回憶の骸



「余所ん家の連中、もう皆来ただか?」
「多分来たでしょ」
「あれぇ、水車小屋んトコのせがれは!?」
「何云ってんだか婆さん、あれは去年の春に東京出たろ、まだ戻っちゃおらんよ」
 母と祖母の会話を聞きながら、仏間を離れる。いつもと違う空気になるかと思いきや私の期待は裏切られ、なんて事無い夕間暮れ。
 卓上の木皿に盛られた煎餅一枚をつまみ、包みを破こうとしたけどうまくいかない。短気な私は剥き出しで盛ってある落雁に矛先を変え、それを口に放った。可愛らしい細工を舌にころころ遊ばせるが、味より先に喉の渇きを感じた。
「手紙さ出して、知らせただか?」
「いやぁ……全部終わってからにしよう、慌てて書いてもそう変わらんよ。第一、此処から直通とはいかんし」
「あのせがれは特に仲良かったろう? きっとオイオイ泣きよんで」
「私らだってオイオイ泣いたで、昨日」
「そりゃおめ、あったりまえよぉ、まだあんなに若ぇのになぁ……おれみたいに、しわしわになっとりゃ納得も出来るってもんだが」
「病気はままならんね、いっそ呪いの類なら祓ってよしなのに。そういう風に産んだ私が悪かったのにねぇ、どうして……」
「止しや! おめは悪くねえよ!」
 開放された襖の間、仏間に寝そべる故人が見える。昨晩死んで、それからあっと言う間の流れだった。すぐに焼くから防腐処理もしないそうだ、とはいえ少しでも〝遅らせる〟為に布を被せてある、材質は知らない。じっと眺めていると思い出が甦り、息苦しいから逃げ出した。そろそろ風も冷えてくる頃、少し散歩してこよう。
「あっ」
 思わず声が出た、引き戸を開ければ前庭の向こうに〈鬼嫁〉が居たからだ。本当に鬼嫁かは知らないけど〝人修羅と呼ばれているから鬼なんだろう〟〝鬼の嫁子じゃ鬼嫁じゃ〟と学校連中でクスクス笑ってた。勿論、先生の居ない間に。
 鬼嫁もこっちを見ていた、低生垣の上から真黒い袴姿で……ただし、目は合わない。まさか心を読まれたか、呆れた奴だと意図的に外されている可能性を思い、身が竦んだ。しかし行くか戻るかしないと、きっと邪魔になってしまう。
「何を突っ立って居るのかね、此の家で合っているよ」
 聞き慣れた声、これは先生──もとい十四代目だ、鬼嫁の後方からいつの間にか来ていた。低生垣が定規の役割を果たす、あの人は本当に姿勢が良い。単なる姿勢の話じゃなく、頑丈な糸で吊ってある様な感じだ。骨とか体幹でもなく、もっと深い所に糸が括ってある様な、それだから動きの全てに余裕が見える。外見年齢にそぐわない、あのしなやかな貫禄に……私達が学生時代、どれだけ魅了された事か。
「いや、あんたが先に行けよ。俺がいきなり行ったらびびるだろ、向こうも」
「君が普段より近所付き合いしておれば、そうもならぬだろうね」
「井戸端会議する様な話題、俺が持ち合わす訳無いだろ」
「ボルテクスの話でもすれば数時間は持つだろうよ、君が一時間話せば他が十時間に引き延ばしてくれよう」
「誰が話すか、あんなつまらない──」
「ごきげんよう」
 会話が途切れた、気付けば目の前に居る、光を吸い込む闇みたいに私の視界を覆って。
「ほら、功刀君も挨拶し給え」
「……あ、ああ…………どうも」
 鬼嫁は十四代目の背後から、ぼそぼそと挨拶する。その視線も声も、私というよりは庇(ひさし)に向かっていた。
「十四代目、わざわざ有難うございます、人修羅様も」
「家長は?」
「父は火処に、母と祖母は家の中に」
「少し上がらせて貰うよ」
「ええ、どうぞ!」
 引き戸を思い切り開き、玄関に通す。こうして十四代目を間近に見るのも久々だ。皆、一番縁が有る時期というのは恐らく在学中、しかも常に居られる方じゃない、運が悪ければ何年間も姿を見れない。
(仏間のとは違う種類の、香の匂い)
 しょっちゅう黒服を着ているから、今この時も、喪服姿というよりは普段着に見えた。
(普段着……?)
 いや違う、今日の恰好は〝正装〟だ。古めかしい学帽を被っている、それは以前写真で見た〈帝都守護の任〉に就くデビルサマナーの姿。つまり、外套の下はあの制服だろう。こういう時に着てくるのか、知らなかった。
「十四代目!」
「そのままで宜しい、脚に響くだろう」
「いやほんに有難うごぜいます、ちいっと前にも来て頂いたっつうに」
「ちょっと前だって? 君の御主人が亡くなったのは……そう、十二年前だ」
「ははぁ、もうそんな経っただか」
「若者の十二年は長いが、僕等にとってはちょっと前だね」
「はははは!」
 仏間から祖母の大笑いが聴こえた、今あそこに顔を出すのは少し恥ずかしい。私はまた隣室から、ちらりちらりと仏間を覗く。祖母と面向いに立膝する十四代目、その後ろでじっと正座する鬼嫁。あの人修羅という存在は、彼女なのか彼なのか、よく分からない。十四代目の伴侶であるとしか私は聞いておらず、細かい事情は一部の年寄りが知るそうだ。若い衆にとっては朧げな存在だから、鬼嫁はまさしく〈鬼〉として妄想され放題だった。どうやら昔は十四代目と共に戦っていたらしいのだが、それだけは想像がつかない。何故かというと、時折見かける鬼嫁はいつもいつも涼し気で、悪く云えば冷ややかで。用事が済めばさっと上に戻ってしまう、体が弱いんじゃないかと皆で話してた、そう体が──
「……体が弱いから、覚悟はしとったのですけど」
 母の声がする。
「やっぱ親より先に逝かれると……堪えるなあ、って」
「延命は多少利くが、人間の器であれば限界は有る」
「こんな時ばかりは悪魔が羨ましくて。病気持って生まれるとかも聴いた事は無いし……争いに巻き込まれん限りは長生きでしょう?」
「悪魔に生まれ変わってでも、生きて欲しかったかね」
「それは──」
 言葉に詰まる母。一方の十四代目は哂っていた、いつも通り温度の無い微笑み、面だけではただ美しい事しか分からない、だから自然と眼を見てしまうのだ……皆。
「おい」
 一声あげたのは、鶴でなく鬼。ずっと沈黙していた鬼嫁が、身じろぎもせず空気を割った。喰い込む先は、視線の先の十四代目。
「例え話で傷を抉るな。弔問しに来てる事、忘れたのかあんた」
「フフ……居心地が悪くなったかい」
「話を逸らすんじゃねえよ。外に喪主待たせてるなら、暗くなる前に……運んでやるべきだ」
「との事だ、もう良いかね?」
 問われているのは母だ、慌てて頷いていた。
「ではこのまま葬儀へと移る。故人は僕の仲魔で運ぶ。家の者は皆、前庭へ」
 十四代目が号令すれば、とんとん拍子に事は進む。白布に包まれた故人は、オバリヨンが負ぶって運ぶ。本来は〝背中に引っ付いて離れない〟悪魔だが、それに負ぶわせる事で〝離れを良くする〟らしい。
 縁側から出て菩提樹のそばを通り前庭へ、親族の合間を縫って、車に向かう。前路では車が待機していた、屋根に棺を載せたオボログルマだ。このオボログルマ自体は写真で見た事がある、十四代目の愛車なんだとか、しかし実物をこんな形で見るなんて。
「君は後ろに乗り給え」
 十四代目の声を察する事も出来ず、私は棺をぼうっと眺めていた。唐破風の見事な曲線、しかも鳳凰の細工!
 これは噂に聴くイッポンダタラの仕事だろう。里の精密な機構といえば、大体は十四代目のイッポンダタラが仕上げたものと教えられてきたから。
「ほら、此方の席」
「……えっ、本当に良いんですか!? 此処は母か祖母が乗るべきなんじゃ」
「此れに興味が有りそうだったからね」
 故人が納められたばかりの棺を、手の甲で軽く叩いた十四代目。それをどこか呆れ顔で一瞥した鬼嫁が、助手席に乗り込んだ。
 私は背後に視線を送るが、案の定、母達は不安そうな顔をしていた。私が粗相をしないか心配なのだ、私も私が心配だ。しかし折角の招待を断る度胸も無く……寧ろ指摘通りの好奇心が有ったので、十四代目の気が変わらぬうちにお邪魔した。
「此処より各区画を廻り、野辺送りとする。時間の空いて居る者は家を出、見送るが良い」
 十四代目は唱えた後、運転席にするりと着座し、クラクションを長く押した。機械か悪魔か分からぬ音が、ひぐらしの声も掻き消し響く。やがて切り離されたように、谺(こだま)だけが秋空に飲まれていった。
「此の車は里全体を廻り向かうが、君の身内は徒歩で真っ直ぐ向かう。ちょうど同じ頃に落ち合うだろう」
「はい、よろしくお願いします」
 見慣れた筈の風景も、車窓で縁取れば新鮮だった。乗り心地は上々、修学旅行で乗ったタクシーよりも上等な内装に感じる。コレは本当に悪魔なのだろうか? 馬車の幻覚を見せられていて、本当はカボチャのままかもしれない。今日の始まりから此処までも、ずっと夢なのかも。
「其処の倅には、此度の訃報を連絡したのかね」
 水車小屋に差し掛かると、運転席から訊ねられた。
「いえ、落ち着いたら連絡すると母が」
「そうかい」
 のんびりと回る水車は、里の空気を読まない。酷い雨でも無い限り、いつも通りの速度で呑気なものだ。私が小さい頃から、くたびれた様子も無い、これもイッポンダタラが作ったのだろうか。あの機構はガラ紡に繋がっていて、蚕の繭と蜘蛛糸とを縒り合わす設備になっている。ガラ紡も悪くは無いが些か単調で、じっと見続けるなら機織りだ。一握りの蜘蛛女たちは、直接糸を織り込んでゆく、あの織機と手業の紡ぎ出す濃淡や図柄の美しさといったら。私は蜘蛛が得意ではなかったけれど、あれ見たさにしょっちゅう覘かせてもらったものだ。
「君は昔から細工を見るのが好きだったね」
 私の視線の先を読んでか、十四代目に指摘された。
「えっ……憶えてるんですか。私ん時に十四代目が先生やってくれたのは、年に二~三ヵ月とかそれくらいだったと思うんですけど」
「フフ……形代をくすねた事が有ったろう」
「あっ、あの時は本当に、申し訳ありません……としか」
 一気に冷えた、まさかこんな時に掘り返されるとは思わなかった。七つかそこらの頃だ、確か年越の祓。穢れを移す形代を、各家庭で切るものだから、それぞれにクセが有って……それが面白くて、つい。祭壇に納める際、こっそり二枚程度抜いてしまったのだ。本当はぱっと見たら、すぐ戻そうと思っていたのだけど、背後には次が控えていて、うっかり手にしたまま立ち去ったのだ。あれよあれよと事は進み、十四代目が形代の枚数を確認し始めた辺りで怖くなって、私は母の手を握ったままわんわん泣いてしまった。
「鼻血が止まらぬと医務室に来た子に、血を分けてくれとせがんでいたね」
「そんな事までよく」
「人形神(ひんながみ)でも作ろうとしたかね、確か授業で話題にしたばかりだった」
「その通りです、だから私、墓地の土までちゃんと用意しとったのに……」
「好奇心大いに結構、しかし君は生まれながらに虚弱であった。打ち消す力が無いのであれば、厄を呼び込む遊びは控えるべきだ」
「仰る通りです」
「分かれば宜しい」
 さらりとした説教で助かった、これ以上明かされたら流石に恥ずかしい。鬼嫁にも〝主人の手を煩わせて〟と、内心責められているかもしれず肝が冷えた。
 そう、一度だけ鬼嫁の作った弁当を見た事がある。何人かの生徒が〝愛妻弁当だ〟と野次るので、十四代目もとい紺野先生は、滅多に教室で食べなくなってしまった。皆でやいやいと寄ってたかって見た弁当は、彩り豊かで、しかも二段有る。薄くスライスした胡瓜や赤かぶらで包んだ、手毬の様なおにぎり。菜の花に卵そぼろが和えられて、花が咲いてるみたいなおひたし。型抜きされた花と、抜かれた側、種類を交互に入れ替えてある、象嵌細工じみた人参と胡瓜の甘酢漬け。どれもこれも凝っていて、サイズが一定だった。
 これは凄いと子供心に思い、それは他の連中も同じだったようで。鬼嫁はよほど先生の事が好きか、もしくは超暇人か、そんな噂が上書きされた。
 
 陽射しも茜になり始めた頃、火処に到着した。此処から先は親族のみが見送り、十四代目達が執り行う。昔からそう伝え聞いているだけなので、実際どの様な方法を取るのか、私は知らない。身内に不幸があればこそ知る事が出来る、なんともいえない儀式だ。
 停車すると、真っ先に父が駆け寄ってきた。各席の扉が勝手に開くと、どこからともなく声が響く。
『オクヤミモウシアゲマス』
 此処に居る誰の声でも無い……もしかして、このオボログルマだろうか。そうなんですか、と確認するより早く前二人が降りてしまうので、私も慌てて降りた。
「十四代目!」
「棺は何処かね」
「既に櫓に」
「分かった。これより故人を納める、近親者は棺の周りへ」
 最期のお別れだ、私も父の背中を追う。こんな時だというのに、父が二三振り返るものだから、危うくぶつかりそうになった。ちょっと、と声を荒げそうになったが、それこそこんな時だというのに、私の短気を見せてはいけない。
 先に到着した面々が、棺を見下ろしている。空っぽの棺は、低い櫓の上に組み置かれていた。砂利道を、ざっざっと音立ててやって来るオバリヨン、包まれた故人をそうっと棺の内に寝かせた。
『じゃあネ~!』
 親族一同に手を振って挨拶すると、オバリヨンは管に戻された。その管を胸元にしまい、十四代目が私の横に並んだ。
「さて、故人との別れだ。君は特に、よく見ておき給え」
 頭は頭巾の様に被せてあるだけなので、十四代目がめくればするりと脱げた。故人はまるで能面の様な顔をして、いくら死んでいるからとはいえ、あまりにも生気の無い……これは。
「……人形?」
「そう、此れは人形、随分と大きいが君の形代」
「どういう事です、それって」
「君の肉体は完全に喰われてしまったのだよ、人形神に」
「待って下さい十四代目、話が分からないです! だって私こうして居ますよ、此処に──」
 自らの胸を叩いたつもりが、音がしなかった。というよりも、感触が消えた、唐突に。
「道中、昔話をしたろう。記憶は途切れ途切れの様子だが、君は人形神を完成させていたのだよ」
「で、でも私が作ろうとしたのは、確か真似事程度のモノで……だって大勢の念が必要じゃないですかっ、この里だけじゃ効力の高い人形神なんて作れっこ無いです」
「修学旅行で東京の墓地に埋め、数年後掘り起こしに行った。旅行先での足取りは、君と行動を共にした学友から聞いている。寺を回る度に、ふらりと姿を消していたそうだね。大勢の足が踏み入れる、手入れの行き届いた墓地を探していた、違うかね」
「憶えて……ません」
「裏は取ってあるのだよ。君は現地の悪魔に人形を預け、人目の無い時に埋めさせた。三年後の祭の前夜に引き取りに来ると、その悪魔には伝えてあった」
 そうだ、日付よりも分かり易いのが〝祭の開催日〟だったので、そういう約束をした。何より、お祭りに行くと云えば、それらしい旅行の理由になったからだ。人が多いとやりづらいので、用事だけ済ませたら翌日の祭りも見ずに帰還した。
「その辺りの調査は、向こうに暮らす小倅にも協力してもらった」
「私……時間が、流れが分からないんです……今、何年か、私が何歳か」
「掘り起こした人形神を君は持ち帰り、身内に隠し祀っていた。先刻、自ら云った通り、大した効力は無いと踏んでの事だったろうね、しかし君の人形神は充分に育っていた。暫くは幸福を招くが、一度反転すれば最後。おまけに君は病弱だった、抵抗できぬままみるみる衰弱し、人形神の事も打ち明けぬまま死んでしまった。家の者は呪いとは疑わなかった、君が生まれつき患っていた為、これは人としての寿命と思い込んだのだ」
 あの時と同じだ、怖くて怖くて、ぎりぎりまで打ち明けられず、泣く余力も無かった。私は……まさか、死んでしまった?
「人形神は悟られぬよう、君の魂を野放しにした。少しでも原因を嗅ぎ取られぬ様、姑息な手を使った訳だ。しかし所詮は時間稼ぎ、君の家は捜索され、納戸奥の隠し戸に匿われる人形神が発見された。それを認めた里のサマナー衆は、君に似せた形代を作り上げた。何もかも、君の魂をおびき寄せ、騙す為。君の魂が発見されるまで、あの人形はずっと仏間に寝かされていたのだよ」
 そういえば誰が死んだのか、分かっていなかった。深く考えると辛いのは、故人との思い出のせいかと思っていたのに。
「じゃあ、私もう死んでて、しかも結構経ってるんですか?」
「人形神を害無く焚き上げるには、創造主と共に焼くが定石。君は既に焼かれ、この形代の中に骨が納まっている」
 聴いた瞬間、考えるより先に体が動いていた。来た方向へと駆け出したつもりが、グッと引っ掛かる。十四代目の手が……背中から入り、私の心臓辺りを握っていた。
「逃がさぬ。君の魂は君として弔われねば、いつしか己を完全に見失い、名も無き怨霊と化す可能性が高い」
 ぎゅうっと掴まれると苦しい、しかし鼓動は感じない。後方に引っ張られ、一瞬抱きとめられる。間近に眼を捉えられ、外す事も出来ず。
(金色だ)
 夕焼けが映り込んでいるのかと思った、でもすぐに違うと分かった。屈み込み、私を棺に降ろすその陰で、独りでに光っていたから。
「魂は見知った場を行き来する、君が此処に還る機を狙い、御家族は一芝居打ってくれたのだよ、感謝し給え」
 ……もう動けなかった、私はあの人形に同化させられ、故人になってしまったんだ。
 十四代目が一歩退くと、祖母と両親がわっと囲んで私を見下ろし〝騙すような事して悪いなぁ〟〝ちゃんと帰ってくれて良かった〟など口々に呟き、袖口を目尻に当てていた。
「諸君、名残惜しいだろうが、積もる話はあの世で頼むよ」
「十四代目ったら、家族全員が同じとこ逝くかも分かりませんのに」
「安心し給え、同じだよ」
 母にそう返す十四代目の声が、私の心をいやに落ち着かせた。諦めなのか納得なのか、何故だか別れが怖くなくなったのだ。一人、また一人と離れてゆくと、入れ替わりに来たのは鬼嫁。
「もう理解してると思いますが、その体は痛覚も無い。祭の火を観ながら眠るとでも思って」
 鬼嫁の眼も金色だ、眼どころか頬に黒い墨まで入れて。潔癖っぽいと評判だったから、儀式の為とはいえ本当はそんな化粧したくないだろうに。
(化粧?)
 去る茜が薄闇を引きずり出し、私達を包む。鬼嫁は……人修羅は、肌の端々を光らせていた。
「その、何か君の好きな生物を──」
 驚いた、間近に見ればこの人も案外綺麗な顔立ちをしている。ああそうか、十四代目の隣にいつも居るから見過ごしやすいんだ。何より今は、いつも程の仏頂面をしていない。
「花とか動物とか……悪魔でも、教えてください」
 さっきからぼそぼそ呟いてるのは、私に対する確認らしい。どうやって返事すれば良いのやら、棺に納まった私は体の概念を失ったので、喋る事も出来ない。
 いいや元々、体なんて無かったんじゃないの。魂ひとつでふらふらして、昨日から葬式に参加するつもりでいて、十四代目とも会話出来ていた。口なんて要らなかったのではないか。
──ホウオウ
 思い描く、あの神々しく華やかな鳥の姿。私は使役した事が無いから、もっぱら彫刻で喜んでいたけど。
「ホウオウ?」
 訊き返され、伝わっていた事に安堵したら、もう何も浮かばなかった。
「……おやすみなさい」
 呟いた人修羅が指先を一層光らせる、それは墨に滴る碧とは正反対の、朱色。
 火の灯る一指一指を、あやとりのように組み編むと、シャボン玉でも作るみたいにふッと吹いた。その吐息じたいが焔を帯び、指から火衣を取り去る。夕闇迫る空を、悠々と鳳凰が飛んでいく、なんと美しい事か。
「里が一羽は我等の仔、此の時までの役目を讃え、浄火にて紲を焼き切らん」
 十四代目の言葉を聴きながら、あの繊細なお弁当を思い出していた、綺麗な細工のいっぱい詰まった、あの──
 

-----◇-----

 
 立ち眩みがする、久々に集中した所為だ。破れないよう繊細に吹いた次には、天高く巻き上げる火焔を放てという。この落差は非常に神経を使う。
「もうふらついているのかね、随分と鈍ったものだ」
 残骸を覗き終えたライドウが、目ざとく哂う。その表情と懐かしい恰好が合わさり、俺の中で何かが燻る。出逢った頃から、ずっと変わらない姿。あの位置から外套を翻しつつ間合いを詰め、抜き打つ刀でばっさりやられそうな予感さえした。
「毎日戦う訳でも無し、仕方無いだろ」
「まあ及第点だね、綺麗に骨だけ残っている。人間よりも人形の方が、火加減も楽という事か」
「あのなあ、そういう事を遺族の前で──」
 そこまで云って、思い出す。そうだ、遺族なんて居ないのだった。後ろめたいような、気恥ずかしいような心地になり、思わず近くの〝遺族〟を見た。家長である父親が、ライドウに礼をする。
「君達も御苦労、直って宜しい」
 ライドウの一声で、少女の家族がみるみる解け、本来の姿に戻る。あの家に使役されたり、長く縁を持った悪魔達だ。技芸属のセルケトが全員に擬態術を施し、家族に成り代わっていた。
『十四代目、本当に有難うございます』
「この里から生じた怪異は、出来得る限り外に放したくないのでね。それに長く生きていれば、たまにはこんな茶番も悪くない。君達の振舞いは上出来だ、まさにあの一家だったよ」
『長くお仕えしました。口調や仕草、お人柄、すべて憶えております』
 家長を演じていたジークフリード、なんという忠誠心だろうか。悪魔相手というのに感服する。この連中は芝居の間、どこか不安そうに少女を目で追っていた、あれは多分演技じゃない。
『御二方も、あの日の通夜と殆ど変わりない言葉運びで御座いましたな』
「功刀君がいちいち憶えている筈なかろう、素で同じ台詞を吐いていたと思うがね」
 母親に化けていたセルケトが一歩踏み出し、声を上げた。
『反復でなく真心というのであれば、人修羅様には改めて礼を云わねばなりません。前も今回も、奥様に助け船を出して頂きました。私、奥様の後ろに控えておりましたから』
「フフ、つまり僕を意地悪と云うのかい」
『い、いえ。しかし、人間にはやや酷な問いかと』
「そうかな、望む者は望むよ」
『……貴方様を相手にすれば、この里の人間は下手に望めぬでしょう、悪魔に成ろう……などと』
 答えながらセルケトは尾をもぞもぞさせている、これは怯えだ。
「おい、何自分で証明してんだよ、さっさと帰るぞ」
 ライドウに一言吐き捨て、俺は踵を返した。細かい片付けは悪魔達がやるだろう、さっさと帰って寝たい。眠たい訳じゃない、それでも火葬の晩は酷く怠い。死体だろうが人形だろうが、人間であったモノを燃やすのは疲れる。きっとこの袖も、煤で汚れているに違いない、喪服と夕闇に紛れてるだけだ。
『うぉいライドウゥ、パイルダァァーオォオフッ! 完了してるぞぉォォォォ!』
 オボログルマから豪奢なルーフキャリアをあっさり取り外し、ボンネットをバンと叩くイッポンダタラ。故人の棺を納める宮型のボックスは下里管理なので、このまま置き去れば良い。明日には催事用具の倉庫にしまわれる。
「御苦労」
『話はコイツから聞いたぞぉォうぉれのファンが乗ってたな!? サインが欲しいかぁぁぁぁ!?』
「君のファンはついさっき、功刀君が焼いたよ」
『まぁぁた仕事ぶりに嫉妬かァァァァ!? 逆境に負けないメゲないモリモリに盛る! ゴージャスな働くクルマにしてやるぞぉォォ!』
 再びボンネットを叩くイッポンダタラに、オボログルマが『過積載』と文句を述べた辺りで、両者仲良く管に吸われた。
「喧しい時はこれが一番」
「散々扱き使っておいて、酷い奴」
「おや悪魔に同情とは珍しい」
 深々と礼をするジークフリード達を背に、夜道を歩く。神社経由で帰る為、どのみちオボログルマはしまう必要があった。
「水車小屋の小倅に、また便りを出さねば」
「こっちの里長に任せればいいだろ」
「新しい万年筆を買ったのだよ」
「そういう事かよ」
「蒔絵の鳳凰が美しい金細工のやつさ。そういえば君、餞別にしても随分と気前が良かったねえ?」
 ああ……だから話題に出したのか。俺がさっき、なけなしの想像力で思い描いた鳥の形。櫓から離れたライドウからは、殆ど見えないと思っていた。
「あの子、一度は逃げようとしてたじゃないか。あんな子供騙しで大人しくなるなら、安い方だ」
「人形相手に火遊びとは、全く本当に茶番だね、ククッ」
 ライドウは茶番茶番と口ずさむが、悪魔達に擬態芝居を命じたのはあんたじゃないか。
 あそこは既に一家全員呪われており、少女の通夜の翌日には全滅していた、祓い落としは間に合わなかった。
 少女の魂をどう始末しようと、あんたの立場なら勝手だろうに。それこそ火種を作った相手に〝君のせいで家族は死んだ〟と、冥途の土産に嫌味を零しそうでもあるのに。いいや、違う。
(違う……何が?)
 死にゆく相手に容赦なく追い打つライドウも、支配下にある者へ恩情を施すライドウも、どちらも真実だった。何十年と見てきたのに、たまに混乱する。
「なあ、さっきの子。本当に家族と同じところに逝くのか」
「さあ?」
「さあって何だよ、あんな堂々と返しといて」
「俗にいう天国か地獄か、そういったところまでは知らないね。しかしあの一家が集う可能性は極めて高い、呪いの臭いさ。出発時期や路は違えど、流れる先は縒り合わされ……同じ臭いと共鳴する」
「……まあ、一旦は集合出来るならマシか」
 親族の遺言からも恨みは感じ取れなかった。ただただ、迷子になった魂を人間として弔ってくださいと、それだけ願われた。
 あれで、人間として送り出せたのか……正直疑問もあった。肉体は既に無く、俺が燃やしたのは人形だ。
 すべては自覚の問題という事か。実際、種明かしまでの間、少女は人として振る舞っていて。俺は人の形に歪む空間、そこだけで捉えていた。サマナーであれば、大体は同じく視えるだろう。
「ところで功刀君、僕には見せてくれなかったよね、ああいった火遊び」
 鳥居を抜けた辺りで唐突に訊かれ、一瞬何の事か分からなかった。
「俺が自分から芸を見せるタイプじゃない事くらい知ってるだろ。それに子供騙しって、さっきも云った」
「僕は君の子供だよ、お誂え向きじゃないか」
「こんな時だけ子供ぶってんじゃねえ」
「何を注文しようか。四つ足の獣を作らせたら、何でもドゥンになってしまいそうだね。先刻の鳳凰も、尾が足り無かった」
「そんな細かい造形できる訳無いだろ、火って固定されないんだぞ?」
「僕も事切れる直前なら見せてもらえる訳?」
「死ぬ必要無いに決まってるだろ! それにまだ〝作って〟ないだろ──」
 ああそうだ、魂が入るまでは……俺が産んだ子供、夜に成る予定のソレは人形みたいなものだった。
 一瞬で冷えた、そういう季節の宵だからとか、そんな空気の話でなく。火葬の度に焼いたのは死体、死体だから殺人じゃない。さっき焼いたのは人形、人間の体じゃないから殺人じゃない、そう思っていたのに。
「ま、久々に棺を焼く君を見れたし、あれと比較すれば確かに子供騙しだね」
「……あんたに見せる為に焼いてる訳じゃない」
「遺族の人間だろうが悪魔だろうが、火葬を楽しみにする者が居ると、噂に聴く。君が角を生やし、黒で化粧し、炎を纏い舞う。そうそう見れるものでは無いからね、君はまさしく鬼が如き存在なのさ」
「見せる為じゃないって云ってるだろ、あんたが作った儀式だから仕方なく……」
 寒気に耐えきれず、まだ境内なのにライドウにしがみ付いた。ホルスターの狭間にこめかみを当て、背中から掌で更に押し付ける。俺の忙しない呼吸と、山間に響く鳥の声と、秋虫の声と……それら全部がノイズに思えた。こいつの、この男の鼓動だけを確かめたい。
「動いてるよな夜、あんた人形じゃないもんな、内臓有るよな、魂有るよな、そうだよな!?」
「人間であるかは微妙だがね」
「そんな事、もうどうだっていいんだろ」
「君こそ」
 外套に肩まで包まれ、耳元に囁かれた。
「消耗したろう……あげるよ、嫌という程たっぷりとね。だからこの後は僕の為に踊ってよ、矢代」
 帽子の陰に光る双眸に、陽光の円みは無く。まるで月光の鋭さ、昂奮している悪魔の眼だ。
 それに貫かれて俺も疼き、外套の内側を煌々と照らす。中が熱い……焔を発してもいないのに立ち眩む、腰が抜けそうで縋りついていた。社殿を潜り抜けるまで、我慢できそうになかった。