かわいそうなこども-明-

 
罪業妄想
自分は非常に悪い存在だ、罰せられるべきだ、皆に迷惑をかけているなどと思いこむ妄想。うつ病によく見る。




「ナウマクサンマンダ…」

視線が泳いでいる。

「マリボリソワカ」

術書の下に、チラチラと見え隠れするそれ。

「ネガイタテマツル…」
『明!!』

俺の怒号に、びくりと肩をはねさせた小童。
いや、もう小童というのも怪しい年齢だろうか…

「な、なんだ業斗…」
『隠している物を見せろ』
俺の眼は誤魔化せぬ、と迫れば
明は術を綴った経典を、苦い表情でずらしていく。
そこに現れたのは、踊りの教本。
『お前、無心で言挙げをして身になると思っているのか?』
「…いや、ならぬ」
『ただつらつらと述べて、心は踊っているのみか?え?』
「…すまぬ」
『馬鹿が』
「…真面目にする、するから許せ…」
そう云って、踊りの教本を横に放った明。
未だに叱られてこの表情…いい加減、威厳を持って欲しいものだ。
『時機を見てお前を雷堂にするつもりなのだからな』
「…わかっている」
『今のままでは弱過ぎる、おまけに雑念も多い』
ギロ、と俺は明を見た。

先刻の言挙げ…すぐ判った。
稀に呪文ですら無い言葉が混じっていた。
まるで舞台の掛け合いみたいな言の葉が…
『未だ元の家に心を置いているのか、お前は』
「…」
『良いか、外界を自由に歩くは…責務をこなして初めて許される事だ!』
「ああ」
『そして、お前はあの家に戻ってはいかん』
「…知っている」
雷堂になる、と。
そう昔から幾度と無く伝えてきたではないか。
今更覚悟も無いなど、云わせて堪るか。
『何故そんなにまでして…帰りたいのだ?』
俺はいよいよ聞いてやった。
びくびくしている明は、俺が問わねば云わぬからだ。
「理由…?」
『そうだ、実の親でもあるまい』
わざと抉るような質問を投げてやる。
「だ、だが俺の事を」
『“我”!!』
「わ、我の事を、まるで息子のように良くしてくれたのだ」
『…ほお』
「な、なんだ!何が云いたい業斗よ!」
俺は明の前にある本掛けの上にとっ、と飛び乗った。
『くくっ…戻るべきでないな…やはり』
「どうして、そう…云うのだ」
『お前の居場所が在るとは限らぬ、寧ろ…邪魔なのではないか?』
「な、邪魔…など」
『既に問題は解消され、新たな御子が誕生しているやもしれぬぞ…?』
「…!!」
『すれば血縁ですら無いお前が戻ったところで』

ガシャン

俺は宙返りし、吹っ飛んだ本掛けの上に再度着地した。
思い切り扉を開閉する音が、続いて響いた。
『…はん、馬鹿め』
幼い頃は泣き出して教本を放る事もあったが…
まさか十四の齢でそれをするとは。
(甘やかし過ぎか?)
いや、逆?虐めすぎか?
管召喚も問題無く行え、他の術も容易くこなす。
あの類稀なる才は、他に真似出来ぬというに…
何故一介の役者小屋に戻りたがる?
勿体無い…そして、羨ましいその才。
俺には宿らぬその強き力が…妬ましい、明め。
『ちっ』
余計な感情が混じり、自身に舌打ちする。
『帰ったら更にしごいてやらねばな』




「ううむ、しかし見事に使うようになりましたな」
アークエンジェルを駆り、大太刀を振り回す姿を遠くから見て
傍の武術指南もニンマリとした。
『フン、云ったろう』
「いやはや、あの若に大太刀は如何なものかと当初思いましたが…」
『意外と力は有るのでな』
「悪魔の使役も、特に問題無いようですし」
模擬試合において、明を負かせる者はもう最近では珍しい。
天使の羽を舞わせ、マグネタイトの光を振りまくその姿。
もう今では此処の崇拝対象にも近い。
しかし…それは一部で、の話だ。
あやつを良く思わぬ者だって居る。
そして…継ぐ十四代目の権威を利用せんとするお上達も、不穏だった。
(全く…あやつはそれを分かっているのだろうか?)

「アークエン!」

名を呼び、術を唱えさせるその姿。
まるで友と戯れる様に。
模造とはいえ大太刀…その重量に負けて、相手の刀は折れる。
「試合止め!」
号令がかかり、明は折れた刀を拾って相手に渡す。
それを何度見てきた事か…
そうして幾人ものカラスのサマナーの自信をへし折ってきたのだ。
微妙に注がれる羨望と、妬みの視線に
あやつがそこまで鈍い訳では無い。
いつも、びくびくして…何かに怯えている。
悪く無いのに謝罪する。
(なんとかならんか、本当…)
俺がここまでして看てきたのに、未だにあの自信。
もう少し虚勢を張る勢いがあっても良いというに…

『明様、治療箇所は?』
「無い、アークエンは?」
『ありません、貴方の太刀に護られまして』
「…ふっ、我が護ってやるから心配するな!」

敬称で呼んで、まるで友人扱い。
あれで本当にこの先悪魔を扱えるのか?
余計な情程…サマナーを陥れるものは無い。
俺が今まで見てきたサマナーは…悪魔との在り方にしくじって
駄目になる者が多かった。
同じ道を…あれも歩むのだろうか?
いや…させまい。
次の、十四代目こそは、俺がさせまい。





時機を見て…という話だった襲名。
しかし、それはあくる日
突然に。


「業斗様」
もう早朝すら近い、この静かな時間に…
慌しく動くは烏の黒き従者…サマナー達。
賊の侵入に、騒いでいた。
『何処に入った?』
「奥の間に在られる松様を狙うのやも知れませぬ」
『はっ、我々とは縁の薄いあの御方を?それはまた…』
三本松は一線を引いている。
今この機関を動かしているのは、事実上お上達。
だから…一部の人間は十四代目雷堂の到来を待ち望んでいるのだ。
お上達への牽制か、それとも成り代わるつもりか…
「しかし、松様を狙うとは…此処に怨みでも」
『有る者など、ごまんと居る』
「はは、まあ仰るとおりで」
『血の上に成り立つ巣だからな』
多くの骨を血で塗り固めた巣だ。
その上に悪魔を飼っている…
そんな中で、幼い明は育ったのだ…
(幸か不幸か)

…賊の侵入。
ヤタガラスに喧嘩を売った賊の。

「業斗様?」
『…おい、今明は寝ておるか?』
「え、ええ…この程度なら我々ですぐ始末出来ます故…明日にでも報告をと」
『叩き起こせ!!』

俺の指令は、すぐ従者達に伝令される。
そして…起こす理由も同時に。

サマナー達が呪いを塗りこめた装束を羽織り、管を再確認する。
集まった黒い渦の中に、ようやく姿を現した次期十四代目。
同じ黒でも、薄っすらと縫いこまれた金糸が呪いの代わりだった。
神水で清めた反物で織り、烏の骨で叩き伸ばした金から作り上げた糸。
見目で分からぬ豪奢な魔力の塊。
あやつの為に用意された全ての装具は、その才を引き出す。
…恐らくあやつは知る由も無い。
地味な色目なら何でも安物と判断する位だからな。
「遅くなった、業斗」
『全くだ、おい、管は持っているか?』
「あ、ああ…しかし、賊であろう?そんなに厄介事だったのか?」
いつも事後報告で終わっていた侵入者について
明は疑問を感じたらしい。
『いいか明、今回は良き機会…お前にも賊始末の一端を担ってもらう』
俺の言葉に、緊張の色を濃くした明。
それもその筈…実戦など未経験なのだ。
「おれ…わ、我は何をすれば良い?」
『他のサマナーを的確に配置し、自らも動け』
「は、配置」
『地図なら其処の壁にあろう、まさか構造を知らぬとは云わせぬぞ』
「い、いや…出来る、やろう」
そうだ、お前には戦術指南もついていたろう。
出来ぬ事など無いのだ。
そう…ある事以外。


サマナーを配置し終え、自らも松の御前のひとつ手前。
演舞を執り行う舞台部屋に身を置いた明。
腰に横向きに下げるは、本物の大太刀。
しかし…本当に困ってはいない様子。
賊は独り…まさか此処まで押し入られる事は無い
との考えであろう。
そわそわしてはいるが、呼吸は落ち着いている。
『おい、明』
「…なんだ業斗」
『お前…もし此処に賊が入ったら、その太刀と悪魔とで何をすれば良いか分かっているか?』
俺の問いに、答えは出ている筈。
灯篭の薄明かりに照らされた明は、いつも以上に仏頂面だ。
まだ十四の齢がそうさせるのか、しかしながら女性的な面立ちでもあった。
その横顔に、俺は叫んだ。

『斬れい!!明!!』

俺の声とほぼ同時に
ダン、と力強く開け放たれた戸。
そこに見えるは、悪魔を従えた…部外者。
それを見て驚愕する明。
「まさか!!」
そう悲鳴を上げ、慌てて管と刀を構える。
「…一人で待ち構えるたぁ、度胸の据わった小僧だな」
「一人?」
「おう、此処までものけの空じゃねえかよ…烏はどういう了見なんだか」
「ものけの…空?」
俺を見る明。
俺はニタリと哂ったつもりで鳴く。
『配置を違えたのではないかお前?責任は果たせよ』
違う。
違えてなどいない。
見ていた限り、抜群の配置だった。
なら何故…?

「小僧だろうがサマナーだな…容赦しねえ…!」
「っ!業斗!!何故!?」

襲い来る相手とその使役悪魔。
アークエンジェルが呼び出され、明を護る。
相手の悪魔はそう強くは無いドゥン。
吼え猛り明の脚に噛み付いた。
「ひぃっ!!」
ついぞ感じた事も無いその痛みに、悲鳴を上げる明。
『明様!!』
すぐにアークエンジェルが剣でそれを薙ぎ払う。
そうしてドゥンとアークエンジェルがやり合い、離れていく。
残されるはサマナー二人。
その賊は、細身だが長い得物で明を突いてくる。
「くっ…」
「お前からは来ないのかよ?烏の雛鳥め!!」
「お、願いだ…退いてくれ!!」
「煩い!松を消しゃあ気が済むんだ!此処の崩壊を望んでんだよ!!俺は!」
迷いが明の腕を鈍らせる。
その緩慢な動きに俺がハラハラさせられる。
馬鹿か、幾度も機会は有った。
マグネタイトもお前の方がたんまりと残っている。
長期戦にする必要は一切無い。
俺は叫ぶ。

『明、殺れ!』

「や、だ」

『殺れ!始末しろ!』

「う、ああ、ああああっ」

打ち合いになり、無我夢中の明。
そう、手を弛めればその身に降りかかるのは…刃物の痛み。
本当の戦い。
悪魔も背後にて踊る。
その舞台上にじりじりと、明と賊は打ち合いつつ場所を移す。
まるでそういう演劇にも見える。

「はあっ、はぁ…」
「死ね!カラスの小僧!!」

その賊の一閃、明は反射的に…だろう。
大きく振り上げたそれで、相手の得物を跳ばす。
その勢いでばきりと折れた得物の柄。
それ等が舞台の幕に突き刺さる。
そして、既に本能のままに二撃目を振り下ろす明が其処に居た。

一瞬、音も無く。

賊の首が撥ねられ、舞台の奈落に落ちていく。
その頭が、地階を打つ音に、止まっていた時が動き出す。
ハッとした明が、ぐわりと床に大太刀を取り落とした。

「あ、ああああ」

震える声に、突如降り注ぐ盛大な拍手喝采。
この舞台に、サマナー達が集まってきた。
いや、正確には…もとから此処に居たのだ、皆。

「若、おめでとう御座います!!」
「見事な剣筋、そしてお覚悟で御座いました」
「我々の頭を務めるに相応しい!」
「新たな雷堂の誕生ですな」

口々に降る賞賛は、果たして明の耳に届いているのか?
明に、俺は近付く。
遠目にアークエンジェルがドゥンを始末した姿を見た。

『おい、明…』

「ご、ごめんなさい…」

何に対しての謝罪だ。
俺が聞く前に、明は首の無い死体に這い寄った。

「ごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさいっ!!」

額を舞台床に打ち付けて、擦らせて。
幾度も幾度も土下座するその姿。

『明!謝るでない!』

俺の言葉も聞かず、額は赤くなっていた。
うろたえる他のサマナー達。
俺は舌打ち混じりに、明へと更に接近した。
『明』
「首にいくとは思わなかった!殺すまでするつもりはなかった!」
『良かったではないか、お前』
「な…んだと、業斗」

『舞台で舞えて良かったな、と云っている』

俺の言葉に眼を見開く明。
『見事な舞だったぞ…十四代目葛葉雷堂』
頬に勢い良く撥ねた血化粧が、役者の如し。
「おお!十四代目!!」
「業斗様!!お目出度う御座いまする!」
「明日、正式に襲名式を執り行いましょうぞ」
観客も盛大に歓喜しておる。

「あ、あああ…ああああああ、俺、は…おれ?…わ…我、我は…」

明は、震えながら何かをぼそぼそと呟いていた。
管に早くアークエンジェルを戻してやれ、と云っても
なかなか、立つ事すら…すぐには叶わなかった。




そして夜が明け…襲名式の時刻が訪れた。
どこか、ぼうっとした明が、着飾られて松の間に入る。
眼は、虚空を見つめていた。
「荒療治でしたかね?」
『フン、これで折れたらただのなまくらよ』
「相変わらずお厳しい」
傍の従者と、昨夜の事を踏まえた会話。
しかし、俺が考えも無しにこんな発言をすると思っているのか?
あれは…なまくらではない。

皆の前、重い絢爛な装束に身を包んだ明が口を開く。

「我はこれより、葛葉が十四代目…雷堂を名乗る」

静かにどよめく一帯。

「静まれ!!」

その、若い頭の一声に、どよめきは霧散した。
雷堂は、切れ長なその双眸で見渡す。
昨夜までと、あきらかに違う…その眼。
一線を越えた者の眼。

「烏の敵は御国の敵…」

その一声一声の重みが、幼さを剥ぎ取っていく。

「共に討とうぞ、そして国を守護する事を誓おう!悪魔を駆って!!」

一挙に上がる歓声、崇拝者の啜り泣き、溜息混じりの眼差し。
昨夜からこの日に変わったその瞬間…雷堂は誕生したのだ。
夜明けが…訪れたのだ。





雷堂は笑わなかった。
しょげた顔も、泣く事も失くした様子だ。
ただ、ひたすら修行をし…責務をこなした。
もう子供では無いのだから…当然だ。

そう、才を埋もらせたまま、腐らせる事は何とか回避出来た。
あのまま舞台役者にしてしまっては、それこそ哀れだ。
魔力も有る。知も有る。

ただ、無かったのは…
殺す覚悟のみだったのだから。



そうして…数年経った。

もう十八にもなろうとしている…
逞しく育ったこいつに、俺はもう教える事は特に無かった。
横顔を見る度に思う…

「どうした業斗」
『いいや…ところで今日の相手はどっちだ?』
「…人」
『そうか、ぬかるなよ』
「ああ…」

ああ、俺は救ってやったのだ。
可哀想な子供を。
才に気付かずに朽ち逝く程、嘆かわしい事は無い。

雷堂よ、お前の才を存分に引き出す装具は何でも揃えてやろう。
それは、絢爛豪華な舞台衣装。

扇の代わりに太刀を持て。
篳篥の代わりに管を持て。
音頭の変わりに術を唱えろ。

お前に舞台は用意した。
血塗りの花道を歩み往け。

可哀想なお前の舞を、観ていてやろう。
死ぬまで舞うお前の晴れ舞台を…




そう、今も可哀想な事くらい
俺にだって解る。

かわいそうなこども-明-・了
* あとがき*

…業斗、なかなか酷いですね。
しかしこれは情も在ります。
そして雷堂…やはり殺してから微妙に変わったようで…
これが正しい!と自身に思わせているフシがあります。
そうでもなければ、やっていけなかったのでしょう。
なので常に強迫観念に駆られてる…