろなその相貌、化け狐と云われるだけはある、匂い立つ色香が有った。育ちきらぬ齢の見せる、おぞましい色だ。誰しもが過ぎ去る時期なのに、紺野がこれほど歪な理由は……境遇のせいだろう。
「本当に達するとは思わんかったな、恐れ入った」
誘いを断られた衝動から、この様な所業に出るとは、もしやすると自分が一番つまらぬ奴ではないか。ぼんやりと想いに耽り、腕に支える小童の首を撫でる。痣になる前に縄を取り除かなくては。と……紺野の唇が、何かをしきりに紡いでいる。それは遠くの虫の声よりも小さかったが、はっきりと読めた。
〝リン〟
恐らくタム・リンのリンだ、しかし目の前に居る悪魔ではない。紺野が常日頃〝そうやって〟呼ぶ方な気がする。途端、何故だか暴力的な妄想が頭を支配した。紺野の潤む瞳が、酷く癪だ。
「犯せ」
儂の唐突な命令に、張り詰める周囲。次の瞬間、紺野は腕から抜け逃げようとしたが、縄を引き食い止めた。床に転げた紺野に、悪魔が覆い被さる。命令の意図を汲んだか、先刻ほどの労りや愛しみは感じられぬ所作。両手首を床に押し付け、体格差で圧倒し、容赦なく根本まで捩じ込んでいる。
「ぉ……お赦し、下さいっ」
揺さぶられる紺野が、息継ぎの隙間に発した。
「駄目だ」
「ほ、か……他のっ、何とも交わります! 此の悪魔はっ、タム・リンはもう、仕舞ってっ、あっ、はぶっ」
体勢を変えられ、今度は後ろから貫かれた紺野。傷痕も痛々しいその背中を、悪魔の銀糸がくすぐると……狂った様にいやいやをした。
「うっ、うぅんッ、ぐううぅッ」
口元は黒革手袋に塞がれ、一層激しくごりごりと嬲られては獣の様に唸る。未だ完全に声変わりしきらぬ喘ぎは、鋭く脳天に響く。
ああ可笑しい、夜毎自ら犯している連中は、此処まで乱れた紺野を見た事も無いのだろうな。それこそ、あっという間に慣れてしまう奴だ、ただ抱かれるだけであれば、慌てふためくのも初夜くらいだろう。踊らされているのはどっちだ全く、こいつの尊厳が削れるのは一時的なものでしかない。執着から喰い合いし、瓦解しているのはカラス達の方だ。紺野を狐たらしめるのは、周囲の人間達なのだ。
(では儂は何故、そんな連中と張り合うかの如く、こうして紺野を……)
意識が泥の様に濁り、重く沈みだす。儂は首輪の縄を握ったまま、寝落ちてしまった。
あれから丸二日、紺野は修練に参加しなかった。回復にまず一日要し、二日目は悪魔師範が指導にあたる実技だからと推測した。そして本日は儂が指導にあたるので、それこそ姿を見せぬと思ったが……奴は来た。
他の修練生から痛めつけられようと、御上衆に輪姦された翌日だろうと、自主鍛練さえ欠かさぬ奴だ。それが二日間も抜けた事実は、少なからず波紋を呼んでいた。
「始めるぞ、本日はこのまま外で指導を行う。記帳が必要な程の事はせん、ちゃんと見て記憶しておけ」
儂を囲むよう並ぶ小童の中から、ちらりと紺野だけを見た。あの日よりも軽装だ、木綿の夏着物に、麻の野袴。涼し気な首筋に、痣はもう無かった。すっかり澄ました顔で、周囲からひそひそと囁かれようが気にも留めない。儂と目が合おうと、顔色ひとつ変えないのだから参った。
「悪魔が技を発する時、必ずではないが兆候が有り──……」
この何十年、幾度となく繰り返してきた指導。教え子の中から四天王が出たか否か、記憶に無い。それほどに儂は、あの肩書をどうでも良いと思っていたのかもしれんな。まあいい、そろそろ本題に入ろう。
「最近有ったな? 自爆被害が」
数名がくすくす笑った。本日ちょうど、あの坊主は居ない。細かい破片を皮肉より取り除く為、街医者に行っている。
「しかし、実際見た事のある奴は少ない、そうだろう? 先日のだって、つまり二名しか見ていない訳だ」
装束の内より、管を出す。MAGを流して輪を回せば、目の前に現れるはレギオン。
「さて、これよりこやつを自爆させる。皆〝この程度なら平気であろう〟という位置まで下がってみろ、自己判断で宜しい」
軽くどよめきが走ったが、大体の連中は面白がっている様子だ。そう、紺野を除いて。
「……おい、お前其処で平気なんか?」
ほぼ後退しない紺野を見かねて、思わず声をかけた奴が居た。しかしその背後から「経験済みなんだし、把握しとるやろう、放っとけ」と離されていった。
紺野の眼は、レギオンを凝視している。MAGを感じ取る敏感なお前には判るだろう、此れはあのレギオンだ。核を預かった翌日には、施設で蘇生させた。能力差でするりと支配下に置き、今の主人は儂だ。
「今の位置より動くでないぞ。儂の移る位置が最短の間合いなのだと、答え合わせになってしまうでな」
云いながら、儂はレギオンから離れる……紺野の取っている間合いより、やや大きく。
「爆ぜろ」
火薬爆発とは異なる、轟音。風音か鳴き声か、正体不明の不協和音を奏でつつ、風が渦巻いた。
紺野だけが、吹き飛ばされた小石などで、軽い擦り傷を作っている。他の連中は初めて見た光景に、暫く呆けていた。
「この手合いは散った後、心臓部の如き石を残す、これこれ……此れだ」
爆風で毛並みの乱れた草むらから、すっと拾い上げた。数日前と同じ輝きで、今は儂の掌の上に。
「今のは一例、更に強い悪魔であれば被害は甚大、気を付ける事。さて、この核があればこそ、今の悪魔を再び蘇生させる事も可能だ、だが……」
振りかぶって、思い切り空に投げた。上空を舞っていたアンズーが、嘴にはっしと咥えそのまま飛び去った。
「こうする事も厭うなよ? 別れを切り出すより容易く、契約も同時に破棄出来る。合体素材にするにも面倒と思えば、最後に自爆させて核とした方が、遺棄も楽よ……ああ、間違っても骨董屋に売るなよ? 只の鉱石というには、些か不穏だからな。ではお開き、解散」
唖然とする者も居れば、興味深く聴き入る者も居る。儂はどう思われようと構わん、ただただ、紺野にこれを見せたかった。
「もう体は良いのか、紺」
「……はい」
アンズーを暫く追っていた視線が、ようやく此方に向いた。紺野の眼は、据わっている。周囲のはしゃぎ声も、太陽の光も、夏から秋への心地良い風も、すべて呑み込む様な暗闇を湛えていて……成程、惚れ惚れした。
「あの核、また持って来たらどうだ。ああ勿論、対価は何かしらの形で貰うがな」
「……」
「こうして何度でも、授業材料にしてやろう。お前、契約だから何度でも蘇生させると……そうだろう?」
儂に背を向け駆け出す紺野に、笑いが零れた。何が可笑しいのか分からないが、ここ数十年で一番面白かった。
あれが、最後に見た紺野の印象だった。当時で十三かそこらの齢だったか……そもそも紺野の正確な年齢を把握している者は、誰も居なかったな。
「儂はちょうど今日、帰ってきた」
「然様で御座いますか」
「里帰りって云うのも変だな。一番長く居座ったで、故郷みたいになってしまった……ははは……そんな良い処でも無いのに、虚しいな」
何年ぶりだろうか、まあ予想通りの男に育っていた。予想通りに襲名し、予想通りの活躍をしているらしい。それらは風の噂で聴いていた。
儂より高い位置から、冷たい眼差しを向けてくる。いつかの坊主が嘆いた通り〝男〟になっていた。しかし美しさには益々磨きがかかっている、今となっては使いこなしていそうだ。
「お前もこのまま里に行くのか?」
「はい」
「そうか……」
広大な平原を、印も無しに歩けるのは我々烏だけだろう。たった二羽だからか、それとも儂が老け込んだのか、昔語りをしたくなった。
「儂は、悪魔をどうしても対等に思えんかった。冷静に悪魔を駆るお前に、同じ気質を見出していたが……見当違いさ。お前が悪魔に対し義理堅い事に、不安を覚えた。サマナー、いや人間としても格下かもしれぬと。そして、あれほど慰み者にされようと諦観し切らず、汚れを飲み下すお前に、何故か苛立ちさえ覚えた。お前にあの里は適していないと、だから儂が連れ出し育成しようと思った、それさえ思い上がりだったのかと気付き、耐え切れず……あの時は随分な事をしてしまったな。そうだ、リン師範は元気にしているのか?」
「……」
「結局お前とはあれきりだし、里の現状を知らんのよ。まあしかし他所の支所もつまらんかった。お前の言葉を思い出したよ、世界の縮図とな。何処に行こうが、規模の違う世界が転がっているだけ。つまりは、儂が一番つまらん奴だったのよ」
「貴方にとっては、何もかもがつまらぬのでしょうか」
少し低くなった声で、紺野……いや、ライドウの十四代目が問うてきた。
「なんだかんだと、お前が候補の頃の里、あの時期が一番面白かった」
「……以津真様、此れを」
何かと思い、ふとライドウを見た。外套襟からするりと何かを引きずり出し、儂の手に握らせてくる。
縄だ。
それを辿れば、彼の学生服の首元で、ぐるりと輪になっていた。
「な……」
「恩義も借りも、返したく存じます」
耳元で囁かれた瞬間、目の前が真白になり────
「なかなかの自爆っぷり、育てた甲斐が有ったものだよ、フフ……」
肉片の散らばる中、いつかの様に宝探しをする。
「見ぃ付けた」
あっさり発見してしまい、それこそつまらぬ。
レギオンの核を拾い上げ、里とは逆方向へと歩み出す。此処での用事は済んだ、このまま業魔殿に向かう。
ギャアギャアと上空で旋回するアンズー達が煩い、背後の掃除でも始めるのだろう。僕としては都合が宜しい、これでイツマデがやって来る事もあるまい。
「自ら借りを返した気分はどうかね」
掌の核に語り掛ければ、鈍色に煌めいた。