煉獄篇

 
ダンテは悪魔と人間、どっちが好きなんだ?

ある時俺は、人修羅なる少年に聞かれた。
率直な質問だが、俺は考えあぐねた気がする。
何せその少年は、人間と悪魔とを持ち合わせていたから。
そして俺もそうだったから。



(寒ぃ…)
身体に軋みを感じる。
この感じ、冬のようだった。
白い景色に一瞬錯覚するが、それは真っ白なタイルだ。
すぐに武器を確認した。
どうやら武器は取られていない様だ。
エボニー・アイボリーの感触。
リベリオンはすぐ傍に寝ていた。
自分の吐く息が見える。
屋内の癖に、嫌に冷やしているな…
そう感じた瞬間、勘付く。
ここは病院だっけな…
(安置するあの部屋か?)
壁を背に、辺りを確認しつつ立ち上がる。
俺はどうやら床に放置されていたらしい。
「…」
本当はすぐにでも生死を確認したいところだったが
俺はその一瞬に全身全霊の意志を注ぎ込んで
自分を抑えた。
ヤシロが寝台の上に寝ている。
いや、手術台…と言うべきか?
間に合わなかった…のか。
見慣れたタトゥー
露わになった肌が寒々しい。
また悪魔になった少年を見て、俺は立ち竦んでいた。
まるで寝ているようだが、死体にも見える。
(遺体安置の部屋だろ、ここは)
人間が死んで、悪魔が生まれた。
人間の功刀矢代はここで既に棄てられたのだ。
(俺は、どうすりゃいいんだ)
半分以上、頭では答えが出ている。
そのままゆっくり、ヤシロに慎重に近付く。
掌に、心地よい重みを感じながら
それを掲げる。
(一撃だ)
(仕留める)
(絶対一撃で仕留める)
(首だ)
(分断させる)
俺が知る中で最も優しい方法だ。
リベリオンを振り下ろす。

「ぐぼッ…か、は…」
自分でも信じられなかった。
しくじった。
出来なかった。
無理だった。
ヤシロの首に刃が食い込む瞬間、身体が痺れるような感覚が奔り。
俺は一刀両断のつもりが、中途半端に食い込ませてしまった。
身体が拒んだ…
「ヤシロ…!」
自分でやっておいて馬鹿みたいだが、俺はヤシロの首に手を押し当てる。
溢れる鮮血に微量の魔力を感じる。
マガツヒか。
「俺は…俺は…お前が目覚める前に…」
悪魔であると認識する前に、殺してやりたかったんだ。
どんな悪魔でもぶった切ってきたってのに
お前みたいな人型でも、割り切って殺ってきたのに。
「無理…だった…ッ!」
「がふ…っ…う、ぅう…ッ!うっ!」
俺は傷薬を持っているわけじゃないので、ヤシロが治癒するまで
傍にいて様子をみるしかなかった。
ヤシロは何か言いたい様だったが、首の裂け目から漏れるだけだった。
いっそ
俺を罵ってくれたら良かったものを。
結構な時間が経って、その少年が口にした言葉は
「気を遣わせて、ごめん…!」
だった。


「なあ、何故お前笑っていたんだ」
「え、いつの話?」
病院を出て、白い砂漠を歩いていた。
あれから、弱い雑魚を蹴散らしつつ
俺達はすぐに病院から脱出した。
フォルネウスは威圧感に負け、道を開ける始末だ。
そりゃそうだ、俺達は2回目なのだから…
「このボルテクスの直前だ、あの…お前が飛び降りた時」
「ああ…」
すっかり首の傷も癒えたヤシロは、砂を踏み鳴らし呟く。
「よくダンテは…分かったなと、思って」
ぽつりぽつりと零れた囁きに、俺は返事もせず聞いていた。
「俺が悪魔の姿で終わりたくないってのが…分からなきゃあんな、言えないもんな…だろ?」
(ああ、コイツ…)
眼差しがどこか遠い。
以前から思っていたが、この所為か。
魂はきっとどこかで覚えていて、不安定なのだろう。
「ここまで来ちまったんだ、俺は雇い主のお前が目的達成するまでついて行く」
黒い艶やかな髪をわしゃわしゃとかき解す。
「おい、俺はそんな事される歳じゃない」
振り払われたが、その腕から覗いた顔は笑っていた。
歳相応でいいじゃねえか。
それでいいだろ。



同じ道を歩んで行く。
楽なイメージだろう?
しかし精神的には、全く反対だった。
「おい、落ち着け」
「何で!何で繰り返すんだよ…!あの人等は思い出せないのか!?」
苛立ちで声を荒げるコイツは珍しい。
「そう仕組まれているんだ」
「俺が完全な悪魔にならない限り、他の人も救われないって?」
「いや、なっても救われないだろう」
なっても、この世界はこのままだろうから。
完全な悪魔に成ったお前は、ここには留まらない。
あのジジイが手元に置く。
俺の言葉に更に沸騰したのか、ヤシロは近くのスピーカーに光弾を叩き込んだ。
一瞬にして散り散りになったその飛沫にまみれて、ヤシロはしゃがみ込んだ。
「おい、魔弾は戦闘の時だけにしろ」
ブーツの先で、しゃがんだヤシロのケツを小突く。
「そんなに消耗しないから良いだろ」
「そういう問題か?おまけにここは地下だ、崩壊したらいくら俺達でもキツイぞ」
このディスコで先刻、前回と同じように友人と逢った。
ヨスガの少女…
(タチバナとか、言ってたか?)
あまり俺は覚えていなかったが。
とにかくヤシロが必死に説明する姿は、痛々しかった。
覚えていない彼女は、当然呆けていて。
寧ろヤシロを心配していた。
悪魔になったからおかしくなっちゃったの?
とな。


行く先、行く先でヤシロは嘆く。
もしかしたら前回より辛い。
知っていて目にするのは、数倍重く心をえぐるのだ。
しかしコイツは、コイツなりに考えていた。
どう動けば、同じ流れを踏まないか。
おかげで、アマラ経路のスペクター探しは骨が折れた。
「あれが新田にとり憑くから、それを阻止するんだ」
「スペクターをぶっ殺す?」
「…そんな感じ」
おい、俺が新宿衛生病院でやった事と同じじゃねえか。
そう言ったらお前はまた怒りそうだな。
だが、冗談でも無くなってきた。

「は、お前それ本気か?」
「勿論」
「クレイジーってやつだな、面白ぇ」
「愉しくてやっている訳じゃない!」
「ハハ、悪ぃ悪ぃ」
今度はゴズテンノウを破壊するとか…
前回のヤシロも、なかなか強かな部分があったが
今回は輪をかけて…
「いや、俺の好みに育ってるよお前は」
俺が鼻で笑いつつ軽口を叩く。
「あの老人の思惑通りに育つよりか、マシかな」
そう返してきたヤシロだが、分かってんのか…お前。
己の為に、用意周到に叩き潰す。
その思考回路は、かなり悪魔的だ…
そして、それを実行出来ちまっているのが
悪魔の証明、なんだよ…


そして確かに、奴等はコトワリを待たなかった。
ニヒロも媒体を無くし、停滞している。
巫女もヤシロの協力が得れず、路頭に迷い。
タチバナとニッタも、打ちのめされずに済んだおかげか
適当にうろつくだけに終わっている。
だが、一方のヤシロは最近妙に浮ついていた。
「おい…」
「…」
「おい!」
ビクッとしたヤシロが、こちらに目を向ける。
琥珀のような蜜色の瞳。
金に近い発光。
人らしさの欠片も、無い。
「ダンテ、俺は間違えた、かもしれない」
薄い唇から、息をするように紡がれた弱弱しい言葉。
「カグツチが来ない、これじゃ降臨しないのかも」
「お前がコトワリを築いても駄目なのか?」
「もっと、必要だったのかもしれない」
ヤヒロノヒモロギを捧げても
待てども待てども現れぬ神。
「もっと…意志のせめぎ合いが、必要だったのか…」
「さあな、俺にはサッパリだが…とりあえず言える事はあるぜ」
逃げぬよう、ヤシロの顎を上向かせる。
ぐ、と苦しそうにしたヤシロを無視して耳元で囁く。
「供物…ってヤツだ」

<大量のマガツヒ>

「…って、離せよおいっ」
いい加減苦しいのか、ヤシロは俺の指に爪を立てる。
はあはあと息を整え、俺を睨みつける。
「アマラ神殿は、お前の友人が覚醒させていたから前回起動した」
今回はどうなんだ?
ヤシロは誰も動かさなかった、つまり
膨大なマガツヒの流れはどこにも無かった。
「俺がこの、神殿を使って…?」
「そうすりゃ来るんじゃないのか?」
「そんな…ここにどう集めるのか、正直見当もつかない」
頭を抱えるヤシロ。
「少し休憩したらどうだ?こんな世界だ、なんとかなるだろ」
「…ああ」
俺は弾かれぬよう、出来るだけ優しく肩を抱いてやる。
よくこんな、細い身体でやっていけたもんだ。
少し離れた、赤い回廊へと戻る。
ターミナルに着くと、行き先を考え俺はアマラ天輪鼓に両の手を当てる。
「お前、疲れてるだろ…アサクサでいいか?」
言いつつヤシロを振りかえる。
「うわっ、何だおい!」
場所を取って替わったヤシロが、両手を当てている。
突き飛ばされた俺は、下手に動けない。
移動中の動きは失敗に繋がる。
経路に落ちると後が面倒だ。
「黙ってて」
有無を言わさぬヤシロの態度に、少々空気がヒリつく。
こんな躍起になった少年は、偶に無茶苦茶をする。
(おおい、大丈夫かよ)
俺が頭を抱えたくなった。


「…説明しろヤシロ」
ターミナルの部屋を出ると、一面の赤。
赤、朱、紅…
見慣れた光景。
立ち昇るマガツヒ。
「ダンテは気分悪かったら、待っててくれよ」
幾分か投げやりに言い放つヤシロに、腹が立つ。
「お前の態度が気分悪ぃな」
「それが理由でも構わない、待っててくれていい」
いや…と言葉を続ける。
「待たずとも、愛想尽きたなら好きにしてくれていい」
そのままスタスタと奥へ進むヤシロ。
「ちっ」
何故此処へ来る。
(悪魔にならないんだろ、お前は…)
少年の選んだ行き先は、アマラ深界の入口だった。

「おい!ひとつ聞かせろよ、何故此処がマガツヒ集めと関係あるんだ?」
「此処?大いにあるさ!希薄な所を探してぶっ壊す」
あまりな回答に呆れる。
「お前、それでどうなるんだ?」
「マガツヒの循環を良くする。ここから溢れたマガツヒが、経路を伝って神殿へ行くと思うから」
「思う、かよ」
少しバツが悪そうに、ヤシロは目を逸らした。
でも意志は固いようだ。
「血管を破れば出血するだろ?」
「だが、破れた血管を身体がそのままにしておくと思うのか?」
沈黙。
俺は溜息が自然に出た。
どんな悪魔よりも手がかかる。
「いいか、やる事やったらすぐ戻るぞ」
「ああ、そのつもりだよ」


襲い来る悪魔共は、皆一様にヤシロを狙う。
理由なんざ分かっている。
ヤシロはあのジジイの寵愛を受けているからだ。
前回と違い、今回はここの悪魔も状況が分かっているらしい。 ヤシロがここの主の誘いを蹴った事も。
『オマエの身には余る!なんとも恐れ多い!』
『あのお方の誘いを断るなんて…!』
憎い
羨ましい
そう口々にする悪魔共、妬み、妄執…
『貴様の思わせぶりな行動が、私達を怒りに奔らせるのだ!』
「俺は確かに以前第5層まで行った」
フラロウスの突起を掴み、攻撃をギリギリで避けるヤシロ。
腹の獣の顔に、自分から顔を合わせて喋っている。
「でも、行ったのは5層を見たかっただけで、悪魔になる方は丁重にお断りさせてもらった」
琥珀のような蜜色の瞳。
金に近い発光。
「さようなら」
それが、一段と輝きを増す。
至近距離からイービルアイをまともに喰らったフラロウスは
内部からぐしゃぐしゃに解けた。
酷いヤツだ。
目と目を合わせて、別れの言葉。
文面にすれば清々しいのに。
「ダンテ?」
片付けた悪魔の屍骸を足で退けて、ヤシロの方へ歩み寄る。
「悪魔にまともに返事するなよ」
「悪いな、律儀だから」
「ハッ、自分で言うな」
相変わらずの能力には、恐れ入る。
俺の理解出来ない悪魔とも、普通に会話が出来る。
人間の枷を外せば、縦横無尽に振るわれるであろうその力。
悪魔を統べる者に相応しい…


「ここ、薄い気がするな」
「そうか?」
「ああ、経路の希薄空間と感じが同じだ」
言われて見れば…といった程度にしか俺には分からんが
しかしコイツ、ぶっ壊すって
「なにでぶっ壊すんだ?鬼神楽?晩餐?」
微妙に愉しそうな俺の声音に、ジロ…とヤシロの視線が痛い。
「待ってて…」
辺りを吟味する様に見回した。
(まさか壁にアナライズか?)
そのままヤシロは目を薄っすらと光らせ、視線を留める。
「あの辺いける」
指した指の先にある壁が、そのまま弾けた。
自然な動作で、コイツは至高の魔弾を放っていた。
(コイツ、何気におっかねぇな本当)
偶に俺が驚かされる。
弾かれた壁から、逃げ出すように周囲のマガツヒが流出していく。
辺りの赤い景色の流れが、ターミナルでの移動と連動する。
「うげ」
酔ってきた。
「嘘!コレでも酔うとか…ダンテって結構」
「うるせぇな、赤は目に痛いんだよ」
「自分のコート見てから言えば?」
可笑しそうに笑うコイツを見ると、本当に妙な気分になってくる。

悪魔的な強さ
戦っていて高揚する。

人間らしい弱さ
自身の人間部分との疎通。
それこそ兄弟みたいな…

(兄弟…か)
脳裏を過ぎる身内が1人…

この少年こそは
地獄が繰り返されるこの、魂の牢獄から解き放つ事が出来るのだろうか…
俺は今度こそ、救えるのだろうか…


「急いで戻るぞ」
「ああ、セタンタ!エストマ頼む」
召喚された悪魔は、出てきた場を見て驚いていた。
『ここは…マガツヒが強すぎてちょっと…』
マフラーで更に口元を覆う。
「そうなのか?全然…慣れ過ぎた、かな」
はは…と軽く笑うヤシロだが、そりゃそうだ。
お前は悪魔の器がでかくなった、許容量も増えたんだ。
『エストマかかりましたから、私はどうしましょうか?』
「走るから、切れる頃には出れていると思う。戻っていいよ」
『御意、ではお気をつけて…』
その悪魔の眼差しが、ヤシロに向かって注がれる。
おーおー御執心なこって…
自分の使役する悪魔から受ける眼差しに、気付いているのだろうか?
熱をはらんだその眼差しの意味するものを。
(生殺し)
普通に見えて、色んな所が悪魔的なんだよなコイツ…
戦いにおける感性は鋭いくせに。

エストマで駆け抜けた俺達は、一気にターミナルへと帰りつく。
タ−ミナルで経路を垣間見た瞬間、違いが分かった。
経路を迸る、赤い血潮。
マガツヒが流れ出ている…
アマラ神殿を見ると、既に変貌が始まっている。
「カグツチが…降りてきた」
ヤシロの思惑通り、事が進んだ。
「このままカグツチ塔に登って…多分いける。3つのタカラは競う相手もいないから、きっと用意されてすらいない」
「長かったな、だが大事なのはお前の抱くコトワリなんだぞ?」
「ああ、分かっている…」

(この夜想曲、最も強く奏でた者だけが朝を迎える事が出来る…)

いつぞや聞いた言葉が、俺の胸を凪いでいった…

煉獄篇・了
* あとがき*