108
――《光る斑紋皮の装丁本》求ム――
「僕達はもしかすると、ハメられていたのでは……」
「お前心配し過ぎだっての、案外疑り深いんじゃねえの?」
訝しむヨナタンをからかうワルター。だが、疑うのが普通だと自分も思った。
別々の依頼主から受けたクエスト、それだというのに、求めている品が明らかに同一。
「よりにもよって《本》だろう……黒きサムライかもしれなかった、この件は警戒すべきだったのだ」
「でも、ケガレビトの本は読んでも平気だぜ? 悪魔なんかにゃならねえよ。地下道の連中も、ボロくなった本ペラペラ眺めてるし」
「しかし君、光ると記述されているたんだぞ。しっかり詳細を読んだか? どうやら魔力を本に通すと、紋様の縁が光るらしい。そんなの、普通の書籍である筈無い」
「遺物に有るだろ、暗い所で光る物。そういうのと勘違いしてるんじゃねえのか」
「捜す気が無かったんだな? ワルター……」
溜息のヨナタンが僕の方を向いたので、多分意見を求められている。
僕も実のところ、そこまで真剣に捜索するつもりは無かった。本という物がそもそも、ケガレビトの里には莫大な量が在る。期日までに見つかれば運が良い、という程度で受注したのだ。
そして案の定、見つかる事は無かった。一応これでも、立ち寄った書店では悪魔を使い書棚を確認したのだが。とりあえず背表紙が光った本は無い、もしかしたら表紙側だったのかもしれないが、そこまでは時間が割けない。
依頼主はこの辺から何処かに発つ予定らしく、このクエストはハンター協会の登録から、本日で抹消された。
「ま、しかしホントに別々の人間だったんだな。同じ奴が間違って重複で依頼してんのかと……流石の俺も考えたわ」
賑やかな光が踊る部屋の中、ワッフルという菓子にかぶりつきワルターが呟いた。直後に飲料を欲するのを見て、これはつくづく喉を渇かす食物だな……と、改めて思う。
このハンター協会だけでは無い、何処も似た様な物ばかりを提供する。色や形は違うのだが、最終的に残る後味が何故か似ている。
「黒きサムライではなかった……だが、どちらも素性知れずだ」
「まーだ云ってんのかヨナタン! もう終わった事だろ。向こうも怒ってる訳じゃねーしな」
「同じ様な特徴が有ったとすれば、何かの組織の可能性もある……安易に協力すべきでは無かったかも――」
受注の際、両方の依頼主はと実際に会っている。
僕はワルターと共に、新宿の牛込橋という所で落合い。ヨナタンとイザボーは、池袋の雑司ケ谷霊園で。
「特徴なあ……顔見られたくないみたいで、フードマントっつうのか? そういう感じの着てたな」
「僕等の会った依頼人もそうだ、顔は殆ど見えていない」
「ま、外を普通に出歩けるって事はアレだ、カタギじゃねえ」
ヘラリと笑ったワルターが、味より量と云わんばかりに追加注文したワッフルを手にした。
ワッフルの包みを、上品とは云い難い破き方をする。騒がしい空間なのに、物の裂ける音は不思議と鮮明に聴こえる。
綺麗に裂けた場合、音は一様に軽やかだ。ふっと思い出す、先日見た紙切りの道具を。
「ペーパーナイフ……」
「んっ? ああそういえば……何か使ってたな」
僕達の会った依頼人は、薔薇の彫刻がされた少し古めかしいペーパーナイフを使っていた。
契約するのには書面じゃないと落ち着かないらしく、受注の際に改めて其処にサインをした。
あの依頼主は、ハンター協会の事も間口として利用しているだけで、特に信用はしていない様に見えた。
「へえ、口約束やデータに頼らないとは、この里においては古風だ」
「ちげえよ、悪魔召喚プログラムの入ったブツを持ってねーだけだろ。スマホだっけ?」
「では、どうやって外を闊歩しているのだろうか?悪魔の使役も無しに、身体ひとつで渡り歩くのは困難だと思うが……」
「……マントの中に隠し持ってたのかもな」
それを聞いたヨナタンが、眉根を寄せる。武器を隠し持っている事を想像して、また勝手に反省しているのだろう。
「お前等の方はどうだったよ、ヨナタン? 霊園とか物騒な場所指定しやがって、もしかして幽霊だったんじゃねえの」
「期待に沿えず残念だが、脚は有ったよ。声も肉声そのものだ、魍魎の様なぼやけた音では無かった」
「私物は持ってなかったのか?」
「ああ、口頭でのみの確認だったからね。あっさりとしたものだったよ」
先刻から、イザボーが黙り込んで、コップの中の水面を見つめている。
多人数の中では控え気味の彼女だが、ワルターの軽口には普段もう少し突っかかる筈。
思う所でも有るのか……僕も釣られて同じ所をじっと見つめた。
「しかし、本当に魔力に反応する本が有ったのなら、それは遺物として持ち帰った方が良いのではないだろうか」
「依頼受けてからそれは流石にセコイだろ……おい、どうしたイザボーもフリンも、さっきからだんまりで」
イザボーはワルターの声に少し反応したのか、コップの中で水が揺れた。表情を硬くも柔らかくもせずに、ゆっくりと唇を開く。
「霊園が少し暗かったから、私、ピクシーを召喚したの。電撃の魔法で光源になって貰おうと」
「そうそう、かなり薄暗いねあそこは。男性二名で赴くべきだったかもしれない」
また反省点を述べるヨナタン。隣のワルターは失笑しつつ、水でワッフルを流し込んでいる。
「そうしたら、依頼された殿方が……ピクシーを見るなり一歩退いて。少しだけ、呼吸が乱れていたわ」
「ピクシーで? そんなゴツい悪魔じゃねえのに」
「それが、どうもピクシーの事が苦手みたいで。仕舞って欲しいと、断言されましたの」
「へえ、トラウマとかその辺かね? イザボーの方がピクシーよかよっぽどおっかねえのに、なぁフリン?」
返しようも無いので、僕は無言を決め込む。ワルターが直後に顔をしかめたので、多分テーブルの下で彼女に蹴られたのだと思う。
108という番号のついた大きな建物が、この辺りを歩く際の目印だ。見上げつつガントレットの地図と照らし合わせていると、イザボーが横から話しかけてきた。
「結局、例の本ってどんな内容だったのかしらね」
もうすっかりあの話題から抜け切っていたので、例の本が何を指しているのか暫くピンと来なかった。
「表紙は人物画じゃないし、しかも皮の装丁なら……イザボーの好きな漫画っていうのとは、違うんじゃないかな」
「まあ、よく御存知ねフリン。そうなの、漫画は硬い本である事が少ないわ」
その硬いというのが、本自体の硬度なのか、それとも内容の事なのかは、敢えて訊かない。
「私、例の本を捜している時に、個人的に調査したの。勿論バロウズちゃんにも手伝ってもらって」
「移動範囲には、多分無かったよね」
「何故そう思いまして?」
「なんとなく」
「もうっ……でも、貴方が云うと少し納得してしまうの、不思議ね」
それは多分、僕のカンが良いからだ。今まで幾度か的中させ、同僚を驚かせた事がある。
「そう、それでね。調査したのだけど……そもそも、その光る皮が生物の皮なのかっていう所から――」
イザボーは饒舌だ、聴き手に回る僕が相手だと、この調子。
耳に入れながら、渋谷を歩く。白い線が一定間隔で描かれた地面は、草どころか地表も見えない。
かつてはこのアスファルトという道を、大きな車で走っていたそうだ。車といっても、機械。動物に牽引させる荷車とは別物。
道は縦横無尽に交差しているので、衝突を避ける為に《信号機》という物が必要だったとか。
今となってはその信号機も、パカパカと無意味に明滅しているか、全く光らないで倒壊しているか、このどちらかだ。
「スカイから見下ろしたこの大地は、星空みたいだったわ。でもこの光は星とも違うのだろうし、電気という、一種のエネルギーだという事も知れたわ」
「光に種類が有るって?」
「そう……図鑑で生物を調べたの。深い水中に泳ぐ魚や、暗がりに生える菌類……自ら発光する生物は、思っていたより多かった」
供給されるエネルギーが尽きるか、遮断されない限りは、光り続ける生物や遺物。
例の本も、そういう事だろうか。魔の力が供わった表皮の頃は、常に光っていたのだろうか。
「イザボーはそこから、例の本が作り物じゃなくて生物の皮を使っていると確信した?」
「でも、そんな変な皮で本を作る人なんて居るのかしら、って思って調べたら……それが有ったの。大昔には《ゲテソウホン》って呼ばれていたそうよ。ヤナギタっていう民族学者が、趣味で集めていたみたいだけれど」
「下手物のゲテ?」
「ええ。家畜だけじゃなくて、所謂……愛玩動物、猫の皮とか使った本も有って。生物だけじゃなく、筍の皮なんかも」
「中身は食べたのかな」
「本当に貴方って……不意打ちがお得意ね」
「よく先制攻撃は取られるけど」
返答が無い。きっと何か呆れられているのだろう、よく判らないが。
イザボーに見せて貰った漫画でいう所の「じとーっ」という効果音に、当人は近い眼をしている。僕から話を戻してあげた方が良いのかもしれない。
「さっきのゲテソウホン。趣向を凝らしてるけど、無駄使いはしてない」
「では訊くけれど、人間の皮でも同じ事が云えまして?」
「うん」
「……そう」
我ながら即答で、自分でも驚いたがイザボーが嫌そうな顔をしなかった事も意外だった。
ただし、一瞬の間は有った。受け止める様に頭を切り替えたのだろう、堅物なようでいて案外懐が広い。
彼女はラグジュアリーズなので、上品に鞣された柔らかな革と、色とりどりの絹糸で織られた着衣が当たり前だったのかもしれない。
人の皮を使うだなんて「倫理的な問題が〜」とか、いっそ「下賤だ」と云い放つくらいは許されるだろうに。
「人の皮を使った本も、有るそうよ。なんだか呪われそうね」
「やっぱり有るんだ。でも、光る人間は聴いた事も見た事も無い」
「同じく。バロウズちゃんにデータベースとかも検索して貰ったけど、発光する人間は居なかった……」
「悪魔は? 光ってる連中なら、そこそこ居る」
「ゲテソウホンがよく作られていた時代というのが古くて、しかも少部数発行が基本だから、とにかく情報が薄いの。悪魔なら尚更薄いわ」
確かにそうだろう。悪魔が世間に知れ渡ったのが、ケガレビトの里でさえ割と最近らしく……二十云年分しか情報が無いのだ。
自分達の国なんて、サムライ以外には知れる事も無かった。本を読んだ者の末路を《悪魔》と呼称する人も、さほど多く無い。
しかし思った、それは「知らなかった」というだけ。遥か以前より、存在は共にしていたのだ……多分。
「貴方も、やっぱり悪魔辺りの皮だと思う?」
「うん、いっそ渡す本を作った方が早いんじゃないかと」
「皮を鞣して、それから本の装丁師さんに頼まないといけないでしょう? 少なくとも専門家は二名必要ね……ってそうじゃないでしょフリン、多分あの依頼主達は捜してる本が有るのよ。同じ様な別物では、受け取ってくれなかったと思いましてよ」
「ほぼ同じ見た目でも駄目?」
「うぅん……質の違いというか、有るのではないかしら。この渋谷なんかは、廃墟でも特に服屋さんが多いけれど、違う場所で似た様な色形の服をよく見かけるわ。でも手触りや光沢なんかは微妙に違って……札の数字を見ると、大きい数字の方が上質なの」
「魔力に反応するって事は、唯一無二と云っても過言じゃないくらい、貴重な存在なのかな。死んで素材にされた悪魔の一部は、完全に物になるだろう……普通は」
「反応して光る皮……肉体を離れてもその様子では、採取元の生物は凄い力を秘めた存在なのかもしれないわね」
『ヒューヒュー可愛コちゃん何処行くよぉ? オレサマは既に反応しまくってるゼェ〜?』
すれ違い様に股間を突き付けてきたインキュバスに、速攻でピクシーを召喚しジオンガを喰らわせたイザボー。
インキュバスの股座の突起に容赦なく剣を叩きつけ、ポッキリと折り砕いていた。
「話の腰を折られたわね、さ、行きましょう」
あの悪魔にとってはもっと大事な物を折られたのではないかと、他人事ながら股座が冷えた。
彼女同様、召喚されたピクシーも威勢が良い。小さな体躯だが、堂々としている。
「ヨナタン達と合流する前に、話しておきたい事があるの」
そんな威勢の良い異性が声を潜めて云うものだから、少しだけ意識する。しかしそんな事では無いだろう、とすぐに自己完結した。 仲魔を傍に置いたままの色恋沙汰を、この少女は好しとしない筈だから。
「あの殿方二人に話すと、ちょっと煩そうだから」
「成程、毒にも薬にもならない僕が聴くね」
「有難う。あのね、私とヨナタンが会って来た依頼主なのだけど……この子を嫌がった事は話したわよね」
傍らに舞うピクシーを一瞥して、述べるイザボー。僕は続きを促した。
「余程嫌だったのか、身構えたどころか殴ってかかりそうに腕を振り上げていたわ。それでも、もう片腕で自制して……すぐに落ち着いていたけれど」
「理性のある相手で良かったね」
「ええ……でも、その腕を翳した瞬間、私はピクシーよりその人を凝視してしまったの」
「相手の動きを捉えて対応する為なら、何もおかしくない」
「違うの、ヨナタンが私の前に居たから……情けないけれど、私は無意識にヨナタンに頼って、警戒を怠っていたのだわ」
「……何か気になる所でも有ったの」
「ヨナタンよりも少し低い視点だから、私にはすんなりと確認出来たのでしょうけど、その依頼主ね……」
赤い爪の指先を、ぎゅうっと折り込んで拳にしたイザボー。秘密を告白するかの様に、そっと唱えた。
「見えていた手にたった数秒だけ、黒い紋様が奔って……その縁は、煌々と輝いていたの」
-了-