(変に間を空けたせいで、気恥ずかしい)
障子で区切られた空間を一層、また一層と進むにつれ、自分の吐いた言葉が胸をギリギリ締めつける。何故さっき、強行に出てしまったのか。他の悪魔から提案されたのだと云って〝器を作るか否か〟奴に選択させれば良かったじゃないか。ああ今回は本当にミスった、きっとこの先何十年間、ネタかオカズにされるに違いない。
気付けば目の前には、最後の障子。此処に突っ立ってる事なんて、気配でバレているだろう。部屋に入ったら、淡々と続きをすれば良いだけ、そう、まずはMAGを分けてやるところから…………よし。
障子をスライドさせた途端、視界が真白になった。咄嗟に右腕で庇えば、足下にぼてりと落ちた飛来物。何かと思えば、枕だ。
「遅いよ君」
寝台の上で片肘ついて、切長な眼で煌々と睨んできた。
俺は反射的に枕を掴み上げ、力の限り投げつけた。いっそ煉瓦なら良かったのに、枕は柔くも鈍い音を立て、キャッチされた。
「あんたの要望通り綺麗にしたんだぞ、随分な歓迎だな」
「大した凹凸も無いのに、何をそんな丹念に洗ってたのやら」
床板をぎっぎと鳴らして、怒気も隠さず近付いた。続きをするんだ、淡々と、そう、まずは……
「一発殴らせろ」
重心を下げ、半身から捻り出すよう拳を繰り出す。ばすんと温い手応え、枕でガードされた。埋まる拳を抜く事で遅れたか、既にもう片方の腕を掴まれている。寝台側に引き摺りこまれるが、抵抗せずに身体を委ね、受け身をとる。背中から叩きつけられると同時に、夜が圧し掛かってきた。
「一発ヤるのではなく?」
「自分が欲しければ俺を丁重に抱け」
「丁寧な仕事は身体状況に依存する、ほら御覧よ」
夜は俺の肩口に寄り添い、右脚をすらりと上げ、巻かれた布をするりと解く。剥き出しになった欠損箇所は、厳かに息衝いているかの様だ。血の滴りは無いが、僅かな明かりに白骨が潤んで見える。
「見せなくていいし、ぶらぶらさせるな」
「抉れた程度で良かったよ、分断されては杖のひとつも欲しくなる」
「オボログルマでも乗れば良かったじゃないか」
「そんな事しては帰還が目立つだろう」
「長い付き合いの仲魔なら、あんただってたまにヘマする事くらい知ってるだろ」
「世話を焼かせる対象は少ない方が好都合なのでね」
「俺の負担がでかすぎる……」
項にちくりと障るモミアゲ、直後ひんやりと触る舌先。襟足の決まった位置をつつかれ、俺は溜息と共に擬態を解いた、そういう合図なのだ。そう、この黒い突起が邪魔だから……個人的には擬態したままの方が、やり易いのに。
「そういう事だから君、分かっているだろう。僕から動く気は無いよ」
悪びれもせず云い放つ夜。仰向けになり、すっかり丸投げの体だ。俺はその、上がった口角の唇を軽く啄ばみ、反撃されない事を確認しつつ舐め、ゆっくり舌を挿し入れた。意識を集中して、出来るだけ純度の高い魔力を、生体エネルギーを流し込む。
(確かに、全然向こうから返してこない)
普段はこっちの呼吸なんかお構いなしで、いいやそれどころか息を奪うかの様に舐ってくるのに。だからといって、俺からしつこくしてやる義理も無い。こうして一方的に注ぐ事は珍しいので、うまく調節出来ずに咽た。
「君は燃費が悪いのだから、少しは考えて落としてくれ給え」
「貰っておいて何だその云い方……礼も云えないのかよ」
「僕が与えた時、君はいつも感謝を述べたかね?」
云われてみれば〝契約関係にあるから当然〟くらいに思っていたから、感謝を表した記憶が無い。MAGを与えらえた際には、いつもどうしてたっけ、確か「美味しい」だとか、感想ならつぶやいた気はする。
(あのケダモノと同じ反応じゃないか)
シトリを思い出し、また吐き気が込み上げる。口元を抑え、シーツの白をじっと見つめていれば、夜が隣から「悪阻には早くないかね」とか云ってきた、このクソ野郎。
「今のでそれくらい回復しないのかよ、本当に再生遅いな」
「君のMAGが治癒促進に値しないのかもね」
「あのなあ……」
これ以上怒らせると本当にこのまま放置するぞ。そう云おうとした矢先、口元の手を掴まれ誘導される。死装束みたいな着物の股座……反する様な生々しさで、屹立している其処。
「此方は十分促進されたみたいだよ? ククッ」
「は……」
恥ずかしい奴、破廉恥野郎、次々に言葉が浮かんでは消えたが、手間が省けたという思いが侮蔑を帳消しにした。もし何をやっても勃たなかったらどうしようと、不安があったから。
「僕の上に跨っておくれよ、早く」
「云われなくても……それしかないだろ」
よろよろと上体を起こし、ゆっくり夜を跨いだ。思えばこの男、初夜で俺の骨を舐めしゃぶったよな……同じ事をしてやろうか一瞬迷ったが、それで快を得る自信も無いので止めた。そうだ、俺はこいつと違って猟奇趣味も、嗜虐趣味も無いんだ。
欠損している膝下に気を付けつつ腰を落とせば、ちょうど〝挟む〟位置になった。夜の着物が局部に擦れて、やや刺激が強い。其処で違和感の正体に気付く、俺はいつ下着を脱いだ?
「綺麗にしてこいとは云ったが、ノーパンには恐れ入ったね」
「おい違うっ、わざとじゃない、その……忘れただけで」
合点がいった、脱衣所で女神が引き留めてきたのは、恐らく〝穿き忘れ〟に関してだ。
「君、普段からその調子なのかい。僕の留守中、全裸で過ごしてるのでは?」
「そんな訳あるか! 待たせてると思って、これでも急いだ……うっかりしただけだ」
「煩わせたくない一心が有るのなら、そのまますべて脱いで」
有無をいわさぬ欲求。
「僕の眼から視線を逸らすでないよ」
こんなの羞恥プレイだ、見てくれといわんばかりの振舞いを強制している時点で。そうと解っているからこそ、ゆっくり脱いでやるものか。帯をぐいぐいと乱雑に解き、衿をがばりと開いては腕を抜き、背後に放った。
「君は力士かレスラーかい」
「煩い、俺に動けっていうのなら、黙ってろ」
「さて、本当に沈黙を望むのかね……フフ」
それは悪手ではないか、と確認してくるあたり、まだマシな方だ。こういう時、今一度考えてみる。そう……確かに、ずっと沈黙されていては困る。ああしろこうしろと、多少扇動して貰った方が、気が楽だ。
「多少の要望なら聞く、それと痛かったら痛いって云え」
ゆったり巻かれた夜の帯を解き、着物を観音開きにした。脚以外にも、点々と戦いの痕が見える。胸元はがっちりと包帯が覆っていた。
「魔界に行ってたのか」
ずっと脳裏にチラついていた疑問を投げつつ、黒色の褌を緩めていく。
「だとしたら?」
「俺に黙って、勝手に博打を仕掛けるな」
「まだ云いたい事が有るんじゃないのかい」
「ルシファーに会いに行ったんじゃないだろうな」
更に口角を上げる夜、眼が愉し気に撓む。これが図星であっても、見当違いであっても、いずれにしても面白いのだろう。
「だとしたら?」
「あんた達の過去にとやかく云うつもりは無い、よく知る訳でも無いしな。でもそれは〝過去〟に関してだ」
「褥を共にして、この身体で帰ってくると思うのかい、なかなか激しいのを想像しているね」
露わになった夜のソレを股座に挟み、やんわり腰を前後させて自らの芽を弄る。ひくりひくりと疼くのが、どちら側の弱点かは判らない。
「……他とヤらせるくらいなら、どっちの身体でも付き合ってやるし、どこにだって突っ込ませてやるし、突っ込んでやる……」
冷たい指先に胸を捏ねられながら、喘ぐ様につぶやいた。女性体の時は色々とすぐに湿ってくるので、嫌な刺激が少なく済む。利点といえば利点だが、これが生理現象なのか判断しづらく、気恥ずかしい。
「下手糞に掘られても嬉しくないね」
「知った風な口、ききやがって……っ……あ」
ぬるりと滑る笠に指三本を添え、きゅっと窄んだソコに擦る。自らの指に先導させ、僅かな隙間を叩くようにこじ開けていく。
「クッ……ククッ……」
「なんだ……何が可笑しい。それと、勝手に突っ込むなよ」
「ねえ功刀君、君は腸で妊娠する訳?」
一瞬何を云われているか解らなかったが、妊娠というワードでようやく察した。慌てて腰を上げ、臀部を夜の腿上に逃がした。
「素で間違えた」
「本来の目的を忘れていやしないかね、これだから助平は困るねえ」
「助平はそっちだろ! 大体、俺が男の時も散々──……」
ああ駄目だ、釣られている。下手に取り合わない方が良い、あまりの醜態に口の中が熱い、何を云い出してしまうか、自分でも怖い。
「僕に責任転嫁しないでくれ給え、〝本当の自分は男だ〟と云い張る君を尊重してやっているのだから」
「本当に尊重してるなら、今こんな関係になってない」
「ねえ教えてよ、どちらの身体で致した方が気持ち好いの?」
「誰が教えるか」
今度こそ、当初の孔に迎え入れる。後ろと比較すれば、流石に容易い。とはいえ一息で最奥までは許せなかった。これまで容赦なく貫かれてきたものの、それを自ら形にする度胸は無い。俺の躊躇いが見て取れるのか、夜は薄く哂ったままだ。目が合った途端に全身が強張り、思わず締め付けた。
「もっと奥でないと、結び付かぬよ」
「……急かすな」
半分あたりまで挿入したその時、突然はっしと両脇を掴まれた。ぐいと抱き寄せられ、唇が触れるか触れないかまでの距離感になる。
「何だよ、これじゃ入っていかないだろ」
「いちいち云い訳する必要、無くしてあげるよ」
言葉の意味も解らないまま、唇に噛み付かれた。歯を乗り越え、口腔をまんべんなく這いまわる舌。息衝ぎの瞬間を狙う様に、項の突起をぎゅうっ、ぎゅうっと扱かれる。
「っ、ひっぐ……ゥ、ふうッ、んっ」
粟立つ肌、紋の縁が熱い。胸が潰される刺激から逃れようと、シーツに手をついた。すると、夜の手は無遠慮に割って入り、俺の膨らみを搾った。揉める様なサイズでも無いのに、指を埋めてくる。爪が端の指から順に立てられ、堪らず仰け反れば、突起ごと抑えつけられる頸。
上は呼吸が出来ないのに、下はあられもなくぱくぱくと。中途半端に抉られたまま、夜に弄られるたびに滲ませる坩堝。
「ぶはっ……はっ、はあっ」
どれだけ愛撫を受けたのか、呼吸を許された頃には突っ伏していた。途中、意識が飛んでいた気さえする。身体は弛緩気味というのに、あそこだけは別の生物の様に脈動していて。疼く腰を沈めようとしたが、突起を掴まれ妨害される。瞼を舌先で抉じ開けられ、眼球を舐られる。
「うぅッ、あ、あッ、んなところ……」
自然と溢れる涙ごと啜られ、頬を伝うのは舌。首筋から鎖骨で揺れると胸まで下り、先端をぢゅうっと痛いくらいに吸われた。飽きもせず黒いレールを辿ってくるこいつ、肉体性別は関係無い。
「ぬ、ける、抜ける……やめ」
夜の位置が下がったせいで、楔が抜けそうになる。俺は慌てて、脚で引き留めた。
「やだっ、夜」
名前を呼べば膨らんだ、震えながら俯けば、胸元の翳りで金の双眸が撓んだ、途端、夜の腕がぱっと宙に躍り、俺を開放する。
「は……ああぁ──」
俺は迷いなく最奥まで突き下ろし、軽く達した。眩い満月が視界いっぱいに広がって、脳天がわんわんと振動する感覚。しかしそれはあっという間に翳る、雲間の隙間に覗く光がくすぐったい、痒い、痛い、疼く。
「君だけ満足してどうするのかね……このままでは僕が先に逝ってしまうよ」
「先にイったのは俺だろ、良いからあんたもイケよ」
「早合点の早漏め」
「じ、女性に云う台詞じゃないだろっ」
まだまだ余裕の面持ちの夜、それでも前髪は軽く乱れていた。なんでその程度なんだ、俺ばかり呼吸を乱して鼓動も駆け足で。ああイラつくこの野郎、もっと乱してやる。
「奥に、奥っ、おく……ぁ、あっ、此処っ」
無我夢中で踊る俺、静かに呻く夜。
何度も何度も名前を呼ぶから、だからもっと俺の中で憚ってくれ──……
暗闇の中、白い糸が幾重にも連なって、上へ上へと昇ってゆく。植物の蔓みたいだ、成長記録を早回しに観る様な、そんな蠢き。あるいはクラゲのヒダ、昏い海底に漂う優美で不気味な白。
しかし目の前のそれはどこか無機質で、生命力を感じない。破いた和紙の端みたく、薄く薄くなってゆくと、やがて黒に解け込み消える。
「……う」
声を出そうとしたが、掠れた喘ぎになった。煙だ、煙草の……
この臭い紫煙さえ、白檀と混じれば別の何かになる。正確にいえば、MAGも混じっているのだろう、だから甘い毒なんだ、俺にとって。
「ピロートークも早々に寝るとは、即物的だね」
「記憶が曖昧だ、寝煙草は止めろ」
俺は再びシーツに突っ伏していた……ひどく怠い。ゆっくり肘をつき、手をつき、起き上がる。身体に掛けられていたのは、夜が着ていた装束だった。白い地に透けて、己の明滅が淡い差し色になっている。
自分の着ていたものを探せば、寝台の足下に丸まっていた。そういえば、脱いだ時に放り捨てた気がする。
「おい吸ってる場合か、安静にしとけよ。そもそも、何処から煙草なんて」
「仲魔に持って来させた」
「は、じゃあ見られたっていうのかよ、この状況」
「君は爆睡していたのだから、恥ずかしい事も無いだろう?」
「意識の有無は関係ない! まったく、少しは俺のメンツも考えろよ……」
「己ばかり達し、挙句に失神する君が悪い」
昔から変わらぬ仕草で、煙草をふかす夜。無事な脚の片膝を立て、背をやや丸めて座っている。乱れた前髪はすっかり額から退けられており、整った横顔が目立つ。ど畜生には違いないが、こんな飛びぬけた美形なかなかお目にかかれない。写しの抜け殻を産んでいるだけと、頭では解っている、それでも時折、芸術家心地に浸る事がある。
「火はどうした」
「アギくらい使える」
そうだ、悪魔の血が入り始めた頃から、こいつは魔術が使えるのだった。マガタマから教えられた俺よりも素質が有りそうで、なんとなく腑に落ちない。
「じゃあいつも自分で着火しろ」
「僕はサマナーなのだよ? 此のMAGは、悪魔に術を使わせる為に有る……自ら魔法を撃ち続ければ、あっという間に枯渇してしまうよ」
確かにこいつ、弱った悪魔苛めて、ガンガンにMAGを奪っていたよな。吸魔の様にも見えるが、多分違う、もう少し物理的な感じ……刀を媒介にしているのだろうか。俺から吸い上げてる時だって、得物ぶっ刺しているか、口から直接──
「なんか……おかしくないか?」
「何がだね」
思考が違和感に掻き消された、発生源は夜の包帯。目覚めに視えた幻覚の様に、白がゆらゆらと解けている。その、まるで霧を纏うかの様な胸元に俺は這い寄り……予感がした瞬間、直に触れていた。夜は抵抗する気も無いのか、煙草の先端を煌々とさせている。
何層も有る白を毟り、出来た隙間に指を挿し、上下に開いてやれば……わあっと霧に包まれた。毒の味がする……煙草の……
「どうして黙ってたんだ!」
夜の胸の〝孔〟から、紫煙が漏れ出していた。俺の怒号と対照的に、男はアハハハと高哂う。塞いでいた物が無くなったせいか、その声は少し遠い。
「いつ気付くかと思ってねえ、フフッ……まあ気付かずとも結構だが」
「脚より問題だ! 痛くないのかよ、こんな……最初は背面まで貫通してたんじゃないのか、これ」
「片方潰れた程度、人間でも助かる。軽い緊張性気胸でも引き起こすかと思ったが、肉壁や骨が崩れたお陰で圧迫もされなかった様だね。君が巨乳であれば、先刻苦しい局面も有ったろうが……ククッ」
自分の身体を《替えの利く玩具》とでも思ってるのか、ふざけた野郎。俺にだって、シトリにだって、そして……あんたにだって限界が有る、すべて有限だというのに。どれか潰えれば、全てが終わるのに。
「呑気に吸ってんじゃねえ!!」
哂う口先から煙草をかすめ取り、一瞬で燃した。灰の塗れた掌のまま、肺の崩れた男を押し倒す。
「出せっ、早く出せ」
「何を」
「せっ……精子だよ! 容態急変して死んだら、あんたの自己責任だからな」
「生死が係っている、と」
「かけるんじゃなくて中に出せ!」
俺が憤るほどケラケラ哂うので、言葉も交わさず再び挿入を試みた。擦りつけて知覚する、そうだ今度こそ勃てる必要が有るのか、面倒だ、この精神状態でこいつを立てろと?
「心配無用さ功刀君、もう済ませてある」
躊躇う俺の下、満身創痍である筈の男が吐いた、不穏な台詞。
「は?」
「君が失神している間に〝済ませた〟と云っているだろう」
「最低」
「それと君、死体からも精液は採取出来るからね、覚えておき給え。ああ、しかし種が生きておらねば無意味だがね」
色んな意味で、慌てたり心配した自分が惨めになってきた。シトリの要求を呑む必要も無かったし、肌身晒して急ぐ必要も無かったし、ましてや性行為の必要も無いときた。
「もう次からは、あんたが死んだ後で勝手に作る」
投げやりに吐き捨て、さっさと降りようとした所を掴まれる。こいつまだヤる気か、と警戒したが、そういう手つきとも違う。
「乗り換えた方が早いのだろう……今回の僕はもう眠るよ」
傍らに納まる様に誘導され、俺は仕方なく隣に横たわる。
「眠るから……何だよ」
「長きにわたり活躍したこの素体に敬意を払い、見送り給え」
「自分が寝るまでは一緒にいろ、くらい云えないのか?」
呆れから突っかかったが、自分でも云いづらいであろう内容だ。嫌味か蹴りのひとつでも飛んでくると思いきや、夜は俺の首筋に軽く頬擦りしてきた。
「僕に良い夢を見せて、矢代」
唐突に飛んできた恍惚な響きに、俺はどう返せば良いか分からず、困惑した。気の利いた言葉も浮かばないなら、相槌でも何でも良いから受け止めなければ、肯定しなくては、と口を開いた……が、長い睫毛を伏せた夜は、既に呼吸をしていなかった。
俺はそのまま深呼吸をして「おやすみ、夜」と呟いた。