土の器 -アダマ-
「これが新進気鋭の陶芸作家による作品です! 御覧下さい、こんなにずら〜っと!」
取材陣の誰一人だって、理解は出来ていないだろう。焚かれたフラッシュに一瞬照らされる、並んだ私の作品が一斉に嗤う。
「これは……何をモチーフにしているんですかぁ?」
少しは考えたのか? 問う前に、自分なりに答えを探してから訊く事を忘れているのか、この人間は。
やや媚びた風な声で、リポーターの女性が投げてきた。カメラもそれに合わせて、微妙に角度を変える。
「七十二体居ます」
「えぇ、何かそういう……七十二存在するモノがあるとか?」
一応、界隈では少し話題になったと思うのだが……下調べもせずに取材か。いいや、興味が無ければそういうものかもしれない……ねちねちと解説しても無駄だと思い、これ以上のヒントを与える事は止めた。
「ソロモン王七十二柱の悪魔です」
「はぁ、悪魔……天使とかにしないんですかぁ?」
「天使より契約が実に具体的で、各々の能力が鮮明です。天使より頼りになると思いますよ」
「なんか地獄に連れて行かれそうじゃないですかあ」
「それは故人の生前の行いによります、此れ達の所為にされても困ります」
悪魔という言葉には、やはり恐怖のイメージが付いて回るのか。丹精込めて練り上げた作品達も、他人にとっては話題の一片に過ぎない。
『M氏は死後の依り代としての陶芸作品、つまり埴輪に近いモノを作っている作家です』
『特徴的なのは、埴輪がすべて悪魔の形をしている事! これには驚きの声も多いですが、M氏曰く「悪魔こそ頼り甲斐が有る」との事』
『造形美に惹かれて、インテリアとして飾っているファンも多いんだとか! 皆さんもM氏に仰いで自分の護り神……いえ、悪魔を手で捏ねてみては如何でしょうか?』
テレビから流れてくる内容に、否定もしないが両手を上げて喜べもしなかった。依り代という意識で、生み出している。つまりその時になるまで、私の作品は完成していないという事になる。生み出せども、無魂。ただの土の塊であって、命は無い。
アダムは、赤土にヤハウェがルーアハを吹き込み、命ある者とした。それまでは、彼もただの土だったのだ。
人が《土の器》と形容される文章を幾つか目にしたが、それは主を信仰し心を開き捧げる事で起こる癒着だ。それが人と人を連結させ、ひとつの器とさせている。その共通する想いこそが、人を土から器に生かすのだ、と。そう述べている事は理解出来た。
(理解は出来ても、堂々巡りだ)
私が捏ねくり回す赤土は、どう作ろうがアダムには成らない。周囲が賞賛すればある意味完成なのかもしれないが、何かいつも足りない。
どうして幼い頃からこうなのだろうか。公園砂場の、あのさらりとした乾いた感触では飽き足らず、花壇の湿った土を求めた。地中に手を着くと、酷く落ち着く。人の足音や車の振動すら感じない野辺に、一人でじっと蹲り手首まで埋める事がストレス解消方法だった。
命の根源は大地から、と、単純に考えてはみるものの。それは聖書や伝承に破壊されそうになる。ルーアハを吹き込めるは、神という存在だけなのか?
びくん びくん
肩が大きく揺れた。集中力を欠く瞬間、この歪なしゃっくりの様な揺れが身体を襲う。幼い頃からずっとの癖だ。これの所為で人と話している際、神経の糸が張り詰める。
心音に時計の針音が勝った瞬間、時間に気付く。もうこんな時間、珈琲も冷めてしまっていた。明日の陶芸教室で、また命も無い土を捏ねる為、就寝する事にした。
「焼き上がりは結構暗い色になりますからね……シャープなシルエットにすると垢抜けますよ」
参加者は、幼い子供から年配の方まで、随分とまばらだった。興味が有るのなら、年齢も性別も人種も関係は無い。とはいえ私の普段の作品モチーフから、一部の宗教に殉じる人間は来ないと思ったが。
「なんか粘土、ごつごつしてるね」
少年が呟いて、付き添う女性に同意を求めた。女性は一瞬躊躇して、赤土の盛られた其処に触れる。
「本当、スクラブみたい」
指を突き入れる、更に理解を深めようと、更に奥に。ぐにり、むりゅりゅ、と握りこむ動きを見せた。
ウェット&メッシーという嗜好もある位だ、あの感触は一種の快感と、よく思う。彼女はきっと母親だろう。息子に笑顔を向けて頷き、程好く湿った指を抜いて濡れ布巾で拭う。
「何か入っているねえ、でもコレ、焼いたらボロって崩れないかしら」
「でもコネコネしてもちゃんとくっつくよ」
「流石はM先生だねえ、ちゃんと計算して何か配合してるのかしらねー」
小耳に挟んで、少しばかり気分が浮かれた。そう、詳しいレシピまでは教えられないが、自信の土だった。夢によく見るあの場所で採取した、とっておきの赤土。
作品の命云々は、この場においては結構どうでも良かった。この土の快楽を、知って共有して欲しかった。それだから、あんな宣伝じみた取材も受けたのだ。無駄にしたくない、命が宿せないのなら、せめて精一杯此処で伝えよう…
「どうしてあそこにマーラが置いてあるんだよ」
ひそひそと、部屋の角の方から声がする。今、マーラと間違いなく聴こえた。
指導の視線を配するフリで、その方へと耳を澄ませる……
「事前に教えたろう、此処の作家の作風を」
「マーラなんて、形作ってる時に嫌にならないのかよ……信じられない、どうしてあんな悪魔、よりによって」
「あれは売り物だった筈だねえ……子宝祈願の。愛知の祭を知らないのかい? 銭湯で年間目にする数倍は、一挙に拝めるよ?」
「絶対行かないからな」
売り物だと把握しているなんて、私の作品に造詣が深いと見た。一体どんな人物だろうと目を凝らす。
学生だろうか……恐らく高校生、学ランを着ている。しかし二人組みの片割れだけ……相方はパーカ姿で、やや神経質な雰囲気の同年代だ。
学ラン少年の方は、妙に鋭いモミアゲについ目が行ってしまうが、すぐ傍に見える長い睫が後からじわじわ引力を放つ。美丈夫という奴だろう。
(この辺に学帽着用の学校なんか在ったか?)
なんとも時代を感じさせるスタイルで驚いたが、何が驚きかといえばその捲り上げた腕っ節だ。粘土の色が際立つ白い肌だというのに、なかなか筋ばった腕。運動部なのだろうかと勝手に推測する。
その指先の動きは、迷いも無い様子で土を捏ねくり操っていた。素人なのだろうか? 趣味でやっている動きに見える。どんな形にしても自由と云ってあるので、却って手が止まる参加者が多い中、珍しい。
それが覗きたくて、足が勝手に歩行する、引き寄せられていく。
「随分と慣れた手付きですね」
声を掛けてみる、手の動きを止める少年。学帽の下から眼が光る……多分、光が反射しただけだ。
「とても手に馴染んで、心地の好い土ですねえ」
「……そう、です? そうですか、判ります?」
嬉しい、つい声が弾む。
「多くのマグネタイトを含んでいる、そこらで採取した赤土とは思えぬ含有量ですね」
マグネタイト……? 聞き違えたのだろうか、それとも私の知らない成分だろうか。
「酸化マグネシウムは含有されていますけど……」
「いえ、マグネタイト、ですよM先生。聞き覚えは無いですか」
「……無いですね」
何やら誘導尋問されている気分になってきて、得体の知れない恐怖が奔る。
この土に関して、賞賛されるのは嬉しいのだが、追及されるのは御免だった。しかし、立ち去ろうとした私の鼓膜を射抜く、少年の声。
「雑司ヶ谷の霊園」
背筋が凍る、その背を軋ませつつ振り返る。私の作るどんな悪魔達よりも、少年は残酷そうに微笑んでいた。
「あそこでは、良い土が取れるでしょう……?」
指導に熱中する振りで、少年の頭に頭を寄せる。当人ではなく、隣の少年が少し強張る。
「……何を……知っているんです、君は」
「M先生の作品の《悪魔》というモチーフに惹かれまして、興味本位で調査させて頂きました。どうも作品に不思議な気が宿っている……ただの土というにはおかしい気が、ですね」
「気……とは」
「それがマグネタイトに御座います、M先生。貴方の作品に対する情熱は凄まじい……各誌のインタビュウも拝読致しました。貴方は土くれに命を吹き込むという事に執着している……そして、その為に材料集めに特に拘っているそうで」
「確かに、そう答えた……が、その材料の出所まで、どうして」
「僭越ながら、その材料採取に同行させて頂きまして」
「同行……?」
「平たく云えば、尾行です」
何だ、何なのだ。行き過ぎたファン? ストーカーなのか? いいや、しかし霊園の土とはいっても、それこそただの土と云えば済む話……
びくん びくん
そう、ただの土……
「M先生、貴方の土と命への異常な拘り……雑司ヶ谷霊園へ足繁く通い、其処の土を突っ伏して掻き集める姿……自分達は何かを思い出させられましてね」
「見覚え……」
「そう、命を吹き込まれた土人形《マネカタ》の姿が、脳裏を過ぎるのです」
まさか、こんな所でその名に出くわすとは。少年の、まだ粘土の付着した指を思わず掴む。
「それが……それこそが私の目標、夢に出てくるのです、昔から。マネカタという、土から生まれた生き物! あの霊園で、土に還る瞬間までを夢に……!」
夢が私に云うのだ、土の器にも命は宿る、と。個の命が、自我が宿るのだ、と。きっとあの夢は、私に使命を与えている。作ってみせよ、と。
震える指を更に強く、少年の冷たい指に食い込ませる。出来るだけ、動悸を抑えて問い詰める。
「君は知っているのか、命ある土人形……マネカタの造り方を!?」
「ええ先生、一番早くマネカタをお見せする方法……お教えしますよ……」
不思議な少年から受け取った、それは妙な蟲(?)だった。しゅるしゅると身体を丸めた様なシルエットだが、呼吸をしている様にも見える。
掌に乗せれば、湿った土を乗せた時の様にしっとりと重い。金属の肌理なのに、酷く有機的で。
『これを霊園の、いつも土を採取している場所で、舌の上に乗せて御覧なさい』と、あの少年には云われた。どんなまじないだ、と思いはしたが、目的の為なら容易かった。
真夜中、監視カメラも無いこの霊園。入り込み留まっていたところで、周辺を歩く人影も無い。いつも通りの光景の中、月明かりだけが輝いていた。
夢に見る、マネカタの還るこの土の地面。其処の上に立ち、静かに口を開く。突き出した舌の上に、あの蟲を……少し気味悪いが、乗せてみようと摘む指を開いた。
途端、痛みが奔る。舌に噛み付いているのだ、その蟲が。
「んっ、グググ、っ」
引き剥がそうと試みるが、引っ張る程に痛い。舌肉ごと噛み千切られそうになり、指の力が弱気になる。それを見計らったかの如く、あれよあれよと私の喉奥に蠢く様に滑り込んだ蟲。
吐き出そうと前のめりになって、大地にひれ伏した。熱い、奥底から熔解していくような感覚。いいや、感覚では無かった。土を握り締める私の指が、掌が、同化して往く。
びくん びくん
これは夢なのだろうか、夢に見たマネカタと呼ばれる土人形が、大地に還る瞬間だろうか。
跪いていた脚が、ざあざあと乾いた泥に姿を変えて流れるのを、まるで他人事の様に見下ろしていた。
(まさか……わた、し、なのか?)
融けゆく脳髄で、理解しようと必死に思想を巡らせる。内を蠢く蟲が、次々に答えを投げて返す。遥か生前の記憶が、噴出する。
今まで何か足りなかった私の溝を、氾濫する解が埋める。完成していく器たる自己は、アイデンティティを支えきれず軋みを上げる。
(ああ、だから、だから)
幾重にも記憶が有る、魂には層が有る。今の己がピュア(最初の命)では無いのか。割れた器、重ねられている釉薬がまるで年輪の様に歴史を語る。
転生、また転生、人だった私がマネカタに、マネカタの魂が私という人に。
びくん びくん
あの、夢の世界を動き回っていたマネカタ達は、魂を吹き込まれたのでは無く……結局は、依り代だったという事なのか。新たな命を吹き込まれたのではなかった。ヒトの魂が、土人形に宿っただけであった。
私の夢は潰えた、己の前世が証明する。目標としていたソレが、結局は私の捏ねていた作品と似た様な物であった事に絶望した。
そう、たった今、土に命が吹き込めない訳を知ったのだ。
びくん びくん
マネカタは…アダムに非ず!
びくん ざあぁっ
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少し秋の気配。窯の窓から揺れる炎の様に、頭上の葉も紅く染まってきていた。
「皮肉だねぇ? ボルテクスでは散々人間に憧れていたというのに、人間世界では動く土人形に焦がれていたとは」
それぞれの作品を受け取りに、窯の近くで暇潰しする参加者達。
あれから数日経過していた。教室で捏ねた粘土が、本日焼き上げられ講習は終了となる。しかし、肝心のM氏は居ない。隣で哂うデビルサマナーの所為で。
「あんたって、本当に残酷な野郎だな」
「おや、文句するのかい? アダマが土に還せたろう? 君にとっては利益となった筈だが」
「マネカタ作りたい、って云ってただけで、別に自分の正体が知りたかった訳じゃないだろ、あの人」
今となっては、M氏をヒトと呼んで良いのか分からなかったが。土に還る瞬間を、遠巻きにこの眼で見たから、余計にそう感じる。
参加者に作品だけはしっかり渡さなくては、という事で教室のスタッフがあれから忙しなく動いていた。行方不明のM氏は少し変わり者だったから、ふらりと当ても無く何処かに行って、足を滑らせて海にでも崖にでも落ちたのではないか…とも噂されていた。それだって、事故か自殺かもいまいち判断がつかないだろうね、と。周囲は好き勝手推測をする。
話題性が有るうちに全て売ってしまおう……という事なのだろう。あの七十二体の作品達にも、今日から値札が付けられ始めていた。
「式を祝詞で飛ばす事は出来ても、それは魂魄では非ず。魂は呼ぶものさ。まったく新しい命を無から作るなどね、なかなか出来ないものだよ」
「神なら……?」
「産むなら容易いだろうが、それだって何かを取り入れて産み出しているだろう? 吹き込んだかりそめの命なぞたかが知れている。ゴーレムに高い知能が有る等と聞くかい?」
開かれる窯、様々な形の皿や器、謎の形の置物が次々と出されていく。事前に渡された厚手の軍手で、老若男女、様々な人が受け取っていく。
「そういえば……マネカタも、色々居たな」
ぽつりと零せば、ライドウがすらりとした手に軍手を嵌めつつ、相槌した。
「マネカタだってねえ、功刀君。東京受胎の際、土に憑依した元人間の魂が核なのだよ。アマラ深界で聴いたろう、例の《淑女》から」
正体が判明しているのに、わざわざ淑女と云いやがったこの男。
「新たな存在を作り出す事が難しいから、ルシファーもヒトの素体に禍魂を入れて作ったのだろう?」
誰を、とまでは云わせてやるものか。すぐに言葉を投げ掛けてライドウの嫌味を妨害する。
「結局はマネカタも依り代ってか」
「そういう事さ。陶芸作家M氏には、ルーアハは吹き込めぬ。まともに機能したゴーレムは、ヤハウェが作ったアダムだけという事だ、フフ」
ふと、作品を受け取るライドウの手元を見た。
滑らかな表面、素人とは思えない出来の埴輪だったが……ただ、非常に目障りな紋様が刻まれている。
見覚えのある、この身体がむず痒くなる紋様が。
「おい……それ、何だよ」
「M氏に倣って悪魔をモチーフにしてみたのだよ、どうだい功刀君?」
「寄越せ、地面に叩き付けてやる、この冷血漢、嫌味サマナー」
「安心し給え、君のドッペルにも成りやしないよ、こんな物」
人修羅紋様の埴輪など、一体どうするつもりなのか。
最近ようやく冷えてきた風に打たせ、乾燥させる為、板の上に置かれたソレ。このまま熱が抜ければ一応完成だ。霊園の土を使用している事実は、出来るだけ思い出したくないが。
「呪詛とかに使うんじゃねえぞあんた、その埴輪」
「それは土偶の使い方だよ功刀君」
「……埴輪と土偶って違うのか?」
「講習会で君、話を聴いていなかったね? この埴輪の耳の辺りに、穴でもブチ開けてあげようか?」
「もうどうだっていいだろ陶芸なんて、俺はアダマを作りたいどころか、棄てたかったんだからな……」
ライドウの黒い外套が揺れる隙間、其処からやや遠くに見えるM氏のギャラリー。
後は誰かに引き取られて往くのをただ待つ土の悪魔達が、物云わず整列していた。
-了-