蛍狩り

 

「MAGみたいで落ち着かない」
ぼそりと零した人修羅の、そのすぐ後ろから。
「おやおや、最早夏の風情も愉しめぬとは、哀れだね」
およそ夏らしからぬ格好の旦那が、くつくつ哂って云うもんだから。
首だけで振り返った人修羅は、そりゃあもう頬を引き攣らせて怒ってる訳で。
「誰の所為だ?あんたが戦闘時に悪魔のMAGをガンガン吸い上げるからだろうが」
「僕の中で甘く熟成させて流してやっているのに、随分な云い方ではないか功刀君」
「あんたからMAGを貰うのは契約上当然だ、でもな、撒き散らす程遊ぶな!さくっと殺して吸えよ」
相変わらずおぼこみてぇな貌の癖に、云う事ぁ残酷そのもの。
ライドウの旦那も相当嫌味だが…狙って云ってる訳ですら無ぇ人修羅の方が、ちっとばかしおっかねえ。
周囲の飛び交う蛍に小さく歓声を上げる人間達、涼みに来てる夜半、浴衣姿が殆どだ。
悪魔の俺は見えちゃいないだろうが、念の為と姿を隠されている。
ライドウのMAGの流れが、俺を成型するMAGと逆を流れて通り、存在するものの空間に肉体固着をしない様な…
いいや、もうこれは感覚だから、俺にゃ説明は無理だな。
「ゴウトさんはどうしたんだよ、昼は一緒に居ただろあんた」
「蛍が眼に痛い、と、今宵は来るのを嫌がってね」
「はっ…暗闇で自分の眼見たこと無いんだな、あの人…じゃなくって猫」
小馬鹿にした様に鼻で笑った人修羅。いやいやお前さん、ゴウト童子が居ないからって露骨。
それに人修羅としての金眼こそ、暗闇に冴え冴えと光るってもんだ。
「さて、人も掃けてきた所だ…そろそろ蛍狩りに行こうか」
突然の発言に、ぼうっと蛍と観衆を眺めていた人修羅がライドウを改めて見つめた。
「…は?もうお開きじゃないのか?悪魔も出なかったし、この様子じゃ観衆も退けて何事も無く終わるだろ」
「功刀君、本当の蛍狩りの場所は、少し違うのだよ…クク」
旦那も人が悪ぃ。きっと人修羅はこの後更に不機嫌になる。
帰路に就く人間達と逆の方向に歩き出すライドウに、人修羅はとぼとぼ下駄を鳴らし始めた。
自然と、俺に並ぶ形になって、チラと互いに視線を絡ませる。
「…んだよライドウの奴…仲魔出しっ放しじゃないか」
『いんや態とよ。このヨシツネ様が護衛してやろうってんだ、もっと愉しんで蛍見ろよ人修羅』
「蛍なんて、明るい場所で見たらゴキブリみたいなもんじゃないか、幻滅した」
『おぃ…お前さん涼しげな顔しといて、案外情緒もへったくれも無ェよなあ』
俺の指摘に眉を顰めると、無表情から不機嫌な顔になった。
今擬態してなかったら、そりゃ大層お熱い焔が飛んできたこったろうよ。
前方を往くライドウの旦那を少し確認してから、話を続けた。
『旦那に蛍狩り誘われるなんざ、帝都の女子の夢だろうなァ?』
「俺は男だ、男に誘われても何も嬉しくない、ましてやあんな…」
『デビルサマナーの命令だから来たってかい』
「そうだ、それ以上も以下も無い」
の割にゃ…簡単な晩飯で済ませたろ、急いで支度するつもりで。
召喚された銀楼閣の廊下、垣間見た事務所の向こう部屋でアンタ…大急ぎで食器洗って一枚落としたろ。
そういや随分と浴衣もこ慣れたモンだ。角帯の位置もイカしてるぜ。ちょいとばかし胴が細っこいが。
『アンタにゃ絽の浴衣、似合うと思うぜ』
草むら掻き分け身体を運ぶと、人修羅の脚からふわりと蛍が舞う。立ち昇るMAGの様に。
「襦袢無いと透ける、女性の物だ」
『斑紋の光が薄っすら見えて、そりゃ風情あるだろうなァ…』
悪魔の部分を云われりゃ、そりゃ切れるわな。半月みたいにおっとりと吊り上った眼が、俺を射抜く。
「御二方、そろそろ静かにし給え、蛍が逃げてしまうよ」
ライドウの声に、ぎくりと応酬を止めた俺等。あの主人の一声は鶴よか凶悪ってモンだ。


『お待ちしておりました葛葉様』
「フフ、今晩は…今年の蛍はどうかな?」
茂みの中、少し開けた空間は近くに水の匂い…せせらぐ音もする。
『昨年よりは少ないですね、ホラ…色々有ったでしょう、アポリヲン騒ぎとか』
「数は減るだろうね、帝都の人口も削れた程だった訳だし?」
ふわふわと浮くミズチと会話する旦那。少し離れた所には、悪魔がチラホラ。
スダマとか、コロボックルだとか、自然と共生する属ばかり。
人修羅は意味が解らず、ただ黙って悪魔を睨んでやがる。どうしていつもそんな手負いの動物みたいな顔してんだか。
『では今年も宜しくお願い致します』
「君等も働くのだから、そう丁重に扱って呉れなくとも結構」
『いいや助かります…これがなかなかどうして。こういう時に異種族はズル無しで良いですね』
ミズチが感謝に水をふるふる波打たせば、人修羅は不明瞭だと溜息していた。
ああ、案の定…説明してやがらなかったんかい、ライドウの旦那。
振り返って、黒い外套を景色に同化させながら俺等に哂いかけてきた。
「さて、蛍狩りの始まりかな」
「おい、待てよライドウ、俺は何も聞いてない」
立ちはだかる人修羅に、周囲の悪魔は首を傾げる。
ただの“見えている”人間なのか、デビルサマナー仲間なのか、擬態した悪魔なのか…どれに該当するのか探っている。
「物騒な悪魔が居ないか…見回りがてら納涼大会来て、どうして今悪魔の巣に突っ込んでんだよ」
「云ったろう?これこそが蛍狩りなのだ、と」
哂う旦那の傍で、明るみの方面から木の茂る隙間を潜り抜け、そろりそろりと悪魔が入ってくる。
その入り口ではミズチが受け取った魔石や魔貨、人間の貨幣を仕分けして通している。
『はいはい、今年は数が少ない代わりに濃密ですからねー』
魔石をいくつか渡すトゥルダクが、カタカタと骨を鳴らして問い質す。
『どうして解るんだヨ!もう先に狩ったんカ?』
『いやあ、帝都最近まで物騒だったでしょう?安堵で箍が外れてるか生き急ぐじゃあないですか』
『ああ〜ナルホド!そりゃー激しいヨカン』
『でしょうでしょう?いやー自分も本当はずっとしてたいですよ蛍狩り』
泣き真似のミズチ、その眼から水が出たとしてもサッパリ判断がつかねえだろうよ。
しかしミズチは去年も入り口で受付ばっかしてたのを俺は憶えてるぜ、アイツぁ生真面目なんだろうな。
「説明しろって云ってんだろライドウ」
駆ける人修羅の額を、急に振り返るライドウの旦那が指先で小突く。
小さく悲鳴した人修羅は、何とかざくりと下駄を食い込ませて踏み止まった。
「静かにし給え、蛍が逃げてしまうよ」
「だ、から蛍って何が……それにどうして悪魔しか来ないんだよ、そんなに凄いスポットなのか此処ら辺」
額を指先で撫でて、ライドウを睨みつける人修羅。まだ擬態するままで、咎める声はやや小さめで。
「擬態のままで見えるかい?…夜目が利かねば少々辛いだろうね…いや、利く方が君には辛いかな?」
「こんな暗闇じゃ却って目立つだろ、悪魔の姿なんかしたら俺は…」
「お好きな方で、フフ……案外蛍の光に見えるかもしれぬだろう?」
「馬鹿云ってんじゃねえよ、流石にバレる」
こそこそと囁く会話も、静かに音を殺して歩むにつれ、消えていった。
ようやく気付き始めたのか、人修羅が息を呑んだ。
次の瞬間、脚を逆に運び始め、背後に居た俺の胸元に頭がぶつかる。
『おい、大丈夫かい人修羅、頭蓋骨ヒビ入ってねえだろうなあ?』
「入ってない!じゃ、なくって……おい、ライドウ、てめぇ…っ」
首をぐい、と反らして俺に答えた後、眼の前のライドウに吠えていた。
「ハメやがったな…あんた」
暗闇で仄暗く光る旦那の眼が、人修羅のそれと絡む。空気がビリビリ云いそうだ。
「おや、ハメられてるのは周囲の雌蛍だろう?」
「く…っそ野郎」
俺の胸元から後頭部を離し、怒りを露にしたまま踵を返す人修羅。今にも擬態を解いて発火しそうな勢いだ。
「俺は帰る、絶対帰るからな」
それでも小さな声で訴えるのは、羞恥心か?そりゃ覗きしてるのがバレたら、この潔癖にとっちゃ最悪だろうしな。
「功刀君、僕の悪魔だろう?何故叛くのだい?それが赦されると思っているの?」
トッ、と沈む音。何かと思えば、ライドウの刀の切っ先が人修羅の下駄の踵に刺さってやがる。
「っ」
鼻緒に指先を取られた人修羅は、つんのめって草むらにバッタリと突っ伏した。
(あーあー…常に擬態なんかしてっから、受身もままならないんだよ)
元々が虚弱そうだし…本当によく人修羅やってるなぁ、と俺は見下ろす。
ぎり、と指先の草を握り締めて…折角綺麗に結んだ帯も形が崩れてら。
「俺は、覗きなんて悪趣味な事、お断りだ…」
ぼそりと呟く人修羅、刀の切っ先で刺されたままの下駄から、片足脱げている。
「おや失敬な、覗きが趣味という訳では無いさ、悪魔が此処に来る一番の目的はMAGなのだから」
キリキリと刀を傾けて往き、ライドウは云い聞かせる様にしゃがんだ。
する、とそこを抜き取ると、その柄頭で今度は人修羅の脳天をぐりぐりと嬲る。
「祭りの後は、男女の恋の焔が燃え上がるだろう?」
「外で…それも、雑木林ん中でとかっ…最悪…」
「蛍の乱舞を見た後だよ?それは君…興奮もするだろうさ、フフ……なあ?ヨシツネ?」
どーして俺に振るんだよ!
『まー…まあ、旦那の云う事にゃそうそう文句ぁ無えしよ…』
らしくも無く、かなり有耶無耶に返せば、旦那はそのまま続ける。
よし、機嫌は損ねなかった。まあ、人修羅以外の仲魔の発言に気をざわつかせる所なんか、見た事は殆ど無いが。
「まぐわう人間の男女から、どの位のMAGが放たれるか知っているかい?普通の人間には見えぬだけでね、功刀君」
「聞きたくない、黙れ」
「僕等の様にMAGやマガツヒなる力を調整出来る者は、そうそう零さない、しかし一般的な人間は漏らし放題さ、上から下から…ね」
まぁた苛めてら。そういう云い方を態と選んでやがる。旦那は本当、人修羅を苛める天才だ。
「その漏らしたMAGが浮遊する此処一帯で“蛍狩り”をするのさ、悪魔達が」
遠くの遠く…俺の悪魔の眼と身長から、見える範囲に既に数組居る。
しどけない感情のままにまぐわう人間の男女。祭りの後の高揚のままに。
溢れるMAGが先刻見たばかりの蛍に似て、その光をすう、と吸い込みご満悦の悪魔達。
ふらり、と立ち上がった人修羅も、一番近くのその光景がぼんやり確認出来たのか、頬を染めて嫌悪している。
赤くなってんのか青ざめてんのか、忙しいヤツ。
「に、人間に手は出さないのか?」
「果てるまでMAGを零し続けてくれた方が、悪魔にとっても美味しいからね」
「あんたもまさか、MAG吸いに来たってのか…」
何かに震える声音で問う人修羅、その眼が揺らいで、一瞬光った。
おーおー怒ってる…擬態の維持は集中力が必要だってのに。
「僕が?フフ…だとしたら?君だってMAGは養分だろう?」
答えをぼやかして、また煽ってやがる。旦那こそが、人修羅のMAGを抉り込んで掻っ攫ってる気がするぜ…
『おい旦那、そろそろ云ってやらねえと、人修羅からガンガン溢れてそれこそ蛍側になっちまう』
「これは驚いた、お前も稀に冷静ではないかヨシツネ」
『へーいへい、いつも烏帽子ん中筋肉ですんません!』
篭手の甲で烏帽子をぱすぱす、と叩けばクク…と哂っているライドウの旦那。
馬鹿にした笑みすら、ぞわりと粟立つ妖艶さで、サマナーの強みが其処にも有る事を再認識する。
「此処に住まう悪魔は、清らかなる水辺にて安息を得る者ばかりでね。この一帯を管理させている」
「管理?悪魔に?」
怪訝な表情で遠くを睨む人修羅。と、モロに見ちまったのか…さっと顔を背けて赤面している。
「そうさ、蛍が生きるせせらぎを崩される事の無い様に、普段から…ね」
「その蛍って…どっちの」
「両方さ。飛び交う蛍も、人の零す蛍も、汚れた処を愛の褥になぞしたくないだろう?」
それを聞いて、最初此処に来た理由を思い出していた。
荒れ果てる湿地…禍つ神と化す水辺の悪魔達。
通る人間から奪う事でしか、悪魔達は憂さ晴らし出来なかった。
忘れ去られた納涼地には、甘い水もMAGも得られない飢えた悪魔が蠢いて。
討伐先のそれを見て、旦那は刀を納めたんだ。皆殺しでは繰るのみだ、と。
“交渉だ…取引しよう、諸君”
あの時俺は、唖然とさせられた…

  「では人を呼ぼうか、此処に」
  『馬鹿な、そんな事をすれば更に水辺が荒らされる』
  「人間が此処を美しく保たなければいけない仕組みを作れば良いのだよ…」

蛍狩りの名所にするとは、恐れ入った。
確かに、人間を引き入れるが、環境に変な介入は無い。汚せば蛍は消えちまう。
毎年この季節、人間からもMAGが吸えて、此処一帯の悪魔は満足している…おまけに愉し気。
蛍を見に来た人間の一部が、俺等悪魔の蛍と化すこの仕組み。
互いに手出し無用って訳だ。綺麗な蛍を狩りたけりゃあ、たとえ悪魔だろうが黙して見る。
「しかしね…祭りの後の“つがい”を、MAGばかりでなく肉まで喰らう空気の読めぬ奴等も居てね」
人修羅にニタリと哂いながら云うライドウ。ようやく俺等が此処に来た核心を挙げた。
「そういうぬけがけを働く悪魔を吊るし上げるのが、僕等の今宵の役目さ」
外套をするりと捲り、柄頭を撫でる仕草。何事も無く済む事を本当は願ってないのでは、と。
「今宵の蛍狩り、手出しは禁止事項」
「…で、俺達が悪魔の為に見回りするって事なのか?」
「おや?強いては帝都人の為だよ?綺麗なせせらぎ、綺麗な蛍、甘やかで情熱的な出逢いの場の提供」
「ざっ…けんな!」
反抗の態度でライドウに掴みかかった人修羅だが、その剣幕に遠くの男女が一瞬動きを止めた。
結構な遠さだが、気配というモノを感じたのか。
「人間を護ってやるという大義名分が立つだろう?君の中のモラリズムのね…フフ」
「でも実際やってる事は、MAG搾取されてるのを止めもしないで眺めてる行為だ」
周囲の虫の声に紛れて、今度は小さく人修羅が吠えた。
「最悪だ、どうして俺が外で、ェ…エッチしてる奴等と、それ覗いて啜ってる悪魔等の事も見張んなきゃいけないんだ」
浴衣の裾を握り締める人修羅の涼やかな項、その辺りの血管がびくびくしている。
今にも擬態を解いてライドウに噛み付きそうで、俺が何故か焦っちまった…
『旦那!ちょいと別れようぜ二手によ』
夏の花火が暴発する前に、水を注す。チラ、と俺を見据えるライドウの眼が少し怖いが。
『見回ってる最中、人修羅ぁ意地でも擬態解かねぇだろ。旦那が連れててもあんまし意味無いぜ』
俺の意見に、振り返り睨んでくる人修羅。おうおう良いぜ、もう好きに睨め。
『旦那は闇に乗じて吊るし上げれるだろうが、其処のおぼこにゃ無理だろうよぉ?人間の形のままじゃ』
「な、おぼこって…」
人修羅の開いた口が罵倒を吐く前に、無理矢理押し通る。
『俺が今宵は人修羅の先導やってやろうか?悪魔だけよか、平等な鉄槌下せるんでねぇのかい?』
「…ソレは中々に我儘だが、お前に務まるかな?ヨシツネ…フフッ」
正直、旦那よか楽だぜ、とは、今後も云わないでおこうと心に決めつつ頷いておいた。




「…もう何組目だよ、そんなに発情してるのか帝都人は」
小さくぶつぶつ文句しながら、枝分かれするせせらぎを下駄で跨いだ人修羅。
先刻、男女に近すぎるトゥルダクを見て、俺に顎で指図しやがった時には笑っちまったが。
『へいへい、仰せの通りに人修羅サマ』と背後に云いながら、骸骨の肩をちょいちょいと叩いた。
特等席で蛍を独り占めしては、他の悪魔の邪魔になる、喧嘩に発展するかもしれない。
呆れ顔で冷や汗しながらもしっかり見回り出来ている人修羅、何だか可笑しくて揶揄いたくもなるってもんだ。
よくライドウの旦那が許してくれた…というより、それこそ効率を考えての判断か。
この悪魔の納涼大会はライドウが仕組んだもの…問題が起きては、きっとあの旦那の事だ。
(“プライド”ってやつか?)
帝都守護としてはアナーキーな仕組みだが、嫌いじゃねえ。
『旦那は頭良いぜ、実際この辺の川はあれ以来、悪魔と人間が共生してる様なもんだ』
「…たったこの日、一日の為に?」
『おうよ』
「馬鹿らし…」
『そう云うな、お前さんだってよ、人間達相手の蛍狩りは素直に愉しんでたじゃねえかい』
「は?別に…そんな、何処で判断してんだ」
『あれか、トウキョウにゃ蛍見れる処少なかったんだろ?いや、見た事無かったんかい?』
「悪魔のあんたに何が解るってんだよ…それにな、俺を観察しないでくれ」
『別によ、悪魔だからってMAGじゃねえ蛍を見ないっつう事もねぇぜ?』
ふわりと漂う夜光虫を、篭手の指先に纏わりつかせ、俺は歩みをゆっくりにする。
それを人修羅に差し出す様に、見せ付けた。
『此処の源平合戦を毎夏見るのが、俺様ぁ好きでな』
「源平…」
『ゲンジボタルのがでけぇんだぜ?知ってたかい?ヘイケボタルよりもな』
平家の薄い光と一緒にするんじゃあねえぜ。
指先を擦って、光を夜風に放流した。
「…ヨシツネは、そういえば…源義経…なのか」
『おうよ、つっても分霊みてぇなモンだから、記憶みたいに思い起こせるだけだがな』
さくり、さくりと草の根を踏む音に交じって、ぴちゃりと水の流れを塞き止める音。
人修羅の桐の下駄、焼桐の焦げ色がじわりと水に濡れる。
「授業で習ったよ…あんたの事」
少し浴衣の裾をたくし上げる人修羅。その声音の刺々しさが少し緩和されている。
『イカした漢に書いてあんのかい?教本に』
「俺は牛若丸の絵本での方がイメージ強いんだ、悪かったな」
『へぇ、俺様はちっこい餓鬼んちょ共の間でも英雄なのか!』
「…判官贔屓とか云う言葉……出来たくらいに同情引いてはいるかな」
『はぁ?んだそりゃあよ』
岩の上から、遠くの茂みに舞うMAGの蛍をぼんやり眺めつつ俺は聞く。
「弱者への同情から、贔屓目に見てしまう事」
そう答えた人修羅は、今宵初めて笑いやがった、それも意地の悪そうな…
そんなトコばっか旦那に似るんじゃあねえよお前さん。
『酷ぇな全くよ、同情欲しくて戦ってた訳じゃあ無いぜ?』
「悪魔なのに記憶に同調するのか」
『頼政殿がゲンジボタルに生っただとか、そんな話してる人間客が先刻も居たがよぉ…んな、たまらんぜ、勝手に蛍にされちまったら』
ゲンジボタルの強い光が、俺の眼に映る。ヘイケボタルの光より、もっと強く呼びかけてきやがる。
己が体感したかの様に、どうしてこんなにも郷愁に誘うのか。
『死にたかなかったろうがなぁ……俺の知った事じゃねえんだが、何だかよ…』
小さく振り返る人修羅の眼が、薄く光る。俺にしてんのか?その判官贔屓とやらを。
そんな事を考えながら、その低い視線を受け止めりゃ、飛んできた言葉。
「生まれ変わっても、人間が良かった?」
どうなんだ、何て答えりゃ良いんだか。
『あー…別になァ…今のこの生き方、俺は愉しいぜ?毎年此処で蛍も見れるしなァ…旦那とはそういう契約してんだよ』
本物の義経がどうかは知らないけどよ、転生先の望みなんざ。
「記憶が有るなら、人間寄りにならないのか…今のあんたの感情は」
『そら無ぇな、俺ぁ悪魔、蛮力属のヨシツネ様だぜ?人間に縋ってるお前さんたぁ違うんだよ!お前さ…』
笑い飛ばしてやるつもりの俺の声が止まる。
足場にしていた岩を飛び降り、水面を無音で渡って人修羅の腰を片腕でがちりと抱えた。
驚愕と突如の接触に怒る人修羅が叫びかけて、止めた。ああ正解だ、騒いでバレたら意味が無いぜ?
『ちったあ可愛気っつうモンを覚えたじゃねえか』
八艘飛びで大きな岩の影に飛び、人修羅を横抱きにしたままがちりと着地する。
途端、がばりと突き放して俺の頬をばちりと叩いた。っつぁ……やっぱ可愛く無ぇ…
「一言余計だ…」
『へーいへい…んで、見たかい?今の』
俺が岩の向こうに視線を促せば、着崩れた衿を正しながら人修羅はそっと覗き込む。
どうせまた淫猥な蛍なんだろうと溜息混じりのその表情が、やがてはっとした。
湿った水の匂いだけがしばし漂う。悪魔なのにそれを肌に感じる可笑しい俺に、笑いを堪えつつ聞いた。
『どうよ?こりゃあ悪魔の見回りの筈が意外なモン見つけちまったなあ?』
「…あの蛍、MAGじゃあ…無い、のか」
『だぁな、此処は小川だぜ?此処でヤったら溺死しちまうだろうが』
人修羅の覗き込む反対側から、俺も其処を見る。
飛び舞う雄の光を、草の先に滴る雌の光を、袋に仕舞いこむ人影。
明らかに乱獲だ。遠くの人間にでも売り飛ばすんだろうか。
『愛の営みを邪魔するたぁ、風情無ぇのは悪魔だけでも無いってこった…?エ?』
「…おい、あんた、蛍…好きなんだろ」
反対側から静かに聞こえてきた声に、俺は叩かれた頬をさすりつつ返事した。
『旦那が見張れっつったのはぬけがけする悪魔だ、しかもありゃ人間様…葛葉ライドウの仲魔である俺が手ェ出すのはお門違いさ』
そんなんで、茶化す。篭手の腕を組み、完全に構えを解いた姿勢で笑ってやった。
きっと人修羅は人間を責める俺を見たら、そりゃあもうキレにキレてしょうがないだろうからな。
『なぁに、蛍って云ってもよ、人間の出してるMAGじゃ無い方だ。売られた先も人間の処なら、人間にゃ還元されてるだろ?』
からから笑って、視線を人修羅に運んだつもりだったが。
『っうお!?』
と、積み上がる岩が崩落して、水辺を叩く音が響き渡った。
姿勢を楽にしていた俺は、その岩を咄嗟に抜刀した二振りで刻んだ。
壁にしていた岩が消えた事で、必然的に見ていた乱獲者へと意識が向く。普通の人間なら俺の姿は見えてねぇ筈だが…
って、ん!?
「何してんですか貴方」
擬態も解かず、人間のまま、何してやがるんだアイツは。
乱獲してた奴は、人修羅よりも上背が有る。暗い夜だろうが、月明かりだけで無く、蛍が照らすからよく見える。
中年…手前か、袋を掴む剥き出しの腕は、人修羅よりも逞しい。
いや、人修羅じゃない、今のあいつは殆ど人間…
「あんだ小僧、帰って寝な!」
「貴方みたいなのが居るから!悪魔に虚仮にされるんだッ」
「はぁ?悪魔?」
焔なら一瞬だろうがよ…その細っこい腕を振るって、桐下駄を濡らして入水する人修羅。
膝まで水面がとぷりと喰って、夏だろうが這い上がる冷たさの筈だってのに。
「蛍、其処から出して下さい」
蛍袋を奪おうと掴みかかって、その細い腹に男の蹴りが入っても、まだ喰いつく。
「いきなり何だよ手前は!」
「だ、せ…っ、出せ!!」
髪を鷲掴みにされて、もつれ合う。茂みの中の男女とも違う激しい乱舞。
怒りの蛍が水辺に舞う。
人修羅の拳が、男の眼元を穿って。呻いた男が、蛍袋で人修羅の頭を横からぶっ叩いて、胎を蹴る。
「ぁあぐ、っ――」
人修羅の声が消える、男に押さえ込まれて、その呼吸が水と呑まれたからだ。
気泡があの薄い唇から溢れてるのを、脳裏に描いた。
水の中なのに、泣いているんだろうか…
意地張って人間のままで居るからさ、勿体無ぇ。人修羅っつう強い存在の筈なんだろ?
どうしてそんなに弱いのか…お前は…人修羅……
(辛いだろうによ、人間に寄り過ぎなんだよ)
岩を砕いた刃先に刃毀れは無い。俺の二刀流は、旦那の許したものしか切らない…そう、普段は。
具足が水飛沫を弾いて、人間の濃密な欲の気配を感じ取る距離まで、俺は一気に詰める。
人修羅に馬乗りのままの、ふてぇ野郎。袋を抱え込んだその腕に…
『悪ィな旦那!』
侘びを入れてから、片方の刀の切っ先を突き立てた。
途端、いきなり血潮を噴く己の腕を抱くまま、悲鳴したそいつがよろめいて、ばしゃりと一度入水する。
ちいっとばかし突き刺しただけだろうがよ、形ばっかで軟弱な奴。
「な、なんで腕が!?な、ぅぁあああ」
いきなりの裂傷に、かまいたちとも思いたくなるだろうさ。
蛍の袋も放置したまま、逃げに走るそいつを、追う気はさらさら無い。
再び接近する人間の気配に、警戒しつつ俺は待機した。
「きゃあああっ!け、喧嘩!?ちょっと!」
「血、血ぃ出てるじゃあねえか…!」
乱獲男の悲鳴がでかかった所為か、半裸の男女が茂みからがさりと姿を見せ、すぐ消えた
逃げていく男でも見えてたのか、暗闇でも赤は真っ先に視界に入るからな。
しかしこりゃあ不味い。俺も水を注しちまった様だ…風情も無ぇ。
『ねえ何?どーした訳ぇ?』
水を注されたその男女に追従していたらしいスダマやヌエが、そろりと葉を揺らし出てきて、俺を見た。
もう千客万来で、雁首揃えて出てくんじゃあねえよ、と流石に苛々してきた。
『いんや気にするな、ちょっとな!な!?いいか、葛葉ライドウには云うなよ』
云えば、首を傾げた悪魔数匹。いいんだよ本当、さっさと他の蛍んとこ行きやがれ。
『ヘンダゾ?オ前ェ』
『此処の水辺、虫の蛍ばっかじゃない!美味しいMAGが狩れるのはねぇ…もっと…向こうだぁ〜!』
クスクス笑いながら飛んでいった奴等。既に出来上がってら…たらふく情交してる男女から頂いたんだろうな。
おまけに、よりによって一匹はヌエか…蛍になった頼政殿でも叩き潰しに来たか?
頼政殿がヌエを退治した伝説、そういや人修羅は知っているだろうか。
『おぉい…大丈夫か人修羅』
そろそろ沈んだままの人修羅を引き摺り上げようかと、いざ跨ってみれば…水底で、きらきら光っている何か。
一瞬何の光か解らず、俺は黙したまま、ざぱりと引き起こした。
薄っすらと、その細い身体を流れる雫と…斑紋。
命の危険に、無意識のまま擬態を解除したのだろうか。生への執着が、そうさせたのか?
悪魔の姿…綺麗に光るそれは、水面に揺れて、凄く…その、綺麗だ。
飛びまくってた蛍の光が乱反射して、きっと水中に沈めた人修羅の斑紋なんか判別不可能だったのだろう。あの男には。
『おい、目覚めてくれよ……』
それとなく、悪戯をする童の様な心地になり、周囲を見渡し気配を探る。
よし、大丈夫だ。蛍しか見てねぇ…そしてこれは、先刻助けに入った貸しを、返してもらうだけで。
『ちぃっとばかし、な、な?ホンのちぃっとだ』
人修羅の唇に吸い付いて、味を懐かしむ。ボルテクスぶりだった。
瑞々しい。そりゃ、水に濡れてたら当然だろうが。
「…ん……」
眉を少し顰め、身を捩る人修羅。気付けに俺のMAGを少しばかり注いだものだから、俺が味わえたのは一瞬だ。
ん?俺から注いでやったんだから、こりゃまたひとつ貸しが出来たって事か?
(どうしてこんな餓鬼に俺が…)
不可解な己を笑いたくなり、咳き込んで水を吐いた人修羅の背を軽く叩いてやった。
軽いその肢体を弓なりに反らして、弱々しく咽たこの存在に、酷くときめいた瞬間、気付きに変わる。
『ん!……あぁ、これが判官贔屓…ってヤツかい?え…人修羅よぉ?』
「…けふっ……はぁ……っ…」
瞼が少しずつ上がり、蛍よりも鮮明な光が俺を射抜いた。
「ヨシ…ツネ…」
『んだぁ?』
「もみ合ってる時に…一匹…此処に、入ってきた…殴られて、潰れてないだろうか…」
腫れた痛々しい眼元の筋がそろりと躍動して、胸元をその金色で撫ぞる。
斑紋の光る指先で、俺の膝上に横向きに座るまま、浴衣の袷から取り出したるは…
「あぁ…潰れてない、みたいだ」
『こりゃあ…』
少しムッとした表情のまま、口早に述べる人修羅。
「あぁ、良かった……こ、こんな虫が潰れて肌に張り付いたら、気持ち悪いんだ」
やんわりと握ったその拳を、トン、と、俺の胸元に押し付けてくる。
「ほら…さっさと、見送ってやれよ…あんたの一族だろ」
ゆるりと解れた白い指先。蛍の光とも違う斑紋の檻から、そろそろとひとつの光が顔を覗かせた。
ああ、そうか…人修羅。お前、俺の代わりに、護ってくれたんかい…
ま、結局人間様に手は出しちまったがな。なぁに、仲魔を助けたって、旦那にゃ云い訳すりゃ良い。
『へへ、あんがとなぁ…しっかし、人間のままぶっ飛ばしに行くたぁ、なかなかアナーキーだぜ』
「ごほ、っ……別に、人間だけがルール破ってんの見て…ムカついただけだ…悪魔なんかより落ちぶれた所、見せたくな…ぃ…」
どれだけ意固地なのか、きっと人修羅当人も解ってるんだろうな。
濡れた黒髪と、やはり銘酒の溢れるその唇から気を逸らせる様に、俺は人修羅の開かれた掌を見る
擬態をするすると始めた人修羅、斑紋の光が閉じ、厳かな暗闇に包まれる。
ぽつりと孤独に飛び立った光が、天の月に一際高く舞い上がる。

『息災で、頼政殿…』

俺の別れの言葉に、膝の上で人修羅がほんの少し、微笑んだ気がした。
人間みたく蛍狩りをして、何かに縋っていたのは俺の方だったのか…
そう、俺はMAGの蛍より、本物の蛍を愉しんでいた、いつも。
遠い昔の…本当の俺が知る魂に、触れる気がして。人間の俺に、触れる気がして。
今が愉しけりゃそれで上々よ。しかしな、何かに還りたがるこの感覚は…何だろうな。
『なぁ、ところでよ、も一回!吸わせてくれたりしねぇかい?』
人間に還りたがる人修羅を、どうして放っておけないのか、何となく理解した俺は
頬に思い切り、今度は拳を喰らったのだった。

「いつか、人間になったあんたと蛍狩りしてみてぇな」と云おうか迷ったが。
そうしたら、もうあんたから俺は見えないのかな、と思い、止めた。

飛び交う蛍も、まぐわう蛍も、溺れる蛍も…全部綺麗な、そんな夏の宵。


蛍狩り・了
* あとがき*

ヨシツネ⇒人修羅が好きだったりするので、ひとつ。 ゲンジボタルから、連想して…
帝都が荒れないのなら、人間を礎にしてまで悪魔と取引するライドウ。
礎と云っても、御愉しみ中の人間からのお零れを…という程度ですが。
飛び舞うMAGが蛍に見える。