白い烏〈中編〉

 
「義経公と反逆神を両手に歩むとは、これ壮観だな」
陽も陰ってきた刻限。
姿だけはそのままのデビルサマナーが、やや前方を歩み呟いた。
『おい旦那、アンタ…人修羅ばっか最近連れ歩いてたじゃねーか』
対する俺のボヤキに、傍のアマツミカボシがニタリと哂う。
『今の主様には、人修羅なぞ赤の他人も同然、ですからねぇ』
『嬉しそうに云ってんじゃねー…ミカボシ』
『あの無礼な半端者を締め出す、これと無い機会でしょうが?くっくっく…』
薄白い発光する羽衣。それと共に揺らした袖で、口元を覆う奴。
『おい、ちぃと抑えろよテメーな』
アマツミカボシが人修羅を毛嫌いしているのは分かっていたが…
その、あまりに露骨な云い方に、ライドウを思わず見据えた。
しかし特に変哲も無く、主人は黒外套をはためかすのみ。
「今宵は滾るだろうね、君等」
主人がたった一言、そう背後に呟いた途端、光を増して反応するミカボシ。
『ええ!ええ!それは勿論!虚空の闇に浮かびたるは丸い月』
興奮してそう応えている眼は、欲求に濡れている。
俺だって感じている、今宵の周期。
『我等悪魔にとって、魂の躍動が最も盛んな宵でしょうとも…』
んな事は解ってる。でなけりゃ先刻から殺しなんざしてない。
異界からあぶれた雑魚を、街路の蔭で嬲る。
使役される俺達だって、憂さ晴らしは必要さ。
それをよーく理解している旦那は、それはそれは優秀なサマナーだ。
(まさか、記憶が飛んだと当人の口から発された時にゃ驚愕だったけどよぉ)
俺達を使役していた記憶も無い筈なのに、堂々と命ずる。
生まれながらに支配者の気質を具えているんじゃないだろうか。
「お里への報告も無視して、実に気分が良いねぇ」
『平気なのかよ、カラスに突っつきまわされっぜ旦那?』
「突き“廻される”事が解ってるから往かぬに決まっているだろう?」
少し振り返って哂うその顔は、澱み無い。
「それにね…記憶も無いのに、何を近況報告しろと?フフ、滑稽な」
『そんな風を続けてると降ろされるんじゃあねえのかい?十四代目をよぉ』
「さあ?此処の守護が出来る代役…今の僕の記憶には居らぬのだが?」
相変わらずの自信に舌を巻く。
忘れてるとしたら、また橋の上で牛若ごっこをさせられるかも知れない。
(うっわ、勘弁だぜ)

欄干の上、旦那の刀をひたすらかわす遊戯。
“フフ、流石は牛若丸、軽々と優雅に舞う”
悪魔みたいな笑みで、俺を踊らせたデビルサマナー…
いよいよ脚に刺さり、烏帽子が零れたその瞬間。
それを手に取り、クスリと哂った、黒い闇の眼で。
“僕の悪魔におなり、義経公”
愉しい事が大好きで、血肉舞い踊る、そんな命のやり取りが出来るなら。
…次に目覚めれば、管から召喚された瞬間だった。

そんな昔を思い出し、ふと前方を見る。
丑込め返り橋が月明かりに見えてきて、やや強張る。
ライドウの事だ、いきなり「ヨシツネ、愉しい事をひとつしようか」
とか何とか云い出す可能性が…
「ヨシツネ」
ほら!やっぱそうじゃねえかよ!
「ミカボシも、気付いているか?」
と、現在相方として召喚されている奴の名が呼ばれ、拍子抜けした。
おまけに…俺は恐らく気付いてない、なんのこっちゃ、である。
『ええ…見えますね、業魔殿に…行くのでしょうか』
ミカボシの返事に、ライドウは俺へと視線を流す。
『悪ぃな、ちぃっとばかし考え事しててよ、サッパリだぜ』
「フン、烏帽子の中まで筋肉か」
『…それ、前も云われたぜ…』
少しへこんで項垂れると、黒い外套が翻った。
「アレは勝手に業魔殿に行き来しても良い事になっていたのかい?」
『いえ、貴方様の御命令外では、如何様な動きも叱咤の対象と成り得ましょう』
ここぞとばかりにアマツミカボシがすらすら述べる。
とことん人修羅を貶めたい様子だ、陰険な野郎。
「しかし…見たかい?」
帯刀した柄を指先にするりと撫ぜて、ゆっくり視線を向こうに戻すライドウ。
「擬態が解けていた…あの人間に拘る彼が、珍しいね?」
『この様な月の麓では、悪魔の本能が勝るのでしょう』
「へぇ?それでは毎回どうやってこの周期を乗り越えていたのだ?人修羅は」
その問いに、俺達は唇が閉じ、喉が蠢く。嚥下する言葉。
『そっちが云えよ、ミカボシ』
先に擦り付ければ、光る総身を震わせて吼える反逆神。
『なっ、なに故私が!?忌々しい!』
『俺ァ嫌だぜ、旦那?後で人修羅に殺されっちまうからよー…』
烏帽子をくい、と整えて、溜息に近い笑いを思わず零した。
「そんなに人修羅が納得せぬ手段なのかい?」
犯しまくっといて、よく云うわ…この男。
とか思ったが、そういえば記憶が無いのだっけか?ついその事実を忘れがちだ。
接吻でも、結合でも、流し合う血でも…
どんな手段だって、旦那は人修羅にMAGを与えてきた。
そんな殺伐とした殺し合いみたいな中で、人修羅の衝動を…
自分の衝動と相殺させて…だろう。
いつのまにか、強い満月の周期にはお約束になっていた。
そんな地獄から抜け出そうと、人修羅は耐え凌ぐ術を…ゆるゆると覚えていった様で。
最近は形を潜めていると思ってたんだが…どうしたんだ。
「尾行しようか」
人通りも、ほぼ失せた帝都の街角。
うっそりと微笑む書生を、非道なサマナーだと、誰も気付かない。
『へーいへい、承知っすぉ』
俺の気乗りしていない返答。
『主様、もし噛み付いてきたら、痛めつけてやれば良いのです』
そんな事を云ってるアマツミカボシ。コイツ、頭は良いけど馬鹿だ。
お前の大好きな御主人様が、その瞬間どれだけ人修羅に喰らいついてると思ってる?
その愉しそうな光景を見たら、多分お前は歯軋りしてんだろうさな。


階段にかかる薄い冷気を、外套で振り払うライドウの旦那。
潜める呼吸は白い吐息となるが、その靄に紛れゆく。
人修羅の追跡にイヌガミを召喚しない辺り、かなり侮っているのが判る。
まあ、実際人修羅は鈍いのだが。
「日中より流石に冷えるのだね」
『地下だからな、人間には寒いと思うぜ』
「ふぅん、人修羅は平気そうだったな…やはり人外?…フフ」
下り切って、奥に篭っているヴィクトルを視界に確認する。
結構な距離だから、気付かないだろう。
一方の人修羅が気付かないのは…どうしてだ?かなり集中力が乱れているのか。
ヴィクトルに一言二言…会話をしている、それだって珍しい。
『おい、イヌガミにしなくて良いのかよ、お付きの仲魔ぁよ』
ぼそりとライドウに聞けば、その視線は一所に集中していた。
それを読唇と知って、俺は黙りこくる。
しばらくして人修羅が其処から立ち去り、更に奥へと消えて往く。
「…ドクターヴィクトルに、何か依頼している…様子だな」
『何をよ?』
「さあ?ただし…ひとつ確定した要素がある」
人修羅の光る斑紋が闇に消えてから、革靴を鳴らし始めるライドウ。
「どうやら、初めてでは無い…事の様だね」
合体檻を通過して、更にその向こう側…
俺等悪魔がうろつく範囲より、更に奥。
見てて気分の良いモンじゃない、それが在る空間。
嫌な予感が、俺の烏帽子の中の筋肉とやらを躍動させる。
脳味噌無くったって、本能が感じる、悪魔の…
『ラク・カジャ』
扉の前で、アマツミカボシが命令されずとも唱えた。
それを咎めないライドウ。この向こうの光景を、予測しているのか、やっぱ。
「構えておけよ」
そう発して、その綺麗な爪先を取っ手に掛けた。
静かに開いていく扉の隙間、真っ暗なその奥に…
「だ…誰、だ」
擦れた、唸り声。
流動するMAGが、その強い魔力に反応して沸騰する。
「入って、来る…な…」
開き切らぬ扉に衝撃。何かを投げつけてきたらしい。
ずるりとこびりついて床まで流れたその残骸に、少しばかり眉を顰める。
「フン、合体の失敗作か」
ライドウが呟き、いよいよ開け放つ。
瞬間、放たれた衝撃波に俺の甲冑袖が揺れた。
いけ好かないミカボシの術が効いていたお蔭で、大した痛みは無い。
気付けばライドウは既に闇へと駆け寄り、抜刀して振り翳している。
相手の攻撃に紛れる、その天性の才を俺にも分けて欲しいもんだ。本当。
「どうせ失敗作だから、殺しても良いと?フフ」
「ほっといても死ぬだけだろ!」
MAGで反射するだけの光源。
閃く刀の軌道と…人修羅の、斑紋。
「いつからドクターに提供して貰っていた?以前の僕はこれを知っていた?」
切り裂く爪を避けて、ライドウが後退する。
「潔癖で、殺生を好まぬ風を見せて、この所業かい…フフッ、悪魔め」
その言葉が、暗闇の中で金色の眼を見開かせる。
明らかな挑発に、俺もミカボシも構え直した。
「うっせえんだよ葛葉ァあああ!!」
普段より数段増した殺意を滲ませて、床を蹴る人修羅。
煌々と照らされる室内、飛び駆る人修羅の、両手に点された焔が舞う。
「糞野郎!手前がっ、手前の所為でっ、俺が此処に居る事!解ってんのかあぁっ」
焔の光で露わになる空間。
合体事故で生み出された、自我すら怪しい有象無象共。
それの骸が散らかって、足場を埋めている。
人型のモノは無かったが、それが却って殺り易いのかも知れない、人修羅にとって。
「さあね?僕には解らぬよ、だって」
すぅ、と肩から刀を引き絞る動作。
「君の事なんて知らないからね」
ライドウの打ち込んだ的殺は、炙られながらもその胎へと呑まれていった。
人修羅の斑紋輝く臍の辺りを、まるで切っ先から喰わすみたく。
「あ…がっ、ぐ、ごぽっ」
胎に刺さる刀を、ぎりぎりと握り締める人修羅。
でも、その細っこい指先が割れるだけだ。刀が折れる気配は無い。
開いた唇から、赤が溢れ零れる。
『それにしても、いやはや…悪魔を罵る口を叩いておいて、このザマですか?』
胎から切っ先を抜かれた人修羅が、冷たい色の床に倒れ込む。
その傍に音も無く寄ったアマツミカボシの光で、その顔が照らされた。
「…っは……ぁ……はぁ……」
苦しげに顰められた眉、斑紋を伝う色が、ゆっくりと赤く彩を流す。
『人修羅…主人の命から外れるは、仲魔の資格無し、という事でしょうに』
機嫌良さそうなアマツミカボシが、浮遊する脚先で人修羅の頭を小突いた。
「んっ!あ、ぅ…ッ」
『ほら、いつもみたく、己を棚に上げて罵ってみたらどうです?』
だが、どうしたのか…確かに、吼え返さない。
悪魔には辛辣な人修羅にしては、おかしい。ミカボシとは犬猿の仲なのに。
「ミカボシ、退け」
チラつく脚先が顔を蹴るかと思った瞬間、ライドウの声が通った。
『主様』
「退け、ソレはMAGが枯渇している様だからね…下手に弄ってくれるな」
『し、しかしながら』
「お前も…仲魔の資格を謳うなら、黙って従い給えよ?」
流石のアマツミカボシも、それ以上食い下がる事はしなかった。
俺に云わせりゃあ、そこで逆らうのがアナーキーと思うのだが。
しぶしぶMAGを氾濫させて管に還ったアマツミカボシ。お利口さんって奴だ。
光源が減り、また視界に静寂が戻って来た。
「さて…ヨシツネ」
『ぁあ!?お、俺?』
まさかそこで俺に声が掛かると思っておらず、素っ頓狂に返答してしまった。
血を掃って、納刀したライドウが吐き捨てる。
「コレにMAG、与えてやっておくれよ」
『は〜ぁ?』
「ほら、早くし給え…吸って、流転させて戻せば良いだろう?」
『だってよお、旦那…!』
悠然と微笑んで、悪魔じみた笑みで。
「この少しの手合わせで解ったよ…この半人半魔の、芳醇な魔力が、ね」
ちら、と床の人修羅を見下ろして、続ける。
「MAGの味を知る者なれば…コレから吸いたくなるだろうな?」
舌舐めずりして、唇を歪ませ。
「ヨシツネ、お前は僕と付き合い長いみたいだから、吸わせてやるよ…ククッ」
『吸わせてやる、って、ん〜なモンでもねぇだろがよ!』
「かなり弱っている、胎の中心に刺したからね…そうそう暴れる事は出来ぬさ」
か細い呼吸の人修羅を見れば、金色が揺れ惑っていた。
鈍感な俺でも判る位、動揺している。
『そ、そりゃあ…知ってるがよ、美味ぇのは』
ボルテクス界の捕囚場で、その頬を伝う血を…軽く舐めただけで…
全身から、ぞわぞわと、あまりの甘さに酔い痴れた。
悪魔を相手する時の、金の相貌に…妙に鼓動が高まるのを、理解している。
普段、どんなに人間を装っていても。こいつは悪魔なのだ。
それも、酷く、気位の高い…高潔な。
『しっかし、どうしてそこまでして人間で居たいのか、俺にゃ解らねぇな』
ぼそぼそ云いながら、まるで誤魔化すみたいな。
そんな俺に笑っちまいそうだった。
いつもは…ライドウの旦那が、そんな事を赦さない訳で。
至上の生物の肉を、鼻先に吊るされているも同然だった。
最早、それに慣れきっていたのに。今、此処で「啜って良し」と命令か。
(人修羅と俺、どっちにも残酷だな、旦那はよ)
先刻まで足蹴にされていた黒髪を、篭手の指先で掴んで寄せる。
返り血に汚れても、妙な艶やかさを得ているそれが指先を滑る。
「ぅ…ぐ……ヨ、ヨシツ、ネ……」
『悪ぃな、ライドウ様々からの御命令だかっよ』
それを言い訳にして、いつも主人が吸っている魔の坩堝を見据えた。
噛み締めたのか、染まっている、まるで紅でも差したみたく。
「やめ、ろ…や…め」
『俺の主人はお前じゃないんでなぁ、人修羅…』
痛々しい、しかし内包する強大な魔力と、甘い蜜。
感覚の浅い、その息遣いに、そそられて、そのまま引き寄せる――
『!?』
奔る…痛み。
咄嗟に引き離すその、いたいけだった顔を覗き込めば…
薄く嗤って、真っ赤な震える指先で、俺の額を裂いていた。
魔力を通した所為なのか、その傷口から噴出する血潮。
それすら美酒だろうが。…勿体無い。
「放せ…下衆……お前の、MAGじゃ、治まらな、い…」
眼を細めて、睨み上げてくる。明らかに己より体躯のデカイ俺を。
(ああ、よく見りゃ綺麗な顔してんだな、おぼこみてーだと思ってたが)
最近はライドウが近寄らせてくれなかったので、しっかり見た事すら無かった。
そんな相貌で、苦しげに吐き出す台詞がそれかい。やっぱすげーなコイツ。
『そうかい、悪かったぁな』
あまりに…色々痛いじゃねえか、と、こっちから突き放した。
傍で哂うライドウが、クク、と肩を震わせる。
「我侭だねぇ、功刀さん………ヨシツネの魔力とて、そう不味くないのに」
可笑しそうにひとしきり哂って、胸元の管をカツリカツリと爪先に叩く。
それが帰還の合図だという事は、互いの間で無意識に通じるのか。
『おい、我慢は体に毒だぜ人修羅?狂っちまえよ、月が言い訳してくれっさ』
それだけ云い残して、俺は早々に管へ還る。
ライドウの旦那が、ボルテクスからこっちへ帰って以来…
人修羅を囲う理由が、ようやく解ってしまった。
(あんな極上の餌…そら、他に集られたく無い筈だ)
なら、今の旦那なら…どうなんだ?
俺等の記憶の無い、真っ白な烏の、旦那なら。





血生臭い。体中、生温かい。
でも、足りない。
(最悪…だ…悪魔臭い、俺)
抑えられない、この衝動を。
満月の度、カグツチが満ちる度、訪れる…俺が悪魔だと嗤う空。
その天から見下ろす様に、転がる俺を哂う夜の色。
瞬く星が、己の敵に見える。獲物に見える。
その相貌が蠢く深淵に飛び込んで、魔を啜れ、と…
「ぅ、ぅぅううぐぅッあ、はぁッ」
呻いて体を捩れば、向こう側で本を読むライドウが鼻で笑った。
「そんなにまで?本当に人間の部分が残っているのかい?君」
「ぁ、っ…く」
誰の所為だ。
「先刻、ドクターに聞いたが…成る程、合体事故の産物なれば、処分しても僕にバレないね」
簡素な寝台に横たわる俺に一瞬眼を向けて、また本に戻す。
「そうやって抑えられぬ月夜には、此処へ来ていたのかい?」
「いつもじゃ、な、い」
「同族嫌悪?」
その言葉に、奥歯が砕けんばかりに噛み締める。
「出来損ないを屠殺してあげて、偽善者の気分?」
嚥下する唾液は、錆の味。
「生きていても苦しいだけ、実験体となるだけ、なれば終わらせてあげよう…という勝手な善意…」
「黙れ」
「気味の悪い命は、人間の敵となるやも知れぬ…異形の悪魔を始末する、そういった人間側の超自我?」
「どう、せ」
寝台の端に丸まったシーツを蹴って、喚く。
「どうせあのまま陰で死ぬんだ!色も無いまま!」
蠢いていた失敗作、何も見ていない、歪な眼達。
色の無い、肉片。
「俺が一瞬でバラしてやった方がマシだろうが…ッ…」
知っている、エゴだって、その位。
爪先で、ギリリと寝台の板を削る。
「あんたが俺をこっちの路に走らせてんだっ!気付け!忘れてんのか!?ド外道ッ」
咆哮に揺れる天井のランプ。それに掌を翳してみた。
薄暗い照明の光で、逆光と浮かび上がる掌には、斑紋。
ずっと与えられず、枯渇寸前の俺の…源が…か細く、揺れる。
「なら、もっと具体的に教えておくれよ」
本を閉じ、棚に戻すライドウが、俺と真逆と思われる平然とした面持ちで返す。
「僕は君の衝動を、如何様にして抑えてあげていたのかな…功刀さん?」
俺に云えというのか?
そんなの…乾いた砂が水を吸う様に。生きる為に蝶が蜜を吸う様に。
あるものの流れ。
俺の衝動…だって…だから、どうしようもない事…なんだ。
半分を悪魔にされているんだ。あんたが契約相手なんだ。
「契…約…で」
「契約?ああ…そういえば確かに、僕が記憶を消したその時から、君にはMAGを与えていないね」
「結んだ瞬間から、俺に、流す…そういう仕組みの、筈だろう、が」
「だから云っているだろう?僕には契約の記憶が無いのだと、フフッ」
寝台の俺を避けて腰掛ける。そんなライドウの指先を、突き刺す様に掴んでやった。
「何?」
ただ静かに哂う、このデビルサマナーから感じるMAGの薫りが…もう、キツイ。
「あんたが、ヤタガラスに…戻らなくて良い様に、協力…してやる…共犯、者に」
哂いを潜めるライドウ、その眼を見て、俺は続ける。
まるで、熱に魘される様に。
「記憶から消えたなら、教えてやる…から…っ、だから」
掴んだその指を、するりと手首に上らせて、引く。
学帽が俺の腕に当たって、そのまま床にふわりと落ちていった。
「あんたのMAGが…欲しい…っ!」
いつもなら、抵抗する俺を羽交い締めにしてくる影。
今、俺はその影を自分に乗せて…縋っている。馬鹿の如く。
「悪魔殺したって何したって!他のMAGを啜ったって!違う!膨れない!」
学生服の襟首を掴んで、その綺麗な鼻筋をぶつかりそうなまでに引き寄せる。
「契約者の…あんたのMAGじゃないと飢え続けて、る」
こんな事、記憶の無いあんたにしか、云える訳ない。
「契約名で…呼ばせろよ……胎の其処から…吸わせろよ…」
俺をこんな体にしたのは、今の様な現状に陥っても、縋らせる為か?
だとしたら、本当に…悪魔だ、あんたは。
「功刀に“さん”を付けるなよ…他の悪魔にMAGのやり取りさせるなよ」
散々、俺を抑圧してきたルールが、崩されていくのが怖いんだ。
俺の知る十四代目葛葉ライドウが、失せていくのが。
与えられない…MAGが、酷く恋しい、狂おしいまでに。
「あんたの血肉じゃないと…っ…」
どうしてなんだ、この飢えは、何なんだ?
苦しさと疑問に結局、唇は戦慄き、閉じた。
「……MAGの与え方は」
が、突如そう呟いて、間を開けず噛み付いてきたのはライドウだった。
そのあまりに久しい感触に体がざわめく。そんな自分に自己嫌悪。
舌で俺の唇を舐め、すぐに退いて続きを述べた奴。
「これで、良いのかな?」
「…っ、ち…違っては、ない」
「素直に“そう”と云えぬのかい?」
口の端を吊り上げて、血濡れの着物を開けられる。
反射的に腰が引けて、視線を逸らす。
その俺の反応に、ライドウから失笑が漏れた。
「僕に犯された…と云ったね、この前」
「…ぁ…ああ」
「それなのに、君は僕のMAGを、こういった形で受けたいの?」
その事実を述べる声音に羞恥がこみあげる。
「け、契約で…!あんたが勝手に、決めた…形だろ」
「へぇ、こういう譲渡と流転の術を取ろう、と?」
「だから!俺の望んだ形じゃない」
間違ってない、俺の知る方法で、直に胎へと舞い降りるのは…これしか。
唇からの受給では、軽すぎる。
「では、御教示願おうか?いつも僕がどうやって…君に餌を与えているのか」
ライドウが、妖しく哂う。
自身の喉笛に、その尖った爪先をしのばせたかと思ったら、空いた手で釦を解く。
「おい」
「何?」
何、では無いだろうが。
そのままするすると、弓月の君の学生服を開くと、シャツ一枚になる。
そのシャツの釦すら、上から順に、つがいの孔から逃がして往くライドウ。
「どうして脱――」
「致すのだろう?皺になる位なら、着て行わぬよ」
俺の前で、そうそう肌を露出させる事なんざ、無かったのに。
露わになった胸板と腹筋が、妙に俺を苛む。
俺は眼を背けて、それでもシャツを掴む。
「お、い…聞けよ……あんたは、人前で全裸にならない」
「へぇ、情事の際も?」
「……ぶ、部分的に、開く、だけだ」
契約したカルパで、一糸纏わず、絡み合ったあの時。
そんな例外を思い出して、脳が焼き切れそうになる。
掴んで留めたシャツをゆるゆると放してから、指先を自分の着物に戻す。
開かれていた衿を、更に開いた。業魔殿の冷えた空気でも、俺に鳥肌は立たない。
「いつも、俺だけが…肌を…」
「へぇ、本来は僕がひん剥く訳か」
「…理解したなら、さっさと…しろよ……俺にさせるな」
「フフ、成る程」
先刻の接吻で流れたMAGが、斑紋を少し控えた色に戻していた。
開かれていくと、その光が零れ出す。反射してライドウの肌を照らす…
「暗い中で見れば、そう悪く無いね…その斑紋」
ふとした呟きに見上げた瞬間、唇を啄ばんでいった烏。
でも、その濡れるだけの唇が、意識に反して勝手に開く。
「ち、がう」
「…どう違うのか、明確に述べ給え」
「……あ、あんたは、そんな簡単に、退かない」
「舌を入れる、と?フフ…」
どこまで、云わせる?
「…その、舌から、だ…唾液に融けこんでる、MAGが――」
もうそこまで説明して、自身が嫌になる。頬が熱い。
「っ、い、良いだろ、もう…勝手に、させろ…っ!」
見てられない、この男の眼球に映り込む俺の浅ましい姿など。
だから眼を瞑って、はだけたシャツの襟を掴んで再度引き寄せる。
いつも…いつもライドウがやっている動きをすれば良いんだ。
ただ、生理的に、機械的に。何も、考えるな。
「はぁ、ん、ぅ…ん、じゅっ……っん、く」
合わせた唇を、舌で開く。
俺から挿し入れて、奴の舌を探して彷徨う。
そうこうしている内に、呼吸が続かなくなり、突き放そうと腕を押す。
すると、見計らっていたかの如く、ライドウの舌が俺のに絡んだ。
「んぶ、ん!?んっ…ぁ、ふ!あ!!」
苦しい、息が出来ない。
なのに俺の肉は歓喜する。舌先からのMAGに震えて、意に反して。
「…下手糞」
しばらくして突き放され、俺に降る言葉。
血液混じりの唾液が互いの唇を濡らして、赤い糸で結んでいる。
「本当に君、僕としょっちゅうこうしていたのかい?」
「ぉ、俺がこんな事っ、上手くなってどうすんだよ…っは……最低、だ」
「回数重ねてもこの程度…学習能力無し、なのか…それとも」
伸びてくる指先が、項を捕らえて来る。
この宵、特に敏感な其処は、ぞわぞわと体に電流を奔らせる。
「ひっ…ぁ」
「幾度犯しても塗り変わるのか…生娘の如く?」
その云い方に、更に頬が熱くなって、首を振る。
「フフ、此処、弱いのだろう?そう書いてあったよ…あの日誌に」
先刻まで手にしていた本の事を指しているのか。
不敵な笑みを浮かべたライドウが、項の突起を撫ぞり上げ、俺の頭を支える。
と、そのまま下げた奴の面は、俺の胸を喰らって吸った。
「あ、ぁ、あっ、ひ、ゃ――…」
ちゅぷ、ちゅぷ、と舌先で、強く弱くを繰り返し。
緩急付けられた生温いさざ波が、其処をやんわりと、硬くさせる。
もう片方の乳首まで、待ち望むかの様に、つんと澄まして憚った。
それをチラ、と横目に確認したのか。ライドウが鼻で笑いつつ、空いた手を運ぶ。
「む…胸、止め……っ」
その手を食い止めれば、逆に指を絡ませられて、下肢に流される。
思わず引き攣る腰に、するすると辿らされる斑紋。
着物が割られて往くと、次第に露わになる。
「この茨は何処まで茂っているの?功刀さ――…」
と、そこまで云ってから、ライドウが見つめ直して再度口にする。
「ねえ?功刀…」
有り得ない敬称からようやく離れ、その響きに安堵している俺はおかしい。
腰でだらしなく撓んでいた帯が、蛇の様に俺から寝台へと下りて伝う。
そのまましゅるり、と衣擦れの鳴き声で床に逃げていった。
「“委蛇たり、さなり蛇行なり…誘るものが秘訣也…”」
その蛇を見、ライドウが胸をひと舐め語り出す。
「“この緩やかの所作よりも、やさしき手管、他にありや?”」
腿の付け根の黒い斑紋を、その尖った爪先で新たに刻む様だった。
「“心得たり、わがゆく先は、そこへと君を導かむ”」
絶対、他に赦さない領域を…簡単に侵す俺の主。
「“姦計ならめ、きみが身を、害はむとの意図はなし…”」
歌にのせて耳から喰むのは、記憶を消しても同じなのか。
うっそりと哂って、勃ち始めている俺の物を、下着の上から舌で掬う。
薄布が湿っていくと、張り付く窮屈な感覚が胸を締め上げる。
「顔に似合わず、なかなか際どいのを穿いているではないか、ククッ」
そのライドウの言葉に、今のこの男は、初めて見る事になるのだ、と今更気付く。
「臀部をこんな開けっ広げにして…そんなに斑紋を覆い隠すのが嫌?」
「これは!俺の普段着が、こうもっと」
「今は着物だろう?君の本来着ていた衣とは形が違う」
「んな…見たのかよ…」
「記してあったよ、あの、君の観察日誌に…ボルテクスの様子から、ね」
悪趣味。
そうだ、そういえばいつも…重傷を負った俺は、此処で目覚めていた。
業魔殿の小さい部屋、本棚と寝台のある冷えた空間。霊安室の如き空気。
傍を見上げれば、ライドウが居て…何かを記述している、紙を走る万年筆の音。
俺の体を、記録しているのだ、いつも、何かあれば。
それを脳裏に描き、どこか自嘲して問い詰める。
「へ、ぇ…他に何か分かったのかよ…俺の、事…っ」
傍を見上げれば、ライドウが居て…俺の脚を、内腿を舐めている、下肢を走る粘着質な音。
「君の弱点、突出した能力、この黒い斑紋の考察…と…」
「し、た…舌、休めて、云え、よっ」
「僕の、事」
「ぁっ…あんた、の?」
「フフ、こんな箇所まで、繋がってるのか、この刻み…」
「あ!っ……き、聞け…よ、人の、話」
「人だったっけか?君は」
じりじりと、舌と言葉で詰られる、その久々の感覚に陶酔しそうになる。
反発するのに、どうしてか俺は、早く、もっと、MAGが欲しい。
「どうして使役せんとした君を、僕は犯したのだ?」
ライドウの問いに、イライラする。
ああ、オカシイ、止まらない、血が見たい、啜りたい。
俺が全き悪魔にならない為に…狂って帝都を壊さない様に…
あんたは月満ちる頃、いつもいつも…
「そ、んなの、決まってる、だ…ろ」
俺を嬲って、俺に吸わせて、血を交換していたのか?
制御していたのか?
「俺の、事、壊したいから、だろ!手駒にしたいからっ」
銃すら手にしない無防備なライドウの手を、握り締める。
ああ、骨まで砕きたい。
「俺の全てを奪いやがって!尊厳も!体も!こ…」

こころ、も?
まさか。
「こ?」
聞き返してくる嫌味な眼が哂う。続きを待ち望んで揺れるその光。
「こ…紺野」
でも、当然紛らわせる。
「何?」
「俺を、飼うなら…餌を、くれる約束、だ」
いよいよ切ない其処を広げて、泣きそうな自分を叱咤する。
こんなに、純正のMAGが必要だと、思わなかった。
いや…俺の体内を、そっくり入れ替えられてしまったのだろうか。
葛葉ライドウのMAGで構築されているのだろうか、既に。
「契約、だか…ら」
下の着衣を、ライドウの眼の前で…寛げる。
半ばまで、膝辺りまで、ぐいぐいと爪先で押し退ける。
あまりの苦痛と恥に、気が狂いそうで…体の傷よりも、灼熱で。
「そうやって股を開く程…契約内容は君にとって美味しいものだったのかい?…ククッ」
「寒い、早く、しろ」
「悪魔なのに寒い?人間の真似事は疲れるだろう?」
「半分人間だ、それに…」
視線を逸らす、眼は読まれるから、見せたくない。
「あんたが…人間に戻してくれるって、云ったんじゃないか」
塗り替える。塗り替えろ、契約を。
「僕が?」
「あんたが…悪魔召喚皇になる、その手伝いをすれば、そうしてくれると」
真実を捻じ曲げる。白い烏を塗り潰す。
「へえ、君を人間に?」
ライドウが、俺の局部を直に触った。
思わず、瞼を落として眉を顰める。声が、震える…
「そ、そう、だ」
「折角強く育てた君を?人間に還すのかい?この僕が?」
(ライドウを、紺野夜を…塗り潰せば)
堕天使の声が、脳内で反芻される。
禁断の言葉で、塗り潰す。

「俺の事“愛してる”と、云った…」

静寂。
鼓動が煩い、怖くて、薄く瞼を開いていくと。
胸を震わせ、肩をくらくらと上下させるライドウの…哂い声。
「ックク……あ、は、アハハハッ!」
「ヒグゥ――ッ!?」
鋭い痛みが奔って、息が喉元で突っ掛かった。
下肢の雄を、ぎりりと握られ、背筋がしなる。
「僕が愛を語った!?…何?だから犯したと?契約したと?」
「は、っぁ…はぁっ」
「悪魔で、しかも男の君を?それはそれは…滑稽だな」
「…だろ…だって、あんた、イカレてんだもん、な」
俺ですら赦し難い事実を創り上げて、あんたを貶めてやる。
「忘れてて良かったな、俺の云う事…全部、笑い話みたいだろ」
いっそ笑ってくれ。
覆い被さってきたライドウの下肢に、脚を絡ませた。
「そんな低俗なあんたから、教え込まれたんだ…ほら、嗤えよ」
引き攣る頬、可笑しくって、反吐が出そうなのを必死に堪えて、堪えきれずに震えて。
MAGの薫る肢体を、俺より逞しい身体に縋る。
「…愛していたから、君と共闘して、人間に戻す…と?」
要約したその台詞に、俺は微かに頷いた。
「僕にそんな感情、在ったのかい?」
…本当に、本当に僅かに、頷いた。だって、今のあんたは、俺の知るライドウでは無い。
だから、嘘にはならないだろう。
「ふぅん…それはそれは、面白い、ねぇ」
相変わらずの、冷笑…
「だが、僕の想い人だったのなら――…それなりに、優しくすべき、かな?」
でも、指先は緩まって。立てられていた爪先は、その桜貝の背で撫でるだけになった。
「もう、忘れたんだろ」
「フフ、君が望むなら、MAGの受給行為くらいは…昔のままに、してあげよう」
「…痛くなけりゃ良いってだけで、別に…っ――」
求めているのが顕著になって、云い返せば、塞がれた。
熱い舌が、歯列を叩く。
これが正しいのか、違うのか。正常なのか、異常なのか。
分からない。判断基準が無い。
だって、俺は…このデビルサマナーしか、知らない。
「ん、ふ……ぁ」
でも、感じる相違点。
口から流されるMAGと、同時にくる筈の爪が…無い。
項の突起に抉りこむ、爪先や、銃口が無い。
髪を掻き分けた指先が、前髪を鷲掴みにして、そのまま寝台に叩きつけられると思いきや…
するすると耳の傍まで滑り落ち、親指が耳朶をくすぐる。
残る四本で、撫で撫でを、されて…動悸が跳ね上がる。
「ぷ、ぁ…ッ、お、い…俺は別に、さっさとMAGだけくれたらそれで」
放された唇で、即座に否定する。
と、ライドウは…微笑んだ、それも、毒気無く。
あまりなその表情に、俺の声が消えた。
「フフ、君はこの方法を提示したのだから、悪くないという事だろう?」
「ち、違う、俺はこれしか教えられて」
「強大な力を秘めておきながら、何故僕に挑まなかったの?何故使役されていた?」
「あんたの方が、姑息で陰険だから、強い」
咄嗟に漏らした侮蔑に覆い隠した真相。
だって、しくじれば、望みは成就しないから。
最期は…殺し合うから。どちらかが、消えるから…
と、一瞬でも、思った俺が、異常でイカレてる。
「では聞くが…功刀、君は僕の事を、どう捉えていたのだい?」
ゆるゆると、俺の幹をしごくその行為ですら、爆発しそうなのに。
ライドウは嘲笑すら浮かべずに、そんな事を聞いてくる。
「あ…っ…あ、んた、を」
「“ライドウ”は、君を愛していたとの事だが…では君は?人修羅」
高い天井、ランプが微かに揺れる。
いや、俺の視界が揺れてるのか、いまいち判断がつかない。
逆光に光るライドウの…黒曜石が、今は、俺をしっかり見ていた。
この、久しい眼差しに、強い欲が無いのを、歓ぶべきか…それとも…
「俺は、人間に戻ったら、あんたに答えを…云う」
ぽつりと述べたこの、自分の声が他人の声に聴こえた。
「そういう契約だったの?」
「ああ」
「恋人の関係も契約の内?」
「し…知る、か、よ…っ、ひ、あ、あぁ」
なんて事、云ってしまったんだ、俺…
「……フフッ、こうしていれば、記憶が戻るかも知れぬね?」
「ん、んっ」
「ほら、今更、だろう?恥じらいなぞ棄てて…もっとお啼き?」
「んな、あんたと違って俺は、低俗じゃ、な、ッは、あン!!」
ぐちぐちと、摺り寄せられた腰で、熱い幹と束ねられ、指がそれをしごく。
花の反りを直さんと、矯正をさせるその甘い指つき。
俺の反抗を崩さんと、嬌声を吐かすその甘い腰つき。
「MAGは感情で溢るる…悪魔も、人も、ね、っ…」
「へ、んたぃっ、変態っ、変態サマナー…ッ――」
「気持ち、宜しく無いのかい?溢れてる、よ?ふ、ふふっ…ねぇ?功刀?」
己の局部をあまり晒さないこの男が、こんな行為…こんな。
弱点を重ねて、真綿で絞め合う感覚。
水音がし始めれば、股から後ろの方に…つう、と伝っていく水滴。
呼吸している後孔にそれが侵入して、びくりと身体が揺れてしまった。
「注ぐのだろう?“其処”に」
ああ、俺は、酷い。
殺して衝動を抑えたその次の瞬間には…ブチ込まれて、注がれて、胎を充たそうとしている。
悪魔、そう…だ。これは、俺が半分悪魔だから、仕方ない。
チラ、視線で促して、ぐ、と視界を閉ざす。
さっさとしろ、と、己を贄に、下肢を明け渡す。
激しい痛みが電流の如く奔ると思ったが…奔らない。
「は…」
つぷり、と、細いが、節が骨ばった感触。
指で、慣らされていた。
「あ、あ……ぁ…な、にし、て!?」
関節が通ると、声が出る。
互いの先走ったそれで滑る指、緩やかな抽送に腰がふるふると躍ってしまう。
「だって、ねぇ…?僕のでは、裂けるだろう?君の孔は女性のより硬いだろうからねぇ」
そんな、優しい前戯、やめろ。
気持ち悪い、気味が悪い。
その思い遣りが…怖い、ひたすら、怖い!
「ん〜っ…ん、ぁ、は…は、やくしやがれ…ぇ」
これ以上恥をかかせないでくれ。
さっさと、下に注いで、終わらせてくれ、頼むから。
「…欲しい?」
耳に、絶対わざとかけている、掠れた吐息。
でも、いつもとは違う昂ぶりに…熱に弾む、その声は、俺を惑わした。
MAGとは無関係に、まぐわいを興じる、その肉欲。
睦ぐ恋人同士の、それ、なのだろうか。
互いに知る由も無い、そういう関係の、そういう行為…の、擬似体験か?
呼吸を整え、じろりと横目で捉える。
「こ…ここまで、しといて、止めたら…ぶっ殺す、っ」
「我侭だね、君…」
「あんた以外には、っひ!!ぃぁあっ」
一気に引き抜かれた指に、隙をつかれた。
その瞬間、開きの緩くなった坩堝に、あてがわれる楔。
慣らされた門戸は、俺の心の準備はお構いなしに、受け入れる。
「あぁぁあぁぁああァあ」
ずぷずぷと、今までには無い潤滑さで一直線に。
今まで、無理矢理喰い破って、切り裂いて打ち込まれていたのに。
「ぁ、れ?君、さぁ…っ…開発、されてるの?酷く、容易だよ、ねぇっ?」
「あ、ぅグッ…」
「僕と御揃いだねぇ…フフ」
「ぁ――」
勘違いだ、おまけに自虐するな、気色悪い。
そう叫ぼうとして、唇を開いた瞬間。
「ぁっ、ぁ、ぁぁぁぁ」
おかしい、喋れない。
喉の奥から漏れるのは、人語で無い。
痛みの殆ど無い侵食行為は、神経まで喰らい尽くすのか。
ただ、ひたすらに、反応する。
恐れていた正体の輪郭が浮かび上がる、MAGの融けこんだ汗と共に。
「啼けるじゃないか」
打ち付けられる腰、引き寄せる指は、首を絞めていない。
ガクガクと頭を揺らせば、そんな俺の項の背を指で包んで、庇護するライドウ。
全身全霊、痛みを排除したその愛撫が、俺を堕落させる。
「きつい、締め過ぎ、少し力…抜き給え」
「はっ、はぁ、ぁぐ」
「っ、そういうのは、まだ慣れてないのか、フフ」
ありえない、気持ちが、良い…だなんて。
嫌だ、違う、そんな筈は無い。
MAGが胎に来る、その感覚に、予感に戦慄いてるだけだ、それだけだ。
がりがりと、寝台が俺の爪先に抉れる音がする…
でも、それは俺自身の発する声で、微かに聞こえるだけだった。
ずるずると、引き抜かれると、呼吸を思い出す。
弛緩した口の端から零れ落ちる唾液を、ライドウが哂って啜る。
仰け反った俺の喉笛を、そのまま斑紋に沿って…舐め伝う。
「汚、い」
「君の雫が?僕の舌が?」
呟いた俺に、打ちつけた。
必死で奥歯を噛み締めて、感覚を遮断する。
「……ぅ…はぁっ…はーっ……はぁっ」
「力むと痛いだけだよ、僕が知らぬ訳無いだろう?」
居一瞬見せた眼と、その言葉に…本質を知る。
(ああ、やっぱこの男)
俺を覚えていようが、忘れていようが、同じなんだ。
ヤタガラスに蝕まれて、狂ったデビルサマナーの…十四代目。
「ふっ、ふ…ふふ、ねえ、君の知る僕と、同じ動き、出来てるかいっ?」
「ぃ、ぎっ、ひぁ、ぁ」
同じどころか、もっとタチが悪い。
「ねぇ、功刀っ」
鋭いそれではなくて、じっとりとした、侵食。
俺の鼓動に合わせたリズムで反復される、既にMAGを滲ませるソレが美味しくて。
先刻まで俺を苦しめていたのと、また違う衝動が。
「ん、ぅぅううぅッ」
背中を大きく逸らして、腹に頭を垂らすまでおっ勃てて。
そんな浅ましい姿で呻く様になった俺を見て、此方の限界を察したらしい。
それとなく支えられていた脚が、両肩に乗せられる。流れる様な自然な動作で。
いっそう喰い込み、悲鳴を上げた。俺のモノの付け根からもう一本生えてるみたいだ。
でも、普通尻尾は出入りしないし、あんな音立てない。あんな、こんな。
じゅぷり、じゅぽりと、如何して潤う?
「悪魔の君を寵愛したらしい僕の…ククッ、久しいだろう?呑み干し給えよ」
変えられた角度に、脚の指を折り曲げた。
「あっ、イ――…」
甘過ぎる受給行為のトドメまで、違ったのなら俺は…
それは、それだけは赦せない。
「…ぃ……お、ぃ…っ、待、て」
息も絶え絶えに、自らの雄を握り締め、根元から留めた。
それでも指先に滴る溢れそうな涙が、羞恥の海を創りそうで。
「何?まだ達したくなぃ…?名残惜しい?クク」
「ち、が」
「僕とてこのまま維持するのは厳しいのだが?」
悩ましげな声で揺さ振りをかけてくる、鼓膜の傍で唱えてくるこの男に…
「け…契約の刻と、同じ、様に」
そうだ、あの瞬間も、向かい合って繋がってた。
もう、最近はずっと背後から…だったのに、何だって、こんな状況で。
俺を忘れたあんたが、あの時と同じ様な視線で。
「いつもっ…みたく、し、して」
胸糞酷い、爛れた台詞になってしまったと、云ってから死にたくなる。
本当に、記憶を飛ばしたあんたにしか、吐けなかったと思う。
「いつも…っ?」
聞き返してくるライドウ。
そう…あれからずっと揺るぎ無かった事がある。
どんなに暴力的でも、それだけは。ボルテクスからずっと。
互いに確認した訳でも無いが。
「教えてくれなきゃ、分からぬよ…?」
ライドウの、少し荒い呼吸での問い質し。
脅迫でも無いそれに、俺は…俺は…墜とされて逝く。
(ああ、塗り潰されていくのは、どっちだ?)
下から上から涙を滲ませ、懇願に喘いだ。
「た、のむから…頼むから」
どうかトドメを挿す前に。いつもみたく。今までみたく。
「イく時は名前で呼んでくれよ!夜!」
ああ、どうして暴力混じりに、降り注ぐ行為を受け入れていたか。
どうしてあんたもそうするのが常か、察した気がする。
「俺の、名前を…名前、をォ」
吐き出す言葉の途中、指先が下肢の戒めを解いてきた。
そのまま圧し折る事すらしない、捻り上げる事すらしない。
愛おしいという動きの、指先の遊戯。
恐怖か、快感か、認識すらままならない内に。
叩きつけられる熱い血肉。
眼で結んできたライドウ、あの瞬間と同じ様に。
同じ本質が、同じ動きをさせるのか、同じ歯車で。
一瞬で引きずり出されていった記憶達、痛みと傷みと―――
悪魔の囁きが。
「矢代」
項の突起の先端まで、震えて奔るソレは、シナプスから直通で。
久々の餌を胎に直接注がれた俺は、涎を垂らしてだらしなく。
“いつも”以上に異常に。
「ぁぁあぃぃゃだぁあああ゛ぁ」
ドクドクと注がれる傍から、自分の腹上にびゅくびゅくと漏らして。
喰った傍から吐き出すかの様な俺が可笑しいだろ。
「矢代、美味し、い?」
MAGという精を注ぎつつ、伺ってくるライドウに。
半狂乱で、もう形振り構わず、頷いた。
どうせ俺を知らないあんただ、名前だけで繋がってるんだ。
堕落し切るには、都合良かったんだ。
「ぁ、ぁあよ、る…夜!」
「これも契約内?」
「ぁ――」
違う。
これだけは、多分。
真名で呼び合うこれは、これだけは…
俺を、名前で呼ぶ時のあんたの眼だけは、確かに俺の魂を捉えていたから。
「…っ」
ふるふると、先刻まで縦だった頷きを、横に振る。
「そう」
俺の否定を見たライドウは、抜く事もしないで。
そのまま抱き抱えてきた。
ぐじゅ、と、結合部と合わさった胎から、いかがわしい音がする。
いたたまれなくて視線を逸らした俺。
その発生源が俺の吐き出したモノと思えば、下は自然と萎れた。

「…僕はね、君が怖いよ」

が、ライドウの、そのとんでもない台詞に思わず顔を上げ、見つめ直す。
「何処まで、君という、人修羅という存在に固執していたのやら、ねぇ?」
少しまだ弾む吐息の所為だけでは無い、その、やや切羽詰まった…
狂おしい矜持の唱。
「日誌も道具も、何もかも、僕の周りには…君の影が落ちている」
鼓動が、伝わってしまう。
怖れを伴った、それが。
「記憶を失って良かった気がするな、フフ…」
少し引き離され、真っ直ぐ向かい合って視線を絡ませた。
黒曜石の輝きが、俺の金色を映していた。
「特別な想いを抱く存在は、いずれ足枷となる…野望の、ね」
「……」
「君という存在は、きっと今の僕が感じる程度で、丁度良い」
急速に冷えていく胎。
冷えてきた空気の所為でも、俺の精でも無い。
「ククッ、だが、MAGで充たす行為は甘やかだったろう?そんなに漏らし」
そこまで云ったライドウの横っ面を、拳の甲で薙いだ。
しっとりとした黒髪が揺れて乱れ、その隙間から俺を薄暗く見つめる眼。
「ねぇ、思ったよりも君って、可愛い声で啼くのだね?」
繋がれたまま、高笑い。
ああ、何故。
これまでの様な酷い甚振りも、血も見なかった…マグの分かち合いなのに。
優しげな愛撫から始まって、ドロドロに爛れた…マグワリなのに。
肉は寄ったのに、魂が遠い。
胎は充たされたのに、どうして、如何して、なぜ、何故…
「フフ…このままでは冷えてしまうよ?」
呆然としているままの俺は、抱き抱えられ、傍の常備品である脱脂綿で腹を拭われていた。
後始末までされているのに。優しいのに。
「どうしたのだい…矢代?何か違う?」
肩に掛けられた外套を、跳ね除けたくなった。
でも、それが出来ない。
縋る接点が、此処にしか、今は無い。
(塗り替えられてるのは、誰、だ)

ライドウが空間から出て行ったのを確認して、よろりと寝台から起き上がる。
脚を流れ伝うMAGに指を伸ばし、掬った。
ぴちゃぴちゃとその指先を舐めれば、俺の魔力のえげつない強みがあった。
外套一枚で、冷気舞う床を、斑紋の光る脚で捌く。
あの散らかした空間を、片付けなくては…ドクターヴィクトルに申し訳無い。
まだフラつくのは、MAGの枯渇ではない。
胎だけ膨れた今、それは言い訳に出来ないから。
その、重い扉を開けば…血の様な腐臭。
正気になった今、それは酷い責め苦となって俺を苛む。
「ゥ、グ……ッ」
胸元を抑え吐き気を逸らす、視線を逸らす、罪から意識を逸らす。
ロクに見ないで、腕に点した焔を放つ。
マグマアクシスを火葬に使う、それだけ一瞬で無に帰したかった事実。
(え…)
焦げ臭い揺らめきを、そっと見た。
一声の、嘶き。まさか…
焔の中、まだ息の在った出来損ないが蠢いていた。
それは、真っ白なヤタガラス。
アルビノだろうか、眼が…赤い。
嘴を開く瞬間、反射的に腕を振り翳した俺。
相手に大した事が出来ないのを解っていて、瞬殺した。
赤い眼球は見事破裂して、血の涙を流す。
〈白い、烏)
ぞわり、と、連想する、今のライドウ。
綺麗な純白の色は、優しいと同時に、眼に痛い。
ああ、黒に、染めたい。

「…夜」

灰の中、絶叫した。


白い烏〈中編〉・了
* あとがき*

ひえええええ恋人とか、とんでもない嘘。
そして既に後悔してるとか、早。
ドロドロ…タイトルに反して…
エロばかりになったので、やはり三部構成に。
優しいライドウは怖いです、いくら本来のライドウでは無いとしても。
当社比数割増しで人修羅はえっちです(お)自棄とも云う。