入道雲は夕陽の照り返しに散り始め。
だいぶ離れたビル群の影を振り返れば、薄闇にクッキリ刻まれている。

「墓荒らしが随分と流行ってるなあ」
「やーだね、骨になってりゃ綺麗なもんだけど、半生の時にやられたらたまったもんじゃないな、この季節だし」
「遺品と埋めてあげるくらいなら、それを質に入れた金で火葬してやった方が良いかもしらんねえ」
「無縁仏じゃ焼いてやるのは難しいだろう」

電車の走行音に混ざる男女の雑談、その内容が少し前の記憶に結び付く。
俺は鳴海の読み終えた新聞紙をまとめ、鰹節を削る際の下敷きにしたのだが。
見出しに踊っていた記事の見出し……それが確か《次々発カレル共同墓地》だった。
『この数ヵ月というもの、物騒だな。故人の遺品だけに留まらず死体も一部消えていたとか……これは臭う』
ゴウトはさも真面目そうに述べていたが、どちらかといえば鰹の匂いにやられていたのか、髭が活発に動いていた。
そんな猫に削りカスを勝手に与えて、ライドウは俺に支度をしろとせっついてきた。
今こうして電車の中、俺は行先も打ち明けられずに揺られている。
「君に御執心の伯爵がくすねたのではないのかね、土葬の遺体」
「ビフロンス? 馬鹿云え、わざわざこんな方まで盗りに来ないだろ」
「そうだね、近年では火葬も増えてきた。この国よりも土地の広大な、異国を巡った方が回収率は良いだろうね」
「……何の話だよ全く」



寂しい駅から暫く歩き、やがて人の姿も見えなくなった。
鬱蒼とした竹林を抜けると、まだ葉の青い楓が、門の様に腕を広げていて。
湿った風がさやさやと、楓の声に生まれ変わってざやざやと。
その誘う様な気配に、俺は二の足を踏む。
「怖いのかい?」
すぐ隣で、ライドウが哂う。
まるで口裂け女の様に、ニタァと口角を上げて……いつも通りに。
「馬鹿云うな、ボルテクスだって薄気味悪い所はゴマンと在った」
「しかしあの世界、閉じている割に煌々としていたではないか」
「そうだな、不気味さは無かったかもな。でも幽霊と違って、あの世界の暗がりから襲いかかって来るのは悪魔だ」
話している間にも、ライドウは歩みを進めている。
仕方なく、俺も同じだけ進んだ。
門を潜り茂った庭を過ぎると、屋敷の外装が鮮明に見えてきた。
木造だが、カントリーなログハウスという印象とは違い、もう少し繊細な……平面図形を組み上げた様な家だ。
大正時代の東京は、時々異質な空間が有る。純和風とも、俺の居た現代西洋風ともつかぬ……曖昧なデザイン。
これがレトロモダンとかいうやつか? 空の黄昏が、屋根の正確な色味を判断させない。
「君の云うには、霊は危害を加えて来ない……と?」
「視えたら気分の良いもんじゃないだろうけど、俺は霊感とか無いから」
「功刀君にはモウリョウすら視えていなかったのかね、あれも霊的存在と云えるが」
「……少なくとも、人間の頃はサッパリだった……本当だからな」
「回避率の悪さからして、確かに視えていなかったのかもしれぬ」
「だから、ボルテクスから今までは視えてるって云ったろ!」
光の射し込む時間帯ではない。
今、目の前にしている屋敷に電気が通っているとも思えない。
しかし俺が提案するまでも無く、ライドウは既に管を手にしていた。
「ジャック・ランタン、道中を照らし給え」
召喚の光が外套を靡かせ、玄関近くの窓硝子にも反射した。
そこに映り込んだ影は……家具の様な硬質な直線や、緩やかな曲線でもなく。
妙に凹凸の有る歪なもので、違和感を覚える。
何が映り込んだのか……横並びに、細長い凸がわさわさと。
だが俺が凝視する前に、肝心の光源がはしゃいで見えなくなった。
『ライドウ! こ、此処はもしやホラースポットと名高い大道寺家?』
「はずれ、大道寺家はポルターガイストが遊び場にしていただけさ。此処は純粋な廃墟……しかし未だ荒らされてはいない」
『つ、つまりライドウも初めてのスポット! 何があるか分からないって事ダホー!』
焦りを見せつつも、自らの内をもメラメラと燃やすジャックランタン。
ドキドキワクワクか? それは良かったな。俺は何から何まで初耳だ。
「さて、扉を開くからランタンは少し下がってい給え。内部に淀む瘴気へと、その灯が引火しても困るのでね」
『あー知ってるホー。こーいうトコの演出は、ドアを開いた瞬間にコウモリとかそーいうのが中からブワァッと……』
ジャックランタンの憶測に、俺の脳裏で勝手に展開される夏の特番達。
どの局もこぞって、恐怖体験トークの雛壇番組……ホラー映画の地上波初放送……お化け屋敷の大々的な番宣……
ああうんざりしてきた。苦手という程では無いが、好き好んで目にしたい類では無いのだ。
それでも嫌というほど日本の夏を体験してきた俺にとって、ジャックランタンの台詞は臨場感を上げた。
扉のノブに手を掛けたライドウへ、俺は潜めた声で忠告しようとする。
「……おい、実際に野生動物が住みついてる可能性有るし、ゆっくり開けた方が――」
「バーン!!!!」
「うぁッ!?」
実際の開閉音よりも大きな声を出して、盛大に扉を開いたライドウ。
その悪戯に俺は一歩下がり、咄嗟に擬態を解いてしまった。
奥からは何かが出て来る事も無く、夏の湿気が建材のすえた臭いを漂わすだけだった。
「鼠の一匹も居なかったね」
「はぁっ、はぁっ……何も此処に無かったからって、あんたがわざわざ俺を驚かす必要は無いんだからな……」
「此度の依頼は道具の回収だからね。全室回り、速やかに退出する」
「はぁ……さては、あんたが怖いんじゃないのか?」
もはや廃墟との事で、がん首揃えて土足でづかづかと侵入する。
やや前方上空を、ゆらゆら揺れるジャックランタンの灯。
俺のツノやライドウの学帽の鋭角な影を、廊下の壁へと引き延ばす。
そっちは出来るだけ見ない様にした……廊下の額縁の中には、恐らく写真や絵画が有るだろうから。
「君ねえ、僕の職を忘れたのかい。日によってはヒト以外のモノしか見ない程だよ」
「そうだな……幽霊の定番も、あんたが悪魔と呼ぶ中に居るもんな」
「いっそ人から離れ、完全な異生へと変化した存在の方が扱い易いがね」
「あんた、人間の友達いなそうだもんな」
「君とそう大差無いのではないかい、悪魔も含めれば僕の方が俄然多い……ま、友と云うよりは商売仲間かね」
「俺も商売道具って事か?」
「只の道具ならば、もっと聞き分けが良い筈だろう。道具に謝罪し給えよ」
窓の外の方が、屋内の暗がりよりも、まだぼんやりと見える。
殆ど沈んだ陽と、主張を強くし始めた月が、互いに大地を照らしているのか。
屋敷内の方が、一足早く夜が来ている。
「なあ、今回は……元の住人から依頼されたとか、そういう事か?」
「関係者ではあるね」
「自分で回収しないのかよ。あんたの所は探偵社であって、清掃業じゃないんだろ」
「“変なの”専門ではあるね」
やはり怪しい、この男はまるで俺を試す様に厄介事へと連れ出すから。
本当に野暮用なら、一人であっさり済ませてしまう筈。
肝試しに俺を投じたつもりかもしれないが、そんな手には乗らないぞ。
それならボルテクス化したあの世界で、目覚めたばかりの病院の方が数倍恐ろしかった。
「……俺はこのままにしておいた方が良いか? 擬態しても……大丈夫?」
「御自由に、フフ」
全く臆する様子も無いライドウは、半開きの扉を蹴り開けては部屋を探っていく。
調度品の彩度の低さは、薄い埃がさせている効果だ。
真紅であろうビロードも、目に優しい色調にトーンダウンさせられている。
部屋の中央にジャックランタンが留まれば、様々な影が踊り始めた。
その中にありえない影は無かったろうか。間違い探しを始める俺の眼を、瞼で塞ぎ遮断してやる。
「眩暈?」
「……光がチラついてるのは苦手なんだ」
俺の苦言を聞いたのか、カンテラをむんずと掴み揺れを最小限に抑えたジャックランタン。
そんな健気ぶるな、俺はお前の主人じゃないんだ、無視しても良いのに。
「しかし、それもしょうのない話かな。君の不調の原因は、先刻から幾つか発見済みだよ」
「はぁ? 何だ……魔除けとかそういうのか?」
失笑しつつ返せば、ライドウが抜刀した。
一瞬息を詰めた俺に対し、見せ付ける様にして閃かせる。
斬り裂かれた立派な椅子は、使い込まれた木製の艶を湛える脚。
そして、ふっくらした座面だった……先刻までは。
膨らみは憐れにすっぱりと開かれ、詰められた綿が淡い傷口を目立たせている。
其処に紛れていた異様な物体を、俺は凝視した。
「……札?」
「破魔札だね、普通の人間には特に作用もせぬだろうが」
「他の椅子に座ってみろとか云うなよ、絶対しないからな、袴も汚れるし」
「フフ……気付いているだろう? 君の推測通りこういう魔除けばかりで、此の屋敷に危険な輩は居らぬ」
信用してはいけないだろうが、それでも云い切ったライドウに少し安堵した。
抽斗だらけの箪笥を片っ端から開ける姿を見て、俺も渋々同じ事を始める。
埃の厚みからして、そこまで経過を経ていない廃墟なのだろう。
箪笥は程好く湿気が抜ける材質なのか、中に入った書類や文房具は恐らく当時のまま。
そういったモノだけ見つめていると、まるで自分が空き巣にでも入った様な錯覚を生む。
「……なあ、回収って、何を回収するんだよ」
今更ライドウに問い質せば、奴も遠くで曖昧に哂った。
「まだ使えそうな道具だよ」
「それなら此処に……開いてないペン先の万年筆とか、まだ沢山入ってるインク壜が」
「普通のは要らぬよ、よく見給え」
「普通じゃない文房具って何だよ……あー蝋引きとかしてたのかな、蝋燭も沢山あ……えぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出て、その抽斗を押し込んだ。
此方に目を向けたままのライドウから、逃れるべく云い訳を考えるが……
いや、此処の道具は俺の所持品では無いのだから、何を戸惑う事が有る。
矛先が逃れて都合が良いだろう、発見物を明かしてしまえ。
「何を見たの、功刀君」
「いや……その、玩具が入ってて」
「玩具?」
「ほら……見れば分かるだろ、こっち来いよ。触りたくない、使用済みだったら嫌だし」
ライドウを人差し指で招き寄せつつ、俺は滑りの悪い抽斗をズズ、と引っ張った。
様々な長さの蝋燭の中、形状からして違う異様な蝋燭数本に俺は視線を突き立てた。
隣から覗き込むライドウが、悪乗りでもするかと思いきや。
「どれが玩具なのかね」
「え……だから、コレだよこの、七つコブの連なってる蝋燭……その……」
「これが玩具?」
「あんたこそ知ってるだろ? 分かってるだろ!? 俺の世界でもパソコンでネットやってたろ! エロい広告の一つも目にしなかったのかよ!?」
「……バイブとか、張り型だと云いたいのかね」
「それだよそれ! だから使用済みだったら気持ち悪いって……おえっ、しかもぶっとい」
持ち主さえも知らないのに、俺は勝手に幻滅した。
こんな日常品の箪笥に、文房具と一緒にしまう原理が想像出来ない。
それを云えば先刻の椅子だって気持ち悪いが、少しベクトルが違う。
さあ判明したところで、既にこの箪笥に用は無い。
抽斗を再び戻そうとした所、ライドウが指を差し入れたのでピタリと止めた。
白い指を挟まずに済み、胸を撫で下ろす俺の前で。ライドウはあろう事か、件の玩具を素手で鷲掴みにして頭上に翳したのだ。
おいやめろ、そんなしっかり手にするな。何処の馬の骨の直腸を抉ったか知れないんだぞ。
「功刀君、これはセブンノブ・キャンドルという呪術の立派な道具さ」
「……は?」
「願いをかけながら一日に一つの部分を燃やし、それを七日間続けることで願望を達成する……ま、願掛け程度だがね」
「は?」
「君も一つ貰っていけば? 人間に戻れます様に……ってねえ、ククッ」
空間の薄気味悪さなど、一瞬で霧散した。
ジャックランタンの灯が熱いのか、俺の耳が熱いのか判らない。
「ああ、君が勘違いした方の用途でも良いけれどね、上手に出来ぬなら僕が挿入してやろうか?」
「だ、誰がっ」
「七つコブを全部納めてから、火を点させてあげよう……フ、フフッ、フフ」
想像したのか、ライドウのMAGが上機嫌に香る。
反面、俺はさっさとこの部屋から出たくて、出来る限り迅速に残りの収納箇所を確認した。




黒い外套と、深藍の袴の二人組だから、暗闇に溶け込む。
それでも俺は擬態をしていないから、ライドウ程は紛れない。
もしかして、俺を目立つ的にしているんじゃないだろうか。
灯台や灯の下に生物は群がるだろう? 生きた頃の記憶が有れば霊魂だって……灯りに吸い寄せられる。
いや、それなら先ずはジャックランタンが狙われるよな、それは想定済みなのか?
「何か云いたい様子だが」
「……意見なら、いつだって有る」
審美眼の無い俺は成果が出せず、逐一ライドウに確認してもらうばかりで。
仕方がないので、回収というよりは魔除けのあら探しをしていた。
あれだけ見つめるのを避けていた額縁たちの、裏という裏を捲っては確認し。
胡散臭い沢山の人形を掴んでは、ローブの中まで覗き込んだ。
これで覗いた先に下着でも有れば、更に俺の気力を削いだ事だろうが。
幸いにして皆つるりと綺麗な股座で、凹凸さえも無かった。
それでも気分が好くなる事は無い、人形のどれもが煌びやかな天使だったから。
「お人形遊びは如何」
「あんたのネビロスにでも調査させたらいいだろ、あいつ人形マニアじゃないのか」
「へえ、よく君が覚えていたものだ、僕の仲魔の特徴なぞ」
「人形……っていうか、天使の置物ばっかり。十字架も有りそうな勢いだな」
「勿論」
返事したライドウが、壁際のカーテンをさっと開いた。
てっきりその奥が窓だと思って居たので、俺は暫し言葉を失う。
その範囲だけ違う柄の壁紙で、所狭しと打ち付けられた十字架が仰々しい。
違和感を覚えて歩み寄れば、金属製のものだけが真っ先に俺の燐光を反射した。
「おかしい」
「そうだね、ひとつで充分だよ」
「違う、この部屋のこの辺りの位置に、窓が有る筈なんだ。屋敷の入口から見た時に……」
「なんだい君にしては察しが良い。そうだよ、二階から降りる所も無かった……この階の間取りが上階と合わないのだよねえ」
灯りに吸い寄せられたのは俺の方か、怪しい十字にそうっと触れる。
指先が融ける事は無かったので、更に掴んでみた。
……いや、少しヒリつく、聖水の類で清めてあるのだろうか。
深く触れる程、細い針を肉に通される痛みが増した。
「いっ……つ」
「流石は半魔、聖なる道具に弱いとは、ククッ」
「舐めるな、こんな……ちゃちな飾りで……」
ライドウの茶々に苛々して、指の痛みも吹っ飛んだ。
他の十字架と違い引っ掻けてあるだけなのか、天辺をくっつけたまま左右へと大きくスライドする。
試しに手前へと引っ張ってみれば、呆気なく壁から外れた。
「あ……」
先刻まで張り付いていた箇所に、小さな鍵穴が。
つまり鍵が何処かに存在する筈だが、これまで俺が漁ってきた中にそれらしき物は無かった。
「ライドウ、あんた鍵とか何処かで拾ったか?」
「功刀君、その十字架を貸し給え」
「先に俺の質問に答えろよ」
渋々ライドウに十字架を渡せば、奴はそれを上下逆さまにして側面を眺め始めた。
そして鍵穴へと、徐にソレを突っ込んだのだ。
「こういうのはね……灯台下暗しって云うだろう…………ほぅら、噛み合った」
背後でジャックランタンが賞賛に揺れていたが、俺は何処か釈然としない。
経験値の差だろこんなの。俺は探偵の真似事なんて、これまでしてこなかったんだから仕方がない。
「で、ドアノブは何処だよ」
「回転式ではないのかね、この様な壁は」
「はあ……成程、忍者屋敷みたいな?」
壁面モールディングの下部、縦木目の丈夫そうな所を目掛け……俺は下駄の歯で蹴り飛ばした。
が、壁が動く様子は無い。
それはそうだ、隣でライドウが同じ様に蹴っていたから。
「そっち蹴るならそう云えよ」
「君からもその宣告を聞いた憶えが無いけれど? それに君が蹴り開けたら、僕の方に壁が迫ってぶつかるではないか」
「あんたが蹴れば、俺がその目に遭うって事だろ」
「当然、だから僕は即座に此方側を蹴った、君もそうだろう?」
「そこまで意地の悪い事、俺は考えずに蹴った……本当だぞ! あんたと一緒にするな!」
流れで開けようとしてしまったが、考えてみれば俺が先陣切って行く必要がどこにある?
ライドウの方へと身を寄せ、お前が蹴り開けろと暗に示した。
「さて、何が出るかな?」
愉しそうに唱えると、右端をぐっと押し蹴るデビルサマナー。
その悪役の様な哂いを背後から覗きつつ、俺は開かれた先へと視線を逃した。
と、真っ先に向かうは窓辺の置物。
明らかにインテリアとは程遠い造形をしていた。
「てっ、手だ」
「手だねえ」
「何だあれ、ああいう悪魔か、それとも本物の人間の手か、おい」
外から見えた影は、恐らくアレだ。
窓辺のテーブルに堂々と置かれた、手首から先。
物を受け止める様な形で、板面から生えている様にも見える。
「僕とて一瞬では判断しかねるよ」
「もうちょっと近付けよ」
「僕を盾に偉そうな物云いだね、普通は猟犬をけしかけるものだろう?」
「俺は犬じゃないし、バラバラ死体を見る趣味も無い」
なんとかファミリーとかいうホラーコメディ映画に、ああいうキャラクターが居た様な覚えがある。
今にもくわりと指先の準備運動をして、テーブルから飛び降りそうだ。
しかしそろそろと近付けば近付く程、その手首が生きていないと実感を得た。
どんな悪魔にも備わる筈のMAGが感じられないからだ。
「ああ……これは《栄光の手》かな」
またもや不用意にむんずと掴み上げたライドウ、その手の先の手を睨みつつ俺は後ずさる。
「それ掴み返してくるんじゃないのか、悪魔じゃなくても呪われたアイテムだったりしないのか」
「これも蝋燭だよ、功刀君。人の手の形をした蝋燭」
「はあ? こんな趣味の悪い形の蝋燭が存在――……」
先刻もあんな形の蝋燭がゴロゴロしていたし、と云いかけて飲み込む。
違う、あれは俺の勘違いだ。忘れて欲しいし忘れたい。
「これはね……指先に魔術用の香油を塗り、直接点火する魔の道具。五本の指を融かしつつ、魔力を高め呪術を執り行う……」
「五本同時に点けたら、親指か小指が先に無くならないのか」
「並び位置で錯覚するだろうが、そうそう指の長さなぞ変わりないさ。それに御覧、これを使っていた者は端から順に融かしていた様子だ」
俺に突きつけてくるので、否が応にも目に入る。
ライドウの云う通り、蝋の手の親指は殆ど失せ、人差し指も半ばまで融けていた。
「……で、それも回収するのかよ」
「勿論、この小部屋は家主にとって大事な場所の様子だからね。重要そうな物は回収しろとの御依頼だ」
部屋を見渡す、ジャックランタンも頭をぶつけていた程の狭さだ。
狭いのでカンテラの灯りが万遍なく行き渡り、煌々として目が眩む。
「この部屋で最後だろ、さっさと出たい」
「結局何も起こらなかったね。銃弾も新調したというに、つまらぬ」
何をがっかりしているんだこのサマナー、そんなに戦いたいなら討伐依頼でも募集すれば良い。
戦闘のひとつも無かった訳だが、ジャックランタンにきっちりとMAGを与えるライドウ。
懐中電灯の代わりをしただけだろ、しかもホラーツアーだとはしゃいで楽しんでいたではないか。
それでMAGが貰えるだとか、役得も良い所だ。
不気味な回収品の入った風呂敷を背負いながら、俺は真っ暗な帰路の中、ずっと気分が悪かった。
帰宅早々ゴウトに愚痴を零そうかと思ったが……駄目だ。
あの猫、鰹節を平らげると軽く寝る癖があった。



応接室に向かい合って座るライドウと依頼人、それはいつも通りの光景だ。
「いやはや先日は助かりました……報酬の用意が遅れ、申し訳無い」
相手は先日の屋敷調査を依頼してきた人だ、回収後すぐに当人へと回収品を渡したから憶えている。
夜中の駅で待ち合わせていたのだが、前金すら無い事に俺は驚いた。
ライドウは無駄足を踏む事を嫌うので、大損しない予防線を毎回張っている筈なのに。
「特にあの“手”がね……取り戻せて、本当に嬉しく思う」
「お目当てが確保出来ていて良かった。では依頼は達成という事で、了解をして頂けますか」
「問題有りません、有難う若い探偵さん」
俺は依頼人にお茶を出してから、即座に給湯室へと避難していた。
上手く云えないのだが、あの依頼人……臭いのだ。
駅で見た時から、身なりがかなりみすぼらしいとは感じていた。
今日は幾分かマシになっていたが、それでもそこら辺に無造作に捨てられた古着を無理矢理纏った様に見える。
「や〜し〜ろ君」
不意打ちにびくりと肩が跳ねた、振り向けば鳴海が俺を見下ろしている。
お茶のおかわりだろうか、それとも鳴海には珈琲が良かったのだろうか。
「はい、何か」
「ね、やっぱり臭うよねぇ、あの人」
「…………浮浪者の様な臭いって事ですか」
「ううん、ちょっと違うなぁ。もっと生臭い感じの……腐った魚とかそういうのじゃなくてさ、もっと感覚的なの」
驚いた、ライドウに任せきりだった鳴海が気付いているとは思わなかったからだ。
あの部屋での、一瞬の邂逅で嗅ぎ取ったなら侮れない。
「いや……俺はその、ああいう交渉の場に居るのが得意じゃないってだけです」
「そお? でもいつもはちょっと離れた所でじっと聴いてるじゃないの、ライドウと依頼人の話」
案外目敏い……そういえばこの人、元は軍人だったか。
だから今回、あの依頼人から漂う“死臭”にも気付いたのか。
でも、此処で同意しては同じ穴のムジナだ。
「あの、おかわり必要か見てきます」
俺は銀楼閣に居候している憐れな一般人のフリをして、話を終わらせる。
応接室に戻ると、依頼人は立ち上がりよれよれのコートを正している最中だった。
この暑い時期にコート……いや、それを云ったらライドウなんか学ランに外套だが。
「お茶美味しかったです、有難うねぼく」
唐突に俺へと言葉が向かってきたので、咄嗟に返せず立ち竦んだ。
その顔を不躾にも、まじまじと顔を見つめてしまった。
やつれた顔、土気色の肌、眼球が少し飛び出した目、静電気で逆立った様な頭髪……年齢不詳な男性。
まあ確かに、新茶なんて飲める立場では無さそうに見えた。
「いえ、お客様には欠かさず出しておりますので、遠慮無く」
「塩水よりお茶が良いですよね、やっぱ」
意図の分からない返答に首を傾げそうになったが、聞き流して部屋の扉を開けた。
お帰りは此方です、という、俺なりの親切な急かしだ。
「では、これで」
それだけ云い残すと、依頼人は階段をふらふらと下りて往く。
途中転げ落ちないかと少し不安になって、部屋から軽く身を乗り出して背中を追った。
手摺に掴まりつつ、ゆらりゆらりと遠くなるその姿の一片に、俺の背筋がぞわりと粟立つ。
応接室へと引っ込むと、迅速に、しかし大きな音を立てない様にして扉を閉めた。
残った湯呑のお茶を啜るライドウに、詰め寄る。
「ライドウ」
「何、鼻が曲がったと僕に文句されても困るね」
「あの人、指が無い、右手の親指と人差し指が欠けている」
「それは君……そういう人だって沢山居るだろう? 工具を使う職人や、シノギ達の指詰だとか」
「駅で最初にあの人を見た時、長い袖で手先まで判らなかった。あの蝋燭の手って、本当に蝋燭だったのか? あの人の……手首だったんじゃ」
テーブルに湯呑を置くと、ライドウは軽く伸びをして指の関節を鳴らし始めた。
それは止めろ、指の形が悪くなる。
「フフ……何だい、渡した《栄光の手》を、彼が自らの手首に装着したと?」
珈琲サイフォンの音がする、鳴海が戻ってくるまで、あと少しある。
俺はライドウの隣に座り込み、尖ったモミアゲに口を近付けた。
「本当に生きているのか、あの依頼人」
ソファが揺れている、ライドウがくつくつと哂っているのだ。
先刻まで鳴らしていた指で、今度は紙切れを弄んでいる。
あの依頼人に“報酬”として渡されていたそれ。
規則性の無い数字達が、つらつらと走り書きされていた。
「ちゃんと新聞を読んでいるのかね、功刀君は」
「もうこないだのは捨てた、そこまで憶えちゃいない」
「《栄光の手》はね……高い効力を得たい場合には、本物を使うのだよ」
「本物……って」
ほらみろ、やっぱり人間の手じゃないか。
この男、知っていてあの扱いか……本当に怖いもの知らずで呆れる。
「斬り落とした死刑囚の右手が好ましい、一定条件の環境にて人体は屍蝋と化す……」
「屍蝋って何だ」
「腐敗せず蝋化した死体の事さ、木乃伊とは違い湿度が欲しい。少々精製が難しい為、貴重な逸品として術者の間では取引される。あの屋敷の主はね……墓を発いて素材を調達していた」
「犯罪じゃないか。そいつ今何処で何してるんだよ、警察にはバレてないのか?」
「フフ……家主は調達後、毎回しっかりと墓は元通りにしていた。しかしヤタガラスに露見してしまい、現在は雲隠れ……堅気の墓で調達するのは御法度だからね」
「じゃあ最近流行ってた墓荒らしって、そいつとは別なのか? 辻褄が合わないだろ」
「己の手首を求めこの世に甦った亡者達が、自ら地を破ったとは想像しないのかい?」
なんだそれは、ゾンビ映画じゃあるまいし。
火葬が当たり前の俺の感覚からすると、日本の光景だとは想像し難い。
「なら、さっきの依頼人が説明するんじゃないのか……あんたには、本当の事を」
「死人が退魔を生業とする者に正体を明かすと思うのかい? 僕は霊の調伏を専門としてはおらぬが……この事務所を訪ねてきたという事は、僕の事を少しくらい耳にしたのだろうさ」
「怪しくていかにも危険な依頼を請ける変人が、此処に居るって噂……?」
戻ってきた鳴海が、珈琲のマグを片手にゲラゲラと笑って着席した。
俺の発言が丁度聴こえたのだろう。少しカップから垂れた雫をぺろりと舐めて、再び笑っている。
「上に行こうか、功刀君」
ライドウに軽く足を蹴られ、促された。
俺はソファから立ち上がり、追従しつつ鼻を啜った。
未だ微かに残っていた死臭が、薄らいでいく。ライドウの部屋に入った途端、完全に途絶えた。
魔物を遮断しない、心地好い空間だ。悪魔を使役するこの男らしい部屋だった。
あの屋敷に施されてた破魔は、さほど強くも無かったが煩わしくはあった。
死霊なら、確かに灼けてしまうかもしれない。あの“手”を取り戻そうとすれば、十字架に触れ蒸発するだろう。
だから生者を頼ったのか……それも、胡散臭い依頼を請けてくれる奴を。
「そういえば死刑囚とか云ってたよな」
「無縁仏の定番、共同墓地の常連」
「あの人、そんなに大悪党だったのか? ヨレヨレだったせいか、そうも見えなかった」
「殺人はしておらぬが、放火もやらかした泥棒だ。金品のみならず、各界の曰くつきの代物を盗み出していた……彼も変人さ」
こいつに変人扱いされるとは、死んでも死にきれない。
机に向かい始めたライドウから目を逸らし、俺は暫くぼうっとしていた。
あの依頼人は気配が妙だったし、死臭もしていた。とはいえ普通の人間が如く、鮮明に視えていたものだから。
これでは行き交う人々の群れの中、誰が本当に生きているのか判らなくなりそうだと……どこか不安が燻りだす。
「そんな彼が所持していた金庫が存在する訳だが、未だに鍵を解除する数字が判明していない」
まだ話が続いていたのか、ライドウの声で我に返る。
俺は腰掛けていたベッドに素足で上がり、寝転んだ。
話が難しくなりそうなら、このまま狸寝入りを決め込もう。
「金庫なんて切断出来るんじゃないのか」
「この時代の工具では難しいね。悪魔ならば可能かもしれぬが、僕は軽々しく警察にそういう力は貸したくない」
「あっそ……気分屋のあんたらしい、凄く面倒」
たぶん、俺の居た時代と比較したのだろう。話は早いが腑に落ちない。
あんたは一体どこの、いつの人間なんだ……ライドウ。

軽く開けられた窓硝子に、絽のカーテンが揺れている。
本来重なる繻子幕は端で括られ、微かな黄昏の陽が部屋を茜色に染めていた。
遠くから聴こえていた蝉の声は徐々に落ち着き、虫の声に取って代わる。
夏の午後の部屋だった。俺の家にもあった、懐かしい空気。
こうしてじっとしていると、デビルサマナーという単語も忘れそうになる。
こんな血腥い内容では無しに、他愛も無い事を喋って過ごせば、只の友人と過ごす夏休みの様にも錯覚出来るのに。
あんな用件でなければ先日の屋敷散策だって、悪乗りして廃墟で肝試しする、只の馬鹿な学生連中だったのに。
俺に群れる趣味は無いけれど、そんな馬鹿な遊びをする趣味も無いけれど。
先日からのあれこれが、ホラーという娯楽ではなく、俺達にとっての現実な事が肌寒い。

「ねえ功刀君、この数字の羅列……何だか分かる?」
あの紙切れをひらひら煽がせて、俺の横に転がり込むライドウ。
「知らない、興味無い」
「金庫の数字」
即行でバラしやがった、云いたくて仕方が無かったとみた。
だが、俺がそれに乗ってやる筈も無い。
「そりゃ良かったな。でも開けられたところで盗品は元の場所に返されるだけ、あんたの利にはならないだろ。そんな報酬でよく請けたな」
「金庫を開ける代わりに、中身の数割を葛葉ライドウが頂戴する……という交渉を、風間さんに持ちかける」
「……それ、ヤタガラスには報告するのか」
「する訳無いだろう。あの屋敷に調査で入った事も、云うつもりは無いね」
「それだけがめついあんたが、よくあそこで栄光の手をくすねなかったな。あの口ぶりだと本物は稀少……って事らしいし」
上体を起こす俺に、がつりとラリアットみたく腕を食らわしてきたライドウ。
眼を見れば嫌でも判る、少し腹を立てているな。
だが金庫の数字で浮かれているお陰か、攻撃の度合いが穏やかだ。
普段の機嫌なら、恐らく腹に膝を入れられていた。
「請けた依頼は完遂する、相手が死霊だろうがね……」
「契約を違えないのが身上なら、俺をちゃんと人間に戻す事にも尽力しろ」
「それは僕が召喚皇になる為の駒として、君がしっかり成長すればの話だろう?」
どうせいつもの堂々巡りだ、深く考えない事にする。
いくら後悔しようが、あの瞬間、俺にはこいつの手を掴むしか生き残る手段が無かった。
肉体の生死ではなく、精神の存続を望んだ結果だ……
あの依頼人が、既に蝋化してしまった欠損部分を取り戻したがったように。
俺の心があの時、他者の手を求めていた……それだけだ。
「それにねえ……僕こそが《栄光の手》を、いつだって手にする事が可能なのだと、君は気付いておらぬのかい」
俺に跨るライドウが、サディスティックな笑みで見下ろしてくる。
上機嫌の根幹を見た気がして、擬態しているのに項がビリビリと痺れた。
ああそうか、この男……どうりであの日から俺の手を見ていると思ったら。
「別にね、死刑囚の手である必要は無いのだよ」
「……俺は、普通の人間とは違う。手首が蝋化するとは限らないぞ……」
「こんな時だけ否定して、フフ……往生際が悪い。ああ、でも君の手なら、わざわざ火を点す必要は無いだろうねえ……独りでに光るから」
あんたこそ、こんな時だけ指を絡ませてきて。
繋いだ箇所から恍惚としたMAGが俺の方にまで伝わってきて、躰が苦しい。
契約相手の快感はダイレクトに響き、俺の骨身を蝕む。
受給の痛みを軽減する為、勝手に受け入れようとする悪魔の身がおぞましい。
「幾度斬っても、生えてくるだろう?」
「俺に痛覚が有る事を忘れるなよ」
ライドウの指は白い……しかし死人のそれより血色のある、がっしりとした男の手だ。
職業の割に、未だ綺麗に五本揃っている。
物騒な得物を扱い、日々鍛錬され力強く。
俺を引っ叩き、口内に侵入し舌を捻るは嫌らしく。
しかし、俺の何処に触れようが、何処に入ろうが……憎悪の次には縋ってしまう。
「おいで」という声と共に、あの頃の俺へと伸ばされた唯一の手だったから。
俺はライドウの手が……好きだ、火を点さずとも見つめていたい。
MAGを生み出し魔力を高揚させる、俺にとっての栄光の手……

「功刀君」

いつの間にか日は暮れ、窓からの陽射しも失せていた。
夏の夜の部屋。弛緩した為か、擬態の解けた俺だけが光っていた。
燐光に照らし出されるライドウの眼が、狐火の様に揺れて見える。

「他に渡したら……承知しないからね」

俺は金縛りにでも罹ったかの様に、返事も身動きも出来なかった。
愛おしげに俺の右手を撫で回してくるライドウが、これまでの夏一番のホラーだった。


-了-


* あとがき *

拍手御礼SSとしてホラー要素の有る話を書こうとしたら文字数オーバーの為、普通のSS扱いに変更……本末転倒。先日更新した帳スピンオフ「Demonio」の2話目で、夜が口走った《栄光の手》をテーマにしたくて、執筆しました。今回のタイトル画像、右手骨の親指・人差し指を御覧下さい。
矢代は触られると、それなりに興奮するらしいです(今更なライ修羅アピール)

《死刑囚》処刑法のひとつ電気椅子においては、人体の抵抗値を下げる為に塩水で湿らせて(着衣か電極)それから電流を流す。これだけで電気抵抗は百分の一になり、0.004アンペアでも死に至る。劇中の依頼人はこの方法で処されたイメージ。

《セブンノブキャンドル》魔術用品のお店で購入可能。
栄光の手は……代用品なら自作が可能、粘土か蝋で成形。ブードゥー人形と同じ様に、対象者のパーツを中に入れておく。魔力を高めるオイルを塗りこめ……(以下略)※この辺はネット検索すればいくつか方法がヒットする。各々でお好きな魔術ライフを。

《火葬・土葬》大正時代、まだ微妙に土葬の方が多かった。地方によっては、当時から火葬が主体の所もあった様子(北海道・山形県など)



ホラーといえば、あまり縁が無いつもりでしたが……私が普段ふらっと遊びに出掛ける僻地が、大抵心霊スポットとして紹介されている事実を最近知りました。必然的にそうなるかもしれませんね、ダム(周辺のトンネルの多さ)廃集落、滝壺に沼地……いや、霊感がゼロで助かった!

それと、滅多に映画を観ない私からのお薦めホラー映画は「死霊館」です、これまた地味な邦題。
海外の作品ですが、恐怖の見せ方はかなり日本的だと思います。猟奇的なシーンも殆ど無いので、スプラッターが苦手な方でも観られます。
監督は「SAW(ソウ)」を撮った方の筈ですが、死霊館はかなり正統派でミステリー要素は殆ど無いです(無い訳ではないが、全てのネタが定番的)
それでも面白いと感じたのは、とにかく演出自体に拘っていたからだと思います。凄いCGエフェクト…や、奇をてらった美術…等では無く、実にシンプルに仕上げてあります。 それと家族愛が見えるのが良かったかな……押し付けがましくない程度、しかし無ければ恐怖感も減少すると思う要素です。LOVEが前面に押し出されている作品は敬遠しがちなのですが、土台にしっかり組み込まれていると感情移入し易いですね。