そういう介錯



「嫌です、俺はこの世界に興味は無いので」

あまりに毅然とした態度で答えた人修羅を見て、笑った。
消えていくマサカド公とやらに未練も無いみたいで、踵を返すその面は小ざっぱりとしている。
「良かったのか?タダでヘルプしてくれるって話じゃねえか」
「良くない、ボルテクスの平定を見守るつもりで鍛えてきた訳じゃないし」
そうだ、人修羅は…ヤシロは、この世界をブチ壊す為に塔に登る。
さっきの化物の恩恵が、たとえ利用価値が高くても…受け取りたくないのだろう。
「とんだ無駄足だった」
呟いて、既に出口に向かう細い脚。
謎の紋様床に湿った足跡をスタンプして、俺の近くまで来た。
「おい、ソレ無闇に踏んで大丈夫か?」
「えっ?今更…もう遅い。それに、さっきから踏んでるけど平気だ」
「おいおいまだこの神殿から出て無いだろ?ピクニックは帰るまでがピクニックなんだぜ?」
「何だそれ…意味解からない」
呆れつつ、湿った前髪を震わすヤシロは何処か寒そうだ。
その黒い艶やかな髪を、ざっくり額から後頭部に撫でつけてやる。
「ハハ、さっきのサウナはキツかったな」
「だって…俺のせいじゃない」
拗ねた様に振り払われ、また歩みを再開される。
ジコクテンとかいうヤツとやりあった際に、焔と氷がドンパチして。
つまり俺等は蒸し焼きに近い状態で、ダラダラと色々垂らしながら踊ってた訳さ。
「セタンタにしっかり御褒美くれてやれよ?」
「どうして」
「ブフ系でビシャモンテン相手に獅子奮迅の活躍しただろうに。ジコクテンの時だって、体勢崩したお前をサポートしていた」
「それならブフ系に特化してるより、吸収してくれた方が助かった」
「そうか?でもお前は氷結の術を持ってないんだ、穴を仲魔に埋めさせるのはベストだろ?」
「…悪魔には、矛より盾になって欲しいんだ。痛い役目はあいつ等で良い」
「穴ってのは墓穴じゃないぞ」
薄暗い横顔、睫毛の先がウェットで、光るタトゥーの色を映す。
「もう俺と長いのに、そんな事も解からないのか貴方は」
ギロリと刺す視線の先に俺が居る事を感じて、妙な安心感に包まれた。
詰るような、それでいて嬉しい事を云ってくれている様な。
もう二週目のボルテクスにいい加減苛々しているお前を、俺はしっかりサポート出来ているのだろうか?
「ああ悪かったな、お前が悪魔に手厳しい事は知ってたが…ま、それでもセタンタにはくれてやれ」
「妙にあいつの肩を持つな」
「働きに応じた報酬だろ?俺はチップをやれとは云ってないぜ?お前はケチ過ぎる、ヤシロ」
「ちゃんと仲魔にマガツヒは与えてるし、泉で回復させてやってる」
「くれってアピール出来るヤツにしかやってないだろ?」
「オドオドモゴモゴ喋ってて、いつもセタンタの要望は聴き難い」
「そりゃマフラーのせいにしてやれ」

絶対王政に近いヤシロの采配に、コイツの仲魔は文句を云わない。
使役悪魔が納得しているなら、それは悪にならない。そういう契約で、付き従っているんだ。
ま、それにしたって口出ししたい程度に、このマスターはシビアなギブアンドテイクをする。

「さっきの紋様、なんだろうな?」
「太陽じゃないのか?そういう形してた」
「俺はアレだ、ザクザク斬ってるとな、周囲に炎が点って…キマると仕掛けが動くんだ。ソレに似てた」
「……は?意味が分からない」
「気にするな。俺の世界にそういうギミックが有ってな…発動させないと先に進めないんだ」
返答に困っているヤシロに、俺は勝手に話を進めて更に困らせる。
そりゃそうだ、俺の世界の事なんか、お前は知る筈も無い。
かと云って、このボルテクスの事だって未知だ。
この世界は、魔界とも少し違う。ヒエラルキーが定まる真っ只中で、誰にもリスクもチャンスも有る。
「しかし太陽、か……どっちかと云えば、俺には満月に見えた」
「満月?中心の円だけなら見えなくも無いけど、周囲にも小さい円が有ったじゃないか」
「そりゃ月を囲む他の星さ。俺には太陽よりも月の存在の方がデカく感じるがな…お前は違うのか?ヤシロ」
「月…」
「この世界じゃ月も太陽も無いか、ハハッ……悪い悪い、ヤボな事を云った」
新しい陽が昇る事も無い、沈む事も無い。
カグツチが明滅するだけで。
それが二十四時間なのかというと、恐らく違うだろう。
「悪魔って、やっぱり満月に興奮するのか」
「まぁな、全部がそうとは限らないが」
「俺も……太陽よりも、月が良くなったりするんだろうか」
殺気の消えたその横顔は、不安ばかりが残留する。
荒々しい波が穿った砂浜に、点々と寂しい色の貝が残る様な。
置いて行かれたばかりのそれ等は、月光に潤んで光る。
思えば、この世界には海も無かったか。ボルテクスの砂漠は酷く乾いている。
「何嫌そうな顔してる、そんな気にするなよ。人間だって太陽や日光よりも、月や夜が好きな奴ぁゴマンと居る」
たし、と細い肩にグローブの甲でつついてやれば、憮然と睨み返してきた。
「ダンテって、直球だよな」
「変化球がお好みなら、努力しないでもないぜ」
「モゴモゴ喋るよりマシだ」
「お前なあ」
俺だって半分悪魔なんだぞ?と、これまたストレートボールを叩き込もうとしたその時。
少し開けた空間の隅に、何かが転がっていた。
「おっと、ケチとか云ってたらこんな所に」
「…賽銭箱だ」
「サイセン?あん中に何が入ってるんだ?」
坂東宮とかいう神殿を抜けると、空間の歪みが解けて其処は砂漠になっていて。
砂に塗れた多種多様な残骸が、廃墟の様にシルエットを浮かび上がらせる。
「お金を入れる箱だ」
「本来は何処に在るモンなんだ?」
「神社とか寺院に置いてあって、祈願成就の為に硬貨を投げ入れて神にお参りするんだ」
「へえ、その金は何処に行くんだ?」
「何処って……その、神社とか寺院が…管理費用に使うから」
「そりゃあカミサマに通じる前に、徴収されてるんじゃないのか」
「…西洋の教会とかだってそういうもんだろ」
「教会はもっとハッキリ云ってるぜ?『信仰の為に“寄付”しろ』ってな」
「そうなのか?」
怪訝な眼で俺とサイセン箱を交互に見るヤシロ。
俺はそのサイセン箱とやらの前に行き、身を乗り出して覗き込む。
異様な気は感じない…この中は、どうやらアマラにさえも通じて無さそうだ。
「もう神社も何も無いのに、この箱に入れたら何処に願いが届くってんだ。さっきのマサカドか?」
「俺に訊くなよ…これが何処の賽銭箱だったのかなんて判らない」
砂で彩度の落ちた箱は、持ち上げて振ったところで音さえしない気配だ。
「これがアレだ、あの車椅子のジジイの所に繋がってるなら、流砂の中にでも突っ込んでやりたい所だな」
「…そういう解釈?」
呆れながらも失笑する隣の少年に、俺も笑い返した。
「この世界の神はまだ決まって無い、そうだろ?」
「…そうだな、これの中に入れた金は…ダンテの云う通り、一体何処に行くんだろうか」
「だからこそ、投げてみたいと思わねえか?」
コートのポケットから一枚取り出し、金色の眼の間に揺らす。
それを今度は俺の眉間に引きつけ、アイコンタクトへと誘導した。

「お前の願いが叶う様に、祈ってる」

軽く硬貨に口付けて、暗い穴に葬る。
音がした様な、しなかった様な。この箱の底が有るのか無いのか、結局判らない。
「…ダンテって…本当…直球だよな」
「どうした?いきなりモゴモゴ喋って、そんなんじゃ聴こえないぜ?少年」
「…っ」
サイセン箱より、こっちの方が反射がハッキリしてやがる。
やっぱり音が響いた方が楽しい。
「そんなに云うなら、今の金…セタンタにくれてやれば良かったじゃないか」
「そりゃあ駄目だ、金じゃなくてマガツヒをくれてやりな」
まだ震える肩に、脱いだコートを掛けてやる。
悪魔のクセに、身体は震えて耳は赤い。コイツも多分、まだ涙が出るのだろう。
「俺は、今の賽銭無くったって…もう決めてある」
「そうか、ま、今のは願掛け程度に考えときな。お前に雇われたんだ、首だけになったって俺は従う」
「将門の後に…冗談にならないから、そういうジョークは止めてくれないか」
俺はマサカドのバックグラウンドなんざ知らないので、適当に首を捻って相槌する。
「人型の悪魔を殺すには…やっぱり首なのか」
ぽつりと零した半魔の眼は、遠くの砂漠の線から伸びる塔を見ていた。
また登り、お前は今度こそ人間になるんだろう?
「安心しな、もう迷う事は無い。また病院で目覚めたって、お前の首を今度は撫でて起こしてやるぜ?」
「止めてくれ…気色悪い…」
「ハハッ、それが嫌ならさっさと人間になりな。なに、転生を何周したって、お前は俺の主人だ」
今度はグローブを脱いで、素手で跳ねた髪を撫でてやる。
砂漠の風にようやく乾いてきたのか、さらりと指を掻い潜って逃げる黒。
見上げてくる眼は、泣きそうなソレかと一瞬錯覚したが、怒りの色にも見えた。
「たった、一マッカだった…それなのに…!」
「こき使っておいて今更気にする事か?それに、頂戴した前金はもう見知らぬ神に献上した」
はっとして、サイセン箱を振り返るヤシロ。
「せこいビジネスの手段と怒るなよ?俺はもっとデカい後金を得る為に、今こうして付き合ってんだ」
「手持ちのマッカも、俺のすべてのマガツヒも、貴方にとって大した量じゃない」
「俺が欲しいのはそういうモノじゃない。お前は気にせず進めば良いんだ」
こういう時、お前は必死に何かを云うまいとする。
教えろと云っても、腹を殴っても、絶対吐き出さないんだろう。
「……大丈夫だ、もう何周もする気は無い。成就したら、晴れて貴方はクビだから…ダンテ」
「そうか、スッパリ切り落としてくれよ?またモゴモゴしてると、仕事せびりに行くぜ?」
「そんなに仕事熱心に見えないけど…?」
「お前もストレートボールしか知らないよな」
「そういう解釈?俺、運動は好きじゃないんだ」
「龍の眼光にキレて、倍殴り返したのは何処のどいつだ?インドア少年にしちゃファインプレーだったぜ」
大体の覚悟は決まっているという事だろう。
その解雇の日が、待ち遠しいと同時に寂しい。
「少し……疲れた」
呟くヤシロが、コートを返そうと身を捩る。
それを眼で制し、改めてグローブを着けた指で指し示す。
「ほら、ソコに丁度良さそうな石が有るぞ。少しベンチにさせて貰え」
妙に整った四角で、砂に埋もれて頭を出している様子だった。
ソレを見るなりヤシロは眉を顰め、またスタスタと歩きだす。
「首塚だったら嫌だから、とりあえずターミナルまで行く」
「なんだそりゃ」
俺のコートの裾を引き摺って、砂埃を上げる歩み。
その砂に呑まれて、何だか消えてしまいそうな気がした。

人間になったお前が、普通に暮らして笑っている姿を見るまでは…
このビッグビジネスから降りる訳にはいかない。首の皮一枚で繋がって、踏み留まってやる。
「神にも縋りたくなるってもんさ」
ガラにも無く俺は今、信仰の心を理解出来た。
あの箱に投げた硬貨の行きつく先は……結局お前なのかもしれない、ヤシロ。

その割に、音は跳ね返ってこなかった。
耳に砂漠の砂でも詰まっていたのだ、と…乾いた風にすべて流し、背中を見守る。
お前の頼り無い、細首。ソコに悪魔の証が、添え木の様にそびえ立ち…
俺を黒々と嘲笑っていた。



そういう介錯・了
* あとがき*

SS「地獄篇」〜「天国篇」を読んでおくと、それとなく解ります。
イメージとしては煉獄篇より後、天国篇より前。(ダンテ修羅三部作掲載から二年近くラグが有るので、どこかしら矛盾が有りそうですが…)
マサカドゥスを手放した意地っ張りな人修羅。以前、人修羅を介錯し損ねたダンテは、彼の細首を見る度思い出す。
人修羅は、この時既に疲弊し始めている。ダンテがどれだけ共に尽力してくれても、もう繰り返す気力が失せ始めている。終わる事だけを考える様になる。
本編第一章は、つまりダンテの介錯の旅。「解釈」という言葉は、首を斬る以外に「補助する」という広い意味合いを持つ。そういう話のつもりで書きました。
人修羅とは、何気にライドウより付き合いの長いダンテ。人修羅は甘えている。

『介錯/解釈』
『首/解雇(クビ)』

今回は首がテーマなので、マサカド公を出し……あれ?出てなかった…