MIND CIRCUS
1
「人間が邪魔だねえ。いくら設備が巨大化しても、これでは飽和状態ではないのかい」
声のトーンすら下げず、あまりに堂々と云うので、俺の方がひやりとする。ただでさえ人目を引くのだからやめて欲しい。人間が邪魔とか、一部のコトワリを思い出して胸糞悪い。
「とっとと帰るから安心しろ」
「帰るの? まだ三割も廻っておらぬけど」
「遊びに来てるんじゃないだろ」
休日の遊園地とか、最悪だ。しかも彼女どころか、どうして野郎なんかと来なければならない。グループで来園している学生達や、親子連れの海に揉まれ、俺はとうに疲れ果てた。
「もう一度乗りたいのだけど、コースター」
「帰るって云ってるだろ、目的は果たした」
「へえ、君の鈍い感覚で察知出来たわけ?」
いちいち苛々させてくるライドウを無視して、園の入口へとずかずか進行する。
もとはと云えば、このデビルサマナーが勝手にこっちの東京で商売を始めたからだ。
ネットで宣伝したところで、こんなオカルト詐欺まがいの業者を誰が信用するんだか……と呆れて笑ってやったのに。どうやら定期的に案件が入るらしく、これは世の中がおかしい。
「心霊現象なんて無かったじゃないか、客にもそう伝えてこの件は終了。それで済む」
「心此処に在らず……という雰囲気の人間を、園内で結構見たが」
「はしゃいで疲れ切ってるだけだろ、平日ならともかく……そもそも、あんたが一人で勝手に調査すれば良い話だ。俺、明日は学校あるんだからな」
「そんな事で疲弊する肉体でも無いだろうに」
精神疲労だ馬鹿、と心の中で呟いてゲートを通過した。傍のライドウは、ちらりと背後を一瞥してから園を抜ける。
「クレープか、三段アイスクリンが食べたかったねえ」
「コンビニで似た様なの買えよ」
「屋台の物は個体差が激しくて面白いというのに」
「そんな所に惹かれるのか? おかしいだろあんた……」
帰路の電車でも、ライドウは少し目立つ。相変わらず全身真っ黒で、薄手の立襟コート。学帽に近いシルエットの帽子を深めにかぶっても、目鼻立ちとモミアゲに視線を吸い寄せられるのだ。 地味な俺が更に引き立て役になる現実、同行するにはハードルが高い男。
「功刀君、駅ビルで少し寄り道したいのだけど」
出た、これだからこいつに付き合って外出させられるのが嫌なんだ。散々引っ張り回されるし、それを俺も断りきれない。後からのネチネチした報復も嫌だから。
「飯ならあんたが金出せ」
「守銭奴みたく云うで無いよ、先刻の入園料も払ってやったろう」
「金持ちなら、何処か遠くで暮らしてくれよ……くそっ」
「遠距離恋愛の方が破局し難い、という統計が出ている事は御存知?」
周囲の声音が消え、視線の針で剣山になった気分に陥った。今の台詞は、確実に誤解を招いている。俺はそっちの気は無い、それともわざとか?
怒りを抑えつつ、降車してからも無言を決め込む俺。ライドウは既に行先を決めてあるらしく、こちらの都合はお構いなしだ。しかし何処に用事があるのか……と、渋々追従して行くと。
「……なんで花」
「今宵使うから」
「何にだよ、食卓に飾るってか。それに見合ったディナーを作れとか云われても困る」
「戦う際にも、そのくらいの深読みをして欲しいものだね」
花屋の中で「戦い」とか云うなよこいつ、何を勘ぐられる事も無いとは思うが、何やら恥ずかしい。そしてナチュラルに俺を下げるな。
ふっと目が醒め、暗い部屋を寝そべったまま見渡す。カーテンの隙間から、光は無い。まだ夜中という事か……時計を確認したが、秒針が停まっている。示されているのは、午前二時……
そういえば、いつ寝たんだ。昨晩帰宅してから……飯はどうした?
「おはよう、功刀君」
「うわっ」
全く気配を感じなかったので、突然の声に跳び起きた。再確認の必要は無い。俺の家に居候はただ一人だから。
「あんた別の部屋に寝床有るだろ……」
「夜這いだと云ったら?」
「嫌だからな俺。あんたから何かしたがるとか、内容問わず俺に不幸が待ってる」
「フフ……今から出掛けようかと思い、一応君も誘ってやろうと親切心を利かせたのだがねえ」
「はぁ? 今からって……」
ベッドに胡坐したまま、ライドウをじっと眺める。学帽に……外套、奴の戦闘装備だ。きっとろくでもない用事に決まってる。誘って来る時点で疑わしい。
「遠慮する、学校あるって云っただろ」
「欠伸も出ない癖に、良いからついておいでよ」
「一人で行けよ! どうせ悪魔に喧嘩吹っかけに散歩とか、その辺だろ」
拒絶してから、どさりとベッドに寝直した……つもりが、どうも感触が空虚だ。
「既に君も離脱してるから、折角誘いに来たというのに」
ライドウの台詞に不穏なものを察知し、自らの身体をまさぐった。ふわふわとした胸元に、指がゆっくりと埋まっていく。
「あんた……俺に何かしただろ」
「直接的な事は覚えがないね、寧ろ労りを見せたではないか」
「ああ……そういえば帰宅してから、お茶淹れたりしてくれたよな、最初やばい予感したけど」
だって同じティーポットから注がれたし、最初に口にしたのはライドウだし、カップは自分で棚から出した……妙な物が混入しているとは思えない。
「……あっ」
とんでもない見落としをしていた、よくよく見ればライドウもどこか朧気な姿。試しにその外套目掛けて引っ掻いてみたが、やはりふんわりとしていた。
「あんたも……幽体離脱? してるのか」
「購入したそれぞれの花の、毒性を持つ箇所を調合」
「やっぱりあのお茶じゃないかよ! くそっ」
2
薬物使用からの瞑想、悪魔の補助を得てアストラル投射により遊園地へと再来。
人修羅は着替える事が出来ず、寝間着のままである。僕は肉体を離脱してからも、己の持ち物を装備する事が出来たが、彼は未だ感覚が掴めておらぬ様子。外出するのなら、と衣類を引っ張り出していたが、とうとうパジャマが肌から離れなかった。
「君はまだ、この世界を理解出来ておらぬからだよ。だから存在が固着出来ていない」
「人間が居ないから異界だと思ったんだけど、何か違う気がする……」
「アストラル界は幽的世界、肉体は存在しない」
「あんたの装備や、俺の……パジャマはどう説明するんだ」
「僕はこれら武器防具と一心同体で、己を投射したからね。君は入眠時のイメージがその姿なのだろうよ」
日中訪れた景色と、違って見える。空は夕暮れ時の様な、一部の陰りは真夜中の様な。かと思えば、中央広場は日の出の様な光が外灯にちらついて。観覧車やジェットコースターの影を鮮明にしていた。代わりにぼやけて見えるのは、人影……ならぬ、アストラル体達。
「人が居ないって云ったけど、却下だ。なんかうろうろしてるじゃないかよ」
「ボルテクスで思念体と呼んでいただろう? あれに近いよ」
「でもいくらなんでもパジャマって……俺、やっぱり引き返したいんだけど。相手がリアルの人間じゃないにしても、この服装見られるのは流石に」
「君だけで肉体に戻れるというのなら、構わぬよ」
こういう時、人修羅が戦闘や術の専門家でない為に展開が早い。憮然とした面をしたところで、結局は僕に頼る辺りが哂える。
「もう一度コースターに乗りたいのだけど」
「あんた他に目的有って来たんだろ! っていうかもう何度目だよ!」
吐きそうになっている人修羅が、よろよろとコースターの搭乗口から逃げていく。僕は日中では成しえ得なかったであろう、ベルト未装着乗車をして気分が宜しい。あのぐるんぐるんと振り回される感覚が病み付きだった。
「本気で催している? なかなか掴めてきたのではないかね、この世界の実感」
「もう乗らないからな」
「やれやれ、あの程度で怖いのかい」
「怖いとかじゃない! 頭の中が揺れて、喉からマガタ……」
云い終らぬ内に口を閉ざし、ベンチに座り直す人修羅。成程、身体を振り回されると中からマガタマを吐き出してしまう不安を持っている、と。
「まあいいよ、コースターがやらずとも僕がしてあげるし」
「云ってる事が意味不明だけど、とりあえず遊び以外の目的を果たしてくれ」
「目的ねえ……それこそ昼の件なのだが」
「心霊現象なんて無かったじゃないか、それとも……今視えている思念体って、実は現実世界では幽霊扱いだったり……?」
「案外察しが良い、しかし君の予想とは少しずれていると思うよ」
それだけ述べて、僕も人修羅の隣に腰掛けた。横からの問い質しも無いまま、時間が過ぎる。殆どのアストラル体はぼんやりとした影の様で、其処に薄っすらと色が滲んでいる。影は属性によって彩の傾向が変わり、此処をアストラル界だと認識している者ほど、実体に近い外見となる。
「……なんか、喧噪って感じは無いんだけど……皆、アクションが妙じゃないか」
「妙とは?」
「声を出してるのは俺達くらいだけど、ちゃんと連中は連中で意思の疎通が出来ているっぽい」
「だって、彼等はこれを明晰夢(めいせきむ)だと思って居るから」
「めいせきむ……夢と自覚して見る夢の事だったか」
「夢とアストラル界は少々違う。正確に云うと、層が違うのだよ。夢は脳という幻灯機が見せる映像。または能力者のもたらす啓示……君も見たと云っていたではないか、東京受胎の日に」
横顔でも分かる、たった今眉間に皺が寄った。東京受胎やボルテクスの話をすると、いつも露骨にする。もはや過ぎた事なのだし、先を開く為に僕と契約したというのに……いつまで引き摺っている事やら。
「アストラル界は、じゃあ何なんだ」
「此処も現実に近い……異界の様なものさ。ただし悪魔はあまり居ない、連中は肉体の器そのものか、生体エネルギーを欲する奴が多いからね。アストラル体は波長が合わねば美味くも無し、それこそ場合によっては霞を食べているに等しい」
「なんで喰う前提の話になってるんだよ」
「君を誘った理由は、アストラル投射により抜け殻となった所を、狙われない為だよ」
「俺が……襲うって? あんたを?」
「仲魔に見張らせてはあるが、可能性も有る……違うのかい?」
眼を合わせないまま、会話は此処で途切れた。
広場の屋台に並ぶのは、きちんと列を成す影も居れば、堂々と横から割って入る影も居る。 それに殴り掛かり、傍の花壇になだれこむ影。焼いたクレープを、自分で食べる影。
先刻の僕がした様に、安全装置を外して遊具に乗り込む影。逢瀬の真っ最中に、他の影に目移りして、ふらふらとそちらと行ってしまう影。
「……ふっ」
やや破顔した人修羅が、呆れたと云わんばかりの声音で発する。
「本当にただの夢だと思ってるんだな、無法地帯だ」
「そうさ、リビドー丸出しだろう」
「なんだよ、これを観賞にでも来たのか?」
「壊しに来たのだよ」
嘲弄でも嫌悪でも無い視線が、僕を貫いた。裸足のままの人修羅が、すっくと立ち上がる。
「俺にやらせるなよ」
「何も直接攻撃しろとは云ってないだろう? アストラル体は離脱した半身なのだから、それこそ人間への傷害行為といえる」
「俺の敵は悪魔だ、此処に集まってる連中が無害なら、放っておけば良いだろ」
「遊園地で遊んだ翌日から、睡眠の度に疲弊が激しい――」
「疲れが抜けきってないだけだ」
「という類の問い合わせが多いのだと……此処の従業員から相談されてね」
「夢だと思って、此処で夜毎遊んでいるから疲れる……って事か?」
「そう、精神体とはいえ人間を形作る半身。命が二分されている様な状態だ。そして、アストラル界での事象は、現実界に影響をする。夢と思い込み好き勝手する者を放置する事は、危険」
「そんなの……日常生活に支障をきたすなら、自然と幽体離脱しなくなるだろ。そもそも何で幽体離脱なんか……」
僕が立ち上がると、一瞬身構える人修羅。
「おいで、もう見当はつけてある」
「三割も廻ってないのに?」
「コースターで上空から確認したさ」
「観覧車にしておけよ」
影達の中を黒々とした僕が闊歩すれば、少しだけ割れていく。しかし霞の様な彼等は、僕なぞに興味は無い。視え方が違う程、親近感や積極性は薄まる。同属とつるむ方が、今を永く愉しめるのだと、どこかで感覚共有しているのだろう。
しばらく歩き、ややレトロな景観の場所に出る。年季の入った動物型の乗り物が点々と待機している。その中の一つ、青銅色の獣を指して唱えた。
「功刀君、それに跨ってよ」
「はぁ? あんたが乗れよ、俺小銭持ってないし……」
「魔貨で動くだろう、ほら」
人修羅の腕を掴み、ぐいぐいと引き摺る。抵抗はされるものの、僕の方が未だこの世界では素直に力を出せるらしい。抱き上げる様にして運べば、腕の中で息を呑んだ。
「ほら、僕がいつも君にしている様に跨れば良いのさ」
「まただっ、誤解を招く様な事云いやがって!」
「君の方が騎乗する事、多かったかね」
寝間着で遊具に跨るという、その図が既に滑稽で。僕は堪らず哂いながら、容赦無く人修羅を驢馬(ろば)型の種類に乗せた。
「あんたの強制的な命令で仕方なくやってるんだ! 今跨ったのだって……」
硬貨の投入口を手で探っていた僕が、咄嗟に手を振り払ったものだから。驚いた人修羅が視線を落とす。僕は傷付いた指で外套を除け、逆の手で銃を抜いた。
「こいつっ、噛みやがったのか!?」
人修羅の下で、乗り物は細身な輪郭へと変質する。舌舐めずりをして微笑む悪魔。
「夜魔エンプーサだよ、功刀君」
「おいっ、俺、丸腰なんだぞ、っ」
跳ね馬が如く暴れる悪魔。驢馬の体躯に女性の頭部、剥き出しの胸元……人修羅が困惑しそうな形だと、改めて感じる。
「ほら、こいつは悪魔だろう功刀君。日中もその遊具から催眠に近いMAGを感じていたのだから、仕留めて宜しい、間違いは無い」
「あんたが撃てよ! うっ、うっわ!!」
振り落とされぬ様に胴へとしがみ付き、思わず乳房を鷲掴みにしてしまった人修羅。触った側だというのに、酷い悲鳴である。
「あっはははっ」
腹を抱えて笑う僕に、撃てる訳が無いだろう?
「ほら、早く擬態を解き給えよ」
エンプーサの間合いから外れて、僕は近くの大熊猫(パンダ)に腰掛け、珍妙な大道芸を愉しんだ。
3
「……っ、はぁ、はぁ」
タオルケットを撥ね退け、飛び起きた。カーテンの隙間からは陽射しが零れ、時計の秒針は音も立てずにすいすいと盤面を周回している。
「んだよっ……くそ」
何やら、両掌に妙な感触が残っている……
と、自身の手を見て一瞬ビクついた。勝手に擬態を解除してしまっている、黒い斑紋がシーツの上に悪目立ちして、最悪な目醒めだ。夢精とかそんなレベルじゃない。
枕元の携帯電話を見れば、新着メールが有ると点滅している。開いて確認すれば、新田から。
《具合悪い? サボリ?》
簡潔な内容だが、これで事態を把握した。改めて時計を眺めれば、既に昼前だった。
「君から誘ってくれるとは、初夏だというのに薄ら寒いね」
「だから……昨日、あんまり楽しめてなかっただろ、あんた。残りの七割廻ってもいいぞ」
「おっかないね、大量のMAGを要求されるかなこれは」
おどけてみせたつもりかもしれないが、いつもニヤニヤしてるこいつだから、ポーカーフェイスの様にも感じる。
連日遊園地に来るなど初めての事だったが、それとも違う既視感がやはり有った。
ライドウの手元を、盗み見る……右手の指。
「あっ」
「何」
「いや……怪我、してるのか、珍しいな」
タブーに触れている気がするのは、何故だろうか。
「僕とてするさ、君ほどでは無いけどね」
「あっそ……」
平日の昼下がり……学校を本当にサボってまで野郎とデート……
腐りきった行動の理由は、何処に在る。
「何、君そんなものに乗りたいの?」
古いデパートの屋上に有りそうな、パンダとかの乗り物。百円硬貨を入れると、一定時間自由に操作が出来るアレ。
「いや、誰も乗りたいとか云ってない」
青いロバに近付き……その背を触る、冷たい。MAGの鼓動はしない。
「僕がおごってあげようか」
「いや、だから乗らないって云ってるだろ、ロバとか珍しいから……」
よく分からない云い訳をしているうちに、ライドウが硬貨投入口に百円を放った。が、それは呑まれていく事もなく、半身で突っ掛っている。
「先に何か入っているのかもね」
返却ボタンを、絆創膏の指でクッと押し込むライドウ。
吐き出された魔貨が、血痕の残る地面に転がっていった。
-了--
* あとがき *
書き下ろしに関してですが、かなり突発的に加えました(この本自体、○日仕上げというハードスケジュール)再録の二本が少しキツめなので、こちらは柔らかい内容で。ライドウが人修羅の家に居候している時期です。サイトの長編第二章辺りのイメージ。
(2015年原文ママ)