好い面の皮


「ははぁ……こりゃあ上等な皮が採れそうじゃあねえか」

 馬はサカハギ様に首根っこを掴まれて、ポォンとワタシ達の輪に投じられた。
 打ち付けられた痛みに一瞬伸びる四肢をそれでも曲げて、馬は必死に立ち上がろうとするのだけど。ガックンガックンとボートでも漕ぐみたいに、同じ動作を繰り返してしまうの。
『凄い、珍しい馬ネー』
 右隣のピクシーが呟くと、またその隣も「ねー」と相槌を打つ。それが連鎖していって、いよいよ左隣のピクシーから同意を求められた。
 ぐるりとワタシ達に囲まれた馬は、ユニコーンの様に白い肌を持ちながらも、黒い紋様があちこちに奔っている。
 これは何というのだっけ、シマウマという種類だった気もするけれど、街中をウロウロする様な動物じゃなかったハズ。
 そもそも、トウキョウが丸くなってから、動物なんて残ってたっけ……?
「オイ、お前等。細かい部分は任せたぜ、踊って無いで早くしな」
 馬の腰に跨ったサカハギ様が、ぴしゃりと号令した。早くしろとか云われても、ワタシ達は刃物を携帯してないもの。
 戸惑いつつも、馬の手足の先に各々が降り立って待機する。時々ピクンと目の前で跳ねる指先に、ワタシもビクッとした。
『皆、お待たせ』
 馬の引き攣った呼吸だけが微かに聴こえていたけど、それを割って響く可憐な声音。
 ワタシ達の女王ティターニア様が、たっぷりしたスカートを摘まんで、ふわりと傍に舞い降りた。鮮やかなメドウグリーンを弛ませてカゴの様にしている。花畑で遊んだ時は、いつもそこに摘んだお花を蓄えるの。
『おかえりなさい、ティターニア様ぁ』
『大きさがバラバラだけれど、勘弁して頂戴ね。人間の事務所って、埃っぽくて敵わないの』
 でも今回スカートに蓄えられているのは、じゃらじゃらとした金属。光沢も色も様々で、形は違えどお花畑みたい。
 ピクシー一同、わあっと集まって物色。お気に入りの一品を探す。
『折り畳み式のナイフよ。刃が剥き出しになっているのはペーパーナイフね、封書用だから切れ味に欠けると思うわ』
『あっ、でもペーパーナイフ綺麗〜!このキラキラしてる持ち手の部分が、とってもオシャレ』
『螺鈿の細工ね、こっちのは真鍮の薔薇模様。でも貴女達にはちょっと長過ぎて、扱い難いわよ』
『えへへ、使い終わったら貰っちゃって良いですかあ』
『それはサカハギ様に訊いてみなければ……うふふ』
 薔薇模様のペーパーナイフは、クイーン・メイブが腰に携えている剣みたい。手に取ると、思った以上の重量感に少しよろけてしまって。    
 姿勢を戻して見上げた先、先端の薄く伸ばされた金属部分がカグツチの光を鈍く反射していた。
『ほらっ、早く解体しなきゃ』
 そうそう、ボンヤリしてられない。サカハギ様は馬のお尻の方を向いて跨ったまま、とっくに刃物を揮っていた。
 当然馬は大暴れ、それでもサカハギ様を跳ね除けられずに荒い息を吐いているから、そんなに怖くは無い。
 ワタシ達は建材を括る為のロープを持ち寄って、馬の足を縛りあげた。四肢の先、少しきゅっと細まった所にぎゅっと結んで、地面に磔にする様に引っ張る。
「まずはケツの皮からだぜ、なんせオレ様は《逆剥ぎ》だからな」
 馬の腰の真っ黒い所を、サカハギ様は素手でずるずるとひん剥いた。そんな簡単に皮が捲れるの、とビックリしちゃったけど、ちょっと違うみたい。
 だって、剥いたらそこにも白と黒の模様が有ったから。あの辺りは皮が二重になってたみたい、ずるんと剥けた方は確かに、光沢が有った。
「ハハ……造作もねえ、本当に炎が効きやがった。あの黒マントの云う通りだ……」
 眼を爛々とさせながら、刃物の切っ先を馬の紋様に沿わせたサカハギ様。
 つぷ、と先端が皮にめり込んでいく音がした、そんな気がする。
「んだ、案外硬いな畜生……肉まで斬れるなこりゃ」
 ぐぐっと刃物を傾けて、肩に力を籠めている。羽織っているマネカタのテロンとした皮衣が小刻みに揺れていた、サカハギ様は凄く集中している様子だ。
 一方で、馬はロープをビリビリと震わせて、絞り出す様な雄叫びを上げた。
「煩ぇな……いつもなら良い背景音楽だが、今は真剣なんだ。少し黙らせろ」
『はーい』
 馬の頭の近くに居たピクシーが元気良く返事して、その鼻っ面にジオを引っ掻けた。
 ビクンと大きく悶えた馬は、よく判らない言葉の様な鳴き声で、脚を突っ張らせる。馬の割に、お尻はきゅっとして小さい。
「後から縫い合わせりゃ問題無いが、こうも独特な紋様だと場所に迷うなァ?」
 サカハギ様は楽しそうに呟いて、潜らせた刃先をずるっと引き抜いた。
 真っ赤な雫が滴って、同時にふわふわと空気を舞う。
『マガツヒだ!』
『しかも美味しそぉ!』
 きゃあきゃあと騒ぎ出すピクシー達。ワタシは一喝されるのが分かってるから表には出さなかったけど、生唾は出た。
「騒いでんじゃねえ! 指だ、指先をひん剥けピクシー共。手袋作るつもりでキレイに削げよ!」
 ほら怒られた。ワタシはお利口さんなので、既に指先にナイフを突き立てている。
 やっぱり変な馬、足の先が五つに割れてるの。その一本一本にロープを縛った訳じゃないから、曲げ伸ばしされて凄く迷惑。
『手際良くやってよ! 掴んでるの大変なんだから』
『はいはいりょーかい!』
 ピクシーが一人、割れた先の一本を掴んで。もう一人がそこに目掛けてナイフを突き刺す。勿論、刺せば跳ねるから押さえ込むピクシーは必死。
 ワタシも急がなきゃ、と刃を奔らせるけど、やっぱり切れ味は最低。色気づいて装飾で選ぶんじゃなかった。向こうの方でカットしてるピクシーのナイフの方が、断然切れ味は良さそう。
 なにせ力が必要で、今度はワタシが舟を漕ぐみたいに同じ動きを繰り返してる。自分のお腹でぐぐーっと柄を押して、ブチブチ皮を裂いて行く。お世辞にもキレイとはいえない裂け目からは、赤い液体と光が溢れて。まるで葡萄の洋酒みたいな色、ニオイだけでほろ酔いしそう。
『ねえ、さっきからこの馬、何か喋ってない?』
『言葉か鳴き声か判らないでしょ、放っておきなさいよ。ねえ、それよりあの変態ヤローってどうしたの?』
 隣からの私語に、耳を寄せる……
『そだね、どうしたんだろ。ワープさせまくってから、すっかり見ないけど』
『この馬の、黒い紋様さあ……あの変態ヤローの紋様にちょっと似てない?』
『あー確かにぃ! 紋様の縁が光ってる。でもこの馬のは赤色だよ、アイツのってもっとこう、ターコイズというかピーコックブルーというか……そういう青緑っぽい光だったじゃない』
 なんと、ワタシがさっきからぼんやり考えていた事、そのものズバリだ。
 この馬、侵入してきた妙な悪魔になんとなく似てるの。あの時の一瞬はニンゲンに見えたけど、やっぱり違った。
 項からツノが生えてる人間なんて居ないもの。
「おい、サクッとやれよサクッと。一気に剥がねえと、また皮が肉にくっついちまうからな」
 せっせと皮に切れ目を入れて、其処から切っ先に引っかけてビビーッと剥がす訳だけど、これが難しい。
 サカハギ様の云う通りだ。のんびりやっていたら、さっき入れた切れ目がジワァッとくっつき始めてて焦った。
 それでも、ちょっとずつ剥がした皮をピクシーの皆で持ち寄って、建材と建材との間に結んで渡したロープに引っ掻ける。ちゃんと加工するのは後からみたいで、ひとまずは剥がした皮を並べて吊るす様に命じられた。
 ワタシも、足先の枝分かれした難関を見事剥ぎ取ったので、吊るしに行こうと翅を伸ばした
 でも、いざ吊るしてみると……ちょっと雑だったかも。黒い部分がちょっと硬くて、ガタガタな切れ目。
 眼を近付けてみると、さっきまで光っていた紋様の縁もすっかり落ち着いていて、すっかり皮って感じ。
 ぱた、ぱた、と下から音がするので、俯いた。草の一本も生えていない地面に、赤いドット。  
 吊るした皮から滴る赤いソレを、疼く心が抑えきれずに両手で受け止めた。グローブの青とのコントラストがキツい、眼がちかちかする。
 唇を寄せて、その赤い雫を啜ってみた。途端、翅の先までピンと張って、眼の奥が熱くなる。
 吸って吐いてを、強く忙しなく繰り返して、ワタシはヨロヨロとロープに身体を預けた。
 凄い豊潤なマガツヒ、それと、ちょっと錆っぽいワインの様な口当たり。ああ……もっと舐めたい。剥がした皮から啜ってこれなら、あの身体にはどれだけのマガツヒが詰まっているんだろう。
 サカハギ様はマガツヒも独り占めしたがるから、お零れを頂戴出来るチャンスは今しかない。
 でも、いつまでも此処に居たら怪しまれちゃう。置いてきたペーパーナイフも、誰かが横取りしていないか今更不安だし。
「仰向けに転がしな!」
 サカハギ様の号令ひとつ、ピクシー一同でロープを引っ張る。
 ぼてん、と引っ繰り返された馬は、まだ剥がされていないお腹を晒した。四肢はもうじくじくと赤く光っていて、再生の準備をしている。
 背中から胸元まで駆け上がった紋様は、首筋から頭までずうっと繋がっていた。
「ジロジロ睨みやがって……へへ、むかつく悪魔だ。表情判らなくしてやるよ」
 馬のたてがみをむんずと掴んで、地面にゴリッと押し付けるサカハギ様。
 のけぞる様にして馬は嘶く。妙に喚くから、何かと思ってよく見れば……項にツノが生えている。ああ、多分それが地面に突っかかって、痛いんだ。
「ははぁ、確かに顔の部分は抜群だ。良いタトゥーマスクになってくれらぁな……」
 サカハギ様はナイフをゆっくり近付けながら、そのまま馬の眼をくりっと抉りそうなポーズ。
 馬が強張るのが見て取れて、ワタシ達もヒソヒソ声を消す。
 羽音もしない、静寂。カグツチの光を反射して、馬の眼の金色が揺れている。息を呑んで、ワタシも拾い直したペーパーナイフを胸にぎゅっと抱き締めた。
「暫くしたら再生するんだろ……また同じ皮が採れる、問題ねぇな」
 ブツブツと独り言のサカハギ様、まるで誰かに云い聞かせているみたい。
 柄を垂直にして、刃先は馬のこめかみに。いよいよ付き立てようとしたその時……パァンと甲高い音が響いた。
 同時に、サカハギ様が馬の上で、ビクンと引き攣った動きをして倒れ込んだ。
 音の出所がすぐに判らなくて、ワタシ達は輪を乱す。広場の出入口を見張っていたティターニア様に助けを求めなきゃと、一斉に飛び立った。すると、ティターニア様がニタリと哂って……肩に掛かる金髪を後ろ手に払う。
 どういう事? ふわっと靡いたその金糸の中から、黒光りする銃を取り出して、こっちに向けてきた。
「悪戯が過ぎるよ、顔は駄目だと云ったろう」
 明らかに穏やかじゃない台詞、とにかく撃たれちゃう予感しかしない。
 皆して今度は反対方向に慌てて飛び戻る。けれど、サカハギ様がゆっくり身体を起こして……下敷きになっている馬を見た瞬間、ワタシは『あっ』と声を上げちゃった。
 あれは馬じゃない、四肢を真っ赤に剥かれたヒトガタの悪魔だ。
 ガリトラップで馬の皮を剥ぐ遊びだと、さっきまでは思ってたのに……ワタシはいつから、あの悪魔を馬だと思ってたの?

「チ、術が解けやがったか……失せな……云う事聞かねえ悪魔なんざ、お呼びじゃねえ……」
 モヒカンの額から赤いマガツヒを流したサカハギ様が、腕をしっしと空に振る。
 追いやられる様に散ったワタシ達ピクシーは、もうパニック。術という聞き捨てならない言葉に、戦慄いて、各々がナイフを握り締めた。
『なんで……あんなマネカタが此処に居るの』
『細かいとこの皮剥ぐのにピッタリ〜って、好い様に洗脳されてたのよ私達!』
『変態ヤローの皮剥がさせられてたの? なにそれ、まるでアタシ達が変態じゃん! もぉ、やだーっ!』
 正気に戻った皆が、一斉にマネカタに飛び掛かった。サイズも色もバラバラな刃物達が、ブスブスとサカハギ様に突き立てられていく。ああ、もう様なんて敬称要らないよね。
 まるで妖精の王様の様にふんぞり返ってたサカハギを、妖精一同許すワケ無い。それでも、皆が怒りに任せて向かって行く姿は、ある意味正気じゃないのかも。
「御嬢さんはソレ、刺しに行かないのかい?」
 声を掛けられてから、ぼんやり眺めていた事に初めて気付く。
 振り向けば、佇むティターニア様……の姿がゆるゆると黒ずんでいった。
『……ニンゲン? ティターニア様に化けてたの?』
「君等の王も女王も、入口の外で簀巻きにしてあるだけだ。心配無用」
 こっちは洗脳じゃなくて、どうやら本人が変化してたみたい。術で洗脳するより、確実ね。格好から騙すなんて、このニンゲン……詐欺師の素質アリ。
 それにしても、帽子から靴の先まで真っ黒。今は銃を構えてはいないけど、あのマントの下が超怪しい。
「やはり手に入れた途端に、欲が出て駄目だね。顔の皮は僕が貰い受けるという契約で、人修羅の弱点を教えたのに……」
『弱点……』
「憶えているかな、君達は氷結魔法をとにかく使えと命じられていた筈。そうすると人修羅は、寒さに耐え得る蟲を呑むからね。つまり、火炎に容易く燃える身体となる訳だ……フフ」
 チラ、と視線を横に送った。吊るされる皮の中には、顔の皮らしい形状の物は無い。そうだ、今から剥ごうって時に、サカハギが狙撃されたんだっけ。
 という事は、ずっと見張ってたって事? この人間。
『ナイフを持ってきたティターニア様も、アンタなの?』
「いいや、あの後にすり替わったよ。なに、チェンジリングみたいなものさ……ピクシーの十八番だろう?」
『何がしたいのよ……あの変態ヤローの皮が欲しいなら、自分で剥げばいいじゃん。アンタがマネカタにやらせようとするから、ワタシ達にまでこんな事……』
「僕からそれをしようとすると、仕事に差し支えるのでね。発破をかけるなら許されるだろうが、私欲の為に直接手を下す事はならない」
『あのマネカタ、確かに顔の皮剥ごうとしてたけど……もしかしたらアンタに渡す為だったのかもよ?』
「僕は“眉間から喉仏まで、まず一直線に切れ目を入れよ”と伝えてある。僕の用途はマスクでは無いからね」
『違ったから撃ったの?』
「そうだよ」
 契約至上主義なのかな……淡々と云う唇は、綺麗な形に口角を上げていた。何者か分からないけれど、どこか禍々しい。悪魔を何も恐れていない人間は、怖い。
「馬に思えたから、楽だったろう? 君達は《ガリトラップ》で馬遊びには慣れているだろうからね」
 その錯覚もサカハギに勧めたのかしら、と考えて、ワタシは背筋が凍った。翅がピキピキ音を立てて割れそうな程、強張って息苦しい。
 なんでこうも、普段のワタシ達を熟知されているのか分からない。悪魔の専門家なんて、ニンゲンに居るの?
「さて、お馬さんが朦朧としている間に、其処に吊るされた分は頂いてゆくかな」
 黒マントが靡くと、一瞬だけ胸元が覗いた。中も真っ黒だったけど、白いベルトと金属の鈍い反射は鮮明に見えた。
(あ、可愛い)
 その金属の正体は分からなかったけど、中のひとつ。先っぽにレースが結ばれて、蝶々の様に揺れていた。
『ねえっ、ワタシとも交渉しない?』
 結局、呑気な私は、気に入っていたペーパーナイフとそのレースを交換して貰った。
 こんなに可愛い物をコッソリ胸元に忍ばせているなんて、案外乙女なニンゲンなのかもしれない。別の用途っていうのも、サカハギみたくそのまま纏うんじゃなくて……ちゃんと仕立てて貰うのかも。それなら、ちゃんと使ってくれる人に皮が渡った方が良いよね。
 そうやって納得した瞬間に、雄叫びが今度は響き渡った。さっきからビクッとしてばかりだけど、今度は出所が判る。
 蜘蛛の子を散らす様に、方々の空に逃げていくピクシー達。青い霧が晴れた様に、光景が露わになった。
 痙攣する穴だらけのマネカタを、頭から掴んで柵に叩きつける真っ赤な……馬。
 もう違うなんて事は知ってるけど、服も無しに獣の様なポーズだし……
 痛みと怒りに吠えて、小さなナイフで針山みたいになったマネカタを、更にぐちょぐちょにしてた。
 あんな事されてたんだし同情もしたけど、やっぱり変態ヤローだ。
 八つ当たりを喰らわないうちに、ワタシもさっさととんずら。折角手に入れたレースが錆色に染まっちゃったら、嫌だもの。
 人修羅のマガツヒは最高にフルーティーだったけど……ニンゲンの血って、乾くと汚い色になるから。
 ……あっ、だから半裸なのかぁ。

 -了-