雨病み



「遅い」
一言呟けば、椅子の脚に尾を絡ませたゴウトが鳴いた。
『お主が使い走りに出すのがいけないのだろうが』
やれやれ、と髭をくたり萎びさせ、黒猫は僕を見上げる。
「同時に終える算段だったのですがね、僕と人修羅と、それぞれの用件」
『アレは要領を得ておらぬだろうに、築土で精一杯だ』
「…少し見に参りましょう、雑魚に絡まれている可能性もありますからね」
迂闊な人修羅の事だ、脆弱な見目に群がられる事が今までもあった。
そのくせ、魔力の薫りは芳醇で、それでいて冷涼な空気をしている。
舌の肥えた悪魔は、灯蛾の如く骨身から惹き付けられるのだ。
『湿気ていかん…我は待機させてもらうぞ』
階段脇の遊び場の座布団に、ゴウトがひらり飛び移った。
ぽふり、とも反動の無いそれは、湿った音で圧迫される。
「ずっと其処に置かれては、黴が生じませぬか童子?」
『フン、人修羅が我の居らぬ晴天時に干しておるでな』
「ああ、確かに猫の手では運べませぬ」
自慢気に云う黒猫の鼻を挫く。
「その御身もそろそろ替え時では?黴が生えましょうぞ?ククッ」
『十四代目!』
まだ何か喚いていたが、僕は無視して下階まで歩みを進める。
壁際の窓が曇っている…いいや、単に天候が優れぬだけか。
梅雨の季節に入ると、童子の機嫌が悪くてしょうがない。
僕と居るだけで、そもそもあまり宜しく無いというのに。
「あ、ライドウ出かけんの?」
事務所の扉を横切ると、目敏く嗅ぎ付けてきた鳴海が扉越しに叫んできた。
僕も叫ぶという真似は御免だったので、軽く扉を開き答える。
「少し巡って参ります、そうかかりません」
「大丈夫?降りそうだぞ」
その指先は、相変わらず金閣寺を建造していた。
湿気て、着火すら困難であろうマッチ棒達。
「鳴海さん、礎石でも無ければ根から腐り落ちますよ…その金閣寺」
「雨の日ぁ面倒だよなー色々とさ、ま、お前も早く帰…ぉおっとお!」
じゃららと崩落したその結果を後目に、僕は哂って銀楼閣の出入り口に向かった。
開けば少し冷えた、それでいて喉奥まで侵入する湿り気。
学帽の下から見上げれば、薄く雷電が雲を掻い潜り踊っていた。
(確実に一雨来る)
背中の傷がしくりと先に泣いた、引きつる皮膚の感覚にそんな予感がした。



「もう帰ったんで無いですかね」
「金王屋の店主にも云われましたよ、用事は済ませて行った、と」
「御依頼された特殊鉛、結構重いし、あのお兄さん大丈夫ですかね?」
「大丈夫ですよ、そうヤワでも無い…」
それに、それしきの事で弱音を吐こうものなら、蹴り上げてやるところだ。
「失敬、もう少し捜してみますよ、有難う御座います」
学帽のつばを軽く掴み、挨拶を交わし次の候補へ。
特注の鉛弾を扱うこの店も、既に訪れていた様子。
此処に注文した弾を取りに、人修羅を遣わせた…筈だったのだが。
呉服屋、金王屋、鉄屋…
一人で持てぬ量でも無い。何処かで油でも売っているのか。
確かに、鉄屋だけはやや郊外ではあるが、あれが銀楼閣を出た時間を逆算すればやはりおかしい。
露草が花弁を艶やかに開いているのを、道端に見て思う。
この区域を出る前に、適当な場所を見繕うべきか…
  ぱた
軽くつばを叩かれる感触。
「ほら」
云わんこっちゃ無いだろう、と独りごち、石畳が色濃くなって往くその道を駆け始める。
鮮やかに濡れていく緑、此処は亜熱帯でも無い、通り雨とて長いだろう。
雨が学帽で奏でる拍子に急かされる様にして、視界に入った納屋を目的地にした。
少し荒れているが、ここいらでは個人の畑が、それこそあちこちに在る。
器具を仕舞って置く納屋は不可欠な存在なのだ。
扉の数歩手前、人知れず追従していたイヌガミが鳴いた。
『気配ハ無イ』
「御苦労」
しかしそれに安心し切る事も無く、内部を探りつつ、踏み入れた。
雨の所為か、ぼんやりと土と草の臭い。窓の向こうに紫陽花が咲き乱れていた。
「雨止みに小休憩としようか、イヌガミ」
『ドッチデモ構ワナイ』
「管にお戻り、この雨では動いているのはコロポックルくらいだろう」
あの葉の傘で、雨粒を意気揚々とはじき返す。そんな様を連想して哂った。
『ライドウハ、雨嫌イカ?』
首筋の襟を擦るイヌガミの鼻先、それを僕は指先で挫いた。
ゴウトには言葉で、この狗には直接。挫いてやるのは愉しいものだ。
「武器には良くないのでね、雨鞘も今は所持しておらぬ」
そう答え、鼻を鳴らすイヌガミを管に無理矢理戻してやった。
仕舞いこむホルスターさえ滑りが悪い。
窓際、いよいよ強くなってきた雨脚の音を聴きながら、動力農機具の傍を通る。
作物でも入れるのだろうか、積まれた木箱が空虚なまま点在している。
比較的綺麗なその木目を見て、ひとつに腰掛けた。
「嫌いでは無い」
少し濡れた学帽のつば、その先からゆったり滴る雨粒が落ちるのを眺めていた。
暗雲に暗くなる外の光が陰り、僕の姿と闇を同化させて往く。
硝子を伝う雨垂れの影が、納屋の中を水没させた。
(人修羅は、何処をほっつき歩いている…)
(早く鉛を寄越し給えよ、湿っては困る…)
薄く瞼を下ろし、苛立ちを払拭させる。冷えた空気は夜の様な雨空が運んでくるもの。
五月闇という奴だ。陰鬱な梅雨の空は暗い…暮れ頃手前だろうが、問答無用で闇に染める。
(止む気配が無い、雨脚が弱まり次第出るか)
濡れぬ事は諦め、屋根のトタンを叩く音に耳を澄ませた。
過去の音と連結する…伝う雨雫が、脳内の奥に落ちる。
(雨は…)



『どうされたのですか、そんなぐっしょりと…傘をお持ちにならなかったのですか?』
「もう使えん」
戸口に突っかけて、古びた土色の和傘を放った。
重力に逆らえず、倒れこんだそれは、ぼろぼろの傘布を展開した。
老朽化とは思えぬ大胆な穴達を見て、察したタム・リンが笑った。
『唐傘お化けにされてしまいましたか、夜様』
「笑ってんな、さっさと着替え持って来い…」
『はいはい、ふふふ、使役悪魔と謳ってみては如何でしょうか?そのお化け』
「煩いわ!」
候補生達に支給された地味な和傘は、雨の日の集いで僕のだけ壊された。
“雨がこんこん降っとるに?”
と、笑って僕を傘下から見る他の候補生。
“唐傘従えたデビルサマナーじゃ、あはは”
鮮明に思い出せる。
差そうが意味を成さぬそれを無表情に眺めて、僕は掴み持ち帰るのだ。
単に荷物と成るだけのそれを、どう説明して再び支給してもらえ、と?
惨めな説明を己の口から発するくらいならば、濡れ鼠で居た方がマシというものだ。
雨は、嫌いだった。

しかし、ただ一人の思いが天に通じる筈も無く。
そもそも信心深い訳ですら無いこの僕を、天は容赦無く濡らそうとしたのだ。
(一雨来る)
しかし、持つ傘も無い、持つ気も無い。
悪魔の知識を教わり、刀の扱いを指先に覚えさせた後…各々の住処に帰る候補生。
道場の外に出れば、案の定降っていた。
周囲の嗤い声が僕に刺さるのを、別に悲しいとも思わない。
そんな事でしか、貶める事が出来ないお前等なんざ…

『雨 雨 降れ 降れ 母さんがぁ〜』

何処か拍子の外れた声、高音が裏返るその歌声にぎょっとする周囲…と、僕。
『お迎えにあがりました、私の御主人様』
「何してん、お前…」
『蛇の目でお迎え嬉しいなぁ〜』
騎士のマントを少し濡らしつつ、深い緋色の蛇の目をくるくる回したタム・リン。
僕の前まで来て、雨樋の露をわざとその傘に受け止めて笑う。
弾かれた雨露は、周りの人間に飛沫と掛かる。
しかし、皆文句出来ない。この悪魔はこの里で、槍術を指南する師範でもあったからだ。
『唐傘お化けというものはね、こういうものでしょうに』
赤い傘布越しに、アギの焔でくるくると、指先の影絵で遊ぶ騎士。
その長い指先が、耳となり口先となった。
『アギだコン』
口を模った指先から、まるで焔の息。
「ひっ」
狐の影絵でクスクスと嗤うタム・リンに、蜘蛛の子を散らした様に雨の中を駆けて往く候補生達…
しとしと降るばかりの中、僕等だけが取り残された。
「…お前な、それ、僕に対する嫌味とも取れるけど、どうなん?」
『これは夜様、降り続く雨のなか木々の緑がいよいよ色濃くなり――』
「んな前置きはどうでも良いに、答えんかリン」
僕が狐と呼ばれる事を承知の上でか、この悪魔。
じろりと睨み上げてやれば、笑うままに僕の手を引いた。
『傘が破かれるのならば、私めがお迎えに傘をお持ちすれば良いだけの事』
上からの雨は、赤い天井で遮られて、僕は濡れない。
『あの小童共に、目付けは居りません、貴方様は特別扱いですからねえ』
「こういう要らん世話の所為で、目の仇にされるに…」
『見せ付けてやれば良いのですよ、いっそね』
ふふ、と微笑んで、しかしその笑みは意地が悪い。
『目立つ様、街より取り寄せた緋色の傘に御座いますよ?職人技ですねえ』
「…子供扱いだ、気分悪いわ」
濡れない…雨の度に、僕を迎えに来る、赤い蛇の目。
「でもなリン、お前の持つ位置が高い所為で、少し横から降られて敵わん」
ちくちくと文句すれば、僕を見下ろし快活に笑った。
『貴方様の背が低いからでしょう?』
「な…」
『ほら、早く追い抜いて、私の代わりに持てる様になって下さいな』
「そんなん、すぐだ、すぐ追い抜くわ…見ててみ?」
騎士の笑い、僕を茶化して回される傘。道脇の紫陽花達。
「…笑ってんじゃないリン!」
雨の度に、迎えに来い。
じわじわと追いつかれるその感覚に、失笑すれば良いのだ。
お前など、すぐに…



がたん

納屋を振動させた戸の開き。
即座に瞼を開き、腰のリボルバーを左に、右手を刀の柄に。
「誰がそんな風に教えた?立ち入る際の作法を」
苛立ちを滲ませ、低い音域で唱えてやる。
同時に一発銃弾を、その肩口に見舞ってやれば、くぐもった呻き。
「無用心にも一息に開くとは、余程自信があるのかな?クク……攻撃に反応すらしないで」
「っ痛……ぅ」
「ねえ、功刀君?何処で油を売っていた?」
よろめいて、風を防ぐようにしながら扉を閉めた人修羅。
横殴りの雨は、彼の大半を濡らしていた。
「この狂人…普通、入ってきた人間すぐに撃つかよ、っ」
「君と認識した上で放った」
「もっと性質悪ぃ…っ」
擬態を完全に解除して、悪魔の姿を暗い納屋に光らせた君。
と、その腕に何か見えた。
ばたばたと雨を零す…畳まれた、和傘。
「此処に僕が居る事、何故分かった?」
脚組みのまま問えば、肩から弾を引きずり出しつつ人修羅が答える。
「俺、一度銀楼閣に戻ったら…鳴海さんにあんたが出てった事、聞かされて…」
「戻った?」
「ああ、受け取った荷物は部屋に置いておいた」
「そうで無く、何故一度帰還したのか聞いている」
君の仏頂面が、更に曇る。傘の先を床に垂らして、己の総身と共に水を掃う。
「雲行き怪しかったから、せ、洗濯物を…」
洗濯物だと?呆れた…
思わず失笑すれば、憤慨したらしい人修羅が、僕に蛇の目を突きつける。
地味な色目、若草に近い色。銀楼閣に置いてある物だった。
「あんたの外套の替えだとか、鳴海さんのスーツは上物だから濡らしたくないんだよ」
「君が家事に勤しんでいるのはよく理解したが、何故此処に来たのだい」
「え…っ、それは、鳴海さんが…」
差し向けられた傘が力無く垂れる。君の声音もか細くなる。
「俺を捜しに出たみたいだとか云って…雨降るだろうから、って云うから」
腑に落ちない、みたいに云う。そんな君が見ていて苛々するね。
「よく判ったねえ?こんな目立たぬ人様の納屋だと云うに」
「雨だから、却って他の悪魔の気配が消えてた」
視線を逸らしつつ、傘の柄を僕に投げる様に明け渡す人修羅。
「俺を捜しに出た先で、風邪ひかれたらバツが悪いし…あんたに後々ネチネチ云われそうだったからだ」
「迎えに来たつもり?」
鼻で笑って、ずっと子供が如く云い訳を作る君を見下ろした。
濡れた黒髪の匂い…君特有の、瑞々しいそれ。
「ねえ、傘、何故ひとつなのだい?」
聞いてみれば、ぎょっとして己の腕先を確認する人修羅。
今気付いたのか?確信的とは思えない。僕と肩を寄せ合うなぞ、君にとっては拷問だろうから。
「く……っそ、しくじった」
吐き出しつつ溜め息の君を、僕は哂いながら…窓の外の紫陽花を見た。



「雨が降らぬと水不足と嘆き、多い梅雨には雨量に嘆く…人間は我侭だ、フフ」
「そういうもんだろ…」
「全知全能の神が、その辺の帳尻合わせを何故しないか、知っている?」
「知るか」
「雨乞いされる神の、立つ瀬が無くなってしまうからさ」
傘の下、昔、タム・リンが笑いながら話した妄言を人修羅に聞かせてみる。
すると君は、持つ傘をほんの少し震わせた。
「何だそれ、神様のご近所付き合いかよ、下らない…」
「おや?嗤っているが功刀君、存外そういうものさ」
君の持つ傘の背は、低い。僕の学帽を幽かに叩く。
「必要とされなくなった神は御祓箱、九十九神にも等しい悪魔達が反旗を翻すよ?」
「俺には関係無い」
「どうかな?フフ…雨宿りに居座るケテル城とて、意義が有るから貸しているのだろう…城主はね」
人修羅の瞳が、陰鬱な蔭りを見せる。堕天使の話を出すと、すぐこれだ。
雨にぬらりと光る地面。街路のガス灯の光が燻っている。
「母さんが…迎えに来てくれていたのは、俺が幼かったからだ」
ぽつり、と、周囲の雨音に消えそうな声で人修羅が零す。
「もう、迎えは来ない…だから、雨があがるまで、息を潜めて居るだけだ…好きで居る訳無い」
「そうさ、もう迎えに来る事は無い。今はただ、待つだけ…」
丑込め返り橋に差し掛かり、ぎしりと板の音を鳴らし始める。
この雨に、人は居ない。そう、人は。
「僕が持とう」
哂いつつ、それだけを耳元で呟き、人修羅の冷えた指先から傘の柄を奪った。
向かいから歩み来る、人影とすれ違う。傘も差さぬその影に、君の眼が光る。
射抜くかの様に見据えれば、瞬間発火する影。
黒い灰を撒き散らし、雨を蒸発させ続けるその肉は、悪魔。
橋で対面した際に、すでに殺気を放っていた…ラクシャーサだ。
腕を振り抜き、小袖に焔が付かぬ様、人修羅がたたらを踏む。
「雨で鎮火する程しょぼい焔だと思ってんのか、あんた」
薄っすらと雨露に金色を滲ませて、空に月は無いのに、其処に在る。
「見縊んじゃねえよ…ライドウ」
しかし濡れるのは嫌なのか、僕の傍から離れぬまま睨み上げてくる。
「駒を動かす為には、戦い易い環境を作る事から、だろう?」
黒く炭化して蠢くままのラクシャーサを、人修羅の眼を見つめるまま僕のヒールで蹴り飛ばす。
一瞬縋ったその悪魔。しかし、脇からのもう一撃が決まり見事に橋下へと落下していった。
「あんたの気遣いなんて、そんな理由でしか在り得ないもんな…!」
苛立ちを隠す気などさらさら無い人修羅が、追撃した脚を引っ込ませ怒鳴った。
「あんたに主導権握られてるの、不可抗力だけど腹立たしいんだ、貸せ」
濁流に飲まれ逝くラクシャーサなど、居なかったかの様に君は僕に怒る。
奪われそうになった傘をすい、と上に掲げ、鼻で笑ってやる。
「君が持つと頭に当たる、学帽がへこんでしまうよ」
「な…っ」
赤面し、羞恥に頬を引き攣らせながら。
「あんたは老いるんだ…いつか絶対、俺に抜かれる」
悪魔の自身を肯定するその台詞。誰もまだ身長の事とは云っておらぬのに。
「フフッ…それまで僕の御機嫌でも窺いつつ、傘下に入って居るが良いさ」
「いつか雨が止んだら、ぶっとばす」
「母は来ずとも、天使の迎えでも来てくれるだろうさ…それまでは君の上に、幾度でも掲げてあげる」
少しぶつかり合う肩。僕に合わせて急かされている歩幅。
「それまでは、あんたが持っててくれるのか…」
どうして縋ってくる、僕の傘に入り続ける。
理由はひとつ、己の野望の為、ただ、それだけ。
濡らさぬは、焔を絶やさぬ為。
「雨は、嫌いだ…洗濯物も乾かないし、バイクはギシつくし、電車は混むし」
文句ばかりの人間ぶった君が、俯いて続けた。

「…なあ、あんた、俺をどうして捜してた」

突然の矛先に、僕は即答せずに黙した。
いい加減間が開いたその時。前方の家屋から、あの歌が聴こえてきた。
 あめ あめ ふれ ふれ かあさんがー
軒下、鮮やかな緑と共に濡れる紫陽花達。
吊るされる、てるてる坊主がしっとり揺れていた。
 あーしたてんきにしておくれー
繋げられた他の歌、それは晴天を願う祝詞。
童女の声は、天すら赦しそうな、ささやかな…
(明日、晴れるだろうか)
迎えに来る蛇の目が消えたあの日。
雨上がり、ライドウとして地盤が整い、日の目を見る事となった僕に…
迎えは不要となった。
今なら追い抜いたであろうこの手に、傘を持つ事も叶わず…
晴天がすべて、僕のすべてを…
「何してんだ…ライドウ!!」
傘を片手に、空いた手には愛銃を。
立ち上る硝煙が、傘の天に暗雲が如く渦巻いた。
首から千切れたてるてる坊主が、恨めしげに揺れていた。
「お前、人の作った物に…!それも家屋に向けて発砲するなんて」
「ライドウ失格かい?この程度赦して欲しいものだがねぇ?先日の帝都における害虫駆除だってしっかりこなしたろう?」
「関係無いだろ!あそこに丁度子供が居たらどうするつもりだったんだ」
「あの民家が雨に歌う今とて、僕がもたらした平穏だろうが」
嗚呼…雲間よ、広がるな。僕の傷口が開く。
「帝都の雨が止めば、ヤタガラスも不要だろう?それこそ怨霊と化すかもしれぬねぇ?ククク」
「おい…っ、帝都守護してんじゃなかったのかよ、あんた」
「雨は好きだよ、僕を生き生きさせてくれる」
ホルスターにするりと納め、襟を引っ掴んできた君を蹴り飛ばした。
街路に向けて傘を広げ、狐の影絵を。
悲鳴を抑えた君の首筋に、刀の切っ先を突き立てて。
「そんなに君は青空が恋しいか」
飛沫が、傘布を濡らす。雨に溶け出すそれを眺めつつ、哂って捨てた。
好きだった緋色の蛇の目に姿を変えた…君の血で。
「独りで差してい給え」
雨の中、喉を押さえた君が湿った叫びをあげていた気がする。
答えを聞いていない、と。

(答えなぞ決まっている、君が消えては困るだけ)

「ライドウ…?あれ、矢代君と会わなかったか…?」
「彼は彼で用事があったそうで、少し遅れ参るでしょう」
適当な答えなら、すぐ口を突いて出る。
怪訝な顔の鳴海は、指先にマッチ棒では無い。
括った丸い頭をきゅ、と紐で締めて、よし、と微笑んでいる。
「お前も吊るすか?自分の部屋にさ…ほら、よっ」
ぱしり、と濡れた重い外套を払って、それを受け止めた。
「有難う御座います」
握り締める指先が震えるのを、外套の下に隠す。
余計な詮索が飛んで来ぬ内に、足早に己の部屋に帰還した。
机に一直線に齧りつき、万年筆の隣の細筆を指にした。
雨で更に広がる炭の匂いは、先刻炭にされた悪魔にも似た匂い。
「雨で何が悪い…」
白い能面に、悪魔の君の斑紋を描く。顔を描かれたてるてる坊主は、雨を招くと何処かで聞いた。
「そんなにも晴天が待ち遠しいのか」
手の中の、君の首を…絞める。
「ねえ…そんなに雨止みは、嫌?」
僕からすべてを奪う晴れ間が憎い。
あの頃、頭上に翳された赤い天井が、僕に赦された空だった。
万人を照らす筈の日光は、他人の影で一部の人間には届かぬのだ。
君が迎えに来て、手にされた傘を見て、僕が胸を掻き乱された事を…
ねえ、君は知らぬだろう?

 てるてる坊主 てる坊主
 あした天気に しておくれ
 それでも曇って 泣いたなら
 そなたの首を チョンと切るぞ

絞めあげた手の内の、君の首を刎ねた。
晴れにされる前に、刎ねておけば良いだけの事。
ずっと僕の傘下で、雨止みを。
ずっと…雨病みを…

窓の外、五月闇が薫った。


雨病み・了
* あとがき*

晴れが好きなら勝手にしろ、と。口では云っているが、論点が其処では無い事は承知しているライドウ。
一瞬甘えかけた人修羅を突き放す。

天気悪い話ばかりですね。雨止みとかけてます、雨病み。
五月闇は夏の季語、梅雨の頃の暗い空模様の事。
実は拍手御礼SSとして、一時期出していた話です。リサイクル御免。