“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”
とまでは云わないが、己の立ち振る舞いに常に意識を傾けるのがステップアップのセオリーだ、と。
師匠は口を酸っぱくして、私に云ってくれていたものです。
あれから、常にそのイメージを浮かべて動いてみるのですが。
私には、常に余裕がありません。
「師匠、本当にそんな四六時中、ずうっと花で居られる訳ありません…!」
天斗樹林の厳しい路を掻き分け進む折、よく私は返したのですが。
しかし、その樹林で後日、花を見てしまったのです。
駆けようが、乱れの無い呼吸と脚。悪魔召喚で、両手に更に花。
(二体同時召喚…!)
黒い花、此方に迷い無く、真っ直ぐに歩み寄って来る。
そういえば、話に聞いていた…
仲魔を二体同時に繰る、無敗を誇る里の狂鳥、通称狐。
この人があの…



chaosの零余子




「凪君」
ハッと振り返ると、あの時と同じ花が私に哂っていました。
「どうしたのだい、決まらない?」
「い、いえ!ソーリーです!OKOK!ショートケェキとモンブランで!」
慌てて言葉も無理矢理投げかけ、先輩に笑顔を見せました。
ショウケェスを指差す私に一瞥くれてから、カウンター越しに注文する先輩。
店員のお姉さんも、頬がほんのり紅くなって林檎みたいです。
ケーキの箱を受け取る際、私に向いたその眼は、少し尖っていましたが。
(やっぱり、男女ではカップルに見えるのでしょうか…)
それは私も嫌なのです。
だって、私の方が華が無くて…
戦っている時以外の、こういった公共の場でさえ、隣の花に劣るのです。
「そんな量で足りるのかい?凪君」
「や、止めて下さい先輩!誤解を招くセオリーですっ!」
クスクス、と店員の笑う声に、恥ずかしくて心臓が踊りました。
先輩が一足先に進み、その手でドアが既に開かれています。
小さく会釈して通る際、その綺麗な手を見つめました。
相変わらず、白くて綺麗な手指です。
以前、葛葉修験闘座に入る時に、血を頂いた事を思い出していました…
「どうして刀のタコも作らず、こんなに綺麗に維持して居られるのですか?」
思い切って訊いてみると、先輩は自慢気も見せずに云うのです。
「凪君、君は武器を力のままに振るっているのかい?武器は重力に逆らわぬ、指で扱い易いでは無いか」
「うーん…一応型を習って、力の向きとか…流れ?そういうのはポイントとして掴んだつもりですが…」
「一番力を篭める瞬間は、振り被った最後の一押しだけで良いのさ」
「その瞬間摩擦する箇所に、出来ませんか?タコが」
「それは君、タイミングというものが合っておらぬ。そうでも無ければ、得物の柄の素材を替え給え」
「きゃっ」
突然、私の手を掬い取り、軽く指で揉む先輩。
こっちから触れば平気なのですが、これは不意打ちです、先輩の奇襲攻撃というヤツです。
「妙に傷が多いね、刀をかわした際に出来る傷とも違う様だけど」
「ええと、この傷は…」
同じ様な箇所に幾重にも、確かにこれは不思議でしょう。
でも、ちょっと云えた内容では無いのです。
「プ、プライバシーです、これは秘密のプロセスです先輩」
「へえ、まあ良いさ…女性は秘密のひとつでも有った方が、陰が出来て宜しい」
(ジーザス!しかし先輩、残念な事に大層な秘密では無いのです…)
帝都の賑わいは、私のガサツな振る舞いを厭に目立たせて、偶に辛くなります。
それにしても、私から手を振り切る訳にもいかず…
困った事に、先輩の指がまだ掴んでいるままなのです。
きっと手首から先を見たのなら、先輩の指先…やや骨っぽいですが、女性のそれにも感じられそうで。
何故美人は指先まで美人なのか。
(ああもう先輩…!)
一体いつまで繋いでいるつもりなのでしょうか?役得というより、既に拷問に等しいです。
先刻から、周囲の女性達の眼が…
これは、悪魔の野に放たれた時よりも、身体中に突き刺さる感覚。
反対側の手が無意識にぎゅう、と、ケーキの箱の持ち手を締めます。
「おい」
と、あまりに周囲の視線が痛くて俯いていた私に、声がかかりました。
それは聞き覚えのある声。私の胸を締め上げる、この持ち手よりもぎゅう、と締められているでしょう。
「何だい功刀君」
「何だいじゃねえだろあんた、その手」
銀楼閣の門の前、柱に背を預けていたあの人が、眼元を引き攣らして先輩を糾弾します。
今回の袴はくすんだ色目のグレーに、プルシャンブルーのインクを溶かし込んだ様な…
逢う度逢う度、綺麗に着こなしていますね。自身で着付けされているのでしょうか?
見目で貴方を想う訳ではありませんが、まず逢った瞬間は、そのいでたちに心を奪われるのです。
(はっ、い、いけません)
こういう瞬間に気を抜いているのです、しっかりしなさい凪…!
きっと口元がにんまりとしていた事でしょう、花弁のだらしなく広がった花は間が抜けています。
隣の優雅に咲く花を意識して、私も背筋を伸ばしました。
「違います功刀さん、これはちょっとした事情があっての…」
「凪さん、早く離した方が良いですよ、其処から毒が回る」
冷ややかな視線で、私と先輩の手を分断する功刀さん。
何ともいえず嬉しくもあり、流石にそれを顔に出せないまま、私からやんわりと指を動かしました。
「酷い云い様ではないか功刀君」
「間違った事云ってないだろ、意識しなくてもMAGってのが流れるなら、影響しないのが一番じゃないかよ」
「では、君も凪君と接触するのは宜しくないという事になるね?」
「…あんたみたいに、異性に無遠慮に触れたりしない」
眉間に皺を寄せて、ブーツですたりと私の前に歩み下りる功刀さん。
先輩のトランクをどすん、と地面に降ろして、じろりと横目に睨んでいます。
「あんたが戻るの遅いから、ゴウトさんは先に駅行ってるってさ」
ああ功刀さん、それはこの凪めがケーキ選びに時間を割いてしまった所為なのです。
しかしそんな事、やはり云い出せる訳も無く。
ニタリと哂う先輩が、私の代わりに答えたのです。
「それは失礼したね、何せ新作ばかりで、ねえ凪君?」
「……ノーコメント」
「ショウケェスの花々の薫りに中てられ、少し酔っていたのさ」
不思議そうな顔をする功刀さんに、それ以上追求しないで下さい、と念じました。



「ふう」
『お疲れっ、凪』
「良かった、皆さん喜んでくれて」
ケーキを村の方々に配り終えて、福禄荘のロビーで一息。
帝都のお土産を、私から笑顔で受け取ってくれるのが今では嬉しいです。
肩にとまったハイピクシーが、一呼吸置いてから、うりうりと肘で私の頬をつついてきました。
『ちょっとちょっと、今回は人修羅も居るんじゃん、どーゆーコトよ』
「どうもこうもハイピクシー、あの方の行動を決めているのは先輩ですからね」
『どーすんのよ、貴女今夜は屋敷に帰らずにココで寝泊りすんの?』
「ど、どうしてですか!」
『おかしかないわよ!“いつも屋敷に一人で寂しいでセオリー御座います〜”とか云って布団に潜り込めばオッケーよ!』
「今の説明全部がクレイジーです!」
ぐっ、と拳を握り瞳に炎を燃やすハイピクシーですが、私にそんな大胆な事が出来ると思っているのでしょうか?
椅子に深くもたれて、肩の妖精の翅を軽く撫でました。
「先輩と同室でしょう」
『いっそライドウも含めて川の字で寝たら?』
「先輩の部屋に、夜中に入るのが怖いのです…」
『何ソレ、あいつオオカミなの?』
「ち、違います!ちょっとしたトラウマが……アポリオン騒動の頃に一度、先輩の寝ている布団に近付いたのですが…」
ハイピクシーが息を呑む音が聞こえてきました。
続きを云おうと、唇を開くと…

「凪さん、こんな場所で悪魔と会話してると、部外者から見たら怪しい人ですよ」

言葉を呑み込んで、その声の方向を咄嗟に向きます。
無理な体勢で、思わずごきりと首が鳴って痛いです…
「く、功刀さん…!」
「無理してこっち向かなくても、凪さん」
小さく失笑して、私の座る椅子の傍まで来ると見下ろしてきました。
「俺がこの辺まで来れば問題無いですか?」
「は、はい…っ!!」
あまりにだらしなく座っていた事を思い出し、咄嗟に立ち上がると。
ずず、と後ろに押し出された椅子がゴッ、と音を立てて功刀さんの腰にヒットしたのです!
(ジーザス!オーマイゴッド!仏様!)
虫取り網で縦横無尽に、運喰い虫を掻き集めたい衝動に駆られます。
「いっ…」
「ちち違います!姿勢を正そうと…ご、御免なさい功刀さん…ッ!」
袴の脇をさすりながらも、おかしそうに眼を細めた貴方に、やはり胸がときめくのが事実です。
痛そうなお顔も拝見出来て、ああ…これはいけない感情です、凪。
「大丈夫ですから…そんな謝らなくていいです」
「は、はい…!」
と、気になって周囲を見渡してみます。
仲居さんは奥に行っていて、このロビーにはふんわりと屋外の温泉の香りが漂うだけです。
私達しか居ない。
『ライドウはぁ?』
私の心を代弁してやったという眼をしながら、ハイピクシーが功刀さんに問い掛けます。
「何か用事が有るとかで、ふらっと外出て行きましたよ」
『ふぅーん……で、凪に何の用?』
ああもう、そんな余計な事しないで下さい!
きっとこれは“別に用事があった訳じゃない”で返され、交渉にも発展しません!
一人で脳内会議する私でしたが、思わぬ言葉が降り注ぎました。
「暇ですから、凪さんに少し案内して貰おうかと思って…その、この辺とか」
「えっ」
「すいません突然……迷惑なら、上で適当に寝てますから俺」
「ええっそんないえいえ!!是非!是非この凪めに案内させて下さい!」
まさか、悪魔にも交渉を持ちかけられた事の無いこの私が。
(相手から来てくれるなんて…っ)
色んな意味で頬が熱くなります。
『やったじゃん凪』
一言残して勝手に管に戻って行くハイピクシーに「暫く出て来なくて大丈夫」と命じようとした私は、浅ましいです。




「…で、あちらの花子さんは九死に一生を得たという訳です!」
「へ、へえ……御存命で何よりですね」
案内、と云っても、思えば何を案内すべきだったのでしょうか?
もしかしたら、功刀さんはこの村に興味なんて無くて…
それなのに私、ついつい舞い上がって、福禄荘を出た瞬間に門の草木から紹介し始めてしまいました。
村と、その周辺を回り、異変が無いかを毎日チェックしています。
それと同じ流れで、楽しくも何とも無いダラダラしたエスコートをしてしまったのでは…
「…す、すいません功刀さん!もっと簡単なプロセスで良かったですか!?」
「いえ、どうせ暇ですから…俺こそ付き合わせてしまって、すいません」
「そ、そんな事!」
このまま引き返して、福禄荘に戻るべきでしょうか?
でも、そうしたらきっとお部屋に帰ってしまいますよね?
焦る脳内、私の眼はおろおろと宙を彷徨い、困窮した際に縋るいつもの一点に集中していたのです。
「……何処、見てるんですか」
「えっ」
「凪さん、今ぼうっと何処か見つめていましたよね」
「えぇ…っと……あれです」
半分無意識だったので、指摘されて改めて認識するのでした。
視線と共に指先を差せば、功刀さんはその方角を向きます。
「樹?」
「はい、三本の杉が見えるでしょう?あそこに……」
これも、案内には不要な内容でしょうか。
しかし、私が云いたくなったのです。ひとりのデビルサマナーの事を、知って欲しくて。
「あそこに、私の師匠との思い出が眠っているのです」
「師匠?…先代、の?」
「はい、十七代目葛葉ゲイリン」
功刀さんにとって、デビルサマナーは憎い存在なのでしょうか?
使役される側…とはいえ、契約あっての事。
双方に思う事有って、初めて成立する関係。決して、損だけでは無い筈…
徐に歩き出し、傍の“人修羅”という悪魔に話し続けます。
「ライドウ先輩から聞いてなかったカテゴリーですか?今回、お墓参りに来てくれたのですよ」
「え、あいつが…?」
訝しそうにする功刀さんに、教えてあげます。
「師匠と先輩は、相容れない部分も勿論有りましたが…それでも私は、先輩が師匠の事を嫌いで無かったと、そう思ってます」
「どうしてそう思えるんですか…」
「ライドウ先輩が、師匠に擬態した事があったのです。その時、術と仕草のあまりの完成度の高さに驚きました…けれど」
「…けれど?」
横を向いて、功刀さんの眼を見てみました。
人間に擬態する貴方は、薄暗い色の瞳をしている。
同じ様に、擬態がお上手です。その対象への意識が強くなければ、精密さは欠けるでしょう。
「なんとなく、違ったので、凪には判りました」
「なんとなく、ですか…」
「師匠は、控えめながら堅く揺ぎ無く…そして…寂しそうな雰囲気、です」
「ライドウは?」
「…直接、本人にもあの時云ったのですが…先輩は…」
擬態を見破られた時の、先輩の意外そうな顔を思い出します。
生意気な後輩に正体を当てられ、それでも悔しさ等は見せてませんでしたね。
「先輩は、猛々しく…それでいて澄みきった雰囲気…なのです」
「あいつが澄んでるだって?気味悪いですね」
「同じ葛葉ですが、それぞれのセルフが有るでしょう。擬態していようとも、やはり違うのです」
違う、けれど…先輩の眼は、師匠を哂ってはいなかった。
「少し冷えてきましたね、帰還のプロセスを取りましょうか」
この盆地、夕暮れの訪れも早いです。
石段を下って、湯治場を歩きます。
家屋の窓から零れる灯火に、胸がほんのり温かくなる…
「私は、師匠の夢を継いだのです」
「…だからって、葛葉も継ぎたかったんですか?ヤタガラスのサマナーって、マトモじゃ先に精神が壊されそうじゃないですか」
云ってから、はっとした眼になり、少し申し訳無さそうにする貴方は優しいと思うのです。
「功刀さん、例えばこの村ですが、帝都と比べ物にならないくらい小規模ですよね。それでも私にとってはサイズの問題では無いのです。持てる力を尽くして、与えられた範囲を精一杯護る、それがマイセルフ…」
漂ってくる薫りに、湯の花が脳内で舞います。草木の薫り、源泉の薫り…やはり素敵な村です。
確かに薄暗い、余所者には手厳しいところがまだあります。
それでも、少しは開けたでしょう。あの騒動で、槻賀多の暗部に光が当たって、照らされた筈…
心のびやかに…師匠の護ってきた此処を護りたいのです。
「…すいません」
「く、功刀さん、別に謝って欲しいというセオリーではなくて!」
「先代ゲイリンの事、見た事無いけど…きっと誠意ある人だったんですね」
「は、はい!大好きでした…!」
「…頑張って、とか気休めを云いたくないですけど。その人に師事出来て、十八代目継げて…良かったですね、凪さん」
薄く微笑む貴方を真正面から見て、私の真摯な心は折れそうでした。
こうやって、稀に逢ってお喋りして、心がときめくと…
デビルサマナーで良かった、と、思考してしまう。
そうでも無ければ、逢えなかったですよね?私達。
その為に、ゲイリンを継いだ訳でも無いのに…
「あっ…く、功刀さん少しばかりウェイト!よもぎのお団子を買って参ります」
特に看板を出している訳でも無い和菓子屋の前で、私は功刀さんに呼びかけました。
足を止め、周囲を軽く見回すその姿を見て、私は思わず笑みが零れます。
「此処、お団子作られているのですよ」
「え…一般の住居かと思ってました。看板とか無いんですね…客引きもしてない」
「常連さんは村の方だけですからね、ふふっ。いざ参らんのセオリーです」
待たせてはいけないので、颯爽と私は購入します。
師匠も好きだった、この村のお団子。
温泉で蒸す饅頭よりも、周辺の野花から作った物がデリシャスらしいです
よもぎのお団子…桜のお団子…ああ、涎が出そうです。
普段は自分用とお供え分だけですが、功刀さん達にも買わなくちゃ…
(こういう時にしかお給料を使わないのだから)
開きっ放しの扉から小走りに飛び出て、柱に背を預けていた功刀さんに駆け寄ります。
「お待たせしました!」
「え!?そんなに食べるんですか…」
「ち、違います誤解ですっ!!」
パーラーの二の舞で、なんだか気が滅入りそうです。
そんなに私は大飯喰らいに見えるのでしょうか?
まあ、少し二の腕とか、お腹とか、気になってますが。
「明日、師匠のお墓にもお供えするんです」
「ああ…そうか、すいません」
「ノンノン、謝罪ばっかりで宜しくないですよ功刀さん!はい、コレどうぞ!」
紙の袋からがさりと取り出して、ひとつ渡します。
少し躊躇いつつも、受け取る功刀さん。
あ、と思い、小さく問い掛けます。
「もしかして、擬態中は飲食駄目でした?」
「いえ…外で食べ歩きって、少し行儀悪いかと思って」
な、なんという事でしょうか……
この村では、私は当然の様にしてしまっていました。
「だ、だって、一口サイズです、から…っ」
「“サイズの問題”じゃないですよね、こういうのって…」
(さっき自分で云ったセオリーでしたあああっ!!!!)
シャープ過ぎるツッコミに、涙が出そうになるのをグッと堪えました。
購入して軒先で頬張った私に「どう、美味しいかえ?」と訊いてくるおばさまに「OKOK!」とサムズアップしたり。
まあ、そんな日々だったので。来客の前という事をすっかり忘れていたのです。
「ううっ…その通りです功刀さん。物は座って、然るべき所で食べるのがスタンダードでしたね…」
私の落胆が過ぎたでしょうか、功刀さんの眉尻まで下がり始めて。
しかし、一拍置いてから功刀さんの袖が揺れました。
「…うん、薫り、凄いしますね、ヨモギの」
「あ…」
男性にしては小さな唇に、渋い緑のそれが呑まれてゆきます。
はたいてあった粉が付着した唇を、舌でぺろりと軽くさらう姿に…どきりと私の鼓動が。
「ん…これだったら、まあ、買ってすぐ食べたくなる気持ちも解りますね」
嚥下して、私を見るその眼はどこか優しいのです。
ああ、貴方の中のアイデンティティを崩してしまったかもしれないのに。無理をさせたかもしれないのに。
それでも、私は理解してくれた事の方が強く響いてしまって。
励ましてくれた事実が、嬉しくて。
「でしょうでしょう?ふふっ、帰り道でのデリシャスプロセスなのです!」
「帝都より足が無いでしょうから、見回りしたらきっと疲れますもんね、此処。甘いものは必要だと思います」
甘えていますね、全く…私は……
「…ところで凪さん、さっき渡してきた時に気になったんですが」
「は、はい!?」
「指、どうしたんですか?妙に細かい傷が多い…」
思わぬ指摘…!しかし、此処は白状してしまうのが良いかもしれませんね。
「実は、買い食いばかりもどうかと思い、最近は功刀さんを見習って自炊しているプロセスなのです!」
「…まさか、包丁傷?」
「ど、どうして笑っているのですか!?」
「いえ…やり易い刃物で斬るのが良いかもしれませんね、小太刀とか…別に、猫の手を添えなくても良いし」
「そうなのです、あの手が苦手なのです」
やはり熟練者…傷の様を見て判るのですね。
はぁ、と溜息しながら功刀さんの前を歩きます。
よく師匠にも云われたから、自覚はあるのです。
“お前は背伸びするクセに、対する姿勢が固い。そのプロセスでは折れてしまうぞ?”
師匠…
“プロセスは余裕が出来てから綺麗にすれば良い、出来る様にとりあえずやってみる…そこからのセルフ修行が肝心…”
思い出せば思い出すほど、なんだか泣きそうになってしまうのです。
居なくなってから、気付く事ばかり。背伸びして転びそうになって、それを先輩達になんとか支えて頂いて。
「凪さん、別に気落ちする事じゃないですよ」
「でも…情け無いセオリー…男女の違いを云いたい訳ではありませんが、一応身体は女…料理のひとつも出来ないだなんて」
背後から、隣に移る功刀さんの気配。
遠くに山の影が見えます。とても静かな、宵の気配。
やや白い貴方の肌が、鮮明に浮かぶ。
「最初から上手な人なんて…居ない。料理の工程を見られる事なんて滅多に無いですから、まずはやり易い様にやってみるのが上達のコツですよ」
どきり、と跳ねました。この鼓動は、ときめいた類ではなくて。
あまりに師匠と云っている事が近かったので、リフレインが酷い…
功刀さんと師匠の性質は、あまり近いと思っていなかったのですが。
「…?今度はどうして凪さんが笑ってるんですか」
「いえ…ふふっ。明日、功刀さんも良かったら師匠のお墓参り、来ませんか?此方の名も無き神社に…墓石が」
「え、いいんですか、俺こそ部外者ですけど」
「先輩と“悪魔以外”を紹介するのは、初めてなのです」
「初めてが俺なんかで…夢枕で怒られたりしません?」
「いいえ、リスペクトのセオリーなのです、功刀さん」
少し嬉しそうに目許が笑う。そう、私は貴方を悪魔として、よりも…

「私の…とっても…大好きな人なのだと、師匠に紹介したいセオリーです」

流れ出た言葉は還りません。
互いに歩みは停止して、この沈黙が怖いです…
見つめれば、擬態した功刀さんの穏やかな色の眼が私を見つめ返しました。
「明日、御一緒しますね、凪さん」
少し照れた様子で、その後眼をすぐに逸らされてしまいましたが。
拒絶されなかった喜びが、私の中で既にMAGを躍らせていました。





修行の成果を見せる日の前日は、いつもそわそわして寝付けない。
昔からそうで、「グンモーニン、師匠」と早朝、顔を合わせても。渋い顔で云われたものです。
“何が良い朝なのだ凪よ、その眼のクマ…さては、また力を抜かずにベッドインしたプロセスか?”
明日はお墓参りなのに…どうしてこんなにも寝付けないのでしょう。
いよいよ朝の光が窓から滲みます。
福禄荘の、先輩達とは別の空いているお部屋。わざわざ借りたというのに。
(どうしましょう、好きだなんて云ってしまいました)
あれからすぐに福禄荘に到着して、別れてしまったので…功刀さんが本当のところ、どう思ったのかは謎のまま。
今日顔を合わせたら、何と挨拶しましょうか。
バッドエンドならスルー…
グッドエンドなら、また微笑み返してくれる?
でも、先輩に知られるのも、少し怖いのです。
葛葉四天王ともあろう者が、そんな感情にうつつを抜かして…しかも、先輩の仲魔に対して。
呆れを通り越して、怒りを買うかも。それは予測のカテゴリーなのです。
アポリオン事件の頃。
勢いのまま、睡眠もせずに興奮状態で、先輩の枕元に立った事をぼんやりと思い出していました。
告げてから発てば、赦されると思ったのです。
「……」
襖の向こう、気配。
寝込みに訪問するのは危険です。以前私がそれをして、先輩の峰打ちをガツリとアキレス腱に喰らった事を思い出します。
あの時の仕返しに来たのかと、一瞬考えてしまいましたが。
先輩なら、気配を殺して来ますよね。
 たしり たしり
襖の下の方から叩く音がしました。
掛け布団をそっと除け、後ろ手に太刀を握って襖に寄ります。
いつでも行動出来る様に、浴衣では無く軽装で寝た甲斐がありました。
「どちら様でしょうか」
『早起きだな、十八代目ゲイリンよ』
「…ゴウト様?」
意外なお声に、警戒しつつもするすると襖を細めに開けました。
冷えた廊下の空気がさあっと入ってきて、視線を降ろせば黒い影。
翡翠の眼で私を見上げ、愛らしい猫のお顔のままで、重く声を吐きます。
『すぐに出る支度をしろ』
「…一体、何かトラブルでも?」
『否、お主の簡単な試験をこの後より開始する』
「……テスト、ですか?これは随分と抜き打ちですね」
『決断を迫られる時というのは、心の準備なぞ出来ておらぬだろう?』
「納得のセオリーです」





早朝の森は、樹が呼吸をしています。
いえ、いつもしているのでしょうが、それが立ち昇って見えるのがこの時間帯なのです。
私には、MAGは見えるというのに、草花の生体エネルギィは視えない…
植物と動物…人間の違い?
しかし、樹林の木々は天に向かって伸び、この磁場を護る。
人と同じ様に、陰と陽の呼吸をして、大きなサイクルに身を投じている。
“生きる総てに死が待ち構えているプロセス。凪よ、この世はそういうシステムなのだ”
師匠の病も…死のタイミングも…サイクルのひとつだった?
でも、師匠は本当は…抗いたかったのですよ、ね。
『十八代目』
「…ぁ、はいっ!」
『如何した、緊張しているのか?少しは気を楽に持て。これでお主がしくじったとて、破門という事は無い』
名も無き神社、まだ冷えた霧が辺りを泳いでいます。
ゴウト様を追えば、既に黒い装束の数羽、ヤタガラスの使者がスタンバイしています。
と、イレギュラーを早速発見しました。
見て見ぬフリをしたくとも、出来る訳がありません…
「ゴウト様、これはどういうテストですか!?」
境内、連なる黒装束に挟まれる様にして、功刀さん“達”が。
『此度の試験は十四代目葛葉ライドウの手を借り行う』
「功刀さんは無関係です!」
『十四代目の悪魔だ』
「…ですけれど…っ」

動き易そうな野袴の功刀さん…が
二人居たのです。
同じ姿で、だんまりと口を噤んだまま。

「春寒料峭のみぎり…寒くは無いのかい?凪君」
と、その声に振り返れば、黒い外套姿。
「ライドウ先輩!」
「十八代目ゲイリンよ、此の度は自分の悪魔を以ってして試験を執り行う」
「…!は、はい、御助力賜り感謝のセオリー…十四代目ライドウ」
淡々と、いつもの哂いを浮かべたまま告げられたなら、もう合わせて答えるしか出来ません。
本当なら、このまま神社に背を向けてエスケープしたいですが。
『ふむ、少しは呑み込めてきた様子だな…』
私と先輩の間に入るゴウト様が、尻尾をゆらりと立てて鳴きます。
『見ての通り、人修羅が二体居るな?』
「はい、二“名”居られますね」
『…まぁ、良い。本物がどちらか、見て判断出来たか?』
「いえ……服装も同じ。イリュージョン…恐らくは高等な擬態術ですね」
『そうだ、あのどちらかが本物…そして、残るは擬態の偽者よ』
「見破ってみせろ、と?」
『そういう事だ、手段は問わぬ。だが、答え方に条件が有る』
猫の眼が、私の帯刀した腰に標準を合わせます。

『偽者と思った方の胸を一突き、己の得物でするのだ』

平然と云われ、少なからず私はショックを受けたのでした。
惑わされぬ心が、デビルサマナー…葛葉一門には必要…それは、理解出来ますが。
「そ、それでは擬態した者がダメージを負うプロセス」
『案ずる事か?その覚悟で擬態しておる…そして、本物を誤って刺した場合とて問題ではなかろう、人修羅はその程度では死なん』
胸の奥から、すうっと冷え込む感覚。
私は…デビルサマナーは、人間を傷付ける存在では無いと思い生きているのです。
“デビルサマナーが人を傷つけちゃいけねぇよ”
秋次郎さんが、くれた言葉。あの村で、これから先もずっとあり続けたい葛葉としての役目。
「ゴウト様…」
『降りるか?』
私にとって、人修羅は…功刀さんは、人間なのです。
死ぬ、死なない、の問題ではありません。
「十八代目ゲイリンよ、人修羅達には口封じの術を施してある。問い掛けにて正体を探る事は不可能と知り給え」
不敵に話を切り出す先輩に、動揺は見られない。
「…アリバイを訊ねるは不可能と」
「そうだ、フフ……人修羅にもしっかりと、余計な真似をすれば十八代目ゲイリンの立場を揺るがすと伝えてある」
「せんぱ――十四代目ライドウは、己の悪魔が傷付く前提のこのテスト、遺憾では無いのか?」
「契約関係とはそういうもの。条件から逸れぬ限り、この十四代目の悪魔は間違い無く命を聞く」
「…以前、好き勝手してハイピクシーを殺した自分が云えたフレーズでは無かったですね、ソーリー…」
ライドウ先輩とゴウト様に一礼し、小太刀の柄頭に掌を当てました。
『心は決まったか、十八代目よ』
「早く功刀さんを解放して差し上げたいセオリー、いつまでもこの十八代目のテストに付き合わせては申し訳無い」
『して、どの様に答えを導き出す?偽者はかなりの擬態の使い手であるぞ。見目を錯覚させようが、仕草や言葉回しは擬態主の技量によるからな』
「私の記憶の中の人修羅に、問う…それがアンサーです、童子様」
腕に巻いたホルダーから、管を抜き取ります。
それを合図と見たのか、黒装束が周囲を囲む様に動き始めました。
「人修羅よ、私が強く記憶する貴方は、常に戦いの中に居る…」
向き直り、二人の人修羅と対峙する私。
そう、御足労頂いているのです、早く見極めねばなりません。
間合いを取った先輩が、視界の端に映ります。
今から、先輩の悪魔を…

「十八代目ゲイリンとお手合わせ願いたいセオリー…人修羅!」

真上に掲げた管から、バジリスクを召喚。
それを見据えつつも、困惑気味の人修羅。どちらの表情も、同じ。
「バジリスク、足止めしてみせなさい」
命じた瞬間に理解し、即座に絶対零度の雄叫びをあげた巨大鶏。
流石は師匠の悪魔…吹き荒ぶ氷雪が、見事に人修羅達の足場から腰までを凍らせます。
(ここで、人修羅ならば焔を発する筈)
小太刀を構えたまま、ローハイドか、トゥームストーンか…
当てる気も無い次の動作を考えつつ接近すれば、予測の通りに人修羅が熱を発する。
激しい音、一瞬で融ける氷。脚が解放された人修羅達、宙返りで私との距離を開かせる。
(焔の熱さに差が感じられない…)
駄目、今のでは判断材料に足りません。
「私と共に進撃のプロセスです!バジリスク!」
『ケエエエェッ!!鏡デモ置イテアルノカ!?』
飛び込めば、はたして容赦無く打ち付けてくるのか…
接近戦に持ち込めば、個体差が見える率がアップする見込み。
しかし出来る限り私から逃げる人修羅は、どちらも功刀さんそのもので。
同じ姿を均等に追う事など出来ず、動きが泳ぐ。見事に踊らされる私。
(バジリスクは火炎を無効化する…本物の功刀さんは確かに強い、ですが悪魔への造詣が浅い…そのウィークポイントを突けば…!)
自身は脚を止め、バジリスクに突進をさせてみます。
左右に割れた人修羅、鋼の様なバジリスクの尾羽を薙ぎ払う仕草。
きっと本物の功刀さんは無効化されると思わずに、とりあえず焔で掃う筈。
遠巻きに彼等の手元を睨む、と…
(えっ、そんな)
まさか、確信を以って臨んだのに、予測外のカテゴリです。
どちらの人修羅も焔を指先から靡かせ、それを弾かれていたのです。
(ヤタガラスの人間、それもあれだけの擬態の使い手ならば、バジリスクのステータスくらいは把握してもおかしくないのに)
神社の境内をよたよた巨体で暴れまわるバジリスクに、ターンの号令をかける私。
(功刀さんの手癖を、それなりに知っているサマナー…又は悪魔でしょうか)
見目は鏡映し、会話は出来ない、同じ動きで攻撃を返される。
もう何処で判断すべきか、五分五分ならばいっそ突き立てるべきか。
いいえ、しかし私は功刀さんに刃を立てるなんて……そんな事。
(何か、何か方法が)
行動次第で私の立場が揺らぐ、と云われたあの人が、突拍子も無いジェスチャーをする期待はしていません。
思わず縋るような眼で、お狐様の片割れに拠りかかっているライドウ先輩を見ました。
ただ哂うだけの先輩、やはり何も動じていない姿。
きっと、普段その姿を視界に入れる事で、功刀さんは何処かに安堵を得て戦えている…
戦いに“絶対”は無いけれど、メンタル面の向上は重要。
人修羅…功刀さんにとって、契約相手であるデビルサマナーは必要不可欠。
そう、互いにメリットがあるからこそ、護り合う仲。

葛葉ライドウは強いけれど、身体は人間…
人修羅は戦いに不慣れだけれど、再生力が強い悪魔の身体…

(実の急所は…)

やってみる価値は、きっとある。
「バジリスク」
コールし、太い頸をこちらにもたげさせます。
静かな森です、内緒話は更に静かに……バジリスクの頸を撫でながら、MAGと命令を与えます。
私達の様子を窺う人修羅達も、間合いを取った上で静かに佇んでいました。
「確実にヒットさせなさい!」
鳴き声と同時に向かって行くバジリスク、長い尾羽がゆらゆらと。
構える人修羅達の間を通り抜け、黒装束も遣り過ごし。
「十八代目、何をさせている!?」
円陣を組むヤタガラスの装束を、跳躍して飛び越えさせる。
命じた通りの角度から、背の高い巨木を一突き、二突き。
バジリスクの鋭い嘴が、ミキミキと繊維を破る音が響きました。
ゆっくりでは、駄目。
(逃げられてしまう、急ぎなさいバジリスク)
強く念じ、サマナーとしてMAGを立ち昇らせます。
私の意志を感じ取った鶏の眼が爛々と光り、一瞬で根元から折った樹を蹴倒しました。
思惑通り、それがライドウ先輩目掛け、倒れて――

少し、眼を見開いた先輩。
その手前には、荒い樹皮を鷲掴みにして、樹を支える人修羅が一人。

ざり、と、綺麗な塗りの下駄が石畳に削られています。
重量に眉を顰めて、それでも震える身体で支え、背後を窺っている。
「割れましたね、アクションが」
先輩を倒樹から庇った人修羅。
それを見つめるだけの人修羅。
「貴方には、功刀さんが先輩をレスキューするか否かの判断が出来なかった…」
微動だしない人修羅に、小太刀の切っ先を向ければ。
功刀さんの顔で、真っ直ぐ睨んでくる。向けられた事の無い鋭い視線に、肌が粟立つ。
そんな眼で見ないで下さい。

「貴方が偽者、フェイクです!!」

こちらから駆け出せば、軽く構えを取るだけのその人修羅。
懐に、飛び込んでいく私。
ああ、ここでハグが出来ればどれ程幸せでしょう。
(お願い、偽者であって下さい)
その、着物の胸の中央を、さくりと刺しました。
血が滲み出すより先に、止めの号令。
周囲から使者達が駆け寄って、私とその偽者を引き離します。
予備の黒装束を被せられた偽者。擬態者の顔を拝む事すら出来ずに、黒い影で隠されてしまいました。
「見事なり十八代目ゲイリンよ」
「はぁ、はぁっ、はぁ……正解、ですか」
「少々荒っぽいが、時に狡猾さは必要…本来の身内であろうと、利用出来るものはするが宜しい」
「本当に、刺してしまいました…あの、擬態していた方は…っ!?」
「気にするな、致命傷では無い…それよりも今回の結果を報告しに、明日にでも里に来る手続きを取るのだ」
功刀さんの形をした生き物を刺すだなんて……
まだ、手が震えている。小太刀の先から、赤い血が滴っている。
血まで擬態は出来ない筈、これは功刀さんの血では無い、大丈夫…大丈夫。
装束の影で見えなくなった擬態者に安堵している私は、臆病です。
振り返れば、樹をぐいぐいと悪魔数体が運んでいる光景。
ヤタガラスの使役する悪魔達が、森の妖精達に事情を説明しています。
(私の咄嗟の行動で、ひとつの樹を駄目にしてしまいました…)
後でしっかり、妖精王国に謝罪に行かねばなりません。
「ご苦労様です、バジリスク…」
管を翳して唱えれば、嘴を樹で掻いていたバジリスクが戻ってきます。
『アーモウ!スッキリシナイ!!』
唸ってから、管に消える姿。
ターゲットに踊らされたストレスですね、きっと。
…私も、疲れました。精神的なダメージ…
(先輩にも功刀さんにも、大変な無礼を働いてしまいました)
謝罪しようと、眼で追ったのですが。
「今回の試験の奨励物資は、管二本、各種札十枚綴り、魔晶――」
なかなかヤタガラスの装束に放してもらえぬまま、時間だけが過ぎて往きました。




『何よ凪ぃ、結局人修羅誘ってないのお?なぁーんだ、ガッカリ』
「が、ガッカリはこちらの台詞です!少しは主人をケアしなさい!」
ハイピクシーに愚痴を零しながら、太陽が頭上を通過した空を見上げました。
あんなに早くに出たのに、もう午後の色。
師匠のお墓は、少し外れの…葛葉修験闘座と真逆に位置した所に在ります。
木漏れ日が丁度降る、日向ぼっこに最適なポジションなのです。
「先輩達もお疲れでしょうから、お誘いせずにおいたのですよハイピクシー」
『ふーん…ま、ライドウが今回来た“お墓参り”ってのは試験の為の口実に過ぎなかったんだろーしぃ?いいんじゃない、誘わなくても』
「…そうですね、命日とまでは憶えていないでしょう」
ヤタガラスの使者も引き揚げて、本来の柔らかな静けさに包まれる神社。
万が一を考えて焼香はしません、燃え移っては堪りませんから。
「それに、スモーキーなの苦手ですからね、師匠」
汲んできた水を墓石にかけて、語りかけます。
昨日購入したお団子をふたつ、笹葉の上にそっと置きました。
『凪』
「すぐ声にするのはミスを招きますよ、ハイピクシー…!」
少し動揺する彼女の声を聞き、背後の気配に振り返ります。
黒い影…軽くフードを被っただけの…
(あの擬態者だ)
報復?しかしヤタガラスは了解を得て執行した筈。
警戒を解かずに問い掛けるがセオリーでしょう。
「私に用ですか」
その背格好、そういえば擬態が解けた後はすらりと伸びていて。
木漏れ日を遮る様な立ち姿、其処にだけ居るイレギュラーなカラー。
おもむろに、胸元に手を差し入れた相手。此方も思わず武器に手を置きます。
…が、その手に握られていたのは、刃物でも銃でも管でもなく。
真白い、百合の花。
「もしかして…お墓参りに来て下さったプロセス?」
訊ねても黙するまま、静かに此方に歩み寄ってくる。
息を呑んで構えていると、そのMAGの気配にデジャ・ヴを感じたのです。
『どしたの凪、ねえ…ちょっと』
(まさか…でも、先輩はあの場に)
差し出された百合の花を受け取る事も出来ずに、その黒いフードの中で光る眼を凝視しました。
「この百合は、受胎告知の証では非ず、十八代目葛葉ゲイリン」
囁く声に、ハイピクシーが無謀にもフードを羽ばたきで扇ぎました。
ばさりとそれが捲れると、いつもの哂いで佇むあの人が。
「せ…先輩……」
「腑に落ちないといった顔だね、まだ信じられぬのかい」
学帽の無い珍しい先輩が、扇がれ乱れた前髪を綺麗な指先で梳いていました。
「ライドウ先輩は、あの…テストの場で、ギャラリーの一部だった筈です!どうして…」
「凪君、君は眼の前の虚に惑わされて、周囲を疑わないのか」
「意味が」
「出て来給え、“葛葉ライドウ”」
黒装束の先輩が唱えると、稲荷像の影から這い出る影。
それこそが、学生帽に外套姿の…
「せ、先輩が二人?」
「フフ……ほら、解除し給えよ」
装束のフードを指で遊ばせながら、喉を鳴らして哂うこっちの先輩。
たった今現れた先輩が、瞼を下ろしてMAGを震わせます。
一瞬陽炎の様に揺らぐ空気、続いて融けるボディライン。
その脚が地を離れ、ふわりと浮き上がりました。
『私の擬態術、如何で御座いましたか主様』
袖に纏うベールの様な白、神々しいけれど、どこか歪な輝き。
(アマツミカボシ…!)
つまり、テストの際に私が先輩だと思っていたのは…この擬態したアマツミカボシだったという事?
「如何も何も、ただ突っ立っていただけでは無いか」
『主様の流麗なる立ち振る舞い!威厳!学帽の天辺から革靴の爪先までしっかりと模したつもりに御座います…!』
「そうかい、ではあの様な自体に発展する前に、倒れ来る巨木を避ける事を何故しなかった?」
『そ、それは……』
眩い四肢をくねらせ、顎に手を当て考えるジェスチャーのアマツミカボシ。
あっ、と声を発して、指を鳴らしました。
『己の主人を護れぬという失態をしでかす事を恐れた人修羅が、思わずしゃしゃり出て喰い止めるであろうと推測したが故です』
「へえ、アレがそんなに僕を後生大事に護っているとでも?」
『いえいえ、主様の盾になれぬ悪魔なぞ屑同然!人修羅は主様の後の仕置きが怖くて、きっと今回も盾になるだろうと――』
「仕置きはお前にしてやろうか、ミカボシ」
『……へ?』
鼻で笑って、先輩が装束の内側を探っています。
するりと冷ややかな輝きの管を取り出して、指先でくるくるとバトンの様に回すと。
「あの場において、判断を人修羅に委ねて如何するのだい…!試験の内容を理解した上での行動ならば、お前こそが屑だろうよ」
『ひッ!!』
額の飾りに、管の先を鋭くガツン、と突き当てた先輩。
意気揚々としていたアマツミカボシの眼に、途端に怯えが見え隠れして。
唖然としたハイピクシーが私の肩にしがみ付いて震えています。
「何の為に僕が人修羅に擬態していたか、しっかりと考えて動き給えよ…僕こそが、アレの動きを模写出来るからだろう?」
ぐりぐりと、冷たい微笑と共に管を押し付ける先輩。
どこかサディスティックな声音は、愉しそうで。
「お前には出来ない…当然他の仲魔にも、サマナーにもさ」
『はっ、はひっ!!……し、しかしお言葉ながら』
「何」
『主様に擬態した私を、倒木から護るという行為は模写出来なかったので御座いましょうか――ぁギャアッ!!!!』
額を突いていた管が、アマツミカボシの片眼にぶすりと突き刺さっています。
肩でハイピクシーが「光ってるだけで、馬鹿じゃんアイツ」とケタケタ笑っていて、思わず口を指で塞ぎました。
「戻り給え」
『も、もう片眼にも』
「欲しがる奴には呉れてやらぬが信条さ」
管に半分強制的に戻されたアマツミカボシ。
やれやれ、と、それをまた胸に仕舞う先輩。
「…しかし先輩、何故…自ら擬態して、フェイクに」
「聞いてなかったのかい凪君、人修羅を真似る事なぞ、僕にしか出来ぬだろう?」
「何故人修羅…功刀さんを巻き込んでまで、あんな試験を」
「ヤタガラスによる君の身辺調査は既に済んでいる。現在の情報では《十四代目葛葉ライドウの使役悪魔である人修羅に関心が強い》と出ていてねえ……身内であろうとも疑って掛かり、それが試練ならば刃の錆にしてみせろ、というのが機関の方針なのではないかい?フン…此処らしいよ」
身に覚えがあるのでしょうか、先輩の眼が一瞬だけ遠くを見ていました。
でも、今の話が本当なら…私の大事な人が誰なのか、機関には知られているというセオリー…
「私は…葛葉一門が一人、ゲイリンの十八代目です。確かに功刀さんは大切な友人の一人、護るべき対象の一人ですが」
「その程度?」
「え…程度…?」
「前の日の告白は、大した重さも無かったという事かい?」
何故…
何故、先輩がそれを知っているのですか。
「告白…とは……先輩、何処からそんなゴシップ」

「“私のとても大好きな人なのだと”」

ざわつく木々、と思ったのですが、勘違い、今は無風。

「“師匠に紹介したいセオリーです”」

私の、胸が音を立てている、ざわりと、凪ぎが過ぎ去り、嵐が来る。
「そう云ったではないか……ねえ?凪“さん”?」
「何処から…何処からフェイクだったのですか…先輩」
「福禄荘のロビーから」
「…そう、ですか」

デートなんて事実は、無かったのです。

福禄荘から出て、帰還するまでのあの時間は…
総て、贋物。
ライドウ先輩が擬態していた、人修羅だった…という、事が判明しました。
「あの時、本物の功刀さんは…?」
「福禄荘の客室さ。適当に雑務を任せておいたからね、鉢合わせは無いと踏んでの事」
「擬態を完璧なものに仕上げる為…功刀さんの姿で私とデートしたプロセスですか?」
「君の最新の記憶の中の人修羅を演じておけば、容易いだろう?」
「……見破れないだなんて…私…功刀さんに、謝罪すべきですね」
浮かれていました、完全に。
あの、夢見心地の中の私のプロポーズは、無効化されたのです。
「確かに、少しだけ違和感はありました」
「へえ、何処に」
「功刀さんは、最後の形さえ良ければ――とは、恐らく云わないセオリー……形を気にする御方ですから」
人間の姿である事を最重要とする功刀さんから、あの答えは出ないでしょう。
昨日のあの瞬間、晩年の師匠に近い事を仰っていて…
どちらかと云えば、先輩をイメージしていた気がします。
師匠と先輩は、似ても似つかないでしょうけど…雰囲気は、全く違いますけれど…
真っ直ぐに、形振り構わず向かう姿が、とても、とても。
「そうだね、功刀君にしてはポジティブだったかな、あの意見は…フフ、これはしくじったねえ」
白百合を軽く燻らせて、煙草の代わりに薫りを楽しむ先輩。
ひとしきり楽しんだなら、それを墓前に横たえて。
「御無沙汰ですね、十七代目」
勿論、師匠の返事はありません。
「御安心を、今日は吸っておりませんよ。花の薫りだけ堪能下さいませ…」
それだけ云うと、もうお墓に対しては、何も発しませんでした。
先輩は、無反応が一番嫌いなのです…予測のカテゴリに過ぎませんが。
「さて、凪君」
「は、はいっ」
「功刀君を呼んでくるかい?」
「えっ、いえ、それは…」
一緒に居る事は、嬉しい筈なのに。
私だけが空回りして、在りもしなかったデートに一人だけ舞い上がっていて。
これまでと何も変わらぬ功刀さんに、酷いジレンマを抱きそうなのです。
「福禄荘で待たせてあるけれど?」
「お疲れでしょうから、今回はいいです…!休んでて頂ければと」
あんなにはしゃいで曝け出した私を、微笑んで受け入れてくれた人修羅の貴方は、存在しない。
昨日と同じ事をしても、同じ結果が見られ無い。
その恐怖に、今更泣きたくなってきました。
「何故…いっそ、断ってくれなかったのですか、ライドウ先輩」
脚が震えて、堪らずしゃがみこむと、百合の毒々しい様な清々しい様なパフューム。
「翌日の試験で、君が本物偽者も無関係に刺したら困るだろう?」
「そこまでヒステリックじゃないです、私は」
先輩は、酷いです。
いつも少し意地悪に物を云う、私をからかうのがお好きで。
同時に、優しいのです。
サマナーとして見守って欲しい、との師匠の言葉を、護っている。
私の今の強さは、師匠と先輩によってもたらされたもの。
でも…
「功刀が如何答えるのかなぞ、僕にも解らぬからねえ…?」
「あんなに優しくされたら、私…もう、忘れる事すら出来ずに…」
焦がれ、強過ぎる想いは先走らせ、サマナーを弱くさせる。
それを云っていたのは、先輩なのに。
私を弱体化させるつもりなのですか?
「だって、僕を越されては堪らぬからね」
見上げると、逆光の暗がりに光る先輩の眼。
「越すだなんて…今の私では無理ですよ先輩」
「君の師匠が嫌いでは無かった、だから君を育てる事は約束しよう、凪君」
鋭く私を射抜く、その眼だけは師匠と真逆。激しいコントラスト。
しゃがみこんだまま、行儀悪く私は問い掛けてみました。
「もし、先輩よりも強くなった時は?」
「試験の際の、あの動揺の仕方では難しいだろうね」
「私は確かに惑います。でもそれは、あの人が好きだからです。それが未来のミスに繋がると断言したく無いセオリー」
先輩が、ひたすらに避けているものは何ですか?
まるで鏡の様なミラージュだったのに、心までは見透かせない。
野辺の花に個体差がある様に、本質を完全にコピーする事は出来ない。
先輩は、見えないのが怖いのか、見えない様にしているのか。
「確かに弱くなるかもしれません、でも好きな感情をリスペクト出来ないまま、死にたくは無いのです!!」
そわり、と私の髪の毛にハイピクシーが隠れました。
私が強情に叫び出すと、手に負えないと解っている。利口な判断と思います。
「好きだ恋だを声高に叫び、己を挺して手駒を庇っては本末転倒だろう。庇うと護るは別物だ」
「あんなにも簡単に自分の悪魔を差し出して…傷つけられても平然として居られる先輩の様に、強くはなれません」
「…クク…何を云っているのだい?僕はサマナーらしく使役悪魔を護ったではないか、昨日の夕刻…」
隣に屈みつつ、私の耳元で囁きかける声。
吊り上がった唇が、湿ったMAGの吐息で発する。

「君の言霊から、人修羅をね」

あの時の、私の全身全霊を傾けた言葉は、真実と成り得ません。
フェイクの鼓膜を震わせただけで、弾けて消えた魔法。
想いの対象者の鼓膜を鳴らさなければ、言霊は成就しないのです。
「胸の傷、これで帳消しにしてあげるよ、十八代目ゲイリン」
そのまま腕を伸ばし、墓前のよもぎ団子を攫って形の良い唇で口付ける先輩。
(胸の傷…痛そうな素振りすらしなかった。恐ろしいまでの覚悟)
自分が人修羅に与える傷は許せても、他人が与える傷が許せないのですか?
だからこそ、擬態を買って出た?最終的には、己の胸に刃を向かわせる様にした?
そうすれば、私もテストに合格出来る。誰も無駄骨にはならない。
(考え過ぎでしょう、凪……いえ、でも…)
先輩がダメージを呑み込み、総ては先輩の思うまま…
「花より団子さ」
咲き誇った花の笑みで、先輩は喰らって居りました。
颯爽とした足取りも軽やかに、倒木に巻き込まれかけていたオキツネ様と軽いやり取りをして、境内を抜けていく後ろ姿。
逆風にも、穿つ雨にも負けない黒い花。
美しい立ち振る舞いの癖に、ちゃっかりと肉食花なのですね。
あの毒々しいMAGの薫りに、功刀さんは…喰われている事も気付かず、蜜に溺れている?
(私は…あんな冷然と、優美に、信じた路を往けるのでしょうか、師匠…)
“立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花”だぞ、凪。
と云いながらも、修行の帰り道、お団子を買ってくれた師匠を思い出して。
「……まずは、腹ごしらえからのセオリーですね!」
肩で溜息するハイピクシーを気にせず、残りのお供え物にいただきますと手を合わせ。
無我夢中で頬張り、噛み砕いて、昨日の記憶を飲下しました。
私こそは、あの人を破滅に導かない。
毒の無い花になりたい。

そう思って、いるのに
あのまま、答えの刃を、毒の花に強く強く突き立てていたなら
そういう運命だったと嘆きつつ、あの人修羅の主人を引き裂いてしまっていれば
私みたいな道端の草に、あの人が眼を向けてくれて
あわ良くばいつかは
悪魔の抜け切った人間のあの人と…

「…ふぇ……師匠ぉ…っ」
『ちょ、貴女しっかり飲み込んでから泣くか喋るかハッキリしなさいよ凪!』
「んぐ、先輩も、っ…師匠も…っ、裏切りたくは無いセオリー…なの…にぃ…ッ」

今、デビルサマナーで居る事が、初めて辛いのです。
功刀さんの、本当の答えが、欲しかったのです。

百合の花弁に、私の零した雫がぱたぱたと。
朝露の様に濡らして居りました。



chaosの零余子・了
* あとがき*

43210のキリ番「ライドウ×修羅+凪」です。いよいよ告白した凪…しかし…という話でした。
人修羅と凪のデートと思わせておいて、そんな事実は無かったという…何気に人修羅の活躍が皆無。
凪の想いを無に帰したライドウ。告白が言霊と成り得る、という危機感は多少感じている様子。他者からの愛も傷も、付けさせる事が忌々しい。しかしそれは嫉妬から、とは口が裂けても云わない、思ってない。
人修羅に擬態中の、どこか優しかったり、鋭いツッコミは、功刀の形ではあるがやはりライドウな気もする。カオスサイドに傾倒しそうな己に、恐怖する凪。
そういえば、凪を登場させると必ずと云って良い程何か食べてますね。 良く食べる女の子の描写が、個人的に好きなのです。
そしてアマツミカボシごめんね。

タイトルの零余子(むかご)とは「植物の栄養繁殖器官のひとつ。主として地上部に生じるものをいい、葉腋や花序に形成され、離脱後に新たな植物体となる。」これはwikiからそのまま…
ライドウは「悪の華」のイメージがいつもあります。