「所属、名称を述べよ」

──超國家機関ヤタガラス、〇の四十八……

「ああ、やはり四十八願(よいなら)君? 随分としみったれた仕事に就いているね、御父上に願いあげては如何? この様な調査の真似事、君には向いてないと思うが。さて本題に入ろう、何故僕を尾行していた?」

──葛葉ライドウ……十四代目の素行を報告せよと命を受け……

「機関が欲するは成果のみと、そう解釈していたが。何処の一派に其れを命じられた?」

──…………

「答え給え」



 突然、視界が開けた。いや、目が覚めたのか。
 ぼたぼた音がする、目の前は草むらだ、落ちた水滴が光を反射して輝いた。
 何の光だ、見上げようとしたが、首がこれ以上持ち上がらない。
『ねえライドウ、あと三十分程度が限界じゃない? 人間の血って、ずっと偏っていると身体オカシクなって、腐るんでしょ?』
「そうだね、お前の蔦も綻んでしまう、長丁場にする気は無い」
『んもう、ライドウったら優しぃ……ンフフ』
 足下だけが見える……アルラウネの桃色の脚が、黒いスラックスに絡んでいた。
 湿った土のにおいに雑じって、薔薇の芳香がする。夕刻の薄闇に、時折蛍の様にMAGが舞った。ああ、この光だったのか。
「では四十八願君、ひとまず肯定か否定で答え給え。君は僕に、恨みでも有るのかね?」
「……恨みは、無い」
「今回尾行した結果報告の後、僕を始末せよと命じられたならば、君はそうした?」
「始末……始末なんて……ヤタガラスならば、まず退任のち帰還を命じられる、始末される筈が無い」
「ヤタガラスならば≠ゥい。成程、つまり本件に機関は無関係、そうだろう?」
 始末への意思を否定したく、つい余計な憶測を述べてしまった。
 無言で奥歯を噛んでいると、十四代目の膝頭が額に擦れた。自分はアルラウネの蔦で、恐らく樹木の枝を支点に吊られている。後ろ手に括られ、脚も脛をぎゅうぎゅうと巻かれていた。軽く身じろげば、さながらオキクムシの如し。
「外部の人間に命じられた?」
 私の額から、ゆっくりと頬骨をなぞるように、黒い布地が移動する。結構低い位置で吊られているなと、ぼんやり思った。
「答えよ」
「んっ、ぐ……ゥ」
 顎下から喉元に食い込んでくる、十四代目の膝頭。重心の関係で、身体じゅうの蔦が肉を締め上げた。
「そ、ぞごう、素行報告……だげ、それだ、げ」
「誰に」
「っ、げほっ、げほぉッ」
「アルラウネ、目の位置まで上げ給え」
 その号令の直後、身体がゆらゆら前後し、気付けば目の前に十四代目の顔が有った。
 彼の眼をまともに見てはまずい、そう思い視線は脇へと投げていたが……突如与えられた感触に、たまらず其方を見た。
「別にね、僕は手引きした人間を殺そうだとか、そんな野蛮な事は思っちゃいないさ……フフ」
 棘蔦が絞めるこの首を、湿った軟体が這いずりあがるような感触。ぞわぞわと粟立ち、そしてどくどくと血が騒いだ。
 挙句に耳をれろりと舐められ、彼の息遣いが鼓膜を直接嬲ってくる、おぞましく、堪らない。
「だから正直に申せと云うのだよ、君、何故僕の邪魔をした?」
「私は一個人として、君を恨んでなどいないっ」
「ほら、やはり君の単独行為だった様だ」
 十四代目の唇が、耳元から去っていく……と、入れ替わる様にして、今度は口に異様な感触が。
「もがッ」
 酷く硬質で、歯に染みる様な味がした。銃だ、銃身を突っ込まれている。
「僕はね、少しばかり立腹しているのだよ。君の尾行には気付いていたが、僕の同行者は強かなのでね、まあ良いだろうと黙認していた。しかし親子揃って何かと踏み込んでくるので、接点の有無だけは確認しておきたかったのさ」
「ほ、ほがっ」
 引き鉄に指をやんわりとかけ、愉しそうに口角を上げる十四代目……その指付きがまるで、何かを愛撫する様に見えて。死の恐怖も余所に、私は凝視していた。すると怯えの無い私に飽きたのか、十四代目はおもむろに銃を引き抜いた。
「で、御父上には報告しているのかね、僕の素行とやら」
「はぁ、はぁ、はぁ、し、ていない……父、父が何を、君に……踏み込むとは」
「君の御父上はね、時折此方に来ては僕を宿に呼び御戯れ≠ノなるのだけれど」
「どういう事だ、そんな事は知らん……どういうっ」
「おいおい、僕が訊かれる側になっては困るよ。それに……てっきり御存知かと思っていたのにねえ?」
 父の件が気になり、まじまじと十四代目を見つめた。痛い筈の躰が、重力から解放される錯覚に包まれた。そう、錯覚だ……吊るされている此の状況も、私の妄想かもしれない。酷く密接で、淫靡な……誰にも邪魔されない、彼との距離感。
「ま、似た者親子という事だろうさ」
 天地が逆転した後、鈍い痛みが全身を廻った。どうやら地面に落とされたらしい、いつアルラウネに号令が出されたのかも把握出来ていない。湿った草の上で咳き込んでいると、ごろりと仰向けに蹴り転がされ、続いて股座に衝撃が。
「ぅ、ううう〜ッ」
「各々が個人の欲だけで、僕に付き纏っているという事だ。機関の一員という肩書を云い訳にね」
 ぎゅっ、ぎゅっ、と摩擦音が、意識を煽る。私の脹らんだ雄を、布越しに革靴が捏ね繰り回す。固いゴムのソールが、ごり、ごり、ごりと……扱き上げていく。
「はぁっ、十四代目、やはり淫売だったのか……?」
「では止める?」
「……なにを……」
「此れ」
 グッと圧をかけられ、流石に心臓が飛び上がる。じんわりと脂汗が額に……そして、雄の先端にも滲むものがあった。
「そもそも僕に、どの様な幻想を抱いていたのかね。しばらく修練を共にした君ならば、今更な姿に映ると思って居たが」
「……狐と……よく、聞いていた、だけで」
「コン、コン、コンッ」
「ぅぎぃぃッ!」
 一瞬体重をかけられ、悲鳴を上げた。爆ぜる寸前の睾丸の音でも聴いたか、十四代目は鳴きながら重心を戻すと、けらけらと哂っていた。
『ライドウちょっと、お漏らしさせないで頂戴よ、ワタシの蔦が汚れちゃう!』
「いくらでも生やせるだろう」
『そういう問題じゃ、な・い・の。好きでもない男に汚される惨めさを解かってないでしょ? もしそうなったら、た〜っぷり吸わせて貰うから、覚悟しといて?』
 視界の端で胸揺らすアルラウネが、十四代目の背に抱き着いた。じゃれる仕草を適当にあしらいつつ、十四代目は私への視線を外さない。主な理由は警戒だろう、頭では理解しつつも私は何処か溺れていた。
「四十八願君、君は僕を恨んではいないと述べたが、恐らく勝手な情念を向けてはいたね、その結果の尾行だろう?」
「そのつもりは……あ、あぐ……」
「怒らないので、正直に」
 違う……これは云えば最後まで続けてやるぞ≠ニいう脅しだ。
 靴底で圧迫されたかと思えば、甲がすべり台のように幹を滑走し、腫れあがった袋を持ち上げるようにして爪先が蹴る。
 子供の蹴鞠を思わせる気軽さで片手間に甚振りつつ、十四代目は尋問を続けた。
 これは懺悔せよという啓示なのかもしれない。決して終わらせて欲しい訳では無く、妄執を断ち切る機会が与えられているのだと、自分に云い聞かせた。
「さ、いしょは……最初は、何も意識しなかった」



 そう、帝都に来たのは別件だ。父の御使い、ただそれだけ。
 幾つかの商社に寄り、役人に逢って……書類を渡し、簡単な談話をして解散。
 私自身はひとつも内容を知らず、本当に運搬するだけの役目で。それでもわざわざ私を指名するのだ、親族が一番信用できると踏んだ父の方針だろう。
 何を訝しむ事も無く、用事は済んだ為に帰路に就いた。と、遠くに頭ひとつ分高く揺れる学帽が見えた。随分背の高い学生の居るものだなあと思ったが、実はそのような上背の男を知っていたので、確認の為に足を速めた。
 接近し過ぎず窺う自分は、恐らく顔を合わせたくなかったのだ。街灯の下、何かと待ち合わせでもする一都民を装い、黒い影を視線で追った。曲がり角、彼を横から眺める形になり、正体が判明した。
 推測の通り、葛葉ライドウの十四代目だった。真正面から見れば忘れられないであろう、白く美しい面立ち。そんな私も忘れられぬ一人であり、あの後ろ姿だけで勘付いてしまった訳だ。
 
 此の帝都では〈葛葉ライドウ〉として活躍している彼の、昔の姿を知っている。知っていると云っても、実は殆ど関わった事が無い。同世代として修練を受けた、同期でしかない。
 しかも彼は出自不明であの容姿の為、散々苛められていた。渦中に飛び込む勇気も無い私は、それを諫める事もせず。むしろ関わっては火の粉が飛んでくると思い、遠巻きに眺めていた。彼は……紺野は、狐憑きとも噂されていた。それを理由に忌む者も居たが、私としては本当に狐だろうか≠ニ、そればかり気になってしまい、この点に関しては好奇心が疼いていた。
 しかし狐でもなければ、憑いてもいない≠ニいうのが、私の結論だった。

 齢十四くらいだったか……とある晩、川に涼みに行こうと思い立ち、夕刻に屋敷を出た。蛍も居るだろう時期で、私はそれを楽しみに軽装で畦道を向かった。その道中、複数の同期とすれ違った。どこか足早な彼等にあっちに蛍は居たか≠ニ問えば目に痛いくらい居たな、今から行ったらどうか分からんけど≠ニ先頭が答え、連なる連中が含み笑いをした。狩ってしまったのかと彼等の手元を見たが、籠の類は持っていない。単なる意地悪を云ったのかと思い、その場は気にせずに別れた。
 青々とした木々が、夏らしい湿った匂いを撒き散らす暗がり。驚かさぬ様に、草むらを鳴かさぬ様に、ゆっくり大きく、一歩一歩踏み入った。せせらぎの音が近くなってきたな、と思った矢先、綿毛の様にふわりと光が躍り出た。
 蛍だ。もっと水辺に往けば良いのに、と笑って後を追う。すると水音とは違う方面に、ふわふわと漂う光が目に入り、なにか妙だと思い其処を目指した。背の高い雑草たちを掻き分け、やや開けた野原に出た。群生する花が雑草を追いやり、天には繁る木々の屋根も無い。怒涛の星空の下……人が倒れている。
「お、おい、大丈夫?」
 慌てて駆け寄ったが、数歩手前で足が止まった。仰向けに倒れていたのは、紺野だった。
 気配が無い……気を失っているのだろうか、おそるおそる接近したが、此方に向けられるものは一切無い。
 星明かりに晒される、彼の肢体。着物は乱れ、帯は少し遠くに打ち捨てられていた……下穿きもだ。もしやと思い、少し屈んでその下肢を覗き込んだ。乾いた血痕、其れを上塗りするかの様な白い粘液がべったりと、そこらを汚していた。
「うっ」
 思わず上がった声を、奥に押し戻す。此処で察しはついた、恐らくさっきの連中だろう、普段から紺野を甚振っていた面子だ。それにしたって、まさかここまでするとは思いたくなかった。彼は輪姦されたのだ……そういう単語がはっきりと浮かんできた頃、虫の声を遮り、あたりは私の心音だけになった。
 薄闇に白く浮かび上がる彼は、まるで死体の様で。花の褥が、感情の無い相貌を尚美しく引き立てていた。弱った躰からはMAGが淡く滲み、それを視た蛍が勘違いして訪れる。しかし何かが違うと、すぐに気付いて離れて往く……
 微かな息遣いは有るものの、深い睡りに陥っている彼。ドルミナーをかけられたのだろうか、それは犯される前なのか、後なのか……不埒な妄想が、目の前の彼を汚す。
 いつの間にか、彼を見下ろす位置に立ち、私は下穿きの隙間から己の一物を引っ張り出していた。早く、早くしなければ起きるかもしれない。早く扱かなければ、早く終わらせなければ。
 その焦りさえも杞憂だった、あっという間に吐き出した己に呆れる。数名の残滓に紛れ込ませる様に、しかし未だまっさらな彼の顔めがけ誇示するかの様に浴びせた。夜風がたちまち乾かすだろうと思いはせども、現在ゆっくりと肌を伝う白は紛れもなく私を意識させ、罪悪感に火を点けた。
 一物を仕舞い、後ろも振り返らずに駆け出した。蛍を、夏草を、静寂を掻き割いて走り抜け、屋敷まで戻ると一直線に布団に潜り込んだ。怖かった、己の行為が。

 私は結局、彼を助けもせずに性の捌け口にしてしまったのだ。翌日、紺野を探す事はしなかった。彼の存在を認識するのも憚られ、気もそぞろに修練を終えた私は、しばらく独りになろうと尽力した。元々誰かとつるむ事もしなかった為それは容易で、屋敷の自室に籠もれば暇潰しの道具なども沢山あった。しかし私は、嗜好品や本では打ち消せぬ程、強い妄想に取り憑かれていた。眼を瞑れば、彼が浮かび上がるのだ。薄暗闇にぼんやりと、月の様な仄白さを湛えて。
 打ち消そうと布団にもぐれば、夢にまで現れた。飼っていた狐が人型に変化し、私に跨る妄想だ。尾が九つ有ったり無かったり、胸がたわわな女体だったり、形はその都度違ったが、顔だけは間違いなく紺野だった。
 目覚めて真っ先に、先走った雄を扱く。その空虚な時間の中、私は常に念じていた。彼は狐ではない、狐憑きでも無い。只の不幸な人間だ、周囲に汚され、私にも汚されてしまった、哀れな人間の少年なのだと。罪の意識に身を投じれば、身体の熱はようやく醒めた。この瞑想を繰り返すうち、次第と彼への偏執的な意識は形を潜めていった。
 断ち切れていた、筈だった──……



「…………君を此方で見かけて、つい後を追ってしまった」
 長い沈黙が逡巡に思われたろうか。過去の事は割愛し、私は現在からを吐露し始めた。
「十四代目とはいえ、その……本当に書生の様で。しかし問題無く帝都守護に務めているであろう風情は……感じた」
「有難う、それで?」
 靴先で扱かれながら真面目に話すのは、どこか滑稽だ。十四代目の形だけの礼はとても冷ややかで、先程浴びせられた水よりも脳が冴えた。
「噂が気になった……君が、西洋人の男性と懇意にしているという」
「それを確認したところで如何する」
「分からない、分からないから確認したかった。そうして直接見た、君があのハンチング帽の西洋人と……遊び歩くところを」
「何か感動は有ったかね」
 胸元を探る十四代目。仲魔を入れ替えるか、もしくは複数召喚が得意な彼の事だから、追加で喚ぶのかと思った。そんな私の推測は的を外れ、彼が取り出したのは煙草の箱。敷島だな……と、目が勝手に読んだ。
「……正直、驚いた。君が…………笑っていたので」
「僕はいつも哂っているよ」
「里では見た事の無い笑い方をしていた、別物だ」
「そんなものかね」
 十四代目は続けて取り出した新世界のマッチを擦り、流れる動作で煙草に火を点けた。
「笑っていた事が、頭を離れなかった。君は……君は、紺野君、突出した能力者で、そして……努力家な事を、私は知っているんだ。里の連中が何と噂しようと、あんなものは只の妬みだよ」
「君は妬まなかったのかい、僕を」
「羨望は有った、だけど天地の差が有れば妬みようも無い、そんな事じゃない……そんな事じゃあ無いんだ」
「どんな事?」
 ググッと圧をかけられ、息が詰まる。破裂に対するささやかな身構えをと、強張った下肢がぎゅうっと引いた。
 十四代目はお構いなしに前傾し、私の顔にふうっと白い吐息を吹き掛けてきた。苦く、そして甘やかな、MAGの滲む毒霧だ。私は軽く咽たが、それ以上に雄が悲鳴をあげていた。このまま黙っていては危険な気がして、叫ぶ様に唱える。
「駄目だ駄目だっ、君は清廉潔白でなければならなかった!」
 一寸の間の後、十四代目の高笑いがこだました。あまりに可笑しいのか身を捩っており、雄への圧迫は分散してくれた。
「とっくにそんな身では無いが、四十八願君は何も知らないのかい?」
「君から寄ってはいけないんだ紺野君、自ら手を汚してはいけないんだ、君は狐でもなけりゃ取り憑かれてもいないのだから、奇行に走ってはいけないんだ」
「友人と遊ぶ事が奇行かね。それは四十八願君、君の方がよほど病的だよ」
「汚されても綺麗なままの君は、神性を纏っていた」
 目を背けていた心の片隅が、溢れんばかりの感情の渦となり、脳裏を掻き乱した。
 あの星降る空の下、宵待ち草の咲き乱れる中で、睡る姿のなんという美しさ。
 いくら汚しても、いくら汚しても、綺麗なままだ、だから大丈夫だった、それが。
「成程、ルイへの嫉妬というよりは、僕に対する固執らしい」
「弱みを握られているんじゃあないのか、君から媚を売る訳が無い、どうしてそうなってしまった」
「勝手な思い込みをされるのは御免だね……僕が犯されるばかりの聖者で、一切の性欲を持たぬ≠ニでも?」
「そうだろう!」
 大きな声で肯定した瞬間、頭が真っ白になった。口の端から泡が零れ落ちる、身体は硬直したままだ。耳鳴りの狭間に、彼の声が途切れ途切れ聴こえた。
「君の視線は時折感じていたよ、候補生の頃からね。ただ眺めているだけの奴と思って居たが、まさか此処まで大胆な思い違いをしているとは、笑わせてくれる。直接云ってやろうか、僕はマスターベーションするよ、その君が見た西洋人ともセックスをする、それが何だと云うのかね。君の人生には何一つ関係無い、そしてデビルサマナーの能力を減衰させる事も無い。僕の中の穢れを認めたくないとは如何いう了見だ」
 思い切り蹴られたのだ、急所を。
「何様のつもりかと訊いている!」
 再び蹴られたらしいと知覚しながら、意識は其処でぷつんと途切れた──……


---------◇---------


「何故あそこにもライドウが居るの?」
 特等席、とライドウに案内されたのは旅館二階。本来予約していた離れとは、別の部屋だった。
 その離れの一角……室内が、実はこの部屋から見えてしまうのである。
「ま、一番の特等席はあそこだよ。アレはね、僕に擬態させたヤタガラスの人間」
 広縁のソファに腰掛けたまま、ライドウはグラスの液体を飲み干した。彼にしては珍しく、明るい内から深酒している。フラストレーションが溜まっているらしい、この奇妙な情景も要因のひとつだろうか。
「君がさせたの?」
「そうさ、僕が脅迫した」
「脅迫かね、報復の恐れは無いの?」
「釘は刺してあるが、その時はその時」
 何が始まるのかと眺めていたが、問題の部屋にもう一名、誰か入って来た様だ。
 卓を挟んで、偽ライドウの向かいに着座した。黒い着物に羽織を纏っている、何となく察しはついた。
「ヤタガラスのお偉いさんかな」
「ご名答。僕が予約しておいたところを態と割り込んだ、無粋な奴さ」
「そうして君に逢おうとしていた、と」
「暗に出迎えよ≠ニ云っていたね。しかしこの度は面白い土産を置けたので……まあ良しとするよ、ククッ」
 黒着物の御上は会話も早々に、偽ライドウに這いずり寄っていた。流石偽物なだけあって、拒む素振りが真剣そのものだ。その姿がぼくにはとても新鮮で、なんとなく笑い声が零れた。
「あの偽物さんは、正体を明かさないのかね」
「彼は明かせないさ、色んな意味でね」
 新たに注いだアルコールを煽るライドウ、窓越しにチラリと離れを眺め、ククッと哂った。
 ぼくも離れに目を戻せば、既に偽ライドウは制服を剥かれていた。
「ほほう、手が早い。ところで、最中に擬態は解けないの?」
「当人次第かな。変質と幻惑の合わせ技だからね、MAGを消耗し続ければ維持は可能だよ」
「君の身代わり……という事? 結構な拒絶反応をしているから、もはや言動でばれるのも時間の問題と思うけれど」
「そりゃあ君、実の父親に襲われたら大体の男子は拒絶するだろうさ」
 ライドウが愉しそうな理由の、一番深い部分がようやく見えた。これを謀ったとなれば、まさしく悪魔の所業≠ニいうものだろう。この時代の、この国の倫理観から推測しても、恐らく違いない。
「あの御上の弱味も握ってある、息子に伝書使をさせていたのが仇となったね」
「弱味も何もライドウ。君を私的利用している時点で、機関に知られては不味いのでは?」
「それが咎められるのなら、上層の三分の一はクビになっているだろうよ」
 暫く眺めていたライドウだが、やがてふいとそっぽを向いて、グラスの残りを煽った。
「もう見ないの?」
「状況は愉快だが、画だけ見れば己が犯されているショウだからね。肴になるのは一瞬、多く摂るものではない、珍味みたいなものだよ」
「近親相姦させる事に、胸は痛まなかった?」
 くだらぬ問いを投げた、何と答えるか興味深いので。
 すると君は、機嫌を損ねもしなかった。グラスをテーブルへと静かに置き、ただ哂って述べた。
「世間的には禁忌扱いされているから、仕組んだだけさ。好きでもない男に汚される惨めさ∴ネ外は、さっぱり解からないね」
「つまりIncest Taboo≠ノ則っただけと」
「フフッ……だって僕、家族居ないもの。解からぬよ、そんなモノ」
 ソファから立ち上がり、窓に張り付いていたぼくの腕を取るライドウ。妙に甘えた仕草で、思わず意地悪を云いたくなる。
「君も偽物なのでは?」
「本物さ、十四代目葛葉ライドウこと紺野夜。確認してみるが良い、MAGは個人の生体情報が凝縮されている、繊細な感覚が無いと判らないと思うがね」
「たった今、息子を抱いているあのカラスには判らないだろう、君はそう云いたいの?」
「ご名答!」
 はしゃいだ声と同時に万歳をし、そのまま今度はぼくにしがみ付く様に、体当たりをかますライドウ。
 軽く酔った君に、あっさり押し倒されてあげたぼくは多分優しい。今日はいいなりに成ってやろう、いつもその様な気もするが、今日は特に。だって、こんなに性的な悪巧みをする君は、少し珍しいから。
 ああ……それでもひとつだけ揶揄ってやろう。
「好きでもない男に汚されるのは、嫌じゃなかったの?」
 穏やかに問えば、ぼくに跨った君は興奮した眼で見下ろしつつ、高慢の笑みを浮かべた。
 直後、降ってきた噛みつくようなキスは、確かに夜の味がした。
   
-了-


* あとがき *
 タイトルの読みはよいなら-がんかけ%d話番号の語呂合わせか。尋問するライドウを書きたかったのだが、それよりも「ライドウ(夜)が輪姦された事後描写」の方が長くなってしまった。それとこの話は、オチが最初に浮かんでいた。自分に化けさせた者を、その近親者に襲わせる≠ニいう鬼畜行為だ。とはいえ読者からすれば作中のモブキャラ同士であり、作者的にも近親相姦ねえ……と、ぼんやりとしたイメージしか浮かばない。血の繋がり関係無しに、同意でなければ侵害でしかない。性行為なんて、恐らくそういうものだろう。
 四十八願君は、その苗字から機関名称の〈〇の四十八〉を付けられただけという設定であり、このナンバーに深い意味は無い(ゴウト童子も振られた数字は四十八だったが、それとも関連付けは一切無い)
 彼が作中で、紺野を穢れ無き聖人視≠オ始めた理由は、現実逃避の為。己を蝕む妄執を遮断するには、彼が絶対汚れない$l間であると思い込む必要があった。そういう事に苦しむ時点で、輪姦した連中よりはよほど良心の有る方だが…今回は夜の虫の居所も悪かったという事で、結構悲惨な結末を迎えました(足コキでイかせてもらえなかったし、夜は怒らないから≠チて言ってたのに最終的にキレてるし)
 予約も割り込まれ、尾行され、報復行為をしてやったものの自分の犯される画で…このムシャクシャをすっきりさせるには、件の西洋人に遊んでもらうしかない!という事で、最後はルイに構ってモーションを仕掛ける夜なのでした。部屋が変わっても、する事は変わらないという事だ。
 そういえば、ドルミナーはかかっていたのでしょうかね。かかっていたとすれば、どのタイミングだったのか。眠らされてから犯されたのならこれは睡眠姦の要素も備わってしまうが……
(2019/9/26 親彦)



▼四十八願
しじゅうはちがん:法蔵菩薩が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のこと。
よいなら:苗字。伝染病などの死者を葬る不浄の地が「黄泉野原(よみのはら)」と名付けられ、それが訛ってよいなら≠ニなった。その後、高僧により四十八願の字があてられた。という一説がある。不浄を覆い隠す名称としては、この話の彼に似合った苗字だろう(全国の四十八願さんスイマセン、これはフィクションです)

▼願掛け(がんかけ)
神仏などに願い事をする呪的行為。タイトル「顔掛け」の字は、わざとである(ヒント※四十八願君のぶっかけしたパーツ)

▼宵待ち草
オオマツヨイグサ(大待宵草)の事。暗くなってから花開き、日中は閉じている。黄色い花弁の種が代表的だが、白い花の種を「月見草」、赤い花の種を「夕化粧」と呼んだりもする。

▼Incest Taboo(インセスト・タブー)
近親相姦の事。