恋煩いとはよく云ったもので、考えない様にと意識するほど深みにはまる。
 事もあろうに、俺は学友それも男に焦がれている。彼は月に一度か二度姿を見せればましという、圧倒的な不登校生。その希少性が逆に人目を引くのか、更には容姿も相俟って、訪れの際には空気が変わる。まさか女学生と帰路ではしゃぐ訳にもいかず、かといって男連中に気持ちを吐露する訳にもいかず。俺は黙って、焼き付けたあの見目を大事に包んで部屋に帰ると、間髪入れずに自慰に耽った。
 野郎の裸なんか全く興奮しないのに。彼の裸を知らずとも、いや下手すれば彼の眼差しだけで達しそうな高揚感を得た。
 あの冷たい視線は、こんな事をしている俺を軽蔑するだろうな。欲がひとしきり抜けた頭で、ぼうっと天井を眺め夢想する。染みのひとつでさえ、彼の横顔に見えてきた。真正面からまじまじと眺めた事なんて無いから、そのせいだろう。


 いよいよ身心共に蝕まれている事を自覚し始め、俺は神仏でなく人間の術に頼る事にした。
 神の声など聴こえる筈も無い、それなら人間のオッカルトを信じた方が、まだ脈有りと感じたからだ。
 不登校より不良じみた事を繰り返した、怪しい場所に出入りし、魔術の有識者が集うバーにも何度か行った。
 宗教を紹介される事も有ったが、それは俺の目的を無視するだろうから却下。俺の願いは酷く陳腐で、そこらの少女向け叢話に出てくるようなものだ。恋焦がれる相手をモノにしたい、ただそれだけ。だが俺は臆病なので、せめて形だけでも、それが一時的でも、いっそ真似事でも良かった。
 とある日「彼の生霊でも良い」と嘆いたところ、一人の男を紹介された。
 学生服でもないのに、全身真っ黒の装束姿。年齢不詳なそいつは「手助けになろう」と、ある日時を指定してきた。それが日中でさえ人気の無い場所なので、刺されたりはしないだろうかと内心怯えつつ向かってみれば。刺されはしなかったものの、射抜かれた心地になり俺は勝手に腰を抜かした。
 装束男が、まさかあの彼を連れていたのだ、葛葉を。
 おぼつかぬ脚でようやく立ち、事情を聴いた。厳密に云えば、此処に居る葛葉は葛葉ではないらしい。確かに、涼し気な目元はそのままだが、そこに感情の色は無かった。
「生霊とも違うが形はほぼ同じ、アンタにやろう」
「一体どういう術を……って、俺はどれだけの対価を払えば?」
「まあまあ、これも実験段階だから君は被験者といった所で、頂戴するのは感想だけで結構」
「普通の人間と同じ構造なんですか、この……葛葉君」
「飲み食いはせん、生理現象も無い、本当に只の人形だ」
「感情とか、個人の意思みたいなモンは持っているんですか?」
「殆ど無いと推測しているが、まぁそこもアンタが実際確かめてくれたら良い」
 実験と称する事からして、コレは恐らく作り物なのだろう。
「来週、また此処に来て欲しい」
「その日はこの葛葉君はどうすれば……連れて来ますか」
「まあ持って≠ュる事になるだろうな」
「持って? 自力で移動出来ない状態になるとか、そういう事で?」
「枯れて萎んでしまうんだよ、だいたい七日間の命さぁ」
 まるで切り花の様な云い草だ、言葉からは想像も出来ないが心構えておこう。
 さてたった一週間の命と知れば、悠長にしてられまい。街路を往く今だって、追従してくる学友(の贋物)にうっかり見とれてしまいそうだ。もし万が一、本人と出くわせばどうなる事やら。
 色々噂には聞いているが、葛葉は探偵見習いであり荒事には慣れっこというそうだから、厄介事になれば俺の身が持たないだろう。
 春先というのに、どこか寒気を覚えながら自宅に着いた。庭師の親父は現場回り、お袋は離れた畑の面倒をみている。用事もなければ畑の手伝いに行くところだが、ここ最近すっかり食も細くなった俺は逆に気遣われ、養生するよう云われていた。上の姉はとっくに嫁いで、祖父母も早くに他界している。
 無意味に広い家の中、俺は葛葉を家に上げた。彼の靴はどうして貰おうか迷ったが、ひとまず隠しておけば良いだろうと靴箱に突っ込む。書生の履く革靴にそう差など無いだろうし、と思ったが幾分か葛葉の靴が上質に見える。ボタンブーツというやつか、よくよく見れば少し高めのヒールだ、元々長身だろうに何故こんな。しかし女性のヒールパンプスよりも頑丈そうで、安定感は有りそうだ。
 そういえばこの靴も贋物なんだろうか、じゃあこの外套は、帽子は、学生服は……
 考えた所で判明しない、思い切って偽葛葉の指を掴んで引っ張ってみた。冷たくも温かくも無い指は、握り返す事もしてこない。自室に籠もり、剣道の竹刀をつっかえ棒にする事で簡易鍵とした。
 無心無言の偽葛葉、棒立ちで俺を見つめるその姿、学校で見かける彼とは当然別物。
 本物は常に薄い壁を纏っているのだが、この贋物は空気と一体化しそうなほどの無防備。
「なあ、とりあえず座れば……」
 声を掛けたが、理解していないのか無反応。冷たいだけで棘も毒も無い、そんな虚ろ眼で俺を捉えるだけ。
 話しかけても無駄かな、と思いつつ、冷静になろうとすれば却って欲望が目立ち始める。
 彼の帽子のつばを掴み、そっと持ち上げてみた。さっきの革靴と同じく、違和感は無い。学校では殆ど見る事の無い黒髪が、松葉の先ほど額を零れた。落ちた帽子が畳を叩く音がする。
 外套の前留めを外し、毟ってみた。中はどこにでもあるような立ち襟シャツと、ベルトさえ通っていないスラックスだ。弓月の君の制服とも少々違ういでたちに、これが私服である錯覚を抱く。
 たまらず唇に吸い付いた、温度は無いが少しばかりの湿度を感じる、それとも俺の唾液か。息はしているのか、確認ついでに舌を挿し込む、息吹は感じられない。
 ああ、本当に只の容れ物なんだな、聞いてはいたが軽く落胆した。それでもこんな精巧な、職人の手掛ける蝋人形にも劣らぬ生き写し、堪能出来る事自体、奇蹟じゃないか。
 端に寄せてあった布団を雑に広げ、裸に剥いた偽葛葉を転がす。
 本人と全く同じか定かでないが、俺が夢想していたままに美しく、しなやかな筋肉と白い末端で構築されていた。
「葛葉」
 呼んでみたが、やはり無反応。名前を出すだけ虚しくなるので、無言のまま肌を撫でまわす。
 許可も無しに無体をはたらけるのは、贋物だから可能なんだ、自分に云い聞かせる。
 血が通っていないのか、偽葛葉の一物はくったりと垂れている。水を与えて元気が出るのなら、してやりたい。植物でもあるまい、と一人失笑すると、一瞬だけこの贋物が視線を寄越してきた気がする。
 しばし抱き竦め、自分のぬくもりが相手に移った頃には俺の一物が活き活きしている始末。
 仰向けで宙を見つめる彼の下肢に、おそるおそる指を伸ばした。やや足を開かせ、双丘の狭間にぐっと押し込む。と、此処で初めて想定外な壁にぶつかる、本当に壁だ。窄まリを辿ったのに、開いていない、排泄器官が無いのだ。
 全て形だけなのか、返事が無い事とは段違いの落胆を感じ、直後己の煩悩にも落胆した。突っ込む事さえ出来れば、贋物であっても構わないと思っていたのだから、どうしようもない。
「おやすみ、葛葉」
 俺は一気に萎えてしまったので、逆回しの様に服を着せてやった。
 俺が居る間は窓辺の、日当たりの良い所に座らせてやり。俺が不在の間は、申し訳ないと思いつつ納戸に隠した。
 翌日も同じように、ただ撫でまわすだけで終わった。俺も妙な虚しさは薄れ、同じ形の彼を愛でられる至福に酔った。葛葉でなく人形なのだから、応えないのも穴が無いのも当然だ。
 
 
 今日は薄曇り、桜も蕾のまま。そろそろ咲いても良い頃なのに、誰も話題にすらしない。
「よう、具合でも悪いのか、ってお前最近ずっとその調子だっけ」
 同じクラスの学友が、背後から肩を叩いてきた。声で誰かは判る、別に人付き合いは悪くないんだ。
「なあ、先行き不安なのかお前」
「いや気楽なもんだよ、親父を継げば良いだけだし」
「はは、眠いだけってか? そうだ目の覚める一報くれてやるぜ、今日来てるぞ葛葉の奴」
「えっ」
「珍獣のおでましときた。雲行きも怪しいし、こりゃ降るかな」
 笑って離れ往く学友に詳細を訊く事も出来ず、この後教室に入る事がどこか恐ろしくあった。
 考えるな、いつも通りに過ごせば良いだけだろう。葛葉は誰かに自発的に話しかける事はしないし、俺から挨拶した事も無い。
 湿気のせいか、どこか引っ掛かる扉を開けて教室に一歩入る。
 ああ、予測通り空気が違う。教室内、殆どの人間が葛葉を意識している。葛葉でなくても、滅多に訪れない人間が居れば自然とそうなるだろう。ただ葛葉なんだ、それだけで数倍増し、関わりたいと思わずとも目を引かれるに決まっている。
 俺は平静を装って自分の席に向かい、机に鞄を置くとまず深呼吸。葛葉の席は横四つ先だから、真横を向かなければ大丈夫。いや、何が大丈夫なんだろうか。彼のたまの登校、いつもはあんなに心待ちにしているっていうのに俺は。
 そうだ一瞬、ただ一目だけでいい、俺が余計な事を考えるその前に目を逸らせば……
 窓越しの景色を眺める振りで、ゆっくりと自分の肩口に視線を移していく。途端「えっ」と声を上げそうになった。葛葉と目が合った、というか俺を見ていたのだから。
 ここ数日、夜毎彼の贋物にしてきた事が、ぶわっと水中の砂の様に巻き上がった。ざらざらどろどろした砂嵐が脳内に吹き荒れ、込み上げてきた俺は咄嗟に席を立つ。椅子を引っ繰り返したが構わず廊下に躍り出る、水道の設置された端まで脇目もふらず駆けた。
「ぅえッ」
 顎を伝うのは胃液だけだ、朝は食べていなかった。何故なら食べる時間を省いて、偽葛葉の手入れをしていたから。
 蛇口を捻り、溢れる水を手の椀で掬っては口を濯ぎ、熱くなっている顔にもばしゃりと打った。俯いたまま暫く茫然としていると、流れ落ちる水が止んだ。
「君、人の顔を見て吐き気を催したのかい」
 水どころか、呼吸が止まった。視界の端、蛇口のカランに指を絡める男が居た。
 声で判る……葛葉、本物だ。
「失礼な奴」
 声音に憤りは感じないが、そんな問題ではない、寧ろ怒ってくれていた方がましだ。
 なかなか顔を上げない俺に痺れを切らし、叱責でもしないかと思ったが、なんと降ってきたのは笑い声。続いて詰襟の後ろをグイと掴まれ、無理矢理上体を起こされ、葛葉と顔を突き合わす姿勢になった。
「ククッ、皆、僕を幽鬼でも見る様な態度だからね、君の様に露骨な奴は久々さ」
 声も顔も凄く近い、こんな間近に見た事があったろうか。暗い双眸を、艶やかな黒髪を、廊下にまろむ自然光が薄く滑る。間違いなく生気が有る、この男が幽鬼なものか。
「わ、悪ぃ」
「怒ってないよ。それとも、僕の背後に何かついていた?」
「いいや何も、何もない、丁度そっちを見た時に、具合悪いのはここ最近……」
「窓の外は桜が有るだろう、また首吊りでも目撃されたのかと思ったよ」
 そんな話題を、どうして淫靡な笑みで云う。淫靡、そう視えているのは、俺だけか。
 ぱっと放され「辛いならそのままサボタージュすれば?」とだけ云い残し、葛葉は去った。そうだ、このまま消えても話は通るだろう、鞄の中には文具と教本くらいしか入っていない……取りに戻る必要も無い。今、葛葉の居る教室に戻れば、発狂しそうだった。
 脱兎の如く駆け出し、電車の中では石像の如く不動、駅から家へ向かう間は憶えていない、雨は降っていた気がする。家に到着するなり自室へ逃げ込む。納戸の中の贋物を、濡れ鼠のまま掻き抱いた。
 俺の眼からは、何故か涙が溢れていた、カランも無いので止めようもない。


 家の一番近い学友に体調不良の為、数日経過をみる≠ニの言伝を学校に届けてもらった。
 そして俺は何をしているかというと、親の居ぬ間に人形を愛でていた。
 贋物とはいえ、改めて見れば本当によく出来ていると思った、本物をしっかり見た今なら比較出来る。そして少しの細工で、本物に近づける術も編み出した。
 目薬を注してやる、そうすると潤んで今にも瞬きしそうな眼になる。
 頬にほんの少しだけ、朱を入れてやる、姉の残していった化粧道具が棚に有るので、それを拝借した。本物は陶器の様な白さを誇っていたが、流石に血色は見えた。これの有無でだいぶ違う、人間っぽさが増す。
 それと決定打は、香木の様な匂い。俺の親は「扇子の香りが弱くなってきた」と云っては香を焚き染めて、よく香りを補填していた。それとほぼ同じ匂い、つまり白檀だと思う。
「でも少しだけ違うんだよな」
 部屋いっぱいに白檀が漂い、もはや偽葛葉の匂いという感じでもなくなってしまった。今度は納戸に寝かせて、そこで焚き染めてみようか。俺じゃなくて、こいつからだけ匂わなくちゃ意味が無い。
 あと三日間か……枯れ萎むなんて、本当だろうか。今のところ、そんな気配は無い。日なたでいっぱい寝かせた直後なんかは、まるで本当の人肌の様に温まっていて、抱擁の度にうっとりした。もみあげが時折ちくりと肌を刺すのも愛おしく、返ってこない口づけを幾度も角度を変えてお見舞いした。
 ある晩、突っ込めるのならば何処でも良いと、布団に仰向けに寝かせた偽葛葉の唇を指で思い切り開かせ、自分の愚息を突っ込んでみた。咥内は湿り気が有り、舌も具わっているのでかなりリアルだ。リアルといっても、他の人間にしゃぶってもらった事なんか無い。でも、それで良かったのかもしれない、本物だと錯覚出来るから、今の俺が知る口淫はこれだけで良い。しかし口を漱ぐという細かい動作が贋物には出来ない様で、口内射精は一度で懲りた。


 一週間前に落ち合った場所に来た、装束は時刻ちょうどに訪れた。俺はといえば、一時間以上前から突っ立っていた、たぶん腑抜けたツラで。
「云ってた通り、枯れたろう?」
 開口一番そう云われ、心が返事を拒絶した。だがこれは研究も兼ねているそうだから、問いには答えないといけない。重い口を無理矢理開き、結果報告した。
「これだけの大きさになりました」
 抱えていた風呂敷の結び目を開く。偽葛葉が着ていた衣服は畳まれ、その上に小さな人形が有る、乾いた植物の根の様に、彩度も重量も無かった。辛うじて人型と分かるソレの正体は、俺が先日まで愛でていた贋物の葛葉だ。
「まあ、大方想像通りって所だな」
「一週間とはいえ、いい夢見させてもらいました」
 今朝、目覚めたらこうなっていた。押入れを開けた時、思わず小さく悲鳴した。一体いつ、どの瞬間にこうなった。直前まで傍に置いて、いっそ添い寝させれば良かったか。いや、隣で萎みゆく姿を見てしまっては俺が病みそうだ。それとも、もう病んでいるのか?
「礼には及ばん、しかしその木乃伊は返して貰おう、利用価値が有るからな」
「ああ、あとこれ……彼が着ていた服と帽子と靴、流石にこの辺は本物だったんですね」
 風呂敷と靴の入った手提げを差し出せば、装束男は肩を揺らした。
「そうそう、この靴なんかは相違無い型を用意したんだよな。木偶の様に見えて本物と歩行癖が同じなのか、下駄や草履じゃカックンカックンした歩き方になるんだよ。本物は裸足だろうがそうはならんのに、おかしなもんだよ。さてアンタ、着せ替え人形は好きかね」
「え?」
「いやね、着せ替えを愉しみたいのなら、まだアンタが持っていたら良い」
 笑いながら云う装束の背後から、もう一人現われた。同じ様な黒装束を纏っていて、正体も分からない、事前に聞いて無い。警戒に一歩後ずさる俺をよそに、装束男が笑う。
「そいつの頭巾を払ってみろ」
 期待と不安なら、前者が勝っていたかもしれない。息を呑んで、もう一人の装束のフードを払った。そこには葛葉と同じ顔が有った。
「もう一週間どうぞ。ああ、その持ってきた靴は此処で履かせてやんな」
 装束男は笑っていた。俺は彼の魂胆など、もはやどうでも良かった。


 残された約一週間をどうやって共に過ごすか、そればかり考えた。
 怪しまれないよう、学校には行ったフリですぐ舞い戻り、親の居ぬ間に散々愉しんだ。
 最初に着ていた服より、やはり弓月の君の制服がそそるので、俺の制服を着せてみたりもした。少し足首が覗いてしまうが、一見それほどの違和感は無い。俺と葛葉とそう背丈は変わらん筈なのに、脚の長さが違うときた。
 今回は初日からひたすら細工し、呼び掛け続け、濃密な接触をした。緩慢だが、姿勢を維持する程度の生物らしさは見せるので、体勢を工夫しては偽葛葉を愛撫した。しかしどうしても俺の脳内が先走るので、振り落とされた現実を上から見下ろす形になって、次第に熱は冷めていく。其処にぽつんと転がる葛葉(の贋物)をどうして此方に向かせようか、没入を高める術ばかり考えて過ごした。
 此方を見ていない事が気になるのなら、いっそ隠してしまえばどうだ。薄手の手拭いを細く畳み、偽葛葉の目元を一周巻くと、後頭部できゅっと結んだ。目元が見えなくなった彼は、俺の予想通り現実味を増す。ただ、本物ならこんな状況すぐ打破するのだろうな、と再び白けた風が吹く。では打破出来ない状況にすればどうだ?
 着せた制服の上から、荒縄を巻いてみた。縄なら納屋に幾らでも有るので困らなかったが、緊縛なんか当然未経験なので、ただただ想像で施した。ポルノ誌に見かける亀甲の様ないかにも≠ネ形にはならず、俺の縛った偽葛葉はそれこそ庭木の様だった。結び目が目立ち過ぎる、イボ結びより垣根結びの方が良いだろうか、後ろ手に結んでみたら誤魔化せるか。
 試行錯誤の結果とはいえ、あられもない物が出来上がった。偽葛葉は口に縄で轡をされ、折り畳まれた脚は固定され、背に回された腕はがっちり巻き上げられ、そこから一本縄が手綱の様に伸びており、それを俺が掴んでいた。
 そんな姿の偽葛葉を納戸に転がして、戸を閉めてみる。隙間から手綱だけを逃して、まるで生命線か導火線の様に。
 そうだ、葛葉はこれくらいしないと、すぐ逃げるんだ。数日前のあの笑みを見ただろう、ともすれば高慢の様に見える形振り、周囲の視線に気付きつつも崩れぬ態度、溢れ出る自信と色香。飼い慣らせるモンじゃない、きっと本物を手に入れても、こうして監禁する他無いだろうな……
 その晩は手綱を自分の陰茎に結び、擦りながら果てた。納戸の中に閉じ込めた彼を思いながら、笑い出しそうな口を精一杯結んで、布団にのたうちまわった。


 あと二日程度か……と、窓外の緑をぼんやり眺め、考えていた。
 偽葛葉は丸一日、縛ったままでも呻きひとつ上げない。試しにきつく絞めてみたが、痙攣ひとつ起こさない。人間の赤子みたいに、段々感情が出てくるかと期待もしたが、そんな気配も無く。自分の股座に偽葛葉の頭を掴み寄せしゃぶらせた方が手っ取り早いと、俺の情緒も欠けてきた。
 ふと彼の頬を見ると、轡の縄で傷付いたと思わしき痕が有る。一瞬どきりとして、指で軽く拭ってみたが血は付いてこない。痕とはいうが、人間の傷とは具合が違った。擦れた部分から覗くのは、なんともいえない肉色だ。薄い薄い、白に近い紅梅色した薔薇の、花弁の根本の様なそんな色。枯れて萎んで木乃伊になるとしたら、やはり植物に近いんだろうか。
 植物は身近な存在だ、親父の仕事柄、庭木は常に整えられていたし、そうなるには人間の手が必要な事も知っていた。野生の賑わいと違い、庭木は人間の欲望で出来た樹が並んでいるんだ。自然のままに植わっていると幼い頃は勘違いしていたから、想像以上に人間の手の入った物だと知って、少し哀しんだ気がする。盆栽なんか最たるもので、どうしてあんな奇形を作りたがるのか、植物が本当に好きなんだろうかと理解に苦しんだ。
「なあ、葛葉……痛くない?」
 苦しみは納得に変わった、俺の中で何かが発芽した様に。
 幹の形を思いのままにする為に、針金を巻く訳だ。縄を解いてやった偽葛葉の幹を、針金で……
「あぁ、お前のっ……でかいよなァ、中に水パンパンに詰めてやりたい」
 雁字搦めで、無理矢理勃たせた偽葛葉のソレに俺のブツをゴシゴシ擦り付けた。もう殆ど針金の摩擦だったが、金属の隙間に埋まる肉塊が情欲を煽った。
 突き立てたい、その衝動が抑えられなくなってきた。擦りつけたり挟むだけじゃ違う、包んで欲しいんだ葛葉。冷たく匂い立つその姿、果たして中の肉は熱いのか知りたい。もう時間が無いんだ、迷ってなどいられない。
 文机の引き出しから肥後守を取り、剥き出しにした刃を偽葛葉の股座に向けた。両脚を片腕で押さえ上げ、おしめでも替えるみたいな体勢。夕暮れ時の陽が、袋の下から尻の谷間までを照らす。其処へ一息に、刃を突き入れた、刺した側である俺が奥歯を噛み締めて。
 じっと見つめていたが、赤い液体は滲まない。ゆっくり抜けば、肥後守はしっとりと鈍く刃を光らせていた。脂汚れのひとつも、鉄錆のツンとする臭いも無い。刺し傷を確認すれば、其処ははっきりと割れ、痕に残っていた。肥後守を畳んで放り、今度は指をゆっくり挿してみる。中指、続いて人差し指……そのまま二本を広げて、裂け目を覗きこむ。自分の喉でハッと呼気が鳴り、俺は軽く身を引いた。肉の中は、ほんのり上気した白肌の様な色味で、無数の粒が連なる壁が見える。昔見た水晶柘榴の様だ、無色透明な蜜の甘い果実。ずるりと抜き取った指を舐めてみれば、本当に甘い。
 俺は自分の息づかいが、まるで耳鳴りの様に煩かった。心臓の音も煩い、俺のブツを叩きつける音が聴こえない、甘い肉襞に包まれる恍惚を阻害するな。相変わらず偽葛葉は無感情で、それを無視すべく目隠しと腕の緊縛はそのままで、中途半端に制服を着せたまま犯した。
 ひとしきり終えた後、俺の出した精液が吸われている事に気付いた。どうやら口と違って、裂いた肉は水分を吸収するらしい。切り花の様に、部分切断して水に漬けてみたらどうなんだろう……
 残り僅かな蜜月への未練。俺はもう、考えつく限りの戯れを妄想しつつ、眠りに就いた。


 今日は珍しく、ちゃんと登校した。昨晩の倒錯が迷いを洗い流してくれたのか、妙にすっきりとした心地だ。
 葛葉は来ていない、いつもの様に彼の席は窓の景色を透過する。桜は遠目で判るくらい、蕾がふっくらとしていた。先日、葛葉が口にした「首吊り」の話で思い出した。この学校、桜の木で首を吊った生徒が居たんだ、恋人同士の心中。俺はあの日ちょうど、校庭に用事が有って近くを通った、その時見たんだ。桜吹雪の下、枝から垂れ下がった二つの影を。それはどこか現実味が無い光景で、頭の隅でぼんやりと「人の生る木みたいだ」などと考えていた気がする。
「よう久しぶり、何だったんだ、風邪?」
「まあそんなとこ、腹に入って長引いた」
「完治したのか? 随分やつれた様に見えるぞ」
「寝過ぎてんの、春眠暁を覚えずよ」
 学友を適当にあしらい、昇降口で別れた。寝てばかりというのは嘘ではない、能動的な「寝た」だけれど。
 縄や針金で縛ったまま木乃伊になっては可哀想なのでそれ等を外し、偽葛葉には当初の衣服を着せ、納戸で待機させてある。膝を抱えて座る姿は、待ちぼうけの子供の様でどこか愛らしく思えた。刃で穴を開けた人間が何をと云われそうだが、やはり俺は葛葉の姿が好きなんだろう。あのどこか高圧的な彼が、膝を抱えているだけで胸が締め付けられる思いだ。
 帰宅し、部屋へ向かう前に倉庫を探った。剪定用の鉈が数本、その中から人間の腕くらいの枝≠ネらスコンと落とせそうな物を持ち去る。どうせ誰も家には居ない、抜き身のまま堂々と縁側から上がって、部屋に入る。
「ただいま葛葉」
 鞄を畳に放り、鉈を片手にしたまま納戸の戸を開ける。当然「おかえり」という返事は無く、膝を抱えた偽葛葉が朝と同じ様に在った。シャツの襟首を掴み、ずるずると部屋に引っ張り出す。此処で切るつもりは無いが、さて何処を落としてみようかと……仰向けに寝かせた偽葛葉を見下ろし、剪定場所を選定した。まあ、やはり無難に足首だろうか。靴の様に水槽を履かせたら、水耕栽培の様な具合に延命出来るんじゃなかろうか。
「後で庭に出ような」
 地面の上なら、鉈を振り下ろしても問題無い。流石に畳や板張りの上で、野菜切る料理人は居ないだろう。
 今ならヒサカキの花も咲いている。思えばずっと部屋から連れ出してやれなかった、今日はのんびり花見でも良いかもしれない。
 と、上からじっとり眺めているうちに、俺が我慢出来なくなってきた。名残惜しさも相俟って、こいつの肌がとても恋しい。その姿に心なしか生気を感じる程だ、潤った花の様に香るのは焚き染めた白檀か。
 鉈を傍に置き、跪いて口付ける。唇を割り開き、舌を吸った。昨晩の情欲が舞い戻り、俺はしつこく愛撫した。偽葛葉の唇から溢れ伝うのは、俺の唾液だ。我ながら必死だなと呆れ、一旦離れる。
「あぁ……葛葉」
 自分の前をくつろげ、既に血潮の行き渡ったブツを外気に晒す。偽葛葉の頭を跨ぎ、唾液塗れの口元にソレを突き挿した。散々蹂躙したせいか、生温かい。思わずぶるりと下肢が震え、吐き出しそうになるのを耐えた。味わう様にゆっくりと腰を沈めていく、淫靡な水音を耳が拾う、抜き挿しするたび俺は感嘆の息を漏らした。持って行かれそうだった、酷く腰が重い、搾り取られている錯覚を抱く。
「っは……はっ、ぁ、う、ううッ?」
 腰を揺らさずとも与えられる快楽に、肌が粟立つ。俺がおかしくなったんだろうか、思わず挿入部を確認した。すると目が合った、偽葛葉と。そう、視線が絡んだのだ。
「あっ、ああッ!?」
 咄嗟に腰を浮かそうとしたが、がばりと腰骨を掴まれる。偽葛葉の腕に押さえ付けられながら、じゅううと陰茎を激しく吸われた。もう俺は頭に霞がかかり、半ば強制的な射精で更に真っ白になった。
 喉を鳴らして俺のを飲み干した偽葛葉、音でそう判断出来た。直後、上半身をむくりと起こす彼。俺はなすがままで、跨っていたというのに思い切り後方に転がされた。机に頭を打ち付け悶絶していると、何か聴こえてきた。
「ふっ……ふふ、クククッ」
 幻覚でも見ているんだろうか、偽葛葉が哂っている。おかしそうに、腹を抱えて。
『只の人間のアレなんて飲まなくたって良いじゃない、下手食いねぇライドウ』
 別の声が聴こえてきた、夢だろうか、それとも誰か居るのか?
 待て、ライドウってのは確か葛葉の下の名前だ。
「君、サボタージュは結構だが、随分と下卑た遊びに興じていたようだね」
 まさか……本物?
 いや、何がまさかなんだ、だからこの気配が、匂いがしてたんじゃないか。
「葛葉、一体いつから……」
「張っていたのはここ数日だけど、入れ替わったのは今日さ。流石の僕も、我慢出来て針金までかな」
 そう答えた葛葉は、また声を上げて哂った。そんな声、学友の殆どが耳にした事も無い希少な音だろう。でも今の俺には警笛、切れる寸前の電球、食器の割れた音のように聴こえた。
「君が愛でていた僕はほら、あすこ」
 くい、と顎で示された先は、納戸。
「上の段だよ、やはり見えていないものだね。帰宅後真っ先に、開いて屈み込むものねえ君、フフ……」
 葛葉の云う通りだった、よろよろと立ち上がれば、納戸上段に人影……もとい、偽葛葉が横たわっている。彼は裸になっていた、今は本物が着ているのだろう。
「俺を訴えるのか、葛葉……」
「訴えるって何処へ、何の罪で?」
「軽蔑したろ」
「安心し給え、するほど君に関心も無かったからね」
「どうしてすぐ怒鳴り込んで来なかったんだ、俺を観察してた?」
「まあ観察していた事には違いないよ」
 近くの鉈に手が伸びた、殺そうなんて思っちゃいない、でも今の葛葉は丸腰だ。
「君こそ僕を軽蔑したんじゃないのかい」
 舌舐めずりをして、蠱惑的に哂う葛葉。あの唇を俺は吸ったんだ、ブツもしゃぶってもらって、しかも飲んでさえくれた。じゃあどうしてこんなに恥ずかしいんだ、俺は何に恐怖している。
「ほら、かかっておいで童貞野郎」
 あまりな挑発に、俺は鉈を振りかざし飛び掛かった──





 衰弱の自覚もあまり無かったのだろう、先刻振るってきた鉈も酷く貧弱なもので。僕は素手でも受け止められたろうに、妙に過保護なアルラウネは《彼》を蔦で雁字搦めに拘束し、畳に叩きつけたのだった。
『でもあのボウヤの云う通りでしょ、どうしてすぐ止めなかったワケ?』
 アルラウネの問い掛けは、微少の同情を含んでいた。
「玩具を手にした人間が、如何にエスカレートしていくのか興味が有ってね」
『ヤダぁ玩具って、アナタと同じ形のモノでしょ、気分悪くならないの』
「おや、彼は随分とマシな方さ。本物である僕は、里の連中にもっと可愛がられているときた」
『んふふ、ジジイ共にさっきの贋物を献上しちゃえば?』
「連中、青少年の様に純ではないからね。抵抗しない玩具なぞ、すぐ飽きるだろうよ」
 さて到着したのはヤタガラスの一人、阿漕な商売に手を染めているという《葉室》の住処だ。
 僕の学友は、確かに騙されてはいなかった。実験と明かされていたし、贋物の期限も大体説明通り。
 ただし葉室の奴、MAGをぐんと吸われる事には言及しなかった、それは非常に罪深い。
 あの日、僕が教室で《彼》を見つめていたのは、そいつが常人3割程度のMAGしか持たぬ姿を晒していたからだ。同業であればすぐ判る事、帰路のゴウト童子でさえ「早く助けてやれ」とせっついて来た程だ。尾行してみれば案の定、《彼》は鴨にされていたという訳だが……まさか自分そっくりの人形が登場するとは思わず、僕もやや面食らったものだ。


 仲魔に扉を解錠させ、あっさり侵入出来た。灯りはひとつも点いておらず、人が暮らしていたという色も無い。本当に只の実験場としていた様だ。廊下をぺたぺたと這うゴウトが、溜息を漏らす。
『ほれ見ろ、お前が窺い過ぎるから逃げた様だ』
 電車駅からも街からも遠い此処は、家賃も安かったのだろう。やや年季の入った家屋だが立派な中庭付き、勝手するにはもってこいだ。結局、葉室自体の痕跡は無かったが、肝心の中庭≠ェ全てを物語っていた。
「く、葛葉が生ってる!」
 背後から学友の《彼》が叫んだ、連れてきたのは僕だ。ゴウト童子は反対したが、荒療治に見せた方が良いと進言し、無理矢理通した。まあ実の所は、治らなくても構わないのだが。現実など、見たくなければ見なければ良いだけの事。単に僕は見せつけてやりたかったのだ、夢か悪夢かは己で判断するが良い。
「マッカリーポンを弄ったのでしょうね。カラスの連中なら僕の要素を何かしら所蔵している、恐らくそれを使ったのかと」
『MAGだろうな、それくらいしか思い当たらん、それにしてもどうやって……この樹木のMAGにお前のが混じっている事になるのか?』
「いずれにせよ、同属の買収行為に該当しますから、これは御法度という事で」
『そうする他無いな。では確認させるまで此処を維持するか、もしくは証拠物と写真を……』
「やれやれ、この十四代目の類似品で商売されては困りますね、贋物に能力は具わらぬというに」
『この実は枯れて以降、呪術素材に流用出来そうだ。しかし一週間のガワ≠フ為、買う奴も居るという事だろう』
「お褒めにあずかり光栄です」
『少しは気を揉め!』
 黒猫と会話する僕を素通りして、《彼》は大樹をずっと見つめていた。沢山の僕が生る木に、何を思うのだろうか。雷電の仲魔に現場検証させている間、暇潰しにもう少し説明してやろう。
「Makkalii-phon、インドラの創った美女の生る樹木だ。一週間で形を成し、枝を離れてからは一週間しか持たぬ。インドラは男共の煩悩を試す為、これを創ったというが……さてどう思う?」
「……試されて、煩悩に落ちた男は罰される?」
「愉しんだ後、暫く昏睡状態に陥ったそうだよ。君がこれからどうなるのかワクワクするね、ククッ」
 脅したつもりも無かったが、放心しているのかあまり反応も無かった。と思いきや、悲哀でも怒りでも不安でも無く、何かつぶやき始めた。
「葛葉は、俺の事を気持ち悪いって思った?」
「僕の分身は薄気味悪いが、僕から君に対しては何も」
「これも探偵の手伝いなのか? そうは思えない……お前自体が、何者か知りたいよ」
「葛葉ライドウと名乗っているではないか」
「こんな事でもなけりゃ俺、お前とマトモに会話なんてさせてもらえなかったよな」
 《彼》の眼は、まだ熱を孕んでいる。あんな僅かなMAGで、僕に縋る様に、明らかな欲望を抱いて見つめてくる。どこにそんな気力が残っているのやら、文字通り精も根も尽き果てる¢フだろうに。
「云っておくが、もうこの生り物は手に入らないと思い給え。君はたっぷり生体エネルギイを吸われているのだからね。これ以上陥ると、くたばるよ」
「贋物だと思ってたとはいえ、色々……申し訳なかった」
「別に減るものじゃなし、しかし僕はこう見えて忙しいのでね、君が大枚はたいてくれるのなら接吻だろうが奉仕だろうが何でもしてあげるよ」
 僕こそが淫売で不埒、得体の知れぬ烏だと思えば良い。君の焦がれ、美化し続けた希少種では無いのだと。現世に留まるにはそれが容易い、裏切り者を作れば心は護れる、弱い君達はそうすれば良い、罪では無い。
「葛葉って、動物と喋れるの?」
「動物に限った話ではないし、僕の様な人間は大勢居る」
「あの黒猫、身内?」
「一応上司だ」
「あの猫の聴こえない所に……相談が有る、頼むから聴くだけでも」
「関係者の証言は必要だ、とりあえず聞いてあげるよ」
 セコハンカメラで現場写真を撮る仲魔、その邪魔にならぬよう脇を歩き、渡り廊下まで来た。もう夕刻になろうという空は、二層のカクテルの様だった。この後は気晴らしに新世界だな、異物を受け入れた日は喉が渇く。
「なあ、あんな沢山生ってるんだから、一、二体くらい貰っても大丈夫と思うんだが」
「懲りないね、先に君が倒れると説明しただろう」
「もう死んでも良いんだ、葛葉の形に吸われて死ぬなんて幸福じゃないか。だって、この先適当に生きても無理な話だろ、幸せな死に方を自分で選んじゃダメなのか」
「君が死ぬのは自由だ、しかしアレはもう譲渡出来ない」
「だってお前は一緒に死んでくれないじゃん!」
「当然」
「だったら贋物くらい許してくれよ……」
 感極まったのか、蹲り震えている。十中八九泣いているな、しかし僕の知った事ではない。
 いくら贋物とて、僕と心中されては困る。僕だって死にきれなかったのに、そんなの気分が悪いだろう。過去、あの時、木から垂れ下がっている筈だった僕は、こうして今も鞦韆(ぶらんこ)という現世に居座り続けているのだ。





 天井の染みが葛葉の横顔に見える……しかし此処は何処だ、俺の部屋じゃない。
「お友達の方ですか? ええはい……そう、まだ朦朧としてますね、意識が戻ったのは四日前なんですが」
「長居しませんので」
 声が聴こえる……何かやり取りしてる様子で、一方俺は寝かされた状態だ。
「やあ、まだ死んでなかったのだね」
 近付いて来る綺麗な顔、声……白檀の匂い。そして俺のおぞましい仕打ちと欲望の記憶が甦る、頭が痛い。
「葛葉……俺、どうなってたんだろうか」
「最後行動を共にしてから数日後、ばったり倒れ意識不明に陥ってたよ、三ヶ月程度だね」
「此処、病院?」
「そうさ、学校は把握してるよ、進級は心配要らないそうだ。まあ僕が出来るくらいなのだから、登校日数は問題無いだろうね」
「あの黒猫は」
「病室には入れられないよ、安心して喋ってくれ給え」
「俺、家で木乃伊になったやつは、水子供養に出すつもりだよ」
「フフッ、それはわざわざ御苦労様」
「装束男の庭の木は」
「僕が所属する本部で審議にかけられ、焼却処分となった」
「あ、そう……」
「露骨に落ち込むでないよ、ところで」
 枕元、俺の耳元で囁く声。思わず息を殺した、一瞬も聞き逃さまいと。
「君の家で一人干からびたであろう木乃伊、僕にくれないかい」
「……俺、供養する事で自分の気持ちも濯ぎたいんだけど、じゃあ葛葉はアレをどうしたいんだ」
「上司の手前大人しくしていたが、正直僕も一体くらい欲しくてね。あの実が生体の間は、君が散々いじくり回してくれたので程度は知れたが。個人的には、木乃伊と化した状態の物が欲しい」
「呪いか何かに使うの? や、止めてやれって」
「君がそれを云うのかい、孔開けた君が!」
 嘲るような、それでいて心から可笑しく堪え難いといったような哂いをする葛葉。細められた眼は、絵画に見る狐みたいだ。もしかしたらこの葛葉という学友も本当は存在しておらず、化け狐の仮初の姿かもしれない。そんな事を妄想している俺は、まだまだ入院していた方が良さそうだ。
「呪いというかねえ、消えた葉室を炙り出すのに使う、あくまでも個人利用さ」
「所属してるとかいう組が処分しないの? あの装束さんの事は」
「抜け駆けを許さぬ割に、面倒事は放置されるものさ」
「ふーん……なんかよく分からないけど、葛葉が学校来れない理由は分かった気がするよ」
「御理解頂けたのなら話は早い」
 きっと帰宅したら、納戸の中に木乃伊は無いだろう。家へ勝手に侵入される事を、厭わしいとも思えなかった。後はただ黙って従うだけ、葛葉の尊厳を弄んだのだから、仕方の無い話。縛ったり、孔開けたり、切ろうとしたけれど、大事だったんだ、贋物でも。
「フフ……本当に君、露骨な奴」
 葛葉の台詞からするに、俺は浮かない顔でもしていたんだろうな、と思った矢先。舌の先に苦みが奔った、同時に頭が真っ白になる。何かを注がれる様な感覚、それが何なのかは全く分からない。景色が鮮明になり、こめかみの血管がドクドク音を立てた。離れ際にぢゅう、と舌を吸われる。
「木乃伊は勝手に頂戴する、今ので帳消しにしてくれ給え、ではお大事に」
 気付けばもう葛葉は居ない。薄く残る香りは白檀だろうが、しかし何か入り混じっている。
 よろよろと立ち上がり、窓を覗く。此処は二階、見下ろせば帰路に就く葛葉が見える、その足元には黒猫も居た。黒い外套をなびかせ、おもむろに何かを取り出している。ああ、だから苦かったのか、と喫煙する葛葉に納得した。そして、彼の香りが純粋な白檀だけでない理由も判明した。不登校だけでなく煙草も嗜むなんて、とんだ不良だ、結構口も悪いし。それでもやっぱり、綺麗だ。
「あら、なんだかすっかり顔色が好くなって……これなら退院も近いわねえ」
 世話に来た看護婦に微笑み返す元気が、確かに有る。
 病室から見える桜は、もうすっかり葉桜だった。


-了-


* あとがき *
 葛葉ライドウに惚れてしまった学友(男子)が、ずるずると深みに嵌まっていく話。というざっくりとしたテーマで適当に書き始めました。ライドウのサマナー的な活躍場面は少ないですが、今回は要素を振り切りました。主人公である学友の名前は、浮かばなかったのでつけませんでした。
 時期的には人修羅と関わる前の葛葉ライドウ≠ニいう前提で進め、カタギ相手なので暴力性の薄い夜。アルラウネの言う通り、普通に学友を止めれば済む所を、あえて贋物となり代わって性行為したり、好き放題はどちらかというツッコミ待ちでしょう。でも最後にMAGを与えてやっているので、まあまあ情けは持っている様子。
 執筆中は「久々に人を選ぶエロか?」と熱中しましたが、書き終えてみると案外あっさりしたものでした、まさに花の散った桜。この話の脳内副題として《葉桜》がありましたが、その様な心境です。
葉ざくらや人に知られぬ昼あそび≠ニいう永井荷風の俳句が有りまして、これは人によって結構解釈が変わります。葉桜自体は清涼なイメージですが、開花の後と取るか先と取るかで印象も違うのでしょう。
(2019/2/22 親彦)



▼マッカリーポン:Makkalii-phon
劇中で大体説明されていますが捕捉。ヒンドゥーの神であるインドラによって創造され、ヒマラヤの雪山の森に生息。16歳の美少女の姿を持ち、1週間ほどで地面に落ち、その後1週間で死んでしまう。絶命するときに「ワクワク」という言葉を残すことから、ワクワクの木とも呼ばれている。≠ナすからライドウはわざわざワクワクとか云って、内心一人でウケてた訳です。

▼蟠幹:ばんかん
盆栽の樹形のひとつ幹が捩れて成長する性質のものを捩幹と呼ぶ。極端に圧迫され、根元から屈曲捻転したものを蟠幹という。人工でつくるのは大変困難。≠ニいうもの。蛇がとぐろを巻いた様な形状をしており、捩じれ捩じれて伸びてゆくイメージを、今回の屈折した内容にこじつけました。タイトルは「万感の思い」とかけてあります。