焚附
※徒花ライドウENDを読了している事をお奨め致します。
「風間さん、もう帰ったんですか」
鳴海に声をかければ、視線、それから首の順で振り向いた。
「ああ、ついさっき」
「食べていけば良かったのに、晩飯」
「一度、署に戻るんじゃないのかな……っていうか、もうご飯?」
立ち上がり、テーブルの方へ寄る鳴海。ソファ座面に置き去られた書類は、風間と交わしていた情報だろうか。相変わらず〝変わったの専門〟で依頼を請けているが、荒事に繋がりそうな件は随分減った。人間同士の揉め事には強い鳴海も、自分が視えないモノとやり合う気は無いのだろう。
「おっ、これ菜の花?」
「そうです、からし醤油漬け」
来客対応のガワを脱ぎ捨てる様に、タイを解いて椅子の背に引っ掛ける鳴海。すっかり食事の姿勢を取っているので、俺は手早く残りの皿を持ってきた。蕪の糠味噌漬け、絹さやと筍の味噌汁、ヒラメの煮付け……
「いいよいいよ、風間さんの分無いでしょこれ」
「少し多くないですか?」
「そう? いただきまーす」
癖で三人分作ってしまう、未だに抜けきらない。おひつから白飯を茶碗に盛り、お手拭きを揉む鳴海の前に差し出す。自分の分は茶碗半分に留め、鳴海の向い席に置く。袴から剥がした前掛けを、同じく椅子の背に預けてから着座した。
「お疲れさま、いやー美味いね、いつもだけど」
「どうも」
「手際も良いし、小料理屋くらいぱぱっと開けちゃうんじゃない?」
「完全に裏方なら良いですけどね。接客はしたくないし、資金繰りも出来れば考えたく無い」
「はは、そんな難しいもんじゃないさ、慣れだよ慣れ」
「鳴海さんがお金の話しても……」
「んん~?」
指摘を理解しているのだろう、どこかニヤつきながらもぐもぐと咀嚼している鳴海。俺もそれ以上は述べず、ヒラメを箸先でバラしていた。
「でも本当にさ、何処か行きたい処があれば、構わんのだから」
「お邪魔ならすぐに出ます」
「まさか、邪魔なわけあるもんかい。むしろ、穀潰しって詰られてたのは俺の方さ」
鳴海の乾いた笑いは自虐からくるものではない、誰に云われていたかを思い出している、きっとそのせいだ。
「俺は、矢代君がずっと此処に居ても問題無い。しかしね、俺を雇っている連中の事を考えてみな。この事務所はさ、銀楼閣はさ……カラスの息が掛かっているんだよ」
「そうですね」
「俺は手下って事だろう」
「そうですね」
「いつか、嫌な予感した時には、何も云わず逃げて貰って大丈夫だからね、物持ち出したって良い」
そんな事を前以て伝える辺り、この人も中途半端な立ち位置である事が知れる。今の提言が、優しさなのか云い訳なのかは判らないし、両方かもしれない。
「もし十五代目が決まって、そいつが此処を拠点にするという話になったら、矢代君どうするの」
何とでも云いようは有った、来る人物の性格によるだとか、それを機に俺が出ていくだとか。
その〝もしも〟の問いにさえ、返事が出来なかった。
部屋に戻り、内側から施錠する。窓を鮮明にするガス灯の淡光は、まるで真夜中の木漏れ日の様だ。
ベッドのサイドチェストから、香を取り出す。フッと吹き付けた焔が、一瞬手元を露わにさせた。灰皿に放られた香は、白糸をするすると吐き出し、上へ上へと昇らせる。
俺は同時に取り出していた箱の上辺をトントンと指で叩き、弾み出た一本を咥える。箱を灰皿の横に置き、自らはベッドに転がった。擬態しているので、項を押し上げられる事も無い。
以前は先端に吹きつけ着火していたが、咥えてから〝流し込む〟方が燃し過ぎない事を知った。煙草なんてどれも似た様なものだろうと思っていたが、あいつの吸っていた銘柄じゃないと馴染まない事も知った。敷島とかアイリスとか……他にも幾つか。
喉を通る煙に快感は無い、いっそ焔を吐く方が心地好いくらいだ、それでも。
眼を閉じて、視界を殺して、白檀と紫煙に包まれ、意識を融かす。瞼の裏に、たなびく糸が視え始める、ゆらゆらとその白い陽炎の中に、黒い外套で佇む姿が、俺にいつもの哂いを寄越す──
「夜っ!」
飛び起きれば、すっかり命の削れた煙草が燻っていた。
指先が焦げたのかと思ったが、擬態が解けていただけだった。