60

 
「本当に、生身でここから飛び降りたんだよ!あの人」




カグツチに比較的近いから、と
高層ビルの天辺までわざわざ来たのだ。
理由が理由で。
なんでもこの男、俺と喧嘩したくて
わざわざ煌天時を狙って散歩に連れ出したのだ。
嫌な予感はしていたが、拒否すれば場所が変わるだけの事。
いや、もしかしたら更に酷い事になるかもしれない…
そんな俺のビビリな部分が此処に足を運ばせたのか
それとも、俺も本当は喧嘩したかっただけなのか…
深く考えるのは止めた。
と云うより、エレベータの中で既に考える事を止めていた。
徐々に高度を増していくにつれ、俺の闘争心も高揚していったから。

「しっかし、よく階段で以前は上っていたよな」
「1人なら今回も階段のつもりだった」
「思うんだよな、マラソンとか長距離の人って…自身の肉体を極限まで虐め抜いているよな…って」
「僕は自らを虐め抜く趣味は無いが?」
哂って答えるライドウを見ると、納得である。
「そうだな、あんたは他人を虐める方が性に合っている…」
古傷が痛むような感覚。
焼け付く、憎悪が迸る感覚。
そんな彼への猜疑心にも似た黒い感情が、再び俺の眼に光を宿らせる。
「2回戦も悪くは無いが、君の精神力はもう尽きているだろう?」
抜刀も銃を握る事もせず、ライドウが呆れたように哂った。
だが、体力を削れば戦える。
俺はまだ癒えぬ傷をぬぐい、低い声で言った。
「逃げるの?」
「まさか」



しかし、呆気なく終わった。
あのままでは自滅すると踏んだらしいライドウが
俺に仲魔をけしかけ、睡眠へと強制的に誘ったからだ。
がばりと飛び起きると、呑気に隣でライドウも寝ていた。
外套を敷いて、涼しげな表情で寝息を立てている。
(こいつ、本当に寝てやがる…)
悔しいやら情けないやらで
息を潜めて、ビルの端へと移った。
(ダンテって、こんな高い所から飛び降りてきたのか…)
ふと思い出し、改めて魔人の凄さに感嘆する。
自分にも出来る…らしいが、この光景を見ているとそんな気は失せる。
「自殺でもするの?」
声に振り向けば、ライドウが欠伸をして外套を着込んでいた。
欠伸の仕方はゴウトそっくりだ。
「それよりあんた、仲魔は使わない約束だろ」
噛み付く俺に、まだ夢か現か定かではない様子で
「だって、折角手に入れた悪魔を手にかけたら馬鹿みたいだろう?」
と、おはようを云うみたいに言ってのけた。
「散っざん…今まであんたは俺に酷い事したよな!?」
「生かさず殺さずが信条でね」
本来事なかれ主義な俺でも、本当にこの男が相手だと…文句も言いたくなる。
「こんな御主人、普通の悪魔なら喰い殺してやりたくなるよ」
だが、侮蔑の言葉を吐いても…いつも華麗にスルーか反撃をされる。
「生殺与奪の権限が何故あるか分かる?」
此方に外套をなびかせ、歩み寄ってくる。
「使役する悪魔より、僕が強いからだよ…」
武器を収めているただの人間に、畏怖している…
こんな風に、絶対的な恐怖が俺を支配しているのだ。
「で?君は此処から帰りたいの?」
地上を見下ろし尋ねてきた。
「冗談!!ここからダンテが飛び降りたのをちょっと思い出して…」
「彼も人ならざる肉体を持っているからね、容易いのだろう」
珍しく実力を認める反応に、俺はなんとなくスカッとした。
ダンテの事だというのに、饒舌になり始めた。

「本当に、生身でここから飛び降りたんだよ!あの人」
やや興奮気味に俺は説明した。
このマントラのビル…おそらくサンシャイン60なのだが。
このほぼ天辺、軒高226.3mからダンテは舞い降りてきた。
「かすり傷ひとつ無くて、俺は呆気にとられて…」
「油断したから以前負けたのだ、と?」
場所が変わろうが関係が変わろうが
この悪魔召喚師の辛辣な口は変わらない。
「でも、実際あの人ってこう…歴戦の魔物って感じなんだよな」
「狩人だからね」
「でも、凄く人間くさくて、それが…敵ながら格好良いというか…」
「で?君はいつから悪魔狩人の崇拝者になったんだ?」
普通の口調で、相槌を打っていた傍のライドウを見る。
と…
(あれ?)
妙な違和感。
何だ?何処だ?何処がおかしい?
「で?君も魔人なのだから、やってみれば?」
ライドウの口元が哂ってない。
「…いや、俺はその…」
「身体は寝たから回復しただろう?」
「そうじゃない、その…所謂…」

高所恐怖症

いや、ちょっと違うか。
高いのは平気だが、落下の感覚が本当に駄目だった。
死ぬ気でもなければ飛び降りなど、しない。
青ざめる俺に、ライドウは更に言い寄る。
「気絶してても、目覚めればもう地上に伏しているだけだ」
「そういう問題かよっ!いいか、絶対嫌だからな!」
あくまでも拒絶する俺に、ライドウは諦めたのか黙る。
そうだ、コレだけは譲れない。
強制的に、この後突き落とされるのは有りでも(いや、腹立たしいが)
自主的に飛び降りるなんて、誰がしてやるか…
「では、人間の僕が手本でもお見せすれば良いのかな?」
「…待て」
待て、待てよ。
今何て云ったんだこの男。
「流石に君も、人間の僕が飛び降りて自分は恐怖心から無理でした〜は…人修羅の名折れというものだろう?」
くすり、と冷ややかな笑みを浮かべた、が。
直ぐに目つきが変わった。
この表情、俺を苛んでいる時でも、手合わせしている時のものでもない。
(ライドウ、まさか本気?)
それこそ馬鹿げている。
「おい、人間だと死ぬぞ」
「一応鍛えている」
「鍛えただけじゃこの高さは無理だ」
「ふぅん、君は自分の主人が悪魔狩人に引けを取るのが許せるんだね」
「…はっ?どうしてダンテがそこで…」
ま、まさか。
対抗心?
俺があんなにダンテをヨイショしたのが原因か?
万が一、そうだとして…
これでライドウが死んだら…
(…気分悪)
嫌な男が絶命するのは気が晴れるが。
自分の言葉が原因というのも…
これが決闘の末ならまだ良いのだが、まさかこんな内容で…?
「では、一足先に待っているよ」
その言葉と同時に、ライドウは革靴をトンと踏み鳴らし
端から飛び立った。
「馬鹿っ」
直ぐに手を伸ばしたが、帽子のつばを持つライドウと眼が合っただけに終わった。
終わる?
俺を仲魔にと引き込んだ葛葉ライドウが?
俺を手酷く打ちのめしてきた、あの男が。
地上でバラバラのグシャグシャに?
さっきまで血で血を洗う喧嘩をしてたのに?

「くっそ…イカレてる!」

追いつけるように、下に加速をつけて駆け下りる。
足下で、硝子がビシビシと音を立てる。
割れて足が呑まれない内に、次の一歩を先に。
ビルの外壁を駆け下りていくと、黒い影が見えた。
地上まで、あと僅か。
「ライドウッ!!」
その烏のように舞う影に向かい、跳ぶ。
壁を蹴り、その外套の端を掴む。
たぐり寄せ、抱え込み、食いしばる。
抱きしめたまま、地上に俺は埋まった。


「立てる?」
「…」
声もまともに出せない。
この男、俺に「立てる?」って聞いてくる機会が多い気がする。
そもそも、何で俺はこんな結果を迎えているんだ?
「あんたは…?」
擦れた声で問いかける。
「おかげ様で、打ち身程度」
ああ、だから俺は身体が動かないのか。
しっかり包み込んだライドウですら打ち身をしているのだ。
「多分、全身複雑骨折で内臓破裂だね」
「…」
「内臓から再生が始まっているから、しばらく喋らない方が良い」
…おい!
あんたの無茶の所為で、その凄惨な状態に俺は陥っているんだぞ。
云ってやりたいが、喋るべきでないのは分かる。
「僕の仲魔にディアをさせようか?」
俺は視線で“いらない”と促した。
治癒を早めても、暫く動く気になれないだろうから。
「…ねえ、受胎前だと此処より高いビルヂングは在る?」
伏している俺に、あくまでも下手に出るつもりは無いらしい。
心配の言葉すら無いまま突如、好奇心から来たであろう台詞を投げられた。
「こはま…」
擦れてうまく発音出来ない。
「もう1度」
俺の口元に、耳を近付けてきた。
ライドウの、綺麗な項が妙にむかつく。
「よ、横浜…ランドマー、ク…」
「何階在るの?」
「70…」
律儀に答える俺が既に馬鹿みたいだが。
もう今更だ。
それよりこの男は…
いつまで乗っかっているつもりだ。
向かい合って、同性と抱き合う趣味も趣向も無い。
むしろ、露わになっているこの肌に触れられるのすら嫌なのに。
「お、い!何、してる…」
耳を、俺の口元から胸元に滑らせたライドウに
ほぼ反射的に聞いた。
「君の中味が再生する音を聴いている」
「…」
「この再生力は悪魔なのに、成形される臓物は人のモノなのだね…」
うっとりと呟くライドウに、俺はもう言葉も出なかった。
ライドウは、俺がこうすると思ってやったのか…?
試したのか?
俺の中の人と悪魔を
天秤にかけたのか?
それとも、ダンテを誇る俺に苛立ったのか?
「功刀君、次はそのビルヂングに行こうか」
そう云うと、嬉々として悪魔召喚師が上体を起こす。
背筋の凍る言葉で、俺に微笑んだ。

「70階からも、君は追ってきてくれるかな?」

60・了
* あとがき*

…ライドウ、凶悪。
しかし、自分の為にどこまで相手が身体を張れるか…
それを試してみたいという気持ちは分かります。
人間の時のままに、善意が働く人修羅。
悪魔のままに、戦いに興じる人修羅。
人修羅が“自分の中の悪魔を利用してライドウを助けた“という事実に
ライドウは満足しているのです。
そして記録更新をしてみたいのです。