禊祓詞

 
気持ちいい…

肌の裂け目から、溶け出した様に四散してゆく朱色の体液。
珈琲にミルクを溶かし込んだ時のような。
いつの間にか、溶け込み、色を失う。

脚の指先まで一糸纏わぬ姿で、水中を漂っていた。
薬湯でも無いのに、たちまち傷を塞ぐこの泉は何なのだろうか…
聖女に聞いたところで、微笑みを返されるだけ。
ぐるりと洞内を囲む形でたゆたう水は、お気に入りになっていた。

(もう癒えた)
ざぱりと水から頭を出し、手の指先を見る。
先刻の戦闘時、敵の刃物を掴んだ。
白刃取り、でもない。
握りこみ、砕いた。
自分の指がバラバラになるか、相手の刃物が砕けるか…
その時の自分の浅はかさに、今となっては笑いが漏れる。
なんて重みの無い身体…

「禊は済んだ?」

掛かる声に、反射的に身体を隠す。
急いで水を掻き分け、岸辺に身体を添わせる。
「…覗き見とか、相変わらず趣味が悪いな」
「君の帰りが遅いのでね」
学帽の下から、覗く眼光。
どうやら悪魔召喚師は、お遊びの後らしい。
まだ収まり切らぬ禍々しい気が、覆っている。
「暇つぶしに悪魔狩り?あんたいっそ職を変えたらどうだ?」
フン、と鼻で笑い濡れた前髪を手櫛でかき上げた。
弾かれた水滴が水面を叩く。
脇に見える、隆起した岩に干しておいたスラックスと丁寧に揃えた靴。
着替える為に、其処へと近付いたが…
「…あの、ライドウ」
「何?」
「…邪魔、なんですけど」
「同性だろう?どうぞお気になさらず」
(こ、この…!)
確信犯っ! 俺に散々“潔癖”だと嘲笑しておきながら、知らないとは云わせない。
この男の眼があるのに、ストリップショーなぞ願い下げである。
「あんなに気持ち良さそうに泳いでいたじゃない?」
「あんたが居なかったからな!」
「そう?仲魔達に先を譲るのは、自身は後で独り、伸び伸びと全裸になりたいからではなくて?」
カアッと耳が熱くなる。
ライドウは、俺の払い掛けた水飛沫を
肩で笑いつつ外套で防いだ。
「俺は大衆浴場の時代に生まれてないんでね!失礼!」
「クク、そう立腹せずに…」
俺の怒りの言葉を流しつつ、ライドウはするすると外套を外した。
「おい、入るならあっちから入れよ」
「何故?」
「…いや、その…まだ、俺の血が漂ってるかもしれないから」
別にこの男の為では無い。
他人に不快な思いをさせないという…そう!モラルの問題だ。
俺が嫌、だからだ。
「功刀君の血なら、いい薬湯になるかもね」
これまた人を小馬鹿にしたような笑みで、そのまま脱ぎ続ける。
俺も止せば良いのに、何故この時ライドウを見ていたのだろう。
多分、普段肌が殆ど露出していないから
ほんの…好奇心だったのだと思う。

管のホルスターの編み上げ。
胸部にいくらベルトバックルがあっても、あれは難しそうだ。
背に腕を回し、調整しているライドウは
正直、器用者だと感心してしまう。
「あのさ、その学生服って…普通の物?」
「どういう意味?」
俺の質問に答えながら、テキパキと手を進めるライドウ。
「あの外套も…特殊な繊維とか、退魔効果があるとかは…」
するとライドウは、あははと笑って学ランを投げてきた。
俺の眼前の岸に、ぱさりと落ちたその黒い服を見る。
襟裏に、俺も馴染みのある“名前欄”が確認出来た。

<弓月の君高等師範学校 二十年生 晦組 葛葉ライドウ>

「これ、まじで学校の制服なのか!?」
驚き、濡れた手で触ったが…普通の学ランだ。
俺も学ランだったが、とてもあれで戦う気になれない。
「大正二十年生で一番の不登校生だよ」
笑う所なのかそれ。
ともあれ、軽く笑い飛ばしているライドウを見ると
学校が恋しい…なんて事は無い様子だ。
しかしこの男が学校に…と想像すると。
…いや。
(いやいやいや、想像出来ない)
あいにく想像力に乏しい俺では、彼が学校に行き
大人しく机に座りノートを筆記する姿なんて…
「なんだいその顔」
俺の妙な憶測に、ぴしゃりとライドウが終止符を打った。
「い、いや何でも…」
そう適当に相槌をして退こうとした瞬間。
「…」
「…何?」
俺はそのままぐるっと旋回し、ライドウに背を向けた。
(そりゃあ、時代的におかしかないけど…)
あんな堂々と褌を曝せる神経が、もうおかしい気がする。
俺は平成に生きているんだぞ。
少し位、褌の特殊性を考えろよ…!
「褌野郎、その岩の上に在る俺の服を取ってくれ」
「随分な称号だね、禊の際は平成だって褌だろう?」
「俺はあんたの褌を見ているのも、俺の身体を見られるのも嫌なんだよ」
「全く…仲魔にしてから我侭になったね君も」
背後から水音がする。
どうやら俺の希望は無視されて、入水してきたようだ。
「ねえ」
「あんたが出るまで、俺は向こうで適当にしてるから寄らないでくれ」
気にも留めないライドウの呼びかけに
俺は腹立たしさを隠さず、ざぶざぶと遠ざかろうとした。
「当ててみせようか?」
「…」
言葉を無視して離れる俺に、続けるライドウ。
「左脚脛、左わき腹、右手の順」
その言葉に、ピタリと進行を止める。
その身体の部分は…
俺が、泉に来る前に負った比較的大きい裂傷箇所だ。
そして、言われた通りの順に治癒した。
「右手指が少し怪しいか?」
「…いいや、さっき治った」
俺の背を向けたままの返答に、流石自分と自我自尊するライドウ。
「そういうあんたは、この泉に来る必要があるのか?」
「細かい傷はすぐ処置しないと、肌に残るからね」
まるで女性が気にするかの如く、肌の事を語る。
「へえ、あんたでも傷痕とか…あるのか」
俺は好奇心が芽を出し、質問した。
あの男が残る傷を許す相手なぞ…いるのかと、正直信じられない。
「それは功刀君、僕だって生れ落ちた瞬間から太刀を振るえた訳では無い」
言われてみれば、当然か。
「それにね、言わせて貰うが…悪魔から喰らった事は殆ど無い」
悪魔からは…?
その限定の仕方に、妙な引っ掛かりを感じた。
「見たい?」
その、ライドウの一言は下手な催眠より効いた。
振り返れば、哂うライドウが容易に想像出来たが
敢えて、乗ってみたかった。
ゆるりと振り返る。

(…!)

意外にも、ライドウもこちらに背を向けていた。
だが、俺の眼はその背に一心に注がれる。
程よい筋肉の付いた背に、残る痕。
まるで鞭打たれたかのような、腫れ上がり。
「最近、そんな強い奴と戦った?」
傷を通り越して、俺はまずその質問をぶつけた。
「いいや、そもそもあんな厚着でこれを喰らっていると思うかい?」
ライドウはそう答えて、沈黙した。
俺は、その傷を与えた者の正体が気になりだす。
勝手に語られると、俺は逃げるのだが。
ライドウが語らぬならば、俺が追従するかのように気になる。
そんな潮みたいな精神の仕組みが、もどかしい。
「見せてあげようか?」
「もう、見てる」
「違う、この傷の出来る瞬間を…」
「…!!」
どういう意味?
しかし、引き込まれていく。
俺があいつの仲魔という立場だから?
いや、これは純粋な…ライドウへの興味。

「視せて…あげるよ…!」

突如、ライドウが学帽のつばを掴み少し上げた。
空いた手で、その帽体の内から何かを取り出した。
(封魔管!?)
まさか、何も纏わぬと油断していた。
その管から、蛍光色の光を伴い召喚されたのは俺も良く知る悪魔。
「イヌガミ、彼の意識を僕に繋げ」
『エッ、デモソレダト…』
「僕が視せてやりたいんだ、構わん…それ、行け!」
けしかけられたイヌガミを、まさか殴打する訳にもいかず。
「俺を…どうするつもりだ…っ」
彼の悪魔から、信号のように脳内に直接響いてくる。
自我が、摘まれる感覚。
周りの景色が、揺らぐ。
「ライ…ドウッ」
「なに…痛くはしないさ、痛くされるのは…」

僕なんだから


酷く、暑い。
(なんだ…此処…)
見覚えが、無い。
木張りの、蝋燭が揺らめく屋内。
密閉された空間…
さっきまで俺は冷たい泉にいて、漂っていた筈なのに。
なんだか、空間を第三者のように見ている。
自分が、希薄な…気がする。
「14代目葛葉ライドウよ!!」
その声に、びくりと振り返った。
見知らぬ人達。
何か装束のような物を身に纏い、たむろっている。
(ライドウとか、今言ったな)
其処に居るのか?と視線を潜らせる。
「居るのか?ラ…」
言葉が喉奥に引っ込み、呑まれた。
まるでこれから斬首でもされるみたいな、白装束。
正座したライドウが、囲まれている。
何…やっているんだこれは。
「ライドウよ!正直に答えよ!」
「はい」
囲む中のひとりが、厳しい口調で上から問う。
大人しく返事をするライドウが、気味悪い。
「先の依頼、何故蹴った?重要とは聞いていなかったか?」
「申し訳ありません」
「蹴った理由を述べよ」
「…人命が関わる依頼を優先しました」
「ほう、ヤタガラスの将来に与える影響が大きい者を闊歩させるは良い事か?」
「…良く、ありませぬ」
「解っていて、蹴ったのだな?」
「はい」
「ではその身に禊を受け、生まれ直せ」
「…はっ」
何を話しているか、良く分からないが。
あの周囲の黒装束の人間は、ライドウの上司なのだろう。
そして、ライドウは…任務を放棄した、のだろうか?
「背を出せ」
ライドウの背後に回った人間が、ねじった布を持っている。
装束の上を肌蹴たライドウの口に、其れを咬ませようとする。
「必要ありませぬ」
ぴしゃりと撥ね付けるように、ライドウが拒んだ。
「情けない悲鳴を漏らさず済むぞ?」
黒装束が嫌な連想をさせる台詞を吐いた。
「お気遣い無用」
「ふ、ならば始めるぞ…おい禊祓詞を挙げろ」
そう言いつつ、その黒装束は何かを振り翳した。
(え…っ!?)
ライドウの背に、朱色の筆が奔る。
いや、それは違う。
鞭で打たれている…!!
生半可な物では無く、皮を破り皮膚を裂く鞭。
裂傷から、蚯蚓腫れまで、様々な傷が生まれていく。
(な、なんで…)
ライドウは食いしばり、何も声を漏らさない。
膝上で握る拳が、硬く握り締められるだけだ。
「ライドウよ、お前は何も分かっておらぬ」
「幾度繰り返せば気が済むのだ?」
「葛葉四天王の名折れである」
その周囲で、まるで呪いのように延々と下される言の葉…
まさか、あれが禊祓詞?
それって、もっと心を浄化させるような祓言葉なんだろう?
あれでは…まるで。
呪詛。
「や、めろ…やめろよっ」
俺は駆け寄ったつもりだったのだが、視点は変わらない。
どうやら、俺は此処に存在していないみたいだ。
「先代達を呼ぶ必要も無いな」
「まだ正気を保っているのかライドウよ?」
「力が有るからとて、つけあがるなよ狐め!」
もはや意地のように、その黒い装束達が責め立てる。
ライドウの背から流れ伝う朱色の汗が、肌蹴た白地に染みる。
まっさらだった着物に、赤い牡丹が蕾を開いていった。
「違うっ!貴方達は…間違ってる…!!」
聞こえる筈も無い、俺の声が、俺の頭にだけ木霊した。
「そんなの…そんなのは禊じゃ、ない!」
何を黙って耐えているんだライドウ。
あんたらしくない。
いや、そもそも…

ライドウらしさ…って何だ?

その時、黒装束の袖の下
ライドウの横顔が垣間見えた。
閉じた眼の、睫の先から汗が滴っている。
その下、口元に視線が移る。
(え…)
ライドウの形の良い唇は

引き結ばれていた型を崩し、一瞬
弓のようにしなった。
(あいつ、今)
哂った。
哂っていた…

あ、ああ…あれが

あれこそがライドウ

14代目葛葉ライドウ…!!




「っあ!!」
白い、視界が白い。
急な明るさが、眼をおかしくする。
『ようやっと起きおったか、人修羅』
声のする方に、顔を向ける。
黒猫が、ゆらゆら尾を揺らせつつ近寄ってきた。
「ゴウトさ…ん」
『とは言え、原因を作ったのはあの馬鹿者なのだがな』
フゥーっと溜息らしい鼻をならし、脚を舐めている。
俺は上体を起こすが、途中で静止した。
一糸纏わぬ自身に、外套が掛けてある。
「…その馬鹿は?」
『お主を横たえて、また泉に戻った』
俺は岩場にまだ服も靴も放置してあるのだ。
少し向こう側、見えているのだが…近寄れない。
今ライドウと顔を合わせたら、何を聞くか聞かれるか分からない。
虚空を見つめて動かぬ俺に、猫の鳴き声で頭に囁きが響いた。
『お主、ライドウに視せられたのだろう?奴の心を』
「…、あの背中」
『…心の中の奴はどんな様子だった?』
「痛みは有りそうでしたが、辛くは無さそうでした」
『だろうな』
そのままゴウトは俺の脚に乗る。
ちくりと爪がこそばゆい。
『あやつは、気に喰わぬ依頼は放棄するが癖でな』
「何が気に喰わないんですか?」
『ヤタガラスの邪魔になる人間の抹消、だ』
それって平たく言えば、暗殺ではないか?
俺の恐くなった目付きに気付いて、ゴウトは続けた。
『そのような機関でな、我々の組織は』
「それで断ったら、あんな事されるんですか!?」
俺は諸悪の根源でもないゴウトに怒鳴る。
『あれはな、奴とヤタガラスの我慢比べだ…』
我慢比べって…と、思う俺はあの表情を思い出す。
「ライドウ…哂ってました」
あんな、あんな状態でもなお彼は。
『そうだ、奴はいつもあの禊の後平然として戻りおる。数多のサマナーがアレを受け、再起不能なまでに打ちひしがれて間から出てくるのが常だった…』
そのゴウトの口ぶりからして
ライドウがあれを一度きりしか受けていない、という訳ではない事が判る。
『我も唖然とした、最初幻でも見ているかと思うたわ』
「だから、貴方達の組織も意地張ってるんですか?」
あの打ちつけ方。私怨が篭った眼差し、念。
羨望、嫉妬、嘲り。
『奴はな、ヤタガラスが喜ぶ仕事をしたくないのだ』
「…何の為に所属しているんですか?あの人」
彼の至上の喜びは、機関に従属して飼い殺しにされる事か?
それなら何故あんな仕打ちを受けてまで拒む?
『最初の禊の後…』
「…」
『聞きたいか?あやつが何と言ったかを』
ゴウトが外套の上を渡る。
俺の胸元に、飛び移り眼と眼がぶつかるような距離で言う。
『ヤタガラスに与するは、身体のみ』
その台詞は、俺の脳内で鮮やかに再生される。
ライドウの声で。
『ライドウは…解ってやってのけるのだ。里でも希少な群を抜いて優秀なあの力、持ち合わせておきながら逆らう事が…』
「ヤタガラスが一番、嫌がるから?」

心までは属すまい、与しまいと…
背に灼熱を受けながら哂い続けるライドウが脳裏によぎる。
その姿は、ありのままの“彼”だった。

『…おぬしの様な身体なら、傷も残るまいて』
ゴウトが俺の身体を見て、呟いた。
それを聞いた俺は、何故だか途端に居た堪れなくなり
外套を羽織ったまま駆け出した。
驚き飛び退いたゴウトが、トッと着地して啼く。
『どうした人修羅』
その声を無視して、俺はあの岸に向かった。
乾ききらぬ足跡をさかのぼる。
先の光景と同じように、ライドウが背を向けて佇んでいる。
その背には、彼の黙して語らぬ意志が在った。
「どうしたの?功刀君」
いつもと同じ様に、かけられた声に背筋が凍る。
多分、禊から帰ったライドウを迎えたゴウトも同じ感覚が奔ったのだろう。
俺は、片手を翳し念じる。
キクリヒメ…!来い!
微かな電流が瞬き、其処に朱色の美しい女神が現れた。
「君からの挑戦なら喜んで受けるが?」
クク…と喉で笑い、振り返るライドウに俺は有無を言わさず答えた。
「丸腰のあんたを襲撃なんて、少なくとも俺はしないね」
キクリヒメを横に従え、しばし見詰め合う。
「キクリヒメ…」
『いかが致しましょう?』
「あの男にちゃんとした禊祓詞を挙げてくれ」
その俺の発言に、ライドウが一瞬驚いた気がする。
ほんの一瞬だから、俺の錯覚かもしれないが。
『構いませぬが…』
「ライドウ、言挙げが済むまで出てくるなよ」
俺は釘を刺した。
「あんたに着替えの邪魔されたくないから、彼女に頼むんだ」
「…」
「いいか、絶対終わるまで来るなよ!?」
俺は言いながら自分の服と靴を持ち、急ぎ足で泉を後にした。



『…あの、葛葉殿』
「なんです?」
『ちゃんとした禊祓詞…とは如何様な…』
キクリヒメの律儀な点は主人に似たのか。
フ…と笑いがこみ上げる。
「ごく一般的な禊祓詞で構いませんよ、たかあまのはらに…というアレで」
『そうですか、では挙げて宜しいですか?』
「フフ…宜しく」

たかあまのはらに かむつまります
かむろき かむろみの みこともちて…

悪魔の声に洗われて、今僕は何に生まれ変わるのだろうか。
本当の禊祓詞、知らぬ訳では無かった。
でも葛葉で云う“禊祓詞”は、呪いの言挙げだった。

ああ…人修羅よ。
君よ。
僕の内に視ただろう。
あれが全き、修羅というものだ。

君の内の人間が、君を人修羅と形容させるなら
僕は人でありながら、修羅のような男なのだ。
組織の為に振るう力は正義か?
持つべきでない疑問符に、己を殺がれ続ける。
君がボルテクスに閉じ込められるように
僕は生れ落ちた瞬間から、ヤタガラスに囚われているのだ。
戦い続ける事でしか、己を保てぬのだよ…!

『あの、葛葉殿…終わりましたが』
おずおずと声が掛かった。
どうやら、考え込んでしまっていたようだ。
「有難う、君の主人は優しいね」
『あ、いえ…それは矢代様に直接申されてみては如何ですか?』
その女神の意外な意見に、堪らず声を上げて笑う。
「はは、はっ…僕が、彼にそんな言葉を…?」
『く、葛葉殿』
「それは間違っても、しない」
それは、過ちである。
彼の主人となった僕が、彼に友愛の精神を持てと?
それは、自滅行為だ。
「彼と僕とは、憎悪が強く結んでいるんですよキクリヒメ…」
それを愛で埋めてしまっては、綻びが生じるというもの。
いつか絶対崩壊する。
ヤタガラスのおかげで身に沁みて分かる。
憎悪が結びつきを強固にするという事実。

『では、憎しみで支配される矢代様は何故こんな事を私に命じたのでしょう』

…さあ?
何故?
哀れみ?同情という、人間らしさに固執した彼の気紛れ?
キクリヒメのその言葉、嫌に胸をざわつかせた。


泉を出れば、外套を持った人修羅が待ち構えていた。
「キクリヒメ、有難う。戻って良いよ」
『分かりました、では、また…』
ちらりと、彼女と眼が合った。
瞬間、人修羅の内へと帰還していった。
さて…と向き直り、人修羅が云う。
「まあ、あんたの穢れは祓言葉じゃ落としきれないどろうけど?」
その言葉を言い終わると同時に、ぴしゃりと頬を打ち付けていた。
一瞬赤みが差す頬をさすり、人修羅は笑った。
「らしいな、それでこそあんただ」
金色の眼が光った気がする。
「外套を着せてくれ」
「…はいはい」
僕もいつの間にか、哂って命令していた。
彼の外套をかけてくる指先、もう完治している。
「次は何処に行くんだ?」
「そうだね…君の最近の戦い方も飽いてきたからな…」
僕は彼の手を握り、耳元で囁く。
「火炎弱点のマガタマ」
「…了解」
云えば、彼と僕の手の内に熱が集中して、マガタマが握られてる。
「火炎攻撃ばかりしてくる悪魔の群れに突っ込もうかと思ってね」
そのマガタマを掴み取った僕は、彼の口にねじ込んだ。
うぐ…と胸を押さえると、彼は扇情的な息をついて元々呑んでいたマガタマを吐いた。
「へえ…っ、それで俺には、ムラクモ?あんた…っ、相変わらず趣味、悪いな」
そう云いつつ、彼の眼は光を宿す。
そう、それで良い。
「愉しければ、工程なんてどうでも良いだろう?」
「愉しくなんて、無い…」
彼のその、寂しげな口調は、免罪符。
この後殺す悪魔達への、赦しを請う為の言挙げ。

僕が殺戮の理由をあげよう
だから君は、僕の欲求を満たすが良い

そして身に修羅を飼う者同士傷を舐めあおう…


天から追われた阿修羅を戦いへと誘うのは何なのか。

禊祓詞・了
* あとがき*

酷くグダグダ(笑)でも流し流されの不安定な彼等を表現するには
適当な文章になったかとも思います。
鞭打たれるライドウが書きたかっただけとも云う(おいおい)
一瞬見せる優しさや甘えも、次の瞬間には霧散してゆく。
彼等は戦うことで正気を保っていられる修羅達なのです。