枝垂桃

 
「…おい、あんた何歳だっけ?」
「里で云われていた年齢が確かなら、今年で19らしいが?」
こちらを恐い目付きで射抜く人修羅に
僕はふぅっと煙を吹きかけた。
彼は顔を背け、次の瞬間手で払いのけてきたが
ビッと振り上げた煙管の羅宇で受け止めた。
「灰を落とされたくなかったら、その手を除けてくれたまえ」
「もう1年くらい待てよ…っ」
黒檀の羅宇は意外に固いらしく、人修羅はしぶしぶ除けた手をさする。
「すまない、自身の正確な生年月日が分からないのでね」
「この時代だって年齢制限あるだろ?」
「明治33に、喫煙は20歳から…と決められているね」
やっぱりそうじゃないか!と嫌悪感を露わにする彼。
潔癖なだけでなく、なかなか規則に従う真面目な人間だったようだ。
「あんたについて来て、碌な事が無い!」
「それは悪かった」
哂いながら謝罪しつつ、すぅ…と肺に煙を送り込み味わう。
「なにも反省してない…!」
「功刀君も吸うかい?優しい口当りの草だよ?」
「い・り・ま・せ・ん!」
大人しく座布団の上に正座をしている彼が
まさか人修羅とは思うまい。
このような空間から、姿勢を崩しても誰も文句は云わぬのに。
「と言うか、あんたいつも学生服でこんな所に来ているのか?」
「そうだが?」
「周りは止めないの?」
「フ…まさか」
鼻で笑ってしまった。
この界隈はもう慣れたもの。
それは先刻、君も思い知ったことだろうが。




道中かかる遊女の声。
博打場からの誘い。
人のフリをして歩く君が、嫌に疲れているのがすぐ分かった。
「あんたの知人として一緒に歩きたくない」
「では独りでこの辺をうろついたらどうだい?」
そう云えば、黙ってしまった。
それはそうだ、こんな場所に独りだなんて…
健全な学生だった君には、かなり重たいだろう。
「少し寄り道する、おいで」
「はいはい、もう何処でも勝手に行ってくれ」
見ざる聞かざるの君は、ただただ後をついて来た。
帝都に用がある、と云えば
アカラナ回廊から文句を言いつつも
力を抑えてついて来た人修羅。
自分の時代には行けないし、ボルテクスに待機する意味も無いし…
と口を開けば文句ばかりだ。
何より、僕が使役する“君”を野放しにする気にならないのだ。
そう云えば、落ち着いた声で「そうか」と答えた。
恐らく、諦めているのだ。
僕に真に逆らう事など。

「その棚、1番右の簪を下さい」
「おお!こんな上物買ってくたぁ、どんな女性に惚れ込んだんだい?」
「フフ、猫みたいに可愛らしい女性ですよ…」
簪屋の店主との会話を
背後からの無言の気配が戒めた。
店主から受け取った簪を、僕がしまう前に覗き込んでくる。
「女性に贈るのか?」
「悪いかい?」
「いや、悪かないけど…所謂それって…」
「勿論、この後の行き先は遊郭だが?」
それを聞いた人修羅は、一瞬力を解放しそうなくらいいきり立った。
「あああ、あんたそこまで好色野郎だったのか」
「男なら分からぬ筈あるまい、だろう?」
「本当に帝都護ってるのか…?」
呆れ顔に、僕は少し哂ってしまった。
この少年、交際経験は無いのだろうな…と。
それでボルテクス界にて人修羅となったのだから
もう春は訪れないだろう。
「ご愁傷様」
「は?なにがだよ!?おい、ライドウっ」
くすくすと哂い先を行く僕を、慣れぬ和装で小走りに追ってくる君が可笑しい。




そうして、現在遊郭にて紫煙をくゆらせている。
女性が空くまで、この部屋で待っているのだ。
「なあ、俺が居てもいいのか」
律儀に聞いてくる人修羅にある意味関心する。
「払った僕が置いているのだから、問題あるまい」
「で、も…正直俺が嫌だ」
「何故?」
「こんな所居るならボルテクスがマシだった…」
俯き、本格的に落ち込みだす彼を見て
ひとつ遊びをしたくなった。
「ねえ、君は今から来る女性がどのような人か想像出来るかい?」
面白がる僕の声音に、嫌そうな表情の君が面を上げる。
「あんたの好みの女性?」
「君の想像にまかせるよ」
少し首を捻り、じっと考えこむ。
首の突起を身体に収めてある
そんな人間みたいな君を見る機会もそうそう無い。
「…だめだ、さっぱり」
「少しは考えたのか?放棄してはいないか君?」
かつりと盆に灰を落とす。
「悪魔みたいな女性かな?」
「おいおい功刀君、普段使役しているのにわざわざ此処に来るのか?」
しかし…
まあ、いい線を行っている。

「ライ様〜」

さらりと襖を開け、煌びやかな着物を着た女性が僕に声をかける。
「やあ、夜」
「ようやっと前の客が引いたんえ、怒らんでおくりいす」
すすり寄る彼女の顎を撫でてやる。
「あり、ライ様…このお方…」
ぽかんとした表情で、未だに正座した人修羅が彼女の視線に入ったようだ。
銅像みたく固まっている。
「彼は僕の客だ、サマナーという事も認知している」
「そ、そうでありんすか!ではわっちは…」
「ああ、解いていいぞ…いや、待て」
僕は肝心な物を忘れていた。
折角購入したのに忘れては馬鹿らしい。
自分では使用不可能だし。
「ご注文通り、枝垂桃の簪」
結い上げた髪に、さくりと挿し込んだ。
きらきらと垂れる金属のビラがランプの光を反射する。
「わぁ、ライ様…うれしいす…」
その結い上げた髪と、着物ををそのままに
彼女は淡く光を発すると、本来の姿に戻っていった。
「えっ、ライドウ…この人まさかあんたの」
「そうだ、僕の仲魔だよ…」
彼女は立ち上がる耳に髪をかけ、金糸の帯に手を添える。
『わっち、ライ様の仲魔のネコマタでありんす』
しゃらんと簪を鳴らし、礼をする。
慌てて立ち上がり、人修羅も礼を返した。
「功刀です、さっきは挨拶もせずにすいません」
どうやら僕の仲魔と分かってから、少し緊張が解けたようだ。
悪魔を前にして恐がらぬのも、既に彼が人修羅たる所以だが。
『ライ様がお客様連れなんて、珍しいこともありんすねぇ』
「彼は例外でね、それよりあの博打場の髭」
『ああ、あの件は結局わっちの常連が云うには…』
しばらく潜らせておいて正解だった。
このネコマタの収集した情報は、僕1人では難しいものばかりだ。
「ライドウ、頼むから説明してくれよ」
置いてけぼりの人修羅が痺れを切らし、問い質してくる。
「ああ、このネコマタはね…遊郭に潜らせている草なのさ」
「草?」
「諜報活動をしてもらっている」
それを聞くと彼は「ああ…」と、納得はしたが
結局余計な心配をしてしまった事実。
そんな自身に納得のいかぬ表情をしている。
『この遊郭では“夜”という名前でとらせていただいておざりんす』
「僕が名付けた、なかなか立派に遊女だよ」
フフ、と哂う僕にやはり人修羅の視線はきつかった。
「でもあんた、この空気慣れているよな」
「好きに推測するがいいよ」
ネコマタの顎をもう一撫でし、その顎を掴んだまま引き寄せる。
横目でチラリと、眼を見開く人修羅を捕らえたまま
彼女の唇を吸い寄せる。
零れる吐息は彼女が此処で覚えたものなのかどうなのか…
定かではないが、僕は通じ合うそこからマグネタイトを注いだ。
「や、ばっ…か!馬鹿じゃないのかいきなり!」
顔面を真っ赤に染め上げた人修羅が、後ずさる。
唇を舐め上げて、マグネタイトの無駄が無いように離れる。
「長時間の擬態には、マグネタイトを定期的に与える必要があるからね」
「そんな与え方するなよ!!」
まるでいけない物を見てしまったかのようなそぶりに、哂いが漏れる。
「使役する悪魔には相応の対価を与えないと」
実際彼女は優秀だ。
長時間の擬態に加え、個人での情報収集を堅実に行っている。
潜らせておきながら手土産を与えるのは、召喚師としてのささやかな労わりだ。
「…どうしたネコマタ」
視線が虚空を泳ぐ彼女がふと気になり、声をかける。
『あ、いえ…ライ様この後は』
「もう遅いからね、隣部屋で仮眠をとらせてもらう」
探偵事務所にこの時間帰るのは、かえって迷惑が掛かる。
鳴海さんの睡眠を妨げる気は無い。
『ではわっちは布団の用意したら、そいで…』
「えっ、いいですよ、その位なら俺がやります」
ネコマタを遮り、布団の場所を確認する人修羅。
彼の気遣いは、僕に使役される悪魔への同情だろうか。
彼の事だ、きっとそうに違いない。
『功刀さん、優しおすねぇ』
ネコマタが彼の項をゆるりと撫でた。
びくりとする彼。
普段ならあそこに突起があるから、無意識の内に警戒したのだろう。
「おいネコマタ、しなを作るのは夜の時だけにしろ」
『す、すいませんえ』
なんとなく彼に触れられたのが気に喰わず
その台詞を最後に彼女と別れた。



(なんだ、寝苦しい)
妙な気に身体が起こされる。
「ライドウ…」
視線を横にやる。
隣の布団で眠っている筈の人修羅が、枕横に座っている。
「起きてるんだろ、なあ」
顔を伝う指。
射し込む夜月に光る双眸が際立つ。
「俺の事少しでも気に入ってるなら、可愛がってよ」
あまりな台詞に、腹筋が崩壊しそうになった。
「気に入っては、いる」
「じゃあ折角場所もあるんだしさ、その布団に入っていいか?」
「…おいで」
誘い込むように腕を上げ、掛け布団に空間を作る。
嬉しそうに愉悦の笑みを浮かべる彼が、潜り込んできた。
腕が、腰に回される。
鎖骨に顎を乗せ、頬をすり寄せてきた。
「功刀君、やけに積極的だね、猫みたいだな」
「ライドウが傍に居るのに、手を出さないからだ」
そんな甘ったるい言葉を吐く口を塞ぐ。
舌の動きが艶かしい。
酸素を求めて離れた隙に、問いかける。
「君…上手じゃない、何処で教わった?」
「…っはあ…俺…教わってなんて…ライドウとしか」
「…黙れ!!」
脚を彼の腹に押し付け、そのまま蹴伸ばす。
人修羅は布団から勢い良く放たれ、格子窓の下壁に打ち付けられた。
受身すら取らぬ彼に、乱れた寝間着を整えながら迫る。
「彼はね、僕を殴る為に触れはしても、愛し合う為に触れはしない」
冷ややかに言う僕に、打った肩をさすりながら人修羅が云う。
「なんだよ!酷いじゃ…ないか、あんまりだ」
俯くが、僕は更に追い討ちを掛けた。
「泣いてみろ」
「…」
「功刀矢代なら、まだ涙を覚えている」
「う…」
「生粋の悪魔であるお前には流せないだろうよ」
『ぅう…』
ゆらゆらと、擬態が解けていく。
人修羅の形は、ネコマタへと変わる。
「功刀は何処だ?」
彼女の言い訳すら聞かず、まずそれを第一に確認する。
『そ…そこの…』
震える彼女の指先には、布団の収納してあった押入れがある。
すぐさま近付き、横に戸を滑らせる。
「…」
穏やかな寝息を立てて、人修羅が寝そべっていた。
どうやら強制的な睡眠のようだ。
「草か?」
振り返り、ネコマタに聞く。
『そ、そうでありんす…わっちらの使う、眠り易くなる草…』
彼にどう使用したのかは分からぬが、害は無さそうだ。
「項に触れた際に、彼の髪を取ったか…」
『…』
「答えろ」
『そ、そうでありんす!』
その髪で擬態して、誘惑してきたのか…
「馬鹿め、身体だけでも…と思い功刀を使ったか」
『だ、だってライ様、あのお人と…あんなに親しげでありんした!!』
「男同士だが?」
『ライ様が、他のお人に向けるのと、違ったんえ…わっち…わっちそれで!功刀様に…嫉妬したんでありんす…』
思わず溜息が出る。
優秀な草だったというのに、真の関係すら推測出来ぬとは。
「お前がそんなに望むなら、功刀の姿でなくとも抱いてやろうか?」
『ラ、ライ様』
「人間の女体を模して下の口でも作ればどうだい?其処に僕が突っ込んで出せば気が済むのだろう?」
『わ、わっちそんな…』
「それで済むなら今後マグネタイトはその様にして注ごうか?どうなんだ!?」
『ゆ、許しておくんなせ…ラ、ライ様ぁ…!』
うずくまり、顔すらまともに見れないのか
謝り続けるネコマタに、僕は枕元に置いたホルスターから抜き取った管を投げつけた。
管は彼女の頭に当たり、音も無く床に転がった。
「其れはお前の席だ、もう必要無くなったからくれてやる」
『!!』
顔を上げたネコマタに、勿論涙は無い。
「もう、此処から消えろ…14代目葛葉ライドウの仲魔を語る事は許さん!!」
『あ、ああ…』
「人に擬態し、夜の名を語る事も許さん…分かったらすぐその窓から飛び降りて消えろ!」
『うわあああああぁぁっ』
僕の言葉に既に死んだも同然のネコマタが、格子に手を掛けた。
そのまま、月明かりすら届かぬ夜闇に消えていく。
「…」
(此処での情報収集は、暫く様子見だな)
夜の帳が、身体の重さを知らせる。
もう寝たかった。
押入れから、人修羅を引っ張り出し
本来の場所に横たえる。
肩膝を立て、その寝顔をぼうっと見つめる。
(何故僕はあんなに激昂したのだ…)
謀ったネコマタには腹が立つが、何が彼女をそうさせたか位は解る。
そうではない。
人修羅の姿で迫られた事に、感情が揺さぶられた。
…疲れているのだろうか?



「ライドウっ…この猫」
「…」
アカラナ回廊へと行くつもりで、名も無き神社へと足を運んだのだが。
神社の階段下で、一匹の猫が死んでいた。
「…悪魔か?普通の猫とは違う気がするな」
人修羅の感じるモノは正しい。
「多分、マグネタイトが枯渇して弱った形でくたばったのだろう」
あの精神状態では、枯渇するのも納得だ。
此処で死ねば、僕が目にするとの考えからか。
「あ、この猫…何か銜えてるな…ちょっと失礼します」
人修羅の掴みあげたそれは、きらきらと光を反射するビラが眩しかった。
美しい、一点物の枝垂桃の簪。
「…埋めろ」
「え?」
「猫と簪を一緒に埋めておけ」
哂いもせずに云う僕を見て、人修羅は少し強張る。
「あの辺でいいか?」
頷く僕を見ると、彼は力の奔流を身体に宿らせ
地面を一突きした。
その深く抉れた穴に、猫と簪を落とし込む。
「なあ、あんたさ…」
「なんだい?」
土を掛けながら、人修羅がぽつりとつぶやき始めた。
「なんであのネコマタに夜って付けたんだ?」
「…どうして其れを聞きたい?」
「…夜って、綺麗な名前だけど、儚い感じだな」
彼は…恐らくこの屍骸の正体を判っている。
簪で確信したのだろう。
「夜は、決して朝を迎える事の無い咎人に与えられるに相応しい名さ」
自分に言い聞かせるように、事も無げに云う僕に人修羅が語る。
「枝垂桃、俺の家の庭に在ったんだ」
「そうか」
「母親が花言葉を聞かせてくれたよ」


<わたしは あなたのとりこです>


自身の名を分けたのだ…
気に入っていなかった筈無いだろう…

彼女が、指定した簪
花言葉を知っての事だったのだろうか…
今となっては、深き土に眠り
朝を迎えぬ本当の夜となった彼女のみが知る。

枝垂桃・了
* あとがき*

一見、人修羅夜這いシーンが有りますが
そんな事は無かったという…(寧ろもっと酷い)
喫煙・博打・遊郭を嗜むライドウを書いてみたかった。
人修羅を暴れさせ足りないです。
そしてネコマタ、ごめんね。