膝上の世界

 
「毛玉でも吐いているのかと思った」
その声に振り返ると、上から下まで、総て真黒な人が立っていた。
人間だろうか、ちょろりと振り返るだけにして、込み上げるそれを逆流させ続ける。
「今度の猫は君かい」
すぐ傍に歩み寄られて、びくりと喉から引き攣った。
高い背、蔭りがわたしを包み込む。
折角、人気も無い里外れまで来たのに。まじまじと見られるなんて。
この人間も、里の者だろうか。外から入る者など皆無に等しいから、きっとそうだ。
『あんまし、いじめないで…もう、辛いのです』
うっ、と、いよいよ残滓が舌上に絡んで、一際強くえずいたなら。
「それでは駄目だろうね、艶も無しに懇願するばかりでは、すぐ飽きられる、捨てられるだろうさ」
さっき飲まされた気持ち悪いそれを、芝に吐き捨てる行為を、哂われた。
『うっ…ぅ』
なんて、酷い人間。やはり人間は、非道い。
「此処に拾われたならば、臭い甘酒でも呑み切る術を得給えよ?クク」
何が云いたいのだろうか。考えるのも面倒で…
そんな、ぞわりとする事を云い放って、その人は消えた。
この、ヤタガラスの里に使役され始めて幾月か、見た事の無い人だった。




「やれ十四代目や、帝都の廓はどうだ?ん?」
「程ほどに嗜む程度…所詮調査の一環に御座います故、花と戯れる事に時間は割きませぬ」
「ははっ、そうだなぁ、おんしは悪魔にも花にも口説いて誘い込むが常よ」
ごつごつとした膝の、装束からはみ出る脚の毛がちくりちくり気味悪い。
頭上で楽しそうに笑うお上様は、対面する黒い人に向かって指で促した。
すぐ手前の畳まで、音も無く跪いている黒い人。
「この猫、可愛いだろぉ?」
「その状態と、女体の状態の、どちらに対して」
淡々と返す向かいのその人は、恐らく歳若い。
「女体がやはり一番だが…猫にしときゃ寝首もかかれん、こうして膝に撫で置く事もできるぞ?」
どちらの姿だろうが、こうやってしている事は同じ。
「童子の眼の前でも、それをなさるので御座いますか」
「はっはぁ、十四代目よ、口許が緩んではおらんか?え?童子が気に喰わぬ癖に!」
その声の後、突然動いた脚に驚いて、わたしは舌を噛まぬ様にびくびくして飛び降りる。
舐めさせられていた対象が、ふてぶてしくぶらんと揺れて。
さっきまで足場だったその爪先が、黒い人に容赦無く飛んでいた。
急に訪れる叱咤なんて、珍しくも無い事を知っている。
此処の里の、お上衆の一部は、少しおかしいのかもしれない。
使役する悪魔を玩具の様に扱う事に、最近ようやく気付いたわたし。
「帝都でどうせ遊び惚けているのだろう?ええ?その顔に騙される人間も悪魔も哀れだの!」
“十四代目”とお上様が呼んだ事もあって、ようやくこの蹴られた人の正体を考える。
葛葉四天王、という存在…かと。
まさか、こんなにも若いとは、人間の齢にすれば、きっとわたしより幼い。
「自分は、帝都の均衡を乱す存在を、排除するのみに御座います」
蹴られた頬の赤みが、白い肌に冴え渡る。
慣れているのか…瞬間食い縛ったらしく、口からだらしなく血を流す事もしていない。
「責務は滞り無く。その合間に悪魔と遊ぶ教養を身につけるは、罪ですか」
その声が、薄っすら哂っている様に聞こえた。
「大都会で更に汚れおるか、ははッ!これは里帰りの都度、躾せんとな?」
「酒も博打も色事も、悪魔との応酬に役立つとの教えは此処にて受けました故」
「ヤタガラスの教えから逸脱するは罪ぞ!」
今度は、立ち上がったお上様。少し枯れたその脚で、装束を揺らす。
一発目より強かに振られた脚が、十四代目の帽子を飛ばした。
当の本人は頭蓋を横から蹴られたというのに、その正座の脚はしっかり根を下ろしているかの如く。
上体をしならせ、それでも倒れ込む事はしなかった。
「罪なれば、法を変えてみせましょうか…?」
ゆらり、と帽子の失せた相貌を上げた、黒き人。
「つまりは、この十四代目を好きに啼かす事が…此処に恩恵をもたらす様に仕組めば宜しいのでしょう、御上様」
その顔を見て、猫の姿だから尚の事、わたしの尾の先端まで電流が奔った。
とても、綺麗な顔だった。
「どうせ永くも無いこの身、悪鬼羅刹の俗物として、此処に尽くしませう」
「謀れば、一斉におんしの身体をカラスが啄ばんでくれようぞ十四代目」
「フフ、身寄りも無い自分に鳥葬の施しを頂けるとは、感謝致しまする」
「皮肉るでないわ!狐が」
ああ、つい先刻まで膝上で、わたしが舐めさせられていたそれが。
十四代目に向けられる。
「猫と狐、どちらがそういえば舌は滑らかだろうな、え?」
「その猫畜生の姿では、彼女の舌の方がざらりと乾いているでしょうね」
「確かに、おんしの舌の根は渇かぬの、ははっ」
「其処のネコマタよりは巧いと自負しておりまする」
躊躇も無く、その綺麗な唇で呑み込んでいた十四代目。
わたしは、呆然と猫の視点で、それを見ていた。
愛玩動物の形をしていたのに、使役主はそんなわたしよりも、人間の男を選んだ。
あまりに拙くあまりに幼稚なわたしを、きっと今の瞬間、忘れているお上様。
それに心の何処かで安堵して、黙って見ているわたしは…酷い、だろうか。
「狐め…は、はぁっ…そ、そうだな、合体素材として褒美を数体くれてやろうな…はぁ、はぁあっ」
下卑た声音でお上様が、黒い艶やかな黒髪を鷲掴みにした。
「んぶ、っふ…ぅごっ」
ぐぽりぐぽりと、抽出音。呼吸器官を塞ぐ行為を容赦無くするお上様が、怖い。
人間というものは、あのままでは死んでしまうのでは?
「お、ぉっ、ふ、はは、猫の舌より、良いわ、っふ」
ぐい、と股座に引き寄せられても、わたしみたく咽ない、えずいてない。
十四代目の喉が、嚥下の為に静かに躍動していた。
「はぁっ…は、ははッ、はははッ、あぁ、駄目だ駄目だ、やはり適当に山で拾った猫では話にならんわ!おんしは本当、俗物だな、汚れものめ」
頬を紅潮させるまま、喘ぐお上様。
ずるりと引き抜いて、そのモノと、十四代目の唇に繋がる蜘蛛の糸の様なそれが視界に痛い。
舌をぺろりと舐めずって、その残滓を拭う彼は、哂うまま発する。
「っは…っはぁっ……抜け駆けに、つまみ食いして、他の御上様方に咎められませぬか」
「は!よく云う…皆云わぬだけで、しているのだろうが、え?」
「自分の精力もMAGと同じく、無限ではありませぬ故」
妖しく哂う十四代目は、詰襟の一番上の釦に指を沿わせる。
「口止め料も含めまして、ひとつの釦に悪魔をひとつ、下さいまし…頂いた分、開きませう」
彼が押し倒された畳の上、悪魔の様な交渉が始まっている。
十四代目…は、本当に葛葉なのだろうか。
帝都の守護者…?何故、あの様な術を心得ている?
「全く、狡猾な奴だな…しかし、こうして今宵はわしの所に引き摺り込めたのだ…折角だからな、云うてみい」
「では、まずサキミタマ」
「くれてやる」
詰襟が開かれる。
「ヒルコ」
「いきなり面倒だな…乳首すら拝めぬ位置では無いか、もっと楽な悪魔にしい」
「フフ……では、バジリスク、その下の釦にヒルコ」
ぷつり、ぷつりと穴から逃がされる釦が、灯篭の光を反射して輝いた。
「当然、此処の釦も対象だろうな?え?」
胸から胎にかけ露になった十四代目の、その股座を無遠慮に撫でたお上様。
白い病的な色味、しかし纏うのは、薄っすらとしたしなやかな筋。
里で見てきた誰にも無い、その綺麗な形。
「下肢の釦は、自分の指定する悪魔を頂きたく思いまする」
「悪魔の属別では無く、か」
「ええ、自分はあまり無駄を出さぬのが身上でして…」
唇を吊り上げ、その長い睫をはためかせ、続けた十四代目。
「どうせ捨て置くのならば、其処のネコマタ貰い受けまする」
その眼が、わたしを、見た。
「調教済みでも無く?其処の無芸な猫で良いのか?」
「二言は御座いませぬ、寧ろ、他者の調教済みなぞ、要りませぬので」
下を開いて、すらりと長い脚が、かつてのわたしの主人を挟む。
「そうかそうか、はは、合体の素材にでもすれば良い!」
「有り難く」
妖艶に哂うまま、脚を腰に絡める十四代目。怖ろしいまでの余裕だった。
「本当に、はあ、はあ、この、淫売めがっ」
人間と人間の行為だというのに、有り得ない程のMAGが滲み出ている。
それを見て、肉欲以外にも、この十四代目に向けられる欲望の正体に気付いた。
甘いその魔力が、サマナー達を、悪魔達を引き寄せているのだと。
「ただ、の、契約に、御座います」
「そう、だ、なあ…おんしを拾って本当、はは、良かったわ、化け物だろうと、繋いで飼えば良いだけの事よ」
ぐぐ、と腰から折り曲げられて、膝頭が畳を擦っている。
下半身の孔を酷く荒らされている、その挿入部分が薄く血濡れてぬらぬらと光っていた。
恐怖か血の臭いの魔力か、見ているだけのわたしまで、全身粟立つ。
「フ、フ…この様な術、御上様方自ら、教示頂ける御身は真に…」
「回りくどいわ、狐!」
言葉の途中、十四代目の頬を黒い装束袖が打ち付けた。
それでも腰の動きは緩む事も無く、それどころかお上様は、暴虐と同時に快を猛らせている様だ。
「松様の御前でも無いだろうに、もっと低俗な中身を晒してみぃ!」
「っ、ごふ…っ」
今度は小さく血を流し、赤く紅の差した唇。
ほんの微かに戦慄いた後、真逆に、ニタリと吊り上がる。
「御上様、魔力の甘粕、どうぞ狐めの尻孔から」
「もっとだ!MAGももっと吐けるだろうが!渋るな!」
バチン、と鋭く掌で叩かれた臀部は、鍛えられているのか、嫌味の無い引き締まりで。
隆々とし過ぎず、骨っぽくも無い、妙な色香の下肢が痙攣している。
「葛葉ライドウが十四代目…肛虐、頂戴致しまする…っ、ぁグ」
哂って涼しげに吐息と零した十四代目の、その爪先が…
痛みを堪えるかの如く、一瞬引き攣ったのを見て。
わたしは思わずミャア、と、か細く啼いてしまった。




「馬鹿な奴、きっと明日の集まりには、他の御上に問い詰められているだろうさ」
人間の匂いと、お天道様の匂い。
それが詰まった電車という乗り物に揺られて、わたしは人間の姿で居た。
「どうして…」
「美味しくも無い首筋に、ひとひら花を咲かせておいてやったからね」
きっとあれでは抜け駆けがバレたろうな、と鼻で哂う十四代目。
「あの、でも、そうしたら今度里に行った時、口止めはどうなった、と…叱咤されてしまうのでは」
「私情絡みだからね、鞭に打たれたとしても、あの御上の分だけで済む」
開く扉に、数名人間が歩み寄る。
す、と立ち上がった十四代目も、外套をひるがえした。
「はぐれても捜してやらぬので、そのつもりで」
そう云われ、慌てて駆け出すわたし。
本来の姿より、この二足歩行は疲れてしまう。
(此処が帝都)
山と里しか知らなかったので、その圧に押し潰されそうに感じた。
色とりどりの着物の中を、冷たい黒が闊歩する。
「あの、合体の素材にしろ、ありがとうございました」
「何が」
「拾い上げてもらって、ようやく気付いたんです。考える事、放棄してたって」
歩きつつ、十四代目の背後からぽつりぽつりと零した。
「山で、弱いわたしは他の悪魔も狩れなくて、死滅寸前を拾われたんです」
「成程、確かに見目は同じネコマタの中でも良い。瀕死を拾われ愛玩動物の役割を与えられた、という事か」
その返事に、どきりと核が疼いた。見目なんて、初めて褒められた。
「あの御上、面喰いだからね」
と、続くその台詞に、どこか可笑しくてくすくすと笑いが零れた。
その絶対的な自信に、羨望の情を抱く。
「あの、ライ…ライドウ様、どうか、お好きに扱って下さい。合体素材でも、喜んで受け入れます」
この方は、意地悪な物云いなだけで、決して酷くなかった。
それがたとえ気紛れでも、あの地獄から解放してくれたのだから。
それが消滅への旅路だとしても、構わなかった。
「見目が美しいのは、実は重要だ」
「…?」
くるりと振り返る、その学帽の下からわたしを射る眼が、三日月にたわむ。
「君にはこれから、人間として生きて貰わねばならぬのだからね」
美しくも、容赦の無い命令の笑みだった。




朱塗りの格子、花鳥風月の襖、花模様の和紙が織り成す障子。
綺麗なものに囲まれて、それでも一番に求めるわたしの中の美は、この中に無い。
「夜」
その声と共に、白い綺麗な指が襖を開けてきた。
「ライ様…!もう、何日ぶりと思って?」
「フフ、これまた良い部屋ではないか、どんな上客を虜にしたのだい」
また、そんな意地悪を云う。
わたしを遊郭の草にしたのは、誰だと思っているのか。
貴方様の捜査の為に、こうして昇りつめているというのに。
名前も、遊女として頂いた。
“夜”
このデビルサマナーのくれた、とても“らしい”名前だった。
「里で最初に見た時から感じていたよ、擬態は怖ろしく上手だとね、気配が人間に近…」
と、褒めながら、言葉を濁してわたしの頭をぴしゃりと手の甲で叩く。
「きゃ、な、何ですかライ様」
「耳」
云われて己の頭を触れば、確かに猫の耳がふわふわだった。
人間の耳とは違う。自分でも気付いてなかったので、驚愕して云い訳する。
「違うんです、いつもはわたし完全に――」
「慣れた人間に対してこそ、怠るべきで無いだろう。それに、廓言葉はどうした」
「あ!そ、そうでありんした…」
仰るとおりで、もう何も云えずに酒の用意を始めれば
壁の三味線を見ながらわたしを制するライドウ。
「今は要らぬ、今宵は三味線を見に来たのだから」
「あい」
「何処が不得手だったか」
「えぇ…《袖香炉》の最後辺りでありんす」
「見本は一度だけだからね、よく見ておいで」
ライドウが何をしに来るのか、と云えば。
わたしを愛でに、では無く、教育しに、であって。
その綺麗な爪先が、弦を撫ぞるのすら、恨めしい。
「春の夜のぉ…闇はあやなしぃ…」
ライドウの声は、歌う時だけ少し甘い。高いと思えば、厳かに低く唸る。
しっかりと眼に焼き付けて、それを同じ様にやろうとしても、難しい。
渡された三味線を鳴かせれば、叱咤が飛んだ。
「僕はそんな固い指運びだったか」
「いいえ、わっちが…駄目なだけでありんす」
演奏を止めれば、溜息と同時に、立ち上がるライドウ。
灯篭の光がゆらゆら、襖の満開の桜に影を落とす。
「此処の夜は演奏が下手だ、と噂を流されるのは御免だからね」
肩から抱く様に背後より、重なる指からどうしても流れるMAG。
主従の関係だと、サマナーと悪魔の関係だと、思い知らされる。
「長唄が中心で、弦弾きは少ないだろう、これくらい出来なくて君ね――」
「ライ様は、やはり優しいでありんす」
「…何だい、突然。真面目に指を見給え」
「芸は、確かに身を助けます…此処に来てから、本当に思い知らされたんでありんす」
無知は、無芸は、飽きられ捨てられる。
遊女とて、それは同じだった。
「僕が…優しい、だと?」
重なる指が、する、と外れて、弦から三味線の胴に流れた。
ライドウの指は、その面を爪先でカツカツ、と叩く。
「お前、この三味線の胴面、何の素材が使われているか、知っているのかい」
「い、いいぇ、知りませんぇ」
クク、と肩を小さく震わせ、ライドウが背後から、耳許で囁く。
それは、睦み言では無かった。
「雌猫の皮だよ」
ビクン、と反射的に、三味線を取り落とし、床に弾かれた衝撃で弦が啼いた。
「お前をね、ネコマタ…拾い上げたのは、そういった優しさや同情とは、違うのだよ」
きっちりと、閉じられた詰襟。何を捧げても、貢いでも、開かれる事は無い。
「居心地の悪い膝上にも気付かず朽ちる程、馬鹿げた事は無いだろう」
落ちた三味線を、立ち上がり拾ったライドウ。
呆然とするわたしの指先から、撥を奪う。
「外も知らずに里に居ると…ククッ、馬鹿になる」
じゃら、と弦をひと啼きさせて、撥で学帽をくい、と少し上げた。
その撥をするりと下ろし、三味線の猫の皮の上、躍らせる。
「そんなお前を拾い上げ、今度は僕の掌の上、踊らせているだけに過ぎぬ」
哂いながら、奏でる言葉。
「げに痛はしやぁ猫娘ぇ 身はとらはれのぉ籠の鳥ぃ 逃れがたなき恩愛のぉ…」
「ライ様」
「ほら、即興で詠う業も身につけ給えよ」
「わっちは…わっちは、確かに、思い違い、してたでありんす」
貸衣装でもなく、今は自前のこの振袖を、畳に流した。
綺麗な刺繍の帯も、高級な染物の着物も、頭を重くする簪も。
全部、富という物なのに、わたしの心は弾まない。
「ライ様は、とても残酷でありんす」
きっと、わたしの心を知っている。だって、聡いお人だから。
合わせた爪の先、そこに額を擦らせて、深々と跪いた。
「わっちは、いけない猫でありんす」
返事は無い、貌も拝めないけれど、それで良かった。
そうでもないと、続けれなかった。
「お客様の前で舞う時も、歌う時も、通り越して貴方様を見ているのでありんす」
眼の前の人間を煽てて、しなを作り媚びうるのは、全て貴方様の栄光に繋がる。
十四代目葛葉ライドウの、地盤にならねばならない。
「それで良いのだよ…僕の仲魔達は、皆そう在れば良い」
ライドウの足先が、わたしの脳天を小突く。
「さあ、続きだ。色唄にでもしようか?」
檻が、里からライドウに変わっただけなのだ。
花が咲き乱れ、蝶の舞うこの檻は…地獄よりも残酷だった。

「しかし、お前も変わっているね…他の仲魔はMAGを重ね重ね要求するのに」
『これが、わっちにとっての御褒美なんでありんす』
稽古も終わり、時間もあと僅か。
わたしは、客からの情報を流すと同時に…褒美をいつも貰う。
悪魔の姿でも、擬態でも無い。
この、ただの猫に化身した状態で、ライドウの膝上に丸々と寝そべる事。
『これが、一番近くに感じるのでありんす』
「接触率かい」
『人間では、この遊郭の一遊女…そして草でありんす。悪魔では、契約上の主従でありんす』
この形が、一番穏やかで、距離が近い。
ニャア、と鳴いて、撫で撫でを要求する。
『ライ様がお為に、と客を取れば、ずるずる貴方様から遠ざかって往くわっちの立ち位置…』
「近くに居られても困るのだよ」
『何故ですか…』
「悪魔も人間も、近しい存在程、心を暴かれ易い」
あの日、お上様に貫かれるライドウを見て、感じた。
鋭い何かを。
「僕はね…ただただ嘆いていた、お前とは違う」
背中の丸みを撫でる指先が、少しだけ爪を立てた。
「此処に十四代目として在る事が、必然だと思ったのかい」
『ライ様』
「僕はね、お前と同じで、拾われ者なのさ」
その告白に、どきりどきりと小さき心がざわめいた。
わたしと同じ…
「生臭い遊びを覚え、悪魔の造詣を培ってきたこの意味が解るか…」
見上げた貌は、遠くの格子を見ていた。
その隙間から見える月が、その双眸を少し光らせている。
「乗せ、踊らせてくる膝を、喰い千切ってやる為さ」
その眼が、膝上のわたしに向かってくる。
「膝の上だけが世界と思っている飼い猫は、嫌いなのだよ」
それでも撫でる指は優しくて。
「此処まで来るのに、どれだけ殺してきたと思っているのだい?命も、他者の可能性もね」
ククッ、と哂う…わたしの御主人様は、ただひとり。
この廓に来る、他の誰でも無い。
「だから、僕の膝上が世界と思っていれば良い、それが僕には都合が宜しい」
『…あい』
「睦む必要は皆無だ、僕にとってはね…夜」
髭を一本摘み、ぴ、と軽く引かれる。
「こうしてお前を撫でる事すら、契約の一部に過ぎぬのだよ」
知っていた。
拾われたあの瞬間から、何となく解っていた。
すらりと長い、折り畳まれた脚の上で、もぞりと尾を動かして問う。
『《夜々の星》と《萩の露》も覚えましたわ』
「そうだね、今宵はまあまあ頑張った」
『少しばかし、おねだりしても良いでありんす?』
「へぇ、そういう技も覚えていたのか」
鼻で哂って、促される。
『わっち、枝垂桃の…簪が欲しいですわぁ…』
他の客が愉しそうに話していた、花言葉の類。
その客に微笑んでいたのではなくって、わたしは思い描いていた。
そうして、夢想して、自嘲で微笑んでいた。
叶わぬならば、ずっと尽きるまで、貴方の為に此処で咲き誇ろうと。
ただ泣いていたあの日から、啼き方を考えるまでに成長したわたしを見て。
それで褒めてくれるのならば、もうそれで本望。
貴方の為に此処で昇る程、この心は死んでいく。
でも、一度は捨てられた命…
どんな方法でも、息の仕方を教えてくれた、サマナーに捧げよう、と。
ただただ、そう思って、いつも膝上で丸まっていた。

なのに

「やあ、夜」
久々の逢瀬。あの唄を今宵は教わろうか、とか。
そんな事に胸を弾ませ、早々に常連を片付けたのに。
(誰でっしゃろ、その御方)
ライドウは、いつもと変わり無い。
その傍に、誰かが居る。
誰かを連れて、こんな処に来た。
「ご注文通り、枝垂桃の簪」
しゃらり、と金色が光を反射する。一目で上物と判るその輝き。
でも、今はそんな光よりも、何よりも。
(…悪魔なのか…人間なのか…)
ライドウの連れ添う人影が、胸を占拠した。
人間の友人なら、珍しいが…少しばかり、妬ける。
もし、悪魔だとしたら…悪魔だとしたら!
(契約の一環…でしょう?そうでしょう?ライドウ様)
赦せなかった。
簪が、鉛の様に重かった。
いっそ、眼の前で泣いてやろうか?
でも、本当に泣きたくなった。
涙さえ、悪魔のわたしには流せなかったから。






 
「ぃ…おい」
少し揺れる、濁った視界を、まばたきで矯正する。
「おい、あんた、まさか寝てたのか、今」
見上げれば、見慣れた仏頂面。しかし、やや驚いた風だ。
『悪いね、この身体だと、どうも睡魔に襲われ易いらしくてね』
「へぇ、つまり、今ならあんたをボコし放題って事か」
『猫を甚振って気分が優れるのなら、どうぞし給え』
そう云えば、功刀は黙って読書を再開した。擬態しているので、元々そのつもりも無いだろう。
「くっそ…鳴海さんも、遊女で遊ぶからこんな苦労するんだ」
あの、ハトホルの一件…鳴海の振った遊女を残し、猫は皆人間に戻った。
遊女だけが鳴海の机の上、猫として居座っていたのだが。
源氏名しか知らぬ鳴海に聞いても、呪いは解けずにいた訳で。
満面の笑みのハトホルの出す条件が…
「まさか、あんたが今度は猫になるなんて…はぁ」
愛を謳う馬鹿な伝道師が、僕を猫にした。
一日、そうしていれば、真名関係無しに解呪するとの話だ。
もし違えたならば、直ぐにあの悪魔を始末する手筈は、調えてある。
この、傍の人修羅が変な気を起こさぬ様に、いくつにも線は張り巡らせてある。
たった一日、猫の姿とて、問題は無い。
「パールヴァティに証拠の写真も撮ってもらったろ、だからあんたさっさと下りたらどうだ?」
『ハトホルは“今日一日、猫と飼い主というモノを真似てみろ”と云ったのだろう』
「もういいだろ、くっそ…どうして猫になったあんたを、わざわざ膝の上に…」
適当な本を本棚から引っ張ったのか、功刀の読んでいた本は、最近の流行本であった。
歪んだ恋愛物。それも、少し淫靡な。
『それ、黒い外套の下が全裸の描写、あったろう』
「ばっ」
『四つん這いになって、馬になり――』
「うるさい、猫なら黙ってろよ」
『読んでいて、何か思い出してしまったかい?フフ』
ミャウと哂い、股座に肉球でふにり、と蹴ってやれば、びくりと跳ねた。
顔を赤くして、眉間に皺寄せ怒号する人修羅。
「ざけんじゃねえよ!猫だからって何処にもべたべたして良い事無いんだぞあんた」
『反応している』
「してないっ、馬鹿か、こんな本でする訳無い、肉球でしてたらどれだけだよ」
睨んだ末に、その肝心の本で顔面と僕を隔てたが…
思わずフギャ、と鳴いてしまった。
『功刀君』
「何だ、うるさい、あんたからとにかく俺は気を逸らしたい」
『本、逆さだよ』
がば、と慌てて確認し、更に頬を染め上げた。
「…もういい」
本を寝台に放って、大人しくなった人修羅。
僕の部屋だから、別に良いだろう、猫を甚振っても。
誰も見ていないのだから。
「猫の時、あんたに大して暴力受けなかったからな、俺もする訳にはいかないんだ…」
そう呟いて、静かに僕の背中に指を置いた。
小さく鼓動しているのが、その感触で己にも感ずる。
『変な所は律儀だね、甘いよ』
「非道にはなりたくないからな、あんたとは違うんだ、あんたとは…」
鏡に映る僕は、ゴウトにも近い黒猫姿だった。
ただし、その眼は、翡翠でも無い。どこまでも暗い、灰の色だった。
薄く紫の靄がかかるその眼で、己と人修羅を見つめる。
膝の上の世界に、丸く身体を投げ出して、語った。
『夢を見ていたよ』
「…何だ、さっき寝てる時に、か」
『この姿だから、だろうかね…』
昔拾った、君も知る、あのネコマタの夢を見た。
『膝上の世界、というのも、視点が変われば解るものだな』
ぽつりと零して、尾を人修羅の指に摺り寄せてみた。
『僕はね、ただただ泣いているだけで、飼い殺される猫が、見ていて胸糞悪かった』
「何の話だ…」
『考える事すら放棄して、搾取される事は愚かしい』
見上げると、君の金色が、鮮烈だった。
怒りに震える時、猛々しく輝く事を、僕は知っている。
『君を拾ったのも、同情なんかでは無い』
「それこそ胸糞悪い」
『ただの手駒だ、仲魔とは契約の同志なのだから』
「当然だろ、俺こそ、そんな猫可愛がりされる関係なんざ…」
と、君の指が止まった。
何か、いけない物でも発見してしまった子供の様な顔に、変わる。
「何も信用してない事くらい、知ってる」
『フフ、そうかい』
「何も、変えられる筈ない、俺とあんたの意識なんか…」
そう、ぽつりと零して、君の指先が動き出した。
「俺の斑紋と同じで、消せない事くらい…」
背中を撫ぞる…
僕の、傷痕を…
「黒に、覆われて…見えなかった、猫になっても…背中は…あんた…」
云いながら、傷をゆるゆると撫でる君から眼を逸らして。
「なあ」
膝の上の世界。
「猫のあんたなら、一緒に寝ても、別にいい」
視界が狭まれて、君しか見えない。
今、たった今。
ネコマタの三味線を、もう一度聴きたくなった。
僕も、愚かしい猫に生って、三味線にされて
そんな僕を、君に弾いて欲しくなった。
下手糞に啼かせて欲しい、狂おしい気分になった。

あの時
君達は…

  “夜様”

翡翠の騎士に抱きついた、あの時の僕と
同じ眼をしていた。
同情でも何でも無い、思うまま、踊らせる為…布石のひとつにするだけ。
そんな風に、己の世界に飛び込ませようと差し伸べる悪魔の手を取った。
同属を嫌悪するかの様に、睨みつつ
同じ匂いに寄せられ、膝上で夢を見るのだ。
(ああ、夜)
お前も、心地好かったのか
こんなものを強請っていたのか
おぞましい位に、小動物を恐々と撫でる指先。
いつでも破壊出来る対象を、愛でるその爪先。
人修羅の…功刀の指。
「夜…」
僕がまるで、あのネコマタになったかの様な錯覚を抱く。
呼びかけてきた君の声を、僕に重ねた。
このまま、君に飼い殺されてしまいたくなるこの錯覚が…
『反吐が出るね』
この、錯覚が、僕をおかしくする前に
膝上の世界から飛び降りようと、僕は膝に爪を立てたのだった。

“こうしてお前を撫でる事すら、契約の一部に過ぎぬのだよ”

昔の自分の言葉が、歯切れの悪い三味線の音色みたく
脳内に残響した。

膝上の世界・了





誤解だニャ!(おまけ)


「あ、ゴウトちゅわぁーん、なんか久々だね」
当然だ、ここ二日は銀楼閣を空けていたからな。
どうやら、路地に妙にたむろしていた猫の波も退いたようで。
『結構結構、我以外にあんなにも駐屯されては煩くて敵わん』
「おー?ゴウトちゃんも寂しかったあ?」
『誰がだ!』
「とっころでさあ、俺の栗毛色のにゃんこ知らない?」
『知るか!』
何だ、猫を飼う事でも流行っているのか?
あのライドウまで、猫を部屋に上げていた位である。
先日鉢合わせた際なぞ、洗ってやっていたではないか、怖ろしい。
あの男が小動物と戯れる姿なんて、考えるだけでも毛が逆立つわ。
『そして、お主は自分の世話から始めたらどうだ?」
ニャーウ、と鳴海に云い放ち、我は階段を上る。
「え、何なにぃ、ライドウの部屋で見たって?」
『誰もそんな事云っておらん』
ヤタガラスからの依頼を伝え置くだけというに、この男は…
お主は知らずとも良いのだぞ?これは勅命である。
また要らぬ心配でもしているのか?
奴はカラスから、それこそ化け物として教育されておるのだ。
下手に同情すれば、当のライドウに噛み付かれる事くらい解っておろう。
「ん、開けてやるよ、ほぅら、鳴海サンたら優しいぃ〜」
『うざったいわ昼行灯め』
こういう時、眼の前で罵れて存外悪く無い。
ライドウの部屋の扉を、軽く叩いてノブに指掛ける鳴海。
その腕を見て思う。卸したてのスーツだろうか、本当、身形だけは気遣う男だ。
(いいや、十四代目の事も…だろうか)
天然なのか、大雑把なのか、この男はあの十四代目と普通に接する。
我には、それが以前から信じ難かった。
「入るぞーん、ライ――…」
云いながら開けるでないわ、と思いつつ、鳴海の挨拶が止まった事に気を引かれる。
「ド、ぉぉおおおぉぉおぅっ」
ばたり、とそのまま扉を、逆再生の様に閉めた鳴海。
鼻先まで侵入していた我は、慌てて後退する。
『突然閉めるでないわ!たわけ!』
「ん〜なゴウトちゃん!だってニャアニャア云われても、いや俺もびびっちゃって」
『何を見たのだ』
「しゃーない、部屋に俺の紅鳶ちゃんが居るか確認するだけだもんね、良いよね」
『紅鳶?誰だそれは』
先刻までの流れでは、恐らくその栗毛色の猫とやらであろう。
「御免、御免よ本当勘弁、南無三!」
決死の覚悟の様に、ドアを押し開く鳴海。
暗い色の床板が、薄っすらと侵入者の脚を反射する。
灯りも無い、少し薄暗い部屋に、気配が二つ。
「しーっ、しーだからねゴウトちゃん」
小声で我に指図する鳴海、人差し指を口許に、そんなお主が一番煩い。
『どうせ毎度の事だ、起こしてやっても構わんだろう』
フニャア、と寝台の傍で欠伸をすれば、鳴海が視線を泳がせた。
何、こんな欠伸ひとつで、血相変えて飛び起きる奴では…
「…ん……ぁ、れ」
その、鳴海でも我の鳴き声でも無い声音に、空気が凍った。
寝台の上、着物も着崩れた人修羅が、それでも擬態は維持していたのだが…
「あれ、鳴海…さんですか……あれ、ライ――」
寝惚け眼を指で擦り、虚空を暫し見つめた、と思った途端。
己の膝上を見て叫びだした。
「っどぉおおおお!!??」
身体の均衡すら崩し、そのまま背面をシーツにぶつけるかの如く、仰け反った。
「なに、どういう、なんでこいつ猫じゃなくなって、そんな」
「矢代君、しーっ!起こしちゃうでしょーが」
「何勝手に入って来てんですか鳴海さんも!って違う、そうじゃなくってコレ、は」 猫…という人修羅の台詞が引っかかる。
何だ、ライドウの奴め、猫に擬態してじゃれ合う拷問でも思いついたのか?
頬を染め激昂する人修羅は、それでもやや抑えた声で弁解している。
「違う、違うんだ……俺は猫を膝に」
人修羅のやや崩した膝上には、背を猫みたいに丸めたライドウの頭が有った。
おまけに、全裸である。
まあ、この男が肌の露出に恥じらいが無い事は知っているが…
全裸が無様ではなく、寧ろ画になるのがこの男らしい。
いや、それでも、まるで猫みたいに…人修羅の膝上に頬を寄せているのだが。
『ほう、人修羅よ、珍しくお主が申し訳程度に着ているではないか』
「ゴウトさん」
『我が稀に見てしまう折には、お主がひん剥かれている事が大半というのにな』
ちくちくと指摘してやれば、上半身だけくわりと起こしていきり立った彼。
斑紋も無い。そんな何も怖くない状態で怒られても、どうという事も無い。
「なっ、何云って、っ」
『ふ、よもや人修羅よ、お主が喰ろうたか?』
「な、なんだと…っ…ふざけないで下さ――」
と、人修羅の声が、先刻の鳴海が如く止まった。
奴の金に光りそうなその眼が、ゆっくりと下肢に流れる。
小さく唸ったライドウが、瞼は上げぬまま、膝上に放っていたその腕を…
あろう事か、人修羅の緩んだ帯の腰に回したのだ。
「ひっ」
小さく悲鳴した人修羅は、逃げ腰だが、逃げれぬ。
その、ライドウの甘える様な仕草に恐怖しつつ、我と鳴海を交互に見る人修羅。
「この男、寝惚けてやがる…っ」
泣きそうな声で呟いて、とりあえず着物の衿を正している。
首筋に、猫にでも噛まれたかの様な小さい牙の痕がちらり、と覗いた訳だが…
「ライドウ、疲れてたんじゃないのか、よく寝てるねえ」
『そんな問題か』
探偵に向いてない鳴海の発言に、いい加減突っ込みを入れてしまう。
と、もぞり蠢いたライドウの、幽かな寝息に混じった言葉が…

「ん…功刀君……もう無理だ、よ」

我の尾が、直立不動にびびびび、と引き攣った。
流石に呆れた、夢の中まで破廉恥なのか。
フゥッ、と溜息して、人修羅を横目に見れば。
抱きすくめてくるライドウの頭を、やんわり押し返して真っ赤になっていた。
「何見てんだこいつ頭大丈夫か信じられない本当下衆だ下衆野郎だ」
叩き起こせば、報復が待っているのだろう。
そんな悪循環に雁字搦めにされる虚しい人修羅を背に、我は扉の隙間からするりと抜けた。
『人修羅よ、お主…ネコではなかったのだな』
「猫?いえ、確かに最近までは…って、え?」
そうなのか、お主の感覚だけはまともだと思っていたのだがな。
「ごめんね矢代君、俺、気付いてやれなくって…」
鳴海の悲壮めいた声に、人修羅が更に慌てて反論していたが、我はもうその場から離れていた。
階段を更に上り、屋上の扉までとてとてと肉球で床を叩く。
もう夕暮れだというのに、晩飯の支度すらせず寝て過ごした人修羅は珍しい。
そもそも、奴には睡眠が不要だというのに…
「ねーゴウトちゅわん、俺ってホント、今まで何見てたんだか」
銀楼閣の扉なぞ一人…いや、一匹でも開けれるのだが、鳴海が再び要らぬ世話を焼いた。
我の頭上に腕の影が横切り、目の前に夕焼け空の茜が広がる。
『全くだ、お前はいい加減奴等の異常な関係に愚痴でも零すべきであるぞ』
鼻でフフン、とせせら笑い、鳴海の脚の隙間を縫って柵まで歩んだが…

「もっと早く気付いてやったら……簡易ベッドでも買ってやったのに」

背後からの溜息混じりの落胆声に、は?と首を捻って振り返る。
『何を云っておるのだ、お前は』
「ねえ、そしたらベッドの取り合いなんてしなかったろうし」
『おい』
「狭いとかキツイとか、ライドウも文句云わなくなるだろうし」
呆れた。
「矢代君も、すすり泣くみたいな声でうなされなくなるかな?ねえゴウトちゃん」
聞こえているのか?下の事務所に。
だとしたら、消音器で消しているライドウの銃声とて、聞いている筈だ。
刀が人修羅を貫き、悲鳴する声とて、ただの喧嘩に聞こえる筈が無い。
『鳴海よ、お前が一番おかしいのかもしれんな』
傍まで来て、柵に腕を置いて夕焼けを眺める男の横顔。
眩しそうに遠くの日没を見つめて、我に向かって呟いた。
「ライドウ、あの子が来てから変わったね」
ほざけ…
どうしてお前が笑顔になる。
「ねーゴウトちゃん、猫って噛み合って、愛情確認すんでしょ」
『煩い、我は本来畜生では無い、知るか!』
伸びてきた手を、爪で引っ掻けば、失笑して引っ込めた。
「いっちち……いやー、ね、良いんじゃ無いの?ベッド取り合って、喧嘩してさ」
本当に、この男こそ、意味不明だ。
「落ちそうになったら、きっと手を差し伸べるんだからさ」




「…おい…あんた…まさか」
「……」
「ずっと起きてやがったな」
「…」
「身体震えてんだよ、胎抱えて哂うな」
「……ックククク」
「このフル○ン野郎が!!さっさと退きやがれえッ!!」


誤解だニャ!・了

* あとがき*

『枝垂桃』のネコマタの事は、やはり気に入っていた様子。
ライドウ当人は認めないかもしれませんが。

三味線の胴の素材は、猫。
その三味線を奏でさせるのは、飼い主のライドウ。
素材を知っても尚、歓ばせようと奏でるのはネコマタ。
心を知っているのに、弾かせる哀歌。

ライドウがヤタガラスの御上に弄られるのは、最早自分の趣向に御座います。

そして、最後に人修羅がライドウの真名を呼んでますので
きっとひと悶着ありますね…と、思い、おまけを執筆。
やや時間差あって戻ったのでしょう…
いずれにせよ、一緒に寝てたという事ですか…