地獄篇

 
細っこいガキ。
これは俺がクヌギヤシロという少年に最初に抱いた感想だった。


俺は正直、依頼には飽きがきていて
さっさと帰ってピザとかが喰いたかった。
甘ったるいストロベリーサンデーをシメにして。
心地よいまどろみの中、半裸で眠る。
起き抜けにシャワーを浴びて、エボニーとアイボリーのメンテ。

「ダンテー」
毒気の抜けた声。
その声でハッとする。
「なにか考えてた?」
ヤシロが下から顔を覗かせた。
俺とコイツの身長差では仕方が無いが、俺は首が痛い。
俯き喋るのもラクじゃない。
「いや…ちょっとハラが減ってきただけだ」
別に空腹感なら絶えれる。
長期の狩りに出た際、いちいち喰ってられないからだ。
「へぇ、ダンテもお腹空くのか」
「そりゃお前、半分人間だから…」
そう云いつつ
(そういや、コイツも半分人間だったか)
と思い出した。
「アサクサ辺りに行けば、まだ何か残ってると思うけど」
てっきりまた人間だ悪魔だの、云々愚痴るかと思ったが
意外にもヤシロは、サラリとかわした。
少しは気にしなくなってきたのか…

「うえ」
ターミナルでの移動は正直苦手だ。
あの感覚、何度やっても慣れやしない。
あれなら悪魔共の氾濫する部屋に放り込まれたほうがマシってもんだ。
「ダンテって何度やっても酔うんだな」
「アレ、気持ち悪くならねぇのか?」
「別にそうでも……あ」
あ、とか行ってヤシロが向かった先はシャッター街。
今はマネカタすら居ない廃墟。
「ちょっと待ってて、適当に探してくる」
ヤシロはシャッターに手をかけ、上げるのかと思いきや
そのまま紙を裂くように腕を振り下ろした。
シャッターは聞いた事も無い音で開いた。
開いたというか、裂けたというべきか。
からかいついでに口笛を吹いてやる。
「アイアンクロウ?」
「…」
ヤシロは聞こえていた(ように見える)くせにそのままシカト。
店内に裂け目から、入っていった。
「おい、何か気に喰わなかったか?」
俺も急いで裂け目から入ろうとしたが、裂け目が小さい。
アイツなら簡単に入れるサイズか、と納得して
俺はリベリオンでサイズを拡張した。
中はもっと埃っぽいのを想像してたんだが、意外と綺麗だ。
外人の喜びそうな土産が並ぶ。
俺からでも分かる、極端な日本アピール商品。
「ヤシロ、おい何処行きやがった」
見当たらない。
食い物は既に見つかったのだが、置いて帰るわけにもいかない。
大股で店内を闊歩すると、隣接した店の方に人影が見えた。
ヤシロだ。
何か手にして佇んでいた。
声をかけて近付いても良かったが、何故かそのままに
俺は息を殺して黙って見ていた。
ありゃ何だ?

「覗き見とか、趣味悪いな」
おっと、普通に気付かれていたようだ。
俺はやれやれと商品棚から姿を現す。
「悪くて結構さ、お前も勝手に何処でも行くなよ」
チラ、と視線を手元に移す。
こっちの店は本屋だったのか。
古本屋ってやつか、湿った紙とインクの臭いがする。
「もう食い物確保したの?」
「ああ」
「じゃあ用は済んだ、もう行く」
ヤシロは棚にソレを戻して、スタスタとさっきの出入り口へ向かう。
本人はさくっと戻したから大丈夫と思ってそうだが
俺は戻された本の背表紙をしっかり確認した。
『ダンテ神曲物語』
俺は腹筋が崩壊しそうなのを堪えて、ヤシロの後を追う。
アイツあの無表情さで、何を思ってあれを手に取ってたんだか。

外に出て、まず聞いてしまった。
「お前、俺の事どう思っているんだ?」
突然の質問に、雷門のゴーフレットをつまんでいたヤシロが停止する。
「どうって…仲間」
「違う、一個人としての感想だ」
そんな事普段はどうでもいいが、あの本と並べられたら堪らない。
「俺はダンテって名を授けられただけで、アレとは関係無ぇぞ」
ヤシロの頬が赤くなる。
どうやら、神曲のダンテを指している事が分かったようだ。
「だってさ」
「うん?」
「ダンテって何が目的なんだろうかって思って」
「…あの本でそれが分かるのか?」
首を振るヤシロ。
そりゃそうさ、あれはフィクションだ。
俺とは無関係だ。
「でもダンテ、じゃあ悪魔達はなんなの?」
真っ直ぐな瞳で問うヤシロ。
「ミカエルとかロキとか、何で聖書や神話の生き物がここには存在しているの?ここはフィクションなの?」
なんだなんだ、雲行きが怪しい。
「俺は、もしかしたら神様の更に神様が、綴った物語の通りに動いてるだけかもしれない」
「おい」
「そうしたら、こうやって悪魔なんかになってボルテクスに居る事も、創世合戦に参加したりカルパを堕ちていくのも何もかも」
「おいヤシロ」
「全部作り物なんじゃないかって!」
「止まれ!」
思わずヤシロの頬を引っ叩く。
グローブが擦れて、赤く皮膚が傷ついていた。
「お前、しっかりしろよ。ちゃんと断ったじゃないか」

<俺は真の悪魔にはならない>

あの時、カルパを進むのを止めた。
ヤシロは、創世合戦に参加して、あえてレールに乗った。
「お前がああ言ったから、俺は安心して…」
「還れるって?」
いや、依頼達成しなきゃ還れもしなそうだが。
「なんでそこに行き着く」
「だってダンテ、最近心ここに在らずだろ」
そんなに俺はピザが恋しかったか?そこまで恋いしそうな顔だったか?
「俺、嫌なんだよ」
ヤシロの打たれた頬は、既に傷が消えていた。
「似たモンのダンテが居なきゃ、精神的にきつい」
それは暗に『還らないで欲しい』って事なのか。
「創世するべきか、悪魔になるべきか、正直まだ迷っているんだ」
これはどう返答すりゃいいんだ?
「あの頃に戻りたい、でも本当に戻れるのか?そういう思いが俺を混乱させるんだよ…!」

そう、その不安は見事に適中した。

今思い返すと、あの時俺は
「悪魔になれ」
とでも言ってやるべきだったのか?
結局創世をしたヤシロ。
俺は元の生活に戻った。
ピザとストロベリーサンデーを喰らって、悪魔を殺す。
今日も殺した報酬で、喰らって生きている。
昨日殺した悪魔も、何にも感情が湧かなかった。
ヤシロと戦った時の高揚感も、ヤシロの見せた悲愴も。
本当に、毎日手にかけるのはただの悪魔だった。
気でも紛らわそうと、ジュークボックスに歩み寄る。
ふと、依頼されたあの日を思い出す。

老人の依頼を受けた後、現れる空間の裂け目。
あの時もこの曲を流していたっけか。
壁に立てかけたリベリオンをおもむろに手に取る。
魔力を込めて、空間を斬るように----
「ほあっッ」
電流が奔るように、部屋の中に風が巻き起こる。
背けた目を戻せば、そこには入口があった。
「bingo!」
俺は喰いかけのピザを無理矢理頬張り
急いでコートを肩にひっかけホルスターを巻く。
(どうせまた創世されたら戻ってこれるだろ)
我ながら酷く楽観的だとは思いもしたが、今この次元の裂け目に飛び込まない手は無い。
俺はあのシャッターみたく、リベリオンで裂け目を広げて掻い潜った。


-トウキョウ-
相変わらず、賑やかなこって。
周りがジロジロ見てくるが、気にしない。
ケーサツに捕まる前に、どうせ受胎を受けるのだ。
あの初めて出会った場所に向かう。
新宿衛生病院前…
あの交差点で、お前に出会った。
あの車椅子のジジイにヴィジョンを脳裏に送られた
その姿のままお前は歩いていたんだ。
今居るのが、いつのトウキョウかは分からない。
あの時に戻ったのか、それとも…

「あ…」

変わらずに居た
まだタトゥーの無い少年

「あ…あぁ…ダンテ?まさか」
震える声で、見上げてきた。
「よお、ヤシロ」
「思い…出した!思い出したよ…俺」
青ざめた顔でふらつくヤシロをコートにしがみ付かせた。
「お前はいつのヤシロだ?俺を知っているんだろ?」
「あんたは…デビルハンターのダンテ」
「お前は?」
「…まだ人間の功刀矢代」

そのまま病院へ行く。
何の為に?
教師の見舞いなんかじゃねえ。
受胎を止めりゃいいだろ。
だがそんなに簡単にいく筈が、無い。
あのジジイの事だ、簡単にいく筈が無い。
とりあえず分かった事は、ヤシロがループしているって事だ。
俺に逢ったら記憶が掘り起こされたようだが。
俺に逢わなかったら、また同じように悪魔にされてボルテクスを彷徨っていたのだろう。
きっと俺と居た時も、2回目…下手したら3回目だったのかもしれない。
「胸糞悪い」
「ダ、ダンテ」
「受胎が起きなけりゃお前は人間のままだろ」
「でも、どう止めさせるんだよ!」
「受胎を引き起こす人間を殺りゃ済むだろ?」
ヤシロが腕を引っ張り、声を荒げる。
「ここはボルテクスじゃない!人殺しになる!」
じゃああいつ等は受胎で何人殺してるんだよ。
しかし云わなかった。
コイツ、頭ではきっと分かっているんだ。
「モタモタしてたらお前、また悪魔にされちまうぞ」
「でも先生達を殺すなんて」
「お前は関らなくていい、俺で済ませる」
「ダンテ!」
ヤシロの叫びを無視して、俺は病院の壁を駆け上がっていった。

悪魔で無い肉を斬ったのは、久々だった。
いきなり現れた俺に、驚く暇も無く斬られる。
シジマの男
ヤシロの担任教師
念の為にターミナルの装置も破壊した。
砕ければただの石だった。
「ダンテっ」
駆け上がってきたヤシロの声。
屋上に居るのは、俺と担任教師だったモノだ。
久々の血の臭いに、扉を開け放ったヤシロがうっと呻いた。
「あんな階段、楽勝だったろ?」
「それは…悪魔だったからだ」
「でもお前はこれでもう人間のままで居られる」
犠牲者はたった2人。
受胎は数人を除いて皆死に絶える。
これのどちらが善なのか…
教師の死体を目にしながら、きっとコイツは困惑している。
「しかしまあ…こんなに首尾良くいくとは俺も思って…」

  バスッ

痛みに膝をつく。
にぶい音が体に響いたが、何が起きたのか分からなかった。
ヤシロが駆け寄って来るのが見えた。
「フフ…動いては駄目よ、矢代君」
聞き覚えのある声がした。
血に染まった教師の死体から発されたその声。
「てめ、まさか…」
シバブーみたいなのを喰らわされたようで、体が動きやしねえ。
「先…生」
「少し違うわ」
ヤシロの声に答えた死体は、懐から何かを取り出した。
黒い、ベール。
(ジジイの横にいつも居る、喪服の淑女…)
急いては事を仕損じるたぁこの事だ。
簡単にいく筈ないと、警戒してたくせにこのザマだ。
「氷川も死んではいないわ、大事な面子のひとり…だから」
淑女が、手を翳す。
「ヤシロ!動け!」
俺は動かない自身の体を憎んだ。
ヤシロは動けない。
理由は簡単だ、動けば俺が殺されるからだ。
迷い子のような瞳を俺に向けるヤシロ。
「嫌だ…嫌だッ」
受胎が起こるのも、悪魔になるのも、ダンテが死ぬのも。
云わずとも流れ込むヤシロの叫び。
「大丈夫よ矢代君」
先生もとい淑女が、動けない矢代に口元で微笑む。
「だって、あなたは既にマガタマを喰らっている」
「え…」
おい、どういう事だ。
「力を持たぬ仮のマガタマだけれど、必要なものよ。だってあなたはマガタマを宿していないと死んでしまうのだから」
「嘘だ、だって身体はなにも…」
「受胎の際にあのお方から、マロガレを授かりなさい、前と同じように…」
くそっ
動け
動けよ俺の身体!
「世界が生まれ変わる瞬間、貴方達は無防備になる…無駄な抵抗はよしなさい」
淑女のセリフにはっとする。
「ヤシロ…今なら…死ねる」
搾り出した俺の声は、震えていたろうか。
「え、なんだって…」
「今なら人間の形で死ねるぞヤシロ!!」
あ…と目を見開く。
「俺は簡単にくたばりゃしねえから!動け!飛び降りろ!!」
我ながら無責任だ。
俺はアイツになにかしてやれたのか?
結局『死ね』と云っている。
走り出すヤシロの背を見ながら、そんな事を思った。
「いけません!貴方は大事な奏者」
淑女が両手を天に掲げると、空気が一変した。
「今再び、夜想曲を奏でなさい」

フェンスから飛び降りるヤシロと目が合う。

何故か笑顔のヤシロから、俺は目をそらした。
自分の罪から目をそむけるように…

地獄篇・了
* あとがき*