月下美人[ゲッカビジン]
学名: Epiphyllum oxypetalum、英名: Dutchmans pipe cactus、A Queen of the Night)
メキシコの熱帯雨林地帯を原産地とするサボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物。
別名は「Queen of the Night」


夜の女王




山間の夜は、街中よりも暗い空気だ。
大した標高でも無いが、桜田山から見上げる空は、街中より近く感じる。
時折、何かの声がしたが、それが何の生物かまでは判らない。
『おほっ!咲いてる咲いてるぅ』
隣でクネクネと歓喜のモーションをしたナルキッソス、云うなりばたばた駆けていく。
女々しいとはいえ、そこは悪魔か。鬱蒼と茂った荒草をものともせずに、目標物まで一直線だ。
「あんたとあいつだけで良かったんじゃないのか、植物採集なら」
ナルキッソスの後に続くライドウ、暗闇に溶け込んでいる。
山陰と木々の隙間から射す月光で、黒い外套も辛うじて認識出来る。
「何を云っているのだい功刀君、君に採集しろとは命じてないよ」
「じゃあ俺はこの場に不要じゃないか、遠足じゃあるまいし……」
「遠足か、フフ……一度くらい仲の良い“お仲間”を演じてみるかい?」
「遠慮しておく」
屈んだナルキッソスが、白い花のつぼみに耳を寄せている。
その妙な光景に、俺はライドウを睨んだ。何をしているのか説明をくれ、と暗に云ったつもりで。
「今宵は月下美人が咲くのさ」
「月下美人?あの花の事か」
なんとなく名称は耳にした記憶があるが、どういった造形かを認知していなかった。
こんな静まり返った真夜中に花を開いて、どうやって生きているのだろうか。
「蝙蝠だよ、花粉を運ぶのは」
「はっ?」
「蝶や蜂では非ず、あの花達が身を任せるのは蝙蝠」
「……まだ誰も訊いてないだろ、勝手に薀蓄垂れやがって」
俺が説明して欲しかったのは、ナルキッソスの行動だ。
花と会話でも出来るのか?あいつは。
「開花の音がするのだよ」
いよいよ述べたライドウに、しかし思わず問い質す。
「本当かよ」
「本当さ、夜中の山は風音や鳥の欠伸やら、そこそこ賑やかしいからね。ああやって耳をそばだてねば、聴き取れぬよ」
今の俺とライドウには、聴き取れていない。
足下で、草に埋もれるゴウトはどうなんだろうか、獣の耳には響くのだろうか。
「……で、聴き取ってどうするんだ。それだけなら俺、歩いて帰るぞ」
「具合を診ている、問題無く開き切るかを。ちょっとした医者さ……専門家の方が良いと思い、ナルキッソスにも来て貰った」
「みてる?あいつの庭って、筑土町の店だけじゃないのか」
「今回は依頼で来たからね、彼の管轄では無い。花の開花観察と、保護…他諸々」
嫌な予感がする、これは勘でしかないが……このデビルサマナーとの付き合いが、俺にそう直感させるんだ。
袴の脚を少し開き、視線を一帯に横切らせる。そんな警戒心剥き出しの俺を見て、ほくそ笑むライドウ。
その白い指先が刀の柄に伸ばされると、ゴウトが外套の背後に跳んだ。
まるで、何かの合図の様に。呼吸を止めて音を待つ……
「君にも働いて貰うよ功刀君、その為の“お仲魔”だろう?」
ライドウが云い切ると同時に、風切音と草鳴りが周囲から響き渡った。
上空から何かが草むらに、ぼとぼと落ち転がっては跳ねる。
茂る緑の合間から、白い頭蓋がケタケタ笑う。
『ウタイガイコツか。おいライドウ、しっかり注意してやるのだぞ』
ゴウトの忠告に、ライドウではなく俺が返答する。
「云われずとも解かってますよゴウトさん、コイツ等とは数回やりあいましたから」
火炎を吸収するしゃれこうべだ。流石に遠い昔の話でも無ければ、俺だって憶えている。
浮遊し、俺達を取り囲む様に笑うウタイガイコツ共。恐らく敵意が有る、無かったとしても俺は既に気分が悪い。
「花の観察の為の護衛か?」
「フフ、まあ花を大事にする事には違いないよ。少し話をしたいからね、僕が良しと云うまで手出し無用」
話し合いとか云いながら、ライドウは外套ですっぽりと手元を隠して前に出た。
敵の警戒を緩ませたい訳じゃあないだろう。相手も幾ら脳味噌が無いとはいえ、隠された手の先は気になる筈。
あの男は、不安を煽る事が得意なんだ。
『ケタケタ、珍シイナンナナー♪』
 『人間ナンテ久シブリ、ユックリシテケッケ♪』
  『MAGハ〜チャッカリイタダキマース♪』
   『骨ト皮ニナルマデ吸ッチャウヨチューチュードレイーン♪』
輪唱の様に喋ると、一斉にカタカタケタケタ鳴ったウタイガイコツ達。
向こうのナルキッソスは無視されているのか、後回しの対象なのか……
それとも、ライドウと俺は、外見がいかにも“人間”だからだろうか。
ナルキッソスだって、頭に花生やして馬鹿なだけで、シルエットは同じ人型だろうに。
(俺達に雑魚の相手させて、自分だけ花と戯れて……あの野郎)
苛々している俺の気配を殺気と読み取ったのか、ゴウトがしかめ面で俺を振り返る。
手だしするなと云われていて、且つ俺と直接関係無い事だ。誰が横から割って入るかよ。
「此処で以前、何が起こったのかを聴き込みしていてね」
『何ッテ何サァ♪』
「殺人事件。あすこの月下美人を巡って一悶着、と僕は踏んでいるのだがね」
『ソリャア面白イ♪花モ歌ウヨナァ!私ノ為ニィ〜争ワナイデェ〜♪』
「御存知無いかな?」
『アー、深川ントコノ、ヤクザガ殺ッテタ♪』
 『イヤイヤ、晴海ノ金髪キラキラ、ベーコクジンダヨ♪』
  『アアッ、ソウ見セカケテ!山ノ麓ノ茶屋ノ店主ダラララ♪』
   『インヤ、衝撃ノ事実!犯人ハオマエダ!黒マントモミアゲ〜♪』
馬鹿馬鹿しい、コイツ等元々真面目に答える気なんか無いに決まっている。
俺はあからさまな溜息を吐いてみせたが、ライドウは退かない。
「ではひとつ取引しないかい?お望みの通りMAGをくれてやろう。その代わり、約束事を飲んで欲しいのだよ」
『ユビキリゲンマンッ♪』
 『嘘吐イタラ九十九針ノーマソッ♪』
  『アラッ!九百一本モオ得♪今ナラ何ト、ローマノ銀貨モセットデ付ケシマス♪』
   『ソノ銀貨!拾イ物ヤナイカ〜イ♪』
おいおいMAGをやるって、相手は四体だぞ。
均等にくれてやったら、一体に対する量は大した事も無いだろう。
それとも、全員が納得する量を与えるつもりなのか?
「約束事は単純明快、今後は僕の問いに対し“四名の中で一名だけ真実で返す”これを条件とする。そして“真実を述べる者は同一”である事」
「はあっ!?全員に云わせろよ」
「功刀君、僕はいつ良しと云った?」
「……チッ、まだ口しか出してない」
だって、天秤にかけたら絶対吊り合っていないだろ、こんな取引。
ライドウのMAGに文句をつける悪魔なんか、見た事が無い。簡単に云うと美味なんだ。
それをほいほいくれてやって、それと引き換えにあの条件?全員の口を割らせたって、天罰も無い筈だ。
『面白イ、ノッタッタ♪』
「満場一致?」
『コノ後質問攻メナノカ〜気ニナルゥ♪』
「いいや、普段の住処に戻って頂いて結構。今晩はこの辺りに滞在するからね」
『今更ダケド、オ前ハデビルサマナーカ♪ソウカ♪』
「ではお好きにどうぞ、歯を立てぬように宜しく頼むよ」
外套の黒が揺れると、すらりと伸ばされる白銀。
ライドウが愛用する刀は月光を浴びて、更に活き活きとして見える。
音も無く振られた刀身に、注がれるMAG。水の様に艶めかしく刃を潤わせてゆくそれ、濃度は恐らく高い。
ガチガチッ、と音を立てて喰いつくウタイガイコツ達。あんなにスカスカなのに、存分に吸い込んでいる。
「ま、強く噛まれようが折れるナマクラでは無いがね」
四つの髑髏を提げた刀は重いだろうに、ライドウは余裕の哂いだ。
むしゃぶりつかれる反動に、腕を振られる事も無い。革靴が草を踏み締める音が、時折した程度。
『プハーッ!コレダネ♪』
「満足頂けたかな?これ以上欲するなら、もっと美味しいのが有るけれど?」
外套から抜かれたもう一方の手には、リボルバーが握られている。
俺は知っているぞ、本当はそっちを喰らわせる方が好きなくせに。
『甘露カンロ♪モウジューブン♪』
 『鉛弾怖イヨー!上手ク歌エナクナッチャウヨー♪』
  『ソレハ訛リヤナイカ〜イ♪』
   『ジャアナサマナー!訊キタイ時ニハ呼ベ♪』
豊潤なMAGで気分が浮かれたのか、四つがカチカチとぶつかり押し退け合いながら、上空に昇って行った。
逆光に松の枝が震えるのを見届けると、ライドウはようやく武器を納めた。
「開花観察と保護じゃないのかよ、何だよ殺人事件とか聞いてないぞ俺」
「君には伝えていないから当然だろう?」
「おい…っ、いっつもそれだなあんた。しかも俺、必要だったのか?あんな連中程度、あんた一人で事足りるじゃないか」
「ナルキッソスに花は任せて、少し散歩といこうか功刀君」



嫌な予感は継続中……しかもこいつ、ゴウトをナルキッソスの所に残しやがった。
「ナルキッソスに何かあった場合の伝達係」とかそんな理由をつけていたが、そんなのライドウの出任せに決まっている。
月下美人に夢中のナルキッソスはどうでも良いが、あの黒猫も黒猫だ。
面倒なのか、一瞬髭をピクリとさせただけで『そうか、あまり離れるなよ』とだけ云って見届けやがって。
本当に御目付役か?俺がライドウと同行を始めた初期に比べると、最近はかなり放任しているじゃないか。
まるで、俺が付いているならまあいいか、とでもいうかの様な。
しかも、俺が御目付役のポジションという訳でもなく、ただ単に……
「ねえ功刀君、あのウタイガイコツの中で、誰が正直者だと思う?」
おちょくる対象という、そんな不名誉なポジションだろう。
「悪魔なんだから、全員適当に答えるだろ」
「そうだね、今の君の様に?」
月光が路を作るだけの、辛うじて歩ける森の中。
デビルサマナーに渋々追従する他無い、虚しい俺。
そうだ、せめて自分から何か振れば、少しはライドウの言葉の矛先を逸らせるかもしれない。
「殺人事件って何だよ、現場検証された様には見えなかったぞ。草だってぼうぼうとしてたし」
「死体は発見されてはないよ?僕が勝手にそう判断しただけ」
少し喰いついた気がする、目許がじわりと撓むのが見えた。
こいつの関心が高い内容で、且つ語らせればそこそこ時間稼ぎにはなる…筈。
「勝手に判断って、あんたは何様だよ……そもそもどういう件なんだ」
「月下美人は珍しい花でね」
「そうか?割と聴いたぞ」
「君の時代と一緒にするでないよ。先刻の場所だって、株を持ち出した人間が秘密裏に通っていた園だ」
持ち出した……秘密裏……やはり、この男の口にする単語は物騒な類が多い。
少しだけ背後を振り返った。先刻の園からは離れ、ナルキッソスの姿も闇にまぎれてもう視えない。
「持ち出し育てた人間が、園芸仲間にあの場所を教えたのだがね」
「……どうして殺人に発展するんだよ」
「行方知れずでねえ、栽培者だけが。その奥方が園芸仲間に問い質しても、白を切るそうだ」
「シラ切るって、本当に知らないんじゃないのか?」
「さてどうだろうね?僕等にとっては只の花でしかない、しかし彼等にとっては、それはそれは夢のある花なのかもしれぬだろう?」
「その奥さんも園芸好きなのか?」
「いいや、花の事はよく分からぬそうだよ。子供を授かっていればねえ…フフ、独り身で無く済んだろうに」
仲間内で、月下美人を独り占めにする為に?まさか……たかが花の為に、殺人まで犯すか?
確かに、遠目に見ただけだというのに、白い半咲きは幽玄な雰囲気が既に滲み出していた。
「ウタイガイコツの逸話を知っているかい?あの連中は松の上で歌い続け、人間の気を惹く……何故だと思う?」
さくり、と葉を鳴らして立ち止まるライドウ。俺も同時に止まる、遭難して余計な体力を消耗したくないから。
そして、何の為に立ち止まったのかを推し測る。悪魔なのか、もっと性質の悪い存在の気配なのか。
「ねえ、功刀君」
「知らない」
「承知している、君が知らずとも続けるので安心し給え。先刻のウタイガイコツ達、何かを見たとは思わないかい?」
あの園で何かが行われたのなら、目撃の可能性は高いだろう。奴等の飛び降りてきた松の木は、すぐ傍に聳えているから。
だが、相手は悪魔だ。聞き込みをした所で、正直に答えてくれるとは思えない。
「渋い顔だね」
「あんたがあまりに憶測で判断するから、呆れてるんだ……」
「ああ、いつもの顔だったか、すまないねえ」
ライドウこそ、いつもと同じ余裕の哂いだ。こんなに暗がりでも判る。
MAGの脈は酷く穏やかだ。恐らく、満ち足りて緩やかなのでは無い、少し足りていないんだ。
このデビルサマナー、ゆっくりと循環させて誤魔化しているに違いない。
傍を歩く俺の勝手な感触だったが、半分くらいは確信が有った。
契約者だからだろうか、ボルテクスからの粘着質な縁のせいだろうか……嬉しくも無い、第六感。
「各々の性格までは瞬時に読み取れぬが、ああいったお遊びをさせるとね…フフ…存外乗って来るのだよ」
「一体だけが本当の事云えってアレか?馬鹿みたいだ、そんなのと引き換えにMAGをくれてやるなんて」
MAGが薄いだけでやられる男では無い、そう知っているからこそ俺は軽く嘲笑した。
普段からもライドウは、自身を切り売りするかの様に悪魔と交渉し、危うい空気を常に纏わせている。
それなのに、いつも終いには相手を手玉に取って哂っている。
今回も多分、こいつの意のままなんだ……なんとなく、不愉快だけど。
「おい、さっきから立ち止まってるけど、何かあるなら云えよあんた」
不安だから、なんて口が裂けても云えないが。
散々MAGを吸わせていたライドウを、他の悪魔が見ていたかもしれない。
戦い辛い悪魔なんかに今絡まれるのは、正直御免だ。
手練れとはいえ、こいつも人間…それに、昨日だってロクに寝てないし食べてもいない筈。
一体何を糧に動いているのだろうか、MAG?それだけで何とかなっているのなら、それは殆ど悪魔ではないのか……
「先刻の場所よりも、随分と落ち着いているだろう?」
「俺はあんたと違って、鬱蒼とした暗い場所が趣味って訳じゃないからな」
「怖いのかい」
「馬鹿云うな。ボルテクスで散々、不穏な場所は歩いて来たんだ。今更怖いも何も――」
そうだ、怖いのは場所とかそういうのではなくて。
悪魔だって、あんたと俺が居れば、対処出来ない属性なんかは恐らく無い。
周囲では無く――…
「僕が怖いのかい」
木々の影が深い、この辺りは本当に真っ暗だ。隙間に見えていた星も、ライドウに阻まれ消えた。
俺の脳内で、図星だけが明滅している。
「……喧嘩なら買ってやろうか?今のあんたなら…負ける気はしないぞ、俺」
嘘は無かった、それだからこその挑発だ。
こいつにだけは、ビビっているだとか悟られたくない。
「僕をのして、この後如何するのだい?」
「どうするって……いや、だってあんたがこうやって、嗾けてきてるじゃないか」
何を考えているのか、ライドウは俺の肩をさっきから掴んだままで。
両手が塞がっている訳だから、てっきり足でも使ってくるかと思い警戒していたが…脛や股を蹴られる事も無く。
「ねえ、如何なの、怖い?」
「おい……何だよ、だから…っ」
肩を掴んでいた手が、くっと喉元にあてがわれる。ああ、首を絞められるか、と思いきや頬を挟んでくる。
一歩二歩と下がった所で、唐突にライドウの眼が近くなる。
(頭突きか)
こいつ案外石頭だからな、と脳裏に悪態を吐きながら俺は食い縛った。
が、額に衝撃は無い。
「ひッ…む、ぐ……ゥ」
フェイントだ、いや、俺が勝手に攻撃だと警戒し過ぎていたのか?
いいや、これも充分な攻撃だし嫌がらせだ。こんな、噛み付く様なキス……
ああ…俺は今、間違い無く“怖い”。
頭突きでは無いにしろ、防御姿勢は崩さないべきだ。
唇の溝を、蛇の舌の様にチロチロと嬲られるが、無視して俺は開門しない。
握り拳で遊ばせたままたっだ両手を使い、俺はライドウの肩を押し返す。
すると、ライドウの掌が俺の首筋を伝い降り、項を爪先で引っ掻いた。
不味い……無理矢理引き剥がそうとすれば、ギリリと食い込まされるかもしれない。
その程度の痛みで卒倒する俺では無いが、いくら擬態しようとも其処は本来突起のある箇所。
意志とは裏腹に、体幹がぐらつくだろう。そんな予感に絆され、俺の両手は押し返す力を緩めてしまう。
「ふ…ぅ、んっ、ぐ」
また予測が外れた、爪は立たなかった。
それどころか、指の腹がくすぐる様に上下に泳がされ…俺の項を震わせる。
(こいつ、俺の擬態…解こうとしてやがるのか)
視界を閉じてしまう訳にはいかない、相手の動きが見えないのは不味い。
しかしそれが酷いジレンマで、ライドウの眼を至近距離で見る羽目になるから――…
「ふは、ぁ…あっ、あぁ!ぶ…っ……ん、んんっ!」
ほら見ろ駄目だ、躱しきれなかった、最悪最低。
唇は敵の侵入を許し、擬態も解除させられてしまった。
ライドウの掌にすっかり握られている、俺の悪魔の本能。
切れ長な、こいつの冷たい瞳を見つめてしまうと…全身の斑紋が俺の肉体を絞め上げる気がする。
こいつの契約でMAGがコントロールされているのか?いや、そんな筈は無いだろ、だって……
契約の前から、このデビルサマナーの眼は俺を捕えていた。明らかに。
イービルアイとか、そういう技にも近しいその眼力が俺を惹きつけるのは…きっと俺が、半分悪魔だからだ。
「っ、あ、はぁっ……っ、は、うっ」
ようやく解放されたと思いきや、掴まれたままの突起を捻られ、グイと面を上げさせられる。
俺は咄嗟に食い縛った。殴られても……またキスされても、良い様に。
今度は侵入を許すものか、と睨み上げていれば……くつくつと揺れる外套。哂ってやがる、この男。
「何、盛ってんだよ、好色野郎」
「君の勝手な解釈だよ功刀君、僕は折角ナルキッソスや童子から離れてあげたのに」
「お…おいっ、ざけんな!此処何処だと思ってやがる……」
「桜田山」
まさかこいつ、真夜中とはいえ……こんな外で何かする気なのか。
俺の着物の衣紋を、ライドウの指が滑る音を響かせる。
「俺は今欲しくない!しかもあんた、俺に寄越すほどMAGも無いだろうがっ」
衿が割かれた隙間から肌着を貫通して、斑紋の光が既に漏れていた。
暗闇に目立って、よからぬモノの眼を惹かないか不安になる。
羽虫とか、獣とか、MAGの燐光に目敏い野良悪魔とか、それから――…
「そうさ、僕が渇いてるんだよ。解かっているなら大人しく剥かれ給え」
「は……何、意味が…」
「今はこの光だけでも、美味しそうに見えるくらいだよ……クク」
手遅れだ、眼前のヤツにとっくに目を付けられていた。
「君のMAGを吸わせろと云っているのだよ、僕は」
「無責任にくれてやるからだろ、どうして俺があんたのフォローしなきゃいけないんだ」
「いつも君にくれてやっているのは、誰だっけねえ…?」
「そんなの……契約上、当然だ」
「へえ、ならばこういう時に、君が僕に寄越すのも当然の流れと思うがね」
反論の声が出かかって、喉奥に結局沈んだ。ここで拒絶すると、俺がMAGを暫く“おあずけ”される可能性が有る。
黙り込む俺を余所に、ライドウは唇の端を吊り上げた。
その形の良い唇が、俺の燐光に反射して濡れている。それを知覚すると、俺は堪らずに視線を逸らした。
これが女性なら…素直に色っぽいと感じるし、自身が反応しても可笑しくない事だと自己完結出来るのに。
どちらの唾液の濡れていたのか、なんてどうでも良い事に思考を奪われた。
多分両者のだ、そんな事は判っている。其処に俺の存在が感じられるだけで、肌が粟立つんだ。
「あんた、悪魔斬ってる時にもMAG吸い上げてるだろ……ああやって間接的に吸えよ……」
「どの様に受けるのが一番濃度が高く、身体の芯まで浸透するか…君が一番理解していると思ったけれど?」
「……さっさとしやがれ!外とか、最悪だ」
「草の褥はお気に召さなかったかい」
「はぁ?しかも寝そべるのか!? 勘弁してくれよ…あんたがさくっと…その、吸えば済む話だろ。俺は立ったまま、袴…緩めれば良いだけじゃないか」
「誰が君のをしゃぶると云った?」
ライドウが哂いながら発した次の瞬間、俺の視界が揺れた。
無警戒の所に、一撃。足を払われた俺は、尻餅をついて草にそわりと抱かれる。
続いて緑の匂いを掻き消す様に、香の匂いが鼻腔を掠めた。
「僕が上に決まっているだろう?」
「っの、乱暴者!上って…何が……」
俺の脚に跨ったライドウが、腰のホルスターベルトを横にずらした。
更にその下へと指を忍ばせ…学生服のトップスの、一番下の釦だけを外す。
「……おい、何であんたが脱ぐんだ」
「云ったろう?僕が君から吸い上げるんだと。君の下も早々に開放してあげるよ、そう急かさないでくれ給え」
嫌な予感は、こいつに同行している時点で発生するものだが、まさか今回ここまでとは予測していなかった。
スラックスの片方から脚を抜いたライドウ。布越しに股座を重ねつつ、不敵に喉を鳴らした。
黒い褌の布地が、俺の袴と擦れて一瞬の熱を発する。
「俺から吸い上げるって、まさか……」
「だから、君が僕に突っ込むのだよ」
「はあぁ!?」
「怖いの?」
ふざけている、大馬鹿野郎だ。
いや、ライドウは既に実行に移っているので、これが本気なのだとは判っているけれど。
俺の中の一般的感覚が、こいつには通用しない。だから怖いんだ。
「どうして俺があんたのケツに突っ込まなきゃならねえんだよっ!」
「君も知っているだろう?僕は丸一日以上固形物を食しておらぬから、糞まみれになる事は無いさ」
おぞましい、どうしてそんな事をしゃあしゃあと云えるんだこいつは。
この為に食事制限していた訳じゃない事は判る。
葛葉ライドウは多忙であって、健康的なリズムで食事を摂取していないから。
こいつは、食べる時には底無し沼の様に喰らい、呑む。
しかし食べなくとも、それならそれで二日間は平然としているから異常だ。
「ちっ…がうだろ!問題は其処だけじゃないっ、俺は野郎に突っ込む趣味は無い!」
「おや、僕だっていつも君に“MAGを与える為”に挿入しているだけだよ?目的も無しに突っ込むならば、女体の方が良いね」
「俺だって同意見なんだよ!」
「ハ……ならば、黙って僕に呑まれるべきだろう?君は今から“MAGを与える為”だけに挿入するのだよ」
袴の紐は長いから、しゅるしゅると解かれる音が永遠に続くかの様な、そんな錯覚を生む。
草を下敷きにして、布地が汚れないだろうか。こんな草木染は嫌だ、元々そういった色の袴ではあるが。
「後日、また聴取しに来れば良いだろ。そうすればこんな、こんな所で……っ」
「消えた栽培者は、月下美人の開花日に家を出たそうだ……同じ状況下での検証が効果的だと思うよ、僕はね」
「俺を…回復道具みたいに扱うなよ。コウリュウでも使って休憩地点に帰るとか…そういう事、まず考えるだろうが」
杜若を薄くした色目の袖が、反物の様に俺の身体の下に有る。
はだけて打ち捨てられた途端に、それは着物から只の景色になってしまう。
「だって、君から吸った方が、早いし安いし美味いだろう?」
「俺は立ち食い蕎麦かよ!本当、意地汚いっ……」
「実際、君には勃って貰う必要があるから、宜しく」
すっかり寛がされた袴の前。着物の左と右は、ライドウに一瞬で払い除けられ。
先刻からの刺激で生理的な反応をするブツが、薄布に丘を作っていて……俺は死にたくなった。
ニタリとしたライドウが、そこに対して突っ込みを入れない辺りも腹立たしい。
そうなっていて当たり前、とでも云いたいのか。
「痛くせぬ様に優しく致すとは、面倒だね」
「ふっ……つう、は、そういうモン、だろ…っ」
「普通とは何の普通だい」
解ってるくせに、こいつ。今の会話の流れから、答えなんて読めるだろ。
下着の上から爪の背で、行ったり来たりを繰り返すばかり。
俺の返事待ちか、云わなければ進まないつもりか?云うのも恥だが、このまま弄られ続けるのも拷問だ。
「ねえ功刀君、何が普通なの、ほら」
「セッ……性行為」
「フフッ、いつもの僕等のアレが該当すると?確かに、MAG抜きにすればそういった行為にも見えるが、君は抜きでしたいのかい?」
「も、う…突っ込ませたい、ならっ…さっさと、その一枚っ…退けろよ」
「この薄布を退かしても、君自身が一枚被ってるんじゃあないの」
何が「優しく」だ。ライドウの言葉は全くペースを崩さず、相手である俺を詰る一方だ。
「ほら、蕾だった……フフ、でも蕾と揶揄するなら、それは孔が相応しかったね」
下着をクイと容易く引っ張られ、俺のソレが揺れつつ覗く。
ライドウの指先は、冷たい。それとも急所を掴まれた俺が、心拍と熱を上げているだけか?
「しかし人修羅になっても、此処の形は変わらないのか」
「っ、は……はぁ…………変わって、たまる、かよ」
「エネルギイのやり取りをするにあたって、挿入器官が進化したりは無いのかね、つまらないの」
「あんたを愉しませる為に、こんな…っ……悪魔なんかに、なったんじゃ、ぁ」
俺は急いで声を引っ込め、顔も横に向けたが。肝心のブツはライドウの掌に甘えるばかりでおぞましい。
緩急つけて、窒息しないけれど花弁を剥ぐ様な微調整。
管を操る指先にも似て、戸惑いを微塵も見せないサマナー。
「按ずる事は無いよ、いつも通りさ……MAGの循環。少ない方が一時受け取る、ただそれだけ」
「あんたは雑魚から吸えるだろうが、っあ、ぅ」
「雄しべと雌しべが反転するだけさ……クク」
そんな事を云うから、自らが植物になった様な錯覚を抱いた。
暗闇に幽かにほのめくMAGが、ライドウの指先を濡らしている。
近くに水源も無い、雨も降りていない。それなのに、湿っぽい音が響く。
その音を掻き消したくて、俺は跨る男を罵倒した。
「雄しべ…扱いて受粉する雌しべだなんて…っ……蜂に刺されて、死ねっ!」
「そうそう…だから先刻の月下美人、蜂を相手にはしておらぬよ。あの花は蝙蝠を迎え入れている……」
「はぁ…っ……こ、蝙蝠……」
そういえば、先刻も聴いた気がする。再び聴くまでは、完全に頭から消えていたが。
俺に圧し掛かり、覆う外套で夜を色濃くするライドウを見て、思わずその生物を重ねた。
指先の花粉を舐めしゃぶり、満足そうに哂う蝙蝠。
「その為、あの花は宵に咲き誇り、目立つ純白を纏い……甘い香りで誘う様になったそうだ」
「蜂、とかに、しとけばいいのに……はぁっ…まだるっこしい、花」
「理由なら月下美人に訊いておくれよ、もしかするとナルキッソスが翻訳してくれるよ?」
ライドウは濡れた指を、今度は自らの下肢に運んでゆき……ひとつ息を吐いた。
片腕を反らし、少しだけ膝から腿が突っ張っている。
その息遣いに規則性が見られた。
戦う時の、活力を一刀と共に揮った後の呼気。仲魔に命じたり、札を翳して言挙げする際の無音呼吸。
普段のライドウの見せる息吹の中で、一番お目にかかる機会が少ないのが、目の前の今。
ああ、多分抉じ開けているんだ、所謂「蕾」を。
攻撃を受ける事が少ないこいつの、希少な呼吸。
俺みたいに、無理矢理堪えて呻いた揚句に喘いでしまうとか、そんなヘマはしないんだ。
戦いと同じく場数を踏んでいる事が垣間見えて、悔しい様な、しかしそうはなりたくない様な。
「……ほら……少しは其方から、突き上げてみたらどうだい」
「っ……」
先端がぐっと押しつけられ、行き止まるかと思いきや。ぬぶりと頭だけを咥え込まれ。
異様な感覚に戦慄した腰が、判断よりも早く引けた。
「あぁ……君、何かに挿入するの、初めてだった?蒟蒻とかは?フフ……」
「んな、下品な事、しない……っ、はぁ」
乱れた着物ごと、下肢を掴まれる。
ライドウが腰を落とす度に、俺の熱源の奥からズクズク疼く。
“緩い”とも違うが、ライドウの侵入口は酷く滑らかで。
煙草の煙みたいに、アテも無く揺らめかす腰つき。
俺はその煙に巻かれて、既に呼吸困難だった。
「そんな、朝露みたいにゆっくりでは……日が暮れてしまう、よっ」
「っん、んぐ」
「もっと水鉄砲みたいに出せないの?そういえば交渉でも君、マガツヒは拒絶していたね」
「ざけんじゃねえ馬鹿…っ!人の事を何だと思ってやがるっ……」
「使役悪魔」
ぐち、と根本までめいっぱいに呑まれ、何故か俺の方が呻いた。
油さえ注さずに結合するなんて、だからギチギチと突っかかるんだ。
血と精を纏って入り込んでくる肉、それはいつもなら俺の壁を引っ掻いて割りこんで来るモノ。
今は逆の立場。それに興奮するのかというと、そんな訳が無い。
しかも、どうして俺が下なんだ?
「ほらっ、功刀君っ……ふ、ククッ」
「っ、う、うぐ」
「早く済ませたいのなら、さっさとお漏らししたらどう?」
大して御立派でも無い俺の、恐らく平均的と思われるソレは、ライドウにあっさり呑まれている。
外套の影に紛れる事も無く、発光して肉の影を晒す羽目になっている俺。
ライドウが腰を上げれば光が増して、落とせばすうっと光ごと咥え込まれる。
「強情な奴だね、別に血でも良いのだよ?折角、痛くない方で摂取してやろうというのに」
「ならっ、さっさとブツと刀抜いて、俺を斬ればいいだろ、っ」
「そうかい?ならばそうしようかな、袴の股座を膨らませた君を哂ってやるのも悪くないね」
「んっ、だと…てめ……ひ、っ」
“くびれ”に出入口を引っ掻けたライドウが、その位置に腰を留めたまま手を伸ばす。
柄を艶めかしい指つきでソロソロと撫で、暫くするとキュッと握った。
それをゆるりと鞘まで落としてゆき、親指でほんの少し鍔を押し上げる。
下げれば、かち、と音が鳴って、鞘に完全に収まる刀身。
抜刀の直前の動作だ、抜くか抜かまいかの、瀬戸際。
「では抜こうかな」
「お、い待て、ライドウ」
「何かね功刀君」
「……いや、もう此処までされたなら、今更斬られるのも癪…だ」
「だから何?抜くなって?」
「いや、そんな事が云いたいんじゃないぞ俺は、その…っ」
「ねえ…っ、どっちを?」
見下ろされたまま、互いに沈黙が続く。しかし、動作は止まない。
ライドウが手許で遊ばせる柄が、かち、かち、と微かに音を立てている。
ライドウが下肢で遊ばせる茎が、ぬち、ぬち、と微かに音を立てている。
「だ、からっ…どっちでもいいから、さっさとし――…」
いよいよ焦れた俺は、せめてどちらかを止めさせようと上体を更に起こした。
が、その瞬間にライドウの靴先が草を割り、俺の腰をがっちりと抱え込んだ。
ぐりゅ、と押し付けられるライドウの硬い熱に、腹パンチを喰らっている様な錯覚。
「っあ……ぁ、おい、気持ち悪いの、押しつけてんじゃ、ねえ」
「フフ、今ので少し出たよね君。MAGだけは上等なんだから、性質が悪いねえ…フフ、ッ……」
完全に俺に体重を預けているライドウ、当然ずっぷりと挿入が深まっている。
くらりとして、脳内がドクドクと煩い。ああ、多分近いんだ……限界が。
「さて、どちらを抜こうかな?」
耳元で囁かれつつ、片腕を背に回された。
ぼうっとした頭で考えられたのは、片手を刀から外したという事は……抜刀の可能性が低くなったという事だ。
つまり、このまま腰を振って精を頂こうとしているのか、この蝙蝠男。
「とりあえず、此方を抜こうかね…っ!」
背後で、訊き慣れた摩擦音。本当に微かな音だが、夜の森で間近であれば感じられる音。
見えていないが、気配で判る。現に、刀の鞘は押し出され、俺の腰より後ろに柄頭が送られていた。
この男、俺の背後で抜刀しやがった。その為に片手を俺の背に回したのか……
「そりゃそうか……あんた、いくら痛くしないとか云っても、そんな馴れ馴れしくしないもんな」
「何の話?」
背後に回された片手が、一瞬でも後頭部か項にでも来て……撫でさすってくれるのでは、とか。
相手がこの男という事を忘れて、夢想してしまっていた。
そういう物に疎い俺の、なけなしのラブシーンのイメージ。
そもそも、相思相愛でも無いし野郎同士だし、本当にどうしようもない。
快楽を感じる肌が、勝手に意識まで揺さぶってきた、そうだ……それだけだ。
「どうでもいいから、斬るなら早くしろよ……血を取るなら“下”は抜けよ、どっちも吸われたら堪らない」
「何を不機嫌になっているのだい、続ける為に邪魔者を排除してやろうというのに」
「は?邪魔者?」
ライドウの不敵な発言に寒気がして、俺は首を捻り背後を見た。
先刻まで無かった樹木の影が、月光を遮っていた。
「気付いてなかったのかい?ジュボッコだよ」
「な……な、あんた気付いてた癖にこのままで居たのか?」
「だって君、挿入の度に煩いだろう。いちいち身を離すまでも無いかと思ってね」
ライドウの刀は、それほど尺が無い。だからこそ、この体勢でも抜けるのだ。
そんな恩恵のせいで敵を近付けたのかと思えば、恨めしい。
「恐らく、行為に夢中で反撃出来ないと思ったのだろうねえ」
「じゃねえだろあんた…っ!こ、こんなの見られ……おいっ……平気とか、おかしい!」
「何を狼狽えているんだい君、これはMAGの受給行為だろう?それに、野山で交尾するのは虫や獣だけでは無いよ、安心し給え」
刀を手にした腕が、ぐっと捻られる。
つられて、背後でざわざわと葉の擦れる音。
ライドウが抉っているのだろう、ジュボッコの軋みが悲鳴の様だ。
その、ガクリと項垂れた枝からボロンとひとつ、何かが零れ落ちた。
俺の顔のすぐ横に現れたソレに、思わず叫び仰け反った。
「ただの白骨だろう、君は肝試しに悲鳴する乙女かい」
「ぉ、お化け屋敷の贋物とはワケが違うだろっ!あんたが麻痺し過ぎなんだよ!」
「そんなもの、悪魔にとってはアクセサリーさ。髑髏の首飾りは流行り廃りも無く、定期的に流行しているだろう?」
「知るかよ!おい、此処には悪魔がうろついてるって事だろ、さっさと離れろよ…っ」
「場所を変える?」
「違う、さっさと抜いて服着ろって云ってるんだよ!」
もうMAGとか快楽とか、そんな場合じゃない。悪魔に覗かれているという事実が、俺を一気に萎えさせた。
ライドウが蹴ったのか、倒木の音がズズッと響いた。
伸ばされた足は薄手の足袋だが、接地面が非常に頑丈且つ柔軟そうで。
哂いながら芝の上に残した靴へと、その爪先を挿入していた。
「おい、ズボン穿いてから靴履けよ。靴履いたまま足通す気か?内側が汚れる」
「まだ抜く気は無いけど?」
「はっ?」
「シバブーよりはまだ動ける方だろう?この程度で君は戦えないと云うのかい?人修羅」
手前に持って来られた刀の柄頭で、ぐぐっと顎を押し上げられた俺。
引き攣る眼で睨み返せば、舌舐めずりするライドウの眼も三日月の様にしなる。
「君の喘ぎで聴き取れなかったかな?止まっておいてあげるから、少し耳を澄まして御覧」
「ん、だと……」
「ついでに、眼も凝らしたら?MAGは大気に現れた瞬間発光する事、知っているだろう?」
息を止め、周囲の闇を見据える。
蛍の季節でもないのに、チラつく光と……紐の様な、何かの影も炙り出される。
目の前の白檀以外に、ふわりと薫るのは薔薇。
憶えの有る香りに、何の影なのかようやく認識した。
周囲一帯に張り巡らされているのは、棘の蔦だ……
「あんた、アウラウネ召喚してるだろ!」
『はぁーい、大正解〜人、修、羅、ちゃん』
ライドウの外套に掴みかかった俺の傍、今度は白骨ではなくケバい悪魔が現れた。
見られた事が無かった訳ではないが、堪らずに掴んだ外套で下肢を隠す。
そんな俺を見て真っ赤な唇を吊り上げるアルラウネは、まるで主人そっくりだ。
『ライドウ、引っ掛かったの数体居たわよ?この辺りは結構野良が多いから、やっぱり青空受粉には向いてないわよ』
「だからお前を召喚しておいたのだろう?」
『もうちょ〜っとMAG流してくれたら、ついでに始末もしてあげちゃうのに』
「例えば、下のガシャドクロとか?」
『そうそう、特等席過ぎてズルいわよぉ。そもそも真下とか、ワタシの網に引っ掛からないじゃなーい』
イカレた連中の呑気な会話の中、引っ掛かる部分が俺の心臓を締め上げた。
“下”とか、云わなかったか?今…ライドウ。
しっとりした袴を摘んで、少し持ち上げてみる。
草木に埋もれた地面はゴツゴツとしていて、座っているだけで臀部が痛くなる。
その凹凸に埋もれて…よく見ると、岩の様な…それにしても白んで滑らかそうな、丸みを帯びたものが見え隠れしていた。
恐る恐る、それに触れてみると……ああ、直感で判った。
触れた直後から、ぐらぐらと地震の様に視界が揺れ始めので、恐らく違い無い。
「僕等がMAGのやり取りでぐったりした所を狙うつもりだったのかな?途中で横槍が入ると思ったのだが…見ている方がお好きだったのかね」
「やっぱり……知ってて真上で俺を押し倒したのかよ、あんた」
「君がいつ気付くかと思ってね」
「退けっ、此処から離れるぞ!」
俺がライドウを突き飛ばすよりも早く、地中から生えた白い牙が周囲を覆った。
地が割れ下からせり上がるそれが、牙では無く肋骨だという事は知っている。
まだ部分的にしか表面化していない白いそれ等は、まるで獣の牙の様だった。
『さっきから、ウマそうなニオいプンプンさせてぇえェ』
喰ってやる、とでも云わんばかりの悪魔の声に、最早戦闘回避は不可能と思い知る。
草の褥どころか、骸骨の褥だったとは……今度からは地中にも警戒しないと。
「僕はこのままでもヤれるよ」
離れるどころか、俺の腰を両脚でがっちりと抱き込む大馬鹿サマナー。
ばらばらと巨大な骨から振り落とされる枝葉や土埃を、外套でばすりとひと掃いしてニタリと哂っている。
地中から現れたガシャドクロの胸の上、俺達は肋骨の隙間から既に落ちてしまいそうだ。
「ははっ!功刀君っ、落ちれば恐らくスルッと抜けるよね?すれば君もイチモツ丸出しだ」
「なにがっ、だ…!くっそ…こんな場所でしなければ、こんな、こんなっ……ぐぅ、っ」
巨大肋骨の一本に、両手でしがみ付く俺。
ライドウは俺のを咥え込んだまま、俺と連結してぶら下がっている。
俺の下肢を脚で器用に挟み込んで、逆さ吊りなのに帽子は落ちていない、色々とおかしい。
「風も無いのになんとやら、だよ!クッ、あははっ」
振り子の様に揺れる度に、ライドウの剥き出しの凶器も頭を揺らす。
それを見て、ツボにでも入ったのだろうか。ライドウが高笑いしている、これも狂気だ。
「おいっ、アルラウネに援護させろ!それか他にも召喚、しろっ、ライドウッ!」
「さっきの会話の後、管に戻したのを見てなかったのかい?それに僕はMAGが足りてないから、君と繋がっているのだろうに」
ガシャドクロの指から逃げる為、俺は雲梯(うんてい)さながらの動きを強いられる。
横に伝ったかと思えば、突いて来る指先を寸前で躱して一段下の骨へ。
四肢が酷使されている状態で、どう反撃しろっていうんだ。
「君がさっさと吐けば良いのだよ」
「また水鉄砲とか云ったら殺すぞ!」
軽く云ってのける下方の男に怒鳴れば、きゅうっと締め付けられた。脚じゃなく、孔の方で。
「ガシャドクロの弱点、水ではなく君の十八番だろう?」
「な……そっち、かよ」
「ブレスを吐く程度は残っている筈だがね。そこまでまだ吸わせて貰っておらぬよ、僕」
「…は、ハメやがって!この糞サマナー!」
「フフッ、今回僕をハメてるのは君だよ、手が塞がっていようが口がお留守だろう?」
カチンときて、下肢を大きく振りかぶってみたがこいつは離れない。
ライドウは既に刀を納め、銃に持ち替えていた。
「ほら、息継ぎの猶予くらいは作ってあげるからさぁ…!」
逆さ吊りのままだというのに、放たれる弾丸は的確な狙いだ。
迫り来ていたガシャドクロの手は、五本の指を全て撃たれ軌道上に停滞している。
その隙に、俺は思い切り息を吸い込んだ。
肺の中で、空気とMAGと諸々が混ざり合って変質し、膨らんでいく感覚。
熱を帯びる手前でキリキリと一瞬冷え、喉を通る瞬間には灼けつく様な魔力を伴う。
叫ぶが如く口を開けば、自身の歯が融けるのでは無いかと不安になる程の焔が吐き出される。
煙草に火を点ける時とは、比較にならない程の熱量。これをする度、悪魔じみた己を呪いたくなる。
「っ、はあ…っ、はぁっ、はぁ」
ガシャドクロの指から腕へ轟々と、焔が迸る。
当然暴れ出すので、酷い揺さ振りをかけられる俺達。
ファイアブレスの余韻でリズムの乱れていた俺は、掛け直そうとした腕で空を切った。
(不味い)
重力には逆らえず、落下する。
せめてバラけていれば、各々で着地が可能だろうに。
「ライドウ!」
スラックス半脱ぎとはいえ下半身ほぼ丸出しで落下したら直撃とかして、不能にならないだろうかこの男。
自分でも驚く程に一瞬で想定したが、次の瞬間には杞憂に終わる。
両手を既に空けていたらしいライドウは、肋骨の一本に咄嗟に手を掛け俺ごと引き留める。
「ぅあっ!?」
反転する視界、今度は俺が宙吊りの状態だ。
しかも揺さ振られる反動を利用したのか、体軸を横にして俺を叩き込むライドウ。
骨と骨の隙間から、肋骨の内側に放り込まれた俺。
慌てて近くの骨にしがみ付くと、ライドウが傍で哂う。
「骨に抱かれる内腑の真似でもしようか、フフ……ガシャドクロの手も、指までしか入って来れぬだろうさ」
「はぁ…はぁ…い、いちいち乱暴だ、あんた」
「このままこいつが倒れてくれたら、僕等は肋骨の檻から脱出すれば良いだけ。外側に留まるか飛び降りるかしても、潰される可能性が有るからね」
「……いや違うだろ!さっさと俺とあんたが離れたら、もっと楽だったろ、こんな奴」
ずぉん、と山に響き渡る音で倒れたガシャドクロ。
周囲の木々を数本巻き込みながらだったが、巨大な頭蓋まで燃え移った火は殆ど消えかけている。
俺の焔で山火事だなんて御免だから、そういう顛末は確認しないと怖い。
「呻りすら上げぬとは……さてはこの悪魔、気絶している。脳天にもう一撃喰らわせればとどめかもしれぬが、どうするかい功刀君」
「俺に訊くなよ。さっさと離れるぞ、色んな意味で」
「骨の天蓋も悪くないね、さ、続きといこうか」
「……は?」
「其処の剣状突起から、ツノを逃して寝そべったら?痛いと気が散るのだろう?」
肋骨のパーツの名称だろうか……答えも訊けぬまま、唖然としている俺の肩を掴んで押し倒すライドウ。
腋の下に手を入れられ、ぐい、と押し上げられる。
確かに、骨の終わりが其処には有って、俺の項の突起がどこにも摩擦しない体勢になる。
下の突起は、酷い摩擦を喰らわされているが。
「全く、君は少しでも気が散ると萎えるのだからねえ。そんな事では女性相手でもヘマをするね、目に見えている」
「いつまでも突っ込んでるあんたが異常なんだよっ!この好色野郎、スキモノっ、ヘンタ…ぃ…ッ」
「めんどうらの…ンフフ……」
俺の胸を噛んだライドウの眼が、先刻よりも光って見える。
その眼を合わせたまま、唇に含んだ俺の芽を舌先で嬲って遊んでいる。
擽っていたかと思えば、前兆も無しに歯先でくっと捕えられる。
声を引き攣らせた俺は、再びライドウを罵ろうとしたが……じわりじわりと逃げていくMAGに、気を取られてしょうがない。
噛まれると、ライドウが締まる……いや、俺が膨らんでいるのか?もうよく判らない。
「はぁ……君こそ、また硬くなって、フフッ……此処は外で、しかもっ、悪魔の中に居るのにねぇ」
「っ、ぐ、ぁ、あんま、揺らすなっ……気絶してるだけ、なんだろコイツっ…起きたら、どうすんだっ…はぁ」
「なら君が、突き上げて御覧よっ、僕が腰を振るより、振動が逃げるよ?」
ぬちぬちと腰を搖動させていたライドウが、根本まで呑んでぐりりと回す様に押し付けてから、腰を少し引く。
そのまま降りて来ない、どうやら俺が動くのを待っている。
勝手に暴れて俺から搾り取ってくれたら、まだマシだったのに。
俺が腰を使うとか、そんな最悪な話あるか。これは俺に対する蹂躙だ、レイプだ。
「どうして俺がぁッ」
「ま、君が出さぬなら、それでも構わぬけどねぇ?君がコイツにブレスを浴びせたから、僕のMAGも少しは回復したし?」
が、嘲弄するかの様なそのライドウの台詞に、俺の何かがいきり立った。
散々弄ばれた挙句に要らないと云われた事実が、理性を灼き切りそうだ。
「……ここまでやっといて、俺のMAG、要らないとか云うのかあんた」
「そうだねえ…もう僕も、腰を使うの疲れてしまったかな。自分より君を好くする動きなんざ、面倒で堪らぬよ」
「じゃあもう動くんじゃねえよ!あんたに頼らないでもMAGくらい吐いてやる!」
ライドウの腰骨をベルトごと掴んで、上下に揺さ振った。
骨をざりざりと踏み締める様にして、腰を反らせる様にして突っ張らせる。
高低差の関係で、嫌でも見える結合部。肉がぶつかる度に、MAGの露光が爆ぜる。
「っ、うっ、んんっ、あ、はぁっ、ライドウッ」
「は、ははっ、下手糞っ…もう少し、緩急付けるとか、出来ないのかいっ」
「うるせぇッ、黙れっ、は、はあっ、はっ」
もうライドウの事なんかお構い無しの動きで、俺はひたすら自身を研摩する事に神経を注いだ。
ともすれば俺の自慰にも近いこの状態を、ライドウは穿たれながら哂って眺めている。
でも、いつもと少し違う。ライドウの表情に“違う艶”が混じっている。
こんな状況なのに敏感にそれを感じ取ってしまい、俺は背筋がぞわぞわした。
興奮なのか、違和感なのかは判らない。
ただ、頭の隅で、ライドウに欲望をぶつける衆の事を思い出してしまった事は確かだ。
そいつ等の上でも、こうして跨って同じ顔をしているのかとか、そんな馬鹿な想像を……
「今、余計な事、考えていたね君」
ライドウの声に打ち消されて、はっとした。
気付けば俺の腰はくったりと、背後の骨に寄り添って止まっていた。
「動きも止む、中で萎え始める……折れぬ様に、尿道に管でも通してやろうか?」
「…はぁ…はぁ……」
「さっさと終わらせたいと云っていたのは、何処の誰だっけね?」
「んうッ!」
ぴしゃりと臀部を掌で叩かれ、そのまま掌が腿へと滑り伝う。
俺の膝裏を後ろ手に支えたライドウが、背筋を使う動きで俺と密着を高める。
ぐぐっと折り曲げられる俺が呻くと、逆にライドウは哂いを深くする。
「もっと集中させてあげようか……君に覿面なやり方で、してあげるよ…仕方が無いからね…フフ……」
「はーっ…はーっ……」
「僕の声だけを聴け、君の契約者としてこの行為をしている、これは他の誰とも一致しない行為だ、返事をし給え僕の悪魔よ」
ライドウに呑まれたまま、顔を近付けてくるライドウの眼にも呑まれる。
声が近い……囁くような、命じる様な、俺を畏怖させ歓喜させる声音が。
「……ライ、ドウ」
「違う、契約行為と云ったろう」
ああ、そうだ。契約の時の…あの熱を思い出していた。
あの際、挿入していたのはこいつだったが、感覚としてはほぼ同じ。
「僕が肉を繋いで契約したのは君だけだ。相当愚図だけどね、君だけなのだよ…それすら頭から抜けているのか?人修羅」
「人修…羅」
「ほらまた萎えた、呼んで欲しいのなら君が先に呼び給えよ」
威圧的で高慢、それでも俺を見る眼が欲望を孕んでいる。
眼と匂いは誤魔化せない、互いに。人間だろうが悪魔だろうが。
「…夜」
呼べば吊り上がった唇、その隙間にぽっかりと闇が見えた気がした。
噛み付かれる様にして、悲鳴を呑まれ続ける俺。
暴力と淫猥を行き来しながら坩堝を上下され、本腰で扱かれた俺はあっという間に果てた。
ドクドクと、注いでいる。これが精かMAGか、吐き出しているだけでは区別も出来なかったが。
「ああ…美味しい…熱い……矢代」
俺は痙攣する下肢を知覚しながら、眼を瞑った。
ぼんやり霞がかった頭に、その熱を帯びた声だけが残響していた。



『おっかえりー!愛しのラ、イ、ド、ウ〜……と、不機嫌面のニンゲンモドキ』
元の場所に戻ると、ナルキッソスがいつものウザったいテンションで出迎えた。
相変わらずソレをあっさりと躱すライドウに、俺は何処かで胸を撫で下ろす。
同じノリで居られたら、俺が困るんだ。
『お散歩はどうだった?月夜の山ってロマンチックだよねえ……この山ちょっと死臭すっけどな』
「道中は特に異常も無かったよ、MAGも補充した」
『あ、そそ、例のブツも確認出来ましたぜ、ひっひ』
「御苦労様」
何が異常無し、だ。俺にとっては異常しか無かったぞ。
平然と会話する二者の向こう側を見やれば、開き切った月下美人達が白の面積を広げていた。
先刻から鼻腔を擽る甘く生臭い匂いは、多分コレのせいだ……
『どうした人修羅、悪魔と一悶着あったか?』
「悪魔……まあ、そうですね、悪魔ですね」
さくさくと草を踏み分けて来るゴウトに、俺は粗雑に返答した。
ライドウと組んでいて疲れるのは、この黒猫が一番知っているだろうに。
『派手にやりあったのか?』
「な、何がです!?」
『ほれ、袴……かなり緩んでいるぞ、紐』
指摘され、咄嗟に腰回りを手で撫ぞる。
確かに緩い、ぐったりした身体に鞭打って着付けたせいだ。
『この山、手強い野良悪魔が多いとは、あまり思っておらなんだが……我の思い違いか?』
「いえ、ちょっと色々あって、俺がつまづいただけです」
『そうか、確かにお主はそそっかしいからな。山歩きも慣れておらんだろう?』
良かった、妙な詮索はされていないらしい。
溜息しつつ見上げれば、月の位置も少し変動している。
このまま長居したら朝になるだろう。俺はさっさと銀楼閣に帰還して、この着物を洗濯してしまいたい。
土汚れとか、ファイアブレスの煤汚れとか……あと、体液だとかも、ほんの少し付着したから。
「さてウタイガイコツ諸君、早速伺いたい事があるので降りて来てくれないか」
何やら不穏な事を云い出したライドウは、続けて松の幹を軽く叩いた。
革靴の底に押された松。
大した振動では無い筈だが、ボトボトと降ってきたしゃれこうべ達に……俺は寒気がした。夏の昆虫採集かよ。
『ハイハ〜イ!呼バレテ飛ビ出テジャンジャジャ〜ン』
 『散歩ハ楽シメタカ!サマナー!』
例の四体、ばらばらと口々に喋り出して煩いったらない。
カタカタと隙間の見られる歯を鳴らして、非常に耳障りだ。
「周辺も散策してね、奥方の云っていた通りの位置関係だ。栽培者は奥方も此処に連れて来て、月下美人の開花を見せた事がある様子だったね」
『ホウホウ』
 『ソレカラドシタ』
「問おう、“この月下美人の栽培者と奥方は、此処に同時に出没していた事があるか?”」
ライドウが訊ねた、あの契約条件を実行しているのだろう。
ウタイガイコツは顔を見合わせて、言葉にならないカタカタ音で話し合っている。
それがピタリと止むと、一斉にライドウを向いて順番に述べた。
『ハゲトベッピンナラ、見タ!世ノ中不公平〜♪』
 『コゲ茶ノカンカン帽ニ、ヨレタシャツト縦縞袴ノ男〜&藍染ノ紫陽花柄ノ着物ノ女〜♪』
  『親知ラズノ二本無イ初老男性ト、靴擦レ痕ガ痛々シイ女性ナラ見タヨウナ?違ウヨウナ♪』
   『夫婦見タゾ!デモ足ガ無カッタゾ!初夏ノ風物詩〜♪』
おいおい、てんでバラバラじゃないか。
こんな答え方されたら、どれが本当なのか一聴では判断がつかないぞ。
関係者の特徴を知っていれば、ある程度の推察は可能かもしれないが……酷く回りくどい。
「ライドウ、こんなの繰り返して探るつもりなのか?あんた」
「条件を厳しくしたり又はつまらない内容にすれば、契約を結びもしてくれないだろうね」
「じゃあさっきの中で、どれが当事者に合致する情報かいちいち確認するってのか!?」
「問おう、“拾い物であるローマ銀貨はどの種類だった?”」
「おいっ」
まだ続けるライドウに、思わず下方のゴウトに視線を投げた。
するとこの黒猫、タイミングを狙った訳では無いだろうが、呑気に欠伸なんかをしているではないか。
ライドウを止めさせるか、それか俺だけでも下山させてくれと申し出ようか迷ったが……
俺はひとまず、言葉を嚥下した。ゴウトは慣れているんだ、ライドウの交渉方法に。
『ヤッパ人気、カエサルダネ♪』
 『地味ダケド、コンスタンティウス二世♪』
  『アッチコッチデ入手可能!マリア・テレジア♪』
   『猛々シイ!マルス神トローマ兵♪』
いや…やっぱり埒が明かないだろ、俺は溜息しつつライドウの傍まで歩み寄った。
一瞬俺を横目に見たが……ライドウは一呼吸置いた後に、声のトーンを落として唱えた。
「それでは単刀直入に、“犯人は誰だ”」
先刻までと違いあまりにバッサリな問い掛けだ、しかも死体も発見されていないのに犯人とは。
すると、四体のウタイガイコツは、ピタリとカタカタ音を止めた。
「ほら御覧、歌うのを止めてしまったろう?」
鼻で笑うライドウが、俺に向かって「見た事か」と吐きつける。
もう、俺が焦れて仕方が無い。殴って頭蓋にヒビでも入れたら、ビビって白状するんじゃないのか?
いや、こんな考えを浮かべてしまう俺こそ、悪魔かもしれない…駄目だ…交渉に口を出すのは止めよう。
「悪魔との約束なんか、本契約でも無い限りは半分に捉えておくのが肝心なのさ」
「……割に合わない」
「サマナーなんてそんなものさ。快感も有るが、それ以外は削り削られの応酬なのだからねえ……フフ」
「付き合わされる俺の身にもなってくれ」
「だから、悪魔が心弾ませる“愉しくて下らぬ”要素を突き付けるのさ。さすれば意気揚々と答える」
どうだか……悪魔が人間の事件調査に協力的とは、元々思っていなかったが。
それにしたって、この連中は性質が悪い。交渉開始早々、見切りをつけるべき対象だ。
まだ問い掛けを続けているライドウの傍、俺は頭がぼうっとしてきた。
知らない事、興味の無い事、それ等の応酬は本当に右から左で……
こういう事を仕事にしているライドウは、案外根は真面目なのかもしれない。
「ふむ、真実を述べる者は大凡予測がついたね」
「本当かよ……どいつの回答ものらりくらりとしてて…妙な情報ばかり多くて…奥さんに再確認しないと判らない事、多いだろ」
「では功刀君、決定打を此方から打とうか?」
「はぁ……なんだよ、ようやく的殺の構えでもする気になったか?」
「フフフ、そうだねえ…一撃必中な問いをするよ。誰が正直者かすぐ判る」
「へえ、そんな魔法みたいな質問があるなら、さっさと出せば良かったじゃないか」
やっと帰還出来る、と思って軽く伸びをした俺。
だが、袖の合間に見えたライドウの横顔が……とてもイイ笑顔をしていた。
何だかとても、好くない事が起こる気がする。
「問おう、”人修羅は、デビルサマナーとの行為の最中、何の技を放った?”」
おい。
『ソリャア!ヤッテンダカラ寝技♪』
 『ヒネリモ無ク、肉体ノ解放♪』
  『熱イアツ〜イ、ファイアブレス♪』
   『アソコノタトゥー如何ナッテンノ?ファイナルヌード一択♪』
おいおいおいおい。止めろ、今すぐ止めろ。
揚々と歌い始めたしゃれこうべ達ではなく、ライドウの襟に掴みかかる俺。
ああ、俺は一体何処から責めるべきなんだ?
覗かれていた事を知っての行為だった事か。
それを此処で、悪魔交渉に利用するデリカシーの無さか。
「正直者が見えてきたねえ、功刀君」
「それ以上俺に関する質問はするな、おいライドウ、てめ――」
口出しするな、と云いたいか。的殺の構えは、寧ろ俺に向けられた。
胸元を、先刻散々歯先で嬲られた其処を。
今度は刃先が軽く潰し、俺の心拍数を上昇させる。

「ではこれで最後、“人修羅は行為の後、何をおねだりした?”」

どうしてライドウもウタイガイコツ共も、今は同じ哂いを浮かべているんだ。
欠伸をしていたゴウトは、先刻と違って耳をピンと立て。
毛先を指先で弄んでいたナルキッソスは、耳に髪を掛けて待機姿勢。

『今度ハ俺ヲ上ニサセロ、ライドウ!』
 『吸イ過ギダロ、俺ニ突ッ込ンデ返セ!』
  『垂レテル血、勿体ナイカラ舐メサセロ!』
   『モット名前呼ンデクレ、モットモット!』

ファイアブレスを吐こうとした時の様な、すうっと一瞬冷える感覚。
直後、眦と耳に轟々と熱が溜まるのを感じて、刃が食い込むのも厭わずに叫んだ。
「黙れお前等ッ!」
詰め寄ってきたナルキッソスは、頭の花を爛々と揺らして興奮気味だ。
ライドウの外套を引っ掴み、ニマニマと意地の悪い笑みで首を傾げている。
『ねえ、ねえねえどれなのさライドウ!この朴念仁が云った台詞!』
「フフ…人修羅当人に訊き給えよ」
『絶対白状しないじゃんコイツ、ねえねえ〜イイじゃんかよお』
「僕は誰が正直者か判ったから御同行を願うだけさ、重要参考人としてね」
『ぶえ〜ケチ〜、美人ちゃん達が見れなかったらイイコト無しなトコだったよ、ったく』
ナルキッソスを軽くあしらったライドウは、俺に突き付けていた刀をようやく下ろす。
一発どころか、数発ぶん殴ってやりたい心境だったが…
ウタイガイコツに対して姿勢を屈めたライドウに攻撃する事は、なんとなく居心地が悪かった。
俺の恥という犠牲は有ったものの、殺人事件の解決を挫く羽目になるかもしれないのだ。
主人の帰りを待つ独りの女性の心を、救う事になるかもしれないのだ…から、我慢しなくては……
「フフ……親知らずの二本無いしゃれこうべ……貴方の持ち物ですか?ローマの銀貨は」
先刻から常に三番目に答えていたウタイガイコツが、ライドウに視線を合わせられカタカタ震えていた。
よくよく見れば、奥歯の隙間に銀貨を挟んでいる。
『コレハ……コレハ、私ノ物デハ無イ、ガ……傍ニ在ッタ』
「見ずとも判りますよ、それはマリア・テレジアの銀貨だ。安産祈願の御守りとして所有する者が多い」
『何故?安産祈願?私ハ男性……子供ハ居ナイ……居ナカッタ?私ハ、誰ダ…?』
「貴方が産めなくとも、配偶者は産める身体だった。しかし貴方は奥方より、此方の美人に夢中だった……違いますかね?」
ライドウとウタイガイコツの視線の先、満開の美人達が月下に輝いていた。



『あーあっ、ぼくも月下美人の開花音だけじゃなくて、そちらさんの衣擦れの音を聴きたかったなあ?』
まだ云ってやがる、着流しに謎の壜を持ったナルシスト。
擬態すると西洋人の様ないでたちで、俺より当然の様に背が高いのも腹立たしい。
「変身で着衣まで生成出来ぬなら、次からは褌でも締めて衣擦れの音を愉しんだら良い」
『おっ、穿いてないってバレてた?おっほほ、流石はライドウの観察眼』
しかもノーパンかよ、植物っぽいから下にそれこそ雄しべが有りそうで…想像したらゲンナリした。
聞いたゴウトがナチュラルにナルキッソスから離れたのは、気のせいでは無い筈。
『しかし女ってのはやっぱ怖いね、花を愛でる主人を殺すなんて気がしれないぜ』
壜をぶらぶらさせながら、あははと快活に云い放ったナルキッソス。
俺は一瞬何の話か解らずに居たが、はっとなって隣に駆けた。
「殺したのは奥さんなのか!?」
『はぁ〜?何を今更云ってるんだよボウヤ。あのウタイガイコツこそが、白骨化して悪魔になっちまった栽培者だっての』
「それは察しがついたけど……どうして殺したのが奥さんなんだ?行方不明の旦那さんの捜索依頼したんだろ……」
『何アンタ、帰らぬ旦那の身を案じて待つ貞淑な妻とか、それとも未亡人が好きだった?残念だったな〜寧ろ鬼女でした』
「どうして俺の嗜好の話になるんだ!」
『おっと、ぼくの店はこっちの路だからな、この辺でおさらばよ』
足を止めたナルキッソスが、ライドウに壜を渡して頬を寄せている。
受け取ったライドウは寄せられた頬では無く、水仙の花冠に軽く口付けをした。
『ちぇ、マジでケチだな…しかも今、ちゃっかりMAG吸ったっしょ』
「おや、バレたかい。思っていたよりも繊細なんだね」
『まぁいい、今のライドウの興味は酒浸しの美人さんだろうしぃ?』
「否定はせぬよ。それでは、また宜しく」
『おうともさ。ゴウトさんも生意気ボウヤも、またまたご贔屓に〜』
袖から抜いた手を身頃の内に落して、廃墟に消えたナルキッソス。
この柵の向こう側に花畑が広がっているとは、カタギの人間は露知らずだろう。
先刻の桜田山にだって、あんな場所が在るとは……知らなかった。


銀楼閣に到着するなり、事務所のデスクにどかりと壜を置いたライドウ。
天井のランプを点ければ、その壜の中にゆらゆらと揺らめく白い花が居る事が判った。
「これ…月下美人か?」
「ホワイトリカーに漬けて保存すれば、そのままの姿を維持出来るのさ。だから開花したらバッサリ…介錯する愛好家も居るね」
また悪趣味な例えをして、もう慣れたけど。
「でも勝手に採って良かったのか?」
「それは証拠品だから」
「……証拠?何の……これだけで何が判るってんだよ」
汚れた着物と袴を、事務所に鳴海が居ない事を確認してからささっと脱いだ。
シャツと黒い下穿きだけになった俺は、ライドウの外套を軽く引く。
一瞥くれたライドウが、襟下の釦を外して俺にそのまま預けてくる。
蝙蝠の羽をもいだ様な、妙な気分になる。あんな話を聴いたせいだ……
洗濯籠に突っ込んでから、俺は事務所に舞い戻った。
案の定、ライドウが月下美人と睨み合っていた。
ゴウトはソファの上に丸まって、尻尾をゆったり揺らしている。
言葉少なだ、恐らく皆して少し疲れている。
「捜索依頼をして来たのはね、園芸仲間達だったのだよ」
「はあ…あんた、俺にした最初の説明、紛らわしいぞ」
「奥方が犯人と云い切ったら、君が協力的にならぬと思ってね。それに最初から犯人を挙げては、悪魔達も関心を薄める」
もう何も云い返せない。ナルキッソスに笑われた事を思い出して、少し自己嫌悪した。
主人がずっと居ない妻というのは、寂しいものだと勝手に思い込んでいた。
母親のイメージと被って、恐らく正当化されていた、俺の中で。
「ウタイガイコツの中に、殺された当人が居たろう?己が悪魔と化した事も認知出来ず…そういう存在は、他者からの指摘でようやく正体を思い出すのさ」
「どうして奥さんが殺したんだ」
「月下美人に嫉妬していたのさ。だから開花の晩に連れて来られた先で、殺した。血腥い凶器だけは、深川の水路で発見されているのでね。帰路に捨てたのだろうよ」
「嫉妬って……殺す程なのか?」
「あの奥方、安産祈願の御守りを常に持ち歩いていたそうでね…これは売人達からの証言。現場で落したのだろうね、初歩的なミス」
「安産も何も…子供、居ないんだろ」
「旦那が関心が有るのは植物の受粉だけだったという事さ、だから奥方はずうっと待ちぼうけ…これ見よがしに御守りだけ持ち歩き…フフッ」
花を独り占めしたい、ではなく…花に独り占めされていた、って話だったのか。
壜を眺めれば、月下美人は開いていない。
最初は硝子の屈折かと思ったが、間違いなくこれは閉じている。
「ナルキッソスにも聞き込み調査をさせたよ」
「あいつ本当に植物と話せるのか?」
「フフ…さあ?でも、花の中身は気配と香りで感じ取れる、僕等よりは信頼性が高いね」
「これ、どうして閉じてるんだ…他は全部、開花してた」
「去年、よからぬ物を内包したまま閉じ、萎れる事も出来ずに一年過ごしてきたそうだよ」
透明なアルコールの中、硝子壜にホルマリン漬けの標本の様だ。
漂う姿を見て「このままにしておくべきだ」という感情と……正反対の感情とが、せめぎ合う。
「さて、抉じ開けてみようか、功刀君」
「……やっぱりそのつもりだったのか」
「乱暴?でもねえ……それは大事な証拠となり得るのさ」
壜の蓋を開いて、ライドウが刀を傾けた。
まさか、それでぐいぐい開かせるのか?なんとなく痛々しくて、俺は眉を顰めた。
「おい、指でやれよ」
「君、よからぬものを内包しているって、先刻云ったろう?」
「毒?」
「毒では無いがね……そんなに厭うなら、君が指で抉っておやりよ」
スッと刀を引いたライドウが、俺に壜を押して寄越す。
波の様にたゆたう水面に、俺は指を入れようと伸ばす。
「ただの蒸留酒だから、突っ込んだ指が融ける事は無いよ」
一瞬惑った俺の心を読んだのか、ライドウが一笑に付した。
それを聴いて、一呼吸してから……そっと指を泳がせる。
手毬の様な蕾を爪先で擽る様に、やがてぐいぐいと忍ばせる。
海月みたいな白い花、指先にか細い花弁が絡む。
「もっと優しく解してやったら?出血するよ」
「……あんた、人が真剣にやってる横から、下品な冗談止めろ」
「冗談?さてどうかな……クク」
傍で肩を揺らして哂うライドウに、一喝しようとした瞬間。
指に絡んでいた白が、色を変えた。
開花した其処から、いつぞや見たマガツヒが如き赤色が、ぶわりと液体に撹拌していく。
「な、んだよコレっ!?」
得体の知れぬ恐怖に、即行で壜から手を引き抜いた。
傍ではライドウが腹を抱えて哂っていて、ソファの上ではゴウトがフーッと深い溜息を吐いた。
「飛び散った血さ、殴り殺した時の」
「血……誰、の」
「そりゃあ君、被害者のさ。春夏秋冬、雨風に晒されれば死体は白骨化して魍魎にも為るが、血を浴びた美人は恥じらい、この念願の晩にも閉じている羽目になった訳だ…可哀想にねえ、フフ」
「おかしい、だろ……そんな事、有り得るのか?」
「この程度、おかしいも糞もあるかい。そんな事を云えば、君の存在だっておかしいだろう?“人修羅”」
とうとう真っ赤に染まった壜。俺はどうする事も出来ずに後ずさり、炊事場の真水で手を流した。
しつこく、丹念に爪の裏側まで。他人の血、過去の血、殺人の血……思うだけで、気持ちが悪い。
すっかり冷たくなった手を、手拭いに包みながら再び事務所に戻れば…ライドウが壜に蓋をしていた。
「これと銀貨は、風間刑事に渡すよ」
「銀貨はともかく、その血まみれの渡したって……この時代、血液鑑定とかやってないだろ」
「僕はね、警察の押収品の棚を、気味の悪い物で埋め尽くしてやるのが好きなのさ」
「悪趣味」
「今は解明されずとも、数十年後に明らかになったら面白いだろう?それまであのウタイガイコツ入りの管も、共に保管させるべきかな?」
本当に、面倒臭い野郎。でも、なんだろうか…今日一日、ずっと愉しそうだった。
機嫌が悪いよりは、マシか。

「その“蕾”から垂れた血は、舐めないのかい?功刀君……ククッ」

前言撤回、機嫌を損ねても良いから一発殴らせろ。


夜の女王・了
* あとがき*

いつもと挿入者が逆でした。殆どエロシーンみたいになった割には、あまりエロくないですね。多分戦闘を挟んだせい…だと思いたいです。後ろも前もライドウで喪失とは……
人修羅がツッコミ多いですが、突っ込みもしてるし今回はいいですよね。「夜の女王」は月下美人の別名ですが…矢代が夜にとっての女王なのか否か…この辺は皆様のイメージにお任せします。
ナルキッソスも登場回数が増えてきましたね、こいつは書き易いので楽しいです。
ウタイガイコツの伝承は、なかなか面白いです。参考リンク。
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/C0220092-000.shtml