ふん。己が気樂になつて安樂椅子に寝ようとしたら、
その時はどうなつても好い。
己を甘い詞で騙して
己に自惚の心を起させ
己を快樂で賺す事が君に出来たら、
それが己の最終の日だ。
賭をしよう。



止まれ、お前はとても美しい《前編》



五感の何処を撫でるのかといえば、まず鼻腔だ。
プルースト効果とか、云ったっけ…
ヤニの臭い、でもそこまで下品じゃない葉の匂い。
混じる様にして、香木の様な薫りがする。
次に、鼓膜を幽かに震わす音。
水音、雨樋を叩くそれがしとしと鳴る。
ああ、だからこんなにも香りが鮮明に漂うのか。
「う…」
自分の呻き声と共に眼を開く。大した光量も無い、陽はまだ昇っていないらしい。
薄暗い部屋の中、自分の指先を見れば、相変わらず黒い斑紋が伸びている。
駄目だ…いくら部屋の中とはいえ、いきなり他者が入り込んできたら、どう説明する。
「いつから夜行性になったのだい、未だ宵の最中だが?」
「……それが、人を押し倒しといて云う台詞か」
「中に出して無いだろう?」
「ばっ……」
馬鹿野郎の破廉恥野郎だ。
傘を遊女に貸したままで、遊郭に濡れて行くのが嫌だから俺を組み敷いたとか抜かして。
「しっかりMAGも対価として与えたが、文句でも?」
ベッドに腰掛けたまま煙草を噴かすライドウ。その綺麗な形の唇から、白い環が窓を叩く。
悪びれた様子も無い横顔に、俺はよろよろと身体を起こした。
傷にはなってない…のか。手脚を目視するが、特に目立った痕跡は見当たらなかった。
「…捌け口にMAG注いで、愉しいかよ」
「暇潰しにはまあまあかな」
「ひ…暇潰し…だと」
生傷は治癒するこの身だというのに、この男に抉られた内部はどうにも熱が残り易い気がする。
嫌悪感なのか…背徳感なのか、ひょっとしなくても快楽だとか、云いたくない。
拒んだが、この契約関係…銀楼閣を荒らす訳にもいかないだろ…不可抗力なんだ、と自身に云い聞かせる。
「ロクな死に方しないぞ、あんた」
「悪魔と契約している時点で、天に召されるつもりは端から無いよ」
鼻で笑うと、珍しく自分で着火したらしい煙草を指先で躍らせていた。
「云ってるだろ…俺は悪魔じゃ、ない」
ベッドから降りる際のギシついた音で、つい先刻の色々を思い出して頭を振った。
崩れた袴を跨いで、シャワーを浴びにいつも通りの動きで部屋を渡る。
「長湯するで無いよ、昼には出掛けるのだから」
「俺が付いてなきゃ駄目な用事でも無いんだろ」
「先日来た依頼者から、招待券を二枚頂いたのだよ」
ライドウの視線を追うと、机の上に着いた。
インクボトルの、あまり使用しない奴で押さえてある。
“同じ黒でも銘柄で微妙に違うのだよ”とか何とか云い張って…黒ばっかり数瓶並んでる、いつ見ても珍妙な光景だ。
「…あんた、明日早いから本腰入れずにちょっかい出す程度にしたのか」
「おや、功刀君は本腰入れて欲しかったのかい?欲深く浅ましい事だな、ククッ」
ニタァ…と、俺を見る眼が夜露に光っている。ライドウの黒い紫がかった眼。重なる長い睫のシルエット。
真っ直ぐに見られると、射竦められる気がして…咄嗟に云い返せなかった情けない俺。
「んな意味で誰が云うか…!」
憤慨しつつ、代えの下着を持ち出して早々に部屋を出る。
そういえば、チケットの内容をしっかり見なかったな…と思いつつ、痴情の痕跡に水打って、火照りを冷ました。





しとしと、晴れ間は見えない。
ガス灯がじりじり、と頭上で啼く。まだ肌寒い季節だが、こうして雨が降れば却って暖かい。
「傘、結局持ってたんじゃないかよ」
「これは控えの蝙蝠傘、僕は深紅の蛇の眼傘が気に入っているのさ」
「だったら、昨晩それ差して遊郭でも何処でも行けば良かっただろ」
「“帰還が遅くなってはならぬ”と、急かした手指では悦ばせるどころでは無いからね、仕方なく君で済ませた」
「……」
思わず突き飛ばしそうになった、が、耐える。
ひとつしか無い傘なんだ、それを握っているのはライドウ…
俺が濡れる必要は無い、そうだろ。
多分…此処で突き飛ばしたら、踏み堪えたライドウに蹴り飛ばされ、俺が路上に突っ伏す事になる。
泥まみれの状態で、外歩けるか…
「傘だけ貰って帰って来いよ」
「据え膳というものだろう?君の肉よりは美味だからね、彼女等の柔いソレは」
あんたが別にソッチでも何でも無い事は、散々文句を云われているから、知っている。
その不味くて硬い肉で雄扱いてるのは、何処のサマナーだよ…と、云ってやりたかったが、呑み込んだ。
「野郎と相合傘なんて、あんたよく平気だな」
「嫌なら出たら如何だい?」
もう相手にするだけ無駄なんだ、畜生め。





流れる声と、楽器の旋律。
俺がこっくりこっくり舟を漕ぐと、下駄の上から足袋ごと踏まれて、はっと覚醒する。
ライドウのヒールがスッと退けば、もう何回踏まれたのか、足袋の指先が少し黒ずんでいた。
(しょうがないだろ、何云ってるのか、サッパリだし)
これは、もしかして一般の講演では無いのでは…?
だって、日本語じゃない。
やがて幕が下りると、館内が明るくなる。ようやく終わったか、と伸びをして立ち上がれば…
「功刀君、云っておくが、これは休憩だからね?」
ライドウのとんでもない言葉。
「はぁ!?だってもう結構な時間やったじゃないかよ」
「こんな中途半端な所で終幕と思うのかい?」
「何が起こってるのか解らないんだよ…!」
溜息して、仕方なく着席した。普通の人間の様に、排泄の為の休憩など不要だし…
平然としているライドウにも腹が立って、もう動かない事にする。
「俺が来る必要無かっただろ、こういうのに造詣は無いんだ」
「悪魔とて教養は必要さ、僕の悪魔である以上、あまりに無知で居られても困るのでね」
「なあ…これ、何なんだ?」
「ファウストの劫罰」
「ファウスト……ゲーテ…?」
「そのくらいは知っているのか、フフ。まあ、正確に云えばこれはベルリオーズの作品になるが」
此処でも帽子を被っているライドウ、それはマナーに反するのではないだろうか。
しかし周囲は何も云って来ない、この男の正体を知ってか知らずか。
「“火の精サラマンデル 燃えよ
  水の精ウンデネ うねれ
  風の精シルフエ 消えよ
  土の精コボルド いそしめ”」
徐々に席に人が戻り始める、暗幕がゆらゆらと、兆候を見せて揺れ出す。
「“四大を、その力、その性を知らぬものが、なんで霊どもを御する師になられよう”」
「…それ、あんたの言葉?」
「悪魔に魂を売った男、ファウストのものさ」
「あんたの台詞なのかと思った」
再び幕が上がる。照らされる舞台の熱が遠くからする。
何を云っているのか、俺にはよく解らなかった。ただ、視覚的に解った事は…
女性が赤子を沼に沈めていた。ファウストとの不義の子の様子だ。
見終えた際の感想。
ファウストが、ろくでもない野郎だ、という事しか云えなかった。
人ならざる力を求めて、悪魔と契約したのだ。人道を踏み外したのだ、それも自ら。
性を知る為に、制御し操る為に、人間を辞めた?
(俺に喧嘩売ってるのか、こんなの観せやがって)
今度こそ閉幕らしいので席を立ち、待ち合わせていたらしき元依頼人とやらに対面した。
ライドウは相変わらずの鉄壁だ。“不快感を与えないが、優しくもない笑顔”で対応している。
レンガ造りの廊下を歩きつつ、その正装の男性と会話していた。
「あれは仏語でしたが、お解りになりましたか葛葉殿」
「ええ、それに原作を読了しておりますので」
「おお、それはそれは、文章とは違うでしょう」
「そうですね、少し表現が軟らかい。原文の容赦の無い言葉まわしが、自分の性には合っております」
カツリカツリとヒールがくすんだ音を立てる。俺は後ろから、黙って付いて行くしかない。
「貴方は悪魔をお遣いになる、葛葉殿。あの男に同情はしないのですか?」
「あの男と云うと…ファウスト博士にですか?フフ、それは愚問で御座いましょう…“人も悪魔も使いよう”です」
哂って答えているライドウ、馬鹿と鋏をイメージしているのか。
人間と悪魔を同列に捉えた物云いをしていると、俺でさえ解る。
「ファウストは巧く扱え切れずに破滅したと?」
「“Wer anderen eine Grube gra"bt, fa"llt selbst hinein. ”…人を呪わば穴二つ、と云うでしょう?少なくとも自分はその覚悟で頂いた役目をこなしておりますがね」
「悪魔召喚師である以上、避けられぬ業があるという覚悟…?恐ろしくは無いのですか、大事な人に不幸が及ぶ可能性もあるでしょう」
「少なくとも親族の心配は御座いませぬよ、ユンカー」
呼ばれた依頼人が隣を向く。少し鷲鼻の癖のある面立ちは、外国の人のそれだ。
黒髪にカッチリとした正装だったので、意識して見なければ大正の社交場に紛れてしまう。
「自分には、身内というモノが居りませぬのでね、お陰で清々と公務を全うする事が出来る」
「…その話なのですが、葛葉殿にお願いが」
ユンカーと呼ばれた男性の脚が止まると、ヒールの音も止まった。
黙りこくる男性を横目に捉えたまま、ライドウが促す。
「何か」
「明後日、ドイツに帰国するのです」
「そうですか、では長丁場が予測される依頼はお断り致します。自国のサマナーにでも問い合わせて頂ければと」
「違うのです、葛葉殿」
俺なんかを無視して、事が進んでいく。まるで、舞台でも観せられているかの様な。
「貴方個人に、渡独の依頼です」
「葛葉ライドウの立場をお忘れですか、帝都を空けるにはそれなりの内容と準備が必要で御座います」
「ヤタガラスには既に許しを頂いております」
「へえ、これはどういう風の吹き回しやら…書状等は有るのです?」
「鳴海殿に先日、お渡ししてあります」
「成程、観賞会に非ず、今回頂いたのは打ち合わせのチケットだったという事だ」




蝙蝠傘の下、ライドウが喋らない限り俺も喋らないので、沈黙が続く。
激しい雨ならいっそ気にならないのに、こういう時に限ってこの雨垂拍子。
「独逸では傘を持たぬのだよ」
何の前触れも無く零したライドウ。
骨の先から垂れた雨粒の様に、俺に突然落ちてきて、反射的にびくりとした。
「濡れるだろ、それじゃ」
「コートが主流でね、傘なんて高くて買えた物では無い」
「水吸って重くなる…コートが」
「フフ、傘を持って渡独すべきかい?」
適当に相槌するしか無い。
俺が何を云ったところで、依頼を請けるのはライドウなのだから。
「ドイツって、あんた行った事あるのか」
「無いね、地形なら頭に入っているが」
「どんな依頼だよ…あんたの機関が行くのを許してるって事は、よっぽど…捻くれた悪魔で困ってるだとか?」
「さあね、珍しい悪魔を見れるのは興味をそそられるが…」
頭上の雨音が止み、蝙蝠羽の圧迫感が消える。
すると、畳んだ傘をライドウが突然、真一文字に横に凪いだ。
「――っ、ぶねぇな!この…っ」
咄嗟にかわした俺。だが、雨雫を少し喰らった。
「この様に露払いでもしろと云う事かな?」
不敵な笑みのまま、銀楼閣の扉を開いて奥に消えるライドウ。
後を追い、階段を足早に駆け上がる俺の脚を声が止める。
『おい人修羅、どうしたのだライドウの奴』
「どうって、いつも通りふざけた野郎ですけど」
『違うわ、そんな事解っておる』
階段下の暗闇から、翡翠の眼が俺を睨んでくる。いつもより沈んだ畜生の身体。
童子お気に入りの座布団は、この雨で湿気てぺしゃんこらしい。
『妙に殺気だっておったぞ』
「いつだってそうじゃないですか…隙見せます?あの男。貴方の前でだってそうでしょう」
『それは警戒というモノだ、そうではない、気が苛立っておったと我は云ってるのだ』
そんな怖い事云わないでくれ。この後ライドウと顔を合わせ無い筈は無いのだから。
「ドイツ行くの、本当は嫌なのかな」
『独逸?』
「あれ、ゴウトさんは聞いてないんですか」
問い返せば、俺の脇を抜けて階段をするすると階段を昇る黒猫。
部屋の窓ガラスから普段入る彼だが、俺を一瞬振り返る。
把握して、溜息と共に事務所の扉を開けてやった。
飛び込んできたのは、妙に落ち着いた声のライドウ。確かに、おぞましい。

「鳴海所長」
「だから!お前にとって不利益はひとつだって無い筈だから!」
「僕にこの段階まで打ち明けていないのは、非常に珍しい…つまり、僕が拒否し話が破談となる事を恐れていた訳だ」
「もう劇観ちゃったろ?それで断るのか?」
「……フ」

鳴海の机に爪を軽く立てていたライドウが、学帽のつばにその指を持っていく。
「依頼人からの報酬外恩義はなるべく受けぬべき、と…心構えを挫いた僕が愚かだったという事ですか」
「ライドウ、だって実際好きじゃないか歌劇とか外国のモノ。だからチケットは、純粋にお前に愉しんで欲しくてやったよ」
「そうですねえ、面白かったですよ、悪魔に唆された人間の喜劇」
「おい機嫌直せよライドウ…説明してなかったのは逆効果だった、それはスマン」
「鳴海さん、僕は至って上機嫌ですよ」
扉を開けたまま突っ立っている俺に、黒い外套が靡いて振り返る。
“ぼうっとして無いで、珈琲のひとつでも淹れてはくれないのかい?気が利かないね”
とでも云ってくるかと思っていたが、俺をじっと見るだけで、ライドウは何も発さない。
『おい、独逸とは如何いう話だライドウ』
ニャア、と鳴くゴウトに鳴海が手を振る。
「御免ねぇゴウトちゃん」
『お前には聞いておらぬわ!』
フーッ、と毛を逆立てる黒猫に、笑顔のまま鳴海は続けた。

「新しい飼い主、探してやるからね」

新しい…飼い主?
何だ、意味が解らない
意味が…




「大丈夫?矢代君」
鳴海の手が俺の額を撫でた、明らかにこの人の体温の方が上なのに。
「雨だからねえ、風邪じゃない?劇場広かったでしょ、冷えたとかかなあ〜」
「…ソファ、すいません……占拠して…」
「いいよお、ま、断るならゴウトちゃんにした方が良いんじゃない?其処でよく丸くなってるし」
記憶を整理する…
急にフラついて、扉前のたった数段の階段から転がり落ちてしまった。
実際気だるい気がしてならないので、大人しく勘違いした鳴海の手で看護を受けている。
『クソ、断りを入れる所が違うぞ鳴海め』
「あ…」
ライドウとの話を終えてきたのか、ゴウトが視界の端に現れる。
俺の姿に失笑しつつ、近くまで寄って来た。
『我は新たに選任される帝都の守護者に付けば良いだけ……しかしお主は如何だろうな、人修羅よ』
「…最終的にやる事は変わり無いです、ライドウが居なくても、俺の道程が長くなるだけで」
『その割には、滑稽な程動転したではないか』
「踏み外しただけです」
『お主の飼い主を探してやった方が良いのではなかろうか?』
フギャ、と嗤う猫に、熱が本当に出そうになる。
鳴海に掛けて貰った、キルト生地の様な毛布を握り締めると、俺は頭までそれを被った。
何も考えたくない、考えるだけ無意味だ。あいつが消えれば、日々の痛みも気苦労も消える…
もう少しだけ、思い切りが必要になる、後押ししてくる蹴りが無くなる、それだけだ。
「寝かせて下さい…呪文みたいな劇観せられて、疲れてるんです」
『……寝物語でも聞くか』
隣の部屋から珈琲サイフォンの音がする。鳴海が自分で淹れている。
ライドウか俺に、いつもなら頼むのに。気を回しているのだろうか…
きっと、独りなら何でも自分でこなせる人なんだ。
『ライドウが孤児とは聞いておろう』
「…俺、聞きたいなんて云ってません」
『我の席を占拠しているだろうが、話くらい聞け』
そもそも鳴海探偵事務所の備品だろ、と思いつつ、布越しに耳を澄ませる――




あれが拾われたは、もう二十も近い年月を遡るか…

我は歯痒くも、この畜生の容れ物に魂を宿してより永く経過して居る。
十年一昔と云おう、云十余年も前のヤタガラスは今程に礎石も無く、里自体も大きくは無くてな。
陰になり日向になり、同業者との接触は重要であった。
日本國の外にも悪魔召喚師が居る事は、勿論知っているだろう?
来日する船の数も少ないあの時代…他国の悪魔召喚師が里に訪問する為、それに便乗する事は多々有った。
中でも特に、独逸の国とは深く関わっておってな。
医療、軍事、それのみと思うたか?いいや…そんな事は無い。
互いの国の魔の術を、読み解き合った。
だがな、仲が知れている程、頼もしくも厄介な相手は居らぬ。
程々の緊張感を維持しつつ、我等は高め合っていたのだ。

向こうの悪魔を駆使する術を伝道すべく、長く居座っていた衆も居る。
来日、渡独を繰る我等と独衆の間には、それなりに情の湧いてしまっている者も、当然現れる。
渡独し、帰らぬと決めた召喚師も、中には居た。
機関は重要な責を負って居らぬ者なれば、その頃は別段止めもしなかった…
国家における重要機密より、当時の我々は召喚の熱に刮目していたのだ。

さて、幾つかの年を越えた。
我等の里を訪れる独逸の使者に…何が現れたと思う?
大和の血の混じる者だ。




「ハーフが来る様になった…って事ですか」
『然様、日独者の召喚師よ』
何となくだが、ゴウトがそんな昔話を始めた理由が解ってきた。
「ライドウ……ドイツの血でも入ってるんですか」
『半分では無い、正確にはそれ以下だ。あの見目は日本の者であろう?少しばかり上背が有るが』
「…どうして、あいつは拾われ子って自分で云ってるのに、そこまで判明してるんです…?」
毛布から覗かせた俺の眼を見て、ゴウトが体毛を逆立てる。
もしかしたら、金色が強くなっていたのかもしれない。
『奴は…捨てられた訳では無い』
断言した、この黒猫。
「ヤタガラスが引き取った?能力高い召喚師の子供が欲しかったから?」
『向こうも最初は渋った、特に母親がな』
「当たり前でしょう、よくそんな事頼めますね…奪ったも同然だ」
『取引をした、我等が秘術を幾つか記した…本来であれば門外不出の書を、預けたのだ』
隣の部屋でサイフォンがカタカタ揺れる音がする。
そう、きっとサイフォンだ。俺が震えてる音じゃない。

「物々交換じゃないですか!」

スプーンを落とす音が響いた、慌てて拾う鳴海の気配を肌に感じる。
突然猫に怒鳴り始めた俺を、いよいよ看病しなくては、と思っているんだ。
「渋ったって…結局折れた母親も母親だ…」
『体裁も有ったのだろう、そこそこの書物を提示したのだ、独逸も欲しがるだろうて』
振り払った毛布を、ソファに残して立ち上がる。
激しい独り言の俺を、少し心配そうに見つめる鳴海の眼を無視して、部屋を出た。
冷えた廊下と階段を過ぎ、ノックしながらいつもの様に。
「ライドウ」
見上げてくる、その目線の位置が低い。
ライドウが、トランクに荷詰めをしていたからだ。
それを見て、背筋が寒くなった。
どうしてだ、出張の時は、いつもやってる事だろ。
どうして俺がぞっとする。
「発つのは明後日と云ったろう、それとも僕の寝台が使いたいのかい?居候の分際で」
「もう、帰らないのか…日本に」
「さあ?僕の気分次第かな」
哂ってる場合じゃないだろ…あんた。
「気分って…何だよそれ、悪魔退治の依頼とか、そういうのじゃないのかよ。終わらせたら帰るだろ普通」
「預けていた術書の返還がヤタガラスにされた、その代わりに僕が出張、長期滞在するのだそうだよ」
「帝都の守護者なんだろ、十四代目葛葉ライドウって」
「急な殉職が有って、すんなりと代替わりする事だってあるからねぇ」
「無責任…あんたも、ヤタガラスも…」
バチン、と金具を締める音がした。
トランクを立て置き、その上に腰掛けたライドウが、俺ににしゃりと哂いかける。
「向こうの出してきた条件は、確かに鳴海所長の云う通り…僕に不利益は無い」
「葛葉ライドウを降りてまでもか」
「これまで培った悪魔召喚の術を伝授する事…その代わり僕に与えられる“衣食住”…軽く目通ししたが不満は無い」
「此処の生活よりも?どうせ働いてばかりのあんたには重要じゃないだろ、寝床なんざ」
「…フフ…悪くは無かったが、所詮此処もヤタガラスの息がかかった探偵社だよ?功刀君」
「この部屋だって、狭いけど、あんたが無駄に凝らした物ばっかじゃないかよ。カラスの臭いしてたってあんたの部屋だ」
「だから云っているではないか、悪くは無かった、とね」
腰を上げ、召喚管を数本机に置くライドウ。
「契約内容が国内における条件の仲魔は、此処に置いていく」
管から離れたその白い指が、薄暗闇にたなびいて、いつの間にか俺の顎を持ち上げる。
俺の中を探るかの様に、間近から見つめてくる眼の光彩は、やはり不思議だった。
深い黒かと思えば、奥底から紫紺の艶が滲む。
(ああ、本当に、同じ黒でも…違うのか)
そこの机の、インクみたいな。並ぶ黒の中、個体差が有る。
「君は管に入らぬ、そして僕は単身で渡独する事が条件だ」
「…何が、云いたい」
爪先立ち、自然と苦痛が睨ませる。
俺は、違う…怒っているんじゃない。

「君とは契約を切らなくてはね、と云っているのだよ功刀君」

胎が…無意識に、ひくひくと蠢いた。
「契約を…?」
「そう、別に切らずとも、君が今後悪魔と宜しくやっていく分には支障は無いが。契約したサマナーのMAGに慣れきったその身では…ねえ…?」
吊り上がる唇の端、堪らずに顔を背けた。
「契約は同意だった…けど!必要以上に特定のMAGに漬けたのはあんただろ…っ」
「悪魔を狩ってまでMAGを啜りたくないと我侭ばかり云っていたのが誰か、忘れたのかい?」
ぐ、と首筋を撫でつつ押され、後退すれば背中に扉の感触。
「禁断症状に苦しみたくは無いだろう?」
「だから「はいそうですね」つって股開けって云うのか」
「僕にしては珍しく、君を気遣って提案しているのだがね」
頭の中が白になったり赤になったり。
怒りの血潮なのか、呆然の寒気なのか。
絞まった首から、飼い主の手綱が消える開放感か。
考えずとも引かれていた、その身軽さから解放される恐怖感か。
どちらだって、俺の今、吐くべき言葉は…決まっている。
「あんな儀式、嫌だ」
「切りたくないのかい?へえ、随分と惚れ込まれたものだね僕も」
「違う!同じ苦痛なら、突っ込まれるよりも禁断症状の渇きに耐える方が…マシだ」
暫くの沈黙が、思い出した様に雨音を響かせる。
俺の断言が、腹立たしかったのだろうか。
それなら話は早い、さっさと俺を蹴りつけて、このまま喧嘩別れですっきりするだろ。
(喧嘩してない時なんて、有ったか?)
瞬間自分に問い返して、虚しくなった。
「分かったか…ほら、さっさと退けよ。俺は明日の飯の下拵えしなきゃいけないんだ」
明後日のは、一人分少なく。と、先の事を考えて、頬が熱くなる。
俺を捕らえる手を突っ撥ねて、重苦しい黒を退けようとした。
「……ライドウ、いい加減にしやが――」
「僕が切りたいのだよ功刀君」
がた、と、解放どころか、更に扉が軋んだ。
見上げて睨めば、嘘の無い眼。
「直接吸われずとも、重い悪魔との契約は肉体の質を変えるからね…其処は接触して調整すべき所なのだが、独逸はあまりに遠いだろう?」
「御託はどうだっていい、あんたのデメリットになるだとか、そんなの俺の知った事じゃない」
「それなら、君が肉体の儀式を拒む理由だって、僕の知った事では無いね」
前髪を掴まれ、押し返そうとした瞬間には、後頭部を強かに扉に打ちつけられていた。
「ふ、っ…!」
くらりと眩暈がして、擬態が解けそうになるのを我慢する。
そこに集中した所為か、脚を払う事もままならずに、呆気なくライドウの指に捕まる。
肩まで引き剥がされたと思ったら、露わになった項に爪を立てられた。
「成り給え」
「…ぃぎッ」
抑え込んだその箇所に、直接MAGを通される。
自然と仰け反り、天井を仰ぐ形になる。
「はぁ…ぁ、っ」
隆起する喉仏を、熱い舌が撫ぞり落ちていく。熱さの直後には氷点下の様な感触。
ライドウの残す薄っすらとした唾液の痕跡に、俺の肌が勝手に戦慄くのだ。
「ほら、僕しか見ていないのだから…フフ」
猫の喉でも撫でてやるかの様に、容易い指つき。
俺の項に、ライドウの形の良い爪が詰め寄る。
「んん…ッ!」
僅か引っ掛かっていた着物の紋抜きが、生えた突起に押しやられていくのが分かった。
こんな奴のMAGに誘発され、悪魔の証を生やした恥が、耳まで熱くさせる。
「生えたねぇ功刀君、フフ…君、此処だけは立派なのだから…もっとこの姿に自信を持ち給えよ」
「ざけんな、っ…俺はこんな気持ち悪い姿っ………ぅ」
俺の角の溝を、ライドウの爪先がかりりと甘く引っ掻いている。
弱点と知っている動きだ、これは…愛撫じゃない。
「そうやって己の可能性を無下にしているから弱いままなのさ」
「あんたがそうやってっ…いつもいつも嫌味だから…っ、ひ、ぁ」
「僕が使役せねば、本来の姿すら忘却しようとするだろう?その虚像のまま生きたければ、それでも僕は構わぬが、ね…」
「……俺、は……ッ…あっ、く」
襦袢ごと剥がされていたのか、胸元を擽る舌。
斑紋の黒に紛れてはいたが、つつかれて尖り始めた芽と眼が合ってしまった。
身体の反応があまりに俺の意志と逆を往っていて、頭にかあっ、と血が昇ってくる。
「ライドウ、っ、勝手に進めてんじゃねえよ手前ッ!」
 「矢代君?」
反射してきた声の方向がおかしい、俺の背後からだ。
コンコン、とノックされた振動が俺の背中に響く。
 「何、まぁた喧嘩でもしてるの?」
扉越しの鳴海の声に、思わず息が止まった。
「何用でしょうか、鳴海所長」
舌舐めずりして、哂うライドウが少し声を張り上げる。
 「ちゃんと話し合いになってるか確認しに来たんだよ、殴り合いになってない?」
「心配御無用ですよ…フフ…しっかりと別れのけじめをつけております」
何て野郎だ。思わず反論の唇が開く。
「こんな…!けじめじゃ無――」
が、開いた所を塞がれる。
先刻まで俺の肌を辿っていた舌が、硬直したままの俺の舌を弄ぶ。
 「ちょっと、大丈夫なのかライドウ…矢代君、なあ、俺もお前達が喧嘩ばっかだけど仲良いのは知ってるから」
くぐもる声を押し殺す、苦しげな呻きを上げれば怪しまれる。
 「今生の別れでも無いんだからさ、ほら、独逸なら船もまあまあ出てるし、年に数回は会えるだろ?」
しゅるしゅると袴の帯が解かれる音に、背筋が凍る。
息遣いのひとつでさえ、誤解を招きそうで恐ろしい。
いや、誤解も何も…たった今、俺は何をされている?
「鳴海さん、ライドウでなくなった者にこいつは興味を示しませんよ」
 「何云って…お前、仕事以外にもしょっちゅう付き合ってもらってたろ?今回だって一緒に歌劇観に行ったりさあ」
「ライドウとして貰った招待でしょう」
 「…違うよ、お前に、あれは渡されたんだ」
ぐい、と股を開かされる。
「…ライドウ…っ……やめ…」
小さく吠えて、刃向かう様に閉じようとしたが、ガタンと音を立てて扉に再度押さえつけられた。
その音に反応してか、鳴海の訝しむ溜息が聞こえた気がして、俺の鼓動が跳ねる。
 「殴り合ってない?」
「まさか、腫れた顔で渡独したくないですからね」
 「あーお前は蹴りの方が多いよなライドウ……ってそうじゃない。一方的じゃないかって事だよ!」
コンコン、とまたもやノックされる扉に、俺は縫い止められている。
下手に身動きが取れない…のに、ライドウの指は容赦無く俺の下肢を…
 「矢代君、今回確かに急だったけど、それを理由に怒ってライドウに当たっちゃ駄目だよ?」
「…は、い」
上へと擦りそうな声を、必死に落ち着かせて返答した。
下には擦られる俺の逸物が、必死にライドウの指に甘えて育ち始めていた。
 「不安な声音だなぁ…ねえねえ、鳴海お兄さん入っちゃ駄目?」
「だ、駄目ぇ…っ…!」
ライドウの眼が哂って俺を見ている。
怒りと怯えに震えた俺が、その暗い眼に映りこむかと思っていたが。
明らかに違う興奮に眼を光らせた俺が、見えた。
 「だって矢代君、泣きそうな声してるじゃない」
「確かに啼いてますね」
 「ええっ、ライドウお前そう思うなら気遣ってやりなよ!また意地悪い事云って怒らせてんだろ?」
ぐっしょりと先走って濡れた下着が、袴ごと膝まで抜かれる。
ここで一発蹴りでも入れたら良かったろうか。
いや、そんな事したら、ライドウが鳴海を態と部屋に入れるかもしれない。
この男自身は、別に行為を見られても何とも思わないだろうから。
「クク、実際…普段より大泣きですね、しとどに濡れてる」
鳴海に言い聞かせる様にして、俺の下肢を見るライドウ。
 「おいおい…ホラ矢代君、最後までやられっ放しでいいの?何か云い返してやりなって!」
「良いのですよ鳴海さん、こいつは最後まで僕に犯られっ放しで」
背中がずるずると扉を伝って、下方に落ちていく。
俺の脚を抱え込んだライドウが、臀部をするりと撫であげて唇の端を吊り上げた。
 「あーもうやっぱそういう……おいライドウ!俺、入るからな!?」
「…クク…それでは僕もそろそろ入るとしましょうか」
扉のノブが下げられる、俺の腰が上げられる。
「や、嫌だぁあぁッ!!」
咄嗟にノブを掴んで、向こうからの動きに逆らう。
 「あ、押さえてるでしょ二人のどっちか」
「はぁ……はぁっ」
 「分かった、矢代君?」
鳴海の侵入は阻止した、が。
ライドウの滾ったアレが…俺の下を貫通している。
ぐい、と肩に脚を乗せられて、ギチギチと挿入が深まる。
縋る様にノブを強く握り締めて、歯を食い縛った。
 「そんなに嫌だった?ご、ごめん…入らないから。その、俺さ、最後まで…いつもみたいに喧嘩で別れて欲しくなくてさ」
鳴海の言葉を、俺は何処まで噛み砕いていただろうか。
下から呑まされる熱で、もういっぱいで、脳内がぼうっとしていた。
 「兎にも角にも!ライドウは、矢代君にしっかり御礼云えよ…?」
「…理由は?」
答えつつ、ゆっくりと入ってくるライドウ。
一番引っ掛かる箇所が入口を通過して、胎内にぐぷんと響く。
「ひっ」
小さく悲鳴した。多分、嗚咽だと勘違いしてくれる…
頼むから、してくれ。
 「随分と、矢代君のお陰でお前…人間っぽくなったからね」
「こいつが僕を人間にしてくれた、と?」
 「ライドウっていう人形じゃなくて、本来のお前が付き合ってた様に、俺は見えたよ…」
「へえ、それは御礼を云わなくては……フ、フフフッ」
滑稽なんだろ、あんた。もう、その哂う眼が云っている。
俺の耳を甘く噛んで、鳴海に聞こえない程度の囁きをしてきた。
「人間ごっこは出来ていたみたいだねえ、僕等」
ごっこ…
 「今のお前なら、きっと先方とも馴染めるよ…ライドウ」
そんな訳無いだろ、鳴海さん。
この男は、結局こういう奴なんだ。
親族と思わしき人達の所に行ったって…きっと孤立する……
 「デビルサマナーの前線から外れたら、きっと本来のお前がもっと見えてくるだろうな…」
…馴染まれたら、困る。孤立してくれなきゃ、困る。
どうして、こんな奴が……極悪非道の悪魔が如き男が。
俺を差し置いて、人間の幸福を得る?
本来人間の筈の俺が、悪魔になって、母を手にかけてしまったこの運命は…
誰にぶつけてしまえば良い?誰が理解してくれる?
 「じゃ、とりあえず今晩はおやすみ、ライドウ、矢代君」
扉から気配が離れていく。
きっと、本当に心配してくれていたのだと思う。
鳴海は、俺とライドウが一緒に居る時、笑顔でこっちを見ていた。
俺の作った飯を、美味しい、と、また笑って。
「…鳴海所長には、そこそこ感謝しているがね、放任主義だし」
不器用な子供に、まるで率先して団欒を教えている様な人だった。
嫌いじゃない。きっと、ライドウも…嫌いじゃないのだと、思う。
「緊張…それと羞恥かな?君の締まりも潤いも普段より良くなってる」
「……ぅ…」
「フフ、これは本当に感謝しなくてはねぇ…実に愉しいタイミングに来てくれたよあの人」
「ぁ、あぁ……う…糞野郎…」
ノブに掛けた手が、そのままの形で外れた。力が抜けずに、まだ震えていて。
その手をライドウに握られ、指先を解される。
「カルパで契約を交わした際も、扉の向こうにゴウト童子が居たねぇ…」
「…」
「ねえ、もう今はその背の扉越しに、誰も居らぬよ…声くらい出せば如何?」
扉に押し付けられたまま、中途半端に刺さっているライドウの棘。
彷徨う熱が、俺の斑紋の縁を薄く光らせている。
「最後くらい、本腰入れてあげようか?功刀君?」
悪魔の誘い。
馬鹿馬鹿しい…この流れで、契約解除の儀式を行うんだろ?俺の都合もお構いナシに。
「どうせ行うなら、痛くない方が良いだろう?」
「もう、痛い」
「その割には、前がヒクヒクとお辞儀している訳だが」
ああ、半ばでぐずつく棘のむず痒い事。
「…さっさと…ドイツでも何処でも、行けよ……」
ゆるゆると扱かれる、連動してライドウを締め上げる。
「そうすれば、もう…こん、な……野郎に抱かれるふざけた儀式とか、縁切れる…っ……」
「行けと云う癖に、締め付けてるね」
痛い場所を知っている指先は、好い場所も当然知っている。
「んっ、あ、あふ……」
「ほら、もっと喰らい付いて引き止めてみせて御覧よ?」
散々俺で遊んできたライドウにとっては、容易いのだ。
笛がどの指運びで一番よく鳴くか知っている、そう…口づけ、息を吹き込む持ち主の如く。
「君が主従関係を云い訳にして性欲を解消出来る、唯一の手段だったのにねえ?」
「あっ、あっあ、ぁ――」
付け根から雁首を往き来していたライドウの指が、直前で止まる。
びくびくと痙攣する俺は、一際強くライドウを締めたまま、達する事も出来ずに。
「君もいきたい…?」
「はぁ……はぁ……っ…何処、に…」
情けない声、震え上がる快感に負けそうで、嗚咽混じり。
「独逸?それとも眼の前の欲望?…どちらか選び給えよ」
…行ったところで、あんたみたく居場所が用意されてる訳でもない。
惨めになる、普通に人間らしく暮らすあんたの傍に居たら。
「…いきたい」
ライドウの学生服の腕を掴む。
「床じゃなくて、ベッド…っ」
弱々しく吐き捨てられた俺の言葉に、ニタリと哂う男。
鎖骨を舐められ、更に、と、促すようにこめかみに接吻される。
甘い仕草に感じるのは錯覚だろうか。
雨の音なのか下肢の音なのか、判らなくなる。
「暇潰しと云われて、その風前の灯の様な自尊心が煽られた?」
「あ、ぁう……ぬ、抜いてから、移れ、よ」
「余計に揺れたくなければ、しっかり首に腕を回し給え」
繋がれた状態で、ライドウに抱き縋るみたいな姿勢。
立ち上がったものだから、重力に逆らえない俺が落ちる。
「ん…っ」
堪らず脚を腰に絡めて、それ以上落ちない様に、ぎゅうと抱き締める。
「締め過ぎて堅いのも、如何かと思うがね」
鼻で笑ったライドウが、強張った俺の臀部を撫で上げる。
薄い肉と、行為の度に失笑されるその部分を、執拗に。
それにビクビクと背がしなって、更に締め上げてしまう。
「あふッ!!」
パァン、と、緩かった掌が突如打ち付けてくる。
反抗の声より先に、悲鳴を垂れ流す俺の喉の奥は、酷く渇いている。
「締め過ぎだよ」
冷たくも、その奥に熱がこぞんでいる事が、分かる…この男の声。
いつだって冷静だ、と、警戒を解かないと、ゴウトも云っていた。
でも、俺は知っている…
「遊郭で遊ぶより、君で遊ぶ方が興奮すると云ったなら、怒らなかったのかい?」
自分勝手、気儘、欲望のままに弄ぶ瞬間こそが、この男の冷静さを欠いている瞬間だという事。
…俺を手篭めにしている、どうしようもないこの瞬間だ。
「こんなの、遊びじゃ、ない」
「へえ、じゃあ、何さ…っ」
今度は背後に寝台のシーツ。
扉よりも軟いそれは、波打って、俺が溺れている事を嫌という程に知らしめる。
「あんたの…っ…独り善がり…っ」
「善がってるのは、君だろう」
「支配欲、充たしたいだけの癖に、ッ、あぁ、んっ」
しっとり濡れた額の髪を、指で掻き分けて覗き込んでくるライドウ。
慈しみとは程遠い、戦っている時の眼にも似ていて。
「支配する側と、される側で、何か間違いでも?」
「っう、ぁ、はぁ……はぁ…遊女とも、情抜きでやるのか」
「君は悪魔との交渉で、情に重みを置くの?」
まだ、四分の三。
「ああ、御免ね、性交渉の話だったかな?…フ…ククッ…」
折り曲げられ、腰を高みに持ち上げ抱え込まれる。
馬鹿みたいにヒクついた自分の雄が見えて、それに萎縮するかと思えば何故か更に高揚してしまう。
「随分慣れたよねぇ…君も」
「慣れたんじゃない、慣らされた…だ!」
引き絞られる、波が向こうへと引き潮になる、熱が冷める様に遠のく。
二分の一まで抜けた所で、思わず口走る。
「待てよ」
息を吐く、ライドウを見る、胎を暴くかの様に。
「ど…どうせ、切ってくなら…」
中途半端に刺されているなら。
「寄越しやがれ……餞別」
恐る恐る、股を開いた…
いっそ、深く刺して、もう見えない所まで沈めてくれたら、惑わないのに。
あんたみたいな野郎の力なんて借りなくても、きっとやっていけると。
棘を誇らしげに抜き取る事が、出来るだろうに。
「は……可愛気の欠片も無いね、それが君の“御強請り”?」
「悪魔じゃなくたって、使うだろうが…!」
先刻からの接吻で溢るる唾液を、MAGの香味と共に、プッと吐きつけてやった。
乱れたライドウの黒髪が、垂れる淫靡な艶で光る。

「ヤタガラスにこき使われてる割に、尻の穴小さいんだなあんた」

忌み嫌う類の嫌味を、追い討ちで吐きつける。
ああ、流石に…今のは、障ったらしい。拭いもせずに、埋め込んできた。
「……フフ……功刀君…」
「あ、ああっ…ぁッ」
ずぐずぐと、きっと嫌われる容赦の無さを、俺に叩きつけている。
「ほら…望み給えよ…でなければ、僕だけでいってしまうからね?」
舞い戻り、四分の三。
見ても無いのに凡そ分かる、だって当たり前だ、この男ので慣らされたから。
「俺、も」
腿を掴むライドウの手が、俺の手首をぎりりと押さえつける。
溺死させんと、上から押さえ込んで、俺の懇願を待ち望む眼を光らせて。
「い…いきたい」
「何処に?」
「…」
「フン、ならばそのまま情けなく涎でも垂らしてい給え」
根元まで一気に。
「ん、あ、ぁ゛ーッ!あ、ぁあッ!!」
強情な俺に、刃を立てるのが好きなんだ、ライドウは。
(違う、そうして欲しい訳、無い)
真下に鳴海が居ても、もう、どうでも良かった。
扉の前で必死に耐えていた先刻の自分が滑稽になる程に、叫んだ。
抜けそうな位置まで引かれ、首で引っ掛かると再び奥まで挿し込まれ。
抜けそうな快感まで惹かれ、首で一旦止められて、寸前で吐き出せず。
(俺は、何がしたかった?)
いきたい?何処に?何を?
ドイツに行きたいのか、誰奴にイかされたいのか。
真っ白になる、ライドウの部屋の筈なのに、天井を仰げば天使の螺旋すら見えそうな。
激しい腰と雨音で、意識が遠くに飛びそうになる。
白檀と…雨の匂いと、少し、青臭い…
春はまだ遠いのに…何だろう…この、脳髄を蕩かせるような、異界みたいな空気。
「ほら…ッ、功刀君」
「あぅ、あ、イヤ、いやらぁ、ぐ、ぅうッ」
「吐き出し給えッ」
張り詰めた俺を指が攫う。
覆い被さるライドウのアレが、完全に入った。
なんて、気持ち悪い――
のに、ぎっちりと俺の壁が、無意識に憶えているのか咥え込む。

「君なぞ、置いてイってやるよ…矢代!」

一際強く穿ち、ふるりと痙攣したライドウは、腹立たしい程綺麗だ…
ああ、やっぱりこの男は、高圧的に支配している瞬間、凄く到達している。
生粋の、支配者なのか。
「はぁ……っ…はぁッはぁ、う…ゥ」
這い上がる、背筋を駆け巡る、夜の気配。内部から、胎を巡る毒の血潮。
あの瞬間の様でいて、違う儀式。MAGが、ぐるぐると渦巻く感覚。
ライドウだけで、先立った、俺を置いて。
「……違ぁ、ぅく…ッ」
「だから…締め過ぎだと云っているだろう?」
「ひぎィッ!!」
バチン、と叩かれた臀部が雄に直に伝わって、ジンと先端が痺れる感じ。
どくどくと、脈打ってライドウの黒を汚す。
既に指は離れていたのに…どうして、こんな…
後ろで達する、これだってあんたに躾られた事なのに。
そう、だから俺の性癖じゃない。
「は…っ………君を…連れたって…いく必要は無い、からねぇ……?」
「も、もう切れた…のか…契約…」
俺のかすれた声、嗚咽に聴こえてたら、ひたすら腹立たしい。
「まだ実感が無い?フフ…餞別が消える頃には感じるだろうさ」
「なら、さっさと、抜きやがれ」
「この馬鹿の様な締め付けが弛んでから、そうさせて頂くよ」
後追いの俺は、頭上の双眸に哂われて、耐え難い羞恥に眼を瞑った。
「僕は往くからね、独逸」
胎が、熱い。打ち込まれたままの胎が。
痙攣している訳でも無いのに、ライドウを離さない。

「……何だい?その憮然とした顔は…“人修羅”」

あんたといきたかったのは、これじゃなかったのに。

「勝手に、ドイツでも何処でもいきやがれ…っ…腐れサマナーが!!」

置いていかないで欲しいなんて、俺は思ってない。
だから、云える訳が無かった。
きっと…そうなんだ…

そう納得させて、白濁まみれの招待券を破り捨てた。



止まれ、お前はとても美しい《前編》・了
* あとがき*

タイトルが出オチ。
「俺も行きたい」と云わせたかったライドウ。
「独逸?それとも眼の前の欲望?…どちらか選び給えよ」という招待券に対して「ドイツ」と答えれば一緒に行けたのかと云うと、そうでもない(えっ)
後編の為の前編。ライ修羅だと思って、書いています、これは一応。