円がれたる -終章?-
眼を開く、天に輝くのはカグツチ……とは、違う。
ボルテクスでは無い事に安堵して、ゆっくりと上体を起こした。ケテル城の治療室だ。見覚えのある無骨な診察台と、乱雑な棚が広がっていた。
『おゥ! ようやく目ェ覚めたんかよ、このモヤシ』
医療担当のブエルが、獣の顔を此方に向けた。デカラビアの千切れた脚をぐるぐると、不織布の様な物で巻いている。
『をい、こっちの脚とこっちの脚が逆に付いてるぞ』
『気にすんなョ、どれも同じ形じゃねぇか』
『ヤブ! もう来ない!』
大きな瞳をうるうるとさせながら、ぴゅうっと空を駆けていくデカラビア。それをがははと笑い飛ばすブエル。これだからこの城の医務室には世話になりたくないのだ。
『ベッド占領してばっかないで、天使共の屯ってるアジトでも占領してみろャ』
「此処に運ばれた憶えが無い」
『俺っちも詳しい事は知らねぇよ? クズノハが運んできたんだしよォ』
「ライドウが?」
『結構ズタボロだったぜ? んでもって……おおっとアブねェ』
整理整頓と無縁な棚は、扱っているブエルにしか把握出来ない。それでも尚、使った布の余りを適当な隙間に突っ込むものだから、炙れそうな壜が棚から落ちたがるのだ。
「それと、何です」
『おぅおぅ……それと、妙〜に喉が荒れてたわ』
「喉?」
『おぅ、すげー勢いでマガタマが暴れたんでねェの? いや、よく知らねぇケド』
キメラの様にごちゃごちゃした身体から、毛むくじゃらの腕だけしっかり伸ばし、また笑って腕組みするブエル。
ふと、物音に視線を向ける。俺もブエルも何となく気配で察した。
『よ、デビルサマナー!』
学帽に外套、この城内にゴウトを連れる事は無かったが……それ以外はいつもと同じ姿の、葛葉ライドウが現れた。
「どうも、寝坊の人修羅はようやく起きましたか?」
『オネショしてねぇか確認してやれョ』
その会話に、耳がかあっと熱くなる。ベッドから降りようと、腰を捻ったが……そのままごろりと転げ落ちた。ギシつく床の木目が、眼前に広がっている。病み上がりの情けなさを払拭すべく、慌てて膝を着いて……
いや、着かない。
『無理すんなャ、オネショのしようが無ぇもん』
身体を支える腕が震える。下肢を覆っていた薄い布は、脚に絡まる事もなく落ちていた。
それはそうだ、俺は腰から下が失せていた。
「ようやくここまで再生したのかい、やはり一度棄てると能力が落ちるのだねえ」
『まだ戦えねぇっしょ? 《脚の有る悪魔とくっつける》っつう応急処置なら出来っケド?』
「悪魔への拒絶反応で舌を噛みかねない、それは止しておきましょう。まあ、舌を喉に詰まらせた程度では、こいつは死にませんがね……フフ」
一体、俺に何があった? 訳も解らず、ベッドに腕だけで這い上がった。改めて自身の胴を見る。今度は肉体の欠損を意識した所為で、じくじくと痛みを感じた。
「ライドウ……説明しろ」
「説明? いつもと同じさ、君が無茶をした、ただそれだけ」
「無茶って……一体何処の悪魔とやり合ったんだ。こんな……」
そうだ、今俺は何を呑んでいる? 胸をさすって呼吸を大きく繰り返す、胎の中の熱を知覚して、這い上がらせた。
喉をずるりとよじ登る蟲は、ごりゅごりゅと喉仏を押し出して、舌の上に躍り出た。
「っ、は……ぁっ」
熱いマガタマ、唾液塗れのソレを指先に摘まんで確認する。マロガレだ……
再びそれを、あぐ、と呑み込んだ。人前で呑む行為に嫌悪しつつも、身体の不自由さを理由にして自分を納得させる。
「こんな……弱いマガタマで、強い奴と戦ったのかよ」
濡れた唇を拭う、手の甲に血が線を引いた。ブエルに云われた通り、気管の治癒が遅れている様だ。
「そうだね、弱いマガタマ……だねえ?」
腰掛けるライドウで、ベッドがギシリと鳴った。
「弱いし、嫌な記憶しかないんだよコレ。本当に棄てれるもんなら棄て――」
棄てる?
「そう、そうだライドウ……あんたに、話しておきたい事がある」
「何? 契約破棄ならお断りだよ」
「違う……」
診察台の傍のブエルに目配せした、目配せというよりは睨みを効かせた形になったが。
察した悪魔は『ヘイヘイわあったョ』と、肩を回しながら部屋を出て往く。
静かになった医務室は、俺とライドウだけになった。獣臭いMAGが消えて、少し呼吸が楽になる。
「棄てる、で思い出したんだ。俺……最近気付いたんだけど」
「……何」
「マガタマが、この人修羅の身体を造っているのなら、棄てれば人間に戻れるんじゃないかって」
「破棄しても、一度でも胎に宿したマガタマは戻って来るのだろう? その身体に」
「戻って来る、つまりこいつ等は生きてる様なもんだ。だから、戻って来ない様に……納得する場所に棄ててやれば、どうなんだって」
「へえ」
「以前、ルシファーから聞いた事がある。マガタマは悪魔が一から作った訳じゃないってのを……」
「拾ったとでも云うのかい?」
「そうだ、多分あの話ぶりだと、素体は拾ったんだと思う。だから破棄場所が拾った処に近い環境なら、マガタマ共も納得するに違いないだろ?」
俺の手首を掴み、血の痕に軽く鼻を近付けるライドウ。鉄の薫りか、MAGの薫りか。
「すべて棄てた時、君は死ぬかもしれないよ? 堕天使と決着をつける羽目になるかもしれないし?」
「一か八かだ。死んでも、悪魔の身体で居るよりは全然マシだ。それにマガタマを棄てたって、最後のひとつを棄てきるまで習得した力は残っている。戦えない訳じゃない」
「そうかい、では付き合ってやろう」
あまりにあっさりと許可したライドウに、少し驚いた。この男は、悪魔の俺を手駒として使役しているので、てっきり反対すると思っていたのに。
「君の頭では、場所を突き止めるなぞ難しいだろうからねえ?」
「……癪だけど、あんたの力は欲しい」
「MAGも、だろう?」
「……そうだ、まずこの下を治さないと」
魔法で治りきらない傷は、再生能力に頼る他無い。その治癒速度はMAGで加速する。
契約を結んだサマナーのMAGは、馴染みが良い。浸透率が高いので、肉体は歓喜する。俺の心を置き去りにして。
「はぁ……まず、マロガレから棄てる……」
「そんなにマロガレ、嫌い?」
「あぁ……あんたと同じくらい、嫌いだ」
俺にMAGを流すライドウの、唇の端が吊り上る。その長い睫毛の下の昏い眼が、見つめ返す俺の金色の双眸を映し込んだ。
「だから敗したのさ……莫迦だね」
廊下から、ブエルとデカラビアの声が聴こえる……
『そいや、どうしてアイツの喉、こんなん引っ掛かってたんだァ?』
『何だソレわ』
『魚の小骨じゃねェ?』
『本当にヤブだなオマエ、やっぱ来ない』
『いやいや俺っちの所為じゃねぇっしょ!?』
よく、意味が解らなかったが……
それよりも今は、不足分のMAGを啜る事に夢中だった。
-了-