この里は、陰鬱だ。
私の主人は、だいぶ前に亡くなっている。
従順な、里の犬だった。


夕染めの紺




『ほら、こうすると槍の先端はしなる』
魔槍を揮い模範となる。
相手の悪魔の武器を、刃先で弾き落とす。
「だが妖精師範よ、相手の武器を落とすより、殺すが早いだろう」
此方を見ていた青年が、私の背に問い掛ける。
まだ若い。血気盛んだなぁ、と思った。
『いいえ、直ぐ殺しては、サマナーの本領が発揮出来ませんよ?』
手元に引き戻した槍を、とん、と地に着ける。
しゃらり、と纏わりつかせた鎖が鳴った。
『悪魔を騙し、手駒とするあなた方の術がねぇ?』
銀糸の髪を片手の指で払い、振り返って哂う私。
一瞬びくりとした、ヤタガラスの一同。
背後で、獲物とされた悪魔が、まだ蠢いている。
アレとて、此処の悪魔なのだ。
指南で殺して、どうする。
『さぁ、管に戻すなりなんなりしてやりなさいな』
笑顔で云う私の声は、いつもと同じで穏やかに冷めていた。
『武器の使い方を教える事に、喰い合いは必要ありませんからねえ』




陽が落ち始めて、朱に空が染まる頃。
山から戻り来る葛葉の候補者達。
「正確には、脱落者が殆どである」
装束が私に云った。
『そりゃそうでしょうねぇ。山登りなぞ、子供の遊びにしては渋い』
「MAGが枯渇し、帰還せざるを得ぬ状況に陥ったか、或いは遭難か」
『山菜も紅葉も無いこの時期、在るのなんざ野良の悪魔だけでしょうに』
「それを狩るのがこの訓練だ」
『それで候補を殺してはねぇ…』
クク、と哂って黒い塊を見た。
人の皮を被った、異形共。
愉しい?確かに愉しい…こんな人間模様、閉鎖社会。
幼い人間を化け物に仕立て上げる、その所業も悪魔的で。
「まだ一人戻らぬ」
数名の装束が、管を備えたままやり取りを交わす。
「紺が戻らぬ」
その声に、微笑んで語りかけた。
『野垂れ死んで、山神にMAGとして供えられたのでは?』
「おい妖精師範、不謹慎だぞ」
『誰が…』
哂って続けようとした、その時。

「おい、誰が供物に成ったって?無礼な悪魔」

まだ甲高い、幼子の声。
その方を見れば、夕焼けに身体を染めた少年が立っていた。
山の暗がりから歩み寄って来るその姿、薄くMAGが滲む。
「妖精師範、あれがお前の次の主人だ」
傍からの声に、少年を見つつ答える。
『まだ子供ですが』
「実力は折り紙つきだ」
夕陽に染まる子供、まだ背も低い。
だが、対象が影より這い出て、判った。
その朱い染みは、夕焼けによるものでは無い。
上から下まで、血に濡れる…その子供。
「紺、遅いぞお前」
「…MAGが途中足りなくなったので、補充しておりました」
「野良から搾ったか?フン…浅ましい奴め、そのまま下りれば早いものを」
「お待たせして申し訳ありませぬ」
連れた使役悪魔を装束に返し、紺という子が歩き出す。
咽返る、鉄錆びの匂い。
近くに来た際に、此方から哂いかけてみた。
『ふふ、子供は乳臭いべきでしょうに』
ギロ、と見上げてくる、小さい…闇色の光。
私に畏怖もせず、真っ直ぐに貫いて来た。
「誰か知らんけど、お前女臭い」
子は云うなり、ニィ、と唇の端を吊り上げる。
「汚れるに、退きな…」
私のすぐ傍を、通過して往こうと。
その瞬間、反射的にこの身が動いていた。
己のマントの端を掴み、その赤い頬に触れていた。
ぎょっとして、振り返る双眸。
『お顔が…』
何をしているのだ、私は。
『綺麗なお顔が、汚れておりますよ?』
何故、血塗れだというのに、そうだと判る?
だが、ぐいと拭ったその頬…
驚き、私を見上げる少年…
「ぼ、僕に触んなっ、狐憑きに…なるに?」
跳ね除け、駆け出した一瞬の表情。
思った通り、綺麗な顔をしていた。




「明日、正式にお前を紹介する予定であるぞ」
装束が、背後から私に云う。
「捨て子の“紺”だ、興味があるなら名前も勝手に聞けば良い」
『紺、ですか』
「捻くれたお前にお誂え向きの、ふざけた餓鬼よ」
「狩り続けるなぞ、余程殺生が好きと見える」
はは、と嗤い合う装束達。
(拭った際に、怯えた)
それなのに、毅然と向かって来た、見知らぬ悪魔の私に。
『下山したくなる程、此処が恋しくもないのでしょう』
私の一声に、黒いカラス達が啼くのを止めた。
『ふふ、失礼』
マントを翻して、帰路に着く。
背後からの声を無視して、私は私の往きたい道を進んだ。

紺…

気になる、血塗れの子供。
貴方なら、私の渇いた感情を潤わせてくれましょうかね?
『葛葉の…候補…』
ああ、あの子が成ったら、きっと変わる。
この里は…
崩れる。
『愉しそうですね』
空の色が、あの子の眼の色へと、融けていった…
私は予感に、身震いした。

夕染めの紺・了
* あとがき*

数年前、MEMOに投下したのが初出です。手直ししてようやくメインにUP…
本当に短い、一瞬の出逢い。