汚点(前編)

 
十四代目葛葉ライドウ
アバドン王を見事退け、その名に恥じぬ戦いぶりを見せた彼。
そう、アバドン事件と彼らが称すそれこそが
ぼくと彼との“きっかけ”であった。
見方を変えるのなら“きっかけに過ぎない”とも捉える事が出来よう。
何故ならば、彼にとってアバドンは脅威に成り得なかったからだ。
ぼくの忠告も哂って流し、周囲に合わせて神を屠った彼。
…異様である、と云えよう。
恐怖が、彼の中には存在しないのか。


…いや、そんな筈は無いだろう
神は人間を、そう創ってはいない
あの御方は、そんな風には…





「何用です、ルイ・サイファ」
その双眸、人にしては光を湛えている、闇の。
「先日依頼したアリスの件、どうなったのか聞きたくてね…」
そう云えば一瞬の間の後、ニィ、と哂った彼。
「貴方の御友人方が連れてかれましたよ」
「そう、それなら良かった」
「悪魔に魔人……とても英国紳士の知人として吊り合わぬ面子でしたが」
ぼくを見る眼が、既に詮索を始めている。
あの暗闇の外套の下、刀の柄を既に握っているね。
「なに、君と同類と思ってくれ、ライドウ」
「同類?サマナーという事ですか?召喚媒体は?」
「サマナーでは無いが、彼らとお喋りは出来る、という事さ…」
「ヤタガラスの認可無く活動するサマナーであれば、捕らえる必要がある」
その革靴の片足をやや後ろへと滑らせ、柄の握りを深くした。
彼に付き従う黒猫が、一言二言語りかける。
それに哂ったまま答え、ライドウはぼくを見据える。
でもね、ぼくには解るよ…その忠誠が仮初めだという事位。
「なあライドウ、それよりもっと楽しい話をしよう?」
「話を逸らす必要が有る程度に、楽しいのなら」
「そうこなくては!」
ポン、と掌を合わせるぼくに、警戒を解かずライドウは云う。
「用件なら依頼として宜しく願う」
「いいや、君の手が空いた隙をね、本当に少し頂けたらそれで良いんだよ?」
「…」
「眼にしたら声を掛けるよ、ライドウ」
「どうぞ、御勝手に」
その、何者をも介入させぬ眼が、彼の冷たい美貌を鮮明にしていた。
いつもいつも哂っているが、親愛の為で無いのだろう?
牙を剥いている、その笑顔の能面で。




「その書物、数頁の落丁が有るの、気付いた?」
ハッとして僕を振り返るライドウ。
足下に黒猫はいない、此処は獣を入れてはならないからね。
「…何故これを読んだ事が?」
「それより、何処が抜け落ちた箇所か知りたくはないのかい?」
帝國図書館の暗い空間。発禁の古い書物が並ぶ埃っぽい此処。
「普通…此処へは立ち入れぬ筈」
だろうな、ヤタガラスの権限で書物を漁る君位しか、此処に居ない。
「そんな事どうでも良いだろう?ねえ…何処か解るかな?ライドウ」
云いながら、書棚に戻されようとしている本を横からかすめ取る。
すると彼はフン、と哂って外套を翻した。
「密室で二人きりというのは御免ですから、ルイ・サイファ」
木目のくっきり浮かぶ古いドアを開け、出て行く姿。
残されたぼくの手元の本は、國家機関を糾弾する内容の物だ。
あの黒猫の監視を逃れる此処に在るこれは、彼にとって興味深いのだろう。




「相席は宜しいかな?ライドウ」
「もう座ってる」
「これは失敬」
「僕は男と同席する趣味は無いのだが」
「いつもの黒猫君は?」
「此処は鼻が潰れそうだと云って、来るのを拒む」
「成る程」
甘ったるい菓子の匂い、人間の、それも女性が好む食物の形。
ライドウはよく此処に来ていた、硝子越しに見えたものだ
彼の食む姿をうっそりと眺める女給の姿。
「ルイ・サイファ、貴方はよくパーラーへ?」
「いいや、入ったのは今回が初めてだな」
「そうですか」
「それ、何という食物?」
「ショートケェキ」
「他の皿の上は?」
「モンブラン、マフィン、シュー、ロール、ショコラ、フルーツタルト」
「全部ライドウが食べるのかい?」
「悪い?」
「善悪が関係あると思うのか?」
「無いでしょうね、と云う事で喰らわせて頂きますから」
黙々と食む彼。見慣れているのか、女給達は驚きもしない。
しかし彼の相貌には眼を輝かせている。
「ねぇライドウ」
「何か?」
「あの黒猫を避けて、何を調べているの?」
ぼくの問いに、彼のフォークが止まった。
と同時に、テーブルの微々たる空間に置かれた手帳が閉じられた。
「一応探偵助手という肩書きですから、これは機密事項」
「あの本も、君が嗅ぎ回る人間も悪魔も、辿れば全て一箇所に到達するね」
ジロ、とねめつける視線。
「君の所属する超國家機関、ヤタガ…」
提唱するぼくの口に、フォークの先端が突っ込まれた。
席を立つライドウ、金と思わしき物を伝票上に置き、哂った。
「残りは差し上げますよ、ルイ・サイファ…餞別にね」
立ち去る彼を見送りつつ、口内の欠片を咀嚼してみた。
ふわりとした物に挟まれた果実の甘酸っぱさが、魔力の雫に似ていた。
女給の視線を感じながら、残された宝石色のケーキを機械的に食む。
成る程、人間というものは瞬間消耗するというのに、手間を掛ける…
刹那の快楽の為に発揮される力が、非常に面白い。




「やあ、ライドウ」
「…へぇ、英国紳士というのは変態紳士も兼ねていたのですか」
「はは、そんな君こそ、書生姿で此処をうろつくのか?」
「葛葉ライドウとしての用件です、今宵は遊びでも何でも無い」
月の光さえ遮る桃色の光。
遊郭に挟まれる道を、外套で闊歩するライドウ。
ぼくを見るなり毎回抜刀の準備をするその警戒は、未だに解けないね。
「ヤタガラスというのはこんな処にまで派遣するのかい?」
「聞き込み調査には非常に適してますのでね」
「今宵も聞き込みに?」
「貴方に教える義理は無いので、失礼」
傍を通過しようとする君。
その瞬間、耳元に囁いた。
「立襟の影から、白い項に咲く紅花が見える…」
瞬間、立ち止まるライドウ。
そこに追撃してみる。
「判るよ、今あの橋を渡っている男だろう?」
ライドウの眼が見開かれた。
「どうしてあの男の魔力が、君の内からするのだろうか?」
「…」
「それが葛葉の御勤め?」
「黙れ」
帽子の影から見える眼が、鋭い。
ようやくぼくをまともに見たね、ライドウ。
「ヤタガラスの偉い人かな?」
「偉い?ああそうさ、偉い人さ、とても偉いね!」
「君は逆らえぬのかな?」
「逆らってどうなる?今の立場を揺るがすだけだ」
「そうやって自分が喰われても、十四代目葛葉ライドウで在りたい?」
「僕の存在意義を勝手に提唱しないで頂きたい」
ああ、怒っているね。苛々している。
それはそうだ、プライドの高い君が、まさか男に抱かれているなんてね。
まあ、憎いだろうね。
「まあ待て、ライドウ」
「話す事は無い」
「あの男、見ていて」
橋の中央へ、その影が到達した瞬間、ほんの少し僕は眼を細めた。
途端、橋が妙な音を上げ、崩落していった。
というより、ぼくがそうした訳だが。
傍でじっと見つめるライドウの横顔は、真剣な表情で…
だが、その中に含まれるのは、明らかな愉悦。
「ねえ?濡れた後にまた濡れて、あの男性も本望だろうね?」
笑いかけた僕の声に、やがてライドウは破顔した。
「……クク、つまらぬ洒落だ」
「嬉しかったのだろう?正直に体言すれば良いのに」
「これでもヤタガラスの一員なのでね」
「あの黒猫も、今宵の勤めに同行はしていないのだろう?」
「…」
「それなら、正直に述べるんだね…ねぇ、ライドウ?」
哂うライドウが、その顔のまま、宵闇に消えていった。
だが、確信はあった。
一度、ぼくを振り返った、ただそれだけではあったが。





相変わらず埃っぽい、帝國図書館の暗所。
訪れたなら、背後から声を掛けられた。
いや、気配で既に知っていたが。
「ルイ、先日の落丁箇所…教えておくれよ」
カツカツ、と革靴のヒール音、つられて埃が微かに舞う。
「持っておいでよ」
ぼくの声に、書棚から引き出す音が連なった。
片手に、あの発禁本を持つライドウが歩み寄って来る。
「そこに居て」
そう号令をかけ、彼の傍までぼくから寄った。
「両手でその書物を開くんだ…」
肩越しに云えば、外套下で武器に添えられた手がピクリと動く気配。
ニタリと哂いながら、ライドウはその手を外套から引っ張り出した。
両手で本を持つ為。
「だが、貴方が両手塞がりの僕を攻撃しないという確証は無い」
「そうかい?それならこうしようか」
ぼくより背の低い彼の背後から、腕を回した。
本を支える両手の甲を包む様に、ぼくの手を添える。
強張る君の肩、しかし微かに震え、哂っている…
「悪趣味だね」
「そうかな?しかしこれならぼくも両手が君から見えているだろう?」
「そうだね」
「そう、それで…落丁箇所はね」
君の手の甲を手袋のぼくがやんわり掴み、操る。
背表紙を片手で支え、もう片手で頁を捲らせる。
君の綺麗な指先から、水分が頁に奪われていくね。
湛える水を、古いものに奪われていく様は、いつかの夜の君の様でさえある。
「抜け落ちた箇所の内容は?」
問うてくる君に、云ってみる。
「そんなに求めるの?」
指を滑らせる、本を支えるままのライドウの手首まで。
「知りたいね、是非とも、僕の目的の為に」
はっきり答えるライドウの、その手首から、制服の上を滑っていく。
「知った果てに君はどうするのかな?ライドウ」
外套の立ち襟に登り、詰襟の隙間から指を入れた。
「此処に花を咲かせる連中を、屠殺したいのかな?」
あの夜の鬱血痕があった箇所を、手袋の先でくすぐる。
ほんの僅か、君から吐息が零れた。
「…し、たい」
微かな呟き。
「破壊、したい」
首を捻り、僕の視線を至近距離から、自身の視線に絡ませる君。
「烏の巣を、破壊したい」
言葉が鮮明になり、ぼくはそれに返す。
「落丁箇所なぞ、悪魔への造詣を深めれば埋まるよ…」
「そうか?」
「ああ、君には出来ないのかな…夜?」
「…フ、フフフ…」
その哂いは、妖しく酔わせる色がある。
ああ、やはり君は人間で居るには惜しい存在だ。
「出来ぬ訳、無いだろう…僕に」
本を支えていた手が、添わせていたぼくの手を逆に掴んだ。
どさ、と書物がまた埃を舞わせる。
「召喚皇に成るのだからさぁ…ク、ククク」
悪魔的な笑み、このぼくでさえ、そう感じるよ。
葛葉ライドウ、君はとても興味深い。
「そういえば先日のケーキ、有り難うね」
空いた手で襟を掻き分け、白い項を外気に曝させる。
「“ショートケーキ”の果実の赤が、鮮血みたいで良かった」
「フン、どういう評価だ…」
「視覚的にも、薫りも」
「ルイは舌がイカレているのか?」
「美味しいのかな?とは思ったけれど…」
その、クリームみたいな白い項に噛み付いた。
ぼくの手を掴む君の手が、力を増す。
だが、突き放される事は無かった。
ひとしきり吸ってから離れれば、そこに果実が生った。
それを確認してから、言葉の続きを発する。
「ぼくは生きているモノの方が美味しいと思うね…」
覗き込めば、蠱惑的な眼のライドウ。
烏の男は駄目で、ぼくなら大丈夫なのか?可笑しいね、君は。
「生きている?生体エネルギィ…?」
「そうだね…君達サマナーの云うMAGとやら、かな」
「は…イヤに詳しいな、ルイ…」
「だから君は思うまま話してくれたら良いよ」
掴まれていない手で、外套上から胸元の管を撫ぜてやる。
「君を畏怖もしないし…烏のしもべとしても見ない…」
彼の使役する悪魔達が、ぼくを誰かも感じれずに管で息を潜めている。
生殺与奪を任されるサマナーよりも恐ろしい筈であろう、ぼくの正体。
そんな事実が埃で霞んで見えぬ、この現状が笑えるな。
「紺野夜、君の巣立ちをぼくにも見せてくれ」
真の名を紡ぐと、君の魂が揺れるのが視える。
「愉しい事をし合おう?ぼくから君に知識を注いであげよう、だから…」
「…だから……?」
「友人になろう?夜?」
「…フ、これが、友人?笑わせるな…味方なぞ、この世に居るか」
「つまらない?」
「いや……面白い洒落だ」
向き直る君の脚先が、落ちた禁書を蹴飛ばした。
それすら気にせず、君は僕の手を引いた。
「なあルイ…注ぐのは、知識だけ?」
唇を舐めたライドウが、指を指に絡ませる。
「今さぁ…空腹では無い?……ク、クククッ…」
あれだけ避けていた君が、ぼくを侵蝕しようとする。
ああ、これだから人間というのは恐ろしい。掌を返すのだ。
「そういう艶も超國家機関から教わった…?」
「勝手に推測してくれ給え……だが、ひとつだけ明言しようか?」
口の端を吊り上げたライドウが続けた。
「老廃物雑じりのMAGは、吐き気がする程に不味いのだよ」
片手を外し、刀の柄に落としつつ、君は哂う。
「僕の見物料は新鮮なMAGで宜しく、ルイ…」
武器を片手に、まだぼくを許さぬ君。
その癖、詰襟は開かれている。
「なあ、今度御上に呼ばれる前に、僕を抱いてくれよ…」
「おや…夜は随分と性急なのだね?」
自ら管のホルスターを解く姿は、滑稽だ。
仲魔よりも自らの腕を信じるのか、君は。
「二番煎じと知ったら、あいつ等、さぞかし怒り狂うだろうよ、あは、あはは」
「罰は無いの?」
「そういう理由の鞭ならいくらでも受けてやるさ」
己を切り売りするライドウ。
酷く享楽的で、刹那的。
誰かに似ていた。
「ほら、早く寄越せよ、生きの良いMAG」
「サマナーでも無いぼくからかい?」
「人間でも無い癖に出し渋るな……なんならしゃぶって吸い出そうか?フフ…」
普段の彼からは皆、想像し得ない痴態。
でも、ぼくは知っていたよ、欲望に忠実な君の心を。
アバドン事件の時から感じていた、その烈しい熱。
どうして黒い外套に納まっているのか、疑問な程に猫を被っていた君。
ヤタガラスという檻が、君の原動力でもあり枷でもある。
ねえ、どうすれば君は、もっと滅茶苦茶な生き方をしてくれるのかな?


「ん、ふ、あぁ、あっ」
ぼくに跨っているライドウは、苦痛に眉根を顰めつつ、哂っている。
誰も立ち入らぬこの空間、すでに図書館は閉館しているのか、暗い。
ランプすら点けずに、埃で外套を灰色にしながら君は踊った。
「夜は好きなの?こういう行為が」
「さ、あね…っ……だが、今は、気分が、良いっ」
確かに、下から魔的な精力が吸われているのが判る。
君は本来女性と致すのが好きそうだが、此処はこのままで良いか。
横着では無い、単純に、ライドウを満足させたくないだけだ。
満足した瞬間から、人間は動くことを止めるからね。
眼の強さも失せるから…ね。
「御上様達と、どちらが良い?」
「はぐっ!あ、あぐぅっ」
下から突き上げて、試しに問う。
喘ぎを一際高く上げ、僕を汗に濡れた表情でうっそりと見下す。
「は、あ、っル、ルイのが、咥えてて、気持ち良いッ」
酷く倒錯的な台詞。
「僕、は、僕はあんな爺共に喰われてたい訳じゃ、な、い!」
ぼくの腰に合わせて、自らも突き動くライドウ。
とりあえず、人間と同じ様に出してやろうかな、と思案中だった。
「ん、あ、あぁんッ、あ!」
「普段からこんなに声を上げるの?」
「ま、さかっ」
「何故今は上げるの?」
「知る、か、っ」
ああ、当て付けというヤツだろうか?解る解る…ぼくも得意だからね。
あの御方とその所為で睨み合いになっているのだけど。
「ぅ、あ、ぁお、おいし、美味しい…ッ美味し…爺共のとは、比べ物にならなぃ」
狂った様に呟きながら、注がれる姿。
あの黒猫が見たらどう思うのやら。
そもそも、それは普通の青年の感覚では無いだろう?ライドウ…
可哀想に、もう頭の螺子は抜け落ちているのか。
だからそこまで無茶なのか、破天荒なのか。

ぐちり、と抜く君。
上半身を起こそうとしたぼくに、瞬時に刀の切っ先をあてがった。
「僕が良しと云うまで、動くな…」
「おや…吸うだけ吸って、酷いね?夜」
「友人というのは利害関係だろう?その位想定済みでいてくれ給えよ…フフ」
「成る程」
「だから、君は…一応友人…かな?ルイ」
ほくそ笑むぼくが居る。
眼の前の妖艶なサマナーに、久々に気分が良かった。

こんな玩具、欲しかったのだよね…
それも人間の。

理由?憂さ晴らしさ…神への、ね。
貴方の創った玩具を壊してごめんなさい、と、哂ってやりたいのだ。
どうせ遊ぶのなら、変わった玩具が良い、それだけだ。

さ、いつ壊そうかな…
ぼくに似た玩具。
君が恐怖する姿を、早く見てみたい…


汚点(前編)・了
* あとがき*

前編。後編の為の前置き。
二人が似過ぎてて書くの困ります。
ライドウの過去の汚点。
普段の彼は別にそこまで性行為好きでは無いのですが…
性格の波長が合ってしまったのでしょう。
悲劇の始まりとも知らずに…

発禁本の内容は、ヤタガラスを潰すのに有益そうな内容です。