有害の天使




 天を見上げ、仰け反るままにふらりと背後に倒れそうになる華奢な背を支えた。
『そんなに真上ばかり見ては、首を痛めますよ』
 微笑みかけてみせれば、軽く会釈をして首を前後に慣らす少年。その細白い項には、冴え冴えと黒いツノが聳えている。
『上に空が無い事に、違和感を感じているのですか?』
「薄らと建物が見えて……自分が逆さに立っている様な感覚になるんです」
『なるほど、流石は二足で地に立っていた生き物ですね』
「……空を飛んでいると、天地の感覚もあまり無いんですか」
『どうでしょう? とりあえずこの世界は楽ですよ、ぐるりと迂回する必要が無い。カグツチの眩しさに耐えられさえすれば、中心部を通って向かいの地にすぐ移動出来ますからね』
「あの光、熱くないですか」
『熱い? 確かに灼きつける様な波長と共に、周期によってはかなりの昂揚感を齎しますね。貴方も感じませんか?』
「……よく、分からないけど、あの光を見ていると……忘れそうになる」
『何を?』
「人間……だった事」
 白い砂に、鮮やかな黒と青の靴を飲まれそうになりつつも歩む少年。彼の身体もこの地の様な、血色の芳しくない白で。しかも、黒い刺青が如し斑紋が刻まれている。その呪いの様な印は、彼がただのヒトから悪魔へと変貌した現れであり、破棄さえ出来ぬ命綱でもあるのだろう。
『大丈夫、貴方は人間ですよ。その様に憂う心が僅かでも残る限り、希望は潰えません』
 支えていた手をそのまま頭に持ってゆき、その跳ねた髪をさらりと撫でた。想像よりも柔らかで、軽くひと撫でのつもりが少々長々と、艶めく黒に指を泳がせてみる。するとまんざらでも無かったのか。私を見上げて少年は、むず痒そうな目許をちらりと覗かせた。
 はにかみの一歩手前……そう、歓びという感情の欠片が其処に見える。悪魔に触れられる事は激しく嫌悪するというのに、私にはこの態度である。
 見目で判断するその浅はかで幼稚な精神に、こちらも思わずはにかみそうになってしまった。



 《人修羅》という名称を聴いたのは本当に最近の事だったが、存在だけは以前より認知していた。シンジュク衛生病院から出てきた妙な悪魔が居ると、エンジェル達が屯しては噂していたからだ。眼を塞いでいる所為か、彼女達の耳の早さは尋常で無い。
 「人間の様な悪魔」なのだと。其処には私も興味が有った。野次馬の感情が微塵も無かったかは、さておき……
 いざ偵察という名の冷やかしに出向いてみれば、想像よりもはるかに虚弱な風貌をしていて、多少驚いたが。いいや何よりも驚いたのは、彼が私を見て、警戒こそしつつも助けを求めてきた事だった。
 一体何がそうさせるのか、思考を巡らせる。それは恐らく、単純な《天使像》だろう。
 この元トウキョウ……つまりは日本国の民にありがちな、無宗教人間。殆どは仏教徒だがその戒律を深く知る事も無く暮らし、クリスマスには浮かれはしゃぐというあの面白い形態だ。
「まさか天使も居るとは思わなくて」
 そう呟いた人修羅は、私の事を藁の様に縋っている。この世界において彼の敵は悪魔であり、他に関する知識は皆無に等しいのだ。
 あの病院の周辺は、確かに私達の様な姿は多く無い。この荒野で出くわせば、それはそれは神々しくも感じるだろう。宗教画の天使しか知らぬ哀れな少年は、まさに「地獄に天使」と悟ってしまった訳だ。
『悪魔はお嫌いで?』
「当たり前です、俺は好きでこんな姿になった訳じゃない」
『その割には、妖精を連れている。彼女は悪魔とは違うのですか?』
「これは……」
 人修羅の発言が気に喰わなかったのか、肩の傍を浮遊していた小さき者が翅を震わせた。
『ちょっと! コレって何よコレって!』
「だって公園で引き留めて欲しそうにしてたじゃないか、俺だってあまり貸しを作りたくないんだ」
『可愛くないの! アナタ死にそーだから折角提案して仲魔になってやってるんじゃない!』
「誰のお陰で病院から出られたんだ……」
『あの時は利害の一致よ、今は……その、ちょっと違うでしょ。アタシはね、アナタが気に入っちゃってんの』
「別に嬉しくない」
『んっとにもー! この頑固者! 半分悪魔でもいいじゃん、この世界で生きてくならそのくらいが丁度良いわよ。人間なんて弱っちいし』
 ふくれ面を作るピクシーだが、この妖精、なかなかに強かだ。それとなく協力的な姿勢を見せ、まんまと仲魔になったクチらしい。
 何らかの理由が無い限りはこの主人はとにかく面倒な性質だろう、が……多少の苦労をフイにしてでも従う、あまりある利点が有る。それは、彼のマガツヒの味。この世界における生体の糧の味だ。
 つまり単刀直入に云えば、この人修羅という生き物はとにかく「美味しい」のだ。
『少し宜しいですか』
 翼をたたみ、人修羅のすぐ傍に私も降り立つ。少年らしい涼しげな耳元に唇を寄せ、向こう側のピクシーには届かぬ言霊で鼓膜を直に振動させる。
『その悪魔を仕舞って下さい。貴方に味方するつもりで取入り、貶める存在です』
 横顔の睫毛が震えるのが見えた。即断出来ない程度には、彼女に思い入れがあるのだろう。人修羅となった少年にとって、最初の藁は彼女だったという事だ。ボルテクス界に変質した直後、純粋な悪魔で無い彼が戸惑わぬ訳が無い。
 悪魔に「された」少年は、手始めに妖精に心を許した……妖精という画は、人間にとっては比較的身近だから。
 この短期間で判断したまでだが、人修羅は穏やかな見目の仲魔しか従えず、悪魔らしい悪魔を徹底的に嫌っている。
『さあ、お早く』
「……はい」
 暫しの間の後に、返答しつつ妖精を横目に見た彼。小さく一言二言交わし、やがて妖精は光に包まれながら人修羅の内に還る。内、といってもそれは彼の胎内では無く、アマラ宇宙の一室に戻ったと考えた方が正しい。恐らくこの少年は、召喚しつつも理解してはいないだろうが。
『有難う、それで良いですよ。愛らしい外見でも、悪魔は悪魔ですから』
「妖精も……やっぱり悪魔なんですか」
『ええ、この世界ではそう考えて良いです』
「俺、あの病院から出るのに必死で……!」
『ええ、ええ分かっていますとも。貴方はよく耐えました、その逆境にもめげずに生きようとする姿勢は、とても美しいです』
 天使の微笑みで宥めれば、ころりとその棘が抜け落ちるのが見て取れる。
 この世界、どの様に生体区分されていると思います? 無知な少年よ。悪魔……人間……マネカタ……
 そう、笑える事に、天使などと云われる区分は無い。つまり人修羅は、たった今も貶められている。
『呑まされたというマガタマさえ抜ければ、きっと身体の毒も抜けるでしょう』
「本当に……人間に戻れますか? この気味悪い黒いのも、消えますか?」
『呑まされて悪魔となったのですから、抜けば戻れる……違いますか?』
「……でも俺、不安で」
『信じなくてどうするのです、不安だと避けていては、貴方にいつまでたっても幸福の兆しは見えません。まずは己を信じてあげなさい』
 それらしい事を云えば、安堵したのか眉の強張りが少し緩む人修羅。いい加減この聖人っぷりも興が乗ってきて、本当に直前まで《天使》で居てあげようかと思い始めた。
 この、途方も無い球状の世界で……彼に訪れた唯一の希望の光となってあげようかと。
「早く、元に戻りたいです……お願いします」
 心からの願い、彼のその眼に真摯な色が浮かぶ。私の好意を悦ばしく感じているであろうほんの僅かな瞬間、人修羅のマガツヒの薫りがする。
 微笑み……歓喜……マガツヒは感情の振れ幅が大きい程に、多く発される。
「何でも、出来る事ならします」
 感情の違いでまた後味も変わるが……比較的容易く得られる歓びや安堵の味ならば、もう私は散々味わってきた。
『良いのですよ、ヒトは愛すべき存在ですから。私も尽力しましょうね』
 妙な手癖が発露しない様に気を遣いつつ、その体躯を抱擁してあげた。魔力に依存しているのか、さほど筋肉の感じられない肉体。モラトリアムの真っ最中に悪魔と化したのか。
「……天使様……っ」
 絞り出すような声は、今にも泣きそうだった。私の腕の中で震えている、黒い紋様の子羊よ。
 このままこの子が無事人間に戻れば、間違い無くカソリック系に従事するであろう出来事だな……と想像し、また笑みが零れた。


「はあっ、はぁ」
 チンの群れに羽ばたかれ、それを防ごうとしてまた躓く。まさかあの程度で息が上がる筈も無いのに、人修羅は激しく胸を上下させる。
 人間の時の癖が抜けないのか、吸わなくとも良い息継ぎを試みている。特に援護を頼まれていた訳でも無いが、これでは目的地に到達する前に傷物になってしまいそうで。回復すれば良いかとも思ったが、ディア系で治癒する範疇も当人の余力にかかっている。あまり油断は出来ないのだ。
『伏せて下さい』
 この戦いが始まってから、初めて発声してみる。すると人修羅は私の声に即座に反応し、振り向きつつも砂に飛び込んだ。
 彼の頭上から、その小さな頭蓋目掛けて下降する群れに熱波を送り込む。高熱のそれはチンの羽先を燻らせ、やがて轟々と燃やし始めた。狂った様な鳴き声を上げつつ、妖獣が一匹、また一匹と炎の塊となって砂地に埋もれていく。
『今のを、プロミネンスと云います』
 既に身体の一部を灰にされたチン達、それ等に囲まれる様に砂塵に埋もれる人修羅。初めて見る術に興味津々……というよりは、得体の知れなさに恐怖している風にも見える。
『突然の介入は失礼でしたか?』
「い、いえ」
『殴る蹴る、も有効ではありますが、それは洗練された動きの者にとっては凶器となる、という話です。貴方は一介の少年だったのですから、戦闘術など持ち合わせてはいないでしょう?』
 云い方が悪かっただろうか、少し拗ねた眼になる人修羅。修羅が如き獅子奮迅ぶり、と謳ったところでそれもまた怒りを買うのだろうが。
『直接的な攻撃は、手足も汚れてしまいます。今の様に燃せば、接近の必要も無いですよ』
「燃やす……」
『そう、焔の術を……いえ、貴方は人間に戻るのだから、そこまで深く考える事も無かったですね。失礼』
 伏せたままだった人修羅の手を引っ張り、不安定な砂の上に起き上がらせる。柔肌を裂いた衝撃の痕跡も、既にゆるゆると治癒を開始している。
『その回復力も、初めに仰っていたマガタマの為す業ですか?』
「えっ……た、多分。この姿になってからです」
『いくら治癒力が高いとは云っても、痛みは変わらないでしょう? あまり無茶な戦い方は感心しませんね』
 砂埃を翼の端で掃ってやれば、擽ったそうに細腰が踊る。
「でも、焔なんて俺」
『悪魔じみていて、嫌ですか? 天使の私も使っているのに?』
 小さく首を傾げて顔を覗き込むと、見つめ合う事に慣れないのか、すっと眼を逸らされる。明後日を見つめようとするその瞳は、仄暗い中間色だ。悪魔によく在る、あの爛々とした光は無い。
「てっきり……その武器を使うのかと」
『ああ、この剣ですか? 無論、これでも戦いますが、先程の悪魔には火炎が有効でしたので』
 腰に提げた剣に気を取られている辺り、やはりこの世界に慣れていない事が解かる。中には飾りとして纏うだけで、見目に反する攻撃方法を持つ悪魔だって多いというのに。
 拾ってみて正解だった、このまま放置しては野垂れ死んでいた可能性も有る。鼻の利く悪魔にとって、歩く餌だというのにこの少年は……酷く無防備だ。
『そういえば、まだ名乗っていなかったですね』
 縋る藁の名を、脳裏に刻むと良い。一度は堕とされた、この私の名を。
『私の事はウリエルとお呼び下さい』
「……ウリエル」
 御覧なさいな、そんなにも簡単に口にして。言霊の罠だったとしたら、どうするつもりなのだろうか。
『貴方の名を教えてくれますか?』
 あの妖精が幾度か口にしていた、私は既に知っている。
「…………俺は、功刀矢代」
『ヤシロ?』
「そう、クヌギは苗字。そっちは名前です」
 人間の頃の名をいつまで心に残せるか、人修羅の今後が愉しみだ。いつか、悪魔に一切を赦さぬ孤独となった人修羅は……何者からも、その名を呼ばれる事は無くなる。
 今聞いた名の血肉では無く、経典とやらに綴って有った《人修羅》という単語の血肉となるのだろう。
 近いうちに来るかもしれぬ、創世の使者としての覚醒。私が仕える力の赴きとは、縁の無さそうな仔だが……それ故に、弄んでみたくなったのかもしれない。



 シブヤに到着するなり、ショッピングモールへと向かうこの足。人修羅の歩調に合せるなら、飛ぶより歩いた方が楽だ。
「天使も買い物するんですか」
『可笑しいですか』
「何……買うのかと思って」
『貴方の呑んでいる物と、似た様な物が売っていたのを思い出しましたので』
 薄く埃を被るガラクタ達の隙間、ほんの少し開けた空間を利用したジャンクショップが在る。流れ者のジャックフロストが、顔を覗かせた私に対して手を振った。
『ヒホー! あと在庫僅かだから、誰でもいいから買ってってホ!』
 来る者拒まず、とはいえ警戒したのだろう。手を振る直前の強張りは、構えだった。
 エンジェル達なら良く目にしても、私と直接対峙するなど稀だ。多少の怯えは仕方の無い事。
「悪魔から、物買うんですか……」
『この世界に居る以上、利用させて頂く事は有ります』
 隅に並ぶ硬質な蟲達を視線で示し、店主のフロストに優しく訊ねる。
『其方の二つ、購入しましょう』
『ヒホッ! お客サンそれは大歓迎だホ、その二つは売れる目途がなーんにも立たなくて嘆いてた所だったホ〜』
 転げそうな丸尻をひょこりと上に向かせ、ごそごそと棚の下を探るジャックフロスト。
『包装は要りませんよ』
『お客サン、エコだホ〜感心感心! 合わせて五千魔貨だホ』
 褒める割には一銭も譲らない辺り、見目に反して堅物らしい。その何とも云えぬ形の手から購入物を受け取り、私は背中越しに感じていた視線の主を振り返った。
『とりあえずこちらを、貴方に差し上げましょう』
「それ……」
『わざと購入しなかった、そういう事ですか?』
 店から出て、硝子の並ぶディスプレイモールを並び歩く。映り込む我々の影は、人間達が休日に憩う時の影に一瞬見えるのかもしれない。ヒトの形をしてさえいれば、硝子の中のマネキンが纏う衣だって装備可能なのだから。
「呑んでる物と、同じだと思ったから……買う気は有りませんでした」
『貴方の云う《マガタマ》かと思いまして』
「現物、見せましたっけ? 俺」
『いえ、しかしエンジェル達が《変な蟲》が入荷されていた、と話していたものですから』
 掌で脈動する蟲は主人を感じ取るのか、人修羅に向ければ生き生きと魔力を戦がせる。これで手の内が焼けるという事は無いものの、異質なエネルギーが掌で遊ぶ感覚は落ち着かない。
 石の発する息吹に、焔の力を感じる。三千魔貨で購入したシラヌイという名称の方だ。確かに、時折轟々と赤く揺らめく。焔にくべた石炭の様に、業火に焼かれる罪人達の赤く爛れた魂の様に。
「どうして俺に……」
『そう煙たがらず。毒を以て毒を制するという言葉を存じませんか』
「でも、それ等からは、今呑んでるヤツよりもっと強い何かを感じる、から……それ呑んだら、悪化しそうで」
『飽和させる、という考え方をしてみて下さい。未だ成長しきっていない貴方の肉体だからこそ、恐らく可能なのですよ』
「具体的に説明してくれませんか」
 少し焦れたのか、私が掌に弄ぶ蟲をちらりと見る人修羅。その眼が蟲に呼応したか、僅かに金に光った。
『先程号令をかけましてね……有志で数名呼びましたから』
「えっ、何……を?」
『御安心下さい、皆同胞……所謂《天使》です。貴方を助けて差し上げようと、そういう集いですよ』
 よくもいけしゃあしゃあと、述べられたものだ。しかしこの単語を出せば、安堵する気配を確かに感じる。
『荒療治とは思いますからね。貴方が暴れてしまっても、野次馬の悪魔を寄せ付けない様に、場所を選んで行いましょう』
「荒療治……」
『そんなに不安な顔をしないで下さい、胎を捌いて取り除くとは云っておりませんよ?』
 少し冗談が過ぎたか、眉を顰めて口元を手で覆った人修羅。天使にしては、あまり綺麗な冗談の類では無かったか。天使などこの様な程度の物だ、と、私が自覚してしまっている事に要因が有る。
『ただし、所有しているマガタマを一度に全て呑んで頂きます』
 交差点に差し掛かった辺りで説明すれば、その背がびくりと引き攣ったのが見えた。怯えだろう、当然だ。たった一つでさえ身体の構造を変えてしまう蟲なのだから。
「気が狂うんじゃないですか、そんな事したら」
『入れ替えるしか出来ない、と貴方は云ったでしょう。全て吐き出せない、空に出来ない、と』
「だから沢山呑めば良いって……?」
『そうですね、人間で云えばアルコールの様なイメージでしょうか』
「……呑み過ぎて、ゲロってみろって事ですか?」
『端的に云えばそうなります』
 は、と一瞬だけ彼が失笑したのを、見逃さなかった。それは酷く高圧的な笑みで、良くも悪くも悪魔的だった。
「胎が空っぽになって、死ぬかもしれない……他人の身体だと思って、結構な無茶云いますね」
『その空洞が貴方の肉体を軋ませるなら、他の力で一旦埋めてしまえば良いのですよ』
 明滅するだけで意味を為さない信号機という設備を潜り抜け、細い路地に人修羅を先導する。
 時折、此方を横目に見やる輩が居るのは、恐らく感付いているからであろう。私がたった今、この妙な悪魔を……誑かしている、拐かしているのだ、と。
 しかしそれを止める筈も無い。獲物の横取りならばともかく、誰も正義感ぶってこの少年を救おうなどと思わないからだ。この利己的な環境は、ボルテクスになったから?
 さてどうだろうか? 以前より人間世界はこうだった、と私は思う。
「他の力って、何ですか」
『ええ、我々の清廉なる気……悪魔のソレとは相反する魔力です』
「……それって、天使になっちゃったりしませんか」
 と、あまりに大真面目に問い質してくるものだから、流石の私も破顔してしまった。そうだ、この少年にとっては天使とて異質な存在であり、人間からは遠いのだった。
『大丈夫、悪魔の力と相殺される筈です。そうして本来の正常な、妙な魔力など持たぬ人間の肉体に戻れるでしょうとも』
「そうです……か」
 相殺されるなど、私も聴いた事が無い。黒い顔料を白にする為には、黒がそうするよりも遥かに上回る量が要される。濁った気は纏い易いが、今私がかりそめに述べた『清廉なる気』でヒトを作り上げようとすれば、それは一苦労だろう。
『急激な変質に肉体が悲鳴を上げるのです。ですから、我々の気を注ぎながら……ゆっくりとマガタマごと黒い魔力を抜きましょう』
「ゆっくりなら、痛くないって事ですか」
『ええ、大丈夫。私は回復術も使えます、万が一が有ったとしても、按ずることは無いのです。出来うる限り苦痛は和らげましょう、貴方の痛覚は人間の時と大差無いらしいですからね』
 この様に、『大丈夫』と重ね重ね云えば、次第に人修羅の表情は和らいでいく。確認する事で安堵感を得るのだ、たとえその言葉に保障が無くとも事実は二の次で。
 人間は己にとって都合の良い言葉に寄り添い、安息を得る。常に上からの言葉を待ち望む、謂わば従属体質なのだ。
『ですから、受け入れてしまえば安泰なのですよ』
「……はい」
 脳内の私の言葉に、返事をしてくれた様に感じるタイミング。微笑みかければ、助かると思い込んだ歓びの顔が私を見返してきて、照れが有るのかふっと逸らされる。
 瞬間、瞬間に。その生き物にとっての希望的観測を推し測り、導きの様な、労りの様な言葉を掛ける。
 これが天界者の十八番。前者の聴こえは良いが、甘言にて堕落させんとする悪魔と、実の所は同様の事をしているのだ。


『さあ、此方にお入り下さい』
 狭苦しい暗がりの路地の中。ようやくカグツチの光が届くか否かという所に、見落としかねない扉が有る。
 少し下る様な形でステップが有り、其処を抜ければ薄暗くも仄かに蝋燭の照らす内部が見渡せる。なかなか広々とした此処は、マネカタという土人形達が以前よりひっそりと儀式に使っていた場所。
 彼等は何か召喚せんと色々画策していた様子だったので、儀式の呪具を手土産にさせ、エンジェル達を先に待機させてある。
 『少しばかり此処を貸して欲しい』という収賄の提示はすんなりと呑み込まれたらしく、予定通り内部では数体の《天使》達が暇を潰していた。
 黒い革帯越しの視線が、一斉に私と人修羅に集まる。
『ウリエル様』
『その者が件の……』
 エンジェルに……アークエンジェル……パワーに……と、揺らめく灯火に彼等の影が交差する。
 向かいのディスコという俗っぽいホール程では無いが、そこそこの密度。いいや、これからディスコよりも俗っぽくなるのだろう、これは語弊が有ったな。
『遠巻きに目にした事は御座いましたが、まあ何と貧相な身体つきで……おや、失敬』
『口元が笑っているぞ』
『ウリエル殿が連れて参られたのだ、間違い無いのだろう』
 多くの視線に撫でられる感覚を嫌うのだろう、人修羅は先刻から緊張している。
 何故判るのかというと、その項の黒いツノがビリビリと音を立てそうなくらいに気を奔らせているからだ。
『パワーが失礼をしましたね』
「……いえ、筋肉ダルマって云われるよりマシですから」
『ですね、はは。彼は少々いかついでしょう、貴方の想像している天使よりは』
「さっきの天使よりも、露出の多い方が……ちょっと」
『ああ、エンジェル達ですか? 決定的な箇所は隠れていると思いますが』
「何か、色んなの居るんですね」
『そうです。人間も悪魔も多種多様……でしょう?』
 空間の中央、誘導された足下に敷かれた魔法陣が気になってしょうがないのか、しきりに俯く人修羅。その魔法陣はマネカタ達が使っていた物だろうが、都合が良いので適当に利用させて頂く。
『この陣の上では、術らしい術は使用出来ませんから』
「は、はい」
『色々行うにあたり、安定した空間を維持する為に置いてあるのです。封魔状態に陥ると思って下さい』
 本当はそんな効果など無い、これは図からするに恐らく召還の陣。私が今説明した効力と、寧ろ逆で。空間を歪ませ、何処か別の処と繋げる為のもの。つまりは、不安定を作る為の魔法陣。干渉さえしなければ床の飾りに過ぎない。
 人修羅が暴れて余計な事をしない様に、彼の魔術は言葉で封じたのだ。
『さあ、所有する全てのマガタマをお呑み下さい』
 私の催促に、拳を開く人修羅。その薄い掌には、二つのマガタマが載せられている。私と会う以前から所有していた物と、先刻買い与えたシラヌイ。
 何故、購入したもう一つの方を渡さないのかというと……直感だった。
 己の手に包んだ時に感じた。このイヨマンテというマガタマ、恐らくは精神感応を受けない性質を持ち合わせている。その類の術に対する障壁の様な波動を感じるのだ、つまり……今これを与えてしまうのは芳しく無いという事。
 ただし、人修羅が所有する全てを呑み込んでも吐かぬ様子なら、折を見てこれも与えてしまう事になるのだろう。
「呑む所、見られるの好きじゃないんです」
『これから心身を接し、エネルギーのやり取りをするのですよ? その程度、恥を感じる事も有りません』
「でも……」
 微笑んだまま、待ちの姿勢を取る此方に観念したのか。人修羅は一個ずつ、そのマガタマの先端を摘まんで上を向く。ゆるゆると伸ばされた彼の舌先を、ぶら下がっていたマガタマが途端噛み付く。すると咄嗟に、手で口元を覆う様に隠した人修羅。
 蠢く喉仏は、まるで本物の蟲を呑んでしまったかの様なうねりで。眼を明滅させる様は、先刻見た信号機を思い出させた。
「ぁ、はぁ…………っ」
 入れ替わりに上ってこようとするマガタマを必死に抑え込んでいるのか、胸元を掻き抱く様に身を捩る人修羅。周囲の《天使》一同は黙して見つめるだけだが、既に興奮している事が私には判った。
 マガタマと格闘中の人修羅から、まだ薄らとだが、マガツヒが滲み始めている。それは、とても甘美な予感のする薫りだった。
『耐えて下さい、まだもう一つ有りますね? それもお呑み下さい』
「う、うーっ……何か、中が熱い、怖い……っ」
『不安なのは解りますが、貴方が残りを呑まぬ限り、その胎内に発破がかけられないのですよ』
「治してもらう前に、このまま死ぬんじゃ……ウ、ウリエル……!」
『……御自身で出来そうにないのでしたら、援助は致しましょう』
 悶える人修羅の傍に歩み寄り、震える手の内に有るマガタマをもぎ取る。時折脈動するこの蟲は、握り締めればすうっと冷える潤いを湛えていた。火炎と真逆の気配を感じる、これを呑ませたならブフ系を使用されてしまうだろうか。
 しかし然程の心配は無かった、先刻『術は使用出来ない』と伝えたばかりなのだ。その言葉に縛られたこの少年は、恐らく唱えようともしないだろう。
『ほら、大丈夫ですよ。それとも口を大きく開くと飛び出てきそうなのですか?』
 苦痛に歪むその頬に片手を添え、上を向かせてみる。
 食い縛られた唇はわなわなと震えて、焔でも吐くのではというくらいに、微かな吐息が熱を持つ。
「眩暈が……」
『後はこれを呑んでしまえば楽にしていて結構なのですから、もうひと頑張りですよヤシロ』
 私の青い指を、頬から唇に滑らせる。黒い斑紋の縁が、この薄暗がりに目立つ。指で遮った影がその発光を途切らせるのが視界に面白く、このまま撫ぞり出して末端まで辿ってしまいたくなる欲求に駆られる。
『さあ、呑んで』
 指先で唇を幾度か柔らかく掻いて様子を見るが、ゆるゆると首を左右に振るばかり。埒が明かないので、爪先に少しばかり力を籠めてみる。すると抗う様にして強張り、更に真一文字に結ばれる其処。
 此方側が駄目なら、開門の仕掛けは違う処に有るのだろう。この身体の特徴を見定めて、唇から其処に指を移した。
「っひ……!」
 一瞬だった為に避けられなかった人修羅は、ツノを掴まれ堪らず悲鳴した。
 喘ぐ様に開いた狭い唇に、空いた手でマガタマを押し込もうと試みる。が、私の指ごと噛み締めて其処から先に進まない。指先の蟲は奥に侵入しようと蠢くばかりで、その焦れた動きが私の意識も妙に高揚させる。
『力が胎内に重く落ちるだけ……死に絶える事は無い筈です、さあ……』
 ツノを根本から先端まで、幾度も幾度も撫で上げる。その度に睫毛を震わせ、ぎゅうっと私の指を咬む人修羅。まだそれほど獣じみた成長を遂げていないのか、犬歯にあたる部分に凶悪な鋭さは無かった。
 いいや、遠慮だろうか。拒絶しつつも「して貰っている」という後ろめたさが、指を喰い千切るという行為をも拒んでいる。板挟みが真の苦痛だとすれば、この世界で人間であろうとする事こそが、自らの首を絞める最大の要因となる筈。
 創世の指導者と成れる程の理念を、この少年には感じない。この憐れな仔は、己の人間としてのプライドを維持する事に固執している。それに必死過ぎて、盲目なのだ。
『……それとも、水が無いとお薬が飲めないタイプですか?』
 力を逆に入れ、引く動きに変えれば途端にずるりと抜ける指。人修羅の唾液にまみれたマガタマが、再度向かわせろと云わんばかりに指先で暴れた。
「はあっ、はあっ」
 酸素を貪る彼は、この世界の大気が以前と何ら変わりないと思って呼吸しているのだろうか……と、そんな事を思いながら、マガタマを今度は私の唇に添える。
『マガツヒとは違いますが、これも少しは甘露かと思いますよ』
「……!? っあ、何し……ん、ぅぐっ」
 ツノは強く掴んだまま、柔らかく抱き締めて口から口へと移す。私の舌上に未練も無いのか、即刻本来の主の舌に噛み付いたマガタマ。


 納まりの良いであろう向こうの口に逃げ込んで行く。するりと喉に落ちてくれるように、私は意識して生体エネルギーを同時に注いだ。
 人修羅のくぐもった呻きが一層濃くなり、しっかりと体感している気配に様子を窺う。
「う、ぅう……ん、ふ……っ」
 目の前で薄く開いた双眸は金色で、視線の絡んだ瞬間にその眦が真っ赤に染まるのが確認出来た。
 吸い込む魔力に対しての興奮なのか、直接絡むこの舌に対してのものなのか。私だって本当なら吸い上げてしまいたいのを我慢しているのだ、この様子では気付いていない可能性が高いが。
「ひ、ひぐ……ぁ」
 塞がる口の、更に奥からの喘ぎ。押し返してくる細腕は、私の上腕をギリギリと引き絞り爪を立てている。視界の下方で一瞬隆起する白い喉を見て、マガタマは嚥下したと判断する。
 それでも唇をすぐに離す事は、しなかった。人修羅がこの行為を、慈愛と取るか陵辱と取るか。それが気になって、先程から仕方が無い。理想世界への指導者として、力有る者を探していただけ……その寄り道、暇潰しだというのに。
「っ、ぷは、っ……はぁっ、はぁ、な……な、っ」
 ようやく解放された人修羅が、唇を手の甲で幾度も拭う。皮膚が擦り切れてしまうのでは無いかという程、必死に。
『ね? 痛くなかったでしょう』
 此方は拭いもせずに、唇を軽く舐めずってみせた。己の体液以外の味がする。
「い、痛いとか痛くないとか! そんな事が云いたいんじゃなくって!」
『親が幼子に口移しする事は、人間でも動物でも有ったと思いますが』
「それなら舌まで入れな――」
 叫んでから、はっと口を噤む人修羅。その姿を見て改めて感じる、潔癖なのだ、この少年は。
『ああいった形のキスは初めてでしたか? 驚かせてしまい申し訳ありません』
 眉間に皺を寄せて、口元を覆ったまま頬を紅潮させている人修羅。無言の返しは、肯定なのだろうか。どうも人間は「初めて」を大事にしたがる。



『お身体は如何ですか』
「……熱い、吐きそう……です」
『全部吐き出せそうですか?』
「分からない……けど……全部吐くと、内臓ごとひっくり返りそうで……中で、俺とマガタマが癒着してる、感じが」
『そうですか、では無理に吐き出さず……下から追い立てる様にしてみましょう』
「した?」
 舌に関して述べたばかりなので、何を示しているか理解していないのだろうか。
 ツノをゆったりと撫でさすり、落ち着かせるそぶりで伝える。
『口から吐き出す為に、口を塞ぐ事は出来ないでしょう? 肌から貴方に魔力を吸って頂く事も、あまりに時間が掛かってしまいますから』
「……だから、何ですか」
 首を振って、私の手から逃れようとする人修羅。項のツノは敏感で間違い無いらしい。
『ですから、此処の孔から注ぐのです』
 にっこりと天使の微笑みのまま、革に包まれた臀部へと触れた。反射的に強張り、きゅうっと引き締まる筋。続いて私の胸元へと衝撃が奔った。突き飛ばされたのだ、流石に倒れる事は無かったが。
「待って下さい……俺、男ですけど」
『ええ、御安心下さい。利用するのは雌雄の両者が持ち合わせている器官です』
「何……何を云ってるんです、あの……」
『貴方は半分人間のままですから、その形に肖り吸収効率の良い所から注ぐという話です』
 茫然とした後、みるみる青褪める彼。肌色が私の様になった訳では無いが、その面持ちはこの表現が一番適していた。
「そんな話、聞いてません」
『決断を迷われるかと思い、少しぼやかしたのは確かです。悩む時間を長くさせては、苦しいだけと思いましてね』
「注ぐって……指でも突っ込むんですか?」
『エネルギーが具現した物を体液と云うのでしたら、体液を注ぐと云った方が的確です』
「血?」
 そうであって欲しい、という力が、今の確認に籠められていた。
 私は音も立てず歩み寄り、その警戒する肉体を抱擁せんと腕を広げる。先刻から周囲の羨望の眼差しが痒いので、翼も広げて人修羅ごとやんわり包み込む。
『血以外に、我々が何を蓄え、循環させているのだとお思いで?』
「それは……知りません、けど」
 跳ね除けられた指を、再びツノに纏わせ撫でる。壊れ物を扱うかの如く、溝を辿る様にゆっくりと。
『血でも何でも、突き入れる器官はただ一つですよ、人修羅』
 耳元で、怯えを拭う様な優しい声音で答えてやる。
『貴方にも付いている、人間の雄の生殖器です』
 瞬間、腕の中から脱出しようともがく人修羅。予測の範疇だった為、後方に控えるエンジェルに目配せをした。とはいっても、視線は噛み合わないのだが。
『まずはウリエル様の羽を退かして下さいませ』
『頼みましょう、私の羽では魅了出来なかった様ですから』
『うふふ……』
 開いた翼の隙間から、セキレイの羽を人修羅の背に添わせるエンジェル。細々と動く様子からして、黒いあの斑紋を撫ぞっていると思われる。
「嫌です! そんな方法取るなら他を当たりますからっ、放して下さい!」
『他? 他には何が居るのでしょう? 悪魔ですか、マネカタ? それとも貴方と共にこの世界に残った人間……?』
「吐き出すだけなら、俺だけで……も」
 声の張りが失せ、次第に私を押し退けようと暴れていた四肢も緩む。金色の眼はどこか虚ろで、焦点がしばらく定まらないのか、私を捉えたと思えば次の瞬間には明後日を見ていた。
『効いてきたようですね』
『さっきリリムから分けて頂いて正解でしたわね』
 愉しげに歪む口元のエンジェルが、リリムを襲って奪い取った事を私は知っている。しかし、もう少しだけ引き延ばしてみせようかと遊び心が働き、事実を云わなかった。
『どうですか、ヤシロ』
 くったりした肉体は、先刻より重い。私に自重を預けている事が分かる。セキレイの羽の魅了効果がどの程度通用したか、まだ定かでは無いが……程好い筋弛緩はした様子だ。
『暴れては余計に傷付くだけです。我々はあくまでも思い遣りで、貴方をこの様な状態にしたのです』
「……ほんと……ですか」
『ええ、人間は医療においてこの器官を使うでしょう? 貴方は患った際に、治療を拒絶するのですか? 恥ずかしいからと?』
「で、も……でも、こんな人数居る必要は……」
『中でマガタマと貴方が癒着して熱いのならば、冷やして上から出る様に押し流さないと』
 説得しつつ、どういった理屈なのかと笑いそうになった。しかし、あながち冗談でも無い。異質なエネルギーを多く注がれたなら、肉体変異の可能性は有る。
『ですから、多く召し寄せたのですよ?』
「い、嫌だっ、そんなっ……じ、時間掛かっても構いませんから!」
『複数取り込んだマガタマが反応し合って、早く刺激しないと貴方を悪魔に完全に変えてしまう……かも?』
 安心させる言葉を知る私は、当然不安にさせる言葉も知っている。
「それは……もっと、嫌……です」
『私も、貴方が完全なる悪魔になってしまうのは心苦しい……僅かな時間ですが、御一緒したではありませんか』
「……俺の……味方?」
『ええ勿論。貴方を取って喰おうだなんて、まさか』
 第三者から見れば、私の言動には矛盾が見られるだろう。しかし、セキレイの羽が人修羅の思考からゆるゆると疑心を解し始める。
 魅了という状態は「自らの脚で立てなくする」という事を指すのだろう。受ける行為を好意と見做し、対象の全てを飴と感じる程に精神を蕩けさせる。
『寧ろ、私共を供物として捧げようとしているのですよ?』
「俺、天使を喰う趣味は……」
『はは、いえいえ違います。貴方にエネルギーを分け与えようと云うのです。血肉も同然でしょう』
 嗤う口元を隠し切れない周囲の数体が、首を捻って余所を向いたまま肩を揺らす。
 天使達は、残酷な遊びが好きだ。悪魔も天使も、戦いの合間の暇潰しに余念が無い。恐らく、生が長過ぎる為だ。
『さあ準備と参りますので、貴方には下の着衣を脱いで頂きます』
 恭しく跪き、陣の書いてある敷物の上に横たえる。すっかり魅了に溺れたかと思ったが、人修羅の眉間にはまだ鮮明に溝が有る。納得いかないのだろうか、己の選んだ道に葛藤している表情だ。
『さあ……御自身で脱ぎたくないのでしたら、此方で行いましょうか?』
「服くらい……っ、自分で脱げます」
 それはマガツヒの発露に深く影響する為、我々はまだ本心を叫べない。
 出来る限り自らの脚で奥底に来て貰うように……引きつけ惹きつけ、誘い込むのが落胆の秘訣。
「そんな、ジロジロ見る必要有るんですか?」
『これから扱う身体を、しっかりと観察確認する事は大事です。人間の医者の書くカルテという物が有るでしょう? 身体特徴や細かなデータが載っているのは、処置の為……違いますか』
「脱ぐ瞬間は一瞬じゃないですか、その一瞬が俺は……その、見られてるの嫌なんです」
『その一瞬、貴方が目を逸らせば宜しいのでは? 脱いだ後は、常に視線に曝されるのですから』
「……でも」
 着衣の金具に手をかけたまま、彷徨う指が震えている。それにいい加減焦れたのか、天使の一体が私の隣から躍り出た。
『ではコレをお貸ししましょう、瞼をぎゅうっと降ろしている必要も無くなります』
 エンジェルだった。
 自らの目許を覆う黒革を、頭に回した手先で解くとだらりと提げた。しっとりと、革の重みで揺れるそのシルエットに、横たわるままの人修羅は警戒している。視界が奪われる事は、彼にとってあまり気持ちの良い展開では無いらしい。
『ね、ウリエル様』
 永く瞑ったままだった為か、暗がりの中でさえ瞼を開く事をしないエンジェルが私を振り返る。
『決定権は人修羅に有りますよ』
『見えていない方が、この者にとっては気楽でしょうに』
 それは一理有った、が、私だけでも彼の意思をある程度尊重する姿勢を見せておくべきだ。
 私は更に屈み、人修羅のこめかみをそっと撫でる。
『どうしますか? もう何をするかは伝えて有りますから、視界からの緊張を遮断する手は有効だと思いますよ』
「……さっきから」
『はい』
「さっきから、何度か聴く……《人修羅》って、俺の事なんですか?」
 問われて初めて気付かされた。そうだ、この少年にはまだ面と向かってそう呼んではいなかった。
 悪魔の部分を意識させる呼称かと思い、自重していた事をすっかり忘れてしまっていた。だが、取り繕う程の事でも無い。
『そうです、貴方はこの世界に現れた混沌の存在、可能性を秘めた半人半魔。噂に聞くミロク経典に記された《人修羅》なのでは無いか、と、様々な者に着眼されているのです』
「可能性……?」
『深い事までは私も存じませんが、創造するも破壊するも、貴方は無限の可能性を秘めた……ヒトと悪魔の結晶――』
「いい、いいですもう。聴きたくも無い……!」
 ほら御覧なさい、激しい嫌悪を。
「俺は好きでこんなモノになったんじゃない、なのに……なのに……修羅?」
 歪む目許を腕で覆い、仰向けのままやがて沈黙した人修羅。それでも内部が燃え盛るのか、身を捩っては喘ぐ様な呼吸を繰り返す。
『少しの間、そうやって視界を塞いでいると良いです』
 私の言葉に、待機していたエンジェルがにんまりと微笑んだ。間髪入れずに、人修羅に跨るとその黒革を彼の頭上に広げる。当然、跨られて無抵抗の人修羅では無い。しかしこのまま流れに任せてしまえば、自ら衣を脱ぐ事も避けられる上、視界は黒のまま。
 それは恐怖と隣り合わせではあるが、精神の防衛にはなり得る。塞がれてしまえば、一方的な空気になるからだ。
 この少年の云う恥という感情は、自らの手で実行する事に重点が置かれている。
「も、もう……済んだら早く退いて下さい」
『あら、わたくし重かったかしら』
「そんな恰好で……こっちが困るんです」
 私の推察が正しかったかはさて置き、結局はエンジェルにされるがままの彼である。
『うふ、似合っておりますわよ』
 嫌味の無い、上品で鈍い艶。人修羅の双眸を覆った黒革。その帯から頬へと流れ伝う斑紋も、同じ素材に見える。
 閉じた瞼の隙間から見たのか、エンジェルはうっとりしながら爪先で黒を辿る。巻いた革から、頬……滑り落ちて喉。鎖骨に引っ掛かると、長い爪が肌を傷付けたのか、軽く呻いた彼。
『下も掃ってしまいましょうか』
 その喉が蠢く。私の声に、何か云いかけて呑み込んだ様子。身体が異常な状態な事は変えようも無い事実なのだから、早く通り過ぎるのを待つ……そういった姿勢だ。
『ん……キツい、爪が欠けそう』
 人修羅の腰骨に引っ掛かる様な、穿物の腰布。ゆとりの無い設計か、エンジェルが金具を外す事に手間取っている。
「……っ」
 幾度か滑った指が彼の局部を擦る度に、投げ出されている脚がひくりと反射して跳ねる。そのもどかしげな手付きは、わざとなのかもしれない。淑女口調で翻弄する事が好きな天使は、初心な雄悪魔に餓えている。
『あっ、外れましたわ』
「いちいち報告しなくて結構です……」
『では、承諾も無しに勝手に進めて宜しくて?』
「不穏に感じたら、こっちから訊きます」
『そう? もう結構キモチ良くなってきているみたいだけれど』
「は……?」


 視力が悪い訳でも無いのに、皆が一同に歩み寄る。滲み出すマガツヒのおこぼれを頂く為だ。
 私は先刻、唇から直接味わったので、もう暫くは見ているだけで構わない。
『だって、興奮すると膨らむでしょ? ココ』
「あっ、う」
『まだ下着も脱がせて無いのに、ほら……うふふ』
「さっき、変な羽使ったでしょう!? それの所為で……せい、で」
 焦れているのか、エンジェルの手付きは少しばかり性急めいていた。本当ならば銜え込んで跨りたいのだろうが……それを許可も無しにしては、激しく文句される事は目に見えている。
 当然、許可を貰う相手は我々一同であり、人修羅では無い。
『怖いの? でも安心なさい、頭が真っ白になった次の瞬間には、終わっていますわ』
「は……っ……はぁ……そ、注ぐだけなら、そんなトコ弄る必要、無い」
『痛いのは嫌でしょう? 心身を解さなければ、突き入れる方も窮屈で作業がスムーズにいきませんわ』
 薄い布は、肌に吸い付く様にフィットしている。あの革製の着衣を愛用しているなら、下にそういう肌着を纏っている事は可笑しい話でも無い。
 その布面積の狭さが、反応し始めている局部を更にぎゅうぎゅうと抑圧している。
『貴方、この世界に来てから“そういうコト”まだしてないのかしら? 女性悪魔との遭遇は少ない?』
「意味……解りかねます……っ」
『こんなマガツヒ匂わせて、それで無防備に歩いて……よく五体満足で居られた事』
「あっ、待っ……」
 膝丈のパンツと、一緒くたに下ろされる下着。初めて見る下肢の斑紋に、つい目が行ってしまう。下世話めいているとは自覚しつつも、やはり見えない部分の斑紋には興味が湧いてしまうものだ。
『コレも、寝てるのだから今は要らないですわね』
「だから待って下さいって……!」
 履物に手を掛けたエンジェルを、上擦った声音で制止する人修羅。
『どうされたのかしら』
「うつ伏せに……してても良いですか」
『あらまあ、バックがお好きなのかしら』
「ち、違います! 急所晒してる状態が嫌なんです!」
 必死な彼の様子に、エンジェルもまんざらでは無いらしく、翼を戦慄かせていた。
 そう、人修羅の肌身……その斑紋、触れ回る全てからマガツヒが滲んでいるのだ。彼の恥や葛藤が、我々を高揚させて放さない。
『エンジェル、もう少し優しく解してやりなさい』
 同じ高さに目線を合わせ語りかけるが、彼女の意識は横たわる獲物にばかり注がれている。早く雄を直に扱きたくて、疼いているのだろう。履物を有無をいわさず脱がせ、陣の外へと放り捨てた。
『ウリエル様、だって……わたくしも必死ですわ。この眼をしっかりと開いてしまったら、見た瞬間……思わず吸い尽くしてしまいそうで!』
『はは、それは駄目ですね。我々は注ぐという名目で、今こうさせて頂いているのですから』
 嗜めつつ私もちゃっかりと、素足の人修羅の足甲を軽く撫でた。この黒い斑紋は、撫ぞり辿れと云わんばかりに光るから困りものだ。
『ただし……こうして接触する以上、多少吸い込む事は仕方が無いと思いますが。その程度は許して下さいますね?』
 声の向きを定めた訳でも無いが、己に向けられた確認と判断したのか。人修羅が震えながらも、小さく頷いた。
「もう……いいですか……うつ伏せて」
『ええ、構いません。その方が我々も注ぎ易いですからね』
 よろりと肘を使って上体を起こした人修羅が、半身を翻す様にしてうつ伏せた。脚に絡まっている衣や下履きなどを、優しい手付きで私が取り去ってやる。
『しかしヤシロ、エンジェルの云う通りです。力を抜いて下さい、今貴方の中ではマガタマがぶつかりあっている。興奮のあまり暴走させては危険ですよ』
「興奮って……それなら余計なトコに触らないで下さい」
『破壊衝動に繋がらなければ、問題無いのです。羽がさせたでしょう? 貴方を快楽に弱く……』
 うつ伏せた事により、目立つ項の黒きツノ。人修羅にとっての《急所》は、ツノでは無く人間の生殖器官という事だろう。
 己の一部として受け入れられないのか、悪魔へと変質して生え聳えた、その象徴を。それでも肉体は実に正直だ……陳腐な言葉ながらも、やはり納得する。
『苦痛と快感は、紙一重と云われます。ですから、貴方の針を少しばかり操作させて頂くだけです』
 私が根本を柔らかく揉んでやると、鼻から息をふうっと抜かす人修羅。溝に沿って先端まで撫で上げて、再び根本に下ろす。緩急を付けて、時折強く擦る。
「ぁ……は、ぁう……ん」
『前を弄られるよりは、マシですか?』
「う、うぅ……ま……まだ、マシ……で、す」
『そうですか、それにしては先刻と大差無い様にも感じますが』
「んな、筈は」
『同じ様な声、出てますからね』
 くす、と微笑みながら、ツノの先に接吻をする。途端、びくんと身体を震わせた人修羅。しかし私の言葉が効いたのか、声は殺したままだ。
『項から生殖器が生えているも同然ですね……』
 目隠しの下、今どんな顔をしているのだろうか。
「だからそういう事云うのやめ……っ、あ、ぁ」
 接吻に続いて、ちゅぶちゅぶと鋭角な先端をしゃぶる。
 冷たい様な、温かい様な。舐め吸えば、幾らでもマガツヒを滲ませそうなこのツノ。ふやけてしまうのではないか、と、しゃぶる私が心配になるまで面白がって含んでいた。
「ツノ、ツノもう嫌……いや……だ」
 譫言の様に喘ぐ人修羅の声にそろそろかと感じ、唇から抜く。己の唾液に彼のマガツヒが溶け込んでおり、唇を舐めずれば再び味わえるこの美酒。
『ああ……ツノはそういえば膨らみませんでしたか』
 人修羅の前方の急所は酷く張りつめて、それはそれは苦しそうだ。ツノと連結しているのかと錯覚するほど、舌先で愛撫した反応が其処に表れている。
『でも、こうすれば……こちらも大分解れますからね、痛みは軽減されます。さあどの様にして慣らしましょうか』
 問い掛けながら、人修羅の引き締まった小ぶりな臀部に掌を置く。逃げる様な腰の動きで、其処の筋肉がきゅう、と強張った。
「慣らす?」
『排泄器官であり、普段は迎え入れる役割では無いでしょう? それとも治癒が早いので、痛いのは一瞬だけ……ですか?』
「本当に挿すんですか?その……ブツ、を」
『ええ』
「魔力とかを流し込む、所謂注射器みたいな道具は無いんですか?」
『私は存じませんが……そうですね“生体の差による不都合を失くす”という意味合いで、悪魔と関わりの深い人間なら所有していたかもしれません』
「悪魔と?」
『デビルサマナーとかですね。御存知ですか? ニヒロ機構の総司令官もそうでしょう』
「ニヒロ機構……?」
『ああ、まだ耳にしておりませんでしたか』
 そんな筈は無い、この街をふらりと歩けばすぐ耳に入る名だ。精神が拒絶して、記憶に留まっていないのか……単に興味が無いだけか。
 東京受胎とやらを生き延びた者同士、面識が有る可能性も高い。噂のミロク経典は、その総司令官が読み解いたという話さえ有る。人修羅を欲する可能性が高い。この、死んだ世界を創世させる為の鍵とする為に……
 それは都合が悪い、あの男の理想世界というものは上も下も無い。統治されていると云えば聞こえは良いが、我々のヒエラルキーまで平らにされてしまっては困るのだ。
『さて、そういう事で残念ながら道具は無いのです。一番安全なのは、貴方自身の体液で慣らす事かと思います』
「俺の、って……血とかですか」
『わざわざ傷付けなくとも、すぐに出せそうなモノが有るのでは……?』
「……でも、その……っ」
 何が云いたいのかそれとなく判るが、敢えて此方からは提示しない。己で吐いた言葉は呪いとなり、更に本人を戒める。その唇から紡がれ、直後羞恥に塞ぎ込む姿が見たい。だからこそ、云わせるのだ。
「この身体になってから、そんなモノ……出した事無くて。だから出るかも……分かりません、し」
『ならば試してみましょう、丁度良いではありませんか。これで過去の御自身と同じモノを吐精すれば、本来の貴方の要素は失われていない証明になりますよ』
「丁度良いって、そんな……ぁ、うぅッ」
 まだ話している途中と知りながら、人修羅が云う《急所》を掴んだ。先刻、エンジェルに随分手荒く揉まれていた其処。布越しとはいえ、あれでは刺激が過ぎるだろう。治癒が早いだけで、この少年の身体は鈍感よりも敏感だと云える。
『大丈夫ですよ……皆、貴方の気を楽にさせてあげたいと、そう思い淫蕩を交えるのです』
 基準など知らぬが、握り込んだ其処はきっと標準的な大きさなのだろう。環にした指を、頭の方へと持って行き……くびれで折り返し、また根本にぐりゅ、と下ろす。この単純動作の繰り返しだけで、人修羅の肌からみるみるうちにマガツヒが薫る。
「んー、んぐ、ぁ」
『痛いですか? 強く握らぬ様にしているのですが』
「痛くは、な……ぃ」
『では、何故そんなに眉を顰めて、眦を真っ赤に染めていらっしゃるのです?』
「ぁ、っ……はぁ……はぁっ……見えてない……の、に……」
『隠れていても判りますよ。皆に感情が有り、伴って表情というものがある……顔の有る生体には、ですが』
 ぼんやりとした発光体や、ガスの様な霧状の悪魔。所謂、外道の類にはあまり無い部分だが。
 人間の形をした我々と人修羅は、感情の表れ方が極めて近い。
『貴方は私の顔を見ると、すぐに視線を逸らしましたね。しかし私は、その貴方の横顔をここ最近、ずっと見つめてきた。固く云えば観察です』
「観……察……」
『人修羅ヤシロ、貴方の特徴を見極める為です』
「どうして……俺の事調べて、まさか利用、だとか」
『ほら、今も眉を顰めているでしょう。貴方はいつもいつも、我関せずを決め込む様なポーズを取りますね? 群れる事が好きでは無い……違いますか?』
「悪魔と群れるなんて、反吐が出る!」
『人間とも、でしょう?』
 軽く喚いた人修羅に、落ち着けと諭すかの様に翼で包み込む。
『貴方は他者と率先して関わる生き方をしてこなかった……それは拗らせば拗らせる程に、変える事が難しくなる。拗らせた結果が、その自尊心の高さでしょうか?』
 唐突に始まった私の推察に、唖然としている人修羅。だが、萎えさせてしまうつもりも無いので、私の指は息衝かせようとゆったり蠢くままだ。
『ヤシロ、それは自尊心とは少し違いますよ……それは意地というものです』
「何が云いたいんですか」
『悪魔にされてしまった貴方は、確かに不幸と云えるでしょう。しかし、その理由で悪魔全てを恨むのはお門違いというものですね』
 引き結ばれた唇は、喘ぎを零さぬ為か……反論を呑み込む為か……マガタマを嘔吐しない為か……
 いずれにせよ沈黙という反応は、彼に自覚が有ったという回答になる。
『悪魔は悪魔として、ただ存在しているだけ。マガツヒを蓄えた者は、餌に見えて当然なのです。貴方は人間や思念体……あるいはマネカタ等を喰らう悪魔が、異常だと云うのですか?』
「……今まで普通の人間として生きた俺には、異常に見えます」
『悪魔にとっては、人間を貶め喰らう事は至って普通。人間が家畜を喰らう理由は何ですか? 憎いから?』
薄く浮き出た肋骨を、翼の先端でつうっと撫ぞる。
「ひっ……ん」
『食料……餌だからでしょう?』
 目配せで、控えていたパワー達を引き寄せた。
 人修羅の上腕を掴み、ぐい、と起こさせる。四肢を四体で固定する様な状態だ。私以外の感触が急激に増え、人修羅の身体に緊張が奔った。
『貴方は家畜に欲情するのですか? 人間は昔から酪農で乳を搾ってきたでしょう、その様な光景に背徳感を覚える?』
「家畜、って」
『ですから、今こうして貴方から精を搾ろうとする行為も、同じ様なものだとお考え下さい』


 唖然としているのか、反応はすぐに返ってこない。その隙を見て、脇をしっかり固めるパワーとアークエンジェル。
「俺が家畜って云うんですか!?」
『いえいえ、一例として挙げたまでです。異常性など微塵も無いのだと、これは恥では無いのだと貴方に伝えたかったのですよ』
「でもっ、手が……ぁ」
 私の追い立てる指に加えて、人修羅の四肢を掴む天使達の指も遊び始める。いい加減喉が渇いたのか、捕えている側である天使の方が喘ぎそうに呼吸を乱している。
『ほら、しっかり此処に色々溜まって、膨らんできているでしょう。我々は意識しないとこの器官を利用出来ませんが、貴方は嫌々と云いながらも、こんなに固く出来るではないですか』
「う、うーっ、ん……あ、ぁ……ぐ……」
『人間の雄の反応という事ですよ、おめでとう御座います』
 当初よりはだいぶ育った、その股座の急所。足掻いていた四肢も、これまでと違った震えを始めた。
 触れていれば判る、潤った魔力が中を循環している事が。植物の茎には管が通っていて、摘めば水の流れを塞き止める。人間の構造も、ほぼ同じ事。根本から先端に誘い込む様に搾り、ぷっくりした頭の先に爪を置く。湿り気を帯びた其処を、傷付けない程度に抓む。
 同時に、それまで食い殺していた悲鳴を、精より一足早く吐き出す人修羅。
「ひィ――っ!」
 激しく腰を揺らし、脚を捩った瞬間に私の指が融けそうな程熱くなる。透明とは云い難い体液を放った人修羅は、背を反らせたまま痙攣していた。
『お疲れ様です、コレを使って慣らしましょうね』
「は……っ……ァ……」
 痙攣の後、ぐったりと脱力する人修羅。天使達に支えられているかの様に見える程、吐精後の肉体は弛緩していた。
 放たれた体液は、マガツヒを凝縮させた様な匂いで。マガツヒとは別の生体エネルギーも含むのか、本当に腹をも充たしそうな濃厚さだ。
『私の指に喰いつかないで下さいね』
 人修羅の脚を掴むパワーに忠告すると、慌てて目を逸らされる。半分くらい図星だったのだろう。
『確かに、酔わせる匂いですね。しかし残念ですが用途は決まっているので』
『ウリエル殿、我々は一体いつ頂けるのでしょうかね』
『頂ける、では語弊が有りませんかパワー。我々は注ぐのですよ?』
『そ、そうでしたな』
 いつまで遊んでいるつもりだ、と、辟易されたかもしれない。
 順序は、それこそヒエラルキーで決まる。この場においては、私に一口目が来る事となるのだ。
 此処まで拐かしてきたのも私なので、皆恐らく文句は無い筈。有ったとしても云い出せぬ、それがヒエラルキーに縛られる我々の在り方だ。ただし、私は「縛りを受けているという自覚」が有った訳だが。
『それにしても、程好くリラックス出来たのでは? 此処の緊張がだいぶ解けている様子で、何よりです』
 薄い臀部を濡れていない手で撫でると、それでもヒクヒクと引き攣っていた。
『腰を上げさせて、股は少し開かせなさい』
『はい』
 脚側の天使達に命じつつ、私も腰帯を緩め、法衣の垂を脇に除けた。
 衣擦れの音を敏感になった聴覚で拾ったのか、人修羅の肌からじわじわと再び滲むマガツヒ。
『大丈夫ですよ、まずはこの……貴方の体液塗れの指で、ゆっくり拡げていきますから』
 無言の人修羅、その震えるばかりの狭間に、私は指を滑り込ませた。
やわやわと種袋を揉んでねちりと上に……開かせても窮屈な溝を辿る指は、ぬるりと体液で潤滑する。
「本当、に……」
『はい? 何でしょうか』
「今、脱いだの……貴方ですか」
『ええ、私の指とモノで慣らされるのがご不満でしたら、他の者にさせますが。順序の変動だけで、いずれお邪魔する事になりますけれど』
「ウリエル……貴方は……俺の事、最初から……こうやって……する、つもりで?」
『そうですね、この方法は貴方にとって抵抗が有るとは予測しておりましたが、救済になればと思いまして』
 蕾の様な窄まりを指先に感じ、生体の開花時期を無視して抉る。
「っ……ぁ、ぐぅっ……っは、ぁ……き、気持ち悪い」
『慣れていないだけです。もう少し奥に、確か人間の雄が善がる箇所が有りますので……暫しの辛抱ですよ』
 掌に受けた露を再び内部の管に流し込む様にして、ねっとりと狭間に沿わせ垂らす。滑らかな双丘に奔る斑紋が濡れ、磨いた革製品の様な光沢を帯びる。爪先をぎゅぶ、と沈める度に、呻いて更に圧迫してくる壁。窮屈で、それでいて甘く湿っている。花弁を裂いた時の芳香に近い、少し青臭く瑞々しい匂い。
「何も、良くない……こんな……け、ケツの穴弄られて……っ」
『目的は其処ではありませんから、その憤りは諦めて下さい。此処は通過点であり、胎内に注ぐ事が重要なのですから』
「はあっ……ぁ……さっきまで俺の事、あんな優しく接してて……っ……保護者みたいな、手で撫でてきたのに貴方、気恥ずかしさ、とか無いんですかっ」
『恥ずかしい事なのですか? 先程も説明しましたよね。肉欲を伴わない行為に、背徳は無いのです』
「俺は、嫌だ……っ!」
 頭をイヤイヤと振り被って、掠れた声で喚く人修羅。私は半ばまで挿れた指を止めて、頼り無い背中に覆い被さった。しっとりと香るこめかみに接吻して、軽くマガツヒを舐めて問う。
『理想の天使像から外れておりましたか?』
「……これで救われて、人間になれても……同じ目で、見れません」
『いいえヤシロ、貴方はどの様な手段で救われようとも、人間へと戻れた瞬間から、異質な存在である我々を遠ざける。そうでしょう……?』
「恩を仇では返しません」
『人間も悪魔も、そして我々も……同族内で差別をし、異種を労わりません。貴方はその姿でかつての友人の前に出る事に、恐怖を覚えた筈ですよ? それは何故です? 貴方が人間ではないからです。姿形が変わっただけ? いいえ、人間は其処を特に気にするではありませんか。貴方はそれをよく理解している……だからこそ、怖れた』
 穏やかな口調でたたみ掛ければ、首を捻って私の方を向いた人修羅。唇が触れ合いそうな程に近く、吐息が互いを擽る。
「俺の事……本当に助けるつもりなんですか」
『疑っているのですか?』
「……せめて、他の天使に……俺、貴方を……信頼、してて」
『はは、嘘仰いな。悪魔でないから頼った、それだけでしょう? 別に私共はそれを責めません、そしてそれは元々人間である以上、可笑しな事では無いのです。貴方が無宗教者であろうとも、天使はヒトを救う……そういったイメージが有るのでしょう? それを利用する事は、悪ではありません』
「嘘に聴こえるんですか」
『ヒトは不完全な生き物と、我々は承知しておりますから』
「ぁう、ぅ……ぐッ」
 止めていた指を思い出した様に進めて、返事を潰した。人修羅の悲痛な声に、まだ魅了が足りぬかと感じエンジェルを呼ぶ。わさりと翼をはためかせ示せば察したのか、セキレイの羽をもう一本取り出す。
『指一本でこんなに苦しんで……尻の穴の小さい男なのね、貴方』
 くすくすと笑うエンジェルが、雁字搦めの肢体を掻い潜りセキレイの羽を潜り込ませる。その羽先がくりゅくりゅと、人修羅の雄の部分を虐めて濡れる。
「はぁ、い、嫌だソレ……さっきの、羽また……っ」
『本当に嫌? 身体に従ってしまった方が丸く収まるって、御存知かしら? ほら……ふふっ、また元気になってきましたわよ』
「その道具のせい……っ、あ、あふっ」
 最早、半強制的ではあるが、私の領下の呻きに艶が出てくるのを感じた。指への強固な締め付けは次第に和らいで、ゆっくりと関節で曲げ伸ばしを繰り返せば、湿った音が聴こえた気がする。
 そろそろ入っても問題無いか、と思い、自身の腰を押し当てる。
『では、もう一本指を入れてみましょうか』
「……は……ぁ」
『それで具合が宜しい様でしたら、コレを使って注ぎますからね……』
 腰を軽く揺らせば、意識して主張させた、私の男性体としてのシンボルが人修羅の溝に沿う。
「た……勃って、る」
『ええ、ある程度強度が必要でしょう? 挿入するには』
 黒髪の隙間から覗く耳が、かあっと赤く染まる。人修羅は今……何を考えているのだろうか。
「俺は、そんな事務的に、出来ないんです……っ! お願いですから……他の、他の天使にさせて下さい」
『私の事、お嫌いに?』
「……事務的に見れないから、貴方とこういう事……出来ないんです」
『私情が混じる、と? そういう事でしょうか』
 喘ぐ喉を、空いた手指で優しく撫でる。苦しげな呼吸が私の身に響く、その吐息に滲むマガツヒが頭を蕩けさせてくる。
『ならば、この様な形でも欲されて、寧ろ嬉しいのではないですか?』
 ああ、今、黒革の内で眼を見開いたのだろうか。人外たる私にとってほんの一瞬の期間……観察対象として見ていただけなのに。こんなにも熱心に頼られた所為だろうか、久々に何か、別のものを感じている。
 家畜だろうか、ヒトという名の畜生だろうか。憐れな子羊……だろうか。
『貴方を抱擁した者など、この世界に訪れてから私だけだったのでしょう?』
 肩を震わせている人修羅、掴まれた腕の黒い花も揺れて。快楽とも違いそうで、確認をしたくなる。
 今、どの様な顔をしているのだろうか。
『この世界で人間に戻ったのなら、貴方は真の捕食対象となりますよ。その危険な結果を知りつつ、貴方を止めなかった。何故だと思います?』
 二本目の指を既に挿入してあるというのに、私の言葉にただ臀部を引き攣らせるだけで。喘ぎも出ない程、私の声に聴き入っているのか。
『頼ってくる貴方が、我々にとっては都合好く……この手段を取れば、享楽と共に味わえる……そして人間に戻せた場合にも、更にマガツヒが搾取出来る』
 ぎゅうっ、と締め付けられた。私の指を折るのではないか、と錯覚する程に。それをずるると無理矢理抜き、私の器官を窄む其処に押し当てる。
『さあ、憎んで頂いて結構ですよ? うまく運べば本当に人間へと戻れるかもしれませんし、ね』
「う、ぁ……ウリエ、ル」
 周囲の天使が唾を呑み込む、私の腰がいよいよ進むと思ったのだろう。しかし、その前に……気になって仕方が無いので、ひとつ確認してから挿入しようと思った。
 乱れた黒髪に私の青い指を絡ませ、目隠しを解いた。激しい憎悪の眼を、脳内に描いて……黒革を奪い去る。
「貴方の事……軽蔑します……」
 目の前に露わになった表情は、私の予測に反していた。まるで人間の様に、金眼はぐっしょりと濡れそぼり、頬に一筋伝い落ちていく雫を見た。
 発光を反射するそれがあまりに綺麗で、堪らずに舐める。果実を搾った純度の高い蜜の様な、そんなマガツヒ。
「ん、んぅっ、ん、んぶッ」
 すぐ傍の唇に吸い込まれる様に噛み付けば、これも酷く甘く感じる。激しい激昂を示した証が、人修羅の肉体から発されている。
 私にセキレイの羽は効いていない筈だが……これは人修羅のマガツヒに酔ってしまったのだろうか。
『赤い、血液?』
『いや、マガツヒだこれは!』
 アークエンジェルとパワーが、人修羅の肌に薄ら滴るそれに感嘆の声を上げ、掴む脚に頬擦りしている。じっとり滴り、陣を濡らす赤い水。彼の額にも浮かぶそれは、接吻する私の髪をも湿らせる。
「んんっ……」
 逃げる舌を追って、その舌からも吸魔をした。約束が違うと糾弾されようが、この状況では魔力を吸われた事すら認識していないだろう。接吻の為に捻らせた首も痛々しいままに、先刻解した孔を探る。
 マガツヒは既に散々浴びて、私にその欲求は無い筈だというのに……
 事を終える為だけに、下肢の器官が反応しているとは思えない。違う熱を蓄え始めている、この異様な感覚。
 唇を外してツノを甘く噛めば、解放された人修羅の口が大きく喘ぐ。
「っぐゥ……うぇえ、ぇッ」
 喘ぎというよりは、嘔吐きに近い。先にマガタマを吐き出してしまおうという魂胆か。
『内臓が口からはみ出ても知りませんよ』
 軽く臀部を叩いてやったが、止めようとしない。欺かれた憤りの方が、どうやらリスクに勝るらしい。
 このまま下から突き込めば、その狭い唇から勢い余ってポロンと吐き出すかもしれない。中身の空っぽになった人修羅では、このまま遊べない。
 しかし、巧い事一個を残して吐き出されても、本来の調子を取り戻されてしまう可能性が有る。術が使えないとの暗示をかけては有るが、魅了が消え去った時の暴れ方が少し怖い。魔法など使えずとも、この少年は拳で殴り殺してきた半人半魔だ。
『マガタマを吐き出されては人修羅の身体が心配です。其処の貴方、口を塞いであげなさい』


 人修羅を貧相と評価したあのパワーに指示を出せば、赤銅色の兜の影で口角が上がった。金属音を鳴らして此方に歩み寄ると、人修羅の短い前髪をわしりと掴んだ。
 乱雑に扱う事は避けて欲しいのだが、悠長にしていれば先にマガタマを嘔吐される予感も有った。
『よく分からんのを呑んで、悪魔になったと聴いたぞ? ビチビチ跳ねる金属の蟲だとか』
「ぅ……はあっ……はぁ……放して下さい……マガツヒ、くれてやるつもりは、ありません……ない」
『魅了状態というのは、体力が削れるだろう? 貧相な割に良いマガツヒのお前に、私からもくれてやろう』
 下肢の装備は上部より薄い為、パワーは人修羅が顔を背ける前に男性の象徴を曝け出した。
「んぁ!? ぶ、ぅうぐぅッ」
『ウリエル殿にひとまず注いで貰ったなら、息継ぎに抜いてやろう、ふはは……』
 技巧を求める事はしないが、それでも野太い指を黒髪に絡め、人修羅の頭蓋を固定しているパワー。エンジェルとは違い、支配欲に駆られる類だろう。ヒトで云う《男》の形をした天使は、他種に尊大な態度を取る者が多い。
「うっ、うぅーッ、ぐぉッ……」
 咥えさせられ、自然と上目に睨む姿勢となる人修羅。顎に滴るのは、マガツヒと唇から垂れる唾液。唇が裂けそうなくらいに、こじ開けられていた。その歪まされた口元のせいで、金色の双眸はやぶ睨み程度にしか開いていない。
『苦しいですね、ヤシロ。すぐに注いで差し上げますから、もう少し我慢して下さい』
 真っ赤な耳に唇で軽く触れ囁き、私は自身の雄を侵入させる為に人修羅の腰を掴んだ。背に渡る黒い斑紋は、私共の白い翼と対極にあるかの様な形状をしている。
 我々の魔力を……エネルギーを注いだなら、この斑紋が変わったりするのだろうか、と一瞬夢想した。が、私の夢想も侵入も、つんざく悲鳴に掻き消された。
『ギャアアアアッ』
 太い声が甲高く叫んでいる、戦闘中でも無いのにあまりの絶叫で。私も含めた天使一同の殺気が強まる。
 悲鳴の主はパワーであり、彼と接触しているのは人修羅しか居なかった。当然の様に、警戒対象は人修羅である。
「っ、げぇ――ッ、げっは、ッ! はぁっ、はぁ、はぁ――」
 パワーに咄嗟に引き剥がされた彼は、赤く染まった何かをブッと吐き出した。
 ほんの一口分の大きさだが、それは喰い千切られた雄だ。
『貴様ァ』
 脇に置いてあった槍を手に、よろめきつつもその切っ先を振るパワー。人修羅の四肢を抑えていた天使達が、蜘蛛の子を散らす様に飛び退く。
 私は腰を掴んでいた手を向こうへと滑らせ、人修羅の脇を掴む。そのままぐい、と引き寄せ、体重も引き受ける。
起こす様にして重なるまま仰向けになれば、パワーの得物の風切り音がヒュッと聴こえた。
「っ、あああぁ――ッ!!」
 私に自重で貫かれた人修羅が、体液まみれの口で悲鳴する。しかし、パワーのそれとは違い、微量の艶が混じっていた。
『駄目でしょう、パワー……私から悦を奪うつもりですか……』
 股座を押さえたまま、槍を片手に呻く天使へと呟いた。
『しかし、ウリエル殿ぉ……!』
『その程度、致命傷では無い筈ですよ……我々の急所は、人間とは違いますから、ね』
 背後から抱擁して、人修羅の乱された髪を優しく撫でてやる。がくがくと引き攣る細脚が、私の法衣の垂と絡んでいた。
『貴方もですよヤシロ、ほんの少しの我慢と云ったでしょうに』
 耳元で囁いているのだから、聴こえていない筈は無い。しかし、人修羅からは反論も無い。浅い呼吸を繰り返し、時折咽ては先刻の残滓を吐き捨てるかの様に嘔吐している。だが、その吐瀉の中にマガタマは見当たらない。
『本当はもっと、ゆっくり挿し入ってあげたかったのですが、まあ、不可抗力ですね』
「……は……はぁ……ぅ……」
『ほら御覧なさいな、貴方を助ける為に仰向けになってしまったのですよ』
 起き上がり逃れようとするものの、まだセキレイの羽が効いているらしく、おぼつかない人修羅。
 私は揺り籠の様に下になり、ぴったりと抱き締めて翼の先で胸元を擽った。
「う、うぁ、あっ……ぁ、やめ、ろ」
 黒に紛れた二つの突起を弄れば、きゅう、と下では締め付けてくる。陰茎を喰い千切った凶暴性とは裏腹の肢体に、面白可笑しい心地となって私は更に酔う。
『良かったです、まんざらでも無さそうで』
「く、苦しい、キツぃ――」
『深呼吸して下さい、もっと力を抜いて……大丈夫……貴方のマガツヒを吸いはしますが、約束通りに試してはみますから』
「……もし……人間に戻れたら、その、俺をどうするんですか」
『さあ、どうしましょうか? 私には人間に構ってはあげても、飼う趣味は無いですからね』
 人間から搾取されるマガツヒは良質だが、そこまで痛めつけようとも思わなかった。どうせ搾取し始めたら、すぐに死んでしまうだろう。それよりも、もっと続きを見ていたい。
『このボルテクスから……貴方以外の人間が一人も居なくなってしまったなら、貴方はその時どうされるのでしょう?』
「それこそ、マガタマでも呑まなければ悪魔なんかになれない……! 他の奴は、ずっと皆、人間の筈……」
『そうでしょうか? 数多の力を収集し得る存在となれば、神降ろしなどをして更に力を得ると思いますよ? 人間の器では物足りなく感じるでしょうから』
「そんな事考える訳無い! だってっ、こんな世界に人間のまま居たら、絶望してそんな事考えられる訳が――あいつ等にそんな覇気が」
『貴方は知人の何を知っているのですか? それは仲間意識ではありませんね、運命共同体を増やしたいだけでしょう』
「……もう、っ、いい加減にしてくれぇッ!」
 嗚咽混じりのその声に、人修羅の中で堪らず息衝いた。感情も腰も、揺さぶる程に溢れるマガツヒ。
「俺の事、晒し者にしてっ、貶めたかったんだろ、っ……ウリエル、あんたは、っ……あんたはぁ……ッ――」
『私はこの状況に、恥も背徳も感じておりません』
 しっとり濡れたツノを甘く噛めば、暴れていた四肢もビクンと跳ねた後に強張ったまま制止した。
 己はパワーの雄を噛み千切っておきながら、この状況がツノを噛み千切られそうで怖いのだろう。
「……ん……んん、天使ヅラ、しやがって……ぁ……」
 れろりと噛み痕を舐めてから、頬を寄せて眼を見つめた。
 私が普段通りに微笑みかける、そうするだけでこの少年は怒りの言葉を叫びつつも、酷く傷付いた表情を浮かべる。私の形と微笑みに釣られた事の自覚が、芽生えた瞬間に自己を破壊し始めているのだろうか。
『こういうツラですか?』
「……馬鹿に……しやがって……」
『泣きたければ、どうぞお泣き下さい。この笑顔で抱き締めてあげましょう、貴方が悪魔であろうと、ね』
「……う」
 誰もこの世界で、貴方に微笑みと抱擁を、まだ与えていなかったでしょう。目先の赦しに甘えたがる弱い半人半魔には、この態度が適している。
「ぅーっ、あ、あぁ……わああぁあッ」
 その表情を見れば、意識せずとも喰い込んでいる私の一部が張りつめた。
 泣き濡れた金色が、目の前でふるふると揺れる。堰を切った様に溢れ出す声も涙も、この少年の人間の部分が生み落しているものなのだ。
『ほら……もうじき、ですよ……っ』
 人修羅の膝裏に手を添え入れ、掲げる様にその腰を持ち上げた。人間男性の好いとされる場所を目掛けて、丹念に揺さぶる。結合部からにちにちと、マガツヒの滴だけでは無い音が鳴る。
「こんなっ、こんな恰好っ、あ、あっ、ぁ」
 爪先をくにくにと曲げ伸ばし、時折背を仰け反らせる。忌々しげに喘いでいる人修羅だが、股座で揺れる急所はまた主張をしている。
 喘ぎの隙間を縫い、うっとり此方を見ていたエンジェルに私は声をかけた。
『エンジェル、丸見えなのが恥ずかしいそうですよ』
『ん、んふふっ……では、わたくしが其処で壁になりますわ』
 その下ろした瞼がひくひくと引き攣っている、間近から凝視しては、気でもふれてしまうと云わんばかりなエンジェル。思い切り広げさせた股の間に跪き、ふらふらと揺れている人修羅の急所に頬擦りした。
『あのパワーと、同じ様に施されたいかしら?』
 そのつもりも無いくせに、挑発的な言葉を吐く彼女。しかし、その台詞を聴いた途端に、私をきゅうっと激しく締めた肉の壁。
『ふふん、冗談ですわよ……ん、ちゅぶ……んふぅ』
「……ッ、あ――……」
 私が突き上げる反動で、咥えこまれる人修羅の急所はぬぶりぬぶりとエンジェルの口を洗う。
 堪らずに仰け反る人修羅だが、項の急所は私が根本から噛む様にして舐めしゃぶっている。暴れようとする脚は、窺いつつ再び捕えに来た他の天使に左右から掴まれているので、当然閉じる事など出来はしない。素足の先の指まで、ちゅうちゅうとしゃぶり吸われている。
 エンジェルに放られた履物は、既に蹴り転がされて陣の外だ。
「はぁ、あっ、き、気持ち悪い、んな……こんな事ぁ………あんた等、狂ってる、ぁ……あっ」
『気持ち、本当に悪いだけですか』
 この胸の突起も、生理的な反射と説明するのだろうか。翼の先で淡く虐めてみる。
「ほ、んとぅ……っ、ん、は……ぁあ……は、羽、止めて……ち、乳首……が、ぁ」
『セキレイの羽とは違いますから、マシとお思い下さい』
 膝裏から通し支える腕先で、握り締めた人修羅の手首……もがく力が、強まっていくのが判る。
 もう中に吐き出してしまうべきかと、脳裏に思案が過る。いつまでも魅了と暗示が効いてくれる訳では無い。このままマガタマを吐き出させずに放置したとしても、人修羅は複数の力に内部から理性を侵食されるだけで。我々にとってデメリットは、理性を欠いた彼から攻撃を受ける……その程度。
 だが、ヒトらしさという彼の自尊心を残したければ、そろそろ燃え盛る内部を落ち着かせてやらねばなるまい。
 あちこちにブレているであろう魔力の性質を慣らして、内部から剥離し易くさせる。少しばかり背をさすってやれば、きっと吐き出すだろう。旨い事、全て吐き出せて更に苦しみも無ければ……この少年にとってめでたい結果となる。恐らく黒い斑紋も、失せる。
 しかしそれは、本当の地獄の始まりかもしれないのに……愚かな子羊よ。
『人修羅、ヤシロ……さあ、中に出しましょうね』
「ひっ、ぐ……あ、あぁ、で、出るっ、駄目だっ、ダメ」
『下からは幾ら出しても構いませんが、マガタマは出来るだけ我慢して下さいね……さあ……しっかり零さぬ様に、もっと締めて下さい……!』
 嬲る孔は、狭隘ながらもまるで坩堝の様な熱と湿り気だ。華奢な手首に私の爪が喰い込む事も厭わず、強く握り締めた。
 他の天使にも同じ事をさせるつもりだが、もうこのまま私だけで続けてしまっても良いかもしれない……と、甘美な妄想をしつつ突き上げる。マガタマを吐き出すまで、私でひたすら突いてみようか。天使への固定観念を崩壊させてみせようか。
 ああ、この人間の血潮たる熱を巡らせる肉体、悪魔の魔を蓄える胎内。ただの人間でも、ただの悪魔でも感じられ得ぬ感触。
 私に頼り縋る、まだ成熟しきらぬ面立ちを思い返し……それを裏切る快感に背筋が粟立つ。
『ン……っ……お受け取り下さい』
 私情混じりの熱を、打ち付けた奥で放った。人修羅は声も無く大きく仰け反ると、ぱたぱたと唇の端から唾液を垂らし零す。下肢でエンジェルが恍惚と喉を蠢かせているので、恐らく下からも漏らしているのだろう。
 私は軽く頭を振って、額に貼り付いた前髪をはらう。は、と一呼吸置いてから、静かな人修羅の顔を覗き込んだ。
『如何ですか……お加減は……まだ、熱いですか』
 私の吐き出した熱などは、通り過ぎる一瞬が熱いだけで。エネルギーとして内部に融け込めば、それは冷める。
 マガタマ同士が喧嘩する熱に、水を被せるイメージだ。
『……ヤシロ?』
ぐったりと俯く人修羅の頬を見た。意識確認として、軽く叩くべきなのかもしれない、が。
何も意識せず、黒い斑紋の肌に接吻をした。熱も何も含まない挨拶の様な、それこそ触れるだけの。
「……その……」
 ぼそりと呟かれた声に、姿勢も変えずに返答する。
『はい』
「その優しい素振り、止めて下さいよ……あんたの本性は、もう知れたんだ……」
『これが平常なので、意図的なものではありません。内部は如何ですか、するりと吐き出せそうですか?』
 問い質せば、私から顔を背けて呻く人修羅。まだ入っている私にもぎゅうぎゅうと響き、それが嘔吐の為の腹式呼吸だと判断する。
「ふ、うぐうぅうッ……ぇ……っ」
 苦痛の入り混じる声色に塗れ、ずるりと蟲が落ちる影を見た。
 ばたりぼとり、血の様な色の粘液は、産まれたての胎児が纏うそれにも似ている。目の前にした記憶は無いが、原罪の様に頭に刻み込まれている、人間の知識だ。
『……それは、全部では無いですね』
「ふーっ……ふーッ……」
『やはり、まだ注ぎ足りないでしょうかね』
「はあっ……その、必要は、無い……」
 此方をようやく向いた双眸は、カグツチよりも鋭い光で私を射抜く。
「まだこのままで……悪魔のままで構わないっ!」
 私が掴んでいた人修羅の両手が、轟々と燃え盛った。
 咄嗟に放し、翼をはためかせて後方に宙返り緊急回避した。その際に、ずるりと抜けた肉の摩擦で、人修羅が小さく眉を顰めた事は目視出来た。
『おや、この陣の上で術を使うと思いませんでしたね』
「嘘吐き野郎……」
 吐き捨てつつ、忘我状態で吸い付くエンジェルを己の股座から引き剥がす人修羅。
 金髪に燃え移った炎が拡がり、顔面を焦がしてもまだ恍惚としている。どうやらマガツヒで彼女が魅了されてしまったようだ。
『私の買い与えたシラヌイを、まだ胎に残している……違いますか?』
「そうだ、あんたにさっき貰った……気味悪い蟲、仕方無いから残してある」
『全てを吐いて無防備になる事を怖れたのですか?』
「身の安全を確保してから、戻る方法を探します。もうあんた等には……頼らない」
 私の注いだエネルギーは燃料となったのか、発する焔の熱は上昇する一方で。炭化しつつあるエンジェルが邪魔だったか、それを物の様に蹴り掃い、転がる履物に足を突っ掛ける人修羅。
「もう触れたくもない。だから、今の俺の目的に一番適したマガタマを残した」
『はは、私の教えた事はお役に立った様子で、何よりです』
 法衣を整える私を時折睨みつつ、周囲の天使に焔を放つ彼。まだ私ほどの火力は無いが、火は成長するもの。一旦翼に燃え移れば都合は悪く、屋内という事も相俟って肌に纏わりつく大気が熱い。動ける天使は、私の背後に控える様にして退避してくる。
「集団の癖に、逃げやがって」
『焼かれたくはありませんからね』
 笑いつつ、私は腰に携えた剣を片手に構えた。
「……どうして」
 打ち捨てられた着衣に脚を通しつつ、此方を睨んでいた人修羅が眉を顰める。動揺したのだろうか、革のパンツを通った脚がもつれそうにたたらを踏む。
「どうしてあんた、手……燃えてないんだ。さっき俺……あんたの腕ごと……」
『私が焔の術を勧めたのはですね、ヤシロ……』
 狭い室内なので、軽い羽ばたきに留めて浮上する。私に合わせて顔を上げ、視線で追ってくる人修羅が……何やら少し微笑ましい。
『私には、焔が通用しないからですよ』
 一気に翼を煽ぎ、速度をつけて飛び込んだ。はっとした人修羅は、まだ慣れぬ焔を使い過ぎたのか、一瞬遅れたその構えで私を迎える。霧の様にけぶる甘露な血飛沫が、この頬を濡らす。私の剣を受け止め、肉を裂かれつつもギリギリと金属を軋ませる黒い指。
「卑怯者……」
『はは、戦術という奴です。次はシラフで遊びましょう、その為にもコレをどうぞ』
 空いた片手で懐を探ると、武器でも取り出すと思ったのか。人修羅は、咄嗟に私の腕に咬み付いてきた。
 背後で数体天使が動く気配を感じ、手出し無用と翼を拡げる。私と人修羅だけの、小さな羽毛の結界。まるで内緒話の様に、歯を立てる必死の彼へと囁いた。
『私からの餞別です』
 咬まれる腕の手先から、ほろりと零す蟲。イヨマンテという、まだ渡していなかったマガタマだ。これを呑み、同じ手に引っ掛かる様な無防備さを直せば……この少年の生存率も上がるだろう。
『しかし、貴方に《天使様》と頼られるのは、素敵な一時でしたよ』
「ゲス野郎!」
 ぐい、と刃を引き抜けば、呻いた人修羅が裂かれた指に一瞥をくれていた。
『悪魔がどんなに嫌いでも、後でピクシーにでも治して貰いなさいな』
 一瞬で掴み寄せ、その血濡れの手に接吻をした。
「……ッ、の――」
 振り被られたその腕に、殴られるのかと予測して軽く奥歯を噛み締めた。が、乾いた音が響いただけで、私の顔は変形していない。
 べたりと頬が濡れている感触……これは……恐らく、ビンタというものをされたのだ。
「次なんて無い! 二度と俺の前に現れるな!」
 翼の隙間から抜け出し、甘い残り香だけを残して駆け抜けて往く人修羅。この空間から彼の気配が消えたのを、やがて感じた。見ずとも判ったので、出入口を凝視もしない。
 私は肩を回し、翼をたたんで辺りを見渡す。勘違いサバトでも繰り広げられたかの様な、そんな血腥い空気。
『暇潰しはおしまいです、それぞれの場に戻りなさい』
 好き好きに解散と号令してから、私は燃え滓となった一部の屍を軽く隅に寄せる。借りた場なので、それなりに片付けておくべきかと思ったが、そういえば魔法陣には色々染みついてしまった。
 確認の為、まだ燻る陣の上を歩いた。ふと、燃えずに捨て置かれた黒革に気付き、それを拾い上げる。人修羅の眼を隠した、あの帯だ。
『……また暫く、暇な時間が続きそうですね』
 呟きつつ、その黒で視界を覆ってみた。
 己の温和な声音だけが響き、柔らかな翼の羽がふわりと脚をくすぐる。
 一瞬、優しい天使が見えた気がして……思わず独り、失笑した。


 -了-