愛<憎

 

『愛と憎しみなら、どちらが強いと思います?』


人修羅
とはいえ元は人の子。
家族も居たろうし、あの年頃だ。
普通の学生として過ごしたのだろう。

傍にいつも居る、あのピクシーを見ていると
昔の己に付いていた悪魔を思い出す。


僕の出身は不明だ。
物心付いた時には葛葉の里に居た。
すでに存在していたのだ。

果たして女人の胎から生まれたのかすら怪しい。
影で狐の仔とか云われていた事も知っている。
だがそれは正直馬鹿げている、と当時思っていた。
人と、それ以外の合いの仔など存在し得ないと思っていたからだ。
悪魔を使役するくせに、嫌に現実的な僕は
おそらく可愛気など皆無に等しかった。


『夜様、そのように夜更かしされて大丈夫なのですか?』
翡翠色の甲冑。
銀糸の髪。
僕に幼い頃からあてがわれたのは
文献で見た西洋の騎士の其れ。
「リン、僕が呼んだ理由は分かっているだろう?」
『はあ、またですか』
「好きにさせるが1番の近道と何故分からないのだろうね、頭の凝り固まった連中だ」

僕はタム・リンと昔から一緒だった。
最初に与えられた管に、いきなり人間が入っていたのは驚いたが
それは人でなく悪魔、との事…
面倒見も良く、里の人間が元は使役していただけあって
生活から武芸まで、指南してもらった。
刀は専門外という事なので、武術は主に口頭だったが
偶に手合わせをさせた。

『良いのですか?どうせ明日も稽古をするでしょうに、っ』
本物を模した木槍で、僕の足ばかりを狙う。
彼は甘い。
正直大甘だ。
「分からない?」
『分かりますよ、気分転換ですよね』
木刀で、木槍で、打ち合う。
響く感触、音。
真夜中の庭に静かに響く。
涼しい空気は、修練場の陰鬱とした空気とは違う。
マグネタイトの供給が徐々にゆるやかになっていくと
彼は自然に体勢を解除する。
主人である僕の生体エネルギイは、彼に通じている。
お見通しというのも気分は良くないが、楽と云えば楽だ。


『帝都の学校に編入されるのでしょう?学業を疎かにしてはいないです?』
まるで本で読んだ<母親>の如く、タム・リンは言う。
「まさか、気になるなら見るがいいよ」
椅子に腰掛けたまま、折った紙を彼の方に飛ばす。
『あぁあぁ、折り曲げてしまって……』
「どう?」
しばし沈黙する彼。
僕はそのまま向きも変えずに返答を待つ。
『いえ、出来が良いのは承知の上でしたが…まさか全て満点とは』
杞憂でしたね、と微笑む彼。
見えていないが、いつもの流れならおそらくその表情。
編入予定の師範学校は、問題無い。
模試で全て満点なのだから。
「出席が足りずとも、学業に遅れをとるつもりはない」
『流石です』
「いよいよ襲名なんだ、そんな事で足を引っ張られたくは無いからな…」
帝都…
文献、噂で知るイメェジ。
色々な文化が入り混じる都。
「正直、見たことも無い都を護れだなんて無茶を云う」
『夜様、それは…』
「でもね、帝都自体に興味はあるんだ…」

<夜よ、そなたの両親など、おらぬ>
<そなたの父は里と思え>
<帝都は母なのだ>
<母を護れ夜よ>
<そなたは母に姿を見せても恥じぬよう、鍛えられなければならぬのだ>

そう、僕の母は帝都。
父の代わりに母を護る。
そう、当時は信じて疑わなかった…気がする。
多分、己に言い聞かせていた。

『しかし夜様、帝都は里とは違い誘惑も多い』
「色男に言われたくないな」
『それは…いえ、実際恥ずかしい過去ですが』
彼は多くの乙女と契約をしている男だ。
その男が誘惑も糞もあるものか、と鼻で笑ってしまった。
「知っているさ、人間の欲が深い場所だとは」
『此処でしか過ごされていないので、実は不安でして…』
「お前、僕が誘惑に負けるとでも?」
『…』
「心細くて衰弱するとでも?」
『いえ、想像も出来ません』
だろう?と納得させてしまえる辺り
僕は当時から本質はなにも変わっていない。

管に戻らせる際、タム・リンが聞いてきた。
『夜様、ひとつ聞いて頂きたい事が』
「なんだ」
『悪魔と人間は、違いがあるとお思いですか?』
難しい問だ。
あると云えばあるし、本質的には変わらない気がする。
多くの悪魔と接してきた僕に云わせれば
人間と悪魔の境目は正直無かった。
「そうだな、悪魔の方が聞き分けが良い」
『人は?』
「“はい”と答えておいて守らない」
それを言った途端、彼は表情を曇らせた。
『今、周りに目が無いので聞きますが…貴方は里が憎い…?』
時に単刀直入な彼の物言いは、案外悪くない。
「さあ…それしか知らないから、分からない」
知識だけは膨大なのに、それはあくまで知識、想像。
僕は里の修行と、帝都守護の洗脳の毎日だったので
“普通”の基準を考える事は止めていた。
『憎いものの為に、戦えるのですか?』
「どうだかね、愛と憎しみは紙一重だろう?」
愛憎、という言葉があるように。
それは表裏一体。
幼い頃から縛ってくる、里が憎いかもしれない。
幼い頃から育ててくれた、里を愛しているかもしれない。
<里を父と思え>
里の師範達の声が脳裏にこだまする。
(僕の父は…)
『では重ねてお聞きしますが、愛憎で強くなれますか?』
「情念があると、人間は発揮する力が変わるからね」
僕は、この時はまだ今ほどその感情を持ち合わせていない。
そしてこの後彼に言われた言葉が、未だに僕の深い処に焼き付いている。

『愛と憎しみなら、どちらが強いと思います?』

それは…
「それは、どういった意味で?」
『愛を以って他者を惹きつけるのと、憎しみを植え付け惹きつけるのと』
彼は、僕が返答する前にすぐさま言ってのけた。
『答えは<憎しみ>ですよ、夜様』
彼の奥底でくすぶる妖艶な笑みが、見える気がする。
悪魔め…
僕は哂って管に還したが、後日
彼の言葉を真に思い知る。


修練最終日の早朝。
独り、胴着を纏いつつ思う。
これで認められた時、僕は夜を捨てる。
(十四代目…)
帝都守護のサマナー、ライドウの襲名。
一体これだけの為に、何年間費やしてきたのだろう。
何を…育ててきたのだろう。


「夜、早く大広間にて挨拶をなさい」
「申し訳ありませんがお待ち下さい、管が足りないのです」
何度探しても無い。
タム・リンの管だけは、お目付け役との事で所持が許されているのだが
それが無い。

「ああ、それなら構いません」
知っているかのような、口調のヤタガラス。
「…説明をして頂けますか?」
持っていかれたか、と思い説明を要求したが流され
三本松の大広間に通された。

<今回の件、見事合格してみせよ>
「はっ…」
<勿論、駄目な折にはどうなるか分かっているな?>
確認のような三本松の言葉。
別に死ぬわけじゃないし…
廃人気味になるまで叱咤されて、また修行の日々だろう。
そんなの知っている。
「見事襲名してみせましょう」
<見えているからな>
「恥じぬよう尽力致します」
一礼して、大広間を後にする。
あの松の視線を背に感じる…
正直、気分が悪い。
早く離れたかった。

場を移し、修験場へ行くと
そこには既にお上達が連なり、座っていた。
緊張などしない質だが、これでは多少の失敗も槍玉にあげられるだろう。
そう感じ、内心舌打ちものだった。
「夜、其れを飲みなさい」
お神酒のようなそれと、並んで置いてある物に目が行く。
(真剣…)
今後は主に使用するのは刀なのだ、当然か。
今まで悪魔にしか振るわなかったそれを、今後は人にも振るうのか…
そう思うと、この機関の暗い部分が改めて心に映りこんでくる。
「失礼します」
お神酒に手をかけ、口をつける。
少し白く濁ったそれは、甘酒のようにも見える。
口内に広がり、嚥下しようとしたその時
「…」
そのままの姿勢で、止めてしまった。
(…毒)
間違いなく毒性の何かだった。
妙にヒリついてきた口と、記憶がそう察知させる。
「飲み下しなさい、夜」
容赦ない言葉が、響く。
カラスめ…
忌々しいが、そのまま嚥下した。
(取り寄せた、西洋の毒草か…)
悪魔の澱粉と称されるあれか。
死に至る事は無いが、ただ、苦しい。
徐々に息が詰まりそうになってくる。
「それでは、これより悪魔を相手にしてもらう」
「この、身体でですか?」
差し障りの無い程度に、聞いてやると
カラスが悪びれもせずに答える。
「対峙した悪魔の中に中和剤を入れてある」
「…」
「魔晶化させ、入れてある」
(悪趣味…)
「ついでに聞きますが、何が入っていたか分かりましたか?」
「悪魔の澱粉」
「大変宜しい…!授業の成果ですね」
(普通の学校は、毒草を教えても覚えさせはしないだろうに)
今なら同じくらいの事を平気で出来るが
当時、心底そう思った。

刀を持ち、指定の場所まで出る。
大戸が開かれると、悪魔の影がぼんやり映り込んだ。
僕は、ヤタガラスという機関が
憎くき、それでいて最も共感すべき存在だと今なら断言出来る。

其処に現れたのは、僕の騎士だった。
『いざ、参る』
操られては…いないようだな。
成る程…
これで、断念する輩も多いという事か。
昔から与えた管の悪魔を、最期に供物として捧げるのか。
…この里らしい。
苦しい息を整え、刀を握りなおす。
タム・リンは槍だ。
木槍では無い。
僕も刀だ。
木刀では無い。
打ち合う度、響く金音。
残響が修験場に木霊する。
それは僕と彼の庭では無い。

利き手を確実に狙う彼に、甘さは微塵も無かった。
苦しい所為か、刻が合わずに切っ先が相手を掠める。
手の甲を、槍がさぐる。
痛みに思わず刀を落としそうになるが、そのまま槍を空いた手で掴む。
その瞬間こちらを見た彼の眼は、殺気があった。
初めて殺気と殺気で結ばれた僕達は、きっと心の中で哂っていた。
今まで隠してきた部分が、吐露される。
刃の先から、相手に流れ込む。
優しかった彼の腹に、ずぶずぶと刀身を呑み込ませた。


引き裂いた胎内から、魔晶を取り出す。
悪魔の血?か何か分からぬそれに濡れる結晶を見る。
こんな物の為に、殺したのでは無い。
純粋に、戦いたかった。
悪魔の彼と、真剣な勝負をしたかった。
(殺しあう事が、あんなに情に溢れていたなんて…)
憎いから、では無い。

多分、僕の父はタム・リンだった。

里なんかでは無い。
魔晶を砕き、煽るように雫を飲み下す。
周囲のお上が感嘆か、畏怖か
どちらとも言えぬ歓声をあげた。
「十四代目、葛葉ライドウの誕生だ」
血濡れのデビルサマナーの誕生か…
タム・リンだった足元の其れを見て思う。
里の夜は、此処に置いていこう。
お前の中にライドウは居ない。
そこの記憶に眠るのは、ただの<紺野 夜>だ。
悪魔のお前に育てられた、ただの子だ…

タム・リンを殺した瞬間
かくして僕は<葛葉ライドウ>を襲名したのだ。



しかし、タム・リンが言っていた言葉は本物だった。
僕は、里に未だ縛られている。
里を愛していたら、何もそう思わない。
寧ろ、里の存在は薄いだろう。
だが、僕の心はあれから里への大きな想いによって惹き付けられている。

憎しみ

それが、表裏一体という事は知っている。
だが、愛なんかよりずっと濃く重い。
愛は飽くが、憎悪は続く。

人修羅を嬲る時、ふと脳裏を過ぎる言葉。
『愛と憎しみなら、どちらが強いと思います?』



間違いなく、今なら答えられる。


愛<憎・了
* あとがき*

タム・リンと夜の別れ、此処から夜のライドウとしての総てが始まった気もする。