自虐宿命論

 
『お前もようやく一仕事終えた後に食事が摂れる様に成ったか』
席に着き、品書きを手に取る我に掛かる声。
足下にするりと、尾が絡む。
「…飲食をする場に、そぐわぬ御身だろうて」
敢えて、それに答えずに退去を促す。
一声啼き、我を見上げて笑った。
『喰い終わったら外の稲荷社に来い、俺は其処で待つ』
「了解した」
『では然らば、疲れで眠りこけるなよ』
女中の足下を駆け抜ける黒い猫。
小さく悲鳴を上げた女中が、盆を傾かせて視線を泳がせた。
他の客が開けた扉の、その隙間からゆるりと出て行った。

別に、そう本腰を入れて食物摂取する訳では無い。
ただ、身体はそれを要求しているから、するまでだ。

なるべく臭いの薄いもの
酸っぱくないもの
粘着質でないもの

先刻終えてきた任務で汚れた手指。
用意された御絞りが赤黒く染まるを厭んで、先に手拭いでさらう。
なるべく血の臭いが落ちてから来たので、大丈夫な筈。
会計台に預けた大太刀は、弓道具と説明した。
刀には到底見えぬ尺のそれは、その説明が一番早い。

 「珈琲はどの豆が好き?」
   「やはり伯剌西爾のかな〜…」
 
    「先日の件だけんど…」
         「うそ!可笑しいったら」
 「あ、珈琲おかわり」

     「ちょっと地味じゃない?」
  「そうかしら」
    「若いんだから、藍色って落ち着き過ぎかなぁ」

さざめく喫茶店に独り。
誰も我が…今し方、殺戮を行ってきた等、思いも知らぬだろう。
(襲名から丸二年は経ったろうか)
もう慣れた。
得物から伝わる、筋や骨を断つ感触にも。
返り血の生温かい臭気にも。

運ばれて来た茶と、薄焼きにされた煎餅を前に
ぼんやりと回想していた。

嗚呼、何も怖くなど無い。
御国の為に全うするのみ。


がちゃん


響く破壊音に、店内が静まり返る。
その音の発生源を視線で皆、辿る。
 「もう良いわ…貴様とは契約を切る!」
 「ま、待て、もう少しで用意出来るから」
 「俺を呼んで、対価も用意出来ておらんとは…」
なんだ、決裂か不和か?
周囲も密やかにさざめく。
他者には他者の事情、世界が有る。
関わらぬのが摂理よ。
そう思い、茶を啜った。
しかし、公共の場で騒ぐのは宜しく無い。
ちら、と野次馬の視線に便乗すれば
どこか異様な空気だ。

先刻の、血の薫りにも似た…

 「良い、此処で対価、貰い受けてやろう」

そう、一声低く聞こえてきた。
対面して着席する片割れが、立ち上がる。
その逆光に伸びた影は、人の形を崩していった。

悪魔だ。

認識すると同時に、我は立ち上がりて会計に歩みを進める。
異形と化したその人物を、他者は視覚認識出来ていない。
急に消えたとでも、思っているのだろう。
だが、対面する連れのつんざく悲鳴と血飛沫が
“不可視の存在”を認知させる。
 「きゃああああっ」
女中の悲鳴。
凍り付いて、すぐに動けぬ客達。
我は会計台に懐から取り出した金を置く。
「御代は丁度だ」
我の声など聞こえていないだろう。
「預け物を返して頂く」
一応一声掛け、その店員の眼前を通過して、奥の荷を手に取る。
慣れた重みが、身体を切り替える。
「パワー」
管に触れ、呼びかける。
「食い止めろ、その間で先導する」
外套下に溢るる光が、隙間から這い出る様にして形を成す。
『御衣』
天使の形に成って、その悪魔へと飛んだ。
勿論、他者には視えぬ。
凍る客達は、ようやく溶解したのか
口々に叫んで出口に押しかけ始めた。
もはや先導の必要は無いか、とも思ったが
なにやら様子がおかしい。
がっちゃがっちゃと云わせては、扉に体当たりする人達。
 「開かない」
 「どうして!?」
 「壊れもしない」
応戦するパワーに任せて、我はその出口に寄る。
「失礼」
割って入り、その扉に触れた。
背後からの魔力と同質のそれを感じる。
(結界か…)
単純に思った。
なら、あの悪魔を始末するのみだ。
「固まっていて欲しい、不可視の妖を祓う」
そう店員に告げて、パワーの元へと駆ける。
得物から布を解いて、抜き身にする。
『雷堂様!』
「そこに横たわる者を看てくれ」
命じつつ、大太刀を悪魔へと向ける。
「人の住処で暴れるな」
『貴様、サマナーか?』
襤褸切れを纏うその鬼の様な姿、妖術でも得意な類だろうか…
「十四代目葛葉雷堂だ」
『葛葉ぁ?にしちゃ若造だな…本当か?くひひッ…』
その挑発に、引き下がる意思は無いと見る。
「齢なぞ関係無い…!」
常々周囲からも危惧されるその理。
思わず、柄を握る指に力が篭る。
「馬鹿にするなっ!」
薙いだ刃が、相手の布地と肉をかすめる。
卓上の食器が音を立てて飛散する。
別珍素材の椅子に土足で乗り上げ、追撃に跳ぶ。
すばしっこく空間を舞うその悪魔は、嗤って天井隅に張りつく。
『くひひッ…人間ってのは、虚で出来てやがる』
「…降りて来い、両断してやる」
『先刻も、契約違反しやがって、ったく舐め腐ってるわ…』
「他を巻き込むその神経もな」
担いだ太刀の峰を肩に沿わせ、上を睨む。
ただ嗤う仔鬼は、襤褸切れをなびかせ云う。
『人命救助が先で無いのかぃ、葛葉の十四代目』
その台詞に、弾かれた様に背後を見た。
蠢く、肉。
屍鬼と成り果てた客の群れ。
一部の人間を除いて、既にその身は化身している。
(いつ!?何を見過ごした!?)
失態かと、驚愕に身を震わせた。
だが、あの悪魔がそんな我に唱える。
『この空間に入った時から、数体目星つけて種蒔いといたんだ』
「…貴様」
『俺を殺そうが、そいつらは戻ることは無ぇ…始末、しろよ?』
下卑たその煩い嗤い。
『けはっはははっ!!けひゃ』
嗤い終えるその前に、しなる口を割ってやる。
「黙れ…」
下から、撫ぜる様に斬り上げて両断する。
割れたその肉が両端に崩れ落ち、体液が我を両端から穿つ。
「パワー!人と屍鬼を分かて!」
殺した悪魔の残骸を足先で除けて、蠢く入り口に舞い戻る。
パワーは屍鬼を斬り、薙ぎ払う。
我は人間の肩を持ち、引き離す。
 「何、なんなの、何が起こってんのよ」
 「あの娘が居るんだ!行かせてくれ!」
 「さっきから君、誰と喋っているのだね!?」
 「触らないで!嫌ッ…こわい…」
慣れている。
彼等は、民衆は不可視の悪魔に気が動転しているだけなのだ。
どんな言葉をあびせられようが、それは妨げと受けるな。
そう教わってきた。
『雷堂様…!こやつ等、すぐ身体が戻ります』
パワーの焦りに似た声音は、我の焦りに繋がる。
云うとおり、再生されるその屍肉。
その光景に冷や汗が出る。
対処法は有る、この胸元の冷たい管に。
ヤタガラスより授かりし、この使役悪魔。
(一般人が居る)
しかし、そんな悠長にしていられる筈も無い。
(…ままよ)
そう、喰らうは…この餓鬼なのだ。
再生するなら、核ごと喰らわせよ、と。
そう、授かった忌み管…

失神する者
先刻摂取したそれを、吐き散らす者
泣き叫びの声、阿鼻叫喚

喰らう餓鬼の歯に、彼等知人の皮膚や毛髪がこびり付く。
酷い臭気に、我も歯を食い縛った。
この管を使うは、初めてだった…
(苦しくなぞ、無い)
そう、もっと苦しいは、彼等だ。
使役し、喰わすだけの我は、何も苦しく無いだろう。
赤い別珍に、赤い血飛沫が掛かっても、色を濃くするだけだ。
呻きを上げる屍鬼達を、黙って見つめていた。
その呻きは…
何かを、呼ぶ声にも聞こえる。

 「  」

人の名の様な、呻き。
助けを乞う様な、その…
呻きの海と、行き場の無い憎しみを背に受けて
我は佇んでMAGを餓鬼に送り続けた…
背に拳を受けても、罵倒を受けても…

きっと彼等も分かっている。
こうするしか他、残る者の生きる術が無い事を。
それを憎しみと解き放つしか、精神が保てぬと。
そういうものだ。
それはこの二年で痛い程に解った…
何も、畏れなど、無い。
こうして帝都は護られるのだ。
陰日向に、式を駆り屍鬼を狩る…
そう、そういう席を、襲名したのだから。











『お前もようやく一仕事終えた後に愚痴を云わなく成ったか』
「…いつからとの比較だ、其れは」
『ふん…二年程前か』
「二年…」
『お前が喫茶店を半壊させた時分だ』
その業斗の説明に、埋もれていた記憶を呼び起こす。
そういえば…その様な事も在った気がする。
如何せん、こう四年間も同じ光景を見てくると…
混濁してくる、麻痺、してくる。
それが立場上良い事なのか、倫理的に悪い事なのか。
思えば、それすら最近頭をかすめなくなっていた。
被害が人に及ぶは、在っては成らぬ。
傷ましい。
だが…守護の上に、国の安泰の為に必要な礎なら…仕方が無い。
『おい、探偵社には慣れたのか?』
業斗の、その危惧の欠片も無い台詞に、我は少し云い淀む。
「…我は、業務上から外れると、付き合い方が解らぬ」
『そうか、まあ仕方無いだろうな』
云いながら、その話に出ている探偵社の階段を上がる。
この一段一段が…微妙に重い。

「おかえり、雷堂」

掛かる声に、簡素に返答する。
「戻り申した」
此処の所長は、我を咎めなかった。
返り血に汚れて戻っても、我が説明をせずとも。
ただ、薄く微笑んで我を迎える。
依頼を拾い、呉れる。
『俺は上にて式を待つ、それまでお前は休ませて貰え』
業斗が云うと、鳴海は首をひねる。
「また会話してる?」
「ああ、上に行くそうだ」
「そっか、いってらっしゃい業斗ちゃん〜」
指先をひらりと振り、微笑みかける。
業斗はふん、と啼き、尾を立てて扉の隙間から出て行った。
「鳴海所長、何か依頼はきているだろうか」
その扉を閉めながら、問う。
彼は、表情を変えずに答える。
「有るよ、数件」
書面に起こされたそれを、此方に寄越してくる。
ざっと目を通す…
頬の筋が、引き攣る感覚。
「全て、殺し、なのだな…」
「悪いねえ、品物調達とかは安いからさ」
「いや…理由が理由なら、致し方有るまい…」
人に、地に害を成すなら、それは始末されるべきなのだから。
「じゃあ、頑張ってね、雷堂」
何に対しての激励だ?


この、鳴海という男が、解らなかった。
あの薄い微笑みは、余計な詮索をさせぬ何かが感じられる。
初対面から間も無いというのに…
拾ってきた依頼の内容に、少し驚いた…

(我を暗殺者と勘違いしてはおるまいか?)

いいや、それは無いか…
ヤタガラスの傘下に居るのだ、我の立場は理解している筈。
そう、だから咎めないのだ。
悪魔だけで無く…人を殺めても。


なら…何故だ…この…違和感…


腕を垂らし、血塗れで帰っても
鳴海は微笑んでいるのだ。
「今日の相手は強かったのか?」
「…ああ」
「お前より?」
「…ああ」
「そう」
何故
何故…そこで微笑む?


「また、この手の依頼か」
殺し
「嫌だったか?悪いな」
「まさか、ヤタガラスが公認するなら問題あるまい」
「おお、流石は十四代目、頑張れよ」
微笑んで賞賛する。
…何を頑張るのだ?
任務と云う名の殺戮を?



「鳴海所長、すまぬが明日は時間を作りたい」
「珍しいな」
「…いや、勉学が少し遅れているので…」
「学校?」
「あ、ああ…」
「大丈夫でしょ、ヤタガラスは必要無い位の頭脳明晰って褒めてるよ」
「し、かしだな、その…」
「修学してるなら、依頼に打ち込むべきだろう?」
勉学で無く…
「帝都守護、お前の肩に掛かってんだから、どっちつかずは不味いだろ?」
少し、心細かったのだ、人から離れている様で。
「…あい分かった、明日は、依頼に専念するとしよう」
「偉い偉い、それでこそ十四代目葛葉雷堂」
何故、我の望みが撥ねられるその瞬間。
微笑んでいる?

決して糾弾はしない、咎めない。
なのに…
我を、常に責めている気がする。




(我の人付き合いの経験値が足りぬから、そう感じるのか?)
この数ヶ月を思い返す。
そればかり、感じる。
恨みを買うのは慣れている筈なのに
(こうも原因が視えぬと…胸がざわつくものだ)
鳴海の机に書類を戻し、ふと目に付いた数冊。
出しっ放しのその本は、棚に空間を作っている。
軽い清掃を頼まれたのだ、これを勝手に戻しても罪では無いだろう。
卓上の数冊を揃えて、トントン、と平らな部分でならす。
それを隙間にはめ込む…

かしゃん

身体が何かに当たり、それが落ちる音がした。
その音からして、割れ物の様な感じ。
急ぎ床を見れば、写真立てが寝そべっていた。
割れてしまったかと、ヒヤリと心臓が凍ったが
拾い上げたそれは、薄く埃をかぶって亀裂も無かった。
安堵して、その面の埃を指で拭う。
やんわりと微笑む、女性が浮かび上がってきた。
色褪せた写真だが、着物の藍色が似合う…
世間一般で云う、可憐な女性、だと思われる。
(誰だろうか)
実際詮索する筈も無い、その疑問を脳裏に一瞬廻らせる。
鳴海の好い人だろうか。
そう勝手に思えば、少し心が和らいだ。
そうだ、鳴海とて、護りたいものがあるからこの任に就いている。
きっと、それだから、何も厭わぬのだ。
もう一度、写真に眼をやつす。
「…」
藍色が似合う。
「…」
鈴の音の様な声。
さざめく店内で。


   「ちょっと地味じゃない?」
  「そうかしら」
    「若いんだから、藍色って落ち着き過ぎかなぁ」


写真立てを、弾き飛ばす様に放る。
がしゃん、と硝子面の割れる音。

 「あの娘が居るんだ!行かせてくれ!」

請うその声を無視して。
食ませた。

 「」

食まれる屍鬼が呻いていた名が。
甦る。
脳がそれを名だったと、認識する。


 「ナ…ルミ…サ…ン…」


呼吸困難。
海の中はこうなのだろうか。
苦しい。
酷く…苦しい。
「ぅ…ぐっ」
喉を両手で押さえる、喉仏がめり込む。
ここは、水底なんかでは、無い。
あの…二年前の喫茶で、我が屠ったのは…
鳴海の…

「大丈夫?雷堂」

気付けば、眼の前に鳴海が立っている。
その気配すら気付かぬ程に、放心していたのか。
いつもの微笑みで、落ちた写真立てを拾った。
「ところで今日、この後依頼入れても平気かな?」
面が割れているだろうに、何も咎めずそれを元の位置に戻している。
振り返り、あの微笑み。
「今日のも悪魔ってか…サマナーだから、人殺しなんだけどさ」
変わらぬ表情で我に云い放つ。

「勿論、出来無い筈、無いよな?」


嗚呼…理解出来た…
この人が、我の何もかもを、咎めぬ理由が…
我に降りかかる全てを、好しとしているのだ
それが我を引き裂くを、黙って見ているのだ
あの喪失に、意味を見出す為に
ヤタガラスに与したのだ…


「ああ…出来る」
答えて、立ち上がった。
「殺しでも汚れ仕事でも、何でも持って来てくれて構わぬ」
微笑む鳴海。
その眼が、一瞬…心底嬉しそうに歪んだ。







 『人間ってのは、虚で出来てやがる』

そう云っていた、あの悪魔。
あながち…遠くは、無かった。


我の傍に居る者は、本当に我の味方なのか?
今、すれ違った者でさえ、我が殺した者の遺族では無いのか?
学校に、烏の息のかからぬ者など居るのか?
我を十四代目と、殺めたるを厭わぬ傀儡と知らぬ者は居るのか?
全てに、恨まれている忌まわしき、この…
我を囲う全ての土台は、虚で塗り固められた舞台なのだ…



あれから
学校には行っていない
探偵社と本部を行き交うのみ
空いた隙間を埋める様に、アカラナに足を伸ばす
そこでただ、ひたすらに戦う

そう、此処で好い、好いのだ
我を知る人間が居ない
十四代目葛葉雷堂に用意される物も無い
此処には虚像が無い

情なぞ無いので恨みも買わぬ
勿論得られぬが…それはもう望んでおらぬ
我は…
罪人、なのだから…
鳴海の眼が、微笑んで我を責める
出来無い筈無いだろう?と…

出来ぬ筈、無い
そう、我は葛葉雷堂
殺いでいく礎達の無念と、残された者達の憎悪を胸に抱く
罪穢れが舞台衣
これが運命だったのだ




しかし…そのアカラナで…
後に出逢う事となった…君
我を全く知らぬ君と
零からの認識をし合う

君なら…赦しを与えてくれると思った…
そうして、咎めてくれるだろうと思った…
この罪人を、裁いてくれると…


それがおかしい、と、云ってくれると


自虐宿命論・了
* あとがき*

徒花の雷堂と鳴海(SSA『蝕甚』の後に読むと良い感じです)
雷堂と雷堂世界の鳴海の関係。
酷い関係。
鳴海は雷堂に対して、微笑んで殺しをさせる。
そうしなければ…という雷堂の罪の意識を駆り立てる。
エスカレートしたら怖いですね…鳴海。
(雷堂襲名は十四歳の頃です)
最後の文章の“君”は人修羅です…